幸い危惧されたサーヴァントや怪物による襲撃はなく、光己たちは無事翌日の朝を迎えることができた。
街はまだ燃えているが、さすがに火勢はだいぶ衰えている。空は灰色の厚い雲に覆われているが、すぐ雨が降る様子はなさそうに見えた。
これなら予定通り街の調査ができそうである。
「先輩、お体は大丈夫ですか?」
「ああ、もうバッチリだよ。これでもう迷惑かけずにすむ」
あとは朝食をとったら出発だ。家を出るときに一宿二飯の礼を言ってから、燃える街の中に足を踏み出す。
目当ては聖杯戦争に参加しているだろう正規サーヴァントだけだ。それ以外のシャドウサーヴァントや骸骨は回避しつつ、といって特に何か目星がついているわけではないので適当に歩いて回る―――より前に、高い建物の上から周囲の様子を見ておくことを思いついた。
「では私が!」
するとブラダマンテが元気よく立候補して、光己が返事するより早く野生の猿や猫も顔負けの身軽さで民家の塀や屋根を跳び伝って、5階建てくらいのマンションの屋上まで到達する。
おそらく、即位前とはいえアーサー王に斥候の真似事はさせられないという意向だろう。
「おお、サーヴァントってやっぱすごいな……」
その様子を見て光己はいたく感心した。
オリンピックの体操選手でもこんな芸当はとてもできないだろう。ブラダマンテが生前からこれほどの身体能力を持っていたのか、それともサーヴァントになることで強くなったのかは失礼になりそうなので聞けないが。
「しかし敵もこれくらい速いんだとしたら、サポートするのも難しいかも知れないな」
まあ制服の機能は味方を援護するものばかりなので問題はないのだが。うかつに敵サーヴァントを直接攻撃するようなマネをして目をつけられたら怖いし!
などと光己がチキン、いやお互いの戦力差を見れば残念ながら当然のことを考えていると、やがて少女騎士が慌てて戻って来た。
「大変です! ちょっと先でサーヴァントとシャドウサーヴァントが戦っているようです。
遠目なのでさだかではありませんが、動きの速さを見る限り一般人や並みの怪物とは思えません」
「マジで!?」
それなら急いで駆けつけねばならない。4人はブラダマンテを先頭に、脚力が常人並みである光己はマシュが抱っこして現地に走る。
そこはちょっと広めの駐車場だった。まだ戦いは続いていたがさいわい4人の接近はまだ気づかれていないようなので、いきなり割って入らず少し観察することにする。
「うーん、あれは確かにシャドウサーヴァントだな……」
大柄な女性とおぼしき体形の黒い影が、白い服を着た桃色の髪の少女と戦っていた。白服の少女の後ろにはもう1人少女がいて、こちらは戦えないらしく座り込んで震えながら何か繰り言を並べていた。
白服の少女は右手に白く輝く槍を持ち、左前腕に丸い盾をつけている。頭の上に髪と同じ色の羽根飾りのようなものを付け、ノースリーブの上衣の上に白いショールを羽織っているのはいいが、下腹部の辺りになぜかくり抜きがあって素肌を出している上に、スカートのスリットがやたら深く広くて太腿がかなり見えている。
見た感じ、元気で明るいはつらつとしたタイプのようだ。
「おお、これはまた可愛い……てか出会うサーヴァントがみんな美少女ばかりとなると、聖杯戦争はミスコンだっていう俺の想像が現実味を帯びてきたな。
あの服からして『ピンクは淫乱』が当たってそうだしできれば仲間にしたいけど」
「先輩、初対面のサーヴァントにそんなこと言ったら殺されますよ……!?」
「いや聞こえるようには言わないって」
それはそうとシャドウサーヴァントも見ないといけない。得物は両手に持った短剣だが、よく見ると柄が長い鎖でつながっていた。普通に戦うと白服の少女より間合いが狭いためか、近づかずに短剣を鎖鎌のように使って中距離からの投擲で戦っている。
白服の少女は背後に戦えない者をかばっているため、うかつに動けず防戦一方だった。いや時々槍の先端からビームを打ち出して反撃しているが、シャドウサーヴァントはなかなか身軽でうまく避けている。
さしあたって、今すぐ勝負がつく気配はなさそうだ。
……ビームが当たった建物は大きな穴が空いていたが、そこは見て見ぬフリすることにした。
「真面目な話、悪い娘には見えないけど、助けたからって共闘できるとは限らんしな。さてどうするか……」
「後ろにいる女性はマスターなのか、それとも通りすがりの一般人……って、あれ所長じゃないですか!?」
「mjd!?」
両手で頭を抱えて座り込むかりちゅまポーズだったから考えもしなかったが、体格や髪型や服装は昨日カルデアの社屋(?)で会ったオルガマリー・アニムスフィア所長だ。あの時は説明会で居眠りしたとはいえ、大勢の前で平手打ちするというパワハラをしてくれたからよほどの強面だと光己は思っていたが、どうやらあれは若くして大組織のトップになったという重圧に押しつぶされないための強がりだったようだ。
「じゃあ助けにゃならんな。リリィにブラダマンテ、頼む!」
「はい!」
少女騎士2人が頷いて横から戦いに加わると、シャドウサーヴァントはすぐそれに気づいて機敏に対処した。
「こっちの味方には見えませんね。4対1では処置なしです」
なんと一太刀も刃を交えずあっさり逃げ出したのだ。しかしそうは問屋ならぬ白服の少女が卸さなかった。
「今さら逃がさないわよ!?」
こうもあっさり逃げるからには、逆に隙を見せたらまたいつ襲ってくるかも知れない。少女が追いかけたのは当然だったが、まさか翼もなしに空を飛ぶとはその場に全員にとって意外だった。
逆にシャドウサーヴァントの方は塀や屋根を伝って逃げようとしたものの、空中にいる間は軌道や速度を変えられないので、少女が背後を取るのは容易なことである。それでも用心深く槍の間合いには入らず、ビームを背中にぶつけて撃ち落とした。
「ぐうっ!」
シャドウサーヴァントがアスファルトの路面に落ちて、鞠のようにバウンドする。いくらサーヴァントが強靭でもこれは効いただろう。
光己はこの新しい戦況にすぐ反応して次の指示を出した。相手はアーサー王やシャルルマーニュ十二勇士だが、作戦は俺がどげんかせんといかん!という使命感はまだ残っているのだ。
「リリィとブラダマンテはこのまま奴を倒して! 俺とマシュは所長のカバーだ」
「はい!」
実際シャドウサーヴァントは何とか立ち上がると、ここから逃れる最も確実な方法―――回れ右してオルガマリーを人質に取ろうとしたが、それより早くマシュが盾をかざして立ちはだかったため断念して90度曲がると普通に走って脱出を図る。
しかしダメージのためあまり速くは走れず、結局追いつかれて3人がかりで倒されてしまったのだった。
その間に光己とマシュはオルガマリー(と思われる女性)と接触していた。
女性はやはり2人が知るカルデア所長だったが、2人の顔を見ると、いや黒い影がいなくなって安全になったと判断するといきなり怒り出した。
「なんでもっと早く来なかったのよ! あれからもう一晩たってるのよ。レフならもっと手際よくしてるわ」
「レフってあの緑の服のもじゃ髪の人? でもここにいるのは俺とマシュだけでしょ」
「ぐ」
所長たる者が素人の一般枠の新人ごときに抗弁されてしまったが、レフ・ライノールがここにいなくて連絡もないのは事実なので反論できなかった。やむを得ず話題を変える。
「まったく、何なのよアイツら!? なんだって私がこんな目に遭わなくちゃいけないの!?」
「むしろ俺の方が被害者なんですけど……」
光己はもう1度抗弁してみたが、オルガマリーの耳には入っていないようだった。
「でもどうして来たのがレフでもAチームでもない、数合わせの貴方なの? 部屋にいろって言ったはずよね。それにマシュ、貴女サーヴァントの力を出せてるわね? あとあの2人もサーヴァントみたいだけどどういうことなの? ……ってその手の令呪、まさか貴方がマスターなの? 私にさえ適性がなかったのに素人の貴方が? まさかマシュに乱暴したわけじゃないでしょうね? どうしてどうして、説明しなさい」
オルガマリーはいろいろとため込んでいたのか、光己の胸元をつかんで堰を切ったようにしゃくり始めた。目の端に小さな涙の粒が浮かんでいる。
よほど怖かったのだろうか、ずいぶんと情緒不安定になっているようだ。
「所長、落ち着いて下さい」
みかねたマシュが割って入って2人を引き剥がしたが、その時マシュはオルガマリーの右手の甲にも令呪があることに気がついた。
「あれ、所長? 今マスター適性はなかったって……」
「ええ、『なかった』わ。それについては話したくないから、あのサーヴァントに聞いてちょうだい」
オルガマリーにとって、マスター適性があってサーヴァント契約ができるのは喜ばしいことのはずなのに、なぜか少女はうつむいて口を閉ざしてしまった。仕方なく、光己とマシュはリリィたちが戻って来るのを待って、白服の少女に声をかける。
「いや、その前に自己紹介だよな。俺はアニムスフィア所長の部下の藤宮光己」
「マシュ・キリエライトと申します。よろしくお願いします」
「ミツキにマシュね。あたしはワルキューレ、個体名ヒルドだよ。よろしくね」
「ワルキューレ……北欧の戦乙女だよな。ゲームで有め……げふんげふん。勇士の魂をヴァルハラに招くんだっけ」
「うん、そのワルキューレだよ。遠い外国の人なのに知っててくれてうれしいな」
ヒルドは外見の印象通り、快活で親しみやすい娘だった。光己はさっそくオルガマリーの件……の前に、ワンクッション置いてあのシャドウサーヴァントについて訊ねることにした。
「それで、あの黒い奴はどうなった?」
「うん、キミたちのおかげでケガせずに倒せたよ。ありがとう」
「こちらこそ、所長守ってくれてありがとな。リリィとブラダマンテもお疲れさん。
2人はヒルドとは自己紹介した?」
「はい」
「そっか。じゃあいよいよ本題……なんか所長が、サーヴァント契約できた理由を自分では話したくないって言うんだけどどういうわけ?」
するとヒルドもちょっと眉をひそめたが、隠し立てはせずに教えてくれた。
「まあ要するにね。その人はもう死んじゃってて……今そこにいるのは幽霊なの」
魔力と自意識が強いから生前と同然に見えているが、それもこのままでは長くはもたない。いずれ意識も記憶も欠落して、あの世に行くか浮遊霊の類になり果てるかだろう。
しかし生前はマスター適性もレイシフト適性もなかったのに、死んで霊体になってようやくそれを手に入れるとは何とも皮肉なものだった。
「でも私と契約すれば大丈夫ってわけ! これでもワルキューレだから」
ワルキューレの仕事は勇士の魂をヴァルハラに連れて行くことだが、それはつまり死者の魂が「ほかのあの世」に行くのを止めることができるということでもある。
さすがに何ヶ月も何年もというわけにはいかないが、カルデアに帰ってから成仏するか何か適当な依代に宿って延命するか考える時間くらいは十分に取れる。ただし特異点を修正すると「この」聖杯戦争に参加したサーヴァントは強制帰還させられるが、その前にオルガマリーと一緒に元の時代に帰れば別れずに済むというわけだ。
ヒルドの方もマスターを失ってこのままでは何も成すことなく消滅するところだったので、両者の利害が一致してサーヴァント契約と相成ったのである。
「なるほどなあ……それなら取り乱しても仕方ないか」
光己は素人だけにヒルドの話が完全に腑に落ちたわけではないが、オルガマリーの気持ちを多少想像するくらいはできた。まだ彼より2~3歳年上なくらいの若年だというのにそんなことになったのなら、むしろ冷静さを保てている方だろう。
「……うん。それでマスターはとりあえずカルデアと連絡を取ろうとしたんだけど、服は形成できても通信機までは作れなくて立ち往生してたんだよ」
幽霊はハダカである場合もあるが、生前に着ていた服をまとっている場合もある。しかし特異点からカルデアに通信できる通信機なんて高度な機械を再現できるわけがなかったのだ。
「そっか。でも俺たちもさっきマシュの通信機で連絡取ろうとしたけどまだ不通だったからなあ。向こうもまだバタバタしてるのかも。全滅ってことは……ないといいんだけど」
何しろひどい事故だっただけに、職員全員死亡あるいは重傷なんてこともあり得る。光己とマシュは困り顔を見合わせたが、まさにその時マシュがつけている腕時計型の通信機が呼び出し音を発したのだった。