晴信が近くにいることもあって氏真がすぐには動かず様子を見ていると、少年は数歩ほど前に進んだところで足を止めて自己紹介の挨拶をしてきた。
「ドーモ、カルデアのマスターの藤宮光己です」
「なぬ!? あ、ああ、ドーモ、今川義元です」
ただその挨拶は古事記に載っている古式ゆかしいアイサツだったので氏真はちょっとびっくりしたが、アイサツされたら返礼するのは絶対の礼儀なのでとりあえずそうした。シツレイはなかったはずだ。
それが終わると、少年は氏真が先ほど抱いた疑問はすでに察していたようで説明をしてくれた。
「多分この姿に驚いてると思うけど、俺は体は竜になった……だが人間の心は失わなかった
つまりカルデアに来た時は魔術師ですらない一般人だったけど、その後いろいろあってこうなったということね」
「さ、さようか」
ただおそらく詳細をものすごく省略していると思われたが、氏真の立場でそれを聞いても仕方ない。さっき晴信が言った「サーヴァントはマスター次第」というのは、人外だから魔力供給量がとても多いという意味なのだと分かったことで満足した。
それにしてもマスターがサーヴァントの射程範囲に足を踏み入れるとは迂闊な。むろん腕に覚えはあるのだろうし、こちらが不用意に飛び込んだら土方たちが迎え撃つ手筈はできていると思うが、だとしても軽率ではある。
斎藤の報告によれば彼は父義元の実績を挙げた上で褒めたそうだから個人的な恨みはないが、覇道を阻む敵である以上容赦はできない。
しかしその前に、こちらも自己開示はしておくべきだろう。
「―――そう!
この地にて聖杯を手にし、そして余は知った。偉大なる
いや、それが敗者の罪だというのならば、そのような歴史などいらぬ!
この余が破壊し、新たな歴史に我が父、義元の名を刻んでくれようぞ!」
晴信が明かさなかった秘密を、氏真は自分からあっさり明かした。
これは事態がここまで進んだ今もはや彼らに名を
光己の方はその機微を多少は察することができたが、あえてそれには触れず自身の存念だけを氏真に劣らぬ気迫をもって語った。
「加害者が被害者ヅラするのもたいがいにしておけよ外道!
おまえが言う『そのような輩』じゃないはずのこの時代の庶民たちにおまえは一体何をした!?
人狩りをしてた今魔川兵は親を想う子供を罵倒し、暴力を振るって拉致していた。そんな者をつくったおまえに、親子の情を語る資格などあるものか!
強い者は弱い者に何をしてもいい、歴史すら書き換えていいと言うのなら、俺もおまえにそうしてやる」
光己がそこでいったん言葉を切るのと同時に、彼の結膜(白目)が赤く染まる。まさに絶対的強者である赤い竜の力が顕現し、空気が鉛になったような重圧が川中島全域にのしかかった。
「……ッ!? な、何だ!?」
「―――
次の瞬間、光己の姿が消えた。いや足を動かさずに超高速移動したので、氏真は彼が視界の外に出るのを見落としたのだ。
ついで氏真の背中、心臓の裏あたりに激痛が走る。彼に背後を取られた後、あの魔物のような手の指先で刺されたみたいだ。
「ぐうっ……!」
そのまますごい力で後ろに引っ張られ、仰向けに地面に引きずり倒された。
光己が自分の横にしゃがんだと思うと黒い
「うぐっ、こ、こんな……!?」
そればかりか、光己は手指をこちらの胸や腹に無造作に刺し込んでは、子供が潮干狩りでもしているかのような風情でざくざくっと
やがて彼は手指で抉るのに飽きたのか、拳を握って殴ってきた。胸板が割れ、腹が潰れる。
「がふうっ……」
氏真はひどい痛みと脱力感で反撃どころか身動きすらできない。このまま死ぬのか!?という無念と怒りと屈辱の思いが噴き上がったが、どういうわけか光己は氏真にとどめを刺さなかった。なぜか翼の爪を外したと思うと、炎をまとわせた拳の一撃で吹っ飛ばしてきたのだ。
「…………!?」
氏真はそのまま地べたにごろごろ転がされたが、どうにか立ち上がってまずは己の状態を確認する。そして驚くべき事態を認識した。
「ち、父上の霊基がない……!?」
そればかりか体内に入れた者たちの霊基もまったく残っていない。氏真自身の霊基も8割がた失われていた。
そのせいで身体が二回り小さくなり、怪我もあってもはや出せる力はほとんどない。
「バ、バカな……!?」
「…………よし、こんなところか。パワーオフパワーオフ。
しかしやっぱ破壊衝動キツいな。これも濫用は禁止……ってそんなんばっかだな俺」
一方光己はそんなことを言いながら、やるつもりだったことはやり終えたのか赤い竜パワーを停止させた。
結膜が元の白色に戻り、あたりに満ちていた重圧も消える。
先ほどの氏真への攻撃は見た目かなり残酷なものだったが、それはこの破壊衝動によるものだったようだ。
「なんでとどめ刺さなかったか疑問に思ってるだろうけど、見せるものがあったからだな。
まずはこれね」
そう言った光己が両手に持っているのは、金色の杯と日本刀だった。いうまでもなく聖杯、そして義元の愛刀だった「左文字」である。
さらに氏真の肩の上にあった
その4件を「蔵」に収納してから氏真に通告する。
「これで仮におまえが俺を殺しても、おまえの宝物と武器は返って来なくなった。
次はこの人たちね」
光己がそう言って黒い翼をはためかせると、そこから若い女と壮年の男が現れた。
吸い取りはしても、消化はせず残していたようだ。
「ま、魔王信長に雑賀孫市……!? まさか本当に吸い取ったのか」
「おお、本当にサーヴァントを生きたまま体内に入れておけたのか。謙信に真名看破してもらった時は半信半疑だったけど」
リリス&メタトロンとの契約で魔力を感知できるようになったからこその救出劇である。
信長と孫市は人造義元の素体にされたという話だったが、丸ごと使われたわけではないようだ。かなり弱っているので戦闘は難しそうだが。
なお霊基は他にも大勢いたが、この2人以外は意識や精神や個性といったものがすでに消失してただの魔力塊になっており、真名看破の対象にならず救出も無理だった。
「義元
……というわけで、弱い者や奪われる側の気持ちは理解できたか? おまえもこの時代の教養人なら、因果応報という言葉は知ってるだろ」
「き、
氏真は光己の行為と侮辱的な物言いに激怒したが、しかしもはやなす術はなかった。
実は最後の手段として、体内に集め続けた数多の霊基の魔力を一息に解放して自爆し、この世界の歴史ごと全てを燃やすという策があったのだが、その霊基を全部奪われたので本当に打つ手がないのだ。
「あと義元公の扱いの件だけど、それはある程度仕方ないんだ。
その人や物事を全部知ってるのでなければ批評するなとか、誰かが不愉快に思うようなことは言うなとか、そんなこと言ってたら誰も何も言えなくなるから。
そんなのは皆が不幸な抑圧社会だし、歴史を残すことができないから人類の進歩や発展もない。
もちろん何事にも限度やバランスはあると思うけど。
―――かく言う俺も地球と人理を救っても史書には残らんし大した恩賞も出ないどころか、俺の方が現場の経費出してる身だけど文句つける気はないからな。人のことを言う資格はある」
「…………」
光己の長台詞を氏真は理解しているのかしていないのか、同意しているのかいないのかは不明だが、最後まで動かず黙って聞いていた。
そして言いたいことを言い終えた光己が氏真にとどめを刺す、いや先日斎藤に言づけした通り地獄を味わわせるべく手をかざす。
「これで終わりだ!」
その掌から強烈な硫黄弾がいくつも飛び出す。氏真は避ける力もなく立ちすくんでいたが、その真ん前に伊東が飛び出して代わりに弾を受けた。
おかげで氏真は無事で済んだが、伊東自身は半死半生の重傷である。
「ぐううっ……人外だけあってすごい威力ですね。しかもひどい腐卵臭が……何なんですこれ?」
光己はこうなってなお伊東が飄々とした態度を崩さないことにちょっと驚きつつ、とりあえず質問に答えた。
「その魔力弾には硫黄の属性があってね。さっきの炎と合わせることで『
「切支丹の地獄、ですか……ハイカラな趣味をお持ちですな。
しかしまだ負けてはいません。この傷はちょうどいい、さあ
なんと伊東はただ氏真をかばっただけではなく、あえて痛手を受けることで氏真が自分を吸収できるようにしたのだ。
氏真としては伊東を放っておいても光己の次の攻撃で退去になるだけであり、それなら彼の申し出に応じる方がずっといい。
「うむ、役目大儀であった、甲子太……何ッ!?」
しかし2人の策は完遂できなかった。伊東を追ってきた蛍が炸裂弾を撃って、伊東を氏真の前から吹き飛ばしたのだ。
「ぐううっ……ああ、そういえば君がいましたね。状況が状況なのでうっかりしてました。
ほんと誰にでもつくんだから、雑賀は」
「関係ない人を大勢巻き込んだ貴方たちに言われる筋合いはない。
ところで聞きたいことがある。孫市は雑賀の再興を願っていたはずなのに、なぜ貴方たちは彼を素体にしたり吸収したりしたの」
倒れた伊東に蛍が駆け寄り、銃口を突きつけながら訊ねる。
といってもなかばダメ元ではあったが、意外にも伊東は素直に答えてくれた。
「だってしょうがないでしょう。孫市さんの名誉挽回も、雑賀の再興も、僕たちの歴史の中で成そうと言ったのに、あの男、なんて言ったと思います?
―――弱い者の為に戦う、だよ」
「孫市が……そう言ったの……?」
蛍はちょっと驚いた。雑賀全体の名誉や再興よりも「己の雑賀」を貫く方を選ぶとは。
「強き国を目指す我々とは相容れない男でしたので、武田との戦いで傷ついたところを始末させてもらいました。
で、どうです復讐? やってみたら気持ちいいでしょう? いえ孫市さんは戻ってきたみたいですが」
「…………いっしょにしないで。復讐は何も生まない、と私個人は思ってる。
でもそれはそれとして、傭兵集団の頭領が仇を目の前にして何もしないんじゃ仕事に差しつかえるから撃つけど」
「あははは、それはそれは……。
その歳で公私の区別をつけて公を優先するとは、頭領として少しは成長したようですね。
……氏真様の覇道を実現することはかないませんでしたが、忠義を貫くことはできましたから良しとしておきますか。ええ、あの連中とは違っ……ん?」
「―――!」
伊東がそこまで語った時、2人は何者かが近づいて来る気配を感じた。
はっとそちらを見ると、服部が駆け寄って来ているではないか。主君と先生の危機に気づいて援護に来たのだ。
刀傷がいくつかあるが、鎧のおかげで浅手で済んでいるらしく動きに乱れはない。
蛍は銃術より体術の方が向いてると言われた身だが、さすがに服部と接近戦をするのは無謀である。いったん後ろに跳んで伊東と距離を取ると同時に、服部にはちょうど
「ぐっ!」
服部は全速力で駆けていたので銃弾は避けられず、まともに腹に当たってがくりとよろめく。
そこに追いかけてきた斎藤が後ろから斬りつけると、服部はやむを得ず足を止め振り向いて刀で受けた。そこに永倉も追ってきて、2対1の形になる。
一方伊東はどうにか立ち上がったが、こちらには土方と沖田がとどめを刺しに向かった。
「よし、今度こそ!」
ほぼ勝勢となったが、光己は傍観はせず今一度とどめの硫黄弾を氏真に向けて飛ばした。今度はかばう者はいないから終わるだろう―――という予想は別に慢心ではなくいたって順当なものだったが氏真はなお屈せず、獅子吼して拳を振るい5発もの硫黄弾をすべて払いのけた。
「おおっ!? なんて気迫だ」
「おおおおおっ!!」
とはいえここで光己に襲いかかるほど蛮勇ではなく、向かったのは土方と沖田の方である。もはや得物はないが、それでも腕を横薙ぎに振るうと紫色の大きな炎が飛んで、2人にわりと痛めな火傷を負わせいったん退がらせた。
「あつつつ……まだ戦えるなんてすごい根性ですねえ」
「しかしあれは魔力というより霊基自体を吐き出してるな。あと1回か2回が限度だろう」
「なるほど、でもそれを受ける必要はありませんよね。ここは沖田さんにお任せを、光子ミサイル斉射三連!」
しかし水着沖田には飛び道具があり、無理に近づかずとも攻撃できる。氏真を狙うと見せて伊東を襲ったそのミサイルを、氏真はやはり拳で打ち払ったがそれで両腕が潰れてしまった。
「ぐうっ……もはやこれまでか」
「氏真様、僕などのために……!?」
「いや、ただの意地よ。その方が気にすることはない。
しかしやはり、余は愚かな跡取りだったか。だが最後まで尽くしてくれた忠臣がいたことだけは誇りにしよう。
…………もはや言の葉を紡ぐ力もなくなったか。さらばだ」
その別れの言葉は伊東と服部に言ったのか、それとも光己や晴信たちに向けたものかは分からなかったが、氏真は思いのほか穏やかな表情で光の粒子になり現世から消えていった。
「氏真様……。
では僕ももう限界ですし、後を追うとしましょう。主君の理想のために主君と共に戦い、主君と共に死す……新選組の連中がやらなかったこの忠義を貫くのが僕の復讐ですから。
あとは君たちが好きにしたらいい」
ついで伊東も消えていく。
服部はまだ余力がありそうに見えたが、実は無理をしていたようで姿がだんだん薄れていた。
「私も最後まで伊東先生にお供致します。
永倉君、沖田君、斎藤君……正面から君たちと剣を交えられて、私も満足だ。
新選組最強を決めるのはまたの機会……いや、もう会うことはないでしょう。おさらばです」
そしてそう言い終えると同時に退去して、この特異点の戦いは終わったのだった。
……いや正確にはまだ今魔川兵が大勢残っているのだが、そちらはサーヴァントの仕事ではないということかカルデア・武田側のサーヴァントの退去も始まった。
まずはすでに弱っていたからか孫市の姿が薄れ始め、蛍が慌ててその正面に駆け寄る。
「蛍か、俺が知っているおまえよりは成長したように見えるが、まだ迷いがありそうだな」
「うん、『私の雑賀』はまだ見つかってない……だからこれから、マスターと一緒に探しに行く」
「そうか、ならもう俺が言うことは何もない。元気でな」
「うん、ありがとう」
こうして身内との別れの挨拶を終えた孫市が退去し、同時に魔王信長も消えようとしていたが―――そこに何者かが息せき切って駆け込んできた。
大方の予想通り、信長を仇としている杉谷である。
「何か変な予感がしたから急いで来たが……。
おまえ、信長だろ! 俺が知ってる信長じゃないが、間違いなく信長だ!」
見知らぬ者にいきなりケンカ腰で詰め寄られて信長は当惑したが、とりあえず返事をすることにした。
「そうだが……この魔王信長をおまえ呼ばわりする貴様は一体何者だ?」
「ああ、この姿じゃそっちは分からねえか。じゃあ杉谷善住坊という名に覚えはあるか?」
「杉谷……? ああ、確か我を狙撃するのに失敗した上に捕まった愚か者がそんな名だったな。
逆恨みして復讐しに来たとでもいうのか?」
「おう、ご名答だ!
お互いもう時間はなさそうだが、そうなる前に決めてやるぜ」
「ふははははは、面白い! 返り討ちにしてくれるわ!」
というわけで杉谷と信長はお互い銃を持ち出して撃ち合いを始めたが、他の人に流れ弾が飛ばないようにはしている様子なので止める必要はないだろう……。
「あトは私が見てルから、気にセず挨拶の続きしテて。
……今川ヨりそちラの方が居心地は良カった。ありがトう」
杉谷の仲間の果心もそう言ってくれたので、光己は厚意に甘えることにした。
「うん、こちらこそありがとう。杉谷さんにもよろしく」
と彼女にも挨拶したら、次は新選組の一同である。
「新選組の皆さんにも大変お世話になりました。またお会いしましょう。
特に沖田さんには会うたびに助けてもらって本当に感謝してる」
「いえそんな、私の方こそ良くしてもらってばかりで何てお礼言っていいやら。
また一緒に戦いましょう!」
「まあどう考えても世話になったのはこちらだよねえ。
また会った時はこちらこそヨロシク。敵になるのは嫌すぎるしね……」
「クカカカカ、まったくだな!
今度会ったら酒……はいかんか。鰻でも食うとしようや」
「……まあそんなところか。また会おう。
新選組、引き上げだ!」
引き上げの時も気合いが入りまくった土方の音頭で新選組も退去したら、カルデア勢以外で残っているのは晴信だけである。
「……思い返せばずいぶん長いこと
おまえにはいろいろ驚かされたが、世話になったな。前にも言ったが恩は忘れん。
また会った時は力になろう」
「はい、その時はよろしくお願いします」
そして晴信も退去すると、カルデア勢も退去が始まった。
そこでふと光己が何かを思い出したように顔を上げ、指揮車の上に跳び乗る。波紋を出して、置いてあった
それが済むとまた跳び下りて、近くにいたちびノブにこの旨を話す。
「戦勝祝いに恩賞追加しといたから皆で分けて。ただしケンカはしないようにね」
「おおー、御大将太っ腹ノブー!!
箱根のガレージハウスが現実になるノッブ!」
そのちびノブが大喜びでぴょんぴょん飛び跳ねながら仲間にこの朗報を広めて回る微笑ましい姿に光己は小さく笑うと、改めてサーヴァントたちに向かい合った。
「それじゃ俺たちも引き上げだな。みんなお疲れさま。
カルデアに着いた時は俺の部屋のベッドの上だったケースがあって、今回もそうなるかも知れないけど、俺の意図じゃないから
「つまり無意識の内に
やっぱりマスターのセクハラは並みじゃないね!」
「違うわ!」
……こうして最後は彼らしい(?)締まらない雰囲気でカルデア本部に帰還したのだった。
杉谷(と果心)が思ったより活躍というか、話の展開にかみ合ったのに我ながらびっくりでした。
あと晴信と新選組勢は仮契約でしたのでカルデアには来ませんです。性格面の相性もありますし、このくらいの流れが順当かなと。
ではまた次回に。感想、評価お待ちしてます。