あつい
あつい
あつい、あつい、あつい、あついあついあついあついあついあついあついあついあついあついあつい
あつい、イタイ、あつい、イタイ、あついイタイあついイタイあついイタイあついイタイあついイタイ
イタイ、イタイ、イタイ、イタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイ
右の、手首から先が、溶岩にでも突っ込まれたかのように熱い。
数瞬の内に、その熱さは尋常でない痛みだと気づき、狂いそうになる。
耐えようのない感覚に、声を上げようとするが、声は、出ない。
喉がつぶれたような、過呼吸のような、掠れた声が続くだけだ。
ならば思考を止めればそれを味あわずにすむかと、無を試みる。も、すぐにまた、自覚する。
どうしようもなく必死に体を地に打ち付け、のたうち回り、反対の手で近くの草を強く握り締める。
血が滲んだが、右に比べれば、かわいい痛みだった。
視線を右手に向ける。
そこに存在するはずのもの、手首から先が、無かった。
あるはずのものが無い喪失感を自覚したと同時に、再び強烈な熱さと痛みがやってくる。
思い出したかのようにまたのたうち回り、地を転がった。
ふいに、浮遊感が体を襲う。
視界には、夜空が写った。
こんな状況でなければ、その美しさに感嘆の声を漏らすであろう、満天の星空だった。それと同時に急速に空が遠のく。
瞬間、体全体を強く打ち付け、
少年、卯月 侠は気を失った。
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時は遡る。
教室の窓から見える校庭の銀杏の木はすっかりその美しさを散らせ、痩せ細り、冷え切ってきた今日の寒さを無防備で受けている。本格的に冬がやってきている。その証拠に、下校するであろう校門へ向かって歩いているカップルは、共にマフラーを首に巻き、繋がれているであろうその手の繋ぎ目は、男の方のコートのポケットに収められていた。グラウンドで練習をしている運動部のいずれも、その部の名が書かれたウィンドブレイカーを着用し、その吐く息は、遠目から見ても白かった。
侠は窓際の席でぼーっと頬杖をついて外を見ていた。机の上には、さっき書き終えた日誌が開いたまま置いてあり、その上を青いシャーペンが転がっている。
ふと、教室の中を見渡す。自分以外には、人はいなく、ただ、中央の後ろの方の机に通学鞄がひとつ乗っていた。正面の黒板の左端には、
『12月13日(金)日直:卯月』
と、ある。
黒板の中央の上の壁に掛けられた時計を見て、今が午後4時前ということを確認し、もう帰ろうかと席を立って、黒板に向かった。そっと黒板消しを手に取り、日付と左下の自分の名前だけを消し、適当に白いチョークを取って、『12月16日(月)』と、次の日直の名前を書いた。
チョークを置き、手を少し払いながら、席に戻り、シャーペンを筆箱に収め、鞄に仕舞う。日誌を閉じ、右肩に鞄を担ぎ、左手で日誌を掴んだ。職員室に日誌を提出しに寄るのもだるいなと、そう思いながらドアへ歩き出したときだった。
ドアがガラッと音を立てて開いた。
瞬間、きつい柔軟剤の香りが鼻を突いた。
サラッと音がするように艶のある黒髪が揺れ、顔を出したのは、ショートのよく似合う整った顔立ちだった。
胸が高鳴り、鼓動が早くなる。きついはずの香りも、胸の鼓動を加速させ、体全身を包んで、震えそうになる。鼻に入ってくるたびに、ずっと匂っていたくなりそうで、思わず吸い込むのをやめる。
「おつかれ」
胸の高鳴りも鼓動も全部隠すように平常の声音でそれだけ言って、横を通り過ぎる。
背中越しに「おつかれ」と、返す声が聞こえて、ドアを閉めた。
職員室に寄って、日誌を提出して、学校を出た。
突然だが、卯月 侠は普通の男子高校生である。
親は代々日本人で、貧しくもなければ裕福でもない、ごく平均的な家庭だ。共働きで忙しいなか、親なりにしっかりと愛情を注いでもらい、よく教育され、育てられた。不満は多少あれども、ここまで育ててくれたことに感謝している。容姿は、悪くない、とは思うが、良いと言うこともない。
高校も三年目になり、進路もいちよう決まって、後は卒業するだけだった。ただ、大学から出された、封筒に入った課題は、自室の机の上に少しずつ溜まってきていた。
学校を出て、電車を乗り継ぐこと1時間、そこから10分ほど歩いた住宅街に彼の家はある。
平均的な普通の一戸建ての家だ。
「ただいま」
玄関の扉を開け、靴を脱ぐ。
家の中から返事はない。誰もいないようだった。
自室に入り、鞄を置く。一瞬、机の上の数通積まれた封筒に目を向ける。
スッとすぐに視線を外した。クローゼットを開け、制服を脱いで、掛ける。箪笥を開けて、部屋着に着替えた。
再びクローゼットに向き、そこに掛けられている上着のポケットに、そっと、手を伸ばす。
取り出したのは、小さな赤と白でいろどられた紙の箱とその半分の半分ぐらいのプラスチックの箱の先に金具がついたもの。
そして、今度はさっき掛けた制服のポケットを探り、携帯を取り出す。ふと、画面を開けて、時間を見る。5時15分だった。
ベランダに上がり、さっき取り出した紙の箱から、一本取って、咥える。プラスチックの箱の金具部分の丸みを親指で擦る。
ボッと音がして、火がつき、それを咥えたたばこの先に近づけた。
フーッとゆっくり息を吐く。
別にぐれているわけではなかった。学校やその他でも荒々しい行動をとって、問題を起こしまくっているわけでもなく、かといってクラス皆に好かれて、先導して、青春を謳歌しまくっているわけでもなかった。決して暗いわけでもなく、冗談の応酬も好きだ。でも、友達は少ない。おそらく、数えるなら片手で足りるだろう。どちらかと言うと"陰キャ"という部類に入る。
だが、侠はこの時間が好きだった。
吐く息と共にその日の溜め込んだものがすべて出ていくような感覚、解放感が体全体を巡る。ストレスを全てリセットしてくれる。
ただ、吸った後は、いつも無気力に襲われる。
それでも、これが無ければ日々の疲れで押し潰されそうだった。何か、特別ストレスが溜まるようなことはしていないはずだが、侠にとっては糧だった。
携帯のロックを解除し、通知を確認しようとして、携帯が震えた。同時に画面の上部に『新着メッセージ一件』と表示される。
タップして内容を確認する。
『今から飲みに行かね?』
親友からの誘いだった。
キーボードを開いて、『了解、今からそっちに行く』と打ち、"送信"をタップした。
再度言うが、卯月 侠はぐれているわけではない。ただ、日々の疲れを解消する手立てを身の丈に合わないものに間違えてしまっただけだ。
入ったのは、よく来る居酒屋。電車で一駅、少し古ぼけたビルの一角にある、安さが売りの店だ。三品肴を頼めば、飲み放題で野口一枚。高校生の財布には優しいと言える。本来、日本の法律では居酒屋と高校生は相容れないはずだが。
基本的に平然としていれば年齢確認はされない、高校生が居酒屋に入るなんて思っていないのだろう。偶に、他の客に疑惑の目を向けられるが、気にしてはいけない。
「お前、何にする?俺、ライムハイ、後、フライドポテトで。」
親友が、メニュー表を見ながら店員に伝える。
「んじゃ、コークハイとたこわさと枝豆。」
店員が注文を確認して下がる。
大人なら、まずは『生!』となるのだろうが、何糞二人共ビールは嫌いだ。
数分して、頼んだものが運ばれてくると、互いのグラスを当て、形ばかりの乾杯をした。
互いに一口飲むと、親友が口を開いた。
「んで、最近、お前どう?」
酷く曖昧な質問だ。意味を汲み取れなくもないが、侠は敢えて「どうって?」と聞き返した。
「霊花って子と、だよ。お前がこの前言ってた。」
「別に。何も進展とかはねぇーよ。そもそも、学校でもそんな喋んねぇーし。仲良いわけでもないし。」
博麗 霊花。
それが、学校で一瞬の挨拶を交わした想い人の名だ。
学校内では、誰にでも好かれ、人気が高い。美貌だが、とても話しやすく、喋るとよく笑い、ノリも良く、冗談にもしっかり乗ってくれる。それ故に友達は非常に多い。
よって、友達の少ない陰キャな侠には、到底釣り合う相手でない。
「メッセージは?」
「週一ぐらい。返信はしてくれるけど、ほぼこっちからの一方的な感じ」
「学校では?」
「三日に一回喋るか喋らないか」
ヘタレ、と親友がこぼす。自覚している。だが、無理なものは無理なのだ、そもそも住む世界が違うのだから。彼女について知っていることと言えば、バイトをしていることと、彼女の祖父母がとある神社の管理をしているらしいことぐらいだ。
「お前こそどうなんだ?」
攻められ続けるのは面白くないので今度はこちらから問う。
「順調!クリスマス出掛ける」
「うざっ、聞かなけりゃよかった」
完全にしっぺ返しを食らった。
その後、話題はころころと変わり、酒はどんどん進む。四杯ぐらいいったところで二人とも完全にできあがっていた。
しかし、酒というものは恐ろしい。酔った勢いで親友が「あの子に電話してみろ」なんて言い出した。平常ならば、間違いなく誤魔化して流しただろう。侠はノリのいい軽い返事をすると、携帯のその子とのメッセージのトーク画面から″通話″をタップしてしまった。
ただ、これだけで済むのならまだ良かったのだ。最終、「間違えた」と言って切ってしまえばいい。侠は言ってしまったのだ、酔った勢いで余計なことを。
「俺、博麗のことが、好きだ。」
どう考えても、唐突過ぎる。相手との関係は良く言ってクラスメート、普通に言って偶に喋る他人でしかない。返事は聞かなくてもわかる。それでも、侠の心臓は満更でもなくどきどきしていた。
「ごめん、卯月のことをそういう風には見れない」
聞いた瞬間、侠は通話を切った。
そこからは、やはり酒のスピードは速まった。
どう考えても、タイミングも相手との距離も考えなさ過ぎの当然と言える結果だ。逆によくまともに断ってくれたと思う。だが、やはり心に来るものがあった。
「まあまあ、世の中に女はいっぱいいるから。」
親友の慰めの言葉には、誰のせいだよ、と当たってしまいそうになった。
十杯をいった辺りで、お冷をもらい、金を払って、店を出た。
別れを言って、覚束ない足で駅に向かう。
電車を降りて、改札を出て、家路をたばこをふかしながら、歩いていた時だった。
酔いに加わって、眠気が襲ってきて、ふらつく。
瞼を一瞬閉じて、擦りながら、開ける。
視界一面に木が広がっていた。