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“Aルート:暁の水平線を越えて”
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――気ガつくト私モ深海棲艦ニなってイタ
――デモ、それデモ私ハ、提督ノトコロへ帰リタイ……
――ダガ提督ハ、私ガコノ姿ニナってモ、かつテ貴方ニ愛シテモラッタ私ダト、分カッテクレルノダロウカ……?
――横須賀沖 海底に沈む戦艦ル級だった残骸の記憶の残滓
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深海棲艦の夜襲が終わって、提督の下へ戻っても時雨は結局あの空母ヲ級のことを報告することはなかった。
だが、それでいいのだ。 蒼龍を失った悲しみの分、深く時雨に依存するようになった提督を失うことなど、時雨には到底考えられなかった。
あの夏の鎮守府で蒼龍が失われてから、その悲しみを埋めるように代わりに始まった彼女と提督との関係は、互いが互いに依存する共依存状態へと陥っていた。
一般的にはあまり、いいことではないのかもしれない。 明らかに時雨は蒼龍の代わりとして愛されているのだろう。 だが、それが一体どうしたというのか。
深夜の執務室、目の前で自分に対して愛情を注ごうと動いている提督の頭を撫で、自ら動きながら更に求め合う。
代わりだろうがなんだろうが、自分が慕う提督に愛されて、悪い気など全くしない。 当人同士が幸せなのだから問題なんて存在しない。
でも、提督から愛されるたびに時雨は思うのだ。
――あの南方作戦の終盤、自分は故意に蒼龍を助けなかった――?
そんなことはない、とは時雨自身わかっている。 だが、結果的に蒼龍がいなくなって自分が愛されるようになった今。 時雨は拭いきれない罪悪感と、こんなことを考えてしまう自分に嫌悪感を抱いてしまう。
――僕が沈んでいたら、こんなこと考えずに済んだのかな、と。
そんな思考も、直後に訪れたとてつもない快感と、提督から注ぎ込まれたたくさんの愛情に、押し流されてしまっていった。
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「困ったのですー」
「困ったねー」
「困ったのー」
深海棲艦による大規模攻勢の翌朝、佐世保鎮守府地下、工廠内部。 そこでは数人のゆるい雰囲気の工廠妖精が集まってうんうん唸っていた。
妖精達は、昨夜ここの秘書艦である時雨から“提督がずっと五航戦をお迎えできないでいるから五航戦をなんとか作れないか”と、そう言われて資材を渡されていた。
「資材が足らないのですー……」
妖精達の記憶では五航戦どころか今は二航戦すらいなかったような気がするが、それは置いておく。
とにかく、その貰った資材なのだが鋼材とボーキサイトの量が明らかに足りなかった。 こういうのは普通提督が指示する物なのだ。 時雨はどう配分するべきなのか知らなかった。
このままでは何かの間違いで艦隊のアイドルができかねない。
「班長ー、どこかから資材調達してきますー」
「泥棒は駄目だよー」
「大丈夫ですー。 ちょっと沖の沈没船から取ってくるだけなのです。 女神さんの船を借りますねー」
「あ、ちょっとー!」
工廠を飛び出していった工廠妖精は静止も聞かずにその姿が見えなくなった。
工廠妖精班長からの静止の声は、間に合わなかった。
「そういえば、空母の建造って久しぶりですねー」
「だねー」
マイペースな妖精たちは追いかけるようなこともせず、今やることが何もない工廠妖精たちは時雨の面子を守る為に、資材が足らないという報告を握り潰して飛び出していった妖精のことを待つべく、一旦頭の隅へと追いやった。
結局、その妖精が戻ってきたのは4時間後のことだった。 応急女神の船ではなく、海上で有り合わせで造ってきた大きな船を零式水上偵察機数機がかりで浮かべて帰ってきた。
船の中には大きな木箱。 もう動かない空母ヲ級が入っていた。
「沖に沈没した深海棲艦ヲ級の残骸があったので取ってきましたー」
「危ないですー。 深海棲艦は触っちゃダメだって聞いたことないのですかー」
「でもこれがないと資材足りないし、提督のところに行ったら時雨さんが怒られちゃうのですー」
「もーいいや、これ使って作っちゃえー」
妖精たちは気が付いていなかったが、空母ヲ級にはまだ息があった。 頭に被っていた帽子のようなものが外れたおかげで、瀕死ではあるものの一命は取り留めていたのだ。
――モウ一度、提督ニ会イタイ……
しかし、妖精にすら抵抗できないほど弱っていたヲ級はその場で資材へとバラバラに解体され、呆気なくその生涯を終えた。
お気楽な工廠妖精たちは深海棲艦の残骸から回収した資材を放りこみ、それで建造を開始したのだ。
まさかその新鮮な資材にその深海棲艦の最期の残留思念が残っていると気付かずに。
資材回収で遅れた時間を取り戻すように、工廠妖精が持つ不思議なバーナーで汚れを浄化しながら建造時間を短縮する。
艦の魂を持つ少女が建造ドッグと呼ばれる装置の中で急速に形成されていく。
すぐに、艦娘が出来上がった。
「あれー、空母だけど五航戦じゃないのですー。 これは確か……」
「とりあえず提督と時雨さん呼んで来てくださいー」
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「全く、資材を勝手に使っちゃダメだと言わなかったか?」
「あ、あはは……ちょっと、提督を驚かせたくてね」
執務室の正面にあるエレベーターから、提督と時雨、時雨の頭の上で寝そべる工廠妖精が地下へと降りていく。
時雨はやってきた工廠妖精から建造結果を聞き、胸を抉り返されるような痛みと共に奇妙な運命を感じていた。 流石に深海棲艦の残骸を使ったと聞かされた時は、普段冷静な彼女も狼狽したが。
「大丈夫。 ……きっと、提督に損はさせないから」
辿りついたドックは4つのうち2つが未整備で使用できなかったが、元々建造することが少ないこの提督はそれで満足していた。
新しい艦娘を手に入れるには建造か司令部からの支給のどちらかしかないが、大多数の提督は手に入れた艦娘を大切に扱うので艦娘が不足するということはそうないのだ。
「それで、結局何ができたんだ?」
「妖精さん、お願い」
「はーい」
「初めまして、航空母艦――」
妖精が、奥の部屋から艤装を済ませた艦娘を連れてきた時、提督と連れてこられた艦娘双方の目が点になった。 それほどまでの衝撃が、見つめる両者の間を駆け巡った。
「まさか、本当に……秘書艦時雨はしばらく看板かな?」
時雨は、その奇妙な沈黙の間で何かを悟り、エレベーターへと帰っていく。
こんな話は今まで聞いたことがない。 しかし、深海棲艦とは謎に包まれた存在なのだ。 奇跡の1つや2つ、隠れていても不思議ではないのだろう。
「……でも、僕、本当は提督の一番になりたかった……っ!」
時雨は執務室に向かうエレベーターを出ながら声を殺して静かに泣き、執務室で思う存分涙を流した。
時雨が去った後も、しばらく両者は見つめ合ったままだった。 やがて、意を決したのか新造艦娘から口を開く。
蒼い髪飾りに“佐00689”。 同一艦であれど、新たな別個体が建造されるのが普通だ。
しかし、今回は空母ヲ級の残骸から空母を作るというとんでもないことが起きていて、しかも誰も知る由もないが、そのヲ級は深海棲艦化する前、同じ提督の下に所属していた。
どう考えても普通ではなかった。
「航空母艦、蒼龍です。 そして……ただいま、提督?」
「……おかえり、蒼龍」
2つの影が、重なる。 くしゃくしゃの顔になった佐00689提督が、同じく涙を流す蒼龍へと抱きついた。
蒼龍は――かつて南の海に沈み、提督のところへ帰ることだけを目指して戦った彼女は、深海棲艦としての記憶を何もかも忘れ去りながらも、ただ1つ最期の瞬間まで忘れることのなかった
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この戦いがいつまで続くのは分からない。 だけど、帰ってきた彼女とならどこまでもやれる気がした。
かつて受け取れなかった、左手薬指に光る結婚指輪を陽光に煌めかせ、ハチマキも締めた彼女は、蒼龍改二と呼ばれる存在へと至った。
「……行こうか、蒼龍」
すぐ隣に、護衛の時雨が立つ。
その手にはやはり指輪があるが、これは自身が提督から指輪を受け取った後、遠慮する時雨に
彼女が帰ってきた日から、提督のベッドは蒼龍と時雨と提督で寝ることになった。 そういうことになったのだ。
失った時を取り戻すかのように、彼女は碧い着物を潮風に翻らせ、暁の水平線を越えて今日も行く。
出撃先は、ミッドウェー。 かつて彼女が沈んだ海。 だが、提督と一緒になら間違いなく帰ってこれるだろう。
「第一艦隊旗艦、蒼龍! 出撃します!」
“Aルート 暁の水平線を越えて” おしまい
次話はR-TYPE的なエンドです。