こうして長尾家の行動方針は決まったが、だからといって今すぐ出陣できるわけではない。光己はともかくオルガマリーは疲れているようだし。
「ですので、今日のところはゆっくり休んで下さい」
「うん、ありがと。ところでさっき永禄3年だとは聞いたけど、何月の何日?」
これはただの世間話ではなく、戦国時代の兵士は半農半兵なので農繁期には出陣できない、もしくは動員できる兵力が減るという事情を踏まえての質問である。
ウォーモンガーである景虎には、その趣旨はすぐに通じた。
「4月5日です。農繁期ですが、幸か不幸かあの謎生物―――私たちはちびノブと呼んでいますが―――は農業ができませんので、逆に積雪期以外はいつでも出陣できるようになってます。
彼女たちは見た目はかわいらしいですが、生半可な人間より強い上に武器を自前で持っていますので、兵士としては非常に優秀ですね」
「へえー」
つまり軍神がさらに強くなるということか。人間兵のままの大名にとっては災難なことになるだろう……。
「……っと、そうだ。こういうシチュエーションだったら、未来知識でチートってのがお約束だよな。まあ特異点修正されたら無かったことになるんだけど」
「未来知識でチート?」
首をかしげた景虎に、光己は具合よく覚えていた農具について語った。
「うん。
両方とも江戸時代に発明された優秀な農具である。これを実用化したあかつきには、景虎は軍神としてだけではなく農神としても崇められるようになるだろう。
「わ、私が農神ってちょっと照れますね。
しかしマスターの言う通り、この特異点が修正されたら無かったことになるのに何故?」
「そこはそれ、どこの誰とも知れぬ風来坊が国主にべったりくっついてたら、良く思わない人も多いだろうからさ」
何らかの知恵を提供しておけば、多少は風当たりがやわらぐだろうという意味だ。ローマではアルトリアズがネロの従姉妹になったから良かったが、ここでは別の方策を考えるべきだと思ったのである。
「なるほど、さすがはマスター……!」
景虎はこの手の人情には疎いのだが、理屈としては分かる。感動と尊敬の目で光己を見つめた。
……おっと、ここはもう1人の客人にも訊ねておくのが礼儀というものだろう。
「アニムスフィア殿は何かありますか?」
「え゛!?」
不意に声をかけられて、オルガマリーは裏返った声を上げた。
ただでさえ中世日本のことなんてほとんど知らないのに、適用できる未来知識なんてそんな簡単に思い浮かぶはずがない。
しかしここで無いと言えば所長としての体面にかかわる。オルガマリーは必死に知恵を絞った。
何か何か何か何か……あった!
「そ、そうね。ここに来るまでに聞いたんだけど、越後国って海に面してるのよね?」
「はい、海岸線は長い方ですね」
「なら貝殻を砕いて粉にすれば、肥料や洗剤になるわ。具体的にどれくらい使えばいいかは状況次第だから、試行錯誤が必要だけど」
「ほほぅ、そのようなことが……分かりました、
(よし、やった!)
景虎が納得して頷いたのを見て、オルガマリーは内心でガッツポーズを決めた。この特異点にいつまでいるかは分からないが、今は窮地を乗り切ったのだ!
ほーっと安堵の息をつくオルガマリーをよそに、景虎はまた光己の方を向いた。
「ところで話は変わりますが、マスターはふるまい風呂というのをご存知ですか?」
「そりゃもう、知らないわけがないな。お客さんと一緒にお風呂に入ることだろ?
つまり景虎が混浴してくれるってことでFA?」
「はい、明日の朝まで一緒って約束しましたから!」
絆レベル7だけあって話の進みが恐ろしく速かった。オルガマリーが慌てて止めに入る。
「ちょ、ちょっと貴方たち何考えてるのよ!? いきなり混浴なんて!?」
「「マスターとサーヴァントが親睦を深めることのどこに問題が?」」
打ち合わせしたわけでもないのに、光己と景虎の返事がきれいに唱和する。阿吽の呼吸とはこのことか。
「あ、貴方たち本当に仲いいわね」
恋人同士という風には見えないが、よくまあここまで親しくなったものだ。オルガマリーはちょっと引いてしまった。
「でもほら、貴方も新入りとはいえカルデアの所員なんだから、それなりの風紀とか節度というものをね」
「でもマスターとサーヴァントって、Hして魔力供給するケースもよくあるって聞きましたけど」
「誰から聞いたのよそんなこと!?」
間違いではないが、元一般人に何てことを吹き込むのか。普通の聖杯戦争では必要になることもあるかもしれないが、カルデア式なら要らないのに。
「清姫です」
「子供のくせに何考えてるのよあの娘!?」
オルガマリーはカルデアに味方してくれているサーヴァントについては、伝記等を読んで経歴を把握している。それによれば、清姫は満年齢で12歳の時、一夜の宿を借りた旅の僧に一目ぼれして夜這いを仕掛けて……。
「……って、あの娘ならむしろ当然の行動ね!?」
オルガマリーは頭を抱えてごろごろと転げ回った。何てこと、このままでは父から受け継いだ大事なカルデアがラブホ〇ルになってしまう!
光己が慌ててなだめる。
「まあまあ、落ち着いて下さい所長。そんなに暴れたらパンツ見えますよ」
「!?」
オルガマリーは顔を真っ赤にしながら起き上がると、脚を閉じて裾を直した。
なお光己はオルガマリーのかなり大人っぽいデザインの黒シルクをちゃんと目視していたが、彼女の名誉と羞恥心に配慮して口には出さずにおいた。
「清姫のことはともかく、ここはカルデアじゃないんですから、そこまで深刻に考えなくてもいいと思うんですが」
「……そうね」
確かにその通り、中世の異国にカルデアのルールや倫理観を持ち込むのは正当とはいえまい。はなはだ遺憾ながら、オルガマリーはそこは妥協することにした。
「それなら仕方ありません。私も一緒に入ります」
しかしだからといって、このセクハラ少年と有能かつ高い地位についている現地サーヴァントを、2人きりで混浴なんてさせるわけにはいかない。オルガマリーは人理とカルデアの名誉のために、身を捨てて光己との混浴を敢行する決意を表明した。
「へ? そりゃまあ俺としては歓迎ですが……」
「それなら私もご一緒します。私だけのために女中さんの仕事増やすのは悪いですから」
するとリリィまでが手を挙げたので、オルガマリーは慌てて止めた。
「ええっ!? いえいえ、貴女までそんなことしなくても」
「いえその……所長さんの方こそ重大に考えすぎてませんか? ハダカでお湯に浸かるわけじゃなくて、
「へ? あ、そ、そうなの……」
オルガマリーはかくっと脱力して肩を落とした。それならだいぶハードルが下がる。
誰とでもとはいかないが、光己ならまあ重大な決意まではしなくてもOKといったところだ。
なお湯帷子というのは浴衣の原型で、火傷防止・汗取り・裸を隠す等のために着用されていたという。
「おや、2人とも来るんですか? まあいいです、それじゃさっそく行きましょうか」
「へ? お湯沸かすのって結構時間かかるんじゃないの? 何なら俺がやってもいいけど」
蒸し風呂には湯気が必要なわけだが、この時代では大釜で湯を沸かして、そこから出た湯気を浴室に送る仕組みになっている。釜の大きさにもよるが、5~10分くらいはかかると思われるが……。
「大丈夫ですよ。この部屋に来る前に『貴人がお見えになった』と聞きましたから、その時に命じましたので。
もちろんマスター以外の殿方とは一緒には入りませんが。
私、人の心はまだよく分かりませんが、マスターのことなら分かりますので!」
「おお、それでこそ俺の景虎!」
自慢げに胸を張った景虎を、光己はがばっと抱き締めた。
いくつもツッコミ所があるやり取りだったが、当人は満足そうだから問題はないだろう。多分。
それはともかくお風呂である。更衣室に入ったら、光己は当然のように女性陣の着替えを鑑賞しようとしたが、これも当然のようにオルガマリーに叩き出された。
「鬼! 悪魔! 所長!」
「失礼ね!?」
新入所員が何かわめいているが、何と言われようと戸を開けてやる気はない。オルガマリーは自分を含めて3人ともきちんと着替えてから、光己を中に入れてやった。
なお3人が着ている湯帷子は、ありていに言えば日本の温泉旅館によくあるような、浴衣の袖と裾を少し短くしたような代物である。素材は木綿で、白地に紺色で
「おおー……シンプルな服だと素材の良さが際立ちますね。カメラがないのが残念です」
「んー、まあ及第点ということにしてあげましょう」
するとレディへの礼節として一応褒めてくれたので、先ほどの暴言は許してやることにした。
実際オルガマリーは色と柄のイメージもあって、いかにも知的で涼やかな美人という感じだし、景虎は(生前は)普段から和服を着ていただけあって、パシッと着こなして実にカッコいい。リリィは初々しさがさらに強調された感じがベリー可愛かった。
「じゃ、貴方も着替えなさい」
オルガマリーがそう言って後ろを向く。
しかし考えてみれば、新入所員のセクハラや暴言をこんな簡単に許すとは、ずいぶん丸くなったというか、えらく仲良くなったものだと思う。
初対面の時は考えもしなかった事態だ。無論嫌ではないが。
「でもアレね。バスタオル1枚とかだったら下着つけてなくても気にならないんだけど、なまじちゃんとした服だとかえって意識しちゃうわね」
「つまり今所長はノーパンノーブラだと!?」
「口に出して言うなぁぁぁ!」
光己がくわっと目を見開いて凝視してきたので、オルガマリーは手拭いをその顔面に投げつけた。
「わぷっ!? いや先に言ったのは所長じゃないですか」
「そ、それはそうなんだけど、もう少しデリカシーってものを覚えなさい」
何かもうぐだぐだであった。特異点に来たその日に現地サーヴァント2騎を味方にできた上に、衣食住を確保できたのは大変幸運なことのはずなのに、そんな気が全然しない。
「んー、待てよ。するとつまり景虎とリリィも下着なしってこと?」
「はい、もともと女性には
「も、もうマスターそんなにじろじろ見ないで下さい」
景虎は平然としていたが、リリィの方は真っ赤になって腕で胸と腰を隠しているのが、光己の方が悶えそうなほど可愛い。
しかしあまり見つめるのはさすがにマナー違反なので、光己はこほんと咳払いしていったん空気をリセットした。
「それじゃそろそろ入ろうか!」
「はい、ではどうぞ!」
景虎が先導して戸を開けた先は、10畳くらいの広さの板敷きの部屋だった。奥の方の一角はスノコになっていて、その隙間から白い蒸気が立ち昇っている。
もう一方の隅には陶製の大きな壺が置いてあり、中には水が入っていた。下に桶が置いてあるので、出る時に水を浴びて体を洗うためのものだろう。
左右の壁沿いには木製の長椅子が置かれていた。
「へえー、本当にサウナなのね……でも何か草の匂いがしない?」
「よく気づかれましたね。湯を沸かしている釜にヨモギを入れてあるのです」
「ほほぅ、薬草蒸し風呂とはシャレてるな」
光己が感心してそう褒めると、景虎はまたふんすと胸を張った。
「はい、貴人が来たと聞いた時に、もしかしたらマスターかもしれないと思いましたので。
それにほら、ローマの風呂にはこういう趣向はありませんでしたよね」
「おお、言われてみれば」
どうやら景虎はローマのテルマエに対抗意識を持っていたようだ。
光己としても自国の文化が負けっ放しというのが面白いはずはなく、景虎の気遣いは大変喜ばしいことだった。
「そだな、同じ風呂好き民族として負けてはいられんからな」
「はい! やはりマスターは分かってらっしゃいますね」
「……えーと。マスターと義母上は放っておいて、所長さんはもう座って良いのでは」
「……そうね、そうさせてもらうわ」
光己と景虎が意気投合してハイタッチを始めたので、付き合っていられなくなったオルガマリーとリリィは先に椅子に腰を下ろした。
大きく息をついて、今日1日の疲れを吐き出すオルガマリー。
「はあー……今日はいろいろあったけど、とにかくここまで来られて良かったわ」
「そうですね、私もお2人と会えて嬉しいです!」
「そ、そうね、ありがとう」
リリィはいつも天真爛漫で、多少はヨゴレてしまっているオルガマリーには大変眩しい。油断していたら「ウボァー」とか言って浄化されそうである。
そしてしばらく雑談していると、光己と景虎も隣に座ってきた。
「貴方たちホント仲いいわねえ。まあそのおかげでこんな歓待してもらってるんだけど。
というか、マスターがサーヴァントに衣食住を世話してもらうケースは初めて聞くわね」
「そうなんですか?」
ちょっと興味が湧いた光己がそう訊ねると、オルガマリーは一般的な聖杯戦争について解説してくれた。
「普通はサーヴァントはマスターが準備万端整ってから呼ぶものだから。そもそもサーヴァントは現世には生活基盤がないんだから、マスターが面倒見るのが一般的ね。
そう考えると、私たちがやってる特異点修正はやっぱりいろいろ特殊ね」
「なるほど……」
確かにその通りだ。今回光己とオルガマリーが景虎とリリィに会えたのは、本当に幸運だったのだろう。
「……ふう」
オルガマリーがまた息をついて、後ろの壁に頭をもたせかける。やはり疲れていたようだ。
それは良かったが、浴衣を着るのは初めてだからか襟が緩んでいた。汗ばんだ胸の谷間が光己の視界に入る。
(おおぉ、やっぱ所長なかなかおっぱい大きいな……)
しかしじっと見つめていたらすぐバレるので、視線を固定せずにさりげなく目に映った風を装う光己。実に思春期だったが、そんな彼の反対側から袖を引く者がいた。
「ん?」
光己がそちらに顔を向けると、景虎がちょっとむくれた様子でじーっと彼を見つめていた。どうやらヤキモチを焼いたようだ。
しかしよく見れば彼女の胸元もはだけているではないか。オルガマリーの2倍(当社比)くらい。
(うぉぉ、景虎も意外と立派だ……!)
ただ自分を見ろというだけではなく、ちゃんとサービスもしてくれるとは、やはり景虎は良い娘だった!
しかしオルガマリーとリリィの前でそれ以上のことをするわけにもいかず、光己は幸せながらも悶々としたひと時を過ごしたのだった。
イギリスかフランス辺りの特異点なら所長はもっと口挟めるのですが、イベント特異点は日本が多いんですよねぇ……。