父さんが目覚めて、アイリスさんのスパルタ訓練を受けるようになってから早数ヶ月。魔力制御の方法自体はとても簡単に覚えることが出来たため、不測の事態に陥っても制御が乱れない様に特訓を行っている真っ最中だ。いや、それは別に良いよ。常時制御できるからって不測の事態でも制御できるとは限らないからね。
でもだからってこれは無いよちっくしょおぉぉぉおおおおおおおおおお!!!
「オイオイどぉしたぁ? いくらデバイス無使用のハンデをつけてるとはいえ、左腕が無くて魔力が激減している俺様と互角とかそれでもミッドの守護神と呼ばれるエースストライカーなのかよ、ゼスト!!」
「ふっ、そこまで減らず口を叩けるのなら本気を出しても大丈夫のようだな…………いくぞ!!」
「望むところだぜ!!」
ぎゃああああああああああああああああああああああああ!!! 止めて!! これ以上トラウマを刺激しないで御両人!! いくら最高峰の防御結界魔法に包まれているとはいえこんな至近距離で過激な模擬戦しないでぇぇえええええええええええええええ!!!
「ワタルちゃん、制御が乱れているわよ? ほらほらちゃんと制御しなさいな」
無理無理無理無理無理無理無理無理、絶対無理!!!!
これ間違いなく一年前の再現だよね!? 最後のぶつかり合いのせいで結界が破られ、直径30cm程の岩が頭の横を通り過ぎて、その衝撃波で頬切って流血沙汰になったあの恐怖の模擬戦の再現だよね!!?
「開始から終了までちゃんと魔力制御しきれなければ、何回だって見てもらうからね」
ちょ、ま……そんな殺生なぁぁぁああああああああああああああああああ!!!!
おじさん姉さん助けてぇぇぇええええええええええええええええええええええ!!!!
* * *
はっと目が覚める。心臓がバクバクと煩くて、汗もかいている様で酷く気持ち悪い。見ていた夢が夢だっただけに生きた心地がしなくてトラウマが再発しそうになったけど、そうなってしまえば魔力制御が乱れて模擬戦近距離見学に逆戻りだから急いで心を落ち着かせた。
そうして初めて、おれは今の状況を認識する。
「……………………何でさ」
思わずそんな言葉が出てきてしまったのは仕方のないことだと思う。だっておれ今、段ボールに埋もれているから。正確には、段ボールが積まれている空間にいるのだけれど。
こんな状況でもちゃんとおれの傍にいてくれたイヌマルを抱きかかえて壁に背をかけて座りつつ、一体どうしてこんなことになっているのかと記憶の中を洗ってみた。けれども最後に思い出せるのは昨晩きちんと自室に戻って寝たという普段通りのもので、ただただ首を傾げる結果になってしまった。
(父さんに逆恨みした人達が誘拐した、とか?)
でももしそうだとしたら、イヌマルが傍にいる理由が分からない。その上拘束もされていなければデバイスだって外されていないから、誘拐の線はかなり薄くなった。
なら一体何なのだろうか、判断材料が少ないせいかどんなに考えても全く思い当たる節が無い。
薄暗い室内と不定期にくる振動、そして服越しに伝わる壁のひんやりとした感覚が気持ち良くて、また再び眠りにつこうかと瞼を閉じた時、タイヤの擦れる音と共に揺れが止まった。おれがいるところの対面側の壁の外から煩い音が聞こえてきて、ぎぃ……という錆びた蝶番が動いた時のような音と入ってきた光に思わず顔を顰めた。
「お、起きてんな。結構結構」
逆光で良く見えないが、悪戯に成功した子供の様に笑う父さんの顔が脳裏を掠めたのだった。
詳しい事情を聞いてみれば何てことはない、唯の引っ越しだった。何でも、あそこにいてももう自分に出来ることは無いと思ったらしく管理局を辞め、管理局を辞めた以上ミッドチルダにいる意味は無いと故郷に戻って来たのだとか。
聞いてねぇよちゃんと話せよ。しかも父さん自身おじさん達に何の報告も挨拶もして無いみたいだから、今頃おじさん達慌てふためいておれ達探してる姿しか思い浮かばないんだけど。
まぁ管理局の方にはそんなことせずに、きちんとお偉いさん方に筋を通して辞めたらしいから良いけど…………どうしよう、普段の行いが行いだから父さんの言葉を信用できない。ああでも前におじさんが、仕事関係だけは目を見張るほど真面目だと言っていたから、そのおじさんの言葉を信用することにしよう、うん、そうしよう。
そう自分を納得させながら、おれは新しい住処となった家を見上げる。
「………………それにしても、よくこんな家を見つけられたね?」
まだ中には入っていないためきちんとした判断は下せないが、新築同然の外観にバーベキューが出来る程度の広さの庭付きという、中流家庭の裕福層が住むような家は、おれと父さんの二人だけで住むには勿体ないほど広く見える。
こんなに良い物件を長い間故郷に帰って無かった父さんが、どうして手に入れられたのだろうと不思議に思った。
「俺様のダチの一人が不動産関係者でな、その伝手で二か月前に手に入れたんだよ」
あ、友達いたんだ。
この物件を買うことが出来た理由に納得する前に、そんな考えが頭に浮かんだ。
その内心に気付くことなく、父さんは「ここんとこずっと働いてたおかげで、金は余りまくってたからなー」と笑いながら次々とトラックの中にある中くらいの段ボールを四箱ほど抱えた。
左手は義手であるのにも拘らずちっともそんな風に見えないのは、義手を造った人の腕なのか、はたまた使用者が父さんだからなのか判断付かなかった。
「荷物運びと片付けは俺様がやっとくから、お前は引越し蕎麦をご近所さんに渡してこい」
「はーい。行こ、イヌマル」
「わふっ」
引越し蕎麦が入っているであろう小さい段ボール箱を指差し言った父さんの申し出を、断る理由がないため、おれは素直に引き受けた。ガムテープを外して中を見ると、ぎっしりと詰め込まれている蕎麦の箱。量が多いと辟易しつつも、箱自体は今のおれの体でも持ち運べる程度の大きさと重さなのは有難かった。ひとつひとつ取り出して、一軒ずつご近所さんに挨拶回りをしていく。その度に奥様方から「偉いわねぇ」と褒められ、頭を撫でられるのは役得だ。イヌマルだって「可愛いだけじゃなくて賢いのねぇ」と褒められて、ご機嫌そうに尻尾を振っていた。うん、やっぱりイヌマルは可愛い。
そうこうしている内に最後の家――新しい家に向かって左隣りに位置するバリアフリー住宅――の呼び鈴を鳴らす。しばらく経っても何の反応も無く、もう一度呼び鈴を鳴らしても同様であったため、留守なのかと思い出直すことにした。
そうして体を翻せば、この家の前で停まったタクシー一台。助手席から出てきた薄茶色の髪の女の人と目が合った。
「んん? そんなトコで何してるのかな? はやてのお友達?」
おれの姿を認識した瞬間そう首を傾げた短い髪の女の人に、おれは奇妙な違和感を覚えた。見た目は間違いなく人なのだが、どことなく獣っぽい気がするのだ。
「いぬ、じゃない………………ねこ?」
「え?」
「あ、いや、えと……となりの家にひっこしてきたから、そのあいさつ回りに来ました!!」
思わず呟いた言葉に反応した女の人に誤魔化しつつ、蕎麦の箱を突き出しながら言う。
「今日、とうさんといっしょにとなりの家にひっこしてきた、きさらぎわたるです!」
「わふっ!」
「ああ、それはご丁寧に……ん? 『キサラギ』? そう言えば黒髪に碧の瞳って……え、ま……まさか…………」
おれが自分の名前を言った瞬間、女性の顔色が見る見る内に変わっていった。一目見た時には快活そうな印象だったが、今にも倒れそうなくらい真っ青に。時折「何で」だの「まだ後一年はあったはず」だのという言葉が聞こえてきたが、それを追及するのは適わなかった。
「ロッテさん、どないしました?」
そう、下っ足らずな言葉で、不思議そうな声が聞こえてきたからだ。
声のした方へ顔を向けると、ドアの開いていた後部座席に座って顔だけをひょっこりと出してきた、おれと同い年くらいの女の子が一人。タクシーの運転手と思われる男性が後ろのトランクから折畳み式の車椅子を取り出して少女の近くに設置し、少女は運転手に礼を言ってタクシーの座席から車椅子へと器用に乗り移った。
「えーと…………どちらさん?」
車椅子に乗って漸くおれに気付いたのか、不安そうに問いかける茶色の髪の女の子の様子に気付いたのか、自分の世界に入って独り言を言っていた女性は気を取り直し、未だ顔色は戻っていないながらも安心できる笑みを浮かべて言う。
「はやての家の隣に引っ越して来た子だってさ」
「きさらぎわたるです、こっちはイヌマル。あ、これひっこしそばだからどうぞ」
女性の言葉に続けて女の子に自己紹介をした後、おれは蕎麦の箱を女の子に渡した。「となりの家……ひっこし…………」箱を受け取りつつそう呟いていた女の子は、何かに気付いた様に声を上げた。
「もしかして、おとうさんが家しょうかいした人!? がいこくのほうから来たおとうさんの友だち…………の子どもさん?」
「きみのとうさんがふどうさんの人なら、そうじゃないのかな?」
「わーわーそうなんや、おとうさんからはなしは聞いとったよ。おれさまでとってもとっぴょーしなくてやることムチャクチャで、でもしんがとおった人なんやてねー」
「うんそれウチのとうさんだ」
「うっわ、自分の子供に即答されるとかどんだけ変わってないのよアイツ…………いや、想像はつくけど」
「子供が出来たって聞いたから大分マシになったと思ったのになー」ととても嫌そうに独り言を呟き始めた女性を軽くスルーする。昔から父さんに迷惑を被っている知り合いらしい女の人に、追及するのは忍びないと思ってしまったからだ。往来で独り言を呟く姿は少しばかり怪しいが、そっとしておくのも優しさだろう。
そんなおれの内心を知ってか知らずか、女の子はイヌマルに「わんこさんこっちおいでー」と可愛らしげに話しかける。行っても良いけどイヌマル、その娘(こ)足悪くしてるみたいだから膝に乗ったり足に頭を擦りつけたりしたら駄目だよ。
おれの気持ちを汲んだのか、イヌマルは女の子の傍には寄ったが女の子の足に前足をついたり、頭を擦りつけたりせずに、下に出された手だけに擦り寄った。
「わーわー、ほんまかわええなぁ。やっぱ犬ってええわぁ……」
「イヌマルで良ければ、まいにちつれてこようか?」
「ほんまに!? ……あ、でもめいわくやない?」
「いやいや、おとなりさんだからぜんぜんめいわくじゃないよ。それにイヌマルもきみになついたみたいだし」
おれの言葉に、イヌマルは「わふっ!!」と肯定の意を表す返事をする。それを見て嬉しそうにはにかみながらイヌマルの頭を撫でる女の子…………うん、可愛い。『可愛いもの×可愛いもの=可愛さ限界突破』でおれの可愛いものゲージマッハなんだけどどうしようどうしよう纏めて愛でたいんだけど、初対面でそれやったら引かれるよねどうしよう。
おれの内心の動揺に気付くことなく、女の子は今思い出したかのようにちょっと慌てて、だけど満面の笑みを浮かべておれの方を見た。
「あ、わたし、やがみはやて言うんよ。いちおうこのいえのやぬしや」
「へーそうなんだ………………………………え?」
これがおれ、如月済と、幼馴染であり親友であり家族となる、八神はやてとの出逢い。