何故!?
ある男が、夜遅く病院の布団の上でまどろんでいた。
彼はいわゆる不治の病に犯されており、つい先程まで外の空気を吸いに部屋を出ていたのである。家族はもう既にこの世におらず、天涯孤独の身になっていた彼が亡くなろうと、気にする者はいなかった。
男性は、これまでの自分の人生を振り返ってみようとしたが、あまり良い思い出がない事を思い出し、一人知らない内に苦笑いを浮かべた。
それと同時に胸に痛みが走り、咳き込んだその口元を覆っていた手には、血が付いていた。これも既に見慣れたものとなっており、洗面台に行き、手馴れた様子でそれを洗い流し、ベッドに戻った。
ふと、カーテンを明け窓の外を見ると、先程まで曇りがちだった空が晴れ渡っており、満月が彼の部屋を薄暗く染め上げていた。
男性はそれを見て、何故か心が満ち足りた気持ちになりベッドに入り目を閉じた。頭の片隅で自分の最後を考えたりしたが、不思議と「怖い」という感情は湧いて来ず、とても落ち着いたものだった。
それが諦めだったのかどうか彼は考えようとしたが、沈みゆく思考の中でそんなことは、もうどうでもよくなっていった。
翌日、看護師が彼の部屋を訪れた時、ベッドの上で眠るように亡くなっている男性を発見した。
享年37歳。彼の人生は決して幸運とは言えないものだったが、彼の死に顔は満足がいったような、穏やかな顔を浮かべていたという。
彼がふと目を開けた時、そこには見慣れた病室ではなく、水平線すら見えない辺り一面真っ白な空間にいた。彼は辺りを見回し、自分がどこにいるのか確認しようとした。
そして自分の服装を見ると、寝巻き姿でなく、黒のロングコートを纏っていた。コートを脱ぎ、中の服装を確認すると白シャツに黒のスーツ、黒ネクタイを身に付け、黒の帽子を被り、黒の靴を履いていたのである。
確かに病室で横になっていた彼は、どういうことか分からず、困惑していた。
そして突然、目の前が光ったと同時に、そこに一人の初老の男性が立っていた。彼は目の間の人物にここがどこかと尋ねようとした時、いきなり目の前の初老の人物は頭を下げてきたのである。
「本当に、申し訳なかった!」
「え、いやあの!一体どうしたんですか!?頭上げてください!」
しばらくの間、押し問答のように頭を下げながら謝られ、それを制止するということが続いた後、ようやく落ち着いて話をする事が出来た。
目の前の初老の男性は、自らを「神」と名告り、男性が亡くなったことに関する顛末を話した。それは亡くなった男性の因果律が、幾分おかしかったという内容なのだ。
37歳で死ぬことはあながち間違っていなかった。しかし、他の人に比べ決して恵まれたとはいえないが、その亡くなるまでの人生がおかしかったというのだ。
というのも、実は他の下級神が自身の欲求を満たすためだけに、因果律を弄くってしまったために、男性の人生が予定されていたものよりも、不幸になってしまったというのである。
ちなみに、この男性の因果律を弄くったことが発覚した下級神は、同じように因果律を弄くって遊んでいた他の下級神と共に、無限牢獄に幽閉され、死よりも辛い戒めを無限に受け続ける罰を負っている。
「本来ならば、後腐れのないよう消滅させるべきなんだが、あ奴も腐っても『神』。いつか復活するかもしれん。ならば殺さず、忘却のかなたに追いやればいいだけだ」
「もし、その牢獄が破られたら、どうなるんですか?」
「それは万が一にもあり得んよ。なにせ、最高神が己の力の限りを込めて作ったのだ。あれを破ることは、たとえ最高神だとしても、もう無理だ」
「なるほど…」
彼は、目の前の『神』の話す内容を、とても信じることが出来ずにいた。
だが突然何もない所から、椅子とテーブルを出したのを間近で見ており、信じざるを得ないのが現状であった。
この『神』の話を聞く限り、信用するしかないだろう。そう判断した彼は、『神』が話すことを聞き逃さないようにしていた。
「最近になってからだね。下級神が、自分の暇つぶしのためにやたら人間を殺し、『自分のミスで~』などといって、二次創作の世界に送り込む。そしてその送り込んだ人間が、自分が予想していたのと違って、そんな苦しむ様を見るようになったのは」
「…なんですか、その悪趣味なのは?」
「いわゆる『神様転生』とか、そういうやつだよ。昔は――あまり言いたくないが――間違って殺してしまった人間には、前世よりちゃんとした、それこそ幸せな人生を送れるように手配し、ちゃんとしたケアをしたものだ。ところが最近は…」
「…投げっぱなし、ですか?」
「そうだ。お陰で因果律が狂いつつある。ここだけの話なのだが、実は因果律は狂わすこと自体はたやすい。しかし、それを再び元に戻すために調整するのは、とても大変なことなのだ」
「はぁ…」
「幸い、あの馬鹿(下級神)がきっかけになって、他の馬鹿(下級神)も纏めて捕まえられたが…因果律の再調整で、一つの不具合が生じてしまった」
『神』はそこで一度口を閉ざし、そして再び頭を下げ、話を続けた。
「大変申し訳ないのだが、それを解消せねばならないために、君には生き返ってもらいたいのだ」
「…え」
男性は『神』の言葉に思わず絶句したが、段々とその内容に驚きを隠せなくなっていった。
「ちょ、ちょっと待ってください!ど、どういうことですか、それは!さっきあなたは、因果律がどうこう言って…」
「それは、今言った不具合が大きく関係しているのだ。下級神が弄くった因果律を、なんとか直せたまではいい。しかし、完璧とまではならなかった。これを見てくれるかい?」
『神』は手元に光を集め、何かを映し出した。そこに映し出されたそれを見た彼は、思わず驚きの声を挙げた。
「これは!」
「そう、君ならば知っていると思っていたよ」
そこには、彼が亡くなる20年前に、多くの群集の目の前で忽然と姿を消した巨船―――「グレートイースタンⅡ」号が映し出されていたのである。
「これは…この船は確か」
「そう。君は20年前のあの時、親友と共に見に行き、そしてこの船が消え去るのを間近で見ている」
『神』が何故、今この船のことを言うのか、彼には全く分からなかった。しかしこれまでの話を踏まえてみると、ある一つの仮説が思い浮かんだ。
「あの…もしかすると、というかひょっとして…この船が消えたのも…?」
「そう、それも下級神の一人がやったことなのだ。この船は、本来ならば日本とイギリスの共同で、文化財として永久保存されるはずだった。しかし、下級神の一柱がこの船に目をつけ、あろうことかこの船の運命も弄くり、無理やり新しい魂をくっつけようとしたのだ。『神様転生』とやらを使おうとしてな!」
彼は、吐き捨てるように言った『神』の言葉が、いまいちよく理解出来ていなかった。
「その様子だと、よく理解出来ていないようだね」
「す、すみません」
「気にしないでくれ。こちらも、いささか説明不足だったね」
彼の内心を言い当てた『神』は、苦笑気味に説明を始めた。
「君は、物には魂が宿るといったそんな話を、聞いたことはないかい?」
「ああ、確か長年使ったものには、魂がどうとか…」
「正確には100年だね。物に魂が宿るのは、100年以上たってからなんだ。この船は、建造されてから100年以上立っている。魂が宿ったりしても不思議ではないのだ」
「は、はぁ…」
「だがさっき言ったように下級神は、既に魂が宿っていたこの船に、無理に新しく魂をくっつけようとした。それで、どうなったと思う?」
彼が言い淀んでいると、『神』はこの船に起きたことを述べ始めた。
「魂同士が反発したのだ。新しい方の魂は、その反発に耐え切れなかった。その魂は、完全に狂う寸前に因果律に再び組み込まれ、新たな生を得た。しかしこの船の魂は、そうはいかない」
『神』は紅茶を飲んで、話を続けた。
「因果律を無理やり歪められた船の魂は、消滅する寸前まで傷ついてしまったのだ。そんな魂は直そうとしても、それこそ2~3世紀ほど掛けなければならないのだ。ではその間、魂が抜けてしまった器はどうなるか?その器は、崩壊してしまうのだ。これは人体や動物の体と同じで、魂があれば体は老い、いつか死ぬ。しかし生きている間、崩壊はしないだろう。しかし死体はどうだ。しばらくすれば腐敗し、自然の摂理に組み込まれていくだろう。だが、それが無機物の場合だったらどうだ?」
『神』の問いかけに、彼はおそるおそる答えた。
「ただ、崩壊していくだけ…ですか?」
「そうだ。人々に忘れ去られ、ただ崩壊し、その残骸を残すだけになる。だが私は、いや我々は、この船がただ朽ち果てていく姿なぞ、見たくはないのだ」
彼は目の前の『神』が、何故この船にここまで肩入れするのか、少々疑問を感じていた。『神』はそれもお見通しだったようで、疑問に答えてくれた。
「我々は、この船に惚れているのだ」
「ほ、惚れ…!?」
「勘違いしないでくれ。色恋の問題とかではなく、そうだね…いうならばファンのようなものかな。人類が我々の予想よりも早く、この船を建造したことでも驚いたが、それを一世紀以上も保たせることにも驚かされた。そうしていうる内に、我々の中からもファンが出始めてね。なんとかこの船を保存しようじゃないかと話が出ていたのだよ。念の為に言っておくが、この船が幸運だったのは、我々が力を貸したのではない。この幸運は元からだ」
『神』のその言葉に、彼は納得し、そして驚いていた。
建造当時、この船はさほど評価は高くなかったのだが、長い年月の内に、国の内外で世代を超えた、多くのファンが現れたのを彼は覚えている。そしてこの船が消失した時、ファンの悲しみもまた大きかったのである。
ましてこの船のファンに、『神』もいたとなれば尚更である。
しかし、何故自分が生き返るのに、船の話になるのか。彼は率直に『神』に尋ねることにした。
「あの、気になったのですが…自分の生き返りの話で、何故この船の話が…」
「うむ。実は、な…」
『神』は苦い顔をしながら言い渋る様子を見せ、そして重く口を開いた。
「実は、因果律を直したまではいい。しかし判明したのが急だったために、君を人間として生き返らせるための器が、まだ出来ていないのだ。かといって、魂をむき出しのままにしておいてはどのように変化してしまうか、吾々にもまるで見当が付かん。そして、この船の本来の魂を修復するのに数世紀かかると言ったね?」
『神』は男性に対し、確認するかのように目を向けた。男性はそれに首を振ることで返答し、『神』は話を続けた。
「その数世紀の間、君が代わりに、この船の魂となってもらいたいのだ」
『神』の言葉にまたも彼は言葉をなくし、そして混乱し始めた。それはそうだろう。いまさっき新しい魂が入ろうといたら、一体どうなったかを聞いたばかりなのだ。
彼は慌てて『神』に事の次第を尋ねた。
「ちょちょ、ちょっと待って下さい!!あなたさっき魂が入ろうとしたら、反発がどうとか言っていませんでしたか!?」
「落ち着きなさい。確かに反発すると言った。しかしそれは魂が『二つ』あって起きることなのだ。考えてみなさい。例えは悪いが、淵の所まで水でいっぱいになったコップがある。そこに新たに水を加えたらどうなるか。こぼれるだろう?だが魂となると簡単な問題じゃなくなる。魂とは、その器の中においてその人格が出来上がるものなのだ。もしその器から少しでもこぼれたりしたら、そのこぼれたものはたちまち消滅してしまう。この二つの魂は、その器から溢れ出ないように反発しあい、そして傷ついてしまったのだ」
『神』の説明によって彼は少し落ち着きを取り戻したが、それとは別の懸念が生まれていた。
「…この船の魂になって生き返る、というのはなんとか理解できました。ですが…私は何をすればいいんですか?この船は確かに『幸運船』と呼ばれてますけど…まさか戦時中に戻ってそこからなんてことは?」
「いやいや、さすがにそれはないから。君には、この船が歩むはずだった本来の時を歩んで欲しいのだ」
「本来の…?」
「左様。この船は解体されるために離岸し、20年前に消えた。だから本来の時――つまり解体されることなく、そのまま記念艦という形として、代わりに生き返ってもらいたいのだ」
「ああ…そういうことですか」
「大丈夫。なにも接岸しっぱなしという訳ではない。時折、ボイラーに火をくべ日本国内をクルーズするようにもしてあげよう。さすがにずっと同じ場所にいたら、いくら魂だけといえども、崩壊する原因にも成りかねないからね」
「それでしたら、何も言うことはありませんが」
「大丈夫かね?もし君がよければ、いつでも生き返らせるが」
「分かりました。生き返るのでしたら、今すぐにでも構いません。あの船の事も気になるし」
「よし、ならば…」
「あ、すみません。最後にもう一つだけ聞きたいことが」
「ん?なにかね?」
「いえ…生き返りに関することではないんですが、なんで自分はこんな服を着ているんでしょうか?少し気になってしまって」
「ふむ…何か、別の力が働いているみたいだが、これに関してはさすがに私でも分からんな」
「そうですか…」
結局、自分が何故こんな服装なのか分からずじまいだったが、彼はそれも気にならなくなった。
自分が――魂だけ、それも船のもので、仮にとはいえ――生き返ることができるのだから、変に気にして『神』の機嫌を損ねるのも悪い気がしてならなかったからだ。
そのようなことを考えている内に、『神』はいつの間にか光の門らしきものを構築し、其の前に立っていた。
「さぁ、あとはこれをくぐれば、君は記念艦に生まれ変わる」
「分かりました」
「すまない。なんとか急いで元の魂を修復する。だが最短でも2世紀ほどかかるかもしれん。それでも構わないね?」
「はい、大丈夫です」
「よし、ではこの門を…」
『神』が門を指し示した時、突如それは起こった。なんと、彼等がいた空間が大きく揺れだし、そして門がまるでブラックホールのように彼等を吸い込もうとしたのである。
『神』はなんとか立っていたが、男性はテーブルにしがみつき、なんとか吸い込まれずにすんでいた。
「う、うわああああああ!!」
「こ、これは!まさかあの下級神(馬鹿)、門にまで手を加えていたのか!?」
「ど、どういうことですか!?」
「君が生き返るはずの世界ではなく、これは別の世界に繋がっているようだ!これでは、君は船の姿のまま、別の世界に行くことになってしまうぞ!!」
「す、吸い込まれる…!」
「踏ん張るのだ!!もし今吸い込まれれば、どの世界に行くか見当も付かない!私はなんとか、この門を塞いでみる!!」
『神』はなんとか門をふさごうとしていたが、徐々に吸い込む力が強くなっているのか、男性は自分の体を支えることが出来なくなっていった。
そしてついに男性は支えきれず、門に吸い込まれていった。
「うわあああああああああああああああああああ!!」
「しまった!!」
『神』が何か叫んでいたようだが、意識が薄れ行く中、彼はそれがなんだったのかすら、もう分からなくなってしまった。
そうして彼はまばゆい光に包まれ、本来の世界とは違う、別の世界に向かうことになってしまったのであった。