「…………はあー、死ぬかと思った」
光己がむっくりと上体を起こすと、スパルタクスが金色の粒子になって消えていくのが目に映った。
いかに自動治癒が強力でも、首を刎ねられてしまってはおしまいのようだ。それでも闘志は残っているのか「この快感を、倍返しに……」などと怪しげなことを言っているが、聞こえないフリをする。
スパルタクスが斃れたことで勇敢な、あるいは無謀な少数のブリタニア兵たちが仇討ちせんと襲いかかってきたが、無傷ですんでいた段蔵やカーマたちが撃退していた。ブリタニア兵たちは生きた人間ではないから手加減しなくていいので、容赦なく頭や心臓を打ち抜いて消滅させている。
元一般人の少年としてはあまり見ていたい光景ではないので、目をそらして仲間たちに声をかけた。
「スパルタクスは悪党ってわけじゃなさそうだったけど、いろんな意味で説得するの無理だったよな……ってことで、みんな大丈夫?」
「はい、私は平気です」
「おうよ。大将こそ大丈夫か?」
「ああ、俺は大丈夫。あんな怖かったのは久しぶりだけど」
アルトリアたちは多少のダメージは残っているが、戦闘に支障が出るほどではなさそうだ。それでも光己は慎重に、スルーズに頼んでルーンで治療してもらった。
そこにマシュが面目なさそうな顔でおずおずと近づいてくる。
「あの、先輩……すみません」
「おーマシュか。大丈夫だったか?」
「はい、私は受け身を取りましたので。でも先輩は……その」
いや彼は無敵アーマーのおかげで無事だったのは見れば分かる。
しかし最後のマスターを守る任務を負った盾兵たる者が、あんな簡単に引っぺがされてマスターが一撃くらうハメになってしまうとは。もし光己が竜の血を飲んでいなければ死んでいた。
「…………」
マリアナ海溝ばりにずーんと重く沈んでしまうマシュ。
何と謝っていいか分からないでいる様子だ。
(あー、マシュだとこうなるかあ)
光己はマシュを咎めるつもりなど毛頭ないのだが、当人は責任感はある方だからそれでは納得しなさそうだ。何かそれらしいことを言ってやる必要があるだろう。
「んー、確かに今回のはヤバいミスだったな。
でももう終わったことをいつまでも悔やんでても何にもならんから、今後は同じことしないようにしてくれた方が俺は助かる。
具体的に言うと、今後はマシュも訓練に参加すること。ヴァルハラ式は危ないから21世紀式でいいけど」
「…………は、はい!」
マシュはぱっと顔を上げ、握り拳を固めて賛同の意を示した。
確かに彼が言う通りだ。落ち込んでいても過去は変わらないし、いくら自分を責めてもうまくやれるようになるわけではない。なら心機一転して戦闘訓練をする方がずっといいというものだ。
いやまあ人理焼却以前もトレーニングはやっていて、実技方面はかなりへっぽこだったのだけれど。
「ん、じゃあ今後ともよろしくな。
……というわけで、みんなそろそろ行ける?」
まだ戦いは続いているのだから、いつまでもお話してはいられない。光己がサーヴァントたちを見渡すと、ルーラーアルトリアがこっくり頷いた。
「はい、では行きましょうか。ブーディカはみずから駆け回って兵を激励しているようですが、位置は分かりますので。
ですが万単位の兵の中を突っ切っていくのは相当の戦闘が予想されますから、マスターは魔力がなくなってきたらちゃんとおっしゃって下さいね」
「ん、分かった」
こうして準備が整っていよいよ出発となった時、ローマ軍の方からヒロインXXが飛んできた。
「マスターくんも皆さんも無事みたいですね、よかった。
スパルタクスはどうなりましたか?」
「ああ、手強かったけど何とか倒したよ。これからブーディカのとこに行く所」
「そうですか、なら私も加わりますね」
「うん、よろしく」
なおXXとルーラーは幕舎の中などでは水着姿だが、外に出る時は水着の上に街で買った服を着ている。特にXXの露出度は問題なので。
「それじゃ行こう!」
「はい!」
ルーラーのスキルのおかげでブーディカの居場所までまっすぐ進める。しかしその代わり、カルデア勢の意図はブリタニア兵たちにすぐ察知されて、四方八方から襲いかかって来た。
「おおぅ、これは怖いな」
無論彼らの剣や槍など光己にはまったく効かないのだが、女王を守るという一念で自分よりはるかに強いと分かっている敵に命を捨てて向かってくるさまというのは、精神的にはクるものがあるのだ。
彼らが生前からそうだったのか、それとも宝具でつくられた兵士だからかは分からないが。
「ホントに、何でここまでするんだろうな」
段蔵やXXなど飛び道具を持っているサーヴァントの攻撃で、ブリタニア兵はほとんどが光己たちに近づくことすらできずに倒れ、消えていく。弓矢や投げ槍もマシュやブラダマンテたちが受けたり払い落としたりしていて当たらないし、無意味な抗戦といっていいだろう。逃げてくれればあえて追い討ちする気はないというのに。
「もしかしてこっちを消耗させるつもりだとか?」
いくら強くても、人間ならずっと戦い続けていればいつかは疲れるし隙もできる。そこを突く気なのか? しかしサーヴァントは魔力さえあればそうした疲労はないし、その魔力を供給している光己は冬木の頃ならそろそろガス欠になっていたかも知れないが、現在の彼には十分余裕があった。
いやブリタニア兵はこっちのそういう内幕なんて知るわけないのだけれど。
「とにかく前進!」
「はい! たとえつくられた人たちですぐ消える運命にあるとしても、不要な痛みを負う必要はないと思います」
マシュは何か思うところがあるのか、光己の檄にそんな言葉を返した。
そしてついにブーディカの前までたどり着く。ルーラーアルトリアの鑑定によればクラスは「
「ここまでか……ってずいぶん多いな!?」
ブーディカはカルデア勢の人数の多さに驚いたようである。確かに1人+9騎というのはめったに見ない規模だろう。
復讐の女王は女性としては大柄で光己よりやや背が高く、赤い髪を腰まで伸ばした荒々しい感じの美女だった。本来は物柔らかな癒し系の人物なのだが、今は憎悪に濁った瘴気を全身から噴き出している。しかし全身ヤケドとケガだらけで足もふらついており、もはや戦う力は残ってなさそうだ。
白い上衣を着て赤いミニスカートを穿き、白と赤の外套をつけて長剣と円盾を持っているのはいいとして、胸元が大きく開いていて乳房を半分くらい露出しているのはいかがなものかと思われたが、仮にも女王が人前で着ている服なのだからそういう文化なのだろう。ネロやアルトリアも胸元を開けているし。
アルトリアがちらっと周りを見渡して、ローマ兵がいないのを今一度確認してから1人でついっと前に出る。
「ええ。私たちははぐれサーヴァントではなくて、カルデアという組織から送られてきた現地班ですから」
「……カルデア?」
ブーディカも腕を横に上げて、兵士たちがアルトリアを攻撃しようとするのを止めた。
つまり会話に応じる姿勢を見せたのだが、それは回復する時間を稼ごうとか隙を見せるのを待つといった考えではなく、純粋にアルトリアの話に興味を持ったのと、彼女に王者の風格がある上に同郷人ぽい雰囲気を感じたからである。
アルトリアはブーディカがアヴェンジャーとはいえ会話ができる冷静さが残っていたことにほっとしつつ、まずは名乗ることにした。
「はい、しかしその前に自己紹介を。私は今から450年ほど後にブリタニアの王になる、アルトリア・ペンドラゴンという者です。勝利の女王に会えたことを光栄に思います」
するとブーディカは青緑色の昏い瞳に血の涙を浮かべて、悲痛な表情でアルトリアに詰め寄って来た。
「ならあたしの後輩、あたしたちの仲間じゃないか! なんでローマに味方するんだ。なんでローマに踏みつけられたあたしたちに追い討ちするんだ」
「―――」
アルトリアはこの追及がくることは当然予測していた。よどみなく返事をかえす。
「私たちはローマに味方しているわけでもなければ、ブリタニアの敵になったわけでもありません。今ローマ帝国が滅びたら、人類自体が滅びるから助けているだけのことです」
「…………は!?」
想像もしていなかった回答にブーディカの目が点になる。人類自体が滅びるとは、ずいぶん大仰な話ではないか。
「ん~~~~ん。嘘をついてるようには見えないが、しかし仮にあたしたちがローマ人を皆殺しにしたとしても、アジアやアフリカの人間は生き残るだろう。人類が滅びるというのは大げさすぎるのではないか?」
「そうですね、この件だけならそうかも知れません。しかし、ここと同じような特異点がまだいくつもありまして、その相互作用で人類史自体が焼却されるようになっているのです。
もちろんブリタニアも」
「……!」
ブーディカは人類史自体と言われても現実感が湧かなかったが、ブリタニアが焼却されると聞くとさすがに顔色を変えた。
「ブリタニアが焼かれる……? 誰が何のためにそんなことを」
「魔術王と呼ばれる者の企てですが、詳しいことは私たちにも分かっていません。
しかし、彼が歴史上のターニングポイントにサーヴァントを送り込んで、歴史を狂わせているのは事実です」
「サーヴァント……確かにあたしも、何故こんなに大勢のサーヴァントがいるのか不思議に思っていたが、そういうわけだったのか」
「はい。元々の歴史では連合帝国なんて存在していませんし、女王の2度目の反乱もありませんでしたから」
「それはまあ、人理の影法師が歴史の表舞台に立って大きな顔するというのもおかしな話だからな。あたしが言えたことじゃないが」
「ええ。ですので、聖杯を手に入れたら受肉して、世界征服とか言い出す迷惑千万なヒゲ親父は見つけ次第駆除……失礼、話がそれました」
こちらのアルトリアも誰かに隔意を持っているようだ。他の聖杯戦争の記憶でもあるのだろうか?
「ともかく、これで私たちが女王を止めに来た理由を分かっていただけたでしょうか」
「………………そうだな。あたしはみんなの無念を晴らすために戦ってたつもりだったけど、実は踊らされて、ブリタニアの子供たちを危険に晒してただけだったんだな」
ブーディカはそこでいったん言葉を切ると、悲しげに首を振った。
「おまえたちがあたしをすぐ斬らずにこんな話をしたのは、あたしを味方にするためだと思う。もちろんあたしも、みんなを守るためなら何度だって命を張れる。
でもここじゃダメだ。ネロやローマの高官を見かけたら、体が勝手に動かないと言い切れない」
「…………女王」
アルトリアはとっさに言葉が出なかった。
「だからせめて、後輩のおまえの手で討ってくれ。ローマの連中にやられるよりマシだ」
「……分かりました」
覚悟を決めた尊敬すべき先達にくどく強いるのは非礼だろう。アルトリアは説得をきっぱり断念して剣を構えた。
しかしそこに慌てた声で待ったが入る。
「ストォーーーップ! まだ諦めるのは早いだろ」
「んん? おまえはサーヴァントじゃないようだが、何者だ?」
「あー、はい。カルデアでマスターしてます藤宮光己といいます。よろしく」
ブーディカはまだ敵なので簡単な挨拶ですませると、光己はアルトリアの方に顔を向けた。
「せっかく先輩に会えたんだから、もう少しねばってみてもいいんじゃないか? 方法だってあるんだし」
「それはそうですが、しかし復讐心がゼロになるわけじゃありませんから……」
その方法とやらにアルトリアはためらいがあるようだったが、ブーディカの方が関心を示した。
「どういうことだ?」
「あ、はい。女王がローマを憎むのは至極もっともなのですが、ブリタニアの民を天秤の片方に載せられて、なお抑えられないというのは、アヴェンジャーのクラス特性に引っ張られているのではないかという意味です」
「ああ、それは否定しないが……つまりおまえたちはサーヴァントのクラスを変えることができるということか?」
「察しが早くて助かります」
アルトリアがしぶしぶ解説すると、ブーディカはふーむと考え込む仕草をした。
「……そうか、なら試してみてもらえるか? ダメだったらその時はその時だ」
「分かりました、女王がそう言うなら」
アルトリアはブーディカが民を想う気持ちの強さに改めて敬意を深めつつ、スルーズを顧みて処置を頼んだ。もちろんスルーズに否はない。
「はい。ですが私だけでは難しいので、令呪を一画いただければ」
「わかった。じゃあ令呪を以て命じる、ブーディカのクラスを変えろ!」
「はい」
光己の右手の甲に刻まれた紋章の一部がすうっと薄れ、そこに溜められていた魔力がスルーズに送られる。スルーズがそれを使って空中に何文字かのルーンを描くと、ブーディカが放つ気配がどんどん柔らかくなっていく。
「おお、やっぱりクラスに引っ張られてたのか」
髪が短くなり、外套が消えた。表情も穏やかになり、快活な笑みを浮かべる。
「うん、だいぶ気分が楽になった。これならよっぽど挑発されない限り大丈夫だよ。
手間かけたね。あたしのことは気軽にブーディカさんと呼んでいいよ」
言葉づかいまで変わっている。どうやらクラス変更は成功したようだ。
それはいいのだが、部下の兵士たちが消えていっているのはどうしたことか?
「そりゃまあ、あの子たちは復讐のために出てきたわけだからさ。あたしが復讐者でなくなったら消えちゃうよ。あー、もしかしてそっちがメインの目的だったのかな?」
「そ、そうなんですか……いやまあ、兵士が欲しくなかったといえば嘘になるんですが。
でもブーディカさん本人が仲間になってくれるだけでもありがたいんで、歓迎ですよ」
光己の偽らざる本音である。無論ブーディカが性格よさそうな美人だとかおっぱいだとか、そういう理由ではない。きっと。
「それと耳寄りなお話を1つ。ローマ帝国のことなんですが、放っておいても8年後にはネロ陛下は反乱起こされて自決することになりますし、帝国自体は続きますけどクラウディウス朝は滅びますんで、無理に復讐しなくても英霊の座から高みの見物でいいんじゃないかなと」
「へえ、ホントに」
ブーディカはちょっと気持ちが動いたようだ。
「なら8年後でも今でもたいして変わらないってことで、やっちゃダメ?」
「絶対にノゥ!!!」
「あははは、冗談だって」
「いやブーディカさんだと笑えませんので」
光己が心の底からそう言うと、ブーディカはにゃははと笑って頭をかいた。
「ごめんごめん。ところでスパルタクスには会った?」
「あー、はい。いきなり圧制者がどうとか言って襲いかかってきたんで仕方なく」
光己は斃したとまでは言わなかったが、趣旨は通じるだろう。
ブーディカも理解はしたらしく、どう答えていいか迷ったような顔をした。
「うーん。あたしは君が圧制者だとは思わないけど、スパルタクスだからなあ。普通の人には見えない何かを見たのかもね。
まああいつは他人に仕返ししてほしいなんて思うタマじゃないから、お互い恨みっこなしってことにしない?」
「そうですね、そうしましょう」
どうやらスパルタクスの件については手打ちが成立したようだ。まあ妥当なところであろう……。
「でもこうなると、あいつには感謝しないとね」
「え、どういうことです?」
「あたしは前回の反乱じゃ、ローマ人の街は徹底的に壊したんだけど、今回はあいつが一般人には手出しするなって言ったからしてないんだ。もしやってたら、あたしがネロに恭順する気になっても、ネロの方が受け入れられないからね」
「あー、なるほど」
それはその通りだ。光己も改めて彼の冥福(?)を祈っておいた。
「でもあいつのおかげでそこまではしなかったから、ブリタニアの価値を示すために決起したんだって言い訳ができるってわけ。他に敵がいる状況であんまり強く出られないよね?って感じで」
「
光己はちょっと憮然とした顔でそう答えた。
ブーディカは気のいいお母さん的な人物に見えるが、経歴的に考えてそれだけのはずがなかったのだ。
「あははー、君もなかなか分かってるじゃないか。そういうわけで取り次ぎよろしくね」
「あー、はい、それはもちろん」
ともかくも交渉が成立して、カルデア一行はブーディカを仲間に迎え入れたのだった。
ブーディカママン無事参入~~。
カエサルは涙目ですなあ(ぉ