王書   作:につけ丸

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011:因果の糸

 バンダレ・アッバース。

 イランを代表する三大主要港の一つであり、いま祐一たちがやっとの思いで辿り着いたホルモズガーン州の州都でもある港湾都市だ。

 古くから港町として栄えて来たこの街はマルコポーロが記した『東方見聞録』にも記されるほど、歴史ある街でもある。

 主要港であるためかアラブ人やロシア人貿易商も姿もよく見る事ができ、黒人系の住民も多く以前からの人々の往来の多さを物語っている。

 この街には、ペルシア湾で取れた魚が並ぶ魚市場、活気溢れるバーザールがあり、バンダリーと呼ばれる人々……特に女性の方は、赤または黒の仮面を付けており、異国情緒を感じ取る事が出来た。

 

 街道沿いの一角にあるホテル。

 そこのホテルの一室を貸り、祐一とパルヴェーズは休息を取っていた。

 

 祐一が意識を失って、丸一日。未だ彼の意識は戻らない。

 パルヴェーズは祐一のベッドの隣に座り、付きっきりで祐一の様子を見ていた。部屋は締め切られていて天井の蛍光灯だけが光源だった。

 祐一を見つめる彼の胸中は分からないが、祐一を深く案じている事は容易に察する事が出来た。

 若く力強いしかし細い繊手が、祐一の癖のある黒髪を撫でていく。こうする事で、昏睡状態である祐一の表情が少し和らぐのだ。

 眼差しは優しく、己が愛し子を見るかのようだ。そして、同時に何か決意を秘めた眼でもあった。

 暫くそうしている時だった。

 

「う……。んぁ……?」

 

 祐一がうめき声を上げる。深く閉じられていた目がゆっくりと開いていく。

 どうやら目を覚ましたようだ。

 パルヴェーズはホッと安心した様な、何処か弛緩した雰囲気を出す。祐一はいまだ茫洋とした意識の中で、ここが何処なのか分かっていない様子に見えた。

 彼の目にだんだんと理性が宿る。意識が完全に覚醒したようだ。そして祐一は隣に感じる気配に……気が付いた。

 

 ゆっくりと、視線を向ける。

 パルヴェーズ……。祐一は、彼に気付いたと同時に、気不味そうに目を伏せていた。疑問はまだ祐一自身を苛む事を辞めてはくれない様だ。

 祐一にはどんな顔をして顔を合わせれば良いか見当も付かなかった。

 そんな祐一を見て取ってパルヴェーズは意を決した表情を作り、口を開いて、

 

「のう、小僧……」

「なあ、パルヴェーズ……」

 

 相棒と重なった。

 祐一は顔を上げ、パルヴェーズも祐一を見据えた。視線が重なる。祐一の意識が覚醒してから、今になってやっと二人は目を合わせたのだ。

 祐一の瞳はいつもの揺るぎない意志に溢れたものでは無く、不安げに揺れていた。

 パルヴェーズもまたそんな祐一の瞳を見て取っては、哀しげに瞳を揺らす。

 

 ───致命的だった。

 

 何時の間にか彼らの亀裂は取り返しがつかないほど広がっていた。昨日まで笑い合っていた名残は……欠片もない。

 猜疑と恐怖。諦観と悲観。二人の心はそんな感情で蟠り溢れていた。

 

 ここが俺達の終着点……。

 

 二人は何となく感じ取った。

 祐一はこの旅の破局を感じながら、それでも祐一は聞かなければならなかった。顔を伏せ、パルヴェーズを見ることなく彼に改めて問い掛ける。

 

「なあ……パルヴェーズ。君に聞きたい事があるんだ……。オマーン湾で起きた『強風』、あの町に居た『山羊』、この街の近くに現れた『雄牛』……。俺、十四年生きてきたけど、こんな訳分からない現象、見た事も聞いた事もないよ。信じられない事ばかりが起きてる……」

 

「それに……パルヴェーズ。君もだ。あり得ない身体能力、あり得ない力……俺は、君みたいな人間にも会った事も、見た事もない。……"あり得ない"んだよ。……ただ単に、世間知らずなのかも知れないけど、そう思ってしまうんだ。君を……疑ってしまう……」

 

「なあパルヴェーズ! 君は一体何者なんだ! 普通の人間なのか? 俺の友達? それとも、ただの旅人? ──違うんだろ!? ……友達にこんな事思うのなんて、首を掻っ切りたくなりけど……やっぱり俺は思ってしまうんだよ!」

 

「君が、あの魔物たちの仲間なんじゃないのかって……! そして、君が今にでも、俺を襲って来るんじゃないかって……そう、疑ってしまうんだ……」

 

 祐一は、力尽きるように語った。

 

 

「──()()

 

 力ある言葉。

 グイッと、見えない引力に引かれる様に、顔が動く。祐一は、自分の意思とは関係なく、顔を上げざるを得なかった。

 視線が、パルヴェーズを捉える。

 目を動かそうにも、眼球が、動いてくれない。恐怖と共に、パルヴェーズを見据える。

 

 パルヴェーズは、微笑んでいた。

 

 感情を一切表さない神仏の類じみた神韻縹渺たる表情。つまり……、アルカイックスマイル。

 ──ああ、これだ……。祐一は、この表情が大嫌いだった。あの血の通った、太陽のような友人が、どんどんと人から外れて行く感じがして。

 大嫌いな表情。なのに祐一に去来した感情は嫌悪でも、恐怖でもなく、胸を締付ける酷い寂寥感と、狂いそうな程の後悔だった。

 

「……おぬしの言う通りじゃ。我と、あの者らは、祖を同じくする存在。なんの因果か、今は各地に散らばっておるが、元は一つであったもの。そして我が使命とは、それらを集め、元の存在へと至る事。記憶を殆ど失っておったのも、幾つも存在に別れ、名を封じられたが故に……」

 

 パルヴェーズの、冷厳とした言葉が響く。

 

「小僧……お主は我と初めて会った時に、言った事を覚えておるか? ……『おぬしを助けたのは罪滅ぼしじゃ』と。───その言葉の通りじゃ」

 

「『我』は、おぬしを襲った『強風』にして『山羊』! そして、昨日現れた『雄牛』でもある! おぬしを襲った化身は全て『我』!」

 

「そう……。おぬしを襲ったのは、危機に陥れたのは──『我』じゃ。小僧」

 

 パルヴェーズは、淡々と語る。一切感情を悟らせない声で。

 己の来歴を。己の本性を。己の正体を。今まで知りたかった事。曖昧で謎だった事が次々と明かされて行く。本来なら、驚愕するであろう事。

 だけど今の祐一にとって、そんな事は、どうでも良かった。

 祐一の心は、ある日突然、四肢を失った様な、暗澹たる気持ちだった。

 

 パルヴェーズが、決別しようとしている……! 何処か朧気に感じていた破局の時は、もう目の前に来ている。それが分かったのだ。

 ───次にパルヴェーズが口を開いた時にでも。

 やめろ。やめてくれ。

 祐一は、必死に願った。自分から拒絶しておいて、余りにも自分勝手な願い。

 だが、それでも、嫌だった。

 この一週間ほどの旅、辛くなかった、なんてお世辞には言えない。

 始まりは船が転覆して、漂流する所から始まった。

 迷い込んだ土地は、故郷じゃ有り得ないほど過酷だった。

 水の確保にも事欠く、生き難い土地。

 旅の相棒は強くて、今までの慢心や、自尊心は、粉々だった。

 行く先々では、人々に言葉なんて伝わらなくて、疎外感は何時も己の心を苛んだ。

 だけど、それでも、彼と居れば宝石なんかよりも大切な時間になったのだ。

 

 祐一は、今更そんな事に気付いた。

 結局、彼はその事に、終わりが来るまで気づく事が出来なかったのだ。

 くるな。くるな。

 別れの時が、近付いてくる。

 それでも、時は止まらない。祐一の後悔なんて、感情なんて、関係なく時間は進む。

 ついに、パルヴェーズの口が、開く。

 

「──小僧。ここで袂を分かつとしよう」

 

 ──どうして、こうなったんだろう。

 

「我と、おぬし。短い間であったが、良き旅路を歩めた。我の無聊を良く慰めてくれた。ふふ、気紛れに助けた人の子が、ここまで愉快な者じゃったとは、因果とは分からぬものじゃのう」

 

 祐一は、幼子のように、いやだいやだ、と首を振り続けた。もう、これ以上聞きたくない。別れの言葉なんてクソ食らえだ。

 

「『強風』『山羊』『雄牛』……。化身が、おぬしの前に現れる前に、討ち果たせれば良かったのじゃが……。すまぬの……。我の至らなさで、おぬしが何度も危地に陥れてしまった」

 

 ちがう。ちがう。

 俺は助けて貰ったんだ! 他でもない……お前に! そう思えど、口から出て来るのは、喘ぎ声のみだった。

 いやだ。いやだ。

 そんな思いが繰り返して溢れ、鋭い感情が胸を穿った。耳を抑える。

 

 もう、なにも、ききたくない。

 

「──祐一」

 

 頭が真っ白になった。

 パルヴェーズが、祐一の名を呼んだ。初めて、名を呼ばれたのだ。

 驚いて、顔を上げる。

 視線の先に居るパルヴェーズは……笑っていた。無機質な神韻縹渺たる表情ではない、いつもの、慈しむ微笑。

 

 ああ……

 

 ……終わりだ───。

 

 パルヴェーズの、優しげな表情とは裏腹に、祐一は思った。

 いやだ。

 祐一の頬を涙が伝う。パルヴェーズは、そんな祐一の頬に手を伸ばし、涙を拭った。

 ふふ、今度は手を払われる事は、無かったのう。

 パルヴェーズは、そんな感情が浮かんだ事が、おかしくて笑みを深め、

 

「祐一よ。おぬしは、我に勝利した暁には、名を呼べと約束しておったのう。まあ、我に勝つ事は出来なんだが、しかし、我が旅路に、珠玉の彩りを与えてくれた。

 ……感謝する。故に、これを功とし、名を呼ぶ事を褒美としよう……。喜べ、おぬしは我に、その名を刻みつける事ができたのじゃぞ?」

 

 念願が叶った。これが、常であればどんなに幸福だっただろう。

 祐一は、ぐちゃぐちゃの心の中で思う。

 本当の所、祐一にとって勝負よりも、パルヴェーズに名を呼んでもらう方が重要だった。億兆の勝利よりも、この友人に名を呼んでもらう方がずっと価値のある事だ。

 そう、考えていた。

 だと言うのに、胸には、更に増した寂寥感と、後悔だけがあった。ボロボロと情けないほど、涙が止まらない。

 

「ふふ。我が名を封ぜられて居なければ、おぬしを我が愛し子として迎え入れ、戦士として格別の加護を与えたのじゃが……。この身では、それすらも儘ならぬ。難儀な事じゃ……。じゃが、慰め程度の加護であれば、おぬしにも与えられるじゃろう」

 

 パルヴェーズは、少し悔しそうに、だが慈しむ様に笑う。

 涙を拭う手が、離れていく。

 そんな加護要らない。君が居るだけで、俺は嬉しいんだ。

 そう思っているのに。───それでも祐一の口は、開いてはくれなかった

 

「さらばじゃ、我が最愛の友よ。おぬしは、災禍蔓延る不条理な世界では……純粋すぎる。おぬしの輝きを見ていたくて旅の侶伴としたが……ふふ、やはり、おぬしの隣は我ではなかったようじゃの。それがどうしようもなく残念じゃ」

 

 そんなわけない。いかないでくれ。祐一は、離れていくパルヴェーズの手を見続けていた。

 あの手が、離れていく程に、祐一とパルヴェーズを結ぶ因果の糸が、次々と千切れていく気がしたのだ。無意識に、パルヴェーズの繊手へ手が伸びる……。

 

 ───予兆は、なかった。

 

 ゴゴゴオオオオオンンンンッ!!! 突如、凄まじい衝撃と轟音が街を揺るがした。

 

 ────GYAAAAAAAAAA!!! 

 

 今度は地獄から響くような、大音声。何かとんでもないモノが現れた。外を見なくとも、異様な気配が、祐一に教えてくれる。

 何度も異常や異変、異形に出遭い、その手の感覚が凄まじく鋭くなった祐一は、すぐに判った。

 あの魔物たちと同じ奴が現れた、と。

 それと同時に気づく。魔物が現れて、その事実が浮き彫りになった。一度気付いたらもうダメだった。

 鋭くなった祐一の感覚が、こう囁くのだ。

 

 眼の前の『少年』もまた……同じ存在だ、と。

 

 余りにも突然の事に、酷く動揺する祐一。

 当然だ。

 魔物が現れ、目の前の友人も”人”では無いと言う、確信を得てしまったのだから。

 そして今、なにをしようとしていたかも、忘れてしまった。

 そうだ……俺は……! ハッと……気付いた時には、パルヴェーズの手は、もう離れ切っていた。

 

 ───因果が、途切れたのだ。

 

 フッと。

 部屋を明るく照らしていた、光源が消失する。

 おそらく今の衝撃で、電気を供給する発電所が破壊されたか電線が寸断されたのだろう。

 突然光を失った暗い空間の中、目が慣れず夜目の利かない祐一はパルヴェーズの表情を伺い取る事が出来なかった。

 だが暗闇に浮かぶ二つの猛禽の双眸がしっかりと祐一を視ていた。どうしようもなくパルヴェーズが怖い。情けないけれど、それが本心だったのだ。

 当たり前だ。

 ”木下祐一”と言う少年は、例え人並み外れた身体能力を持っていても結局は……ただの”人”なのだから。

 パルヴェーズは夜目の利く目で、祐一の表情をみやり、

 

「……では、これで今生の別れだ。おぬしとの旅路……決して忘れぬ。我が与えた加護で、ここから逃げよ。ふふ……何れおぬしの肉体が滅び、そして訪れる審判の時、チンワトの橋を渡り切る事が出来たなら……。また、ともに旅をしたいものよ。……せいぜい心清く、善の道を歩めよ」

「まって、くれ……」

「我らと人の道は交わらぬもの。永遠に、な。……では、さらばじゃ……友よ」

 

 夥しい暴風が吹き荒れる。凄まじい烈風の嵐だ。だが、全てを吹き飛ばす、と思われた風は、予測に反して、何も微動だにさせなかった。

 ベッドも、椅子も、鏡も、祐一ですら、そよ風が頬を撫でるだけだ。

 しかし、咄嗟に祐一は、両腕で顔を覆っていた。

 害意を感じなかったパルヴェーズに対し、しかしそれでも過剰に防衛措置をとった祐一。それほど、彼への不信感は高まっていたのだ。

 そんな自分に、愕然とする祐一。そして、その腕の隙間から、祐一は己の目で、しっかりと見た。

 異形へと変貌する、パルヴェーズの姿を。

 パルヴェーズは、その美しい身体を、ゆらりと、ほどけさせたのだ。

 しゅるしゅると、繭がほどけるように、露と消えて行くパルヴェーズ。

 

 窓がひとりでに、開く。風となったパルヴェーズは、真空の筒に滑り込むように、外へ飛び立っていった。

 

 結局、祐一はピクリとも動けなかった。咄嗟に手を伸ばす……そんな動作すら、出来なかったのだ。

 そしてパルヴェーズが自分の下から……去った。

 彼は、もう、戻って来ない……。どんなに目を背けても、現実は無情にも祐一の心にその事実を突き付けてきた。

 祐一は、愕然とくずおれ、膝を付く。

 もう、友はどこにも……居ない。祐一の脳裏に、そんな現実が掠めては消える。

 

 一陣の風が、祐一の前を通り抜けていく。項垂れ焦点の合っていない目で虚空を見詰める祐一。

 

「おれは……また……。まちがえた……」

 

 無様な、自分……。残されたのは、惨めな一人の少年だけだった。

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