大変遅くなってしまい申し訳ありませんでした。
番外編ですけれども、なんとか投稿しました。
・・・どうか、どうかこれでご勘弁ください。
「
いや、人型であることから「彼」が正しいのかもしれない。その者は海底に横たわり、目を閉じている。
その瞼の裏に映るものは夢か。それとも往時の思い出か。
「彼」はかつて、兄弟船の時のような個人ではなく、国のバックアップの下、祖国の威信をかけて建造された。
軍に従事し、やがて民間に貸与されながらも、歴史に名を残してきた多くの戦争をその船は経験したのである。
そしてそれと同時に平和な時も甘受していた。
「彼」が入港するとき、港はいつも歓声があふれていた。
そこにいた軍艦の多くも、乗組員が敬礼をして出迎えてくれていたのを鮮明に覚えている。
しかし、時代が経つにつれ、何やら空気が怪しくなっていたのも同様に記憶していた。
そして「彼」がシンガポールの民間業者で働いていた時、その極東の島国の軍隊がやってきた。
「彼」はあちこちを逃げ回ったが、ある時にとうとう拿捕されてしまった。当初は、病院船や捕虜交換船などの比較的人道的な活動もこなしていた。
だが戦争も終わりに差し掛かった頃、人道的な活動ではなく、もっぱら輸送任務に従事した。
やがて二度目の世界最大の戦争が終結した時、「彼」は極東の島国にいた。けれどもそこにあったのは、かつて祖国で満艦飾で彩られ、誇りに満ちていた姿ではなかった。
五本あった内のマストは三本になり、そしてあちこち―特に後甲板は、真っ黒に焼け爛れていたのである。
それは正しく、もはや浮いていること自体が奇跡といってもおかしくはない惨状だったからだ。
何故このようなすがたになったのかといえば、「彼」はその島国で、これまで経験したこともないような災難に見舞われたからである。
終戦間近にある軍港に入港していた時、拿捕した国が、「敵」としている軍の艦載機が港を襲ったのである。
もはや燃料もほとんど尽きている状況で、彼女たちは敵機を追い払うことしかできなかった。
「彼」もその一人であった。
「彼」がいる場所まで、燃料の一つである石炭を輸送する手段も限られてしまったため、浮き砲台となっていており、その甲板上には対空砲で埋め尽くされていた。
その中には時代遅れとなった物や、ポンポン砲などの欠陥品と呼ばれた物も、混じっていた。
そしてその時、それは起こった。
「彼」が機銃掃射を受けたとき、「彼」の後ろに係留されていた艀に残されていた、幾ばくかのドラム缶にそれが命中し、大火災を発生させたのである。
だが図らずも、それは別のそこにいた艦艇の命を救うことにもなった。
粗悪な燃料によって起きた火災の煙が、なんと煙幕の役割を果たし、艦艇群を覆い隠した。それはまるで、自分の孫子を守るかのように、黒煙はその艦艇を―そして軍港を覆い隠したのである。
その分、「彼」は一心に攻撃を受け止めていた。
魚雷は、「彼」がいる所では喫水が浅かったために届かず、機銃掃射やロケット弾が相次いで降り注いでいったのだ。
空襲も終わり、火が消された「彼」は前述のような姿になっていたのだ。
そして終戦となり、応急修理も完了した「彼」は、特殊作戦のために敗戦国の軍艦を岩礁に運ぶ任務を任された。
だが「彼」は拒み続けた。許せなかったからだ。
いくら敗戦国とはいえ、ある意味で自身の末裔ともいえる彼女たちを、むざむざ殺すような手伝いをすることなど。
別の船が彼女たちを曳航しようとすれば、海流や錨の鎖の寸断などでその船の前に進み出て邪魔をし、「彼」が曳航しようとすれば機関の不調などで動かずにいた。
しかし彼は修理を施され、再び動けるようになった。
だが動かす機会を与えてくれたのが、彼女たちに引導を渡すためというのは、なんという皮肉だろうか。
傷だらけの、そして時代遅れの機関や船体をごまかしながらも、「彼」は任務を全うしようとしていた。
だが天は、とうとう「彼」の幸運を奪い去った。
いや、ある意味ではまだ幸運は続いていたのかもしれない
「彼」は未確認の岩礁に乗り上げ座礁し、身動き一つ取れなくなってしまったのだ。
やがて月日が流れ、彼の前から一隻、また一隻と彼女たちは消え、そして同盟国の駆逐艦が数隻、「彼」の周りにいるだけになった
そしてある年に起きた低気圧によって、彼は海底に眠った。
こうして、決して誰にも起こされることなく、彼はただただ眠り続けていた。
やがて海底に差し込める灯が数え切れなった時、頭上で何やら音が響いていた。
彼はその絶えて久しい目を開け、海面に目をやった。
そこに映ったのは、砲弾が海面にぶつかり炸裂する時の、あの独特の波紋であった。
砲弾が炸裂し、その破片が水に落ちる様は、まるで馬鹿でかい鍋の底から見上げているようだった。
一番不気味だったのは、機関銃弾の雨のようなばしゃばしゃというような音だった。
人間に当たれば、一発で命を奪いかねない代物が、水面を破ると泡の尾を引いて速度が鈍り、やがて彼の周囲の砂地にゆっくりと落ちて、なんの危険もない金属の小さな塊と化している。
だがそれを見て、彼はふと在りし日の姿を思い浮かべた。
かつて大海原を駆け、人々や荷物を乗せ、夢や希望を運んだあの輝かしい日々。戦前や戦間の平和なひと時では、入港の度に大歓声や花火、そして礼砲が鳴り響いた。
知らず知らずの内に、彼は腕を伸ばしていた。
もう一度、もう一度だけ。
あの全身に風を受け、波を切り前に進む感触を。あの人々の歓声を。
そしていつの間にか、彼は海底を離れていた。
あの光に。あの暖かさに、もう一度、もう一度。
やがて「彼」が海上に姿を現した。
だがその姿は、往時の華やかしいものではなく、体は黒く染まりフジツボが体中にまとい付き、まるで幽霊船そのものであった。
そして彼のすぐそばには、6人の大砲を持った少女が、まるで信じられない物を見たような目で彼を見ていた。