光己が休憩している間、サーヴァントたちはやることがないわけではない。モルガンは引き続き魔霧の発生源を探しているし、メリュジーヌは例の竜言語魔術書の翻訳をしていた。デジカメで石板の写真を撮ってデータを
「それにしても、本当に妖精や人間が竜種になれる体系的な手法が存在したなんてね。
お兄ちゃんが宝物認定してるからガセじゃないし、お兄ちゃんや清姫みたいに魔術なしで竜種になった実例もあるんだけど」
今翻訳しているのは他種族用の物の初級編で、竜種の身体的特徴を一時的に発現させる、つまり筋肉や骨格や(心臓を含む)内臓を強化したり鱗をまとったり翼を生やしたりブレスを吐いたりといったものだ。戦闘する機会が多い者には有用であろう。
これをすべてマスターしたら中級編、術を全身に同時に発現させて
なおどんな種類の竜になるかは魔術回路の質や量より、属性や起源や出身地といった要素で決まる。たとえば火属性の西洋人なら火を吐く西洋竜になる可能性が高く、水属性の東洋人なら雨を呼ぶ東洋龍になりやすいという感じだ。
それができたら上級編、自身を変身した状態に固定すれば完全な竜種となる。ただその後で竜種専用大魔術編にある変身魔術を習得すれば元の人間等の姿に化けることもできるので、そうなれば竜種の魔力と寿命を持って人間社会で暮らすことも可能となるわけだ。「人間をやめてでも根源に到達したい」というガチ勢ならここまでやる気になるかも知れない。
大魔術には他にも時空操作や気象制御やマジックアイテム作成など様々なものがある。いずれも人間の限界を軽く超えた強力なものだ。
「まあ、この域まで到達できる魔術師はそうそういないと思うけど……」
などとぶつくさ言いつつも仕事はちゃんとしているメリュジーヌの傍らでは、バーゲストが妖精國料理のレシピを書いていた。
これは光己所属のサーヴァントの中で料理が分かる者全員に課せられたお仕事で、できたレシピは(如意宝珠で出した)実物の写真とともにカルデアのデータベースに納められ、その後光己が持っているメニューに追加される。これにより、皆が古今東西どころか異世界の料理も食べられるようになるわけだ。
バーゲストは妖精國組の中で1番料理が上手なので、文化方面においても故郷の名誉を揚げるべく奮闘しているのである。
ちなみにジャンルは今はスイーツ系が優先だった。光己が立香の機嫌を取るため、異世界の甘味を依頼したので。
「弱肉強食が世の摂理とはいえ、強いだけでは蛮族や獣と変わらん。妖精騎士たる者、文化や礼法にも通じていなくてはな!」
「……まあ、お兄ちゃんたちに見せるものと見せないものは選びたいよね」
「どう頑張ろうと、マスターが妖精國行ったら全部見られちまうがな!」
バーゲストはフンスと荒い息をついて気焔を上げたが、同僚2人とは温度差があるようだった……。
1888年のロンドンでは上下水道はすでに普及していたが、各家庭で入浴するという習慣はなく、寝る前にたらいに水を張って体を拭く程度である。公衆衛生等の関係で1846年頃から銭湯が整備され始めているが、今営業しているとは思えない。
つまりお風呂に入れないのだ!
大気汚染と魔霧に毒された街や迷宮を丸1日以上駆け回ったのに入浴できないとは何事か。光己は大いに憤った。
「なのでお風呂を! 一心不乱の大お風呂を!
マーリンさん、魔術でどうにかならない?」
「お風呂……古代ローマ帝国にあったという
仮に今のロンドンにあったとしても、この状況では営業していないんじゃないかな」
「……あー」
マーリンはサーヴァントではなく生身で来たから本来はこの時代の一般常識はインストールされないのだが、そこはグランド級だけに魔術で実現している。それでこういう返事ができたのだが、21世紀の日本人ほど風呂にこだわりがないのは当然だった。
それに気づいた光己が家庭用内風呂の何たるかについて懇切に説明すると、マーリンは宮廷魔術師を務めていたこともあるだけに理解が早かった。
「―――ふむふむ。温かいお湯に浸かることで疲労回復や新陳代謝の促進、リラックス効果が望めるというわけか。その際に体を洗って清潔にするから、当人の病気予防に加えて公衆衛生を良くする効果もある、と……。
素晴らしいね。惜しむらくは、魔術師でもなければそれだけの湯を沸かすのは相当大変だということかな? 『彼』の頃のブリテンじゃ無理だったろうね」
ただこの発言を聞く限り、マーリンの世界の当時のブリテンもあまり豊かではなかったようだが、まあそれは今は関係ない。
「うん、だから日本人にとってはマストな習慣なんだ。
俺が氷の剣と炎の剣を持ってるから湯を沸かすことはできるんだけど、バスタブとそれを置いてよさそうな場所がない」
「なるほど。それならリビングに投影でバスタブと、床が濡れないようフロアを作って、あふれた湯は台所の排水口に流すようにすればいいね。簡単だよ」
「おお、さすが大魔術師話が早い!」
最低限の着替えはマシュの収納袋に入っているし、如意宝珠(小)で出すこともできるので、これで日本人らしく湯舟に浸かるお風呂に入れる。しかし独り占めはよろしくないだろう。
「それじゃマシュ、別々に入ると時間と手間がかかるから
「え!? あ、は、はい」
光己が意図的なのかそうでないのかランチに誘う程度の気軽さでマシュを混浴に誘うと、マシュの方もオケアノスで何度もやったことなので顔を真っ赤にしつつも頷いた。
しかし事情を知らないマーリンは驚愕せざるを得ない。
「ええっ、キ、キミたちそういう関係なのかい?」
「いや、大奥に勧誘はしてるんだけど
そうだ、マーリンさんも生身だと霊体化して汚れを落とすってわけにはいかないでしょ。一緒に入らない?」
「ふええっ!?」
まさかナチュラルに自分まで誘ってくるとは。人理修復という大任を負ったマスターともあろう者のナンパっぷりにマーリンは再び驚愕した。
それとも「アルビオン・ルシフェル」になったことでやはり人格に悪影響……いやそうだとしたらこんなしょうもない方向ではあるまいから、単に疲労や眠気で自制心が落ちただけと見るべきか……?
「あ、ここは日本じゃないから水着着用でもOKだよ。日本は『裸の付き合い』って言葉もあるくらいで、特別に水着可の所以外は裸が普通だけど」
「そ、そうなのかい? まあ水着でいいならOKかな」
「おお、やったー!」
水着着用とはいえ知り合ったばかりの超美女と混浴できる喜びに光己が思わずガッツポーズを取ると、ちょっと複雑そうな視線が2対ほど飛んできた。
確かめるまでもなく、ルーラーアルトリアとヒロインXXだと分かる。モードレッドの手前、たとえ本人がこの場にいなくてもふしだらなことは憚られるのは分かっているが、後で自分たちにも埋め合わせしてほしいという意味だろう。
まあそれは本部に帰ったら実施することとして。
「アタランテはどうする? 今霊体化したらジャックを落っことしちゃうかも知れないけど」
理由があるとはいえ貞操観念が強いアタランテにまで混浴をもちかけるとは、やはり光己は多少頭が溶けているようだ。それとも勧誘ではなく意向確認の形になっているだけマシというべきか?
「む? う、うーん、そうだな」
するとアタランテはちょっと迷った顔を見せた。
母となったからにはできるだけ清潔にしていたいものだが、言われてみればその通りで霊体化は避けた方が良さそうである。
といって男性と一緒に入浴というのは避けたいが、しかし湯を沸かすのは光己で、彼は風呂から上がったら仮眠を取る予定になっていることを考えれば、彼らの後で1人で入るわけにもいかない。
迷った末、条件次第ということにした。
「マーリン、私にも水着は用意してもらえるのか?」
「ああ、ご希望とあればもちろん」
「そうか、なら一緒に入ろう」
「おおー、じゃあ
ここで光己は大げさに喜んで見せない程度の自制心は発揮しつつ、遠回しに太公望に退室してくれと求めていた。溶けている割には回転が速い頭といえよう……。
太公望の方は
「そうですか、では僕は隣の部屋にいますので」
こうして太公望、それにルーラーとXXも部屋から出たら、いよいよお風呂イベントの始まりである。
まずはマーリンが、投影魔術で部屋の3分の2ほどの広さのフロアを作った。その縁には高さ10センチほどの枠がついており、大きなお盆のような形になっている。
枠の端には同じ高さの水路が1つ接続されている。彼女が先ほど言及した、バスタブからあふれた湯を台所に流す仕組みだ。
ついで4人が一度に入れそうな、大きなバスタブを投影する。ここまで30秒とかかっていない。
「フフッ、ざっとこんなものだよ」
「おお、さすが大魔術師」
バスタブもフロアも無地で形状も凝っていないが、今はそれより中に入る人や湯の重さに耐える頑丈さが大切である。その条件を満たしているなら自慢や賞賛に値する技量と成果といえよう。
「それじゃさっそく……あー、その前に服を洗濯しとくべきかな?」
光己とマシュは着替えは持っているが、大気汚染と魔霧で汚れた服をそのまま持っておくのは気分が良くない。この服をまた着る可能性もゼロではないし、入浴の前に洗っておいた方が良いように思う。
「それもそうだね。じゃあ水着を作るよ」
「うん、お願い」
手順としてはまずバスタブに湯を入れ、その後皆水着に着替えて、脱いだ服をバスタブで洗ってマーリンの魔術で乾かす。乾いたら光己とマシュの服はマシュの収納袋にしまい、マーリンとアタランテの服は部屋の隅にでも置いておけばいい。
乾かしている間に湯を入れ替え、それが済んだらお楽しみの入浴タイムだ。その後は光己とマシュは仮眠するのでまた投影でバスローブを作ってもらい、マーリンとアタランテは今洗濯した服をまた着る。
用済みになったフロアやバスタブや水着は、投影でつくった品だから放っておけばその内消えるから後始末の必要もない。
なお如意宝珠(小)には濁った水を清めるという権能があるのだが、それでも洗濯した後の残り湯という事実は消えないので、気分的な問題で今回は使わないことにした。
……湯を沸かすのもマーリンに頼んだ方が早いのだがそこはそれ。自分でできることは自分でやる姿勢を示した方が好感度アップになるという光己の思春期判断である。
「そういえばマーリンさんは寝る必要ってあるの? 水晶玉作るのお願いしてたけど」
「おや、気づかってくれるのかい? そうだね、生身だから睡眠の必要は確かにあるけど、人間よりは融通が利くから2~3日くらいは平気だよ」
「そっか、じゃあ予定通りよろしく」
「うん、任せておきたまえー」
話が済んだら、いよいよ湯の用意である。光己はまず、閻魔亭で存在自体は明かしていた
その名の通り氷のような刃を持つ立派な両手剣で、魔力と念をこめると吹雪を巻き起こすことができる。今は人間サイズとはいえアルビオンが全力を出すと大変なことになるので、様子を見ながら少しずつ魔力をこめていかねばならない。
そして剣の先端を湯舟に入れて柄に魔力を送ると、先端からかき氷機のように白い氷の粉が噴き出した。結構な勢いで湯舟の底に積もっていく。
「よし、うまくいった! 俺もなかなかやるようになってきたな……」
カルデアに来てからまだ半年も経っていないのに、よくもここまで来たものだ。光己が昔のことを思い出して感慨にひたっていると、この様子なら会話しても大丈夫と見たのかマーリンが話しかけてきた。
「へーえ。キミは元一般人だと聞いたけど、小技も器用にこなすじゃないか」
「うん、これでもヴァルハラ式トレーニング受けてる身だから」
「ヴァルハラ式!?」
そのパワーワードに、さすがのマーリンも驚いた様子を見せた。
「……っていえば、実戦そのものの訓練で死んでもその場で生き返って訓練続行っていう……ああ、キミの頑丈さなら斬られてもケガしないからそのまま続きができるわけか。
ブリテン軍の調練も楽なものじゃなかったけど、世の中上には上がいるんだねえ。お疲れさま」
そしてそこまで言うと、今度は何かを思いついたような顔をした。
「ところでこれはまったくの戯言なんだけど、キミは竜の冠位で天使の冠位で悪魔の冠位なんだから、人間の冠位もゲットしたら四冠王で何かいいことあるかも知れないね」
「ほむ、四冠王とな」
光己は中二病患者なので、こういう話題がとても好きである。
「うん、語感からして素晴らしいな!
でも人間の冠位って誰なんだろう。グランドサーヴァント候補の中で1番強い人? それともアダムやミトコンドリア・イブみたいな始祖的な存在か、あるいはブッダやキリストのような宗教的な偉人、あとは言語や農耕や火とかの基幹技術を発明した人っていう線も……」
どの基準でも考え方次第で結果はいかようにも変わるので、誰もが納得するトップを決めるのは難しそうである。ギルガメッシュあたりは「そんなもの我に決まっていようが」とか言いそうだが。
「しょうがない、範囲を狭めてマスターの中の冠位で妥協するか。グランドマスター、って響きがカッコ良すぎるしな。
条件は人理修復を達成するか……もしくは巨大ロボットをゲットってところかな。ロボの操縦席で『グランドマスターたる余の力、見せてやろう』とか言いながら余裕の手加減攻撃をかますとか、いや『正しき怒りを胸に、我らは
「………………」
光己の突然のイミフトークに、さすがのマーリンも突っ込む言葉が思い浮かばず沈黙するしかなかった。やむを得ず、マシュが割って入って強引に話題を変える。
「あの、先輩! 冠位と言いましたが、そもそも本当にルシフェルの疑似サーヴァント的な存在になったのですか!?」
彼を精神的な拠り所にしている身としては、あんまり受け入れたくないのである。
しかし光己は確たる証拠を持っていた。
「うん、間違いなくね。疑似サーヴァントになったんじゃなくてあくまで『世間一般でのルシフェルのイメージが具現化したもの』が乗っかっただけだけど、逸話再現的なサムシングがあるそうだから。
その名も『
「神」といっても一神教的な造物主に限らず多神教的な神霊やその化身等であってもいいが、単独や少数で来た場合は使用できない。また召喚できる数はその場の状況と光己の熟練度に左右される。
ヴリトラの宝具「
「そ、そうなのですか……。
あ、あの、先輩」
そのような確証があっては否定のしようがない。マシュはしゅーんと落ち込んでしまって、大変な身の上になってしまった先輩を励ます言葉も出て来ない。
この宝具的サムシングのヤバさを考える余裕もないようだ。
もっとも当の光己もそこはあんまり考えていなかったが、それゆえにここはマシュを元気づけるべきだと判断した。
「そんなに気にしなくていいよ。ファヴニールになった時に心の整理はつけたから、アルビオンになろうがサタンになろうが人外って点では同じだと思ってるから。
幸いこうして人間の姿になれるし」
「は、はい、すみません」
自分から話を振っておいて慰められていては世話はない。マシュはきまり悪そうに肩をすくめた。
しかしせめて、自分が味方であることだけは強調しておこうと思う。
「……先輩は強いですね。
でも私にできることがありましたら、何でもおっしゃって下さいね」
「ん、ありがと。それじゃお……」
光己は「お肌のふれ合い」と言いかけて、これから一緒にお風呂に入るのだから無駄に藪をつっつく必要はないことに気づいていったん口をつぐんだ。
「……あー、いや。マシュがそんな風に思ってくれてるだけでも嬉しいよ。
でも何かあったら、遠慮なくお願いさせてもらうから」
「はい、先輩」
という流れで、光己は今回は平穏に乗り切ったのだった。