現代の話は連続性があるけど、過去の話は短編集みたいになるかも。
……獣人種の小説なんか書き始めといて今更言うのもアレなんですが、昔の獣人種の文化が全然わからない件。
作者は決断した。これはもう独自設定を駆使して好き勝手やるしかない!
なんかクソややこしくなった気がしますが、細かいことは気にせずにエアリーディングと直感を駆使すれば問題無く読めると思います。たぶんきっと。
獣人種の帝都、朱律の宮殿が建ち並ぶ禁裏の一角。
祖神の居殿へと続く長い廊下を、一人の女が歩いていた。
足音一つ立てずにゆっくりと歩く姿には如何にも貴人らしい気品があり、歩を進める度に揺れる短い耳と長い尾は蠱惑的でさえある。
その麗しさの中に、表情の曇りというただ一つの欠点が際立っていた。
普段であれば珠のように美しかろうその顔立ちも、今は鬼神の如きいかめしさを纏っている。
オブラートに包まず言うと、チンピラの威嚇みたいな表情をしている。
彼女は、太爪牙の邪智暴虐に辟易していたのだ。
正確にはその名を
獣人種を創造した神であり、つまり彼女にとっては祖神ということになる。
直系の子孫である帝や、そこらの幼子、それどころか禁衛大将を相手にしてさえ「愛しい我が子にどうして爪など振るえようか」と愛護する太爪牙だが、彼女だけは容赦無くぶん殴るのだ。
いや、ぶん殴られる当の彼女にとっても、太爪牙の気持ちはわからなくもない。
太爪牙に殴られても死なない獣人種は彼女しか居ないのだから、そりゃあ暴れたくなったりしたときは彼女を相手に暴れるしかない。
強過ぎる力を持つが故に気軽に暴れることのできない太爪牙に対し、彼女は憐れみを以てそれを赦した。
彼女は自らの寛大さと忍耐強さ、そして祖神への信仰の深さを、きっと獣人種の中でも随一のものであろうと誇らしく思った。
……ただ実際のところ、太爪牙が自分から彼女に襲いかかったことはまだ一度も無いのだが。
酔っ払った彼女が太爪牙に喧嘩を売って殴られるのが恒例の流れとなっているのだから、どう考えても自業自得だ。
太爪牙は初めて殴ったとき、咄嗟に手が出て愛しい我が子を殺してしまったことを悔やんだそうだ。
三日後、彼女はピンピンしていて、自分から喧嘩を売ったことを忘れて太爪牙への文句を垂れ流しながら酒を飲んでいた。
それを見かけた太爪牙は初めて自らの子孫に対して明確な殺意を憶えたそうだが、そのとき殺さずに耐えた自制心の堅さは
この事件は宮中に知れ渡り、彼女を除く全ての職員が太爪牙の慈愛に感動した。市井にさえ太爪牙の慈悲深さが噂された。
それはさておき、今彼女が向かっている先は狠狼殿、即ち祖神太爪牙の居殿だ。
そこは神祇巫のみが参殿を許された、禁域中の禁域。
それ以外の者は、巫より上位の神祇職員でも、あるいは帝ですらも狠狼殿には立ち入ることができない。
以前に無位無官の蟻が無断で侵入したときなど、勅により刑部省の高官が動員され、最新式の殺虫剤で一族郎党に至るまで極刑に処される大事になった。
実際に参殿するどころか、参殿を考えただけでさえ胃が痛くなるような場所だ。
胃への負担の度合いで言えば、牢獄より酷い場所とさえ思える。
彼女がそんな場所へ向かうこととなったのは、太爪牙が名指しで彼女を呼び付けたためだ。
それによる最大の問題は、彼女が巫ではなかったことだろう。
狠狼殿の主である太爪牙に招かれたのだから官職など関係無いような気がしなくもなかったが、そうしたら後で死ぬほど面倒な事態に陥るような気もした。
もしも公式の召喚であれば、巫の官職を得るための名分も得られたからまだ良かっただろう。
しかし残念ながらこれは書類等に残らない非公式の呼び出しであったため、彼女は死ぬ気で猟官運動に励むことになった。
彼女はその時点で既に正五位上の位階と爪近衛初爪将、呪禁師、主船伴部、氷海守、惑海守、白海介の官職を持つ大人物ではあったが、それでも積極的な猟官行為の経験は無かった。
よくわからないのでとりあえず莫大な献金とともに神祇伯を通して式部卿と左丞相と帝に謁見を申し入れ、そして自身の爪の威力を説明しながら懇切丁寧に巫の任官を上奏した。
爪を近くで見せようとして近づいたら帝の警護役である禁衛大将が襲いかかってきたので、爪の威力を実演披露することもできた。
禁衛大将が昏倒したのは些細な事だと彼女は言う。
その甲斐あって、なんと奏上した当日の内に早速任官が行われた。
凄まじい速度というか、もはや他者から見れば異常事態にしか見えない。ちなみに彼女自身にとっても異常事態だ。
そんな経緯を経て、彼女はクソ重い足取りで物音一つ立てずに内心ビクビクしながら狠狼殿の前まで辿り着いたわけだが。
彼女はそこで立ち止まり、自らの複雑な心境を整理してみる。
「祖神御自らの召喚を受けその居殿へと参殿することの誇らしさ」が全体の五分を占めるが、残りは「このまま何事もなかったかのように静かに素通りして帰りたい」といったところだろう。
なお五分と五分の割合ではない。五分と九割五分だ。
しかしそれでも逃げるわけにはいかぬと思って、彼女は前を見据える。
栄誉ある初爪将を任じられたる者としては、例え相手が祖神であろうとも逃げるわけにはいかぬのだ。
祖神の前で無礼があってはならぬと、ゆっくりと深呼吸し心を落ち着ける。
それから意を決して呼び鈴を鳴らし、拝と拍を捧げ朗々と参殿の辞を述べる。
「威霊勇振る上無き神の神前にて畏み奏し奉らん!
殴られた。
急に開いた戸の隙間から太爪牙の拳がエゲツない速度で飛んできたので顔面キャッチを敢行することになった。
彼女、
火乃陽は宮殿の床や柱を傷付けぬように超絶上手いこと受け身をとったものの、本人は鼻骨と頬骨と頚椎に計七ヶ所の骨折を負った。
だがこれぐらいなら日常茶飯事なので特に問題無いらしい。
太爪牙を追って出てきた先任の巫達は困惑し青褪めてさえいるが、本人達としては問題無いらしい。
「
太爪牙が叫んだ。
なお、まだ殴っていない。
本人が……本神が言っているのだからそうに違いない。
「殴った!もう殴ったの!
言う前に殴るなんて泥棒の始まり!悪い神!完全に悪い神なの!確定的有罪!
この怨み晴らさで措くべきか!お前なんか末代まで呪ってやrペャゥッ!!」
火乃陽はすぐに立ち上がり、顔を真っ赤にして怒りながら殴り返しに行った。
"顔を真っ赤にして"というより、"顔を血塗れにして"と表現した方が正確に伝わるかもしれない。
ホラー映画のような光景だ。その恐ろしい形相を見てしまった巫達は、しばらく眠れぬ夜を過ごすことだろう。
火乃陽自身は一廉の武将であるためグロいのは慣れているし、太爪牙も定期的に火乃陽を殴るのでもう見慣れた。
無関係な巫達だけが心を病むのだ。なんと理不尽なことか。
火乃陽は、太爪牙のデコピンによって速やかに鎮圧された。両手で額を押さえながら蹲って動かなくなった。
「
太爪牙は腕を素振りした。
否、素振りではない。過去の火乃陽を殴ったのだ。
つまり先程火乃陽を吹っ飛ばした第一撃は、実は反撃だった。
未だ嘗て、太爪牙が自発的に彼女を殴った事は無いのだ。
本神が言っているのだからそうに違いない。
ふと太爪牙が火乃陽の手元を見下ろすと、床に血文字でこう書かれていた。
「
機嫌を良くした太爪牙は満面の笑みを浮かべ、火乃陽を居殿に迎え入れ丁重に治療するよう巫達に宣った。
火乃陽は混乱してひどく怯えた。
動かなくなった火乃陽は巫二人がかりで殿中に搬入され、太爪牙からは見えない死角でクソほど丁重に治療を受けた。
火乃陽はわざわざ治療を受けるほどの怪我ではないと断固遠慮したが、その場に居合わせた巫達の総出で説得(物理)された。
血塗れの顔を水を張った桶に沈めて洗われたり、傷口に塩を塗り込んで清められたり、足ツボを五人がかりで指圧されたりした。
あまりにも丁寧な説得と治療であったため、巫達全員が筋肉痛を負う事態となった。
「私は悪くないよ!太爪牙が阿呆なのが悪いの!」
「……!?」
火乃陽は言ってやった。
「巫しか来れないのに、巫じゃなかった私を呼ぶから!
急いで巫になったの!最速でも一刻前ぐらい!普通は何日も後!
超急いだのに!疾風急いで迅雷急いだのに!怒るなんて酷いの!」
「……!?……!?」
火乃陽はめっちゃ言ってやった。
太爪牙が狼狽する様を見て溜飲を下げ……同時にめっちゃ後悔し始めた。
巫達が怯えたり泣いたり太爪牙から距離をとったり火乃絵を睨んだりしている。後でめっちゃ怒られる流れだ。
太爪牙が相手なら、怒らせても殺されかけたり殺されたりするだけで済むからまだ良い。
だが宮中の官人の中には、怒らせたら大変なことになるタイプの人達が居る。
見た感じだと巫達はまさにそのタイプで、こういう人達を怒らせたらめっちゃ怒られるのだ。めっちゃ怖い。
「
親を探す迷子のように不安げな表情で、太爪牙は巫の一人に問う。
控えめに言っても鬼畜の所業だった。
あまりにも酷い問いかけだ。いくら祖神でも言って良いことと悪いことがある。
冶比女と呼ばれたその巫は、それに対して一体何と答えれば良いというのか。
正直に「貴方は阿呆です」と言うのか、それとも祖神に対して嘘を吐くのか。
「ひ、ひぇゃぅぅ……!
いえ、あの、あの!
御神は、その、わ……悪……あぅぅ、その……ぅ、うゔぇ(自主規制)」
吐いた。
地獄的な精神圧力に、冶比女の胃は耐えられなかったのだ。
テレビなら効果音を被せざるを得ない有様だ。口から虹色の光が流れ落ちる。
えらいことになったと火乃陽は思った。冶比女さんとやらを社会的に殺してしまったのだ。
もう無理だ。祖神との会話中に吐くとか完全に無理だ。冶比女さんは無惨な社会的死体となってしまった。蘇生手段など無い。
社会的殺人幇助犯である火乃陽は、もう気配を消してフェードアウトするしか無いと決断し、ゆっくりと後退りし始めた。
「
「ひゃぇ、ぅ、ぅぅ……おぇ……。」
太爪牙が真っ先に介抱し始めた。逆効果だ。
ちなみに「休まね」という言葉は、「辞職してくれ」という解釈もできる。完全に逆効果だ。
すぐに他の巫達も出てきて介抱の役目を交代した。
「
他の巫達によってやんわりと冶比女から引き離された太爪牙は、しばらく悩んでから自らの失態に気付いた。
太爪牙が泣きそうな顔で火乃陽に縋り付く。
火乃陽のフェードアウトは無事失敗した。
千早振る 上無き神の 御前にて 畏み奏し 相奉らむ
遅れて来た奴がハイクを詠みながらアイサツするのは実際シツレイな。タヌ記にもそう書かれている。
ワータヌキ・カミ=サンにこれをしたカノエ=サンも、残酷な怒られメントからは無論逃れられない。
「グワーッ!……オットイキャーガレコラー!」「イヤーッ!」
アラカジメ殺!チョット・マキモドシ・ツメによるアンブッシュで報復され、事前に軽度の死を迎える!
仏の顔も三度目から門前払い!四度目の訪問となるカノエ=サンはサンズ・リバーにすら辿り着けず手ぶらで帰宅した。
殴らむぞ 助走為し以て 殴らむぞ
現代の獣人種にまで伝わっている名句中の名句。
小細工抜きに真っ直ぐぶん殴ろうとしている感じが実に良い。
ワビもサビもわからん武門の脳筋連中でさえ、この歌の良さは一発でわかるらしい。[要検証]
祖神は普段の会話の中にこういう名句をさりげなく混入させてくるので、それを記録する主典巫の職務は常に油断ならぬものだったという。
獣人種の詩歌には物騒な言葉が頻出するが、これらは鬼語と呼ばれ、リアルの俳句でいうところの季語に相当する。[要出典]
これも現代に残る歌。
しかし正確なニュアンスまでは伝わっていないため「いつ殺るの?今でしょ!」的な意識高い啓蒙系の歌だという説が主流。
なんか語呂が良いし、最終的に殴るという結論に持っていく流れも美しい。