その頃ブーディカ軍は、フランス南東部のリヨンまで到達していた。ここからは川沿いに南下してアビニョンで左折、インペリアあたりからはローマ市まで海岸沿いを進む予定である。地理に詳しくないので、分かりやすい道を選んでいるのだ。
兵士たちはその気になれば不眠不休で行軍できるのだが、そうするとブーディカの負担が重いのと、夜間の行軍は危険なのもあって、日没後は停止としていた。またローマの石畳の道路を普通に利用できるので行軍ペースは速く、1日35キロくらいである。
ところで、前回の反乱ではローマ人の街を滅ぼしていたブーディカだが、今回はそれをしていない。というのは、仲間のスパルタクスが非戦闘員の一般市民は圧制者ではないから殺すべきではないと言って反対したからである。
何しろ彼は大事な戦力だし、彼の反対を押し切って殺戮したらこっちに刃を向けかねないので「今は」向かって来ない街は放置することにしているのだ。行軍が速いのはそのおかげでもあった。
普通の軍隊なら街から食料その他を徴発する必要があるが、ブーディカたちにはいらないし。
「ネロ……ローマ……みんなの仇! 絶対許さない!」
ブーディカは本来なら母性的な包容力に満ちた心優しい女性なのだが、今はその美貌は憎悪と殺意に歪んで鬼気迫るものがあった。
まずはローマ市にいるだろうネロを斃して正統帝国とやらを崩壊させる。それが今の彼女の唯一の行動原理だった。欲を言えば直接自分たちを虐げたカトゥスやスエトニウスといったローマの高官たちも討ちたかったのだが、生死不明なので後回しにしている。
彼女はルーラーアルトリアが推測したようにサーヴァントであり、クラスは通常の
なおこの兵士たちは基本的にブーディカの指示通りに動くが、テレパシーや感覚共有といった芸当はできず、意思疎通は生前のように文書や口頭で行う。この辺は似た宝具を持つレオニダス一世やダレイオス三世、イスカンダルも同様である。
「ネロ……今度こそ!」
リヨンの城壁の上からこちらをこわごわ見つめている守備兵たちを憎々しげに見返しつつ、ブーディカは低い声で呟いた。
カルデア一行の作戦会議の結論としては、ファヴニールは1度見せてしまった以上たまには顔出しすべきだが手助けはほどほどに、サーヴァントたちの活躍も状況次第だがほどほどにという実に玉虫色なものとなった。具体的な行動はネロとラクシュミーが開く軍議で決まるだろう。
ただサーヴァントを倒せるのは(神霊や強力な幻想種といった例外を除けば)サーヴァントだけとはいえ、敵大将2人を討ち取る手柄を少人数の傭兵団がかっさらっていいかどうかについては議論になるかも知れない。アルトリアズがやるという形なら大丈夫だろうか?
まあその辺りはネロの判断に任せるとして、光己たちが休息をとっていると、アルトリアとスルーズが戻ってきた。ネロが元気になったので、軍議をしたいから呼んでくるよう頼まれたらしい。
「ただ私たちが全員行くと出席者の所属の人数比が偏りますので、私とルーラーとXX、それとマスターと誰か1人軍略に長けた者だけでというお話でした」
「じゃあ景虎かな。それにしてもネロ陛下よく働くなあ、もう少し休んでもいいと思うけど」
「それだけ危機感が強いのでしょう。実際かなり危険な状況ですし」
「そうだなあ」
光己はアルトリアとそんなことを話しつつ、ふと目が合った景虎にも声をかけた。
「それにしても景虎が仲間になってくれてホント良かった。軍略の話だとマジで頼りになるし」
何しろ今回の仕事は、フランスの時と違って人間の軍隊同士の戦争だ。アルトリアズも戦場に出た王だから軍事学の基本は修めているが、名戦略家というわけではないので、軍神と称えられたほどの戦上手の存在は実に心強かった。
「はい、どう致しまして」
マスターの称賛に景虎はやわらかく微笑んだ。
「でも不思議な気分です。人の下について槍を振るったり、下問に答えたりするのをこんなに心地よく感じるなんて。
人ならざる性分の私にかように思わせる者がこの世にいたとは、我ながら驚きです。
……あー、いえ。マスターは私たちに命令的な態度を取ったことはありませんから、『下について』という言い方は間違いですか」
「んー、そう思ってくれてるなら嬉しいよ。
俺は一応リーダーだけど、給料出してなくてボランティアしてもらってるだけだからなあ。上から目線で命令なんてできないからさ」
「おや、私はとても素晴らしいものをいただきましたし、今もいただいておりますが。
ああ、お互い様だから勘定しないということですか?」
「……景虎」
そこまで言ってもらえるとは。何かこう、胸に暖かいものが湧いてくる。
「……マスター」
景虎もそうだったらしく、ついっと半歩寄って来た。光己は思わず抱きしめそうになってしまったが、これから軍議なのでぐっとこらえて終わってからいちゃつくことにする。
無論下心などない。仲間と親睦を深めるのは最後のマスターとしてもはや義務だからだ!(下心がないとは言ってない)
―――それはそうと、ルーラーアルトリアとヒロインXXと景虎をともなってネロの幕舎に赴く光己。途中でラクシュミーと出会った。
「おや、貴殿たちもか」
「はい……って、お一人ですか?」
「ああ、荊軻は偵察に行った。急ぎだからな」
荊軻は馬に乗った兵士より速く動けるので、斥候としても優秀なのだ。なお彼女の場合偵察が暗殺になることもよくあるが、今回の標的は連合帝国や秦帝国と違って「圧迫してくる大国」という感じがしないのであまり気乗りがしないらしい。
そして一行がネロの幕舎につくと、皇帝陛下はすでに席について待っていた。
「休んでるところを呼び立ててすまぬな。しかし聞けば敵の斥候がここまで来たそうだし、せめて今後の計画なりとも立てておかねば気が落ち着かぬのだ」
そう言うと、ネロは従者を部屋から退出させた。出席者が新入りや異国人ばかりなので、こうした方が忌憚なく話せるだろうという配慮である。
「はい」
光己たちが頷いて席につき、まずラクシュミーが戦況について説明する。
ブーディカが来る前は、ガリアにおける正統側の勢力範囲はマッシリア周辺のわずかな範囲に過ぎず、残りは全部連合側の領土だったが、今はカエサルが撤退したので無主地になっている。とはいえ、ブーディカとカエサルを撃破しなければ取り戻すことはできないだろう。
ブーディカの所在地はまだ分からないが、ここからそう遠くない所にいるはずで、斥候を大勢派遣したからいずれ判明するはずだ。
「ふむ、つまりブーディカの居場所が分かり次第出撃するということか?」
「はい。あとここからは少々現実離れした話になりますが―――」
ラクシュミーはそう前置きしてから、斥候を捕らえに行った光己たちの報告で、その斥候が人間ではなく魔力でつくられた
「…………そうか。伯父上とローマの英雄に続いて、余に反乱を起こして斃れた者まで呼び出して戦わせるのか。連合の首魁はどこまで余、あるいは余のローマに恨みがあるのであろうなあ」
ネロはショックが大きかったらしく、うつむいて口を閉じてしまった。あるいは頭痛と疲労が治り切っていないのかも知れない。
ルーラーアルトリアがあわててフォローを入れる。
「いえ陛下。陛下には私たちと、忠勇なる兵士と市民たちがいるではありませんか。
連合についた者は確かに多いですが、陛下の下で戦おうという者も大勢いるのです」
「…………む、確かにそうだな。何があろうと、余が落ち込んでいては示しがつかぬ。
ふがいない所を見せてしまったな、許すがよい」
ネロは一応立ち直ったようだが、なにぶん労働量的にも精神面的にもハードな状況なので、今後も適切なケアが必要だろう。少なくとも光己にはそう見えた。
(その辺はルーラーとアルトリアに任せるしかないけど、ブーディカが現界したのって首魁の仕業なのかな?)
抑止力あるいは聖杯が召喚したカウンター、いわゆるはぐれサーヴァントが何かの間違いで敵に回ったということも考えられる。どちらにしても光己たちがやることは同じなのだが。
「それで仮にブーディカとスパルタクスがサーヴァントであった場合、何か特別な対策が必要になったりするのか?」
これはルーラーへの質問である。ラクシュミーと荊軻は自分たちがサーヴァントだと明かしていないので、ネロもラクシュミーにサーヴァント対策を訊ねたりはしないのだ。
「はい。たとえ生前は一般人並みの身体能力だったとしても、サーヴァントになれば超人的なものになりますので、普通の兵士を何人当てても無駄死にするだけになります」
「……むう。確かにあの時の偽伯父上は、姿こそ生前そのままだったが、明らかに異常な力を持っていたな。
すると、ブーディカとスパルタクスを討つのはそなたたちに任せるしかないのか?」
「はい、ただ敵将2人を討つ手柄を私たちが独占していいものかどうか。
もしブーディカがサーヴァントだった場合、彼女を討てば配下のブリタニア兵も消えますので、つまり20万人討ったのと同じ手柄になりますから」
「なんと!?」
大将だけ討てばいいというのは朗報だが、確かにそれは功績が巨大すぎる。カルデア傭兵団が独り占めしたら反発を招くのは必至だ。
ルーラーたちが皇族としてやる分には……いやそれでも嫉視は免れないか? それとも皇族としてローマのために奮闘したとして称賛を得られるか? 少なくとも3人の地位を確固たるものにする効果は見込めるが……。
「うーむ、これはもう余みずから討つしか?」
「……陛下」
「い、いや冗談だ。余は歴代皇帝の中でも抜きんでて豪華絢爛だが、常識もわきまえておるゆえな」
ネロは少なくとも恩賞方面では反発を抑えられそうな案を出してみたが、景虎に何かこう人ではないナニカのような怖い眼光をぶつけられてすぐ引っ込めた。
いや彼女の主張が真っ当なのは分かっているのだが。
「そうなると、やはりルーラーたちに頼むしかないか。
まあ連合征伐の暁にはミツキにガリアとブリタニアを与えてもいいと思っているから、余がケチだとは言われまいが」
手柄を立てる名義人と恩賞を受け取る名義人が違うが、これはアルトリアズが帝位どころか政治向きのことにかかわること自体を避けたがっているという事情によるものだ。
何だかんだと口さがない者もいるだろうが、この辺はネロがどうにかするしかなかった。それこそアルトリアズは政治にかかわらないのだから。それはネロにとってもありがたいことであるのだし。
「…………」
景虎はまだ何か言いたげだったが、口は開かなかった。
いくら光己とアルトリアズを信用しているからといって領土を与えすぎだと思ったのだが、自分たちはネロが言う「連合征伐の暁には」立ち去る身である。無用の諫言なので控えたのだった。
「―――ブーディカとスパルタクス2人の対策はそれでいいとして、20万人を率いる大将がそうそう最前線には出て来るまい。それまではどのように戦うべきか?」
「はい。ブーディカについて調べたところ、前回の反乱ではスエトニウス総督の戦術で大敗していますから、狭いところで戦おうとはしないでしょう。
数の利を活かしやすい、広い場所を選ぶはずです」
これはラクシュミーの言葉だが、やはり同じ結論にいきつくようだ。
「しかし我が軍はカエサルとの戦いを控えていますから、正面衝突して消耗戦になるのは避けたいところです。
そこで―――」
その後軍議は1時間ほど続いた。
それから何日かして。ネロ軍とブーディカ軍はアビニョン近郊の平原で向かい合っていた。
周囲は平坦で、山や森や谷といった策略を使えそうな地形はない。景虎の読み通り、ネロ軍を発見したブーディカ軍がここにとどまって、ネロ軍が街を救援しに来るのを強いたのだ。
距離は約500メートル、弓矢はまだ届かないが、戦場にはすでに
ローマ軍は通常通り、兵士を横長に並べた横陣を敷いている。ブーディカ軍は前衛と後衛に分かれており、前衛はローマ軍と似た形だが後衛は円陣を組んでいた。
というのは、実はブーディカ軍の戦士は6万人ほどで、残る14万人は彼らの家族なのだ。その14万人が後ろで幌馬車に乗っているのだが、彼らもまったくの非戦闘員というわけではなく、石ころをたくさん集めて持っていた。
「ローマ人は収奪と暴虐の限りを尽くしたあげく、戦士だけでなく女も子供も家畜も殺戮した! 私たちと奴らは共存できないんだ」
ゆえにブーディカは全員に戦うことを求めたのだ。
両軍がさらに近づく。
しかしローマ軍はある距離でいったん足を止めた。ブーディカ軍はわずかに不審をいだいたが、策略の気配は見えないのでそのまま進む。
実際、ローマ軍からは小柄な少女が1人出てきただけだし。
「アッセェェェェェェイ! 我らが愛で、圧制者を滅ぼすべし!!!」
「おおおおおっ!!」
鋼のような筋肉を持つ巨漢を先頭に、雄叫びをあげながら突進するブーディカ軍。
対してローマ軍はまだ動かず、少女が剣を両手で構えただけだった。
「勝利の女王……貴女とは肩を並べて戦う盟友として出会いたかったものですが、ことここに至ってはやむを得ません。せめて全力で立ち合いましょう。
……束ねるは星の息吹、輝ける命の奔流」
構えた剣に膨大な魔力が集まり、それと共に剣が放つ金色の輝きが強まっていく。
少女が剣を大上段に振り上げると、光は直径数メートルほどにも膨張した。
「
ついで剣を振り下ろすと、高熱を伴った黄金の奔流がほとばしってブーディカ軍の中央部に強烈な
初手聖剣ぶっぱ(ぉ
でもエクスカリバーって攻撃面積は狭いんですよね。剣を横に振って扇状に光が広がるならもっと広範囲を攻撃できると思うのですがー。