第10話 新たなる使命
光己が目を覚ましたのは、カルデアであてがわれた私室のベッドの上だった。どうやらマシュか誰かがここまで運んでくれたようだ。
しかしベッドの傍らで彼を見てくれていたのは、マシュではなくオルガマリーのサーヴァントであるはずのヒルドだった。とりあえず、上体を起こして声をかける。
「あ、ヒルド。いてくれたのは嬉しいけど、何でここに?」
「話は後で。先にあたしとサーヴァント契約して!」
「へえ!? あ、ああ」
真顔でせかしてくるヒルドは、どうやら本当に急いでいるようだ。光己は事情は皆目わからなかったが、彼女の希望通り彼女とサーヴァント契約を結んだ。
魔力パスがつながったのを確認したヒルドが、ほーっと肩の力を抜いて安堵の息をつく。
「よかった、これでまだ現界していられるよ。
マスター、じゃないオルガマリーが生き返ったんだからあたしにいつまで用があるかわからないけど、最後まで見届けずに退去したんじゃ尻切れトンボすぎるもんね」
「へー」
光己はとりあえず相槌を打ったが、今ヒルドはとても重大なことをいくつも言わなかっただろうか?
「じゃあ聞いていい? まず所長が生き返ったってマジ?」
「本当だよ。というかマスターが大聖杯にそう願ったんじゃない」
「ああ、そうなんだけど大聖杯に目に見える反応がなかったから、声が届かなかったのかと思って」
そこまで言うと光己は体の力が抜けて突っ伏してしまった。
なんだ、大聖杯は返事をしなかっただけで願いはちゃんと叶えてくれていたんだ。
「でもマスターはやっぱりいい人だったんだね。あの状況で、自分のことより昨日会ったばかりの他人のために願い事をするなんて」
カルデア一行は特異点修正なんて仕事は今回が初めてだったのと、オルガマリーが死亡して幽霊になっていたのと、「伝説の騎士王」のネームバリューの大きさのせいで、アーサー王を斃した後大聖杯をどう使うかについてまでは考慮が及んでいなかった。なのにあの土壇場で大聖杯を自分のためより他者のために使った、使うことを思いついたという彼の心優しさと気の回りぶりに、ヒルドは感心したのだった。
「いやあ、洞窟に入る前に、所長が『まだ死ねないわよ。絶対に』って執念丸出しでつぶやいてたからさ。そうじゃなかったら何か私利私欲に走ってたかも知れないけど」
手放しで褒められた光己が照れ隠しにそんなことを言うと、ヒルドは「ああ、そういえばそんなことあったね」と鷹揚に頷いた。
そしてそれはそれとして、光己が次の疑問を訊ねる。
「で、なんでわざわざ俺と契約したの?」
「なんでって、オルガマリーはもともとマスター適性なかったからだよ。霊体だった時はあったけど、肉体ができちゃったら元に戻るよね。
マスターがいなくなってもその瞬間に退去になるわけじゃないけど、そう長くはもたないから」
「ああ、そりゃそっか」
言われてみればその通りである。オルガマリーにとっては残念なことだろうが、死んだ人間が生き返るという奇跡を享受したのだから、そのくらいは受け入れてもらうしかないだろう。ヒルドが言うように元々無いものだったのだし。
「……まあ何にせよ、ハッピーエンドとはとても言えないけど仕事は無事終わったってことでいいんだよな。正直まだ疲れてるから、もうちょっと昼寝するよ。
よかったらヒルドも一緒に寝ない? この部屋って1人用なのに、なぜかベッドは大型で枕も2つあるんだよな」
まだ昼間とはいえ昨日知り合ったばかりの女性をナチュラルに同衾に誘うとは、どうやら光己は自分で言った通りまだ疲れているようだ。
ヒルドの方は職務に「勇士の歓待」があるだけあって神経質に怒ったりせず、軽い口調で受け流した。
「んー。嫌じゃないけど、今はマスターが目を覚ましたら呼んでくるように言われてるから、また今度ってことで」
「あ、そうなんだ」
ヒルドがこの部屋にいたのはその用件も兼ねていたというわけか。光己は失神はしていてもケガはしていないことは、この部屋に連れ込む時に確かめただろうし。
しかしオルガマリーたち幹部はまだ忙しいだろうに、昨日入社したばかりの素人に何の用があるのだろうか? 聞けば優れた魔術師は割れたガラスを元に戻したりできるというから、施設の復旧作業に光己の手は要らないと思うが。
「ああ、特別ボーナスか何かくれるって話だな、きっと」
今回の光己の手柄は、数合わせの一般人の新入社員が立てたものとしては非常に大きい。口先で褒めるだけではダークマター企業扱いは必定だから、相当な金額が期待できるだろう。実に楽しみである。
「といっても独り占めはできんよな。
よし、それじゃ今度休みの時にでも何か美味しいものごちそうするよ。もちろんマシュにも。……って、そういえばヒルドも給料とかもらえるの?」
「ん? サーヴァントはお小遣いくらいはもらえても給料が出るって話は聞いたことないけど、マスターがごちそうしてくれるならうれしいな」
そう答えてにっこり笑ったヒルドの笑顔は向日葵のように明るくきれいで、光己は一瞬見蕩れてしまった。
やっぱいい娘だなー、と内心で再確認しつつ、ふと思い返して元の話に戻る。
「それで、誰がどこで呼んでるの?」
「うん、オルガマリーとロマニとダ・ヴィンチって人が管制室に来てくれって。マシュもいるよ」
「ダ・ヴィンチ!?」
確か有名な芸術家で、いろんな方面の学者でもあった歴史上の人物だ。いやルネサンス時代の人間が今ここにいるわけもなし、同じ名前の別人か?
と光己が驚いていると、ヒルドが種明かしをしてくれた。
「サーヴァントだよ。技術顧問なんだって」
「ああ、そういえばここってそういう所だったか」
カルデアは歴史上の偉人の一側面を「サーヴァント」として召喚し、戦力にしている組織である。ならば、レオナルド・ダ・ヴィンチを召喚して技術顧問になってもらったとしてもおかしくはない。
「うん、それじゃいこっか」
「ん」
ということで2人は管制室に移動した。ある程度修繕されているように見えたが、まだ壁が焦げていたりヒビが入っていたり、ところどころに瓦礫が転がっていたりしていて完全復旧には程遠いようだ。
その一角で、オルガマリーたちがテーブルについてお茶していた。手前側にマシュが、奥の方にロマニ、オルガマリーと何やら有名な絵画で見たことがあるような美女が座っている。
「モナ・リザ……!?」
はて、召喚されたのはその絵を描いた人物であって、描かれた側ではなかったと思うが。光己が首をかしげると、美女はぱっと手を挙げて気さくな口調で声をかけてきた。
「やぁ、君が藤宮君か。初めまして、私がレオナルド・ダ・ヴィンチだよ。気軽にダ・ヴィンチちゃんと呼んでくれたまえ」
「へえっ!?」
いや、確かダ・ヴィンチは肖像画が残っていてヒゲの男性だったはずだが。もしかして性転換手術でもしたというのだろうか?
光己は少々当惑してしまったが、すると彼女(?)は「万能の天才」と称えられただけあって、彼の心理を簡単に看破して解説を入れてきた。
「ああ、確かに私は生前はあの肖像画の通りの姿だったよ。でも私は美の追求者だからね、せっかくの機会だから自分が最も美しいと思う姿になったのさ!」
フンス!と鼻息を荒らげながらドヤァ!と胸を張るダ・ヴィンチ。色メガネ抜きで見れば美人なのは確かだが、光己の感覚だと色々痛い。頭の中身が。
「さ、さようですか」
しかし、一応ダ・ヴィンチはカルデアの幹部であり、偉大な芸術家にして学者である。それなりの敬意は払うべきと思われるので、光己は無難な挨拶をするにとどめた。
「じゃあ俺も整形とかしてくれませんか? マシュやヒルドがメロメロ、いやイケメンっぷりが歴史書に書かれるレベルにしてくれると嬉しいです」
うまく取り入ればメリットがありそうだし。
「ほぅ? それを私に頼むとは、なかなか目端が利くじゃないか。でもそれは面白くないって人がいるみたいだよ?」
「へ?」
ダ・ヴィンチが目線で示した方を光己が見ると、なぜかマシュが頬をふくらませていた。
「ダメです先輩! 見た目をいじくって異性の気を引こうなんて良くないと思います」
「え、でも女性だって整形する人はいるし、おしゃれや化粧なんてしない人いないくらいだろ」
「そ、それは」
マシュは口が立つ方ではないので、はたと返事に困ってしまった。しかしだからといって納得できるわけではない。
「と、とにかく先輩はそういうことしちゃダメなんです!」
「あはははは。まあ~私も今は忙しいからね、仕事と関係ない依頼は受け付けられないよ」
「ちぇー」
理由が何であれ当人に断られては仕方がない。光己は諦めて、とりあえずマシュの隣の席に座った。その隣にヒルドが座る。
そして光己が用件を訊ねると、オルガマリーは所長ぽい威厳でも出そうとしたのか、一呼吸置いてお茶を一口飲んでから、おもむろに語り始めた。
「……そうね。いろいろあるけど、まずは。冬木での活躍、見事でした。貴方がいなければ、あの特異点はまだ修正できていなかったでしょう」
光己自身が実際に戦ったわけではないが、彼がリリィを連れて来なければアーチャーは道を空けてくれなかっただろうし、アーサー王も「魔術王の使徒」を先に倒すという判断をしなかっただろう。仮にオルガマリーがマシュとブラダマンテに会えて味方にできていたとしても、無事特異点修正に持っていけたかどうかは怪しい。光己の功績は大きいと言わねばなるまい。
「……それと、私のために願い事を使ってくれてありがとう」
目を合わせてお礼を言うのは照れくさいのか、オルガマリーは顔を真っ赤にして目もそらしていた。
彼は別にオルガマリーに特別な感情を抱いているわけではないから、もしあの立場になったのがオルガマリーでなかったとしても同じ判断をしただろうが、それでも「万能の願望機」にかける願いを自分のために使ってくれたのはとても嬉しかったのだ。少なくとも、それに値する存在と思ってくれたのは確かなのだから。
「どう致しまして。所長大変でしたから、ちょっとは力になりたいって思っただけですよ」
光己の方も照れくさくなって、そんな風に答えた。
ただ何となくボーナス支給っぽい流れじゃないような気がしたが、やはり現実はシビアであった。
「……ただ、ね。これで万事解決とはいかないのよ。貴方も聞いたでしょ、『魔術王の使徒』っていう言葉」
オルガマリーの顔色と口調が一転して重くなる。
正直、ここからの話題は数合わせの一般人にして命の恩人に語るにはハードすぎる事柄なのだ。光己も雰囲気でそれを悟って、反射的に体を固くする。
「冬木の特異点が消滅したのは間違いないわ。ちゃんと計測できてる。
でも人類はまだ滅亡したままなのよ。外部とはいまだに連絡を取れないし、カルデアスも暗いまま。それでもう1度調べ直してみたところ、冬木よりはるかにひどい時空の乱れ、つまり特異点が7つも観測されたのよ。
どう考えても、アーサー王が言った『魔術王の使徒』の仕業ね。彼が何を考えているのかは見当もつかないけれど」
オルガマリーがいったん話を切ってカルデアスを指さす。その先では、大きな光の点が7つほど灯っていた。
ヨーロッパ、アメリカ、中東など世界中に散らばっている。
「……もうわかったと思うけど、人類を救う方法はただ1つ。冬木の時と同じように現地に行って、乱れの原因を取り除くしかないわ」
オルガマリーはそこでもう1度言葉を切った。
これはつまり光己に冬木と同じ、いやそれ以上に難しい仕事を7回やれという意味なのだ。彼が事態をのみこむ時間が必要だろう。
「…………つまり、それを俺にやれ、と?」
あえて光己だけを呼んでトップを含む幹部3人がかりで説明したとなれば、誰でも結論はすぐわかる。彼の顔色は真っ青を通り越して白っぽくなっていた。
「ええ、本当に心苦しいんだけど、それしかないの。貴方以外の47人は、昨日私が指示した通り凍結中で、凍結はロマニでもできたけど、解凍ができる技師はあの事故で死亡したから今は無理。私はマスター適性もレイシフト適性もなくなったから行けない。つまり行けるのは貴方だけだから」
「…………」
逃げ道をふさがれた光己には反論の材料がない。大聖杯に願った時に「マスター適性とレイシフト適性付きで」と言っておけば、素人の彼ではなく所長を務めてきたオルガマリーがやることになったというのに、何て迂闊! 彼自身の私情に加えて任務成功率という意味でも。
するとオルガマリーは彼の心中を察したのか、申し訳なさそうに小さく頭を下げた。
「いえ、貴方のせいじゃないわ。本来なら私が考えておくべきだったことを、貴方は半分だけでもやってくれた。150点取ってくれたのが200点じゃなかったからってケチつけるほど、私は意地汚い人間じゃないけど、でも私が特異点に行くことはできないの」
「…………」
なおも沈黙を続ける光己に、オルガマリーはさらに言葉を重ねた。
「人類の過去と未来のため……なんて言っても普通の人には実感わかないかも知れないわね。貴方の家族や友人のため、何なら貴方自身が死にたくないからっていうだけでもいい。人類史と戦ってくれないかしら?」
オルガマリーはこれで口で言うべきことは全部言ったと判断すると、テーブルに額がつくまで頭を下げた。
プライドの高いオルガマリーにとっては屈辱的なことなのだが、光己は元々のカルデア職員ではなく、協会から派遣されてきた魔術師ですらなく、昨日来たばかりの一般人で、しかも「貴方にはここにいる資格がない」とまで罵ったのに命を助けてくれた恩人なのだ。己は安全な場所に残りながらそんな彼を死地に送り出すというのに、「私の指示は絶対」「貴方たちは道具にすぎない」などと猛々しく強要する方が、アニムスフィア家当主としての誇りにかかわる。
ゆえに、こうして思いつく限りの誠意を示すしか方法はなかったのだった。
「え、ちょ、所長!? そんなことしなくてもやりますんで頭上げて下さいよ」
光己としてはこう答えるしかない。人類の過去と未来なんて背負えないし、アーサー王みたいな化け物と戦うなんて嫌すぎるが、新入社員が社長に理と情を尽くして説得された上に深々と頭を下げられて、どうやって断るというのか。
そもそもオルガマリーの言うことが事実なら、断ってもそのうち食料がなくなって死ぬだけなのだから。
「……本当に!?」
ついっと頭を上げたオルガマリーがいくぶん上目遣いだったのは、彼女が職員に好かれていない、認められていないと自覚していることからの無意識の反応だろう。光己はちょっとどきっとしたが、さすがにそれは口にしなかった。
「そりゃまあやりたくはないですけど、やらなきゃ俺も所長もマシュも、ここにいる人たちみんなも一緒に無理心中ってことになるんですよね? じゃあもう断る選択肢がないじゃないですか」
「まあ、そうなんだけどね」
確かにその通りなのだが、光己の方からそれを言ってくれたことでオルガマリーはいくぶん気が楽になった。
「ありがとう、これで私たちの運命は決まったわ。
もちろん後方支援は惜しまない。まずはこれを受け取って」
そう言って虹色に光る星型の宝石のようなものを6個ほど、大事そうに布の上に並べる。
「これは?」
「サーヴァントを召喚するために必要な魔力リソースよ。これで2騎呼べるわ。
本来はAチームが1騎ずつ呼ぶためにもっとたくさん用意してたんだけど、半分以上はあの事故で砕けちゃって無事なのはそれだけなの」
もっとも素人の光己がいきなり大勢召喚しても指揮しきれないという事情もあるし、これで冬木の時と同じ4騎になるから初動としては妥当というところだろう。
「うん、確かに俺とマシュとヒルドだけじゃ冬木の時の半分だからなぁ……。
……って、マシュとヒルドは来てくれるってことでいいの?」
光己が今更ながら隣の2人に訊ねると、マシュとヒルドは当然といわんばかりに頷いた。
「はい、先輩が行くところならどこにでも!」
「うん。なんか大仰な話になったみたいだけど、もし本当なら戦乙女として放置できないからね。マスターが行くんなら、喜んでついてくよ」
「そっか、2人ともありがとな!」
2人の明るい返事を聞いて、光己もちょっと気分が軽くなった気がした。
そうだ、1人で行くわけじゃない。マシュとヒルド、それにこれから呼ぶ2人もいるのだ。
「で、今からすぐ召喚するんですか?」
「そうね。召喚してすぐ現地行きというのも失礼だし、先に呼んで親睦を深めておいた方がいいかもね。
貴方はまだ疲れてるだろうから今すぐとは言わないけど、召喚する時は私に声をかけるように」
「うーん。これ置いといて休憩するのは落ち着かないし、先に召喚してからにしようかな」
「そう、じゃあせっかくだからみんなで行きましょう」
そういうわけで、光己たちはそろってカルデアのサーヴァント召喚ルームに向かうのだった。
オルガマリーにマスター適性とレイシフト適性を残して光己と一緒に特異点に行くルートも考えたのですが、そこまですると都合が良すぎかと思ってカルデア残留となりました。
まあ後の方の特異点には行く可能性も微レ存?