王書   作:につけ丸

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104:ヤマタノオロチ降臨

 

 

「ほんとはね、木下祐一くんは死んだんだー」

 

 墓石を凝視している祐一の背に、平坦な声がぶつかった。

 

「一年くらい前だったかな? ホント、いきなりでねーびっくりしちゃったよ」

 

 石碑に刻まれた死を肯定する言葉だった。

 間延びしていて普段と何ら変わりないはずの声音……だが、明確に感情が抜き去られている。

 振り返らずとも、後ろから聞こえる足音が教えてくれる。右足を踏み込むたびに、少し鈍さが混じる……重心が右に寄れているのだ。

 

 重量のある"獲物"を持っているからだろう。

 おそらく金物。足音とともに聞こえる鈴を鳴らすような風切り音が、極度に鋭い刃の存在を知らせてくる。

 

「祐一くんは死んだんだよ」

 

 首筋に冷たい感触が伝う。

 刃を押し当てられながら、動くことができない。

 

 じり……。

 首筋に添えられた刃が傾き、肉に食い込む。

 静かに、一滴の雫がくだり落ちていくのを感じた。

 

「家出した君は、船に飛び乗って……その先で」

 

 一呼吸。

 

 

「──死んだんだッ!!!」

 

 

 今までの奔放で快活だった少女からは想像もつかない血を吐くような叫び。もはや慨嘆と化した声が、背中から祐一を一撃する。

 

 咆哮を叩きつけられながら、祐一は思った。

 

 きっと、"俺"と同じだ。

 

 きっと、"この世界の木下祐一"も。……何かしらの理由で家出したんだろう。

 

 今の自分と、この世界の自分は……ほぼ同じ人間だったのだ。同一人物と言ってもいいくらい。

 

 

 だから先輩も誤認した。

 

 俺と俺が、同じだったから。

 

 だから家出した。

 

 俺が、そうだったから。

 

 

 俺自身が常に一歩間違えれば死ぬような旅路を歩んだのと同じく、この世界の木下祐一の旅路も果てしなく危険なものだったに違いない。

 

 そして死んだ。

 

 一個のボタンのかけ違いで死ぬような場面はいくらでもあった。その一つでツマづく俺が居てもおかしくは無いはずだ。

 

 かつてベルゲンで戦った最大の敵手、サトゥルヌスが語ったように……別の時間軸。あるいは平行世界には、無数の木下祐一の死体が積み上がっている。

 生き残れなかった自分が無数に、積み上がっている。

 

 この世界の木下祐一も、その一つだったのだ。

 

 そして死んだ俺の空白に……"俺"が現れた。

 

 

「祐一くんは死んだ……でも、それは誤報だったんだね。君は()()()()もんね」

 

 けれど、そんな事を清秋院恵那は知らない。知りようもない。異世界の木下祐一という異常が現れたからこその異常事態。

 

 額に何時ぶりかの冷たい汗が流れ落ちる。

 この異常事態を打破する策を思いつける気がしなかった。

 

「先輩、俺は──「──恵那が祐一くんとはじめて会ったのは小学校に上がる前だったよね」……っ」

 

 言葉が押しつぶされる。

 

 知らない記憶をぶつけられ、口を縫い付けられた。

 

「清秋院は昔っから名家だから所縁のある家が多くてねー、木下もそんな家の一つだったからね。その縁でこの町にもきたもんね?」

 

「……そうなのか」

 

「あれー? 知らないの? おっかしいなぁ……そんなはずないのに──祐一くんだったら知ってるよ」

 

「…………」

 

 表情が険しくなる。

 墓碑銘を収めた視界が、わずかに狭まった。

 今の恵那は、危険だ。

 カンピオーネの祐一をして心胆寒からしめるナニカがある。肩を竦ませ、身を屈めさせる、底知れない悪寒が祐一の腹底で雪崩打つ。

 

 なのに何故か。

 

 俺は……木下祐一は、恵那の姿に懐しさを覚えた。

 人だったころの。

 

「木下はね、名家でも良家でもなんでもない家だよ。武士だった事もないし、商家でもないし、際立った芸を伝える家でもない。正直、なんで交流があるのか首を傾げちゃうような平々凡々な家。でも清秋院はずっと木下を気にかけてきた。理由は知らないけどね。でも清秋院が清秋院になる前からずっと交流のある家」

 

「…………」

 

「でね。恵那が媛巫女になっておじいちゃまに見出される前まで、恵那と祐一くんは結構遊んだ仲だったんだよ? あの時から元気な子だったよ。この山だって何回か入ったし、遊んだりしたよ。覚えてるでしょ?」

 

「…………。分からない……」

 

「えー、ひっどいなあ。……あは、思い出した。祐一くんと最初に会った時なんて、木の上からだったね。それも言葉じゃなくて、矢を射かけられちゃった。あんなの散々野生児だって言われてた恵那ですらびっくりだったよ」

 

「すまん。分からない」

 

 ……いやまあ小学校上がる前は、竹で弓矢を作って試し打ちばかりしていた記憶がある。

 でもそれは恵那とは違う記憶だ。一緒に遊び、そして絆を育んだのは故郷の幼なじみだけ。

 清秋院恵那ではない。

 

「恵那より強い男の子なんていないって思ってたけど、探せばいるんだってビックリしたよ。そして祐一くんがおかしいだけだった事に二度ビックリしたけどね。サワガニ取ったり、渋柿を甘くしたり……野うさぎ茹でたり……」

 

「……」

 

「恵那はね、ううん。私は、楽しかったんだよ……」

 

 声に、色が戻った。

 

 空に捧げるように放った声は、水気を帯びていた。

 さっきまで快晴も快晴だったのに──二人の頬で雫が弾け飛んだ。

 

 空にはいつの間にか雲があった。

 

「ずっと遊んでいたかった……」

 

 恵那が空を見あげたまま小さく呟いた。

 

「あんなに楽しかった記憶なんてないよ。他の友達と媛巫女の修行する間も、ずっと此処での君の記憶がチラついてッ! 修行が終わったら、絶対に会いに行くって決めてたのに……」

 

 でも、と小さく呟いた。

 

「──君は死んじゃった! ドバイ行きの船のなかで! 船は横転したんだッ! 強風で! 誰一人も生き残りはいなかった!!!」

 

「……」

 

「……君の死体は、見つからなかった……」

 

「……」

 

「だから私は諦めなかった……だって君は、死にそうになかったもん。なんだかんだ言って死ぬかと思ったって笑いながら戻ってきそうな予感すら、あったんだ……。それから一週間経って、一ヶ月がすぎて、一年が終わって……正直もう見切りはじめてた……でも!」

 

 刃が、横を向いた。殺気。

 

「君が来た──別人になって!」

 

 反射的に異常な瞬発力で、地面へと転がる。

 

 顔を上げる。視界に飛び込むのは見知った少女。刃──白い刀を横一文字に振り切った姿の。

 

「君は、誰なの!? 君が木下祐一だって、それは間違いないって頭も直感も、恵那に語りかけてくる! でも、違う! 違うよ、君は()()()()じゃなかった!!!」

 

 今にも大声で泣き出しそうで、それを堪えている勇ましい乙女。鼻筋に怒らせた筋を蓄えて、敵を見据える戦士。

 行き場のない怒りに震えながら、何かを決意した者の目。

 

 何故か、その姿に。

 

 祐一は……既視感を覚えた。

 

 

 恵那からの敵意。虚偽を糾弾する言葉。出どころの分からない既視感と懐古の情。

 

 それらを受け止めながら、祐一は思った。

 

(……雨か)

 

 目を、空へと向ける。

 さっきから雨が続いている。空は黒々とした雲に覆われ、さっきまで居た太陽が姿を消していた。

 

 人質を取られたな。

 恵那の言葉に動揺していても、戦士の本能が冷徹に状況を察した。

 

 雨雲が空を支配している。

 祐一の権能を押し退けて、神が近づいている。

 

 まともにやり合えば戦場のど真ん中にいる恵那は死ぬ。そして恵那を守りながら、まつろわぬ神を相手取るのは難しいだろう。それに恵那の精神状態も相当不穏だ。

 

 背筋を焦燥が舐めた。

 確実に何らかの罠に陥っている。すでに。

 

 

「──」

 

 意識が恵那から外れた途端、恵那の握る日本刀が変化した。白い日本刀が、黒く染まっていく。刀身は直刀から彎刀へ。

 

 あれは……天叢雲剣。祐一の盟友ではない。おそらくこの世界で打たれた神剣だろう。

 

「八雲立つ出雲八重垣、妻籠みに──八重垣作る、その八重垣を」

 

 疾。

 恵那の呪言によって烈風をまとった日本刀が、大上段に振り下ろされる。大太刀に見合う豪剣の技。

 

「──重力球」

 

 サトゥルヌスから簒奪した権能『朽ち褪せた黄金玉座(Schwarzschild radius)』を行使する。

 虚空から水滴じみた黒球が出現し、祐一の周囲を浮遊する。

 三十分前まで98000ルクスはあった太陽光が今では曇天へと代わり650ルクスまで下降したとか、現在半径100m以内に存在する水滴の数は10279個だとか、恵那の日本刀の重さが2.1kgだとか、今の自分の総重量が88.4kgだとか、すべてが知覚できる。

 判断材料が爆発的に増えた世界を、本能と勝負勘で狂いなく読み切った。二指で真剣白刃取りし、日本刀を受け止める。

 

「……やっぱり。神を殺めてたんだね」

 

「ッ」

 

 思わず握った刀身を離した。

 

「君は……木下祐一は確かに帰ってきた! でも、私の知ってる人じゃない! ──神殺しとして!」

 

 血を吐くような叫びだった。

 

「石上の御神体が君を気に入ったワケも納得しちゃっだね! 笑っちゃうけどね! ……それだけじゃない。秩父で恵那を攫ったまつろわぬ神を、君が殺めたのも知ってたよ!」

 

「気づいてたのか……」

 

「その時、気づいたんだ! 君がカンピオーネなのも、君がニセモノだった事も!」

 

「なんで先輩は……」

 

 祐一はシワを寄せた。

 

「そんなにこだわるんだ……先輩には友達が沢山いるだろ? 死んだ俺も、その一人じゃなかったのか? 特別ななにかがあったのか……?」

 

「ないよっ! そんなの、ない!!!」

 

「だったら……。なんで? 好き……だったのか?」

 

「分かんない。分かんないよ!」

 

 天叢雲剣の切っ先が向けられた。

 

「好きかどうかわかる前に死んじゃったんだもん! なんにも分かんない! 分かんないから──恵那は祐一くんを取り戻したいんだッ! 恵那はカンピオーネなんかじゃない……人だった祐一くんと会いたいんだ!」

 

「っ」

 

「どうして君なの!? どうして本当の祐一くんは帰ってこないの!?」

 

 白刃の群れが飛びかかってくる。恵那の剣は達人の域だ。いくらか毛髪が持っていかれる。

 祐一が人だった頃なら勝負になっただろう。しかし今は人を外れた悪鬼羅刹。

 圧倒的な実力差が横たわっていた。

 

 恵那の刃をいなしながら祐一は頭を抱えた。

 どうすりゃいい? 死んだ人間の隙間にヌケヌケとおさまった俺が、先輩にかけられる言葉なんてない。「俺は、先輩の知ってる俺とは別人だ。そいつはもう死んでる」と言い残して去るのが、一番だ。

 

 でも祐一はその選択肢を取れそうになかった。恵那はどこまで追いかけてきそうだし、そのまま死んでしまいそうな危うさがあった。

 

 どうする? どうする? どうする? 

 まつろわぬ神の気配もある。早々に事態を収めたいが……打開策は浮かばない。いっそ暴力的な解決方法しか浮かばない。

 恵那の手足を叩き折って、大人しくさせる。とかだ。

 

(もうそれもありか。死ぬよりマシだ)

 

 それで、この一瞬でこじれた仲も修復されるのを祈りながら、一緒に旅をするのもありかもしれない。一緒にいれば諦めもつくだろう。

 人でなしの思考だな、そう自重気味に笑おうとして──

 

 

 

「──そうか」

 

 祐一は悟った。

 

「……そういう、こと。だったのか……」

 

 さっきまで恵那に抱いていた既視感。懐かしさ。それらすべてが氷解した。

 

(先輩は──俺なのか)

 

 ずっと恵那に既視感を覚えていた。どこかで見たはずなのに思い出せなかった。

 でもやっと分かった。

 

 今の恵那は子供だ。

 友達が豹変して、右往左往している子供。

 

 祐一はそういうやつをよく知っていた。

 だって──自分自身がそうだったから。

 そして紆余曲折の果てにイランでまつろわぬ神を殺めたのが、祐一だった。

 ただ立場が今は違う──俺が|パルヴェーズでウルスラグナになっただけ。

 

 

 まつろわぬ神ウルスラグナになった──パルウェーズ。

 

 カンピオーネ木下祐一になった──この世界の木下祐一。

 

 

 今の泣いている清秋院恵那と、イランで泣いていた木下祐一は……同じ物を見ていた。

 友達が、いつの間にか化け物になったあの時の光景を。

 

 あれは俺だ、あの時の俺そのものだ。

 仲良くなった友達が居なくなって……やっと帰ってきたと喜んでたのに。

 帰ってきた友達は妙なことしか口走らなくて、悲しくて、どうしようもなくて、拳を握ったあの時と同じ。

 

 俺も同じはずだ。

 死んだと思ってた友達が帰ってきて、帰ってきた友達は別人で……。

 

 

「やぁぁああああああっ!!!」

 

 

 刀を横に構えて恵那が向かってくる。天叢雲剣の切れ味は折り紙だ。なにせ自分の愛刀だった。その切れ味の凄まじさはよく知っている。

 

「……」

 

 悟った祐一は逃げるのを止めた。

 

 あれは、受けるべきだ。そう思った。罰だと思った。どんな理由であれ、友達を殺めた俺が贖うべき裁きなのだと。

 

 目を瞑り、その時を待った。

 

 

 しかし……いくら待っても、その時は結局訪れなかった。

 

 

「できないよ……」

 

 刀を地面に突き刺して、膝から崩れ落ち、泣いていた。ざあざあと打ち付ける雨のなか、スカートも靴下も泥まみれになるのも構わず恵那は地面に座り込んでいた。

 両のまなじりから、落ちる涙を手のひらで不器用に拭って、拭う。

 

「君も、祐一くん……だもん……」

 

「え……」

 

「同じ約束をしたんだよ。恵那が、いつか委員会やおじいちゃまの選んだ相手の婿に行かなきゃいけないって言った時、祐一くんが約束してくれた……神様のいない世界を作るって……」

 

 石上の滝壺で……、俺と先輩はそんな約束をした。祐一は思い出した。

 

 でもあれは。

 

「……あの時の約束は、違う……。……先輩の思ってるような約束じゃない! 俺はカンピオーネとしてまつろわぬ神どもを滅ぼすためにつ、そのためだけにっ、誓ったんだ!」

 

「でも」

 

 恵那が首を振った。

 

「同じだよ。君はどんなに変わっても、それこそ別人になっても同じ誓い樹ててくれた。だったら君も祐一くんでしょ……? だったらもう無理だよ。剣を、向けられない。友達を切るなんて……できないよ……」

 

「────」

 

(この人は()()選択を選びとれるのか)

 

 下唇を食む。祐一の喉奥から肺の臓物のすべてを灼き焦がす激情が生じた。

 

 パルヴェーズの時と一緒だ。先輩は俺だ。……そう思えばこそ、俺が選べなかった選択肢を選んだ先輩が羨ましかった。

 

 語り部となれ、と。

 ……いや、共に旅を続けようと。そう言っていたあいつの手を払って、拳を心臓に突き立てた俺とは、違うのだ。

 

 羨望と嫉妬。そして史上最大の敬意を抱いた。

 恵那の選択に。

 

 祐一はその時、はじめて恵那という"人"の存在を認めた。

 

 

 

 

 

『やっと──隙を見せやがったな』

 

 祐一が恵那を見た。

 意識が、一瞬、戦場から離れて過去へ向かった。

 

 常在戦場の剛直さが、しばし崩れる。

 ゆえに、その寸毫の間隙をまつろわぬ神は見逃さない。

 

 

 

 ──黒色一閃。

 

 

「ぐ、なに──!?」

 

「ぁ? っ!」

 

 気づけば、腹がかっ捌かれていた。

 次いで、トドメを刺すように深々と冷たい刀身が土手っ腹に埋まった。

 

 恵那の手によって。

 

 

「……ぅあ、あ……!? ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?!?!」

 

 

 恵那が決意を翻したのか、と一瞬チラついたが違う。信じられないものを見る目で返り血がこびりついた手を見ている。目が震えて、ガタガタと揺れる肩が、彼女の動揺をあらわす。

 剣を振ったのは恵那だが、明らかに恵那の意思によるものではない。

 

 だったら、この仕業は──。

 

「ゴホッ……」

 

 視界を巡らすより、喉から迫り上がる血を吐いた。

 横一文字にかっ捌かれた上に、長物が深々と突き刺さったのだ。そりゃあ夥しい血量が腹いっぱいに広がり、辺り一面も赤く染める。

 

「ゆ、祐一くんッ!?!? こ、こんな……」

 

「……だ、大丈夫だ先輩。俺は、これくらいじゃ死なねえ!!」

 

 悲鳴混じりの叫び声に、手を掲げて応じる。矛盾しているが、これくらいの致命傷ではカンピオーネは死なない。

 とは言うが。

 

(やべえ……なんだ、こりゃあ……。出血量がおかしい、止まらねえ! 多すぎる!)

 

 どぽ、どぽ。どぽどぽどぽっ! 

 傷口を抑えるが指の隙間という隙間から大量出血する。傷が治らない。つまりイカれた再生力を誇るカンピオーネの肉体が機能不全を起こしている。

 

 刹那、悟った。

 すでに──

 

「──攻撃されてるッ!!!!」

 

 

『むかし、むかし……。あるところに……』

 

 

「!」

 

 

 

 

 

 

 ──具墨(くす)む。

 

 

 肉体が充足する。

輝く瞳(Mittron glaukopis)』の霊眼によって形象される視界に、いくつもの黒いシミが飛散する。祐一は一瞬、神の来歴を詳らかにすることで初めて使える《黄金の剣》を使った記憶がフラッシュバックした。

 

 

『スサノオノミコトが出雲国の肥の河上、名は鳥髪といふ地ところに降ましき。その河より流れくだりき。其の河上に人有りとおもほして、尋ねまぎ上り徃まししかば、老夫と老女と二人在りて、童女を中に置きて泣けり……』

 

 

 しかし、違う。今の()()は真逆だ。

 

 神格を切り裂くような鋭さはない。

 光を追い散らす輝きはない。むしろ逆。光を封じ込め、消失させるコールタールのごとく黒く、暗い。

 そして塗り固められた言霊の泥だんごを方々から際限なく投げ込まれていく。その度に身体が埋め立てられ、陽の当たる世界からは遠ざかっていく。ひたすら粘性を帯びた言霊が、縋り付き、纏わりつき、深い深い沼へと沈めていく。悍ましい呪言の権能だ。

 

 そこまで察したが、もう遅い。祐一は底無し沼にはまった獣のごとく身動きが取れなくなっていた。あがけばあがくほど底無し沼の深みにはまっていく。

 

 

『しかして、問ひ賜ひしく、「汝は誰たぞ」ととひたまひき。童女が名は「櫛名田比売(クシナダヒメ)と謂ふ」といひき』

 

 

「きゃあああああああ!」

 

 

 恵那の悲鳴が木霊する。

 制服姿だった彼女の装いは、いつの間にか巫女装束へと変化していた。

 悲鳴はすぐに止まった。恵那の意識が無くなったのだ。

 快活だった乙女は言霊のおぞましさすら覚える神力によって、気を失い、糸の切れた人形のごとく脱力している。

 

 先輩! そう叫ぼうとした声は──

 

 

 

 ──GYAOOOOOOOOOOO!!! 

 

 

(──なにっ!?)

 

 

 口から出た"咆哮"に耳を疑った。

 大地も天も揺るがす怪物の雄叫び……今の喉からはそれしか出ない。人の言葉が喋れない! 

 異常はそれだけではなかった。

 口を開閉される度に犬歯──否、牙が唇に触れる。手はいつの間にか緑の鱗で隙間なく覆われ、人だった名残はほとんどなかった。

 

 

 ──GAA……? 

 

「は! やっと気付きやがったかクソガキ。オレの手繰った糸はもうテメエを雁字搦めにしてるってのによ」

 

 

 声のほうを見れば、老いたまつろわぬ神。

 優に一八〇センチを超える巨躯だった。粗末な着物を一枚しか着ていないので、不相応なたくましさがよくわかる。

 嘲弄する言葉を吐いたのと同じくらい偏屈そうな顔は、ありし日のヤマトタケルの薄ら笑いを想起させた。

 

 間違いない。

 秩父の三峯神社で垣間見たあのまつろわぬ神の気配だ。厄介そうな神だと思ったが、その直感に間違いはなかった。

 

「──速須佐之男之命(ハヤスサノヲノミコト)だ。いまさら知っても遅いがな」

 

 スサノオ。さすがに祐一もその名は知っていた。

 叢雲……天叢雲剣を握った英雄は二人いる。言わずと知れた日本最大の英雄ヤマトタケル。そしてもう一人がこの、スサノオである。

 

 スサノオがクシナダヒメ──清秋院恵那のもとへと歩み寄り、言霊をささやく。

 

『汝が泣くゆえは何なにぞ?』

 

 恵那は茫洋とした表情で、神の望むままに、神の望む言葉を吐いた。

 

「私の姉妹は、もともと八人いました。この、高志の八俣のオロチが毎年やって来て喰らって行きました。今、それが来る時になったので泣いているのです』

 

 恵那が言霊を返すたびに、祐一の身体は異常をきたしていく。

 腕まで侵食していた鱗の波が、恵那の言霊で一気に祐一の全身を覆い尽くした。全身鱗だらけの、人かたちをした何かが、地面に転がる。

 

『其の形は如何いかに』

 

 

「その目は赤加賀智(アカカガチ)の如くして」

 

「ガッ──!」

 

 

 目に激痛が走り、目を抑えて倒れ込んだ。呻きを上げながらのたうち回る。

 熱い。熱い。目が、熱い! 

 祐一の意思からは離れて、勝手に『輝く瞳(Mittron glaukopis)』の霊眼がまつろわぬメタトロンの神威を燃焼させている。

 紅の両目が輝く。赤く。赤く。赤輝血(あかかがち)さながらに燃え上がる。

 

 

「身一つに八頭八尾(やかしらやお)を有り」

 

 

「く、が、ぁ! う、ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁアアアアアアアアアアアアア!!!!!」

 

 ──GYAAAAAAAAOOOOOOOOOOO! 

 

 

 七閃。全身に七条の光がまたたく。

 その流れに沿って肉体が裂けた。剣の突き刺さった下腹から、亀裂のごとく胴体が割れていく。

 八つ裂きである。

 だが、生きている。カンピオーネの生命力じゃない。まつろわぬ神の企てによって! 

 八つ又になった胴体へ、《嘘》の言霊が塗り固められていく。嘘で塗り固めていく。

 ゴキン、ゴキン、といびつな音を立てて細長く伸びた。

 

 胴体の先端には、さまざまな獣を象ったバケモノの顔。

 

 

 ──ブルル……! 

 

 ──きゅああああん! 

 

 ──グォオオオオ! 

 

 ──ルォォオオオオン! 

 

 ──ヒヒィィィン! 

 

 ──ギャオオオオ! 

 

 ──メェェェエエ! 

 

 

 顔が生えると細長い胴体はもはや"首"だ。

 八つの頭部には、牛と、鳥と、駱駝と、猪と、馬と、山羊と、羊と、そして──少年の顔を模した顔。

 

(この感覚……覚えがある! あの天使が俺を贄にしてやろうとした儀式──まつろわぬ神招来の儀式ってやつか!?)

 

 トルコのまつろわぬメタトロンが引き起こした、木下祐一を主体とする儀式。

 あれは祐一の保有する権能と神具を呼び水にして、この世に存在しない神を呼び寄せる儀式だった。

 

 それに近しい匂いを祐一の嗅覚が嗅ぎとった。

 

 

「其の身に(ヒカゲ)()(すぎ)生ひ、其の長は谿八谷(たにやた)峡八尾(をやを)にわたりて」

 

「────!!!」

 

(視界がどんどん高く……? いや……身体が、膨張していく!?)

 

 肉体が膨張を重ね、周囲の墓石を押し潰していく。

 はち切れんばかりに巨大化する身体が、山の稜線を超えて天すら擦する。背中からは無数の木々が生え、緑の鱗も相まってもはや山そのものだ。

 

 山を踏み台にして、故郷を……いや、それどころか鈴鹿山脈のすべてを見通し、東海近畿を揺るがすほどの咆哮が轟く。

 

 

「其の腹を見ればことごと常に血ち(ただ)れり」

 

 最後に剣──天叢雲剣が突き刺さった腹から更なる血を吐き、血霧で構成された赤い瘴気が、木下祐一だったナニカの周囲にまとわりついた。

 さしもの祐一でさえ理解した。

 白む意識のなか、暴力的な本能に思考が埋め尽くされる瞬間祐一は悟った。

 

(コイツは、まつろわぬ神招来の儀式なんかじゃない! ──()()()をナニカへ化生させる儀式!)

 

 

 誇り高い戦神。勇猛果敢な軍神。あるいは祐一がかつて持っていた智慧の利剣。

 彼らが好む《直立した剣》をモチーフにした──《剣》の言霊がある。

 神の来歴を詳らかにし、言霊の技でもって()()する《剣》の言霊だ。

 

 だが今のこれは似て非なるもの。

 

 真実で切り伏せるのではなく、虚言で世界をだまくらかす。ゆえに《剣》とは対極に位置する、()()()()()

 

 誰かの尊厳を貶めることに愉悦を覚える狡猾者。強突く張りなならず者。

 舌先三寸で世界を手玉に取る──トリックスター(文化英雄)の言霊。

 

 神の来歴を嘘で覆い尽くし、言霊の技でもって()()する呪いの言霊。

 

 (かた)りを(かた)る──《嘘》の言霊! 

 

 

 薄れゆく意識のなか、祐一は聞いた。

 自身が変貌したまつろわぬ神の名。彼女の告げる、《嘘》の神話構築完了の言葉を。

 

 

「蛇の名を……八俣遠呂智(ヤマタノオロチ)

 

 






本気で筆が動かなかったのでまた加筆修正するかも

スサノオにはヤマタノオロチやで、な! 
 ほな祐一くんにはヤマタノオロチになって貰うね……はずっとやりたかったのでやれて良かった(コナミ)

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