ずっと彼のことを見ていた。彼が授業で面倒くさそうに挙手をする様子も、毎日聖堂を磨きあげる様子も。ずっと僕は彼を見ていた。彼はほんとうに利発な子供だった。僕の助けなんて必要ともしない子供。やったこともないのに、キッチンに立ったその時は見兼ねて少し手伝ったが、彼が13の今の今まで、僕はずうっと不干渉を貫いていた。
だが、彼は相当に利発ではあったものの、周囲を見るという行為を行っていないようだった。いや、行っていなかった。ずっと彼を見ていたのにも
僕はそれまで彼は自身の異常性を、そのよく出来た頭で理解した上でのものだと思っていた。自覚していると思っていたと言い換えてもいい。だって彼は毎日学校に通っていて、よその家の子どもの様子を、生態を、ほんの間近で見ているはずだったから。普通は気づくだろう。周りの有象無象と彼は違うだなんて。
でもそれは違った。自覚だなんてとんでもなかった。彼は周囲なんて気にも留めていなかったのだ。ゆえに自身の相違性に気が付かず、ここまで歩んでしてしまった。それが彼だったのだ。唯我独尊、我が道を地で行くとでもいうのか、他人の評価を全く気にしないという彼のその姿勢に、僕は深く戦慄した。そして思った。ここが限界なのだと。
言い訳を述べるとするなら、彼はもう、13年もの間を人間として過ごしてきているのだ。義理とはいえ、家族以外の社会的集団に籍を置いた期間だって相当長いはずで、この間に全く第三者からの評判を気にしたことがないだなんて、そんなこと誰が思うだろうか。いや、思うはずがない。現に僕はさっぱり気が付かなかったのだから。
偶然というべきか、性悪なる本性の露顕という事態に抱いた、本能的な危機感ゆえに自然と彼自身がそうしたのか、それはわからない。しかし、運良くもその“異常行動”を、彼は人気のない場所でしていたおかげで、誰かが彼のそれについて気づくことはなかった。ゆえにこそ、あの時彼があの蟻を潰す子供を見て受けた衝撃を測り知ることが、僕には出来なかった。
僕が手を出すことで彼は変わってしまうだろうか。彼の本性は並ひととおりの事では変質したりしないだろうが、変わらないとは言いきれない。むしろ、変わってしまうべきだ。しかし僕自身としては変わって欲しくない、という思いが強くある。このアンビバレンツ的な思考は相当に脆く、それでいて妙に弱い。
でも、彼がこれからを平穏に生きていく上には、多少の変化だって必要だ。そう自分を納得させる。いや、このことでもたらされるのは変化じゃあない。順応だ。適応だ。異質さは集団から爪弾きにされる。それの予防策。社会へとけるための妥当な形質変化なのだ。
自分がノロマなことも、ぐずなことも知っている。彼と違って僕には、頂点捕食者ゆえの、ヒエラルキー下位への生き物に対する遊びというか、嘲りというものはない。
僕は彼とは違う。彼は僕でもないし、僕は彼でもない。全くの別人だ。僕は虫が歩道にいたら端に避けさせるし、尻もちをついた先にカエルがいれば、まずカエルの安否を確認するだろう。
だからといって、僕は彼が嫌いなわけじゃあない。そう、おかしい程なまでの擁護欲を抱くほどには。多分僕は、彼を嫌えないようになっているんだ。きっとそう出来ている。そう出来てしまった。彼を助けろ、彼のために生きろという執着じみた声が、血肉から湧いて出るようだ。執着がよく溶けた、見えない透明の液体がしみ出ていて、僕の魂にべたべたと刷り込まれてるに違いない。知らない間に、僕は彼への執着だけで構成されてしまったのだ。
とにかく、僕が今からやろうとしていることは彼の為で、仕方の無い誘導だと他でもない僕自身が理解しなければならない。彼が知れば嫌がるだろうが、仕方の無いことなのだ。これは彼自身のためなのだ。
僕は彼に、
どっちだと思う?
そろそろ伏線に息をさせるので、よかったら考えてみてね