隣人さんはブシドー少女。 作:隣ブシ
入店音。
誰もが人生で一回は聴いたことがあるんじゃないだろうか、全国チェーン店の音。俺は飽きるほど聴いた。
「しゃ〜せー」
気の抜けた声に迎えられ、もはや見慣れた無垢な白の髪を三つ編みにした少女が。
……はて。珍しい人が来たものだ。
「たのもー!!」
「いらっしゃいませ」
「たのも〜」
ある日の昼下がり。
俺のバイト先であるコンビニにやってきた
道場破りのように入店してくるのもそうなのだが……とはいえ、今日の彼女はどこか活気に満ち溢れている気がする。
……いつもの事?そう言われたら否定は出来ない。だって元気の塊だからな。瀕死から全回復できるかしら。しかしこんな日に一体何だろうか、普段来るような場所でも無いというのに。
──俺の嫌な予感は、直ぐ様的中する。
「シマさん!」
バンッ!と両手をついて俺の担当レジに乗り上げてくる。おやめくださいお客様。あと近い。
普段からそこそこに近い距離感が有るとはいえ、すぐ近くで顔と顔を見合わせるのは何ヶ月ぶりだろうか。寧ろ一回すら無いかもしれん。
漫画とかでよく見る「女の子の匂い」ってのはこういうのか?……変に意識すると恥ずかしい事になりかねん、去れ煩悩。退散退散。
肝心のイヴには、一体何の用なんだと俺は聴k──
「ワタシ、バイトを始めます!!」
───えっ?
「バイトです!」
「は?」
何だって??
「バイトですっ☆」
「……は、
はあああああああああ──っ!?」
ファストフード店にて。
「バイト?」
ポテトを食う。
「イヴが?」
ポテトを食う。
「なんでだ……?」
ポテトを食う。
「し、心配だ……っ!」
モリモリモリモリモリモリモリモリモリモリ……
「ちょ、ちょっと島?大丈夫…?」
「心配だ心配だ心配だ心配だ心配だ心配だ心配だ……」
「あちゃー、これはだいぶキてますな〜」
バイトの同期である今井リサ、そして後輩の青葉モカが何か言っているようだが知らん。俺は只々一心不乱にポテトを喰らう。
リサが「日菜が無人島ロケ行った時の紗夜みたいにドカ食いしてる…」と聴こえたのは覚えている。えっ、
気づけば目の前のメガ盛りポテトは無くなっていた。だからどうした、俺には2セット目がある。
このモヤモヤとした感情を振り払う事は出来ず、ポテトを次々と口に運ぶ。
が。
「ゔっ……」
喉に詰まった。目の前の2人の「言わんこっちゃない」という表情が心に刺さ……おいなに笑っとんねん。特にモカ。
「み……水……」
次の日。
どこか上の空な気分のまま、俺は今日もバイトに。
イヴはどうしてバイトを始めたりしようと思ったのだろうか…あいつ部活掛け持ちしてるんだよな?アイドルだよな?数少ない時間をさらに削って大丈夫なのか?
それでなくとも突飛な行動の多い彼女だ、バイト先に迷惑を掛けたりしないだろうか……
なんて考えていると、どうやら客が会計をしに来たらしい。
「あっお会計ですねー」
この作業も慣れたもんだ。商品を手に取ってピッ!とスキャンして……あれ?
反応しない?おかしいな、バーコードはこの辺に……
だが何か感触が変だ。そう、まるで人の手のような──
「島!?人の話聴いてる!?」
「──はいっっ!?」
目の前にいたのはリサだった。視線を手元に落とすと、俺は彼女の手を商品と勘違いしてバーコードリーダーを当てていたようだ。
俺は慌てて手を離す。痛い。跳ね上がったバーコードリーダーが額に当たった。ちくしょう。
……話によれば俺は今日、出勤してからずっと心ここに在らずといった様子だったらしい。珍しく客が少なかったのが唯一の救いか。
他の同僚や店長さん達も心配していたらしく、俺は出勤してきたモカとそのまま交代。休養するようにと解放されてしまった。
時はお昼。
茹だるような暑さに脳をやられ、行く宛も無くさ迷う。
気づけば通学路であるいつもの商店街へと来ていた俺は、タイミングが良いのか悪いのか腹の虫に悩まされる事に。
何かないのかなと辺りを見回せば、精肉屋、パン屋……やまぶきベーカリーも良いが、その隣に見えるのは。
「……喫茶店?」
そこには『羽沢珈琲店』の文字。珈琲店とは銘打ってはいるが、店の前にあるメニュー表には紅茶やケーキ、果てにはポテトなんかのサイドメニューまであるのだから喫茶店で間違いはないだろう。てかポテトってなんだポテトって。昨日のリサの発言がまた気になってきたじゃないか。
丁度いい。ここで昼を食べよう、と俺は扉をあけ入店する。
「こんにち──」
「ヘーイ!ラッシェーイ!!」
……え?
デジャヴ。
脳を殴られたかのような感覚。眩しい笑顔に眩暈。
やけに聞き覚えのある声。朗らかな声質に反して力強いその言葉。
シンプルな黄色のエプロン姿、しかし俺にとってそれは板前帽と白服に錯覚してしまう。そう、確かこれは…
「お客さん、何握りやしょうかー!!」
寿司屋だ。イヴは俺の想像の何倍も上を突き抜けてきた。
現実離れしたその光景に俺が絶句していると、奥にあるカウンターの方から女の子が。
「イ、イヴちゃん!ここ喫茶店だから…」
茶髪の彼女は確か『つぐみ』といったかな。何度か会ったことはあるが、モカの幼馴染という認識がある。モカ曰くつぐってる(謎の動詞)子らしく、話を聴くに苦労人というイメージが強い。
「ふむ〜?違うのですか?」
「これじゃあお寿司屋さんだよ…」
天然にも程がある。いつぞやに駅前で会ったギタリストのド天然さといい勝負ができるのではなかろうか。そんなコントを見ていたらイヴがこちらを向いた。げっ、目を輝かせてやがる。
嫌な予感、再来。このパターンはイヴの十八番の──
「シマさん!来てくださったんですね!嬉しいです!」
突然の質量の襲撃。再び飛びそうになる意識を堪えて俺は何とか踏ん張る。
その名はハグ。イヴ曰く「フィンランドでは親愛の証」らしく、こいつの人懐っこさもあって積極的に抱きついている。
んな事はどうだっていい!こいつを引き剥がさないと周りからの視線が痛い!ほらつぐみちゃんも……あ、この子は手で顔を隠してる。流石に恥ずかしいよな……おい指の隙間からチラチラ視線が来てるぞ。というか助けて。
「おい離れろ…仕事中なんだから場を弁え…むぐ」
「シマさ〜ん♡ハグハグ〜!」
「ちょっと!お客さん見てるから!」
1度引き剥がそうとしたが、余計に抱きつきが強くなった気がする。いや強くなってる、確定。
「離れ……ろー!」
何度目かのトライによってついに脱出することが出来た。いやすいませんお客さんほんとすみません。マジスンマセン。ペコペコと頭を下げながら、俺はイヴ……の横をすり抜けてつぐみちゃんに席を案内してもらう事にする。ほらそこ、むっとした顔をしない。だいたいお前のせいだぞ。
案内された席に座ると同時に得体の知れないほど重い疲労感と空腹感に襲われる。マズい、このままだと死にかねん……なんかたのもう…
「えっと、ご注文は……?」
「ああ……日替わりケーキとこのコーヒーをお願いします」
「はい!かしこまりました!」
疲れた時には甘いもの、と誰かが言っていた気がする。厳密にはどういった効果があるのかは知らないが、まあ気分がハッピーになるんだろう。実は低血糖症の恐れがあるって聴いてからは、余程のことがない限り避けて来た道ではあるが。
まさに今は絶好のタイミングと言えるだろう。低血糖症?知らん。大丈夫だろ、俺健康だし。
注文の品を待つ間、俺はイヴの仕事姿を目で追う。
アイドル活動で鍛えられてきた営業スマイルや接客に関してはバイト初心者ながらも充分と言えるだろう。ただ発作のように、気を抜くと「ラッシェーイ!」だの「ブシドー」だの問題発言をしてしまうのは玉に瑕。
……それでも。
「ご注文、承りました!」
「ツグミさん、注文内容は────で──」
「こちらがご注文の品となります!ごゆっくり、です!」
一生懸命で、楽しそうだ。
「はい!ありがとうございました!またいらっしゃってください!」
「……なんだかんだ、結構やれてるのかもしれないな」
沢山の人と触れ合えてとても満足そうな表情を見ていたら、俺の不安要素はすっかり消えていた。どうやら俺の心配は杞憂だったようだ。発作は別として、だけどな。
「お待たせしました〜」とベストなタイミングでつぐみちゃんが持ってきたケーキを、俺は頂くことにした。
完食。
「ご会計ですね!」
俺はレジで表示された金額を確認しつつ、ミニリュックから財布を取り出す。思えば、これならもう一個くらい何か食っとくべきだったかなと思ったが……謎の満腹感を得てしまった、何故。金の消費が抑えられて良いことだが。
財布からお金を出しながら、俺は目の前のイヴに話しかける。
「まさか喫茶店で働くなんてな」
「ブシの修行の為ですからね!」
「ははっ、変わんねえなあ……」
喫茶店とブシドーは絶対関係ない……ってのは野暮かな。会計を終え、俺はイヴからレシートを受け取り、出口へ。
ノブに手を掛けながら、「そうだ」と言おうと思っていた事を思い出す。
「じゃあまた来るよ。……頑張れ、イヴ」
「ハイ!ありがとうございます!」
ダキッ
余程嬉しいのか、イヴが抱きついてくる。
……うん、待って?
「──またこれかああああああああぁぁぁ!!!」
「んふふー!」
「んふふー、じゃねえ!離れろ!仕事に戻れ!」
「ではこれは『頑張ります』のハグです!」
「どういう意味だああああああああぁぁぁ!!!」
……すいませんお客さん。また迷惑掛けます。
時間が欲しい