光己たちが大広間に入ってみると、そこはいかにも日本旅館といった趣きの、畳敷きの広い部屋であった。上座の向こうの壁には、金箔でつくられたとおぼしき絵画が飾られている。
ちょうど配膳もあらかた終わったようである。その指揮をしていた紅閻魔が話しかけて来た。
「ちょうどいい時に来られまちたね。今準備ができた所でちので、お席にどうぞ。
皆様は久しぶりの新しいお客様でちからね。粗相の無いよう、全力でお持てなしするでちよ」
「はい」
カルデア一行がさっそくオルガマリーを先頭にそれぞれ席に着く。
「―――ほうほう。世界各地に観測される、魔術が関わる異常事態を解決している組織というわけでちか。
騒がしいのが現世の常とはいえ、大変な仕事をしているのでちね」
世間話の中で紅閻魔にカルデアの仕事について訊ねられたが、さすがに全ては明かせない。オルガマリーは嘘にならない程度に、スケールダウンした話をしていた。
「若い
あちきは閻魔亭から離れることはできまちぇんが、ここにいる間は良い休暇になるよう、気を配るでちよ」
「はい、ありがとうございます」
紅閻魔のお話がふと一区切りついたところでオルガマリーが礼を述べると、女将はいよいよ料理を勧めてきた。
「どうぞ、取れたばかりの
「ええ、ではさっそくいただきます」
「鰤に鰆か、名前しか知らないぞ俺。しかしこれは旨そうすぎるな……」
「きてます……きすぎてます……。
これがお屋敷、大広間でのお食事なんですね……」
「ええ、ファンタスティックだわ……!」
オルガマリーは淑女として落ち着きある態度を保っていたが、光己とマシュとアイリスフィールはパンピーと箱入りだけに、超一流板前の見た目にも美しい芸術的料理の数々を前に興奮を抑え切れない様子である。
「「いただきまーす!」」
日本でお食事する時の礼節として、手を合わせて食材と調理者への感謝を述べてから箸を手に取る一同。
「……!! こ、これは!?
これが一流旅館の膳というものなのですね。この感動、まさに浦島太郎級です!
食事の玉手箱、と断言します!」
マシュは料理がよほど気に入ったらしく、壮大に意味不明な言葉で称賛していた。
「うーん、やはり先生のご飯は美味しいです……! わたくしもいつかはこの境地に達して、旦那さまに心からご満足いただけるようになりたいものですね」
「まったくです……道はまだまだ遠いですが」
清姫と玉藻の前は久しぶりの先生の味を堪能しつつ、目指す高みの遠さに嘆息してもいるようだ……。
光己やオルガマリーたちも満足していたが、そこに招かざる客が現れる。
「ええ、ええ。閻魔亭の大広間が使われるのは何年ぶりでしょうか」
その客は猿を模したような仮面をかぶり茶色い和服を着た男性だった。従業員という感じはしないから宿泊客だろうか?
ジャンヌが反応しないから、彼女が先ほど言っていたサーヴァントではないが……。
「それも
ほほほ。長生きはするものですねぇ。女将のあんな楽しそうな顔は久しぶりです。」
そういえばさっき女将が「皆様は久しぶりの新しいお客様」と言っていたから、その新規客を見に来たということのようだ。もっとも「現代人」は17人中3人だけだけれど。
といって団体客の食事に突然乱入するのは褒められたことではないのに、男性はさらに礼を失した行動に出た。
「うわっと、とつぜん誰です!? あ、人のお膳に箸を伸ばすなんてはしたない!」
玉藻の前が怒るのは当然だったが、するとさすがに男性は手を引っ込めた。
「冗談。冗談でございます。ワタクシ、
この閻魔亭へ湯治に来てはや500年。あまりの居心地の良さに長居していたらあら不思議。
自分の
こんないい旅館に500年も泊まっていられるとはずいぶんなお大尽のようだ。しかも少なくとも500歳以上ということは人間ではないが、この旅館ならむしろ当然のことだろう。
それはいいのだが、その後女将との会話で「猿どもの面倒を見るというのも疲れる」と口にしたので正義感が強いブラダマンテはぴーんときた。
彼が景虎に酒を勧めようとしたのに割り込んで早口に尋ねる。
「ちょっとお待ち下さい! 今貴方『猿どもの面倒』と仰いましたね。
もしかしてこの山で雀を襲ったりしている魔猿の主は貴方なのでは?」
そのひねりも何もないストレートな問いかけに、猿長者は大仰な身振り付きで否定の意を示した。
「ああ、あの連中! よしてください、ワタクシとあの魔猿どもは関係ございません!
あの連中、ここ最近現れては閻魔亭のいたるところで悪さを働く畜生猿。
厨房で食材を盗む、金目のものを盗んで回る、山に出た雀を襲う、とやりたい放題。
いえね、ワタクシも猿使いの面目躍如とばかりに立ち向かったのですが、まるで駄目。
ワタクシの話を聞きもしない。ほとほと参っていたのです」
「そ、そうでしたか、これは失礼しました」
証拠もないことなのでブラダマンテはあっさり引き下がって謝罪したが、猿長者が話している間光己は清姫にアイコンタクトを送っていた。
嘘発見少女もそれに気づいて、キランと怒りを秘めたような視線を返す。猿長者の話の一部に嘘があったという意味だ。
(分かった、でも今は黙っててね)
(……旦那さまがそう仰るなら)
清姫は(わざわざ訊ねておいてどうして?)と少し不満に思ったが、証拠もなしに騒ぎを起こすのがまずいのは分かるので今は抑えた。
しかしこれは光己にとっても不可思議な結果だった。
今清姫に依頼して嘘発見してもらったが、よくよく考えてみるに、もし猿長者が魔猿を操って悪事を働いているのなら、とっくの昔に閻魔様が見抜いて処罰しているはずである。
なのに猿長者が無事で魔猿も放置されているのは、清姫が鑑定を誤ったか、紅閻魔が猿長者と魔猿を処罰できない何か深い理由があるということだ。その辺を確かめない内は軽挙妄動は慎むべきだろう。
「―――ですがワタクシが言わなければ女将は
何しろこの方々、とても腕が立ちそうですので。旅先での善行などお手の物なのでは?」
猿長者はそのあと女将と二言三言話していたが、その後で魔猿退治を提案してきた。
それは話を振られた玉藻の前が断ったが、それについて女将が「魔猿たちは暇をみてあちきがこらしめる」と言ったことも加味して考えると、やはり猿長者と魔猿は無関係なのだろうか?
(やっぱり特異点に行くとすぐ怪しい話が出てくるな……いや今の所はそう言い切れないんだけど)
光己がそんなことを考えている間に猿長者は部屋から去り、女将もいったん下がったので、その後は何事もなく夕食を終えたのだった。
夕食の後は腹ごなしに亭内の散策でもと考えたカルデア一行だったが、その前に明日からの予定をまだ立てていなかったことに気がついた。
これは散歩しながらというのはよろしくないので、オルガマリーが泊まる予定の「翡翠の間」に集まって行うことにする。
「夜は真っ暗ですから外の風景は見えませんしね」
昼間は山や林や川が大変素晴らしい景観なのだろうけれど、21世紀と違って電灯がない時代は夜は何も見えない。マシュはちょっと残念そうであった。
「まあそれは明日ゆっくり堪能することにして―――まず決めるべきは明日以降もここにとどまるか、それとも他の所に行くかよね」
前回のレムレムレイシフトではすぐアルトリアリリィと景虎に出会えたのですぐ特異点を修正する方法が分かったが、今回はまださっぱりである。この閻魔亭が特異点発生の原因なのかそうでないのかも分からない。
「でもここがまったく何もないとは思えないですよねー。仮にも閻魔様が経営してる旅館ですし、怪しいといえば怪しい人もいますし」
「確かにあの猿長者という方は嘘をついていましたが……」
光己がまず口火を切ると、清姫も同意見という風に頷いた。
猿長者が魔猿たちと無関係という発言については鑑定しそこねたが、彼が魔猿に立ち向かってもてんで駄目だったというくだりは間違いなく嘘だった。しかし魔猿が彼の手下なら退治を勧めるような発言をするはずがないし、どういうつもりだったのだろうか。
「でも仮に猿長者が閻魔亭に害をなす者だったとして、それが所長さんやマスターが呼ばれる原因になるかと言いますと……」
一方玉藻の前は懐疑論者であった。なるほど行ったこともない旅館の女将と客の
「でもこの旅館、上の方に聖杯クラスの魔力を持った魔術的な物品があるようなのですが。
おそらくはこの建物の『心臓部』にあたるものです」
「!?」
しかしスルーズの発言で一気に空気が変わった。
やはりレイシフトは異常の原因、もしくはそれに縁があるものの近くに移動するものだったのだ!
とはいえいきなり吶喊するのは賢明ではない。もう少し情報を集めるべきだ。
「つまりしばらくここに滞在するということかしら?」
「そうなるわね、ジャンヌが探知したサーヴァントともまだ会っていないし。いえこちらから訪問はしないのだけど」
アイリの質問にオルガマリーがそう答えることで方針は決まったので、延び延びになっていた亭内探索をようやく行うことになった。
玉藻の前が「建築学的にありえねー」と評しただけあって迷路みたいだったが、それがかえって面白い。広くて立派な建物なのに清掃は行き届いており、従業員は女将1人と雀9羽だけなのに大したものだと感心した。
「あ、卓球場だ! よし、明日みんなで遊ぼう」
「もう、マスターくんってばえっちなんですからー」
ヒロインXXは光己と仲がいいだけあってすぐ彼の真の目的を見抜いたが、ちょっと恥ずかしがるだけで嫌がる様子はなかった。
マシュはむーっとした顔で彼の腕をつねっていたけれど。
「さすがにゲーム機やカラオケはないか……ここ電気来てないしな」
「
一行はそんなことを話しながら楽しく散策していたが、不意にジャンヌがオルガマリーのそばに近づいた。
「所長さん、例のサーヴァントが移動を始めました。ここから見ると反対側に歩いて行っているようですがどうしますか?」
「本当に!? では急いで先回りして、偶然出会ったという体裁にしましょう」
「はい」
さっそくジャンヌの探知にそってサーヴァントの移動先についていくと、どうやら温泉の方に向かっているようだ。女将か雀が貸し切り時間が終わった旨を伝えたのだろう。
曲がり角の先に隠れて、まずは認識阻害も使った上で少し様子を窺うことにする。ジャンヌがチラッと顔を出して覗いてみると、廊下の向こうから自分たちと同じ浴衣を着た女性が歩いてくるのが見えた。
身長は光己と同じくらい、年の頃は25歳前後か。日本的な印象の楚々とした美人である。久しぶりに温泉に入れるからか、ちょっと浮かれているようだ。
「―――真名、ミス・クレーン。キャスターですね。宝具は『
「ミス・クレーン……? ヒロインXXみたいなコードネームなのかな?」
「先輩、『クレーン』とは日本語では『鶴』という意味です。宝具の名前も合わせて考えますと、昔話の『鶴の恩返し』なのでは?」
「それだ!」
博学なマシュのおかげでサーヴァントの正体が明らかになった。鶴・衣・別れというキーワードからいってそれしかない。
極めて非戦闘的な人物だろうから、普通に接触すれば争い事にはなるまい。ただその分、最初に話をするのは同じ日本人であっても景虎や段蔵のような戦闘的な生涯を送った者や、清姫のように想い人を殺した者、玉藻の前のようなやむを得ずとはいえ大量殺人の逸話を持つ者は避けた方が良さそうだ。
「といってキャットじゃ混乱させちゃうし、日本人勢全滅じゃないか。
仕方ない、お姉ちゃんに頼んでいい?」
ジャンヌも戦争絡みで英霊になった身だが、「聖女」という圧倒的肩書がある。雰囲気や物腰はカルデア一行の中では穏やかな部類だし、問題はないだろう。
「はい」
ジャンヌにも特に断る理由はなかったので、認識阻害を解除して、彼女を先頭にしてミス・クレーンとの対面に臨むカルデア一行。
クレーンは一行に気づくと、すれ違う邪魔にならないよう廊下の端に寄った。
カルデア側も同様にしたが、そのすれ違い際にクレーンの方から話しかけてきた。
「こんばんは。もしかして温泉の
先方からコンタクトしてきてくれたとは都合がいい。ジャンヌはすぐに答えた。
「はい、私たちとしてもせっかく旅館に来たのに、温泉に入れないのは残念でしたから。
私はフランスのジャンヌ・ダルクと申しますが、お名前を伺っても?」
「え、ジャンヌ・ダルク……!?」
実はこのクレーンという女性、フランス好きな上に重度のアイドルオタクである。有名な聖女様、それも通常より6割増しの魔力量を持つスーパーヒロインを目の当たりにしてすっかり興奮してしまった。
「ひふぅ……あ、あの神の声を聞いたという救国の聖女様が目の前に……!?
存在感しゅごい……
「ちょ!?」
そして興奮のあまり表情をスライムのように溶かして卒倒してしまったのでジャンヌは慌てて介抱したが、やはり特異点修正というのは色々と面倒くさいもののようだった。
お供え物盗み食いイベントは没になりました。フィンとディルムッド以外の人にやらせるとアンチヘイト的な扱いになりかねませんし、2人をはぐれ鯖として出した場合でも同じことですから。
しかしそうなると閻魔亭を原作ほど繁盛させる必要がないというか、あまり繁盛させると逆にカルデア一行が帰った後でスタッフが足りなくなりそうなので、温泉を解放するのと詐欺師を退治するので十分かなという気はします。