静寂が降りる教室。反対に私にはうるさいほどの視線が集まっていた。
「……っ――――――――――――――――――!!!!!」
私は乗り出しかけた体を無理やり椅子に押し込む。顔がどんどん熱くなるのを感じる。心臓が張り裂けそうなくらいうるさい。体だけじゃなく心も制御できない。全部ぐちゃぐちゃだった。なんで八幡がここにいるのなんでなんでなんでなんでなんで一年も会ってくれなかったくせになんでなんでなんで来るならなんで前もって教えてくれなかったのなんでなんでなんで。
「ん?鶴見、お前比企谷君のこと知ってるのか?」
担任は珍しく私が動揺する姿に興味を持ったのか、急に叫んだことを咎めるでもなく尋ねてくる。うぅ……咎められていたほうがましだったんだけど。でも周りの人たちも不思議そうに見てるし、彩はなんか肩震わせて笑ってるし、答えないと収拾がつかないだろう。彩、お前は後で殴る。
「え……まあ、はい。少しお世話になったことがあって……」
適当なことを言ってごまかそうと思ったが、上手く口が回らない。口先でその場をしのぐことは苦手ではないけれど、それをするには私は少し動揺しすぎていた。中井先生は「ほぅ」と小さくうなずく。
「どんな知り合いなんだ?お前があんなに慌てるとなると……案外昔遊んでもらってた近所のお兄ちゃん、だったりしてな」
中井先生はさらに突っ込んで尋ねてくる。おまけにいらない想像付き。ガハハと笑う彼とは反対に、私の声と体はどんどん縮こまる。そんな私に周りはより不躾に奇異の視線を送ってくる。……一対一ならともかく、対多勢は今でも苦手だ。小学校の時を思い出してしまう。
「別にそんなに珍しいことじゃないですよ」
一年ぶりに聞くその声。ダルそうな猫背も、やる気のなさそうに間延びした低い声も変わっていない。
しかしなぜか妙に愛想だけは良く、八幡は中井先生に笑う。
「昔彼女に家庭教師として勉強を教えていただけですよ。僕も昔はこの学校を受験しましたし」
あ、だめだ。そこに格好良く私を助けてくれる王子様みたいな姿を想像しなかったわけじゃないけど、愛想笑いが完全にひきつってる。……八幡は八幡だ。いつもの彼に自然と心が落ち着く。
中井先生は八幡の下手な笑いも気にせず、また大きくうなずく。
「ああ、なるほど。教師の勉強ってところか。熱心だな」
だとすると「八幡」という下の名前呼びは私のキャラ的に不自然だけど、どうやら担任は深く考えずに納得してくれたようだ。細かいところを気にしない所は彼の美点だろう。決して普段は大雑把とか、がさつとか、無神経とか思っていない。
「まあこの通り、俺とは違って若くて見た目もいい教師の卵だ。お前たちにしても接しやすいだろ。……積極性と健康面で少々問題があるようだがな!」
「は、はぁ。すいません」
バシバシと中井先生はスーツ姿の少し頼りない八幡の背中を叩くが、八幡はいつものように気の抜けた返事をする。そんな姿も全然変わってない。
しかし、変わらないと思ったのはどうやら私くらいだったみたいで。
「……ね、ねえ。結構格好良くない?」
耳障りな声が教室のどこかから聞こえてしまった。
……なんだって?
「あっ、私も思った。なんかやる気なさそうなんだけど、肉食っぽいっていうか。……目とか鋭いし」
……へ、へぇ。私は自分に言い聞かせる。まあ確かにやる気も生気もなさそうだよね。目もゾンビみたいだし。ねえ、もう一回良く見てみようよ。目腐ってるの?
「背も高いよね。担任と同じくらいってことは……180くらい?」
確かに八幡、高校生も最後のほうになってちょっと身長伸びてたけど、背高いと目線合わせにくくて嫌なんだよね。それに……キ、キスの時とか首痛いでしょ。したことないけど。
「彼女とかいるのかな?」
まって、おかしくない?
周りの声に現実逃避しかける私は、そんな女子たちの言葉を総合して違和感と向き合う。そういえば、さっき担任も言ってなかったけ。「若くて見た目もいい教師の卵」と。
私は少し落ち着いてもう一度八幡を見る。
猫背とやる気なさそうな声色はさっき言ったように変わってない。背は平均より高い。照れ隠しに頭を掻く癖も変わってない。そして昔から変わらない腐ったような目には、黒縁の眼鏡が……
あれ?
そう。昔とは違って黒板の前にいる八幡は、眼鏡をかけていた。一年前はしていなかったはずだ。昔と違うのは多分身長と眼鏡くらいだろう。そのおかげで目元のきつい印象は確かに和らいでいる。彼女たちが騒いでいるとしたら、要因はそこ以外考えられない。
でも。私は少し困惑した。正直、私にはよくその違いは分からなかったのだ。
だって私にとって、八幡はいつだって一番カッコいい男の子――
「――鶴見、聞いてるか?」
「ひゃ、ひゃい!!」
突然頭上からかけられた声に、思わずびくりとする。な、何考えてるの鶴見留美。私はそんな可愛い女の子じゃないし、ちょろくもないはず。しっかりしなさい。
緩んでいたであろう顔を取り繕うと、訝し気な眼の担任と目が合う。周りからはとうとうくすくすと笑いが聞こえてくる。…私のイメージがどんどん壊れていく……。
「な、何でしょうか先生」
「何でしょうかって、やっぱ聞いてなかったのか…。お前国語の係だっただろ?比企谷先生の専門科目も国語だから、プリントの印刷の手伝いをしてくれと言ったんだが…顔色良くないが、具合悪いのか?だったらほかの奴に代わってもらっても――」「い、いえ!」
廊下にまで響くような音。それは本当に私から出た声だったのだろうか。でもこの機会を逃すわけにはいかない。…それにしても必死過ぎだよ、私。だからしっかりしてお願いだからクールな鶴見留美に戻って。
縋るように八幡を見ると、そんな私ではなく、教卓の前に座る女子たちの質問に答えるのに必死のようだ。
それを見た瞬間。頭にも体にも宿っていた熱が、急速に引いた気がした。
……へぇ。
そう。一年会わなかったうえに、そういう態度なんだ。ふーん。ちょっと目付きがましになったくらいで、モテる男気取り?
ダン。私は両手を叩き、中井先生ではなく八幡に精一杯の笑顔を向ける。八幡のひきつった顔、女子たちの迷惑気な顔と目が合う。空気なんて知ったことか。クールなんかくそくらえ。どうせぼっちだ、私は。
ムカつく。
「八幡先生のお手伝いは、私が、やります」
この担任の青ざめた顔は、初めてみたかもしれない。
元々短編の予定であることもあり、こんな感じで日を置かずポンポンとあげていきます。短すぎるという声があれば考えます。いつものようにストックは常に0です。