千景は、
なにせ、高知の実家に居た頃はもとより、大社にいた頃もそういった事を意識する機会など無かったのだ。
おそらくこれは戦時には関わりなく、日常において大切な儀式なのだろう。
寮の入り口へ飾られた輪飾りを眺めて、千景はそう思うのだった。
「来年もよろしくお願いします」
ずっと誰かと戦い続けて平穏が無かった、千景は手を合わせて願った。
どうか来年も、幸せな年でありますようにと。
今年は困った事が多かったけれども、来年も良い年を迎えられるようにと。
しかし、そうして願っていると一陣の風が吹く。
「・・・・・・寒っ」
それは神様の、寒空の下にいては風邪を引くという注意だったのかもしれない。
千景はそそくさと寮の中へ、そのまま自室まで戻った。
「あっ、ぐんちゃんおかえりー」
すると、自室で床やら窓やらの拭き掃除をしていたルームメイトが出迎えてくれた。
「ただいま、高嶋さん。窓拭きの洗剤、買ってきたわ」
「ありがとう、ぐんちゃん!」
この学園の寮の気質は、自主自立。
なんでも昭和の頃の大学闘争以来、外部の手を入れる事が伝統的に駄目らしい。
なので、日頃から部屋の掃除はもちろん炊事場の手入れまで、学生が手分けして行っている。
年末の大掃除もまた、寮の大事なイベントだと教えられていた。
「同じ寮でも、丸亀城とはだいぶ違うのね・・・・・・」
「でも、なんだか楽しくない?」
「そうね、なんだか儀式というより、お祭りって感じがするわ・・・・・・」
「そうそう! とにかく来年も良い年になりますようにーって!」
ちなみにとある先輩曰く、歳神というのは、天の神様から
それは天の神様から冬至において太陽の再生を司る祭事を行うよう命じられた事から、転じて一年の再生を祈願する対象にされたそうだ。
些細な儀式でも、案外に裏には神様の思い遣りが込められているらしいと、千景が思った話である。
「高嶋さん、お掃除が終わったら近所のスーパーに天ぷらを買いに行くって先輩が言ってたけど・・・・・・」
「あっ、行く行く! ぐんちゃんも行くよね?」
「もちろんよ。高嶋さんが持てないぶんは私が持つから、いつでも言ってね」
「あはは、ありがとうぐんちゃん♪」
この高嶋友奈の笑顔を来年も見られるなら、きっと来年も頑張れる。
千景は心からそう思うのだった。
であれば、来年の再生を願ってくれる歳神様は、きっと良い神様に違いない。
「そういえば、年越しうどんって、どんな意味が有るのかしら?」
「えっと、何だろう? 長く幸せが続きますように、だっけ?」
「そうだったんだ・・・・・・。高嶋さん、物知りなのね」
「ふふっ、ぐんちゃん本当は知ってたでしょ?」
「私が知っていたのは、長生きを祈願する話だから・・・・・・。高嶋さんの話の方が素敵だと思うな・・・・・・」
部屋をピカピカにして、笑顔で来年を迎えよう。
そんな使命感があってかなくてか、千景は自然と微笑んでいた。
いや、この幸せな時間が続いて欲しいのは、千景の心からの願いだろう。
そこに下らない雑念などある筈もない。
「それじゃあ、そろそろ掃除は切り上げて、先輩と買い出しに行きましょう」
「うん! じゃあ、バケツをおねがいね、ぐんちゃん!」
「えぇ、雑巾を洗うのも半分は私がやるから、一緒にやりましょう」
「ありがとう、ぐんちゃん!」
手を繋ぐと、水拭きで冷えた高嶋友奈の手が何よりも温かい。
千景の笑顔は心からの物であった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
年末のテレビを見て、千景はふと思った。
歌の起源というのは、神を招く
であれば、年末の歌合戦は誰を呼んでいるのだろうと。
「歌合戦は皆を呼んでるんじゃないの?」
高嶋友奈の意見は、もっともだった。
皆と一緒に、皆と同じ歌を聴くのだから、むしろそれ以外の意味はあるまい。
同じ歌を聴いて、同じように感動した人々と心を交わらせる。
それこそ、このテレビ番組の意義に他なるまい。
「高嶋さんは、この曲知ってる?」
「うん! 子供の頃に何度も見たから、ぐんちゃんも知ってるよね?」
「えぇ、金曜日に何度も見たから・・・・・・。神様はまだいるけど」
「あはは・・・・・・。私達はまだ子供ってことなのかなぁ?」
「不思議に夢も・・・・・・叶えてくれてるわね・・・・・・」
「年が明けたら、一杯ありがとうって言いに行かないとだね!」
「えぇ、そうね・・・・・・」
好きな音楽を、好きな誰かと語らう、それだけで大きな意味はあるのだ。
「あっ、この曲知ってる」
「私は知らないけど、高嶋さんは知ってるの?」
「ドラマの主題歌だったから」
「そうなんだ、良い曲ね・・・・・・」
「うん、私も好きなんだ、この曲・・・・・・」
途中、寮の先輩がうどんを茹でたからと呼びに来た。
二人が立ち上がるタイミングがぴったりだったのも、千景には嬉しいようだ。
「ぐんちゃん、行こっか?」
「そうだね」
二人は連れ立って、寮の談話室へと向かう。
談話室のテーブルの上には、小さな器が並べられていた。
器の中身は湯気立つうどん、それから小さな海老の天ぷらが一つ。
「はい、それじゃあ一人一椀、持って行ってー」
千景達は、先輩に言われるまま器を手に取る。
「年越し蕎麦はすぐ切れて悪縁切りに良いとか言うけど、うどんはコシの強さが命! 噛まずに一啜りで、来年の良縁をたぐり寄せなさい!」
そして、二人は指示に従い箸を取る。
千景と高嶋友奈は視線を合わせて、うどんを一啜りで口に収めるのだった。
鰹出汁の良い香りが口一杯に広がり、いつもの幸せなうどんの味だ。
「おいひぃね、ぐんひゃん」
「うん、おいひぃね、たかひまひゃん・・・・・・」
そうして、うどんを食べていると、不意に窓の外から鐘の音がした。
あぁ、いつの間にやら、年を越していたらしい。
「この鐘は、
「明日、お参りに行かないとだね」
「えぇ、明日一緒に行きましょう」
千景は高嶋友奈と向き合い、新年の挨拶を交わす。
それから寮の皆ともそれぞれに挨拶を交わして、無事に一年を迎えられた事を喜んだ。
ちなみに、寮の先輩達からお年玉といってお菓子を配られる一幕も。
千景達が貰ったのは小さな飴玉だったが、千景も高嶋友奈もお互いに飴玉を口に入れ合い、新年最初の贈り物を楽しんだのであった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
翌朝、千景は高嶋友奈と一緒に電車に乗っていた。
行き先は土讃線の善通寺駅。
丸亀から電車でそうかからないが、駅からは少々歩く。
冬の寒空の下、徒歩二十分の距離は少し身体が冷える。
「ぐんちゃん、手をつなごっか」
「そうね・・・・・・」
二人は手をつなぎ、身体を寄り添わせて大通りを進む。
駅前から遠くの
そうして善通寺の境内に入れば、毎年恒例の年明けうどんの名残なのか、微かなうどん汁の香りが出迎えてくれる。
「やっぱり人が多いね・・・・・・」
「お大師様だものね・・・・・・」
なお、善通寺は弘法大師こと空海が生まれた土地のお寺。
金星を呑んで悟りを開いた先達として、千景には少々縁のあるお寺でもあった。
人の波に浚われぬよう、二人は身を寄り添って境内を進む。
そうしてたっぷり時間をかけて、西院の御影堂へまず参拝。
こちらは文字通り、弘法大師の御影が祀られているお堂である。
「「新年明けましておめでとうございます」」
ちなみに弘法大師の別名の
千景と高嶋友奈は無事に東院までお参りを済ませて、境内を出た。
「高嶋さん、甘酒飲んで行こっか?」
「あっ、そうだね!」
二人は混雑から離れて、近所の酒屋の振る舞い甘酒で一服。
ちなみに、この酒についても天の神の一説がある。
天の羽衣伝説の一つであり、酒造りの得意な天女が意地の悪い老夫婦に羽衣を隠されてしまい、娘にされてしまう。そして、万病に効く酒造りや機織りの知恵を教えるのだが、知恵を得たらもう用は無いと、天女は老夫婦に家から追い出されてしまう。行くあてもなく彷徨った天女は丹後の地へと行き着くのだが、そこで天の神から正しい食物を生み出す神として見出され、伊勢で天の神に並んで重要な神として祀られることになる。
彼女への崇敬は千年を経っても衰える事なく、伊勢では天の神の祭儀より先に、その天女の祭儀を先に行う慣例が残っている程。日本人の食べ物に関して妥協しない国民性が滲んだ神話である。
「お昼ご飯はどうしようね?」
「朝に寮でおせち料理食べちゃったし、軽くしておこっか?」
しかし、千景と高嶋友奈は体重が気になるお年頃。
昼食は控えめに、近所の喫茶店でお茶とサンドイッチのようだった。
「それじゃあ、そろそろ帰ろっか?」
「あ、待って! まだおみくじ引いてない!」
「あっ!」
その後、二人が揃って大吉を引いてはしゃぐ一幕もあったが、おみくじの起源に天の神はあまり関わらないので割愛。
そもそも天の神に参拝をすること自体、その人の幸運を天の神が全力で支援するという約束の儀式なのである。そして、個人的な追加のお願い事をするのが別宮であるのは、千景がかつて行った通りである。
そして、お参りは一年や二年しなかったところで、神は見放さない物である。
千景と高嶋友奈が、どうか幸せでありますように。
「あ、神託が・・・・・・」
「えっ、それって天の神様から?」
「うん、神様がね――」
(つづく)
ご読了ありがとうございます。
あけおめ妄想でした。