Side.キリト
状況は、はっきり言って最悪だった。
ダンジョンの最深部で、安全地帯にいるシンカーを見つけたはいいものの……その前に立ちはだかる、巨大な鎌を構える死神型のボス――『ザ・フェイタルサイズ』を相手に、俺達は何もできないでいた。
このゲームでは、敵モンスターのカーソルは、その強さを含めてある程度色で判別できるんだが……レベル的に格下ならば、ピンク色に見える。しかし、強くなればなるほど、その色は赤み、黒みが強くなり……自分と同レベル帯だと、血のような深紅に見える。
しかし、今見えるこいつのカーソルの色は……真っ黒。
現在、レベル90を超えている俺よりも格上。恐らく……90層クラスのボスだ。
何でそんなのがここに……『はじまりの町』の地下の隠しダンジョンにいるのかわからないが、泣き言を言っていても始まらない。
どうにかしてあの安全地帯に逃げ込めば、持ってきている転移結晶で脱出できるが……背を向けた瞬間こいつに斬られるイメージしか浮かばない。
俺もアスナも、既にHPはイエローだ。防御に成功しても、あと数回持てばいい方。
直撃なんぞしようものなら……一撃で命を刈り取られるだろう。
ユリエールさんやユイも同様だ。レベルの足りない――ユイはレベル自体が見えないが――彼女たちでは、かすっただけ、あるいは攻撃の余波ですら致命傷だろう。
……こんなことなら、いくらわがまま言われたところで気にせず、仮にそれで嫌われることになろうとも、置いてくるべきだった……後の祭りだとは思うが、後悔せずにはいられない。
かといって回復アイテムなんぞ使ってる暇はなく、撤退すら満足にできそうにない中、絶望的な状況をどうしたものかと頭を回していた……その時だった。
「ちょお、待ってんか―――っ!!」
「「「!?」」」
強烈に聞き覚えのある……しかし、今ここで聞くはずがない声が響いた。
同時に、ぎゅん、と空を切る音がして、恐らくは『投剣』スキルで投げられたチャクラムが、死神の横っ面に直撃する。
とっさに、視線だけを素早くそっちに向けると――死神も同じく向こうを見ていた――そこには、特徴的にもほどがあるイガグリ頭が、3名の部下を引き連れてそこに駆けつけていた。
「キバオウ……さん!? あ、貴方がどうしてここに……」
「んなもんシンカーはんの救出に決まっとるやないかい! 助っ人頼んで早よ行かな思とったら、ユリエールはん別口でそこの黒いの連れて先に行ってしもた言うし……どんだけ焦ったと思っとんのや! まさかホンマにワシがシンカーはん嵌めたとか信じとったわけちゃうやろ!?」
「そ、それは正直その……あ、あなたの性格は知っていましたから、鵜呑みにしたわけではなかったですし……ぶっちゃけ半々でしたけど」
「半々かい! あーもうそれは今はええ! おいお前らここまで戻れ! あないなもん投げてこっちに襲って来えへんちゅうことは、あいつは今ワシらがいるここまではこれへんっちゅうことや!」
……どうやら、キバオウがシンカーを騙して閉じ込めたっていう話はデマだったらしい。
まあ、そうじゃないかと思ってたけどな。
そして、キバオウの言う通り、死神はキバオウたちに襲い掛かる気配はない。明らかに俺達よりも弱く、そして、キバオウの部下たち3人が背を向けている――恐らく他のMobが来た時の対処のため――この隙だらけな状態でもだ。
さっきは、俺達が相手をしている間に通り抜けようとしたユリエールさんに優先的に襲い掛かるようなそぶりを見せていたのに。
つまりこいつは……このあたり一帯から動かない?
なら、ある程度離れれば戦線離脱は可能なのか、と俺が思ったその瞬間、キバオウとその部下の人たちの間から、見覚えのある……青と紫の人影が、高速で飛び出してきた。
その片方は……今この状況で、一番いてほしいと思っていた奴だった。
「ナツメ! ストレアも!」
攻略組――ではないが、それに匹敵するプレイヤーであり、アインクラッド全体で、タンクとしてヒースクリフと双璧をなすであろう男。
いつもの青い盾……『シュテルンカイト』を装備して、猛スピードでこっちに駆けてくる。
「無事ですか、キリト君……ってあんまり無事じゃないな」
「命があればセーフ! ユイも……無事ね!」
突っ込んできたナツメを視認して……単純に近づいてきたから攻撃すべきだと判断したのか、『ザ・フェイタルサイズ』がその鎌を振るう。
それに対して、ナツメは左手の盾で『パリング』……に加えて、ストレアが同時に武器防御を叩きつけ、ガキン、と鎌を跳ね上げる。
「……っ……コレでも減るのか」
ナツメが舌打ち交じりにつぶやくが、死神は……よし、今のナツメのジャストガードで怯んだ!
「ユリエールさん! 今のうちに安全地帯へ!」
「は、はい……」
「急いでください! 動き出すわ!」
アスナの悲鳴のような声に、はっとして俺が見上げると、スタンしたかと思っていた死神は、ボスだとしてもありえない速さで回復し……さっきと同じように、ユリエールさんとユイを睨む。
近づいてその鎌を振り下ろさんとするそいつの前に、俺とアスナは立ちはだかり……さっきのナツメとストレアの真似をして、2人で同時に武器防御を行う。
……よし、思った通りほとんどHPはへらない! これなら耐えられる!
しかし、またしても死神はこちに追撃を仕掛けようとし……しかし、俺達をかばうように駆けつけてくれたナツメがそれを受け止める。
……だけでなく、左手の盾で受け止めながら、右手に持っている剣で追加の『武器防御』を叩きつけた。さっきと同じように怯む死神。
お、俺達が2人がかりでやったことを、1人で……! 一人二役なんてことも可能なのか……『武芸百般』とナツメの精密機動のコンボはホントに凶悪だな。
しかもよく見たら、ナツメの持ってる剣、あの防御向きの剣『サタンサーベル』だ。
武器防御に補正が付く……重ねて頼もしい。
その隙に、ストレアがいつの間にか俺達の後ろにきていて……俺達の背中に、何か硬いものを押し付ける感触がした。
そして、『治癒(ヒール)!』の掛け声とともに、俺達の視界の端のHPゲージが一気に満タンにまで回復した。治癒結晶か、助かった!
「ユリエールさん! シンカーさんとユイちゃんと一緒に先に脱出を!」
「で、ですが、あなた方を置いては……」
「俺達も後からすぐ行きます! 大丈夫……ナツメとストレアが来てくれたから、撤退するだけの余力はできたし、こいつもどこまでも追いかけてくるわけじゃない。キバオウ! お前達も先に行け! 万が一にも、Mobに押されたりしてこっちに来て巻き込まれたら死ぬぞ!」
「ちっ、お前相変わらず憎たら…………おい、気をつけろや黒いの!!」
その言葉にはっとして死神を見ると……そいつは、今までと違う挙動をしていた。
横不利ではなく、縦に鎌を振りかざすような動作。しかし、何だか違和感がある。
(あのまま振り下ろしても……俺達には、当たらないぞ? ただ、鎌を掲げてるだけ……?)
死神はそのまま、速さも鋭さもない、ただ不気味なほどにゆらりとした動きで……鎌の切っ先で、自分と俺達の間の床を、こつん、と叩いた。
……しかし、ささいな動作に反して……異変は劇的だった。
――ゴゴゴゴゴゴ……!!
「「「っ!?」」」
「しまっ……そうか、時間をかけすぎた!?」
ストレアがそう叫んだ直後、周囲の壁に、天井に、亀裂が入っていき……崩れ出した!?
予想外にも程がある光景に、俺やアスナはもちろん、ナツメやキバオウ達も、驚愕に目を見開くしかない。
「んなああぁあ!? か、壁や天井は破壊不可能オブジェクトちゃうんかぁ!?」
「逃げろキバオウ! 生き埋めになるぞ!」
――ゴゴゴゴゴゴ……ガラガラガラ……!!
土埃の中、悔しそうにしてキバオウたちが遠くへ離れていくのが見えた。
俺達もできればそうしたかったが……死神は、そうすればすぐにでも鎌を振りぬくつもりのようで、一瞬も油断できなかったのだ。
……というか実際に、天井が崩れる中で一発繰り出してきたしな。
ナツメとストレアのコンビとの連携で、どうにか防いだけど……その代償として、俺達の逃げ道は完全にふさがれてしまった。
通路はもちろん、安全地帯である部屋に通じる入り口さえも、瓦礫が落ちてきて塞がってしまった。小部屋のような狭さの空間で、ひと振りでその半分を薙ぎ払えるような大鎌を持った死神と、俺達4人は閉じ込められていた。
広さもない、道具もろくに使えない、頭数も少ない、おまけにボスは格上……絶望的だ。
これほどまでに勝ちの目の見えない戦いは、階層ボス戦でもなかった。
目の前では相変わらず、ナツメが俺とアスナ、それにストレアをかばうようにして、盾を構えて立ちふさがってくれているが……そのナツメだって、あいつの攻撃を無傷で裁けるわけじゃない。残る俺達3人が全員アタッカーとして動いても、その前にこいつの……ほぼ満タン状態のHPゲージを削り切れるとは思えない。
(ここまで……なのか……!?)
諦めかけた……その時だった。
聞こえるはずのない声が……すぐそばの暗がりから、聞こえてきたのは。
「―――大丈夫だよ、パパ、ママ」
「……っ!? ユイ!?」
「ユイちゃん!? 何で!?」
ユリエールさんと一緒に転移して逃げたはずのユイが、そこに立っていた。
あまりに予想外の事態に、俺達が動けないでいる中、死神は容赦なく、のこのこと出て来た獲物めがけて、鎌を振り下ろす。
アスナが悲鳴を上げるより、俺が剣を振り上げるより早く……
――ガキン
「……え?」
そのままユイを切り裂くかと思われた大鎌は、その眼前に突如として展開した、紫色の半透明の障壁によって弾かれた。
次いで現れる、『Immortal Object』――破壊不可能、システム的不死を現す表示。
(どういう、ことだ……!? なんでユイが……ユイに……)
俺達が驚いている間に、ユイが何やらブツブツと、聞き取りづらい言葉を呟いたと思うと……その手に、見たこともない武器が出現した。
刃渡りがユイの身長よりも長い、波打った刀身を持つ大剣。炎のような、赤々としたオーラを纏っている……明らかに普通の武器ではないとわかるそれ。
次から次へと起こる予想外の事態を前に、俺達が呆気に取られている中……ただ1人、違う反応をする者がいた。俺の、後ろに。
「ちょっ……ユイ! それは……そんなもの使ったら!」
(ストレア……?)
振り返ると、ぎょっとしたような表情になって、ユイを制するかのように手を伸ばしているストレアがいた。こんな必死なところを見るのは……初めてかもしれない。
「いいの……大丈夫、私が、やるから」
「大丈夫じゃないから言ってるんでしょ!? ちょ、ホントに、バカ、ダメェ―――ッ!!」
ストレアが絶叫する前で、ユイは、その剣を大上段に持ちあげ……何もできず、無抵抗なままの死神に向けて、振り下ろす。
その一撃で……死神の全身は炎に包まれ……その場から、何一つ残さず消滅した。
Mobやボスモンスターを討伐した時に飛び散る、ポリゴン片すら、見られなかった。
その炎が消える様子を見届けてから、こちらを振り返ったユイは……どことなく、哀しそうな顔をしていた。
「パパ、ママ……私……全部、思い出したよ……」