マリーが乗った馬は、正面からの体当たりや後ろ脚での蹴りを狙って軽快に跳び回っている。ただしこの宝具が初使用なのと、手綱も鐙もない上に横座りなので、動きはいまいち洗練されていなかったが。
一方サンソンもマリーに対しては、先ほど「素晴らしき死出の旅路にしてみせます」と言ったように痛みを与えずに殺す、つまり一太刀できれいに首を切断することに執着しているので、馬上の相手とは戦いづらかった。
「これは……まず馬を倒さないと無理か」
何度目かの交差の後、サンソンはそう呟いた。
できればマリーには落馬の痛みも与えたくはないのだが、彼女も今はサーヴァントなのだから着地くらいはできるはず。
ただあの馬はおそらく宝具、闇雲に斬りつけても弾き返されるのがオチだろう。宝具には宝具をぶつけるべきだ。
「よし、いくぞ! 『
「……!!」
しかしサンソンが宝具の発動準備に入った時、マリーは気配を察したのか、馬にバックステップさせて間合いを取ったため、開帳しそこねてしまった。
「む、さすがに危険を感じれば避けるか。当たり前だな」
生前のマリーは断頭台の前に立った時も、まったく取り乱すことなく従容として死を受け入れ、しかも死刑執行人を気づかう余裕さえ持っていた。しかし今は生きてサンソンを倒すつもりでいる以上、避けられる攻撃は避けるだろう。むしろ宝具開帳を察知できたことに驚いた。
「危なかったわ。でも今度はこちらの番よ!」
「!!」
マリーの予告通り、ガラスの馬が予想外の速さで突進してきたため、サンソンは地面に身を投げ出して避けた。
ランスロットやアタランテのような達人であれば、もっと気の利いた対応をするのだろうが、あいにくサンソンが得意とするのは「止まったものを綺麗に切る」ことであって、動く敵と普通に戦うことではないのだ。
そういえばアタランテはまだ戻らないが、苦戦しているのか、それとも倒されてしまったのか?
「どっちにしても早くしないとまずいが、このままじゃ埒があかないな……!」
マリーを「処刑」できたなら、その後横槍連中に殺されても悔いはないが、そうする前に割りこまれてはたまらない。ことを急ぐべきだが相打ち覚悟で吶喊するか、それとも多少のフェイントでも混ぜてみるか?
「マリア、あせることはない。時間を稼ぐんだ!」
「おのれ駄楽家……!」
その辺の事情を読んだのかアマデウスがマリーに声をかけたのを聞いて、今度はサンソンが歯を軋ませる。
確かに馬の速さを生かして距離を取られたらサンソンに打つ手はないが、マリーはそういう常識の範疇に収まる女性ではなかった。
「いえ、それはダメよアマデウス。サンソンは確かに私を殺そうとしているけど、その後自分も死んでもいいっていうくらい私にこだわっているわ。なら私も逃げずに真正面からぶつかっていきたいと思うの」
「ファッ!?」
「おおぉ……貴女は僕が見込んだ以上の素晴らしい方だった」
アマデウスが信じがたげに目をしばたたかせ、サンソンは感動と歓喜に身を震わせる。
ついでにゲオルギウスはコメントしづらいのか、目をそらして怪物退治に専念したが、そこに無粋な闖入者が現れる。
「見えました! あそこにいる2人はサーヴァントです。
黒い剣を持った男性がシャルル=アンリ・サンソン、馬に乗った少女がマリー・アントワネットです」
「サンソンにマリーだって!?」
群がるスケルトンたちを蹴散らしてようやくマリーたちを視界におさめたマルタの解説にくわっと目をいからせたのは、生前マリーと面識があったデオンだった。
「サンソンンンン! いくら狂化させられているとはいえ、王妃に剣を向けるとは何事だ!
王家の敵殺すべし慈悲はない、イヤーッ!」
ニンジャか何かに憑かれたような奇声を上げて、サンソンに吶喊するデオン。2人はごく短期間ながら竜の魔女陣営で同僚だったので、顔見知りなのだ。
デオンは、生前のサンソンが生前のマリーに死刑執行したのは職務だったし、彼がやらなくても他の者がやったことだからやむを得ないこととして咎める気はないが、今ここでのことはまったく別である。もっとも、デオン自身も狂化したままだったらマリーに攻撃せずにいられる自信はないのだが、それはそれ、これはこれというやつだ。
「デオン!? 竜の魔女の支配から脱したというのか!?」
驚いたサンソンが事情を訊ねてきたが、デオンは無視してさらに近づき、彼の心臓を狙って致命の一閃を繰り出す。サンソンは必死で後ろに跳んで何とか避けた。
デオンはかまわずさらに彼を追って鋭い突きを連打する。サンソンは防戦一方に追い込まれて、しかも技量の差は明らかで手傷が増えるばかりだ。
「ちょっと待て! 君はまさか自力で狂化をはねのけたんじゃあるまいから、誰かに何とかしてもらったんだろう? なら僕にもその人たちを紹介するのが普通じゃないのかい」
サンソンとて好きで竜の魔女に従っているのではない。もし彼女のくびきから解放されたなら、喜んでフランスを守るための戦いの先頭に立つというのに。
しかしデオンは無情だった。
「ああ、貴方がまっとうな人物ならな。しかし今、貴方は王妃を殺すことに喜びを見出していたように見えたが」
「そうだそうだ、イカレ野郎死すべしフォーウ!」
「やはりおまえと僕は相容れないな!?」
音楽家だけに耳は良いのか、しっかり聞きつけてチャチャを入れてきたアマデウスに、サンソンは心底からの恨みをこめて言い返した。
せっかく希望の光が見えたというのに、このままではむざむざ殺されるばかりだ。サンソンはデオンの後ろから10人ほどのサーヴァントの集団が現れたのを見て、多分彼らがデオンを救ったのだろうと判断して直訴する。
「デオンを竜の魔女から解放したのは君たちか? なら僕もそうしてくれないか」
「へ!?」
光己たちから見ると、サンソンはいたって紳士的な印象で、人格的な問題はないように感じられた。先方から頼んでくるくらいならあまりわがままも言わないだろうし、希望通りにしてもよさそうに思えたが、やはりアマデウスが異議を唱える。
「いやいや、そいつは罪もない少女を処刑することに変態的な喜びを感じるヤバい奴だよ!
君たちのことは知らないけど、その黒い男はここで亡き者にしておく方が後くされがなくていいんじゃないかな」
「そういうおまえこそ、人間を平気で汚物扱いする最低の男じゃないか!
君たち、あの口と耳だけは達者な似非音楽家の言うことなど真に受けないでほしい」
サンソンも必死である。何しろここで横槍勢に助ける価値なしとみなされてしまったら、この現界は堕ちた聖女の走狗として無実の人々を殺して回っただけという空しいことになってしまうのだ。何とか彼らを説得せねばと焦っていると、意外にも王妃みずからが口添えしてくれた。
「ええと。アマデウスはああ言ってるけど、サンソンは間違いなくいい人よ。
死刑執行人だったのに死刑反対派で、その執行にもなるべく罪人が苦しまずにすむような方法を考え続けてた人なんだから」
「おぉ……!」
サンソンはまた歓喜に体を震わせた。まさか王妃ともあろう彼女が、今の今まで刃を向けていた処刑人風情を助けようとしてくれるとは!
しかしまたしてもアマデウスが邪魔に入った。
「いやいやそれはまずいだろマリア。奴を仲間にしたら、いつ寝首をかかれるか知れたものじゃないぞ!?」
「失敬な。いくら何でも、助命の口利きをしてくれた人を殺そうとするほど、恩知らずじゃないつもりだぞ!?」
「…………そういえばサンソン。貴方は確か王党派だったと思うんだけど、どうして今私を“処刑”しようとしたのかしら? 貴方に恨まれる覚えはないんだけど、まさかあの時足を踏んでしまったのをまだ怒ってらっしゃるとか?」
するとマリーがきょとんと首をかしげながら訊ねてきたので、サンソンはそれをまだ語っていなかったことに気がついた。
「いやまさか。あの時微笑みかけてくれた貴女の笑顔のまぶしさを、僕は死ぬまで、いや死後の今でもはっきり覚えている。恨みなどあるはずがない。
ただ―――もう1度、あの時より巧く首を刎ねて最高の瞬間を与えられたなら、貴女に許してもらえると思ったんだ」
「…………???」
光己やデオンやアマデウスにはさっぱり理解できない心事だったが、当人はいたって真面目のようだ。マリーを処刑した時に何か特別なことがあったのは確かなようだが。
「でもそれは無用な心配だったみたいだ。だって僕を恨んでいたなら、こんなこと言ってくれるはずがないのだから」
そこまで語ると、サンソンは剣を下ろした。もはやマリーを処刑する気はないという意志表示のようだ。
もっとも彼にまだ狂化がかかっている以上、ちょっとした刺激でも加わればすぐ暴れ出してしまうだろうが。
「とりあえず、この人は助けるってことでいいの?」
光己がデオンに訊ねると、デオンはやれやれといった感じで頷いた。
「……そうだな、王妃がここまで言う以上仕方がない」
「じゃあ俺が近づくのは危ないから、デオンがやり方話してきてくれる?」
「わかった」
ということで、デオンがサンソンに、まず竜の魔女との契約を切ってから、退去になる前にカルデアのマスターと契約すれば現界を続けられる旨を説明する。
「なるほど。しかしそのカルデアのマスターというのは信用できるのか?」
「それは、これだけの人数が彼と行動を共にしていることで察せると思う。何しろ堕ちてないジャンヌ・ダルクや、かの聖マルタまでいるくらいだ」
「なんと」
それなら、少なくともカルデアのマスターがフランスの味方であることは間違いあるまい。サンソンは彼らを信用することにした。
「ただ契約を切るとなれば、貴方は無抵抗とはいくまい。悪いが事前に拘束させてもらうぞ」
「……その通りだな。もう体が勝手に動きかけているが、なるべく力を抜くことにしよう」
「ではいくぞ。フランスの敵殺すべし!」
「君本当に狂化解けてるのか!?」
最終的に、サンソンはフランス関係者は避けて、ワルキューレ2人の睡眠のルーンでおとなしくさせてもらったのだった。
その後光己たちはまずワイバーンとスケルトンを全滅させてから、先に街側の3人に自己紹介だけしてもらっておくことにした。
「さっき何回か名前が出たけど、マリー・アントワネットよ! 生前は王妃をしてたけど、気軽にマリーと呼んでくれるとうれしいわ。ヴィヴ・ラ・フランス!」
「さ、さすがにそういうわけにも」
どこぞのコミュEXならともかく、光己にかの王妃様を名前で呼び捨てする度胸はなかった。
とりあえず、「パンがなければ~~」という有名な台詞は彼女の発言ではないことくらいは知っている。しかし事情がどうあれ、自分を処刑した国の民を守るために戦うとは見上げたものだと思う。
「僕はアマデウス。モーツァルトと言った方が通りはいいかな? 戦闘はともかく、君の人生を飾る事だけは約束しよう!」
「戦闘はともかくって言われると困るけど、とりあえずよろしく」
光己は一応無難に挨拶したが、内心では少々困惑していた。
マリーもそうだがド素人そのものではないか。ヴラドやカーミラと違って吸血鬼とかじゃあるまいし、大丈夫なのだろうか。
しかし最後の1人は武装しているからマシそうである。
「私はゲオルギウスと申します。一応聖人などと称されていますが、竜殺しの経験もありますので、多少はお役に立てるかと」
「へえ、それは頼りになりそうだ。よろしく」
光己は聖ゲオルギウスの名前は知らなかったが、竜殺しが2人になるのは実に心強い。急いで助けに来てよかったというものだった。
カルデア側の個々の紹介は、サンソンとアタランテを仲間にしてからということにして、まずサンソンはすでに合意ができていたのですぐ終わった。しかしアタランテは改めて勧誘しないといけない。
「―――なるほど、マルタやデオンがそちらにいるのはそういうわけか。
私はフランスに特に思い入れはないが、あの女の悪行は止めたいし、子供殺しをさせられた恨みもある。仕返しさせてくれるなら望むところだ」
アタランテはそこで1度言葉を切った。何か懸念があるようだ。
「ただ私は汝たちのことを知らない。いや悪党ではなさそうだが……汝は私に、子供殺しはさせないだろうな?」
「へえ!?」
想像外の質問に光己はちょっと面食らったが、まあ答えは難しくない。
「そうだな。俺は特別に子供好きってほどじゃないけど、子供が自分の意志で竜の魔女の手伝いをするとは思えんし、俺たちが子供を殺す事態にはならないんじゃないかな。
狂化させられてるなら今みたいに助けられるし」
サーヴァントというのは全盛期の姿で召喚されるそうだから、子供の姿で来るケースはあまりないと思うし、仮にあったとしても好きで無差別大量殺人に手を貸す「子供」なんていないだろう。光己はアタランテとの契約に支障があるとは思わなかった。
「それもそうだな。では頼む」
「ああ。それじゃブラダマンテとアストルフォ、破却の方お願い」
「はい!」
「うん!」
―――こうしてカルデア陣営は無事サンソンとアタランテを仲間に加えたが、退去寸前のサーヴァント2騎と立て続けに契約した代償として、光己は大量の魔力を持っていかれて失神したのだった。
なお気を失う直前の台詞は「これだけのことしたんだから、誰かご褒美プリーズ!」というものであったらしい。
これでサーヴァントが合計17騎……邪ンヌ涙目ですな。恨んでる人も多いですし、どうなってしまうのか。