その麒麟は、床に臥せっていた。
こぼれる息はか細く、命の火は消えかけていた。
これは失道ではない。天命だ。
捨身木に実り、生まれて三十余年。
どれほどの祭りの季節を迎えたことだろう。
死臭に満ちた生国の地をどれだけ巡ったことだろう。
どんなに時を経ても、どこへ行っても、その麒麟が王気を感じることはなかった。
麒麟は未だ王を選んでいない。
そして今、ただ死を待っている。
「おかげんは、いかがですか。今日はお顔の色が宜しいようですよ」
女仙は、そう声をかける。
そんなはずはない。麒麟はそう思ったけれど、うっすらと笑ってそれに応えた。
力のない笑に、女仙も笑う。目尻に少し、涙がにじんでいた。
ここは、本当に静かだ。
女仙の衣が、ほんのかすかに空気震わせる。
さらさらという、その音が麒麟はとても好きだった。
遠くに幽かな花の香りがする。
時は春。
黄海の門のひとつが開き、多くの昇山者がここ蓬山を目指す。王となるために。
しかし、この春分は令乾門こそ開いたが、昇山する民は僅かであった。
今、蓬山にはこの麒麟の他に麒麟はいなかった。
その麒麟は衰えた体を引きずるようにして甫渡宮に身を置いた。三方に御簾をめぐらせた奥で、麒麟は肘掛にしがみつくようにしていた。座していることも辛い様子だったが、その瞳は御簾の向こう側に据えられていた。
そして、たまさか訪れる人影に、ただ小さく首をふった。昇山者に対して、ここまでの過酷な旅をねぎらう言葉も、帰途の無事を願う言葉も、その苦しげな息の下に隠れてしまう。肩を揺らしながら、何とか息をしている様子がいたわしい。
それも二日が限度だった。無理がたたったのか、麒麟は床を離れることも出来なくなった。
進香をする者も途絶えてしまった。
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すこし眠ったのだろう。
いつの間にか、女仙がいない。
ひとり床に横たわり、静かに麒麟は考える。
自分は一体なんのために生まれて、生きてきたのだろう。
王を選べない麒麟など、意味がない。
最期のひと息まで、王に出会うことを諦めないつもりだった。けれど一人では身を起こすことすら出来なくなっている今、それが揺らいでいる。
いっそ自分がはやく死ぬことが民にとって幸いではないのか、と思うのだ。そして一刻もはやく、新しい麒麟に王を選んでもらう。そうすれば、国は救われる。
『死ぬことだけが、今の自分に出来ること』
それは最も正しいことのように思えた。そして、切ないことだった。
女仙たちは麒麟のことを憐れだと思っているかもしれないが、本当に哀れなのはこんな麒麟しか持ち得なかった生国の民なのだ。
国はもはや荒れているなどという生易しいものではないと、聞く。
獣の一匹も、草木の一本も、民も何もかもなくなるのも時間の問題ではないのか。そんな話も麒麟の耳には届いている。
女仙たちが麒麟の体を気遣って、出来るだけ生国の悲惨な状況を聞かせまいとしていることが、麒麟を更に切なくさせる。国のために、民のために存在するはずの自分が、国から、民から遠ざけられているということは、どういうことを意味するのか。
もはや、この麒麟には国を救う力がないと、皆思っているのだ。悪意ではない、もちろん麒麟には分かる。しかし、そんな周囲の気遣いは、麒麟にとって残酷なことだった。
麒麟が生国に行くことがかなわなくなって、どれほどになるだろう。
国は訪れるたびに、荒んでいった。最後のときなどは、あまりの死臭に、そこに留まることが難しい程だった。血の穢れが、麒麟を蝕み、追い詰めていった。
そして、雪が降り始めた。
細かい、粉のような雪がはらはらと降る様に、麒麟は心を奪われた。白い雪が、赤黒い大地にうすく積もっていく。
まるで総ての朽ち荒むものが、白く輝くものに塗り替えられていくようだった。
麒麟は泣いた。
こんなことは、まやかしだ。国は救われない。
雪は降り続けた。大地に、そして麒麟の胸の内に。