イアソンは敵の卑劣ぶりに怒髪天を衝く思いだったが、うかつには動けない。いくらヘラクレスが強くても、あの人数を相手にエウリュアレを生きたまま奪い取ってくるのはさすがに無理だ。
「ゴミクズの分際でこの私をいらつかせるとは……だがヘラクレスだぞ!?
君たちのような二流三流とは訳が違う。無造作に引き千切られるが、雑魚敵としての宿命だ!
そんなボロ雑巾のような哀れな死に方をしたいのかな?」
そこでとりあえず恐怖を煽ってみたが、相手はまったく動じなかった。
「さっきから聞いてればヘラクレスヘラクレスって、人を頼ってばかりだな。
サーヴァントじゃない俺でさえ、たまには自分で戦ってるのに、もしかして自分では何もできない神輿の王様なわけ?」
「………………」
光己の会心のカウンターに、イアソンはよほど不快だったのかこめかみの血管が切れて血が噴き出す。
しかし光己は怖いとは思わなかった。傍らでじっとして特に殺気も出していないヘラクレスの方がよほど迫力がある。
ヘクトールは少々いらついた様子に見える。股間のケガは治してもらったようで痛そうにはしていないが、宝具の槍を光己が無造作に抱えているのが気にくわないのだろう。
メディアは状況が分かっているのかいないのか、ほわっとした笑顔のままである。何を考えているのかまったく読めない。
カストルとポルクスは無言で佇んでいるが、2人ともやけに不機嫌そうな顔をしている。
「あれは狂化させられているな。フランスでジャンヌオルタがやったのと同じだ。
イアソンには無理だが、メディアなら可能だろう」
するとアタランテが解説してくれた。
恐らくメディアは先日のカルデア勢とランサーオルタ&織田信長との戦いで生じた魔力の激突の余波を感知して、こちらが相当の強敵だと認識したのだろう。それで援軍を召喚したわけだが、フランスでのジャンヌオルタと同様に素では従ってくれないと判断して狂化を施したのに違いない。
ただそれならもっと大勢呼べばいいという考えもあるが、いくらメディアでも船を動かしながらサーヴァントを維持するのは大変で、2人が精一杯なのだろう。イアソン? 彼は戦力外だ。
「なるほど、それは災難だなあ」
「ただ連中はついさっき、聖杯つまり魔力源を入手したはずだから、ここで逃がしたら追加で召喚する可能性がある。ぜひとも今決着をつけたいところだ。
そう、まさにイアソン自身が言ったようにな」
「ほむ」
まったくその通りだ。事前に立ててあった作戦通り、まずは言葉で揺さぶることにする。
「ところで真面目に聞きたいことがあるんだけど」
「む!? …………何だ、言ってみろ」
光己が言葉通り真面目な顔で質問がある旨を述べると、イアソンは会話で時間を稼ぐという意図もあって、鷹揚そうに頷いた。
光己がほっとして、その問いを口にする。
「あんたは『
でも『箱』の持ち主のダビデ王によれば、『箱』に神霊を捧げるとこの特異点が崩壊して、人類滅亡になるって話なんだけど」
イアソンが王になりたいのなら、支配する民と領土が必要である。つまり人理焼却には反対のはずだから、真実を教えれば戦わずして勝つという結果すらありえると考えたわけだが……。
「ハッ、何を世迷言を。ヘラクレスが怖いのは分かるが、嘘をついて舞台から降りさせようなんて浅知恵がこの私に通じるとでも?」
しかしイアソンは聞く耳持ってくれなかった。自分が見たいものしか見えない残念な人物なのか、それとも主導権とヘイトを取るためとはいえ人質戦術を使ったせいで信用度が下がったのか?
「いやマスターの言うことは事実だぞイアソン。何しろダビデ本人から聞いたことなのだからな」
「うん、彼は嘘は言っていないよ」
するとアタランテとダビデが援護射撃をしてくれた。元仲間と「箱」の持ち主の言うことなら、イアソンも信じるだろう。
「―――なんだと?」
さすがに顔色を変えたイアソンに、ダビデがさらにたたみかける。
「だから聞きたいんだ。神霊を捧げれば、無限の力が手に入れられますよ、などと誰に唆されたんだい? ヘクトール、それともメディア? どっちだい?
いや君もヘクトールもメディアも、生前は『箱』のことを知っていたはずがない。ならば君たち3人以外に、別の黒幕がいるんじゃないかと思うんだけどね」
「……メディア? 今の話は……嘘だよな?
神霊を『契約の箱』に捧げれば、無敵の力が与えられるのだろう? だって、あの御方はそう言って……」
ダビデの言葉は図星だったようだ。動揺のあまり、カルデア勢の前で「あの御方」なる黒幕がいることまで明かしてしまうイアソン。
しかし当のメディアは、この期に及んでなお平然としていた。
「はい、私もあの御方も嘘は申しておりません。いえダビデさまたちがおっしゃったことも事実ですが、しかし人類が滅ぶということは、敵が存在しなくなるということでもあります。
ほら―――『無敵』でしょう?」
「な……!?」
それがイアソンの野望が潰え去った瞬間だった。
「お、おまえ。おまえたち、俺に、嘘をついたのか?
それじゃあなんの意味もない!」
イアソンが顔面蒼白になって激昂したのも当然といえるだろう。メディアの言い分はどう考えても屁理屈で、彼ならずともそんな解釈をするはずがない。
しかしメディアは「敵の言うことを真に受けないで下さい」とか言って丸め込む手もあるのに、なぜ馬鹿正直にそんなことを言ったのか? もしかして生前彼に捨てられた仕返しなのだろうか。
「オレは今度こそ理想の国を作るんだ! 誰もがオレを敬い! 誰もが満ち足りて、争いのない、本当の理想郷を!
これはそのための試練じゃなかったのか!?」
イアソンは尊大で他者を見下し侮蔑する傾向があるが、それでも民の幸せを願う心は持っているようだ。
しかしメディアは悲しげに首を振って彼の言葉を否定した。
「……それは叶わない夢なのです、イアソンさま。だってアナタには為し得ない。
その願いは尊くても、それを為すにはアナタの心はあまりにねじれすぎている。
アナタは本当に欲しかったものを手にした途端、自分の手で壊してしまう運命を思い知ってしまうことでしょう」
要はイアソンには王の器はないと言っているようだ。
確かに今の彼が一国の王に相応しい人格と力量を持っているかと問われれば、光己もあまり肯定する気にはなれない。
そもそも論として、イアソンはその国をどこにつくるつもりだったのだろう。この特異点は海と小島ばかりだし、住人は海賊の幽霊しかいないのに。
この特異点を出て新天地を求めようにも、ここは東西南北がつながっているから普通では出られないし、かといって特異点を修正したらサーヴァントは強制退去になる。王の器がどうこう以前の問題でどうしようもないような気がするのだが……。
それでもというなら聖杯で国民を出すとかになるが、それは1人で人形ごっこするようなもので何の意義も感じないだろうし。
「何を言う、この魔女め! 俺は王の子として生まれたのに、ケンタウロスの馬蔵なんぞに押し込まれた屈辱に耐えながら才気を養い、機会を待った!
裸一貫からアルゴー号を建造し、英雄たちをまとめ上げ、金羊の皮も手に入れた!
そのオレのどこに! 王の資格がないと言うのだ!」
その辺りがイアソンの自負心の源のようだ。
最後にペリアスを殺したため王にはなり損ねてしまったが、行動力や統率力といった要素は十二分に示したといえよう。
実際その後コリントスの王に彼の娘との婚約を持ちかけられたりもしているし、イアソンの自信家ぶりも根拠のないことではない。
「オレは自分の国を取り戻したかっただけだ! それの何が悪いと言うのだ、この裏切者が!」
「……残念です。私は召喚されて以来、ずっと本当のことしか言っていませんでした」
イアソンの糾弾にメディアは真顔のままそう答えた。
本当にそう思っているようだ。
「わたしはアナタに裏切られる前の王女メディア。外に連れ出してくれた人を妄信的に信じる魔女。
だからかの王に選ばれてしまったアナタを、こうしてお守りしてきました。すべて本当です。すべて真実です。
……多少の誤解は、あったかもしれませんけど。例えば、今しがた守るといったでしょう? どうやって守るかというと―――」
メディアがふらっとよろめくような足取りで、イアソンの真ん前に迫る。
その気配にどこか危険なものを感じたイアソンが1歩下がるが、メディアはかまわず彼の胸元にすっと手を伸ばした。
その手の中にはいつの間にか、イアソンが持っていたはずの聖杯が。
「な、何を……!? や、やめ……!」
聖杯がイアソンの胸の中に沈みこんでいく。どういうつもりなのだろうか。
その答えはすぐに出た。イアソンの体がぼこぼこと弾けるように膨れ上がり、黒っぽい肉の柱と化していく。メディアは夫を怪物にしようとしているのだ!
「■■■■■■■■■ーーーーッッ!!」
しかしその時意外な、いやしごく当然の事態が起こった。ヘラクレスが怒りの咆哮とともに斧剣を振り上げ、メディアに斬りつけたのである。
「……!!」
しかしそれはカストルとポルクスが2人がかりで受け止めていた。こちらはメディアの支配下にあるようだ。
狂化がひどいらしく人語をしゃべらないが、コンビネーションは衰えていない模様である。
その間にもイアソンの体は風船のように膨張し、ついには光己たちがローマで見た魔神柱にそっくりの怪物に成り果てていた。
「―――戦う力を与えましょう。抗う力を与えましょう。
ともに、滅びるために戦いましょう。さあ、序列三十、海魔フォルネウス。その力を以て、アナタの旅を終わらせなさい!」
メディアが笑いながら、詩でも詠むような口調で肉の塊に語りかける。その肉塊にはイアソンの意識などまったく残っていなさそうだが、今までの自分の言動に矛盾は感じていないようだ。
「おおぅ、こわいねえ……ナチュラルに狂ってるってのはこういうコトか……。
ま、今のオジサンにできることは何もないから、おとなしく引っ込んでましょうかね」
ヘクトールがちょっと怖気を振るったのも残当というか、彼は魔神柱が顕現した今に及んでもなおメディア側のようだ。しかし武器がないためか戦闘に参加せず後ろに下がっている。
「―――!!」
魔神柱の眼が怪しく光り、ヘラクレスめがけて灼熱の火柱が襲いかかった。
「な、ななななな……!?」
光己たちはすぐには状況理解が追いつかなかった。
事実関係だけを見るなら、メディアがイアソンとの痴話ゲンカ(?)の後、聖杯を使って彼を魔神柱に変えた、あるいは彼を依代にして魔神柱を召喚したということになるみたいだが……。
ディオスクロイはメディアと魔神柱の味方で、ヘラクレスはこの4人と敵対して戦っている。ヘクトールは武器を失ったからか引っ込んでいるので、どちらの味方か断定できない。
「しかしまさかこんなことになるとは……」
光己たちの構想では、話の展開によっては「箱」をすでに破壊したことも教えてイアソンに諦めさせるのが最上で、それに失敗したら人質戦術で、例えばヘラクレスとディオスクロイを戦わせるよう要求する等の無茶振りをしかけていくつもりだったのだが、まさかイアソンが魔神柱にされるとは想像もしていなかった。
とりあえず人質戦術はもう無効なので、光己は段蔵に合図してエウリュアレを解放してもらった。当然ながら本当に人質にしたのではなく、事前に打合せした上での演技だったのだから。
エウリュアレが涙など流しつつ「イアソン様助けてー!」とか哀願したらどう答えるだろうなあ、なんて悪辣な計画もあったりしたが、全人類の運命がかかっているのだからやむを得ないことだろう。多分。
「こりゃ、驚いた。しかもいま何て言った、彼女。序列三十、フォルネウスだって……? それはソロモンの魔神のコトじゃないか!」
「これは―――倒せる、ものなのか?」
魔神柱を初めて見るダビデとアタランテは、その巨躯と醜悪さに圧倒されていたが、光己たちは1度倒しているからショックは少ない。しっかりとフォルネウスを見据えて言い放った。
「ああ、俺たちは1度あれと同じ奴を倒してる。
あの時とはメンツが違うけど、勝てない相手じゃない」
むしろ光己がマスターとして成長している上に、今回は聖杯を持っているから有利なくらいである。
「え、アンタたちあんな化物とも戦ったのかい? なかなかすごい冒険してきたんだねえ!
ならまずタンカを切ってやりな。『化物なんかに用はありません! いいから素敵な王冠をちょうだい』ってな!」
ドレイクもやる気のようだ。ところがそこにヘラクレスの大音声が響き渡った。
「■■■■■■■■■ーーーーッッ!!」
「え!? え、ええっと、何が言いたいんだい? 助太刀感謝する、とかかい?」
ただ彼は人語をしゃべってくれないのでドレイクにはその意味が分からなかったが。
「いや、手を出すなと言ってるんじゃないかな。細かいニュアンスは分からないが、多分」
しかし幸い、生前一緒に冒険したアタランテにはある程度分かったようだ。
ヘラクレスにとってもあの醜い肉柱はもはや友人ではなく、人類に仇なす魔物に過ぎないのだろう。だからイアソンを直接手にかけたメディアともども打ち倒すが、肉柱は友の身体「だった」ものだから、せめて自分の手で葬りたいということだと思われる。
あるいは単に、身内の不始末は身内で片づけたいというだけかもしれないけれど。
「なるほど、気持ちは分かるねえ……仕方ないか」
ヘラクレスほどの勇者に手出し無用と言われては致し方ない。ドレイクも光己たちもいったん武器を下ろすのだった。