――よくある話、だという。
西方辺境に無数に存在する開拓村。その村の子供が神の声を聞いたことも。
それを知った村で唯一の神官が、彼を神殿に預けることを提案したことも。
彼の両親がその提案を受け入れたことも。
そうして、彼が地母神の神官となったことも。
何もかも、この世界ではありふれたことだ。
彼は村人Aではない。しかし、癒しの奇跡が使える数多くいる神官の1人でしかない。
ただ、敢えて1つ付け加えるとするなら。
彼のあだ名は『不良神官』。
破門寸前の、はみ出し者だということだ。
■
――懐かしい夢を見た。
故郷の開拓村からこの町に来たのは、もう10年以上も前のことになる。
この町に来たことも、神殿での暮らしも、悪くはなかったと思う。
新たな奇跡も授かったし、文字の読み書きや、最低限の
あのまま開拓村にいたならば、これらは絶対に手に入らなかっただろう。
――ただ……ただ1つ不満を上げるとするなら、神殿での暮らしは退屈だった。
清貧を良しとする神殿の暮らしは、遊びたい盛りの子供にはどうしても退屈だったのだ。
だからだろう。田舎から飛び出してきたばかりの何も知らないガキが、悪い遊びを憶え、道を大きく踏み外したのは。
下宿先の自室――神殿からはとうの昔に追い出された――のテーブルにはカードや、サイコロ、空の酒瓶が無造作に置かれている。
これらは自分が道を踏み外した原因だ。
博打はするし、酒も飲む。タバコも吸うし、女も抱く。
それでついたあだ名が『不良神官』。
「……改めて考えると悲しくなってきた。こんな大人になりたくなかったなぁ……。
おお、いと慈悲深き地母神よ。不出来な信徒を許したまえ」
膝を突き、毎日欠かすことのない祈りを捧げる。
――祈りはまだ届いている。
地母神様は本当に慈悲深いと心の底から思う。
自分の祈りはまだ届いている。それはつまり、まだ奇跡が使えるということ。
そして、まだ自分が見捨てられていないという証明だ。
自分の存在は神によって、許されている。
これほど心強いことがあるだろうか。
「……さて、今日もお勤め頑張りますか」
一張羅である継ぎはぎだらけの神官服を着込み、腰のベルトに愛用のメイスを吊り下げる。
さらに薬草や包帯、アルコールなど雑多な道具が入った鞄を肩に引っ掛け、最後に『黒曜の身分証』をポケットの中に突っ込み準備完了。
下宿先の大家さんに挨拶をして、町に出る。
この町は辺境一帯の町の中でも比較的大きく、大通りを真っ直ぐに行けば冒険者ギルドだってある。
しかし、今日の目的地はギルドではない。
ギルドとは反対方向の町の外れへ向かい、さらに路地裏に入る。
路地裏から、さらに町の奥へ。
路地裏は昼間だというのに薄暗く、湿っていて、不衛生だ。
埃とカビ、あるいは糞尿の臭いが鼻を突く。
その臭いに顔をしかめつつも、建物と建物の隙間にできたような細い道を、黙々と歩く。
それはさながら
そうして、しばらく歩いていると一件の酒場に辿り着く。
町の大通りから外れに外れたクソ立地にあるその酒場には、当然のように一般人などまず訪れない。
それにも関わらず、酒場の扉の前には門番のように、獣人の用心棒が立っていた。
その用心棒の顔には大きな傷があり、さらに片目には眼帯をしていた。
鍛えられ膨れ上がった筋肉と、隻眼の眼光は凄まじく、明らかに堅気の人間ではない。
こんな者が店の前に立っているのだから、仮にひどい
――まあ、このおっかない酒場が自分の目的地なのだが。
用心棒に挨拶し、用件を伝える。
程なくして、中から身なりの良い青年が現れる。
彼はこの辺りのゴロツキ共を仕切っているヤクザの若頭であり……自分に悪い遊びを教えた悪い奴でもある。
「よお、『不良神官』!! 元気そうだな!!」
「別に好きで不良神官やってるわけじゃねぇよ。
10割ぐらいはお前のせいだ」
「ハハ!!なんのこったよ」
10年来の悪友はけらけらと笑う。
「まあいい。今日は何の用だ?
俺はお前の使いに呼ばれたから来ただけだぞ」
そう問いかけると、目の前の男から笑みが消える。
いや顔は笑っているが、目が笑っていない。
こいつがこの顔をする時は、だいたい面倒くさい厄介ごとだ。
「……昨日、俺のシマで流血沙汰があってな」
「穏やかじゃないな。喧嘩か?」
「喧嘩なら良かったが……酒に酔った白磁の冒険者が、娼館で大暴れだ」
本当に勘弁してくれと、彼は吐き捨てるように言う。
その彼に同意するように頷く。
白磁の冒険者など、ならず者とそう変わりない。
大方、初めての冒険を成功させて気を良くし、その足で酒場と娼館に突撃したのだろう。
「不幸中の幸いとして、娼婦達は無事だった。
だがなぁ……女を庇って、うちの組員が怪我をした。
だから治療を頼みたい」
「それは構わんが……ちなみに件の冒険者は?」
「ぶっ殺した。当然だよなぁ?」
「まあ、是非もない」
冒険者は日常的に
そんな輩に襲われれば、一般人では太刀打ちできない。
酒で理性が飛んだ冒険者なんて、怪物と何も変わらないのだから。
そうである以上、『殺さずに取り押さえて貰える』、などという甘い考えは通用しない。
「ああ、それと治療が終わったら、クソ冒険者の弔いも頼む。
非常に遺憾だが、放置してアンデッドになられても困る」
「あい、分かった。じゃあ、怪我人のところに案内してくれ」
■
案内された一室、その部屋のベッドの上には包帯を巻かれた男がいた。
歳は30台の半ばぐらい、屈強な身体は一般人のそれではなく、冒険者のものだ。
――いや、元冒険者というべきだろうか。
彼の片腕はなかった。
それは明らかに昨日、今日できた傷ではない古傷だ。
実際、彼は引退した元冒険者だと聞いた。
――冒険から生きて帰る。それは喜ばしいことだ。……ただし、五体が無事ならば。
冒険者とは危険を冒すものだ。
凶暴なモンスター、混沌の眷属、果てはドラゴン。
そういった者達と身一つで戦う。
当然、死ぬこともあるだろう。
それはとても残念なことではある。しかし、それもまた冒険だ。
だが、問題は中途半端に生き残ってしまった場合だ。
モンスターに襲われ、手足を食いちぎられる。
欠けた身体は、『
噂に聞く『
さらに触媒となる『処女』がいる。
おそらく、自分には一生縁のないものだろう。
手足をなくした冒険者がどうなるかといえば……多くの場合、厳しい現実が待っている。
まず冒険者としては使い物にならない。
では田舎に帰るのかとなるが、帰れる者は恵まれている。
冒険者の多くは農村の出身だ。手足がなければ農作業だって出来ない。
そして、そんな半端な人間を置いておける村は、そう多くはない。
結局、彼らはどうなるのか?
――神官という立場上、死ねば楽になる、とは言えないが。
どうにもならぬ身体で生きていくしかない。
その行き着く先の1つがこれだ。
彼らは手足を失っていても、それでも一般人よりは余程強いし、何より場慣れしている。
実際、この冒険者崩れの彼は、娼婦を庇いながら、片手で白磁の冒険者を返り討ちにしたという。
あの若頭はそういった一線を退いた冒険者を、彼の営む店で用心棒として雇っているのだ。
■
『隻腕の用心棒』の身体を検め、怪我の具合を確認する。
揉み合いの乱闘だったのだろう。顔や身体に打ち身や細かい切り傷がある。
だが、それらは致命傷ではない。軟膏でも塗っておけば事足りる。
酷いのは背中の傷だ。元々の古傷だろう無数の傷跡の上に、まるで上書きするように真新しい大きな傷ができている。
――背中を刃物でばっさりか。おそらく、娼婦を庇った時にできたものだろう。
最低限の止血は行われているが……顔色は悪い。
このまま自然の治癒力に任せるのは厳しい。というよりも、すぐに処置しないとまずい。
「ったく、普通に重症じゃねぇか!!
おい! ここがどこだか分かるか! 俺の言葉は分かるか!!」
耳元で声をかけ、頬を軽く叩く。
「あ……う……違、う。……俺は、逃げ、たんじゃ、ない……仕方が、なかったんだ……」
まずいな、意識が混濁している。
ブツブツとうわ言の様に呟かれるそれは、彼の冒険者時代の話だろう。
どうして彼の腕は無くなったのか。
古い方の背中の傷、それがどうして出来たのか。
どうして彼は、冒険者を辞めることになったのか。
それは知らないし、知ろうとも思わない。
ただ言える事は……彼はまだ死ぬべき人間ではないと言う事だ。
「なに、誰かを守ってできた傷なら、それは勲章だよ」
傷口に手をかざし、意識を集中する。
「――いと慈悲深い地母神よ、どうかこの者の傷に、御手をお触れください」
暖かな光と共に、裂けた肌が塞がっていく。
これこそが神の御業。傷ついた身体を癒す『小癒』の奇跡だ。
「ふぅ……傷は塞がった。
しばらく安静にしていれば、また動けるようになるはずだ」
顔色も大分良くなったし、寝息も安定している。
包帯を新しいものに替えて、小さな傷には軟膏を塗っておく。
自分に出来るのは、ここまでだ。
「いつもすまんな。不良神官どの」
一連の処置を部屋の隅で見ていた若頭が声をかける。
「ったく、不良神官は余計だっつーの。
それとお礼は地母神様に言え。『地母神様、万歳』と今すぐ3回言うのだ」
「『地母神様、万歳』、『地母神様、万歳』、『地母神様、万歳』」
「……本当にやるのか」
「やるとも。それで俺の手下の命が助かるならな」
普段は飄々とした男であるが、さすがにその目は本気だ。
まあ、そうでなければ人はついてこないし、自分もこいつに力を貸そうとは思わない。
「まあ、いいけどよ。怪我人がいるなら、すぐに呼んでくれ。
奇跡だって万能じゃねえんだ。今回は間に合ったが手遅れになっても知らんぞ」
事件が起きたのが昨夜の事だから、もっと早くに対処は出来たはずなのだ。
「分かっているさ。
とは言え、こちらも一応、気を使ってるんだ。
俺らのために動いてくれる神官なんて、お前ぐらいしかいないからな」
彼は自嘲気味に言う。
確かに、彼らは社会の裏に生きる人間だ。
そんな彼らが、堅気の人間の世話になるわけにはいかない。
――だが、それだと一体誰が彼らを救ってくれるのか。
彼らは間違っても善人ではない。だからと言って、生きる価値がないほどの悪人だとも思わない。
「……今更、気遣いが必要な仲でもねぇだろうがよ。
まあいいさ、次は冒険者の弔いだろ?」
「そうだな。悪いが、そちらも頼む」
■
次に案内されたのは、薄暗い一室だった。
「なあ、お前。馬鹿なことをしたなぁ……」
そこには、頭をかち割られた冒険者の姿があった。
冒険ではなく、町の中、それもしょうもない争いで死んだ者。
身分証で名前を確認。知らない名前だ。
家族は居るのか、
何も分からない。
割れた頭を包帯で固定し、最低限の体裁を整える。
そうして膝を突き、略式ではあるが地母神に祈りを捧げる。
彼が死して彷徨う死体とならないように。
「……終わった」
「ああ、後始末は俺らがやっておく。」
彼の死体はこの後、下水道に放置されることになる。
そうすれば、鼠なり、虫なりが食って死体はなくなる。
冒険者がいなくなるなんて良くあることだ。
まして、それが白磁なら。
だから……この白磁の身分証明を処分してしまっても良い。
「だけど……生きているか、死んでいるか、ぐらいはなぁ」
彼の白磁の身分証をポケットに突っ込む。
――さて、ギルドの受付さんには、どうやって彼の死を伝えようか。
そんな事を考えながら、路地裏を後にした。