王書   作:につけ丸

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久しぶりにちょっと長め?です


109:永劫神

 絶対の法則として。

 

 ──如何なる歴戦のカンピオーネであろうと、刀剣や徒手空拳、魔導、儀式などの技量において神々には到底及ばない。

 

 人界において傑出した天才だろうと神々のなかでは当たり前以下、平々凡々にすら一歩足らぬような価値しかない。

 

 その法則は神を弑逆するに到った兵法技量型のカンピオーネでも当然当てはまる。

 正義と民衆の守護者ウルスラグナを拳にて殺害せしめたカンピオーネ木下祐一もそうだ。

 

 カンピオーネがそれでも神々に勝利し続けるのは、その差を縮めるに足る強大な権能、豪運、己への信奉と妄執、勝利への渇望ゆえである……。

 

 

 

 スサノオに肩を回して爆笑する隙だらけの羅刹王へ、日本神話の大英雄は苛立ちを込めて一撃を見舞った。

 武神の刀はまさに比類なき豪剣。強壮なる戦士を一刀の元に沈め、必敗というピリオドを打つ。

 

(はっ)

 

 手応えはあった。

 油断しきっていた神殺しの四肢を両断しつくした確信が、老雄に失笑をもたらした。

 

 スサノオは結果を待たず……安心を得た。

 なぜなら己が武によって沈黙しなかった敵など存在しないのだから。それが道理。それが真理。それが速須佐之男命(ハヤサノオノミコト)が天地神明へと宣下してきた絶対の法。

 

 

「──舐めすぎなんだよ」

 

 しかしながら今日、絶対が崩れ去る。

 

「っ、あぁ?」

 

 1フレームの短時間、思考が途切れた。

 武神としての適応力で状況を瞬時に察する。

 

 宙を、舞っている。

 

(スサノオである、このオレが!!!)

 

 ぐしゃり!

 根の国の領袖たる威神が……ただの投げ技で宙を舞い、凡愚のごとく大地に叩きつけられた。

 無様にも頭から地面に突撃し、喉と気管がいっぺんに破裂する。

 

「ゲ、はッ! ……ごほ、ゴホ! なんだとオ!?」

 

 まるで酒で酔っ払った酔漢がすっころんだようにふらふらと立ち上がる。

 そして血を吐いた。

 

 血と吐瀉物がボトボトと地面に散華していく。

 

(そ、そんなワケがあるはずねえ! 空にほおり投げられ地面に激突した、だが、まつろわぬ神が負傷することはありえねえ! それどころかオレは根の国に君臨する王者だぞ? 大地が反逆したとでも言うのか!?)

 

「──…………」

 

 そして何より、先刻の斬撃はたしかに魔王を切り裂いていた。武神たるスサノオが勘違いするはずがない。

 

「ぉぉ、おおおおおお!」

 

 スサノオが吠えた。

 

 ──再度。

 疾風となって強襲し、渾身を込めた袈裟斬り。霊眼を簒奪したカンピオーネたる祐一ですら視認不可能な絶技。

 剣が通ったあとには幾条もの赤い線が生まれ、その端から赤い血が一滴漏れた。

 

 決まった。

 次の瞬間、神殺しが破砕する未来を予知し──

 

 

 ────ぬるりと接近を許した神殺しに、手首を絡め取られる。

 

「────は?」

 

 スサノオの思考が白になる。間抜けた言葉を吐き出すと同時に、祐一が胸を反らせてスサノオの巨体を野球ボールのように大きく振り抜く。

 

「────。っ、そこォ! ちぇ、りゃあああああああ!!!」

 

「ぬぅぅ……ぉ、おおおおおおおおおおおおおおお」

 

 爆発的なまでのエネルギーが踏み込んだ地面を崩壊させ、須佐の御神が山肌に突き刺さる。

 大の字になって飛んでいくスサノオへ鈴鹿山脈の幾重にも連なる山々が立ちはだかる。

 

 バコン!

 

「ぎ、ァがああああああああああああああああああああ!?!?」

 

 山肌に大の字になって叩きつけられた途端、全身に衝撃が駆け巡った。皮膚が弾け、神の骨が、砕けた。

 

 バコン! バコン! ──ドォン!

 景気よく山々をぶっ壊し、九つ目の山で体勢を立て直し、

 大穴の奥で、鼻先をかすめるほど乱れた蓬髪から血を垂らしつつ攻撃の正体を察した。

 

「ゲハっ……ごほっ、ごほっ! ……そうか、オレは間違いなくあいつを切っていた! ……だがこの神力の残り香。時の翁──重力! ヤツめ、切られた傍から傷口同士をくっつけやがったなァ!!」

 

 カンピオーネの再生力は異常だ。内臓を失ったとしても数時間あれば快癒してしまうほど人並み外れた治癒力を誇る。

 

 通常でさえ暴力的なまでの再生能力に──更なるアシストが加わればどうなるか?

 

 例えば砕かれた骨や傷口同士を、重力で動かし繋ぎ合わせたら……。

 時を巻き戻したように、傷は癒着し、骨は継ぎ接ぎされるに違いない。

 

 それは最早、一個の権能に等しいほどに。

 

 これは外法である。

 武への愚弄に他ならない。

 己と敵手があってこそ成立する戦いにおいて、武による語らいを拒絶する振る舞いだ。

 故に、これを愚弄と呼ばずになんと呼ぶ?

 

 だがルール無用のまつろわぬ神々との闘争においては勝利のみが優先される。

 

「それに──ご、ぐむぅ……っ!」

 

「……へえ」

 

 そして血塗れのスサノオは何を思ったか佩刀・天羽々斬で腹部を突き刺し、真円を描いて抉り抜いた。地面に叩きつけられた肉塊がべしゃりと音を立てた。

 

「さすがだな。もうバレるのか」

「さっき肩を組んだ時だな……こんなモノを仕込むたあ、えらく手癖が悪いじゃねえか……!」

 

 肉塊から這い出てきた漆黒の球体が、浮き上がり回収される。祐一のそばに侍り、太陽系を公転する惑星のごとく円周起動した。

 

 地面に叩きつけられたスサノオがダメージを負ったのも、仕込まれた重力球が衝撃を操作していたしていたから。

 

 

 

 木下祐一という羅刹王は無手であるとき、最も暴力性を発揮する。権能の掌握とともにもはや手が付けられない戦士へと進化を終えた。

 

 重力の権能。

 戦闘センスと猛者たちとの経験。

 カンピオーネの強靭な肉体。

 点と点が繋がりひとつの線となって今、花開く。

 

 サトゥルヌスより簒奪した権能『朽ち褪せた黄金玉座(Schwarzschild radius)』は万能だ。スキルツリーを伸ばせば様々な分岐点と答えが提示される。

 

 そのなかで祐一が取捨選択した解答は、──柔法。

 

 鉄風のなかを悠然と歩み寄り、一も二もなく投げ飛ばす。

 傲岸不遜に見下ろす神々を投げ飛ばし、地に這いつくばらせる。それは自尊心こそ強さにするまつろわぬ神々にとって屈辱を生み、己の絶対に疑問を抱かせるには十分。

 ゆえに一歩間違えば致命傷となり得る技。

 

(クソガキが……っ)

 

 スサノオは見誤った。喧嘩を売るべき相手を間違えた。薮をつついて出てきたのは蛇(オロチ)ではなく悪鬼羅刹だったのだ。

 

 武神は剣での近接戦を捨てた、トリックスターに相応しき搦め手に走る。

 

「てめえに仕込んだ《嘘》はまだ残ってるぜ! 再び世に顕現しなヤマタノオロチ!」

 

 しかし。

 

「同じ手を二度と喰うワケねえだろボケナスッ! ──ヵ、ァァァ! 、ッ、フゥウウウウウウウウウウウウゥ………………!!!」

 

 内息を臍下丹田にて焚き上げ、呪力を横溢させる。対魔の抵抗力をはね上げる──だけではない。

 

 カンピオーネとして完成した祐一は、離れ業をやってのける。

 

 白目を向き、青太い血管が皮膚から隆起する。

 再びヤマタノオロチにせんとする《嘘》の呪力が浸食し、地肌が龍鱗へと変貌していく。

 

 侵食は頬まで及び……そこで停滞する。

 

 カンピオーネの抵抗力というスキル。極限まで慣熟したそれによって、体内に流入してくる呪詛を、調(・)整(・)する。

 薬が強すぎれば毒となる。しかし逆に言えば、毒も薄まれば薬となるということ。

 

 スサノオが祐一に呑ませた毒盃・八塩折酒が──神酒・ハオマへと変質する。

 

 

「ォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!」

 

 

 咆哮一閃。

 千変万化の軍神より簒奪した『|常勝への旅路(Parviz)』が新たなる魔貌をさらけ出す。

 

「Yathā(ヤター) ahū(アフー) vairyō(ヴイリヨー)……神の心意は神聖なることの法則なり!」

 

 排気ガスを呼気を吐いて、言霊が忽然と祐一の口から溢れてくる。

 しゃん! 聖句の称揚とともに祐一の後背に、光が溢れ出す。

 光の収束とともに現れたのは、曼荼羅じみた九つの円が連なる光輪。

 円のひとつひとつに精緻な鳥獣図が刻まれている。

 やがてそのすべてから燐光が舞い上がり、励起をはじめる。

 

「……人を呪ワば穴二ツ。ャらかシタなスサノオ」

 

 瞳孔はタテに割れバケモノへ変じる一歩手前にいながら、狂奔に堕ちず破壊衝動を抑え込めたのは一重に祐一の精神力。

 制御された暴力は、理性によって精錬され比類なき牙を剥く。

 

 祐一が『鳳』の化身となって神速域へ踏み込む。『駱駝』へと化身し、強靭なキック。

 スサノオはすんでのところで肉体を風に溶かして、回避する。だが後背からうちかかる雷撃に背を抉られた。

 衝撃に思わず風から受肉した瞬間、『猪』に轢殺されかかる。回避は間に合った。しかし対応力を削がれ、二の矢の太刀風をまともに受けた。

 血が飛び、眼球が赤に染まる。

 それでも攻撃は止まない。

 

「次から……次に、うっとおしい!!」

 

 風。颶風。雷撃。殴打。殴打。脚撃。震脚。斬る。加速。散体。治癒。蘇生。言霊。突破、突破、っ猛進!!!

 

「なん、だと」

 

 化身を幾度となく切り替えても耐え忍ぶ、スサノオの対応力はさすがと言える。

 だがスサノオはやがて脂汗を滲ませ、奥歯を砕くほど噛み締めた。

 攻撃が止まない。

 

 ──化(・)身(・)が(・)終(・)わ(・)ら(・)な(・)い(・)!

 

「我は威風あり、深く、強く、又は安寧を與え。高く、神聖なる伎倆あり、言霊の化身たり、強き腕ある武人なり! ハハハハはッ! 一度やって見たかったんだ──

 

 

 

 

 

 

 

 ────制約のねえ戦いってやつをよォォ!!!」

 

 

 常勝不敗。不断勝利。

 勝利の体現たる軍神ウルスラグナの賛美歌(ヤシュト)──聖典アヴェスターに綴られたるバフラーム・ヤシュト全章礼賛!

 

 従来の制約ありの戦い方──条件付きの直列起動は休眠し、代替として目覚めるは条件無視の全化身並列起動。

 聖なる松明(バレスマ)が今、束ねられ火が灯され、闇を祓う。

 

『Yeŋ́hē(エーンヘー) Hātąm(ハーターム)……神聖に供物を捧ぐることの善なるは、ミスラは之を知れり。我はダエーワの頭蓋を打ち破り、苦痛を與えることに最も残酷にして、ミスラを偽る者を罰する者なり!』

 

「────!」

 

 近接でさえ敵わず、遠間でも及ばない。《嘘》をつく舌はねじ切られ、絡め手は指を潰された。

 傲岸に。傲慢に。位階へと上がって来いとばかりにスサノオを睥睨する。

 

 

 

 ──絶対の法則として。

 

 如何なる歴戦のカンピオーネであろうと、刀剣や徒手空拳、魔導、儀式などの技量において神々には到底及ばない。

 

 しかしカンピオーネはその絶対を覆す。比類なき暴力性をもって無法を天に強いる。

 徒手空拳において無敵。刀を握っては近接無双。鞍に跨がれば神速縦横。冥府に落ちては不死(しなず)。その双眸には破魔顕正を宿す。

 

 祐一はついに究極の高みへと、登極した。

 

 

 

「チッ、神殺しごときにコレを使うのは業腹の極みだ……」

 

 悪態を突きながら、ここに至ってスサノオは覚悟を決めた。

 

「!」

 

 変化は一瞬で起きた。

 息が吸えない。

 霊眼を強め、スサノオの神力を解呪していく。しかし追いつかない。祐一自身の周辺を防衛するだけで精一杯だ。

 

 異変の中心部は当然、スサノオ。老躯を中心に、風が集中し、乱風が吹き荒れている。 

 世界が、傾いていく。スサノオが作り出した真空の空間へとドミノ倒しに周囲の空気が集中して圧縮とエネルギーへの変換が始まる。

 

「蛇おる上、常に雲あり。雨あり。その流れがまとまりて河となり、人草どもはふるいをかけくろがねけて、鉄を得たり……」

 

 嵐の圧縮。そして言霊の発生と同時、嵐のなかに鉄粉と砂鉄が混ざる。

 ギャリリリリリ!

 鉄分を含んだ颶風の同士がぶつかり合い、擦れ合い、互いを削りあって錬鉄する。

 まさに鉄風の風星群。赤熱する嵐は、途方もない質量と熱量を伴って重金属のグレートストームへと変貌し──一本の刀剣へと昇華される。

 

 天羽々斬を芯として鍛造した新たなる赤鉄の一刀。

 その光に赤々と照らされる翁面からはふてぶてしい眼光は消え、ただ純粋で透徹とした武神の瞳。クリアマインド──明鏡止水の境地で怨敵を斬り臥せんとしている。

 

 

 

 

「我は反魔を振りかざす矢羽根の生産者。暁空をあおぐ猛禽。夜曙けの翼賛たるもの……」

 

 祐一もまた呼応する。

 二化身に他の化身たちを集中させる。選択したのは『鳳』と『白馬』、破魔と怨敵覆滅の化身たち。

 

「酩酊と暴力の悪魔アエーシェマが絡みつけたる汚らわしき垢染め髪の戒めを焼き払い、エルブルズの天嶮を軽やかに越え、我は飛翔とともに推参する!」

 

 今こそ『極地』へと──絶対不変の〝決意〟を以て!

 剣にしか用いてなかった渾然一体の奥義を、権能に応用する。歴戦の『王』となった祐一は、ついにここまでの曲芸を極めるに到った。

 

 主は『鳳』

 ウルスラグナの化身中、最も軽き身。これまで幾度となく祐一に神速をもたらし、窮地を救ってきてくれた。

 

 従は『白馬』

 白馬の発動には多少なりとも時間を要する。光は神速より早いが、化身の発動にはタイムラグが生じる。

 故に……『白馬』の攻撃そのものを神速の刃とする。

 太陽光線を刃として抜刀術の要領で放出する!

 

 爆発寸前の呪力の胎動。

 

 スサノオと祐一の間で、暫しの静寂。そして──一陣の旋風とともに刃が抜き放たれた。

 

 

 開眼。抜刀。

 

 

「肉の地平、五月蠅なす悪神、倨傲なる獣の挫折。根の大君たるオレは稜威を示そう。真木の茂り立つ荒々しい山中にまで──」

 

「我、君主の暁の車を運ぶなり! 翼の上に白馬は馳せ、勇者スラエータナオは背に乗りて──」

 

 

 瞬光。

 

 

「──血の雲海を作りだす悪主神たらん!」

 

「──善の原理を滅ぼさんと造られし悪魔を打ち破らん!!」

 

 

 

 終末の赤風と薔薇色の迅光の奔流によって周囲の草花が粒子のひとつ残さず、消滅する。だが足りない。不滅を抹殺するには、もっと!

 破滅の光線が唸りを上げて出力を上げる。

 

 ──世は二色に染め上げられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ○◎●

 

 

 

 光と闇。

 二元論の濫觴たる古代宗教ゾロアスター教において、光は世界そのものと思想される。

 

 そして光をもたらすのは原初の頃から、火である。

 火は温暖と光明と浄化の源泉であった。そればかりか危険な野生動物から身を守ってくれるものとしても機能した。

 鉄の溶解。火の裁判。牛の供儀。

 さまざまな利益を与えてくれる火を、古代ペルシアの民はこの上なく敬い、崇拝した。

 

 そして火の畏敬から神話が生まれる。世は闇に覆われており、松明に灯した火の光でこそ善の世界は始まる。火の威勢が強まり光を放つほど世界は広がりを見せると思想するほどに。

 

 そして究極的な光の象徴は、太陽である。

 光は闇を駆逐する。

 枢軸たる太陽に、物質的(ゲーティーグ)であれ精神的(メーノーグ)であれ須らく闇は照らし出され駆逐されねばならない。

 それは《王書(シャー・ナーメ)》の主催たる神ですら例外はない。ペルシア神話の血脈を引く神々による儀礼であればこそ、その法則は遵守される。

 

 ミルク達の闇に満ちていたアジトは速やかに且つ、丁寧なほど詳らかに開陳された。

 

 日本列島南端。

 沖縄・八重島諸島。

 西表石垣国立公園。

 

 大規模な照葉樹林に覆われ、マングローブ林が広がるなど、原始性の高い亜熱帯性の植物相が形成される自然公園の一角に洞穴があった。

 入口は馬に騎乗した人間が入るだけですれ違うこともできない狭い道だ。

 しかしその奥には大洞窟と呼んでもいい広大な空間が広がる。原典・王書の二次創作なればこそかの叙事詩に登場する聖王ジャムシードが作り上げたる大洞窟ワラにあるはずだった。

 

 洞穴の岩肌に寝っ転がっていた老人は、ゆっくりと瞼をあげた。見上げるほど巨体の老躯は身を起こし、ロスタムは長い顎髭を撫で上げた。

 

 視線の先は洞穴から注ぐ──光。

 穴倉の奥からでも、蒼穹を焼き焦がす──無数の日輪。

 

 鈴鹿山脈にて『疾風の王』と覇を競いあっている『はじまりの王』の暴威に違いない。

 

「時、かのぉ」

 

 のっそりと立ち上がった。

 

 

 

 

 

 

 

「聖秘儀には、この工程が必要であった」

 

 ロスタムが背後に立った途端、ミルクは口を開いた。

 しかし顔を合わせず、背を向けて黒板に教科書の内容を書き写すように淡々と話しはじめた。

 

「《王書(シャー・ナーメ)》は光明神にして太陽神たる御方をふたたび世に招来するための儀式。太陽という名の枢軸を取り戻すことで世は秩序と安寧を取り戻すだろう。……だが、通常の運行では足りぬ。まったくもって足りぬ。日と夜は平等に入れ替わる、そのような闇と互角の太陽であられては困る。ようするに、儀式の進行のためにはテ(・)コ(・)入(・)れ(・)が必要だった」

 

 つまり、スサノオと祐一の戦いはミルクの意図したものだった。

 

「皆既日食にて日本神話を晦冥に沈めたスサノオと、太陽の少年王がぶつかればどうなるかなど自明ではあったが……神殺しは所詮、神殺し。目先の勝利にくらみ世はこの有様だ……そして己の仕出かした、後のことを、欠片も理解しておらぬ」

 

 後背にいるロスタムでも、仄暗い微笑の気配が伝わってくる。 

 

「この《王書(シャー・ナーメ)》に射日の弓雄はおらぬ。羿もエルヘン・メルゲンも。太陽拘束の英雄にして『航海の王』マウイは草薙護堂に討たれた。これより先、夜は訪れぬ。……慶(よろこ)べロスタム! この聖秘儀は不動のものとなったぞ!!!」

 

「ならばミルクよ」

 

 小さく低い、喉の肉を金属に変えたかのごとき重苦しい呼び声。

 

「もう、よいのではないか」

 

「……何?」

 

 ロスタムはミルクの説明を一切耳に入れていなかった。最源流とは頑固老人が数千、数万年以上の年月を経て煮詰まったようなものだ。

 彼らは極端だ。

 興味があるもの以外には何一つとして関心を示さない。戦であり、忠誠であり、美学であったり。

 とかく、どうでもいいのだ。己の大事なもの以外は。

 

 ロスタムもまた《鋼》の一党である。そんな彼が、ミルクの背を見つめていた。

 己よりも遥かに顔立ちは若く、刀剣の扱いは拙く、そして肩幅もちいさく繊弱な者を。

 

「この世界の最高の剣神《最後の王》には目の前で斃れた同族を己の武具に──矢の代わり、剣の代わりとする権能がある。それはメダリオンの形となってとある白き神祖の手元にある。……《鏃の円盤》と呼称される剣神招来の権能を預かるための器だ」

 

 メダリオンの前で倒れた《鋼》の軍神を配下に置く鏃の円盤。正史においてとある白き魔女王は、それを使い《最後の王》のための刃を研いでいた。

 

「我らの仕える《最後の王》にもまた同等の権能がある。器の名を《聖黒旗》。黒き旗のもとに集い、黒帯をしめ、王に殉ずる我らは──三英傑(サオシュヤント)よ」

 

 

 三英傑(サオシュヤント)。

 

 サオヤシュントとはゾロアスター教における三人の救世主の総称。しかしこの場に置いては、救世主でありながら誉れ高き英雄となる。

 世界そのものである地母神/龍を屠殺し、死骸をもって世界を再構築する《鋼》の体現であるがゆえに。

 

「メダリオンの前で倒れた《鋼》を配下とし従属神として扱う《鏃の円盤》とは違う。心意気も決意も熱量も。我ら三人は自ずから聖王旗の麾下へ、己が意志をもって集う! ゆえ剣の冴えに衰えはなく、思考に迷いはなく、渇望に限りはない」

 

 ミルクは初めて怪訝な表情を作って振り返った。

 巌のごときロスタムに、平坦だった心音に漣が走る。

 

「どうしたロスタム。気が早ったか? しかしお前が動くにはまだ早い。貴様はトリだ。原典の王書に大英雄として綴られた貴様こそ、肝心要なのだぞ? で──」

 

「もう、良いのではないか」

 

「……」

 

 ロスタムはミルクの言葉を切って捨てて、語りかけた。

 

 ひどく寂びそうな哀しげな声音だった。相手を慮った、最大限の配慮と心痛を抑えた声音。かつて王国にてヤマトタケルから謀反した、天叢雲と同じ声音。

 

 友邦のためなら己も死することを厭わぬ者の喉からのみ零れる。《鋼》のみが打ち出せる心よりの惻隠の響き。

 

「機は十分に熟した。《王書(シャー・ナーメ)》には木下祐一という工程が必要だと申した。ならばそれが成った今、もはやお主を縛っていた糸は軽く、ちぎれやすいものとなったはずだ。そうよ……お主は"廻る天輪"より委任されたその役目を終えたのだ」

 

《王書(シャー・ナーメ)》の完遂はミルクの役目ではない。儀式の確固たる進行と、不動の確定こそ彼の役目だった。

 それは先刻、無数の太陽が浮かび上がり……彼の"代行者"としての役目は終わった。

 

「……。最源流の貴様が。今日は口数が多いのだな」

 

「──本心ゆえに」

 

「……」

 

 今度は武人らしく理由を簡素に答えたロスタムに、驚くでもなく息を吐いて天を仰いだ。

 瞑目した彼は、その言葉を染み込ませるように目を閉じた。

 

 己の意思で聖王に馳せ参じた、彼らの意気は軒昂極まる。

 しかしながら三英傑(サオシュヤント)たる彼らの本質は"戦士"だ。世界の法則に手を加えることなど本来の職分ではないはずだった。

 

「分かっている」

 

「分かっておらぬ」

 

 ロスタムは抗弁する。

 

「ミルクよ。聖王の末子にして救世の未来仏の従兄弟たるミルクよ。我が言を聞き入れよ。お主は武辺一辺倒な純血の戦士たる儂と違い、救世主という性を備えていた」

 

 巌の顔面を、ロスタムはついに崩した。オトガイを空に傾け、目が埋まるほど顔中に皺を寄せた。

 

「ゆえにあの御方の"仮面"を被ったのはお主となった」

 

 されど、と零した。

 

「儂は見ていて……辛いわ。役目を終えたならば、戻れ。友よ。お主の本来の在り方──戦士に戻る時がきた」

 

 節目を迎え、変節を覚えるのは祐一だけではない。

 光が晴らすのは物質だけではない。

 大洞窟ワラの闇は、太陽によって余すことなく晴らされる。

 

 そして心に抱えた闇も。

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………。……もう良いのだろうか……」

 

 

 まつろわぬ神が吐き出した言葉は、剥き出しのものだった。ミルクは抵抗しなかった。さっきのような反発も反駁もなかった。

 

 魂が抜けたように繊弱となったミルクは力なく地べたに座り込んだ。へたり込んだ彼は生き疲れた老人のように憔悴していた。

 

 神はとびきり異形か、とびきり美しいかどちらかに振り切れる。

 しかし今のミルクにはそれがない。

 

 神として欠落している。

 

「許されるのだろうか」

 

 自責に押しつぶされようとしていた男の呻きだ。背負っていたものに耐えきれず吐いた弱音。

 

「俺はかの御方の代行者として『天人離間』の大法を維持し、誕生した兇悪無惨な木下祐一やヤマトタケルの乱行し尽くす世を制御してきた。それは俺の意志だ。願いだ。理想郷をもたらす救世神ミルクとしての使命……」

 

 疲れきった男の乱れた髪が零れ、疲労困憊する顔をおおった。

 

「ロスタム、お主は俺を見ていて辛いと申した」

 

 虚勢と痩せ我慢の限界。果たしうるべき使命を抜きとった後に残るのは軟弱なささやき。

 それは重荷を幾星霜と抱え込んできた者の、本心の吐露であった。

 

「だが俺も……見ていて、辛い……」

 

 

 

 

 

「……辛いのだ……」

 

 

 

 

 ミルクの仮面は涙に濡れていた。 

 

「我らの生まれ育った世界。イランはペルセポリスにおいて、木下祐一が軍神ウルスラグナを弑逆した世界。だが本来の歴史──正(・)史(・)において、木下祐一は神を殺めぬ。凡人として生を終え、表舞台には出ては来ぬ。そして我らも、ミルクもロスタムも登場しない」

 

「正史に刻まれているのは、《最後の王》と《運命神》らが殺害された未来」

 

「秩序の神々は神殺しによって縊り殺される。無惨で、乱暴に。その先にあるものは……」

 

 

「──地(・)獄(・)だ」

 

 

「我らがおらねば、『天人離間』の大法なくば。異邦の神殺しによって異界へとつづく通廊が埋め込まれ、それらは神域に繋がる……」

 

 

「トロイア……ラグナロク……黄泉比良坂……そしてヒューペルボレア。それを乗り越えた先も、人は滅びを迎えたことすら知らぬまま幾度も滅びを経験する……。物語がつづく限り……」

 

 

 

 

 

「そんな事が赦されてっ、たまるっ──ものかぁ!!!」

 

 

 カタカタ。

 ロスタムの佩刀が小刻みに揺れる。

 腕を組み、口を引き結んでいるロスタムもまた怒りがある。憤慨と、慨嘆がある。

 世界を守護してきた神たちの慟哭であった。

 

「黙示録(アポカリプス)という名でやってき大火と洪水は、人を虐殺する! 《最後の王》と《運命神》という寄る辺を失った神刀はよもや神殺しに助力する有様!」

 

「その果てに、世は確かに平穏を取り戻す! だが誰も己が死んだことを覚えていない!」

 

「忘れるから良いだと!? 定命の人の子は必ず死ぬ! 定命ぞ!? 不死(アルムタート)たる我らとは違い、あの子らは死ぬために生まれてきた子らなのだ! 一度きりの己の生死すら忘れ去られ、軽んじられ、命を弄ばれることなどッ──言語ッ道断ッッ!!!」

 

「それでは……あまりにも!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──人間が可哀想だ……」

 

 惻隠の情こそ、ミルクの原動力であった。

 

「だが、我らがいても世は乱れた。まつろわぬ神は現れた。神殺しは現れた。星は砕かれた」

 

「あ、ぁあ゛、あ゛あぁぁあああぁぁああああああああああぁぁぁああああああああぁぁぁ……」

 

 ミルクはついに身も世もなく嗚咽した。

 彼は現世利益を求めない。一息にまつろわぬ神のごとく人間を排除しようとは考えない。

 聖王ミスラの末子にして、未来仏の遠き裔たる彼の在り方ではない。

 

 

「俺が"仮面"を外し、世は上向くのか? 人は死なないか? 人は泣かないか? 人は幸せになるか?」

 

 ミルクは狂気に満ちていた。

 まつろわぬ身でありながら、人に慈愛を向けるという狂気。

 全身全霊をかけて戦うのは人のため。生きとし生ける命のため。

 

 そうだ。故郷を守るために戦うのは、なにも──

 

 

「なぜ……俺達の故郷だけが焼かれねばならない!!!」

 

 

 ──木下祐一だけの特権ではない。

 

 

 

 

「俺は無能だ……何一つ、済(な)しえなかった。ロスタム! なぜ俺には済(な)せなかった!? 聖王の末子たるミルクである俺が理想郷『ミルク世』をもたらせたはずなのだ! ……あまりにも無力だ……。……そしてなにも成せぬまま責任を放り出そうとしている……」

 

 膝を打ち据え、後悔を叫ぶ。

 

 仮面の来訪神は数え切れないほど仮面を抱え、使い分けてきた。

 ニニアンに忠誠を誓う厳格なる宰相として。女王を求めヤマトタケルに糾弾される悪臣として。トルコに現れた天使の敵対者として。魔王を世界から放逐した勇者として。異邦から救いを回収する略奪者として。

 

 すべては世のため人のため。

 

 しかし結果は最悪に等しい。

 

 地べたに座り込む彼は、ガチガチと歯を鳴らして霜の積もった地面に素足を下ろすように、たどたどしい。

 極寒にして無慈悲なる峻厳な世界の前に、心を壊している。

 

「だが、お主は与えられた役目を立派に果たし終えた。《王書(シャー・ナーメ)》は不動のものとなった! 胸を張れぇい! そして役目を終えたお主は……その席から降りるべきなのだ」

 

 ロスタムは震える友のそばへ鎧が泥まみれになるのも構わず膝をつき、その肩へきわめて優しく手を置いた。

 胸を反らして、宣言した。

 

「それに気にする事はない。我らは気儘な存在だったはずよの? そうとも。元よりお主は神話のなかにある真なる神などではない──我らは」

 

 言葉を止め、顎を撫でながら鷹揚に言い切った。

 

「ま(・)つ(・)ろ(・)わ(・)ぬ(・)神(・)なのだから」

 

 それは祝福の言葉であり、呪いの言葉であった。

 

「我らはここまで歩んできたのだ。もう、いい。誰かが許さぬとゆうても、この並ぶものなきロスタムがお主を許す。まつろわぬ性を取り戻そうぞ。友よ。我が友邦よ。その──"仮面"をあるべき御方に返上申し上げるのだ」

 

 ロスタムがミルクの面前にたち、顔の前でなにかを……剥ぎ取る動作をした。

 ロスタムの指と、ミルクの顔から……光と闇が漏れ、大洞窟が万色に満ちる。

 

「そして共に一個の戦士へと立ち戻ろうぞ」

 

「俺は……!」

 

 最後の仮面がひび割れる。

 日光に照らされ生み出された影が翩翻たる旗のごとく揺らめき──波紋を起こしてミルクの影から飛びすさった。

 演劇を人知れず支えてきた黒子へ、劇の終わりを告げるように。

 

 

「だが嗚呼……。尊き御方よ……もう、良いのですね……」

 

 

 元々、ミルクは救世神としての仮面を持つ。だが結局は、一介のまつろわぬ神である。

 どんなに手を伸ばそうとも、世界の根幹には手が届きはしない。

 

 そもそもこの並行世界には──《運命神》が健在だ。

 にも関わらず、大規模な招聘の儀式を断行するのは途方もない難事である。詰まるところ一柱のまつろわぬ神でしかないミルク単独では力不足。

 

 対抗するに値する強大な神がいなければ到底不可能。

 

 例えば、それこそ同格の──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《 運(・)命(・)神(・) 》でもなければ。

 

 

 ミルクとロスタムはやがて聖句を歌い始めた。

 

「これは王書と言い習わされてきたペルシャ王烈伝である……」

 

 この世界の清秋院恵那やチェリーにとっては異邦の。ミルクや祐一たちにとっては祖たる《運命神》の──招来の詠唱。

 

 偶像崇拝という概念がある。

 木材や土、金属など具体的な物質で形どられた像を崇拝対象に似せてかたちどった物だ。

 本尊ではないとはいえ、精巧なレプリカであろうと仏像や宗教図像には一種の神聖さが宿るもの。

 

 これはその応用だ。

 

 ──人は大いなる神や大自然の前になすすべなく翻弄されるべし。

 ──宇宙のはじまりから終わりまで、あるべきように物事が進み、つつがなく歴史の糸が紡がれるべし。

 

 人間が生まれる前に前もって運命は決定される。こうした"運命論"が発明開発される以前、ゾロアスター教にはその概念はなかった。

 あるのは創造主の絶対性と因果応報、死後に行きつく先の話ばかりだった。

 

 だが《運命神》と運命論の誕生後、ペルシアの思想にかなりの影響を与えた。

 

 その好例が詩人フェルドウスィーが書き残した原典・王書。その概念が詩の節々に散りばめられている。

 

 最も顕著なのは──悲劇の英雄ロスタム。栄光の裏にひそむ裏切り、子殺し、弟殺し、母の嘆き。すべてが運命に弄ばれたために起こった悲劇。

 ジャムシード王、ザッハーク王らですら容易く悲劇へと呑み込む。

 そのような絶対運命が原典・王書には描かれている。

 

 原典がそうであるならば、二次創作たるこの聖秘儀《王書(シャー・ナーメ)》にも運命神は宿る。

 原典・王書の一節を聖句として唱える。

 

 ミルクが問うた。

 

「思考精緻なる司祭は問いかけるだろう」

 

「一面に青草が生え小川の流れる牧草地を汝は見ている」

 

「鋭い鎌をもつ一人の屈強の男がいきなり入ってきて、緑の草も枯れ草も刈りとり、君の願いを聞きいれようとせぬ」

 

 

 

 ロスタムが答えた。

 

「我が父、白髪のザールは答えるだろう」

 

「この刈りとる男は 「時」であり、我らは草。「時」という刈り手は祖父も孫も区別せぬ。老いも若きも容赦なく、出会った獲物をとらえる」

 

「これがこの世の掟であり条件、すべて人の子はただ死ぬためにのみこの世に生まれてきた。人はこちらの扉から入ってあちらの扉からでていく。呼吸の数は運命によって数えられている」

 

 

 時、運命、鎌、無慈悲。時の翁サトゥルヌスを暗示させるワードが乱れ飛ぶ。だが、違う。サトゥルヌスとは様相を異にする神格。あるいはサトゥルヌスが密告した運命そのもの。

 

 アフラ・マズダーを信奉するゾロアスター教。

 ゾロアスター教やキリスト・ユダヤ教など様々な宗教と混淆したマニ教。

 タウヒード/一神教の思想がペルシャを席巻する以前、古代パルティアの地において隆盛と発展を極めた二つの宗教で最高神に据えられし強大無比なる神格がいた。

 

 ──運命をも司る最高神。

 

 ──対立する光と影の創造主。

 

 そして《王書(シャー・ナーメ)》開幕以前から、かの神は糸を引いていた。ミルクを介して神の弑逆を成功させた何人も束縛できぬカンピオーネですら雁字搦めにする運命の糸を引いていた。

 

 

 

「おいでくださいませ。時間と無限を司る秘神──ズルワーン様」

 

 

 ミルクが脱いだ石仮面。獅子のレリーフが施された仮面が、うごめく。仮面の両側から二匹の蛇が気だるげに這い出した。 ズルワーンは本来、人格をもたぬ神格だった。『時の流れ』を意味する概念に過ぎず、"人格"を後付けされた神ゆえに神々でも異形と異色である。

 

「ミルクよ。長ラクの献身、心ヨリ感謝スる」

 

 あまりに無機質でぎこちない声。

 

 そして何より、……疲れている。

 メタトロンと同じく那由多の時を旅し、弥終の地を目前にしている。

 

「オモテをアゲよ」

 

 だがそれを押して、無機質な神は心情を奮い立たせて忠臣に寄り添った。

 恥じ入るように縮こまっていたミルクのひび割れた面(かお)を優しくなぞった。

 

「勿体なく……申し訳なく……」

 

 ズルワーンは首を振り、微笑んだ……気がした。

 

 しかし、やがてズルワーンは情感を失ったように無機質になった。

 そしてミルクもまたそれに倣う。

《運命神》があるべき座に立ち戻ったならば、己もまた奮起し、武器を取り、戦士へと帰還せねばなるまい。

 

「我ら三英傑(サオシュヤント)は本来三人の英傑によって構成されます。しかしながら現世にいるのは俺とロスタムのみ。いまだ欠員があります。……ですがご安心なされませ。第三の英傑は間もなく現れます。そのために《王書(シャー・ナーメ)》の開幕をこの七月──文月と定めたのですから

 

「スべて問題Naく、予定調和を刻んデいルカ。ヨろしい。そなたノ手腕、見事であル。だが……雑(・)事(・)はズルワーンの関するところではない。戦いはそなたら三英傑(サオシュヤント)と聖王に万時お任せ申し上げる。上手ク、ヤってホしイ」

 

「御意のままに」

 

 文月──七月・盛夏の時節。

 

《王書(シャー・ナーメ)》はなぜ、この時期でなければならなかったのか?

 

 その答えをこの三神は知っている。

 

 

 

 ○◎●

 

 薔薇色の極光と、赤熱の暴風。

 二色の奔流が巻き上げた砂ぼこりが晴れたあとには廃墟と瓦礫の山しか残っていなかった。

 

 そしてその中央で、二つの影があった。

 

「……ふん」

 

 結局。

 スサノオは一歩及ばなかった。

 

 元々ラグナとの攻防で刃毀れしていたのが災いし、天羽々斬は折れ、攻撃の余波で肉体の四分の一──右半身が吹き飛ぶ有様となっていた。

 

 片腕を喪い、もはや戦士として再起は望めない。万全な羅刹王は決して手抜かりなどなく、スサノオの命脈を刈り取るだろう。

 スサノオは未来を予知した。

『疾風の王』は、『始まりの王』に完敗を喫する未来を。

 

「はっ! 切っても切ってもキリがねえ。凶事の金太郎飴みたいなヤツだ」

「……」

 

 祐一は厳しい視線を止めなかった。

 

 死にゆく神とも違う。

 現に、地肌に受け止めてきた老雄のプレッシャーは激烈に変化していた。粘ついていて、寒々しい。

 

 まだ……スサノオは勝利を諦めていない。

 

「口惜しいことだが、ヤマタノオロチだったテメエを殺せなかった時点でオレはもう敗けだ」

「何?」

 

 一瞬、意味が分からなかった。

 

「敗けたつったんだよ。終いだ終い」

「……」

 

 まつろわぬ神が白旗を上げている。

 吟味して、咀嚼し、嚥下して、やっと腹のなかに落ちた言葉に……祐一は足元が揺らぐほどの不安に苛まれた。

 

 大抵、ろくな事にならない。経験からくる確信だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「──スサノオはな」

 

 一閃。

 悪寒に押されるように、祐一は反射的に横薙ぎの一撃を放った。

 

 どむ!

 

 しかし無駄だった。

 切っ先が透明な膜に阻まれる。空間を絶たれたように接触を拒絶される。

 

「褒めてやるぜクソガキ。オレに次善の策を取るらせたことをな……そして後悔しな。てめえは元締の愚かな義母と同じく──ぱ(・)ん(・)ど(・)ら(・)の箱を開けちまった」

 

 スサノオが木下祐一との戦いをこの日と定めたのか。

 なぜ七月──盛夏の時節を選んだのか。

 

 その答えをスサノオは知っている。

 

 空間が歪む。時計回りに吹く颶風が、プラズマを放出しながらスサノオを中心に円となる。プラズマはやがて繋がりあい──巨大な輪っかが出現した。

 スサノオがその輪っかに手を突っ込み、ナニカを取り出した。

 

 開いた手のひらには、飴色の小さな棒が握られていた。鉛筆よりも少し大きくプラスチックの質感にも似た棒だった。

 

「コイツは神具。『天之逆鉾』っつう不朽不滅の神具よ」

 

「天之逆、……鉾?」

 

「ケッへっへ……、そうは見えねえだろ? だが歴とした鉾なんだぜ? もともとは千年前に日本に流れ着いて眠りこけてたガキの塒を隠すために使ってたんだがなあ……今はどうでもいい」

 

 棒状の小物……『天之逆鉾』と呼んだそれを弄びながら攻撃を遮断する透明な膜の内側で酷薄に笑う。

 鉾と呼ばれた鉛筆サイズの棒は、スサノオの手のなかで延伸し、巨大な長物へと変わった。

 

 祐一は身構えた。

 

「そう逸んなよ。鉾とはいえ武器じゃねえ。よくあるだろ? 刀剣の類が、祭具になっちまう。コイツの本質は創造神話の再現する! 水中をかき混ぜることで陸地を産み出しちまうのさ!」

 

 透明な膜──異界に繋がる穴へ、再度『天之逆鉾』を投げ込む。

 

 

 バチバチ!

『山羊』の雷撃を打つが膜にすべて阻まれる。祐一は大きく舌打ちした。

 

 

 

 異界を通過し、神具の銘が変質する。

 性質に変革が起きる。

 

『天之逆鉾』はより敵対的で、より高次の神具──。

 

 

 ──神具『天魔反戈(アメノマガエシノホコ)』へと変貌した!

 

 

 

「はっ、てめえはそこで見てな」

 

 そして唱和を重ねる。

 

 

 

「謹請再拝々々。維当年月日其時。銀花栄。金実成。冥立神祭。曜宿相応。吉日良辰撰定……」

 

 

 

 スサノオが伏して祝詞を謡い上げる。

 祐一の悪寒はもう誤魔化せないほどに高まり切っていた。

 日本神話が誇る英雄神なのだ。しかも性格は最悪の一言に尽きる。何人にも遜ることのないへそ曲がり。頭を下げるくらいなら臓物をぶちまけて糞を投げつけ、岩に腸を括り付けそうな荒くれ者がまるで平々凡々として困窮する民草のように乞う。

 天変地異という言葉すら生ぬるい禍事。

 

 ────ぴちゃん。

 

 祐一はハッとして、足元を見た。持ち上げた足は、ふくらはぎまでびしょ濡れになっていた。

 見れば山の頂からいつの間にか水が流れている。

 流れはやがて水嵩を増し、河川となった。

 

 雄渾なる流れの川岸でスサノオが膝立ちになった。残った左手で水を掬い、鼻を洗った。それだけでスサノオの儀式は終わりを告げた。

 

 瞬間、スサノオは崩れおち速やかに……

 

 

 ──絶命した。

 

 

 

 

 

『恵那』

 

 その時、清秋院恵那は幼い頃から馴染みのある威風に満ちた老人の声を聴いた気がした。

 

『悪かった』

 

 これまでの所業と、愛する者を別離させてしまう謝罪。

 それがスサノオという神の遺言。

 まつろわぬ神が現世を離れる瞬きの瞬間見せる、真なる微笑み。

 

 恵那が見上げた空にかの老神の宿星が瞬き──星は流れた。

 

「……深草の野辺の桜し心あらば今年ばかりは黒染めに咲け。……おじいちゃま……」

 

 

 

 

 

「は? 死ん、でる……? おいおい……なんだったんだ今の? 失敗したのか? 一体、何がしたかったんだ……」

 

『──馬鹿な』

 

 叢雲から驚嘆のつぶやきが聞こえる。

 

『彼奴め、己自身をみ(・)そ(・)ぎ(・)おったぞ』

 

「みそぎ?」

 

『そうだ。建速須佐之男命は、父・伊邪那美が黄泉の国から帰還し、穢れを洗い流す禊によって誕生した。鼻を洗い生まれた建速須佐之男命という神が、鼻を洗い落とす。それは自害に他ならぬ!』

 

 それはミーミルの泉で更なる知識を求め、己自身を供儀した北欧の主神オーディンのごとき狂態。

 三貴子たる己に見切りをつけ、神殺しを殺戮するに最も適した高次の神格へと押し上げるためにスサノオは死を選んだ。

 

 スサノオの遺体──聖躬からスサノオの気配が立ちどころに霧散していく。

 途端、周囲を漂っていた鉄臭さが一気に裏返り、馨しい旃檀(せんだん)のにおいへと変わる。

 

 

 究極的に能動的な生の象徴は、"太陽"である。

 しかし生と死は背中合わせ。光(オフルマズド)と闇(アフリマン)の双子と同じく。

 燦々と降り注ぐ陽光の下に立つ人間は、足もとに、自分の肉体の死の宿命を告げる暗い影を見いだす。日輪の輝きによって生の悦びを知り、同時に光の条(くだ)る先に"死"の凝視を誘うだろう。

 

 逆に、究極的の受動的な生の象徴は、"海"である。

 光の届く限り生暖かなぬくもりで人も命も包み込み、太古の時代においては酸素と呼ばれる害毒から子供たちを阻んだ幸福の領域。

 しかしやはり行き着く先は同じだ。海の底には"死"がひそむ。

 

 言霊は続く。死してなお唱えられる言霊。止める術がない。聖躬の喉仏が動き出し、咽喉を震わせ、言霊が吐き出されていく。

 

 暴風神スサノオは海神でもある。

 父・イザナギより海原の統治を任命された神格なのだ。

 言霊によって鉾がひとりでに動き出し、腹部……スサノオという海原に鉾を突き刺さる。海原から海底にまで深く突き刺さった鉾を、かき混ぜ、沈殿していた"死"を浮かび上がらせる。

 

 己が生を燃焼させて。

 

 核となる神話がズレる。新しき仮面は速須佐之男尊が習合・合体してきた数多の神仏の一尊。

 最も畏怖される神が間もなく目覚める。

 

「こいつは……っ」

 

 死せるスサノオ、生ける魔王を走らす。カンピオーネですら焦燥させ、ありったけの攻撃を仕掛けてみるがすべてが無為に終わる。

 

 そして頭上にいつの間にかたむろしていた黒雲が、地上のスサノオへと降下した。

 黒雲──《嘘》が、まつろわぬ聖躬を覆い尽くしていく。

 

 

「く、ぉ、ォォ……」

 

 色彩が乱れる。見えぬものなしの霊眼が、降臨したまつろわぬ神に共振している。

 浄眼に備わるミスラの神性が火に燻された油のように激し、警鐘を鳴らしている!

 

 

 スサノオの変身。

 "最悪"と仇名される──疫神への再臨が始まる。

 太陽の直下で、大地に仰向けになっていた死体が蠢き出す。

 

 巨大な草木を編んだ輪っか──茅の輪をくぐり粗末な着物一枚だった老人が、蓑と笠を着た旅装の男に変わる。

 笠を深々と被って顔は見えない。

 しかし異形である。

 首筋と頬には、スサノオの頃にはなかった艶やかな毛並みが見え隠れしている。

 

 その神は大物主神──"光海依来之神"と呼ばれた外界より現世にやってきて疫病をもたらす三輪山に祀られし疫神と同類の神格。

 かの神もまた、海を渡り、死と疫病を撒き散らした。

 

 

 

 神話の流入は一度きりではない。

 

 人と人との交流が続くかぎり、神話伝承の伝播と混淆はつづく。神話は何度だって、大地を踏みしめ、海を渡る。

 

 特に日本は古くから外来の文化を広く取り入れ導入してきた。

 例えば東南アジアから南太平洋にかけて釣針喪失譚という類話がある。

 日本にもこのモチーフは取り入れられ古事記に記された山幸・海幸の神話は釣針喪失譚の典型だ。

 

 イザナミ・イザナギの天之逆鉾で原古の海をかき混ぜる国生み神話も釣針を喪失しない釣針喪失譚。同様に南太平洋には創造神ランギとパパや南洋のトリックスターマウイなどの同型類話がある。

 

 聖王の御影もまた各国を歴訪したあと幾度となく極東の島国に流れ着いてきた。

 まつろわぬミルクも聖王の系譜だが、スサノオが変身したかの神もまた聖王に連なる系譜。

 しかし異形である。

 中華の反逆神・蚩尤や兵主神、牛頭魔王などを係累にもつ。

 

 

 牛にまつわる神話は世界各地で散見される。

 そして祐一が迷い込んだ島と海の世界『ヒューペルボレア』には独特な法則があった。

 聖なる獣を殺傷し、土地を広げるという、供儀の儀式。『犠牲の獣』と呼ばれる奇っ怪なる法則が。

 

 ヒューペルボレアは神話世界である。

 世に顕現するまつろわぬ神と同じく核となりモデルとなる神話が存在する。

 主神は聖王ミスラ。

 名をミトラス教、あるいはミスラ教。

 古代ローマでカルト的に信奉された聖牛を殺害することで新世界を創世する、今日には滅びたる密儀宗教である。

 

 核となる信仰は滅びれど、牡牛の首を掻き切り救世をもたらすミスレイダムの名残は消えず後代にまで継承された。

 牛頭信仰と呼ばれるようになったそれらを取り込んだペルシアの祆教(ゾロアスター教)が中国に伝わり、かの地固有の宗教たる道教と習合し、さらに東漸しては海を渡った。

 そして神道の神スサノオと習合し、民心にマッチした一つの特色ある宗教を形成せしめたのである。

 

 ゆえにこの神はミルクの兄弟たりえる。

 そして怪力乱神として比較にならない。

 江戸時代に周回遅れで沖縄に伝来した末子のミルクとは違い、中世十世紀頃には京都において定着し人気を博していたかの神とは土台が違う。

 

 なぜ七月──盛夏の時節を選んだのか。

 

 その答えをスサノオは知っていた。

 

 夏の時節、京都において本邦最大の夏の祭礼が執り行われる。

 その要諦こそ牛頭信仰。

 そして牛頭信仰は──祇(・)園(・)信(・)仰(・)と呼ばれる。

 

 そう。

 祇園の名をもってあまねく知られる京都の祭礼。

 八坂神社の祭礼──京都・祇園祭りに他ならない。

 

 

 光明神が一番力を増すのは夜闇を引き裂いて光の時が始まる暁である。

 かの神は己を祭り上げる祭儀の時節。

 日本三大祭に数えられる祭礼の時、最大限に高まる。

 

 スサノオは暗雲と皆既日食を下僕とする闇色の神だった。彼が居たために空を覆い尽くす闇のなかで、静かに眠りについていたはずの五芒星のペンタクルは目覚めの時を迎える。

 

 

 ──《嘘》の黒雲が、晴れる。

 

 

 さんざめく快晴に画竜点睛を欠くかのごとき墨汁じみた一滴が出現する。

 光で照らさなければ視認することのない暗黒宿星。老雄の宿星に隠れていた、墨色の曜(かがや)きが極光を放つ。

 星辰光は、おどろおどろしい墨の色。

 

 

 墨色──黒。

 

 黒は──死の色。

 

 全滅顕正。正邪必衰。

 六根死滅の理をあらわす。

 

 

 一軀あり。

 顔は三面にして牛頭を戴き、唐装束。

 頭髪は炎髪にして、逆立ち叱陀の相を示す。

 右手は中指を揃え立てて叱咤立印を現し。

 左手に宝鉾・『天魔反戈(アメノマガエシノホコ)』を持する。

 

 

 ここに疫神の再臨は完遂する。

 その名を。

 

 

 

武答天神・南無大悲──

 

 

 

 

──牛頭(ごず)天王(てんのう)! 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 刹那、祐一は即死した。

 




クソカード同士でソリティアするのホンマやめてね
なお神と魔王は生命力ゴキブリすぎてライフ0にならないのでゲームだけは続行される


ミトラス教→牛頭信仰→牛頭天王の流れは『民衆宗教史叢書 御霊信仰』くらいで見つけられなくて「わいもホンマなりかぁ〜?」くらいのノリで書いてるので読者諸賢のかたがたも話半分でお願いします。

牛頭天王については去年の某氏やカンピ2次界のレジェンドが詳しく書いてるからそっちを読んでくれよな〜(露骨な宣伝)(神話知識クソザコ勢並感

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