はらはらと雪の降る中、埼玉県のとある病院の駐車場にて。
ある1人の男が、車の中で、その時を待っていた。
男は、まるで油の切れた機械のように、体の動きがぎこちなく……思い通りに体が動いていない、というのが、はた目からでもわかりやすかった。
顔の筋肉は一部が引きつり、右目が赤く充血しているのが、よく見るとわかる。
その男……須郷伸之は、ここで、1人の少年を待っていた。
もうすぐここに現れるであろう彼を……自らの恨みを晴らすために。
警備員などの目に留まらないようにだろうか、車のエンジンは落としてあり、当然ヒーターもついていない。息を白くし、今か今かと待っていた。
「ひ、ひひひひぃ……来た、来たか……!」
やがて、病院の入り口のところに、1台のタクシーが止まり……そこから、いかにも急いでいるといった様子で、黒髪に黒い服、中性的な顔立ちの少年……桐ケ谷和人が降りて来た。
目的は明らかである。ALOから解放されたであろう、結城明日奈に会いに来たのだ。
運転手に料金を払っている所と思しき彼の顔を確認し、間違いないと確認すると……須郷は懐に忍ばせて持ってきていたナイフに手をかけ、ガチャリ、と車のドアを開けて外に出る。
須郷の動きはぎこちない。まだ、ペインアブソーバーをレベル0にした状態で、ALOの中で受けたダメージが体に残っているからだ。あちこちの筋肉が引きつり、まともに動かない個所も多い。
「殺してやる、殺してやる、殺して――」
それでも、逆恨みの執念だけでここまで車を運転してやってきた須郷は、雪を踏みしめて彼に近づいて行こうとして……
「あのー、すいません。今日はもう、面会時間は終わっていますよ?」
そんな風に、無遠慮に声をかける者がいた。
須郷は、いきなり声をかけられたことに驚きつつも、手に持っているナイフを見られないように懐にしまいつつ、努めて穏やかに返答を返そうとする。
「え、ええ……分かってますよ。いや、ちょっと人を待ってるもので、紛らわしくてすいません」
「ああ、そうなんですか。でも、ここに止められちゃうと、通行にちょっと邪魔になるんですよねえ……ご面倒をおかけしますが……」
「……ちっ。うるさいな……すぐ終わるって言ってるんだから、邪魔しな――」
しかし、元々冷静とは言えない状態でそこにいる須郷である。すぐに取り繕っていた態度は崩れ、苛立ちを露わにして、口うるさく言ってくる何者かに向き直ろうとし……
――ぐっ……ぷしゅっ
「…………えぁ?」
その前に、首筋に何かが強く押し付けられるような感触がしたかと思うと、その直後に須郷はふらふらと力なく運転席に倒れ込んだ。
ぐるぐると世界が回る。目が回る。
意識がもうろうとし、力が入らない。ナイフも取り落とした。
「あ―――? ァ―――、ォ―――……」
何も見えない。何も聞こえない。
何が起こった? わからない、わからない、ワカラナイ…………
…………暗転。
須郷の意識は、そこで途切れた。
「……ったく、まだ体も満足に動かないだろうに、よくここまで運転して来れたもんだな……茅場といいコイツといい、もっとましなことに情熱注いでもらえないものか」
車のドアを閉め、自分を置き去りにして遠ざかっていくそんな声を、聴くこともなく。
この数時間後、須郷は車の中で熟睡していたところを、『レクト・プログレス』の摘発に動いた警察の人員により、あっけなく逮捕されることとなる。
☆☆☆
【2025年1月25日】
さて、全部終わったところで、まとめて記録することにしよう。
キリト君が須郷をポリゴン片に変えて消滅させた後、僕らはそれぞれログアウトし――ただし、一部ちょっと用事を済ませた上で、だけども――僕はすぐさま着替えて、車でアスナさんが入院している病院へ向かった。
アスナさんのお見舞いのため……だけではない。
アスナさんを、あるいは、お見舞いに来るであろうキリト君を狙って、いらんことを考えかねないバカが出没することを危惧してである。
しかしてその予感は的中し……駐車場でキリト君を待ち伏せしている須郷を見つけた。
事前にエリカさん……もとい、結城教授に頼んで、そいつの写真をもらっていたので、本人だとすぐに分かった。そしてその手には……ナイフ。
一瞬、アレでほんのちょっとの切り傷でも誰か負えば、殺人未遂も罪状に加わるな、と思ったものの、キリト君やアスナさんをそんな目に遭わせるなんて論外だし、かといって僕がそんな目に遭ってやる義理もない。
なので、普通に黙らせることにした。
通りすがり、あるいは警備員か何かのふりをして声をかけ、車から降りてきたところで……首元に『高圧無針注射器』を押し当て、そのまま薬液を注射。眠ってもらった。
体内ですぐに分解される種類のものなので、この後こいつが逮捕されても検出される心配はないし、注射器の針穴なんかも残ってないからなおさら事件性はないものとみなされるだろう。
それよりも、よっぽどこいつがまずヤバい事件引き起こしてるんだっつのね。
指紋やら痕跡を残さないように注意しつつ、ドアを閉めて車の中に閉じ込める。
後は放置。
その後、結城教授と合流してから――深夜の面会は、緊急でも親族と一緒でないと無理。キリト君こっそり忍び込んでたけども――アスナさんの病室へ向かい……そこで、キリト君とアスナさんが抱き合っていたので、邪魔しないようにもうちょっとしてから中に入って、挨拶した。
そんなとこかな、僕らの手で行った……この事件の最後の始末についての説明は。
……っと、その他にもいろいろあったな。途中のことだったり、脇道のことだから飛ばしちゃったけど……一応書き残しておこうか。
ちょうど僕が、キリト君達を助けに行くエリカさんを見送った後のことだ。
差出人『ヒースクリフ』で届いたあのメッセージは、紛れもなく、本物のヒースクリフ……茅場晶彦本人からのものだった。
……いや、そう言っていいものかちょっと悩むな。奴は自分のことを、茅場晶彦の残照だのエコーだの言っていて、茅場晶彦そのものだとは言わなかったし。
まあいいや。そのヒースクリフから、直々に『SAO事件から派生したこの事件の後始末に協力したい』って、申し出があったんだ。
今更あんたの手助けなんぞいらない、と突っぱねたかったものの……実のところ、中々システムのプロテクトを解けずに苦労していたところだし、さらには須郷の奴が、小細工してキリト君達と戦い始めたところだったので……背に腹は代えられないかと思い、その申し出を受け入れた。
で、僕はヒースクリフのGM権限をIDごと一時的に譲り受け、それを使って須郷のプロテクトを解除し、全てのSAOプレイヤーのログアウトを実行した。
それに加えて、須郷のアバターも強制的に弱体化させたり色々して無力化したわけだ。
流石は正真正銘、本物の、オリジナルのGMの権限。今まで苦労してたのが嘘のように、あっさり全部解決した。
その後茅場は、ログアウト直前にキリト君にも接触したようだったが……その際に話した内容については僕は知らない。害意はないと言っていたので、大丈夫だとは思うが。
そしてもう1つ、茅場に協力してもらったことがある。
それは……『グランドクエスト』についてだ。
須郷が結局プレイヤーにはクリアできないようにしていたアレは、そもそもクリアさせるつもりがなかったわけだから、当然その達成報酬なんてものは用意されてないし、世界樹の上にあると言われていた空中都市なんてものもなかった。
須郷が悪いとはいえ、ちょっとコレはそのままにしとくにはあまりにも……不憫だ。
こんだけ苦労して『全部嘘でした』とかいうことになった日にゃ、アレに参加したプレイヤーの大半がALO自体をやめてしまってもおかしくない。このゲームは、いくら須郷が隠れ蓑にして違法実験を行っていたゲームだとはいえ、ゲーム自体に罪はない。
ましてや、純粋に楽しんでいたプレイヤー達に罪があろうはずもない。
だから、ダメ元で『何とかならないか』って相談したら、何とかなった。
茅場としても、この『ALO』の世界は、一方的にではあるが『SAO』の兄弟のような存在だと思っているようで、それを楽しんでくれているプレイヤー達を蔑ろにはしたくないとのことだった。
むしろ結構ノリノリで、即興でストーリーを組み上げ、デューク兄さんとストレアさんと協力してプログラムを構築して……実行した。
……これは後になってから、下でまだ戦っていたリーファちゃんとヨルコさんに聞いた話である。
僕らがいなくなって以降、いつまでたってもガーディアンの出現が途切れず、アイテムもMPも底をつきそうになり、脱落者もどんどん出てきて……もうダメか、と思った時だった。
突如として通路内のガーディアンが一斉に停止した。
ぴくりとも動かなくなり、逆にこちらから攻撃してもそれが通らなくなった。ダメージエフェクトが発生せず、破壊不可能オブジェクトとして扱われてるような感じに。
その状態で、通路全体に響き渡るように……というか、そこにいるプレイヤー全員に直接声を届けるような形で、アナウンスが響き渡った。
『妖精王オベイロン』を名乗る声で。
全員がそれに驚き――リーファちゃんとヨルコさんは『え、何コレ作戦になかった』という種類の困惑だが――しかし皆、一様に耳を傾ける中、そのアナウンスは、現時刻を持ってグランドクエストがクリアされたことを伝えた。
その報告に、生き残っていた妖精たちは歓喜に沸き立つが、間髪入れずに告げられた事実によって、冷や水を浴びせられることになる。
最初に私の元にたどり着いたのは、『スプリガン』のプレイヤーだったと。
それを聞いて、シルフとケットシーの面々の表情に、驚愕と失意が浮かぶ。
グランドクエストは、元々『最初に妖精王に謁見した種族の飛行制限を解除する』という触れ込みである。であれば、この結果はスプリガンが独り勝ちの形で得をすることになってしまうのか、と皆思ったわけだが……それは次の瞬間、さらにひっくり返されることとなる。
アナウンスは、さらにこう続けた。
『私は、多くの種族と力を合わせ、この困難な試練を達成したスプリガンの彼に、報酬を受け取るただ1つの種族の代表者として、永遠の飛行時間を含めた望むままの褒美を取らす、と言った』
『それに対して彼はこう答えた』
『自分1人では到底達成できなかった。これは自分だけの勝利などではない、皆の力でつかんだ、皆の勝利だと。褒美をくれるなら、皆に等しく与えてほしいと』
『私はその言葉に感銘を受けた。そして、その望みをかなえることを彼に約束した』
『1つの種族しか報われぬと言われておきながら、それでも力を合わせて困難に立ち向かい、見事試練を達成した、君たち全ての志に報いよう』
『今より、この大空は、彼と共に戦った全ての妖精たちのものだ』
そして最終的に……スプリガンだけでも、シルフだけでも、ケットシーだけでもない……全種族に対して、『飛行制限の解除』が実装されることとなった。
要するに、全部いい感じに丸く収めてまとめるため、『敗者なんかいない、みんなが勝者だよ!』という形にしたのである。ありがちと言えばありがちの結末ではある。
この展開に、シルフもケットシーも戸惑っていたが、言葉の意味を理解した瞬間……さっきまでに倍する歓声が上がった。
同時に彼ら・彼女らは、自分の脳内で情報を整理して、都合のいい形で補完してくれた。
おそらくこのグランドクエストは、極限の難易度もそうだが、もともとある1つのクリア条件があったのだと。それは……『複数の種族が協力して試練に挑むこと』だと。
今回のグランドクエスト挑戦は、シルフとケットシーに加え、サラマンダー(デューク兄さん)、ウンディーネ(僕)、ノーム(ストレアさん)、そしてスプリガン(キリト君)といった、6つもの種族が協力して挑戦した形だった。
前評判からすればありえないことだが、あえてそれを実行に移した者だけが、道が切り開けるようになっていたのだ、と、皆が思った。
そしてその条件を満たし、最後の最後、包囲網を突破して妖精王に謁見したプレイヤーが、そこで問いかけられた『最後の質問』ないし『選択肢』に、正しい答えを返したことによって、全ての条件が満たされ……サービス開始から1年超、ついにグランドクエストはクリアされたのだ。
そして、飛行制限とは別に、この戦いに参加したプレイヤー達には、貢献度別に報酬が用意される旨までも告げられ……数秒後、途中で脱落したプレイヤーを含めた全員に、『世界樹の宝箱』という名前のアイテムが届いた。
それを開けると、カーディナルが選別した、グランドクエストの報酬にふさわしいレアアイテムやレア武具、莫大なユルドや、換金可能な財宝といったものが、信じられないほどの大盤振る舞いで配布されたのだという。
ユルドだけでも、今回の準備のためにつぎ込んだ額を補って余りある額だとか。すごいな。
そしてトドメに、参加したプレイヤー全員に、グランドクエスト達成者であることを示す、記念の『トロフィー』が贈られた。
これは、単にプレイヤーホームとかに飾れるだけの観賞用で、特に効果があるアイテムとかではないが……正真正銘、この偉業を成し遂げた者だけが受け取れる勲章であり、名前まで入っている。
1つのゲームの歴史に名を刻んだことになるわけだ。ゲーマーとしては無上の名誉だろう。
お祭り騒ぎの様相を出してきた彼らに、『飛行制限解除』を始めとした、グランドクエスト攻略にかかるシステムアップデートのため、近々臨時メンテナンスが行われる旨が告げられ、それを最後に、妖精王からのアナウンスは終了した。
総じて、参加したプレイヤー達には大満足してもらえたようだった。よかったよかった。
……ホント、よくこの短時間でよくこんだけのことを……素直に感心させられる。
なお、『妖精王オベイロン』のアナウンスは、実は、ヒースクリフによる台本なし・ぶっつけ本番の生放送だったそうだ。大した男だ……ホントに。
……うん、こんなところだな、今度こそホントに終わりだ。
いやー……大変だった。ホントに疲れた。
寝る。
可能な限りうまいことシルフとケットシーの同盟の皆さんの結末をまとめたらこんな感じになりました。
ヒースクリフさん、何だかんだで大人の対応力と企画力で解決に尽力。