洞窟中央での戦いのあと、さらにその奥へと足を踏み入れる。
奥に進ほどに濃くなる異臭と暗闇。
今にも岩肌の影からゴブリン共が飛び出してきそうな雰囲気であるが、不思議なことにあれからゴブリンとの遭遇はない。
しかし、それは次の瞬間の安全を約束してくれるものではない。
先頭を行くゴブリンスレイヤーは油断なく警戒しながら進んでいた。
最後尾の自分も後方からの奇襲をさせないように周囲に気を配る。
だからだろう。洞窟の奥から響く音をいち早く気付けたのは。
「……ィ、……ャ……」
「おい、この音!」
洞窟の奥から反響する音……いや、これは悲鳴だ。女性の悲鳴。
「気付いている。だが、音を立てるな。
ゴブリンを殺すにしろ、女を助けるにしろ、その方が結局は早く済む」
ゴブリンスレイヤーはきっぱりと言うと、這うように姿勢を低くして進んでいく。
軽装とはいえ彼は鎧を身に纏っているのに、物音はしていなかった。
「……クソ、分かってはいるさ」
気持ちは早く助けに向かいたいが、彼の言っていることは正論だ。
下手に動いて感ずかれて、人質などにされては目も当てられない。
急いては事を仕損じる。分かっている。分かってはいるのだ。
一度、深呼吸をして気持ちを落ち着けると、彼に習って姿勢を低くして歩き出す。
息を殺して慎重に進む自分達とは裏腹に、洞窟の奥に進むたびに悲鳴は大きくなる。
「い、っぎ、ぎぃあああ!!!」
その声は洞窟内に反響し、叩きつけるように耳朶に響く。
痛々しいその悲鳴は、頭を揺さぶられるようで反吐がでそうだ。
それでも、努めて冷静に必要なことだけを口にする。
「……そろそろ、この洞窟の最奥のはずだ」
ゴブリンスレイヤーは頷くと、慎重に様子を伺う。
その先からは、小さな明かりが漏れていた。
確か、ゴブリンは暗闇の中でも目が見えると聞いている。
ならば、明りなど本来は必要ないはずで……
それがあるということは暖を取るためか、遊びのためであり……今回は後者であった。
「ギィ、あ……ぁ…………」
洞窟の奥、そこは小さな広間となっていた。
洞窟の一番奥には、骨で作られた杖を持ったゴブリンと、その脇に控える大柄なゴブリン。
杖を持ったゴブリンは、骨で出来た椅子に座り、大きなゴブリンは人間の腕の様な肉を骨ごとかじっていた。
洞窟の左端には、裸に剥かれた女が2人。
動けないように手足の腱が切られており、冷たい岩肌の洞窟に転がされている。
全身をゴブリンに汚され、さらに血と泥と汚物に塗れているが、まだ命に別状はないように見える。
問題は、広間の中央だ。
同じく裸にされた赤い髪の女が、ゴブリンに弄ばれていた。
広間の中央には火が炊かれており、そのすぐ近くに熱せられた鉄の棒が置かれている。
その棒を何度も女の肌に押し当てたのだろう。
女の身体は全身が真っ赤に腫れ上がっており、先程まであれほど響いていた悲鳴も、今はない。
反応がなくなった彼女の頭をゴブリンが踏みつけ、蹴り上げる。
「……ィ……ァ……」
それでも反応は微々たるもの。
それがつまらないのか、彼女を蹴りつけ仰向けに転がすと、持っていた短剣を彼女の腹に突き刺した。
「ひぃ、ぎぁああああああああ!!!!」
今度こそ、洞窟に彼女の絶叫が響き渡たる。
その耳を劈くような悲鳴に満足したのか、ゴブリンはゲタゲタと顔を歪めて笑う。
――内臓のある腹部への刺傷。間違いなく致命傷だ。一刻も早く治療しないと彼女は死ぬ。だが……
奥歯をギリギリと噛み締めて耐える。このまま勢いに任せて飛び出してどうする。
洞窟の奥には上位種のゴブリンが2匹。中央の焚き火の周りにはゴブリンが6匹。合計8匹。
いくらゴブリンが相手とはいえ、数的な不利が大き過ぎる。
さらに要救助者が3名。その内1人は瀕死だ。
無策で突っ込めば彼女達だけでなく、自分達すらも危ない。
だが、迷っている時間はない。
――どうする。どうする。どうする。どうすればいい。どうすれば……
この状況から彼女達を助け、ゴブリンを殺す。
そんな都合の良い方法は自分には思いつかない。
自分は勇者ではない。
世界どころか、ゴブリンに捕まった女性を救うことすら難しい。
それが自分の実力なのだ。
しかし、そんな自分に対してゴブリンスレイヤーは言う。
「手はある。だが、お前が最も危険だ。
やる気はあるか?」
「やる気はあるかだぁ?
神官を舐めるなよ。俺は人助けに人生をかけてるんだ。何でもやってやるよ」
「そうか。――ならば、やるぞ」
■
ゴブリンスレイヤーの作戦を聞き、手早く準備を済ませ、配置に着く。
手槍を構えるゴブリンスレイヤーも頷く。
「お嬢、いつでもいいぜ」
彼女は大きく深呼吸をすると、ぎゅっと錫杖を握り締める。
「――いと慈悲深き地母神よ、闇に迷えるわたしどもに、聖なる光をお恵みください」
その瞬間、彼女の掲げる錫杖が太陽の如く輝き、爆発的な光が薄暗い洞窟を白一色に染め上げる。
これこそが地母神の御業。
彼女の奇跡嘆願と同時に、ゴブリンスレイヤーと自分は飛び出した。
「GOBRR!!」「GRUUU!!」
清浄なる光に照らし出されたゴブリン達は、その眩しさに思わず目を瞑る。
その隙を見逃さず、ゴブリンスレイヤーは飛び出した勢いをそのままに、手槍を投擲する。
彼から打ち出された手槍は、ぶれることなく真っ直ぐに飛び、椅子に座ったゴブリンシャーマンを串刺しにした。
これで残る上位種は1匹。残り7匹。
――次は、俺の番だ。
「うおおおお!!」
地面を蹴りつけ、全力で走る。
途中にいるゴブリンは全て無視して、洞窟の中央、血を流し横たわる彼女の元へ。
「GOBUUU!!」
だが、ゴブリンとて大人しくしているわけではない。
聖なる光に目を潰されながらも、彼女の血に濡れた短剣を無茶苦茶に振り回す。
「邪魔だ、どけぇ!!」
速度を緩めず突っ込み、迫る短剣を篭手で
「GOBU!!」
致命傷ではない。
しかし、弾き飛ばされたゴブリンには構わず、横たわる彼女を抱きかかえる。
彼女は重症だ。本当なら不用意に動かすべきではない。
――クソ、分かってんだよ。そんなことは!!
だが、状況が状況だ。
なるべく慎重に、だが
ゴブリンスレイヤーから貰った卵型の催涙弾を放り投げると、彼女を抱えて一目散に走る。
腕の中の身体は細く華奢だ。
およそ冒険者という言葉から連想される、逞しさはない。
それでも意識を失った身体と言うのは、見た目以上に重たいものだ。
不要な衝撃を与えてはならない、まして落としてはならない。
それだけではなく、周囲のゴブリンにも注意しなければならない。
――ああ、クソ!!不満はないが、本当に危険じゃねぇか!!
既にホーリーライトの光は消えている。
幸い、後方のゴブリンは催涙弾から巻き上がる粉塵で身動きが取れていない。
だが、前方にもゴブリンはいる。まだ目は慣れていないようだが、それもいつまで続くか分からない。
それでも、やるしかない。
意を決して、ゴブリンの脇をすり抜け、さらに走る。
今度は洞窟の左端、同じく捕まった冒険者の元へ。
「はぁ、はぁ……よし、辿り着いたぞ!」
彼女をそっと床におろすと、腰のベルトからメイスを引き抜き構え、庇うように前に出る。
ホーリーライトの光も、催涙弾の粉塵も消えている。
ゴブリン共は自分を包囲するように、にじり寄ってくる。
その中には、一際大きな身体を持つゴブリン――ホブゴブリン――の姿もあった。
奴らの顔には、上等な真似を働いた自分に対する怒りの表情。
そして、そんな人間を痛めつけてやろうという嘲笑の表情が浮かぶ。
それに対して、自分の背後には要救助者の女性3人。逃げ場はない。
7対1。多勢に無勢。
ゴブリン共が一斉に飛び掛る。
おお、神官よ。死んでしまうとは情けない。
――俺一人なら、そうだろう。だが、こちらは3人だ!
「――いと慈悲深き地母神よ、か弱き我らを、どうか大地の御力でお守りください」
聖なる不可視の壁がホブゴブリンの石斧を弾き返し、さらに別の1体のゴブリンの頭に、後方から飛んできた礫がめり込む。
「これで、4つ」
洞窟の暗闇から響く声。
焚き火に照らし出されたその姿。
安っぽい鉄兜、薄汚れた皮鎧、腕に小振りな円盾を括り付け、投石紐を握る冒険者。
そこにゴブリンスレイヤーの姿があった。
■
ゴブリンスレイヤーが立てた作戦は単純で、つまり囮だった。
その代わりに、自分がゴブリンの注意を引きつつ、彼女を救出。
あとは、お嬢の
――とはいえ、まだ終わってない。
背後にいるゴブリンスレイヤーの存在に気付いたゴブリン達は一斉に後ろを振り向く。
これを放置していては、今度は彼がゴブリンに包囲されてしまう。
だから、ゴブリン共の注意がそれた瞬間に、プロテクションの前に出る。
『聖壁』の奇跡は、術者に対して害あるものを通さない壁を作り出す。
よって自分の出入りは自由。
そして、狙うは大物、ホブゴブリン。
――大物相手は、まず足元を崩すと相場は決まっている!
ホブゴブリンの足元に素早く走り寄ると、手に持ったメイスを全力で
「GOROOO!!」
ミシッという破砕音。ホブゴブリンの膝を破壊した確かな手ごたえ。
「GOBU!!」
「っとおお!」
それでも、ホブゴブリンは手に持つ石斧を振り下ろし反撃する。
その一撃を聖なる壁の中に転がるように飛び込んで回避する。
ホブゴブリンの石斧はプロテクションに阻まれ、ゴブリン達は再びこちらに
――それでいい。囮なんだから派手に動かないとな。
「おらおら、どうした! どうした!
俺はここにいるぞ、殺して見せろよゴブリン!!」
そうやって煽りつつ、鞄の中から透明な液体の入ったビンを取り出す。
中身は消毒用の高純度アルコール。それをホブゴブリンに投げつける。
――何でも、この世界には目に見えないほどの小さな生き物達がいて、それが時に病の元になるらしい。
そして、その小さな生き物達は、高い
「本来の使い方とは違うが、まあ良いだろう。――じゃあな」
アルコール濡れになったホブゴブリンに対して、背後のゴブリンスレイヤーが火で熱せられた鉄棒を投擲する。
赤く赤熱した鉄棒がホブゴブリンに触れた瞬間、ぼっと火が燃え上がる。
その身を焼き焦がす炎にホブゴブリンは暴れまわり、近くに居た2匹のゴブリンが巻き添えになる。
「5つ、6つ」
さらに、ゴブリンスレイヤーは投擲紐を回転させると、勢いよく石を投げつける。
「7つ」
「GOBUU」「GOBUU」
背後のゴブリンスレイヤーに対して、怒り喚き散らすゴブリン。
「お前らの相手は、この俺だ!」
その隙を見逃さず、今度は自分がメイスを振り下ろしゴブリンの頭蓋を粉砕すると、すぐにプロテクションの壁の中に逃げ込む。
聖なる壁に逃げ込んだ自分に対して、ゴブリンは怒りの表情を浮かべるが……
「8つ」
その1匹の頭にまた礫が飛んでくる。
それを誰がやったかは言うまでもない。ゴブリンスレイヤーだ。
最後に残ったゴブリンは、ようやく挟み撃ちにされるということが、どういうことか分かったらしい。
だが、手遅れだ。
ここまでくれば何のことはない。
剣を引き抜き突撃するゴブリンスレイヤーによって、最後のゴブリンも
■
「……これで11。
まったく、上位種は無駄にしぶとい」
後のことをゴブリンスレイヤーに任せ、自分とお嬢は治療に移る。
目の前には腹から血を流し、力なく横たわる女性の姿。
まだ、息はある。だが、あまり時間はない。
だからこそ、その時間を有効に使う。
――腹部への傷、深い。内臓がやられている。それに、これは毒か。
彼女の身体は痙攣し、喉が詰まったかのように喘ぐ。
傷口からは内臓がはみ出しており、そこに黒い粘つく液体が付着していた。
「……こ……ぉ……し……て……」
ゴボリと喉から血泡がはじけ、音とも声ともつかぬ言葉が漏れる。
――腹が裂けてそこから毒が回ったか。解毒のポーションはあるが、今の彼女に飲ませれば喉に詰まって死にかねない。
仮にポーションを飲めたとしても、腹が裂けている状態で飲み薬など効くかどうか怪しい。
「……彼女は助かりますか?」
自分の診察を見守っていたお嬢は、顔を青くして震える声で尋ねる。
「……もちろん、助かるさ。
だが、お嬢の力が必要だ。やれるか?」
自分の問いに、彼女ははっきりと答える。
「……はい!
私に出来ることがあるなら、やります!」
「なら、合わせろ。
俺が『解毒』の奇跡を使う。そしたらすぐに『小癒』の奇跡だ」
「分かりました」
お嬢は力強く頷くと、錫杖を手繰り寄せ、目を瞑り、意識を集中させる。
その姿に怯えはない。必ず救うという信念がそこにはある。
これならば任せられると言うものだ。
だから、自分は自分に出来ることをやる。
鞄の中からよく研いだナイフと針、そして絹糸を取り出すと、消毒用のアルコールに浸す。
さらに、清水で傷口を洗浄し、傷口から入った小石や泥をかき出し、裂けた内臓を縫い合わせ、元の位置に収めると、肌を縫って傷を塞ぐ。
――正直に言えば、必ず助かると言う保証はない。
自分達の使える『小癒』の奇跡では大きな傷は治せない。
そして、彼女の傷は間違いなく致命傷だ。
だからこその小細工。これでどれだけの効果があるか分からない。
それでも、やらないよりはやった方がずっと良い。
作業を終えると、一度深呼吸をして意識を切り替える。
ここまで奇跡を温存してきたんだ。絶対にしくじれない。
「……やるぞ。
――いと慈悲深き地母神よ、この者に巣食う病魔をお払いください!」
「――いと慈悲深き地母神よ、どうかこの者の傷に、御手をお触れ下さい!」
魂が削れるような喪失感、それを歯を食いしばり耐える。
そして、現れるのは神の御業だ。
掌から生まれる淡い光は、彼女の身体から毒を消し去り、傷を塞いでいく。
『
見れば、彼女の身体には血の気が戻り、穏やかな寝息を立てている。
「……良かった。……助かって、本当に、良かった」
お嬢は涙を流しながら、彼女の身体を抱きしめる。
――ああ、本当に良かった。ありがとうございます。地母神様。
特に意識をしたわけではないが、自然と頭を垂れ、祈りを捧げていた。
自分は勇者ではない。人々を襲う怪物たちを叩き潰せる力はない。
それでも、地母神の御業の担い手として出来ることはあるのだ。
――そう、まだ自分の仕事は残っている。
残る奇跡はあと3回。ゴブリン共は打ち倒した。
この状況で余力を残す必要は無い。
立ち上がると、残りの二人の冒険者の方に目を向ける。
金色の髪と黒い髪の冒険者。
二人は呆けたようにこちらを見ていた。
まだ助かったと言う認識が追いついていないのだろう。
「……もう大丈夫だ。町に帰れる。」
何か気の利いた言葉を言おうと思ったが、悩んだ末に出てきた言葉はそんなありきたりなものだった。
それでも、言葉は伝わった。
自分の言葉に彼女達は顔をくしゃくしゃにして泣き出した。
泣き出す彼女達をなるべく刺激しないように、『小癒』の奇跡をそれぞれ1回ずつ。
清浄なる癒しの光は、彼女達の切れた手足の腱を元通りに治す。
これなら、後に障害が残ることはないだろう。
これで、残る奇跡はあと1回。
奇跡の連続使用で、頭が二日酔いのようにガンガンと痛みを訴えているが、それはそれ。
スタミナポーションを飲み込んで、今は痛みを無視する。
「よし、みんな集まれ浄化の奇跡を――」
「俺はいい。見回りをしてくる」とゴブリンスレイヤーは、ずかずかといつもの足取りで離れていく。
「……いいのか?」
「はい。ゴブリンスレイヤーさんはいいんです」
まったくもう、仕方がない人ですね、とお嬢は言う。
まあ、彼女がそう言うのなら良いのだろう。
最後の奇跡の使用のために、深く深呼吸をして精神を集中させる。
「――いと慈悲深き地母神よ、どうかその御手で、我らの穢れをお清めください」
祈りは地母神様に届いている。
天上からの伸びる見えざる手が、彼女達の身体にやさしく触れる。
その瞬間、彼女達の身体についた汚濁も、血や泥も何もなかったように消え去った。
神の御業、
――それでも、これで何もかも元通りではない。
いくら見た目が元通りとなっても、彼女達が穢された事実は変わらない。
助かってしまった以上、その事実を抱えて彼女達はこれからを生きていかなければならないのだ。
それは、時に死ぬよりも大きな苦痛を伴うこともあるだろう。
それでも、だからこそ、祈らずにはいられなかった。
――彼女達の先行きに、どうか神の御加護があらんことを……
これにてゴブリン退治は終了。
あとは、ゴブリン退治の後始末と後日談で終わりです。