黒ジャンヌはマルタにしばかれて気絶した後、気がついた時は強化ワイヤーで縛られて、身動き取れなくされていた。ヴラドとカーミラもあえなく敗れて退去しており、ここにいる竜の魔女勢は、もはや黒ジャンヌただ1人である。
「汝が気絶している間に身体検査させてもらったが、聖杯はみつからなかった。どこにある?」
直球で訊ねてきたアタランテに、邪ンヌはとりあえず思ったことを述べた。
「人が気絶してる間に身体検査!? 貴女って本当に最低の(ry」
「ふんッ!」
「あだぁ!?」
脳天を思い切りどつかれて、邪ンヌは泣きそうな悲鳴をあげた。
「何するのよいきなり!?」
「さっき言ったろう、子供たちの痛みと無念を晴らすと。まだまだ序の口だぞ」
「ぐぬぬ」
邪ンヌはその存在理由的に「復讐」とか「仕返し」といった類の単語には弱い。これ以上抗議する言葉を思いつけなかった。
しかし虜囚の憂き目というのもまた、彼女のトラウマをえぐる辛い状況である。が、まだ逆転の目はあった。
「フン、大きな顔してられるのも今のうちよ。こちらには竜がいる。この前は不意打ちくらって退却したけど、いずれは貴女たちも喰いつくされる運命なんだから」
「それは怖いな。で、その竜とやらはどこにいるんだ?」
「そりゃもうこの辺一帯に……一帯に……あれ?」
空のどこを見ても、竜の姿は見当たらない。まさか?
「馬鹿な、まさかファヴニールが人間に、サーヴァント風情に倒されたというの?」
「何をいまさら。もともとあの邪竜は、最後は人間に殺されていたではないか」
「……ッ、竜殺し……!」
そういえばリヨンにはジークフリートがいた。呪いで死ぬか無力化したと思っていたが、力を取り戻してこの集団に参加していたというわけか。
「た、確かに竜は全滅したみたいね。でもまだオルレアンにジルが残ってる。彼が来れば何とかしてくれるはずだわ」
「ああ、そうだな。こちらにもルーラーがいるから、奴が動いたらすぐ探知できるし、そうしたら来る途中で私がハリネズミにしてやろう。奴には蛸の化け物でいたぶられた借りがあるからな。
それでもここまで来られたら、汝を人質にして『自害せよ、キャスター』する手もある」
「うぐぐ」
邪ンヌがだらだらと脂汗を流しながらうめく。これはもう詰んだのではあるまいか。
「くっ、殺せ!」
「ヨロコンデー!」
邪ンヌがなかばヤケになって叫ぶと、真後ろに黒い服の男が現れた。
「アサシン!? 貴方まであっちについてたの」
「ああ、貴女にとっては迷惑なことだろうけど。
でもその代わり、最高の死を贈るよ」
「そりゃ、貴方なら痛みは1番少ないんだろうけど!」
邪ンヌはもう1度叫んだ。
「でもギロチンとかって、何となく負けたような気がするのよね」
「無痛性より名誉が望みなら、かの黄金の国ジパングに伝わるハラキリというのもあるが……。
自ら短刀を持って、腹を横一文字に切り裂くんだ」
「そんなことしたら痛いじゃないの!!」
邪ンヌは咆哮した。何のために、そんな考えただけで痛そうなことをするのか!?
「自分の行為の責任をみずから取るということだそうだよ。とはいえ君の言う通り痛いから、勇気を示す意味合いもあるんだろうね。
さすがはモンゴル帝国を2度も撃退した、サムライ・ニンジャ・フジヤマ・ゲイシャの国だ」
「私ジパングのことはよく知らないけど、後の2つは違うんじゃないかしら」
邪ンヌは冷静にツッコミを入れたが、それはそれとして状況はやはりよろしくない。ここから一発逆転を狙うには、サンソンたちと契約したらしいマスターを不意打ちして殺すしかないのだが、彼らもそれは分かっているようで、マスターらしき人物は彼女の視界内には見当たらない。
いよいよもって打つ手なしのようだ。
「むぎぎ……」
「うめいてる暇があったらさっさと聖杯のありかを吐け。時間稼ぎしても無駄だとわかったろう」
アタランテがそう言って割り込んだが、邪ンヌはなかなかしぶとかった。
「フン、そう簡単に言ってたまるものですか。私を誰だと思ってるの?」
「むう」
生前のジャンヌ・ダルクは、あのイカサマ異端審問を何ヶ月も耐え抜いた精神力と弁論術を持っていた。なるほど、生半可な尋問で白状するとは思えないが、本格的な拷問をするのはマスターとマシュの精神衛生的によろしくない。
一方デオンは油断なく黒ジャンヌの動きを見張りつつ、ちょっと考え事をしていた。
(……確かに彼女は聖杯を持っていなかった。しかし、圧倒的多数のサーヴァントと戦うのに、聖杯を置いてくるなんてことがあり得るのか?)
体内に収納している可能性も考えてカルデアも調べたが、聖杯の反応はなかった。まさか忘れてくるほど迂闊とも思えないのだが。
(それにさっきの白いジャンヌとの会話、あれは竜の魔女に幼少の頃の記憶はないということか? つまり、竜の魔女は白いジャンヌの別側面とか、そういう者ではないということになるな)
その辺から考えられるのは、彼女は通常のサーヴァントではなく、他者が所有する聖杯で創造された者ではないかということだ。動機を持つ者ならいる。
この場合、聖杯は竜の魔女自身ということになるから、彼女が聖杯を「持って」いないのは当然だし、カルデアが「聖杯」はないと思ってもおかしくない。
ただこの想像が当たっていた場合、ジルは自分好みにゆがめた脳内設定彼女をマジックアイテムで作り出したというかなり痛い奴になってしまうのだが……。
(いや、あいつは素で狂気ぽかったから、本当にそうかも知れないな。
だとしたら、この娘には少々哀れを覚えるが)
もしそうだとしたら、黒ジャンヌの復讐心はジルに植え付けられた偽物、いわばデオンたちが仕込まれた狂化と同じで、彼女も被害者ということになるのだから。
これらはすべて推測に過ぎないが、もしこの仮説が事実だと証明できれば、黒ジャンヌが戦意をなくして味方にできる可能性がある。もっとも黒ジャンヌが聖杯そのものだというなら、彼女から聖杯だけ分離させるなんてことはできないので、カルデアが聖杯を持ち帰るには結局殺すしかないわけで。
(だからジャンヌも言わずにいたのか。どんな残酷な事実でも、知らないよりは知った方がマシという考え方もあるが、その後すぐ殺されるだけというのではな)
ならば被害者を人質や盾にするのはさすがに非人道的だし、それこそサンソンに頼んで楽に逝かせてやるべきかとも思ったが、それを口にする前にデオンはまた思い直した。
(……いや。私や王妃や音楽家や処刑人には無理でも、戦乙女や聖騎士になら、何か手立てがあるかも)
デオンはジークフリートを呼んで見張り役交代を頼むと、オルトリンデのそばに行って、小声でこの仮説を説明して処方を求めた。
「―――なるほど。そういうことでしたら、聖杯の所有権を奪えば万事解決すると思います」
「ああ、その手があったか!」
実に単純明快なアイデアに、デオンは目から鱗だった。なるほど、聖杯に黒ジャンヌを残したまま分離するよう命じればあっさり片がつく。
ただその前提となる聖杯の所有権は、ジルを討てば確実に奪えるが、それだとすぐに特異点修正が始まってしまって間に合わなくなる恐れがあるが、どうしたものだろうか。
「そうですね。あなたの仮説が正しければ、聖杯は今ここにあるわけですから、竜の魔女を気絶させた上でマスターが所有権を主張すれば通るでしょう」
通常の聖杯戦争では、最後に残ったマスターとサーヴァントが聖杯の所有権を得るが、ここでは戦いが始まる前から(おそらく)ジルが所有者だった。しかしその権利は絶対のものではないだろうから、ジルがこの場にいない状況で、他のマスターが手中にすれば所有権も移るはずだ。
「そうだな。失敗しても実害はないし、試してみるか」
そうと決まれば善は急げだ。デオンはまず話を聞かれないよう黒ジャンヌの後頭部をどついて気絶させてから、おもむろに皆に仮説と講和案を話す。
するとジャンヌが仮説には同意したが、講和案にはやはり乗り気でないようだった。
「確かにそれは可能かも知れませんが、自身が作り物の贋作に過ぎなかったという、無用の苦しみを与えるだけなのでは……」
「その通りだが、それを知ってこそ、彼女はジルの操り人形から脱することができるわけだからな。この特異点を修正するまでのわずかな時間に過ぎないが、それでも意義があることだと思う。
というか講和しないなら盾だしな」
「…………そうですね」
デオンの最後の台詞でジャンヌは折れた。
対ジル戦における邪ンヌシールドの有効性は明らかなので、それをさせないためには彼女に味方か、せめて中立になってもらう必要がある。それには彼女のフランスへの復讐心が他人のものだったという事実を教える他なく、要は二者択一でそっちを選んだのだった。
他に反対する者はなく、さしあたって聖杯を奪うところまではどちらに転んでも問題ないので、試してみることにする。
光己は横たわった黒ジャンヌの傍らに膝をついて、おごそかに「聖杯」に命令した。
「―――聖杯よ! 竜の魔女、この黒いジャンヌの霊基を維持したまま分離しろ!」
すると一瞬黒ジャンヌの身体が光ったかと思うと、その胸元から金色に輝く杯がゆっくりと浮き上がってきた。ひよっこの光己にも感じられるこの重厚な存在感、間違いなく聖杯だ!
「おお、本当に出てきた……つまり竜の魔女はマジで作り物だったってことか。確かにちょっと可哀そうだな。まあやることはやるけど」
光己はさっそく聖杯を手に取ったが、この後竜の魔女に見せねばならないので、ひとまずそのまま持っていた。
そしてジークフリートが黒ジャンヌに気つけをすると、少女はふっと目を開けて上体を起こした。
「って、何か後頭部が痛い? いきなり何したのよ」
「ああ、ちょっとやることがあったのでな。まずはこれを見てもらおうか」
「!?」
デオンが光己に借りた聖杯を見せると、黒ジャンヌは反射的に奪い取ろうとして身を乗り出したが、後ろからジークフリートに両肩をつかまれていたので動けなかった。
「ちょっと、それどこから持って来たのよ」
「貴女の体の中から抜き取った。そういえば理解できるか?」
「な……!?」
黒ジャンヌが茫然と目を白黒させる。なるほど彼女は聖杯を持って来なかったし、デオンたちがオルレアンまで行って奪ってきたとも思えないから、それしかないのは理解できるが……。
「何で、そうなるのよ」
しかし納得はできない。もう1度問い直すと、デオンは噛んで含めるように懇切に説明してくれた。
「これは推測になるが、おそらくジルは、最初は普通に聖杯でジャンヌを生き返らせようとしたんじゃないかな。しかし、聖杯は万能ではあっても全能ではない。死者の復活はできなかったから、それで改めてフランスへの復讐を誓って、『フランスを憎むジャンヌ』をつくったんだろう。
証拠はこの聖杯と、貴女に昔の記憶がないこと。そしてこちらの白いジャンヌに復讐の意志がないことだ」
「………………………………」
重い沈黙がたゆたう。
黒ジャンヌにはデオンの推測を否定できる根拠がなかったのだ。
「私が……作り物? 私が残り滓と言ったそっちこそが本物で、私は記憶と復讐心を植え付けられただけの人形、贋作……!?」
黒ジャンヌは悔しさと虚無感に体を震わせ、ぎりっと歯を噛み鳴らした。
やがてデオンに今一度質問を投げかける。
「それで、なぜそれを私に教えたの? 私がこうして悔しがるのを見て溜飲を下げるため?」
「いや。貴女の復讐心が他人に仕込まれたものなら、貴女も被害者だからな、そんな悪趣味なことはしないよ。
ただ、貴女の復讐心は貴女のものではないということを知った上で、貴女はどうするのか。それを自分で決めた時、貴女は人形や贋作ではなく『人間』になるのだと思う」
「…………」
黒ジャンヌはまたしばらく押し黙ったが、やがて重い口を開いた。
「もし私がそれでも貴女たちと戦うと言ったらどうするの?」
「それなら仕方ない。縛ったままジル相手の盾に使って、用がすんだらバッサリだな」
「それじゃ選択の余地ないじゃないの!!!」
邪ンヌは吠えた。これは贋作だろうが何だろうが当然の権利だと思う。
しかし目の前の剣士には軽くいなされた。
「まあそう怒るな、別に私たちの味方になれと言ってるわけじゃないんだ。
中立、つまりこの戦いから手を引くというのでもいいんだよ。むろん私たちと一緒にオルレアンまで来て顛末を見届けてもいいし、どこかに立ち去ってもいい。
ただしこちらには
「………………」
そう言われて黒ジャンヌはまた考え込んだ。
嘘はNGというのなら、ここからは全部本音でということになる。果たして自分は本音ではどうしたいのか?
「……そうね、それじゃ中立にするわ。今更貴女たちの味方になる気はしないけど、盾になるのは嫌だし、仕込まれた復讐心に乗せられっ放しなんてのも癪だしね。
でもジルには言いたいことがあるから、オルレアンにはついてくわ。それが終わったら手を引く。
まあ18対1で聖杯も取られたんじゃ、どうあがいても勝ち目ないでしょうけど」
黒ジャンヌの最終的な結論はこういうものだった。デオンが清姫を顧みて真偽を訊ねる。
「どうかな、清姫」
「そうですわね、これは信じていいと思います」
清姫はファヴニールとの戦いでかなりの火傷を負っていたが、ヒルドのルーン魔術による治癒ですでに復帰していた。がんばったので旦那様に褒めてほしいと思っているが、まだ戦闘が終わったとはいえないので自制中である。
「そうか、ならワイヤーをほどくとしよう。マスターもみんなもそれでいいかな?」
「うん、いいんじゃないかな」
光己が黒ジャンヌと清姫の言葉を信じて承知すると、デオンは黒ジャンヌを縛っていたワイヤーをほどいて自由の身にした。
むろん自由になったからといって黒ジャンヌが暴れ出すことはなく、カルデア一行はいよいよ最後の戦いに赴くのだった。
デオン大活躍! そして邪ンヌとジルはどうなるのか!?