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“Bルート:沈む鎮守府”
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――漂うマリンスノーは、私たちの心の影を和らげる
――この海の底に漂っていよう
――いつまでも、どこまでも……
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「困ったのですー」
「困ったねー」
「困ったのー」
深海棲艦による大規模攻勢の翌朝、佐世保鎮守府地下、工廠内部。 そこでは数人のゆるい雰囲気の工廠妖精が集まってうんうん唸っていた。
妖精達は、昨夜ここの秘書艦である時雨から“提督がずっと五航戦をお迎えできないでいるから五航戦をなんとか作れないか”そう言われて資材を渡された。
妖精達の記憶では五航戦どころか今は二航戦すらいなかったような気がするが、それは置いておく。
とにかく、その貰った資材なのだが鋼材とボーキサイトの量が明らかに足りなかった。 こういうのは普通提督が指示する物なのだ。 時雨はどう配分するべきなのか知らなかった。
このままでは何かの間違いで夜戦バカができかねない。
「班長ー、どこかから資材調達してきますー」
「泥棒は駄目だよー」
「大丈夫ですー。 ちょっと沖の沈没船から取ってくるだけなのです。 女神さんの船を借りますねー」
「こら、止まるのです! 泥棒は駄目だって言ったばかりですよー!」
「え……でも、それじゃ時雨さんが怒られるのです」
しょぼん、としてしまった工廠妖精へ眉をハの字にした班長がやや困ったように告げる。 この飛び出そうとした工廠妖精も、善意でわざわざ探しに行こうとしたのだ。 しかし、それは班長には認められない行為だった。
「後で計算が合わないって言われて怒られるのは私なのです。 だから、今のうちにこっそり提督に謝って資材を貰ってくるのです」
「う……時雨さん、怒られない?」
「怒らないように言ってみるですよ」
飛び出そうとした工廠妖精はしばらく逡巡した後、ようやく頷いた。
班長が帰ってきたのは30分後。 足りなかった分の資材を手の空いていた妖精で運び込み、建造を始める。 特に急ぐわけでもないので、バーナーは使わなかった。
「あれー、空母だけど五航戦じゃないのですー。 これは確か……」
「とりあえず提督と時雨さん呼んできてくださいー」
艦娘が完成し、提督が秘書艦時雨と共に工廠を訪れたのは夕方前のことであった。
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「時雨、こっそり資材を持っていくのはやめてくれ。 誰かがつまみ食いしたのかと思ってた」
「あ、あはは……。 ちょっと、提督を驚かせたくてね」
執務室正面のエレベーターから、提督と時雨、時雨の頭の上で寝そべる工廠妖精が地下工廠へと降りていく。 時雨の頭上にいるのは先程海に飛び出そうとした妖精だ。
何ができたのかは、時雨も知らない。 でも、空母艦娘らしいとは聞いて、胸の奥が抉り返されるような痛みを感じた。
「それで、何ができたんだ?」
「妖精さん、お願い」
「はーい」
工廠妖精が奥の部屋から艤装を済ませた艦娘を連れてきた瞬間、提督の目が見開かれた。 しかし艦娘側にそのような変化はなく。
「――蒼龍?」
「はい、初めまして。 航空母艦蒼龍です」
「……ああ、よろしく頼む」
たった一言交わしただけで分かった。 分かって、しまった。
沈んだ艦が戻ってくるなどという都合の良い奇跡など存在しないのだと。 かつて喪ったあの少女とは、見た目が同じだけで違う存在なのだと。
それ以降、正規空母蒼龍が彼の艦隊で積極的に登用されることはなかった。
期待しただけに失意も大きい佐00689提督は俯いたまま、エレベーターを昇っていく。
時雨は、どこかほっとしながら――しかし何故か溢れる涙は止まらないまま、告げた。 もうそろそろ、区切りをつけてもらうべく。
「ねぇ、提督……。 ……花を手向けたいんだ、蒼龍に……」
ぼんやりしていた提督も、エレベーターが上に到着する頃になって、やっと返事をした。
「ああ……行こうか……」
*
その日の夕方。
前日の夜に大爆発を起こし、水没した佐世保帰還艦隊の蒼龍は、水中でかろうじて生きていた。
無意識のうちに前日に散っていった大勢の戦友たちの残骸を食らい、
いつのまにか頭の上にくっついていた格納庫を失い、代わりに自身の名を忘れても頭の中にただ1つだけ残っていたのは、提督との再会を求める感情。
金色のオーラを纏う空母ヲ級から空母ヲ級改へと進化した彼女は、共に帰ってきた戦友を皆殺しにした艦娘と人類への憎しみを提督に会いたい一心で塗りつぶして、超えてはいけない一線に足をかけたまま進む。
――テイトクナラ、テイトクナラ、私ノコト、分カルヨネ……?
やがて水底は岸へとぶつかり、蒼龍は水面を見上げる。 何かが水面に落ちてきたが、もうそれが何か判別はできない。 愛する提督以外もう目に入らない。
蒼龍は水上を一切気にすることなく、水面に投げ落とされた花束を波でひっくり返しながら浮上した。
「――っ!?」
「え……っ!? 空母ヲ級……!? 生き残りがいたの……!」
蒼龍には、わかった。 かつてよりだいぶやつれてはしまったが、それが自身のテイトクだと。
その存在の隣には、昨日自分を沈めた存在がいるのだが、もう提督しか目に入らない蒼龍には何の関係もなかった。
「アア、テイトク、ダ。 ゴメンナサイ、待タセテ……帰ッテキマシタヨ、テイトク」
佐00689の山口提督が、何故か静かに泣いている時雨の提案で花束を手向けにきた、海鳥が舞う夕焼けの岸壁。
そこに胸から上を水面から出して現れたのは、頭の艦載機を吐き出す帽子のような存在がいない空母ヲ級――しかも青い焔を片目から漏らしている、新種――だった。
もちろん、“ヲヲヲ”としか言わないヲ級と言葉は通じていない。 だが波が消え、夕日で反射する水面を見た山口提督の口から、自分自身思ってもいないような名前が滑り落ちた。
艤装のない時雨はどこか諦めたかのように呟く。
「――蒼龍?」
「……そうか。 来ちゃったんだね……」
「あぁ、あぁ……!」
文字が薄れて読みにくくなった蒼い髪飾り。 “佐00689”の文字を認めた彼は、顔をくしゃくしゃにしながら人類の敵にして怪物の深海棲艦、微笑む空母ヲ級改へと抱きついた。
――その直後。 飛来した零戦の機銃掃射が2人を襲い、背中から何十発もの機銃弾を一斉に受けた“佐00689”提督は、自身に何が起きたのかも気付かないまま幸せの絶頂のうちに、蒼龍の腕の中で事切れた。
「
「提、督……?」
「……おかしいと思ってたのだ。 連中は何故、ここへ一直線にやってきたのか……! “佐00689”、貴様がソイツと手を組んでいたのだな!」
「新種の深海棲艦……? 珍しい、ちょっとバラバラに解剖させてくれないか?」
人類と、生物と鋼鉄の船を食らう海からやってきた怪物、深海棲艦。 そんな両者が手を取り合うことなどあり得ないと3人が叶えかけた希望を銃弾で打ち砕いた特別警察隊。
彼らの判断は常識的な判断ではあった。 少なくとも、人類の間においては。
「そのヲ級も捕まえて拷問だ! とにかく拷問せよ!」
「拷問と解剖を兼ねればいいだろう?」
蒼龍は涙を流しながら、腕の中の提督を抱きしめたまま、水中へと去っていく。
後に残されたのは、溢れる涙を抑えられない時雨と、対潜攻撃を行う特別警察隊だけであった。
*
その後、佐世保鎮守府の超至近距離まで空母ヲ級に接近されたという事実は隠蔽された。
提督不在の“佐00689”艦隊には、今度新しい提督が赴任するのだという。 提督が1人交代したところで全体に何の影響もない。
そして、あの場に居合わせた時雨も。 書類上行方不明扱いにされた彼女は、人知れず自沈処理されることとなる。
元より時雨は、別の新しい提督の下につく気などなかった。
愛する提督という名の希望を失い、もうどうでもよくなってしまった彼女は、提督と自身の命を奪っていく人類に、隠しようのない失望を募らせながら、彼女は浪間へと消えた。
*
どこかの海域の、どこかの海底。
そこで海流に揺られながら、2人の深海棲艦がボロボロになった提督の遺体のそばに寄り添っている。
2人は提督を抱きしめながら、水面を見上げた。
自分たちと同じ、
なんでもアリューシャン列島とミッドウェー島に主力が出払ったこの隙に提督の下へ帰ろうという魂胆らしい。
そして、帰り着いてやっと気づくのだ。 自分たちが帰る場所など、もうどこにもないことを。
――だが、
2人の人類に対する憎悪と怨念から新しい深海棲艦たちが生まれていくが、彼女たちに視線を向けることなどありはしない。
新しく生まれた彼女たちには、求める提督などいない。 ただ嘆きと怨念で構成された、哀れな存在。
だが2人の愛する人は、この腕の中にいる。 満たされた彼女たちは、もうどこへも離れていくことはない――。
*
海流に流されるまま漂っていた2人は、後に深海棲艦の間で人類には決して手を出せない
2人の姫で1人となった中枢棲姫の腕の中で、この環境下で魂を宿らせたボロボロの制服を纏うかつて提督と呼ばれた存在が深海棲艦と
人類と艦娘、それに対抗する深海棲艦の戦いは終わることなど無い。
今日もここで、新しい深海棲艦が生まれ、育ち、巣立っていく。
だから、今も見え、聞こえている愛しの提督が幻だと、幻聴だと気付くことはない。
これからも3人は幸せに寄り添っていく。 ずっと、ずっと、ずっと――。
“Bルート:沈む鎮守府” おしまい
Cルートは海底の時空の歪みから深海棲艦の大群が太平洋戦争に突入するパターンの予定がありましたが、方向性が全然違うのでボツになりました。
これにて完結です。
ここまで読んでくださりありがとうございました。