王書   作:につけ丸

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012:向かい風の中で

 ──バンダレ・アッバースが、燃えている。

 巨大な影が、蠢いている。眼下に見下ろすホテル郡が燃え盛り火達磨になる。煌々と照りつける紅蓮の炎は天上に輝く太陽に勝負を挑んでいる様にも見えた。 

 蹂躪されるバンダレ・アッバースの街。

 

 蠢く影の正体は───『駱駝』だった。

 

 雄叫びを上げ、その分厚く鋭い前肢で、大地も街も人も踏み抜き破壊を齎す。荒れ狂う『駱駝』の目には、狂奔の色がありありと写し出され、住民もその狂気が乗り移ったかのように、誰かれ構わず、殴り、蹴り、血を流し、そして笑うのだ。

 これまで、現れた『強風』『山羊』『雄牛』。

 それらが現れたのは、人里離れた土地が多かった。そのため天変地異にも等しい恐るべき災いが起きた事にも関わらず、被害が多少は抑えられていた。 

 

 だが今回は、違う。

 ここは人々の往来が盛んな湾港都市。何十万の人間が暮らす大きな街だ。

  人々の営みが、秩序が、結晶が……。為す術なく破壊されていく。もはやこの街の崩壊は必定であった。

  

 そんな様子を窓から冷めた目で眺める。非常事態を告げるアラームと人々の絶叫や呻吟の声が、酷く耳障りだった。

 惑う人々がいっそ滑稽に見えた。あんなものから逃げられる訳がない。ならば潔く膝を折って須く首を差し出すべきじゃないか。そんな感情さえ浮かんでくる。

 

 なにを見ても心が動かない。何を聞こうとも、頭が働かない。身体を動かそうとすら、思えなかった。友に拒絶されるより、友を裏切ってしまう方が、よっぽど堪えていた。

 

 二度目の失敗を犯した彼は、心がポッキリと、折れてしまったのだ。

 

 もしここにパルヴェーズか、或いは彼の幼馴染が一人でもいれば、すぐさま張り倒し、正気へ戻そうとしただろう。だが、不運にも彼の傍には誰も居ない。

 茫洋とした思考のもと、呆けた様に『駱駝』の蛮行をただ只管眺めているのみであった。

 その様子はまるで生死の狭間の末に辿り着いた、あの暗い空間に居るようですらあった 

 

 キィィィィィン───。戦闘機だ。

 ミサイルだろうか? 戦闘機から幾条もの線が放たれた。

 なんの興味も沸かなかったが、ふとそんな事を思う。その線は、一直線に『駱駝』に向かって行き、そして悠然と構える『駱駝』に直撃し、何も起きる事なく……消滅したのだ。

 

 ───GYAAAAAAAAAA!!!! 

 

 これまでに無い大音声。

 矮小な人の子の、身の程知らずな振る舞いに、魔物は怒りの咆哮を上げた。

 赦さない、と。必ず滅ぼす、と。魔獣の眼光が、空の羽虫を射貫く。

『駱駝』が前足を振り上げる動作をした。

 たった、それだけの動き。たったそれだけの動きだと言うのに、戦場の空の支配者は粉々に砕け散ったのだ……。

 

 簡単な事だ。神速の動きによって生まれた鎌鼬が、空を滑空する戦闘機を破壊したのだ! 

 ”人”が、抗える存在では……ない。

 怖気が走る。今度は”無感動”から一転して”恐れ”が生まれた。

 

 ただ、ただ、恐ろしかった。

 恐怖に指が、膝が、身体が震える。震えを誤魔化すように胸を掻き抱く。今度は歯の根が合わない。

 祐一の胸中に、また逃避の感情が渦巻く。

 これ以上、あの魔物を見ていたくない。目を背けたい。

 パルヴェーズにも抱いた、弱者……いや、”人”として当然の欲求。

 だが祐一は、そうしなかった。そうする事が、出来なかったのだ。

 

 祐一の鋭く、研ぎ澄まされた感覚が捉えたのだ。……いつも感じていた馴染みある、力強い気配を。瞠目する。巨大な『駱駝』に、突如現れた可視できるほどの烈風が攻め懸かったのだ! 

 

(あれが、パルヴェーズなのか……)

 

 忘れるものか。たった一週間程度とは言え、あれだけ一緒に居たのだ。間違えるはずが無い。

 可視できるほど濃密な烈風が、『駱駝』を襲う。

 しかし、『駱駝』もさるもの。不意を打って来た烈風を、まるで知っていたかの様に、巨体を揺らし、見事に躱して見せたのだ! 

 だが、烈風の攻勢はそれで終わりではなかった。『駱駝』の横を通り過ぎた烈風は、収束し、今度は蕾が花開く様にばらけ、無数の刃となり攻め掛かる。

 その数は、十や二十では利かない。

 千にも及ぶ斬撃の嵐。必中必殺の斬撃が降りそそぐ。

 しかしその狂気に満ちた瞳で見据え、見切る『駱駝』。数多の斬撃を潜り抜けては、時にはその隆々たる四肢で応戦する。

 

(あいつも、心眼の使い手なのか……!)

 

 偉駆を誇る『駱駝』の未来予知にも似た機動を見て、戦慄と共に推察する。

『駱駝』を捉えきれず、あらぬ方向へ飛んだ刃が、ビルをバターの様に容易く切り裂く。ビルが切り裂かれた箇所からズレ降りて行き、瞬く間に被害が拡がって行く。

 

(勝ってくれ……パルヴェーズ!)

 

 なんて自分勝手な願い。しかし、恐怖に呑まれた祐一は、そう願ってしまった。藁にもすがる思いで、恐ろしい化身たちの戦いを見る。

 拮抗する、2つの強大な存在。

 しかし、その均衡も長くは続かない。実体を持たず、手数の多さで勝る烈風が、ついに『駱駝』を捉える。

 新たに生まれた五つの巨大な刃。恐ろしい力を秘めた刃が、神速にも及ぶ速度で同時に襲い掛かる。心眼で見切る『駱駝』もまた、閃光の如く四肢を振り回し、応じる。

 だが、さしもの『駱駝』も手が回らない。最後の一つが鉄壁の防御を潜り抜け『駱駝』を袈裟斬りに切り裂く。

 その背瘤から腹部にかけて、巨大な裂傷が走ったのだ! 

『駱駝』の四肢にて、封ぜられていた刃も、形を変え「鉾」となり、『駱駝』を穿つ! 

 烈風の攻勢に、満身創痍となる『駱駝』。

 

 ───だが、そこまでだった。

『駱駝』はそれでも倒れない。感覚が麻痺したかのように、微動だにしていない。凄まじい耐久力で泰然と構える『駱駝』が──動く。

 

 咆哮とともにその流血滴る前脚で、烈風を叩き付けたのだ! 

 その前脚は、実体が無い筈の風を見事に捉え、痛打を与えた! 烈風は、たわんでは弾け飛び、あらゆる物を薙ぎ倒し、吹き飛んで行く! 

 烈風は、『駱駝』の一撃に、堪らず霧散した! 

 あっけない終幕だった。

 

 ──狂った『駱駝』の勝利によって……。

 

 勝利の雄叫びを上げる、『駱駝』。

 未だ遠い距離だと言うのに、咆哮でビリビリとホテルが震える。まるで、恐れ慄くように。

 ──ズル……。

 そしてまた、眼下に捉えた壮絶な激戦に、祐一は気圧され、一歩後ずさってしまった。

 引き摺る様に足を引く。

 なんだこれは……? 本当に現実なのか……。

 死の恐怖と理解出来ない物への恐怖。その感情が、知らず祐一の心を縛りおののかせる。

 

 ───ガタッ。何か動く音がした。

 

「───ッ!」

 

  咄嗟に振り向く祐一。よく見れば後ずさった先にある椅子に、祐一の足がぶつかっただけだった。

 ホッと安堵する。と同時にその椅子に視線が吸い込まれた。パルヴェーズが腰掛けていた椅子とは別のもう一つの簡素な椅子。その上にはいつも自分が着ているブレザーが折り目正しく畳んであった。

 視線を下げ己の格好を見る。……上半身が裸だ。どうやらパルヴェーズが去り、呆然としていた自分は、半裸である事すら気づけていなかった様だ。

 

(パルヴェーズが、畳んだのか……?)

 

 ふと、思う。『駱駝』の事なんて忘れて、パルヴェーズの残した足跡に意識が大きく傾く。

 『雄牛』が放った巨礫で、大穴が空いていたブレザーは、どうやったのか穴が完全に塞がっており、状態も新品同然に綺麗になっている。そして、こうしてキチンと畳んであるのだ。

 

 あいつ、変な所で律儀だなぁ。

 

「──あはは」

 

 笑いが零れた。笑ったのは、いつぶりだっただろうか……。

 そんな考えが、脳裏をよぎる。

『雄牛』と遭遇してから、全く笑っていないんじゃないだろうか。いつも俺とパルヴェーズは笑い合っていた筈なのに。

 目をギュッと強く瞑る。息を深く吸い、大きく吐き出す。

 

(なんか少しだけ、冷静になれた気がする……)

 

 目を、開ける。

 パルヴェーズと決別し、それからずっと悔恨の感情が、重くのし掛かって全く周りが見えていなかった。

 視線を上げる。

 うじうじ悩んでる自分が鏡に写ってひどく情けない。───そして一つのとある疑問が生まれた。

 

(なんで俺は、ここに居るんだ?)

 

 あの時。パルヴェーズが去る時、引き止める事も、追う事もしなかった自分。自分は確かに別れを望んでいなかった。

 でも、拒みもしなかったのだ。

 それなのに、今こうして後悔に塗れている……。

 なんて情け無いヤツ。俺は……どうしようもないクソだ……。

 ブレザーを手に取る。

 その時ひらりと一枚の紙が落ちていった。膝を折り、床に落ちた紙を見てみる。

 それは写真だった。あの『山羊』が現れた町で、チャイハネに居た人々と撮った写真。

 写真に写る人々は誰もが笑っていた。人々も。自分も。そして──パルヴェーズも。

 

 祐一は思い出した。あの町でパルヴェーズは何をしていたのかを。

 そうだ……。彼は人知れず戦い、町を守り、自分を助けてくれたではないか……。それを誇る事も、吹聴する事も、彼はしなかった。

 そしてあの町を旅立つと同じ頃に、パルヴェーズは町を忌避し始めた。……今なら分かる。パルヴェーズは、あの町で魔物が現れた事を悔やんでいたのだ。だから、町には寄り付かなかった。

 

 そして祐一は更に思い至った。パルヴェーズが別れを切り出した理由を。

 あいつは……恐れていたんだ。

 俺が、魔物に襲われる事を。己と共に居るだけで、友が襲われ傷付くのを……酷く恐れていたんだ……! 

 

(それなのに……、それなのに……!!!)

 

 なんて下劣で、醜いヤツ! 路傍の石や、打ち捨てられたゴミの方が、何倍も価値がある。

 祐一は、吐き捨てる様に、自分への呪詛を吐く。

 拳を握る。

 ふつふつと激情が溢れて、抑えきれない。

 握り締めた拳から、血が滲む。だが気にも止めず、彼は自分の中にある激情を制御出来ず、壁へ拳を叩き込んだ。

 叩き付けた拳。

 その拳は強かに壁を殴り衝撃を受けた壁は、叩き付けられた場所を中心に、クモの巣状の罅が広がり遂にはガラガラと崩れ去った。

 

 顔を上げて、前を見る。視線の先には、備え付けの鏡があった。

 鏡に映し出された、己が見える。鏡に移る自分は、今までの自分の姿さえも写し出し、木下祐一と言う「人間」を克明にさらけ出した。

 

 友を拒絶して、その友に縋ろうとしている自分が居た。

 友が戦場に向かい、のうのうと生きている自分が居た。

 友を疑った。しかしその友に愛されている自分が居た。

 

 

 ─── ふ ざ け る な ぁ!!!!! 

 

 激昂し、祐一は吠えた。『駱駝』の咆哮すら掻き消す声量にホテルが震える。激情の発露は実体すら得て、ホテルの一室を軋ませた。

 全身が熱。身体中の血液が沸騰しているかの様だ。

 祐一を包む激情は「怒り」に他ならなかった。己への怒り。 情け無い自分への、赫怒である。

 己の情け無さが、どうしようもなく許せない……! 

 激情のままに叫ぶ! 

 

「友達を信じれない奴が、友達に怯える奴が、友達を哀しませる奴が、それのどこが友達なんだよ! ふざけんじゃねえぞ木下祐一!!!」 

 

 猛る。先刻まで、生涯でこれまで無い程の失意に暮れていた少年は、今はその暗い感情が裏返った様に、叫び、猛り狂っていた。

 パルヴェーズへ……、自分を思ってくれた友へ……! 

 酷薄な言葉を投げ、拒絶してしまった自分は、一体なんなんだよ!! 

 

 今の俺は、断じて! ───あいつの友達じゃねぇぇ!! 

 

「あいつの! パルヴェーズの! 友達名乗るってんなら……! あいつぐらい……倒してみせろおおおおおおお!!!」 

 

 あらんかぎりに咆哮し破壊の化身たる『駱駝』を指差す。そう言い捨てた祐一はブレザーを引っ掴んでは羽織り『駱駝』目掛けて、窓を飛び降りた! 

 跳躍する。当然のように、すぐさま重力が祐一の身体を絡め取り落下する。

 前述の通り、この祐一達のいる部屋は高い場所にある。それもバンダレ・アッバースの街が一望できる程に。

 そこで祐一は、身一つで飛び降りた。

 一時のテンションに身を任せて。木下祐一、14歳の夏。そろそろ盗んだバイクで走り出したいお年頃である。

 しかし、祐一は考え無しに、飛び降りた訳ではなかった。祐一には確信があったのだ。

 

 ───俺はここでは死なない! 

 ───俺はこれくらい出来る! 

 そんな絶対の自信と確信が胸にはあった。

 祐一は、しっかと目を見開く。視界に入るすべての物が停滞を始め、モノクロへ。 

 パルヴェーズが教えてくれた──”心眼”

 あらゆる武術の奥義とも言える技を祐一は使いこなしていた。

 なんと祐一はパルヴェーズとチャンバラで勝負して以来……それから一週間ほどの短い期間で、自由にその領域へ、足を踏み入れる事を可能としていたのだ。

 それは、パルヴェーズの教授の上手さもあっただろう……だが彼が成し遂げる事が出来た一番の理由は、偏に「パルヴェーズに勝ちたい」と言う一心であったのだろう。

 恐るべきは彼の、勝ちへの執着と、友への執念である。

 閃電、雷光すら見切れるほど、今の祐一の視界はクリアだった。今の彼なら、雷神……戸次鑑連の様に、稲妻だって捻じ伏せ、切捨てて見せるだろう。

 だが、それだけでは無かった。

 いつもの心眼は、どんなに速いものでも、容易く見切ってみせた。

 だが、今回の心眼は違う。

 今、不甲斐無い己に怒り、嘗て無いほど激情に溢れた祐一。

 そんな彼の心眼は、曇るどころか普段より格段に感覚が鋭くなった。それに加え、自分がどう動けば良いのか、最適解が何となく判った。

 視界にもう一つ自分の姿を……最良最高の動きをし、導く自分の姿を幻視する。

 彼の心眼は、もう1段階先へ進んだのだ。

 

(──一番良い動きが、見える!) 

 

 突然、新しい世界が拓けた。

 普段であれば、突然現れた新しい感覚に慄くであろう事。しかし、祐一の心に揺らぎは無く、凪いでいた。

 そして、ただ素直に自分の成長を喜んだ。

 怒り、歓喜、驚き、あらゆる感情の奔流が、祐一を押し流そうとする。

 だが今の祐一は、毛ほども気にならなかった。

 荒れ狂う感情の、奥には冷静に全てを見詰める、確固たる自分が居た。

 その自分は、感情どころか、筋肉の躍動、血管の動き、それすらも詳細に感じ取り、支配していたのだ。

 奇妙な感覚だった。 

 心には、煮えたぎる感情が溢れかえっているのに、すぐ横には、全てを見据え無心を貫く理性があった。

 肉体は、精神の軛から逃れようと、もがく様に、細胞が荒れ狂っているのに、億兆の細胞……その全てを、祐一は支配下に置いていたのだ。

 静と動が混じり合う。無我でありながら、狂奔に狂っている不可思議な感覚。陰陽太極図の如く、感情の奔流に必ず冷徹な思考があり、凪いだ心に必ず荒れ狂う感情があった。

 己の先を行く自分に導かれる様に、動く。

 臍下丹田より込み上げるものを、足に収束させては籠め、全力で駆ける! なんと、師事されそれほど経っていない内功であっても、今の祐一には児戯の如く容易く扱う事ができた。

 

 ビルの外壁を蹴り上げ、疾走する! 更に加速していく。祐一の蹴り上げる脚力に負け、ホテルの外壁が降り積もった雪道を進むかの様に凹んで行く! 

 あの暗い空間より、戻って来てから、己の感覚が酷く鋭くなっているのを感じていた祐一。今はそれが最高潮であった。臍下丹田より湧き上がる内功が、手に取る様に鮮明に、感じ取る事が出来た。

 心臓の鼓動、内蔵の活動、血管の脈動、細胞の一個一個の感覚、大気の流れ、遠くから響く音……暗い空間に迷い込んだ時から、先鋭化した感覚が脳へ叩き付けてくるのだ。

 だと言うのに、祐一は行動不能には陥らなかった。全てを理解し、取捨選択しては、最適解を導く。異常な事であったが、今の祐一には、不思議と成し得る事が出来た。

 

 武術の奥義たる”心眼”すら材料に、祐一は駆ける! 

 疑問は当然ある。己が強くなった理由は検討も付かない。

 どれほど考えても答えは出なかった。それに己が異常に近づいて居るのは良くわかった。

 だがそんな事どうでも良い。

 祐一の心を占める感情は、一つ。

 

(今の俺なら、あいつに並び立てるんじゃないか……)

 

 そんな淡い期待。

 

(俺は、パルヴェーズの使命を手伝う。そう約束したんだ。あの日、あいつに助けられて、初めて会った時に──!)

 

 拳を、強く握る。

 

(友達との約束は、絶対に、守らなくちゃ、ならない。俺はあいつが怖くて……そんな簡単な事すら忘れていた! でも……、もう最後まで付き合う。信じ切る! そう、決めたんだ!!)

 

 今日、目が覚めてから、怒涛の展開の連続だった。

 思い出した記憶に翻弄され、友を疑った。

 そして友は”人”では無かった。

 魔物と友人は同じ存在で。

 最後には、訪れる事を望んでいなかった……決別の時。 

 正直、オツムが悲惨な祐一にとって、処理出来ない事ばかりであった。

 名探偵の如く、難問を快刀乱麻を断つ様に解決出来る智謀も、機械仕掛けの神の様に、無理矢理に幕を引く力も無かった。

 取り柄と言えば、この身体能力の高さと、少し幸運に恵まれているくらいだ。

 現状を打開出来る方法……そんなもの、望むべくも無かった。

 だから、彼は思考を放棄した。

 

(どんな理由でも、パルヴェーズは俺を助けてくれたんだ! なら俺はそれに全力で応える! ──俺は、パルヴェーズを信じる!)

 

 単純明快な考え。

 いつもの開き直りだったが、祐一は、自分が間違っていると思えなかったし、パルヴェーズがあの異形たちと同じだと思いたくなかった。

 だから、一途にパルヴェーズを信じる事に決めた。

 彼の肚は決まった。

 

 大地が近づく。

 あの時、船が吹き飛ばされ、投げ出されて以来の、身が竦む様な感覚。

 だが、祐一に恐怖なんて欠片もなかった。ただ、もっと速く駆けろ! と足を前に突き出す。

 道路に突き出た、ホテルの看板が目の前に迫る。

 

(ッいくぞっ!!!)

 

 踏み込み、看板を滑走路代わりに駆け抜け、跳ぶ! 

 我を忘れて逃げ惑う人々が、あり得ない物を見た様に呆けているのが見えた。さもありなん。

 

 ──震ッッ!! 

 

 地面への着地に成功し、すぐさま猛る『駱駝』へ駆ける! 目の前に、ホテルやビルが軒を連ねるオフィス街が広がり、祐一の道を塞いでいた。

 ───建物が邪魔だ。

 そう思い、一息に跳躍する。なんという軽功! 

 数十mはある建物を跳び越し、今度は屋根の上に着地する。

 忍者の様に屋根伝いに跳び、一直線に『駱駝』の元に向かう。 

 疾風の如く、駆け抜ける。誰の目にも捉えられない速度。『駱駝』と、どんどんと距離が縮まって行く。

 そして然程、時間も掛けずに辿り着いた。

 

 ───これは……駱駝じゃない。駱駝の形をした……『魔物』だ。 

 祐一は『駱駝』を間近で見上げ思った。

 巨駆だ。近くで見るほどに、その異様さが浮かび上がる。

 見上げるほど巨大で、乱立するビルでさえ、『駱駝』の威容を隠し切る事が出来ない。

 鉄塔に匹敵する程の、長さと分厚さを兼ね備えた四肢が見える。もし、一度その分厚い前脚を振るったならば、どんな堅牢な城塞であっても崩れ去るだろう。

 こんな生物が、世界を闊歩したならば、地球での人類の覇権は容易く奪われるに違い無い。 

 ──だが、そんな異形を前にしても、祐一の足は止まらない。

 勢いそのままに駆け、未だ咆哮を上げる『駱駝』にドロップキックをかます! 

 

「うらあああぁあぁあッッッ!!!」

 

 ──轟ッ!! 

 完全な不意の一撃だった。

 それに、そもそも矮小な人間など歯牙にも掛けない『駱駝』だ。例え気付いたとしても、碌に反応を示さなかっただろう。

 それでも祐一の一撃は、確かに『駱駝』を捉えたのだ! 

 背瘤より走る裂傷に、祐一が開戦の嚆矢代わりの一撃を突き込む! 

 そこで、気付く。遠くからで見えなかったが、『駱駝』の傷は塞がり始めている事。

 何という生命力。

 祐一は何度目になるか分からない驚愕で、顔を顰めさせた。

 ───ズズッ……! 

 祐一の一撃で、あの巨大な『駱駝』がたたらを踏む。訳が分からない。狂気に彩られた目が、見開かれ、驚愕の感情を表す。 

 だが次の瞬間には赫怒の瞳に変え、許し難き者……矮小な身の程知らずへ咆哮する! 

 羽虫や蟻……そんな存在にしてやられたのだ。その怒りは当然だった。 

『駱駝』が、その充血した眼で、下手人を探す。

 直ぐに捕えた。

 己より遥かに矮躯の人間が、蚤の様に大地を跳ね回っている。

 更に赫怒の炎を燃やす『駱駝』。嘶きを上げ、前脚を振り上る。身の程を知らない愚か者へ、裁きの鉄槌を下す! 

 

 ───爆ッ!!! 

 大地が豆腐の様な脆さで、轟音を立て捲れ上がる。『駱駝』の強烈な一撃により、局地的に大噴火したかのようだ。

『駱駝』は、ただ不快だった。化身との神聖な戦い。その戦いの中で得た、気持ちの良い勝利を汚されたのだ。それも当然だろう。

 蚤は潰した。今度は、この街を破壊し尽くそう。怒る『駱駝』の目に狂気が、再び宿る。

 だが、『駱駝』の予想に違い、蚤は屍を晒していなかった。それどころか、降りそそぐ土砂を躱しては、前脚を駆け上って来る! 

 怒りが頂点に達する『駱駝』。

 鼻息荒く、涎すら垂らし、前脚に取り付く、蚤を大地に叩き付ける。再び、噴火したかの様に大地が吹き飛ぶ。

 

 ───潰れたか。前脚を上げ、覗き見る『駱駝』。

 直後、瞠目する。何も居ない。血すら着いていない。

 

 と同時に直感が囁いた。瞬時に、首を振る。

 恐らく目があった場所。そこに3mほどの石塊が投擲された。

 直ぐさま石塊が投げ出された方向を見やる。

 そこには──不敵に笑う「人間」が居た。

 

 ───GYAAAAAAAAA!!! 

 

 余りの怒りに『駱駝』の理性が掻き消え、周囲の気温が一気に上昇する。『駱駝』の持つ、あらゆる筋肉が膨張する。

 目障りな蚤を潰す。その為だけに『駱駝』は全力を尽くす。必中必殺の絶技が放たれるのだ! 

 

(おー、これは……死ぬかな)

 

 簡素に思った。

『駱駝』を翻弄していた祐一。しかし額には滝の様に汗が流れ、左腕も曲がってはいけない方向に曲がっていた。

 正直、もう諦めたい気持ちでいっぱいだった。

 位階が遥か上位に在る「魔物」を前に、祐一は如何に「人」から外れ始めたとは言え、結局は人間。脆く儚い肉体を、酷使し過ぎていた。

 烈風となったパルヴェーズすら倒せなかった魔物だ。祐一がどれほど死力を尽くそうと届く相手ではなかった。翻弄出来ただけでも大殊勲ものだろう。

 次の一撃で、死ぬ。

 死を確信していたが、心に絶望は無かった。ただ何故か気持ちの良い充足感だけがあった。

 

 迫り来る『駱駝』。

 嘶き、両の前脚を、高く高く振り上げる。

 祐一は、それでも諦めない。

 口角を吊り上げ、足に力を籠める。初めは、溢れる程あった臍下丹田から湧き出る力も、今は掻き集め無ければならない程、少ない。

 

 此処で自分は死んでもパルヴェーズが後を引き継ぐ。

 なんの根拠も無くそう信じた。そう思うと力が湧いてくる。

 揺るぎない瞳で見据え『駱駝』と相対する。祐一の肉体はボロボロであった。しかし彼の心は、憂いも悲壮もなく、晴れ渡っていた。 

 不敵に笑う祐一。充溢する心に、満足し、笑みを深める。

 五感を研ぎ澄ませ、『駱駝』の全ての挙動を見据えた。 

 最初の一撃だ。

 祐一は、『駱駝』を見据え思う。

 もう、今にも放たれるであろう、神速の連撃を捌ける余力は、無い。

 ならば……

 

(一発目の前脚を、見切って、ぶん殴る……!)

 

 幸い、奴の動きはパルヴェーズとの戦いでも見ている。自分にも、何度か放たれた。目は、大分慣れている。分の悪い賭けでは無い 

 多分、見切れる筈だ。……いや、見切って見せるのだ!! 

 

 祐一は、自己暗示にも似た、強い思い込みで自分を奮い立たせた。

 

(俺は少しでも……パルヴェーズの隣に近付くんだ……!) 

 

 胸の奥で、ジクジクとする後悔の感情を振り払う。そして今は遥か遠い……”友”を思い描き、決意する。

 最早、祐一の心に迷いは無い。

 あるのは、強い意志。最高の未来を思い描き、掴み取ろうとする、意志のみがあった。

 

 ──轟ゥッ!!! 

 

 遂に『死』が迫る! 稲妻にも及ぶ速度と、雷撃を上回る破壊力を纏い、度し難い蚤を踏み潰そうとする。

 まるで、隕石と相対しているかの様な境地。常人なら、瞬きもできず数百回は死んでいるだろう光景。

 

 しかし、祐一は”見切れる”と信じた。

 それ以外何も考え無い……只管に”勝利”を狂信者の如く盲信する。狂人と何も変わらないほどの、思い込み。或いは強い信念。

 ──だが、戦士として当然の事! 

 

「おおおっ!!!」 

 

 祐一も、跳躍する。

 前へ……! ただ、愚直に、前へ……! 己の最良の機動を、幻視する。

 身体が、無意識に動く。意志の介在しない……もはや、無我の境地に到った祐一の意識。

 腕を振り上げる。臍下丹田から、残り少ない力を、ありったけ注ぎ込む! 

 咆哮する! 

 

「テメェは、此処でッ───!」

 

 拳を叩き込む! 

 

「───オレと死ねッッッ!!!」 

 

 矮小なる人間の一撃。

 しかし、受けた『駱駝』の自慢の前脚は、小枝の様に拉げ、叩き折れたのだ! 

 

 ───GYEEEEEEEEE!!! 

 

 絶叫を上げる『駱駝』。怒りでも、咆哮でもない。不撓不屈の化身が初めて上げた、苦痛による絶叫だ! 

 

「はっはぁーっ! ざまあみやがれ! 人間、舐めんな!」 

 

 中指を上に突き出し、堪らなくなった様に吹き出す祐一。 

 痛快だった。

 遥か上位の強者に一矢報いたのだ。その喜びは、心を歓喜一色にし、満面の笑みを作らせた。

 

 力なき人類の快挙だった! 

 

 

 ───ガァン!!! 

 何かを、強かに打ちのめした轟音が響く。

 あの強大な魔物は、脚を拉げさせても止まる事なく、空中で無防備を晒す祐一を、残る左の前脚で蹴り飛ばしたのだ! 

 ───パキィィン。 

 同時に、何かの破砕音。

 しかし今の祐一にとって、そんな物を気にする余裕は、無かった。 

 

「───ッ!!!」

 

 グシャリッ! と前脚が叩きつけられ、身体を四方八方に、引き裂かれる感覚。続く衝撃によって、骨が筋肉を突き破り、空中へまろび出るのが見えた。

 だが、彼は奇跡的にも原型を留めていた。しかし、弾丸の様な速度で吹き飛ぶ祐一。

 巨大な瓦礫すら吹き飛ばし、弾け飛ぶ。

 どんな障害物も、祐一を受け止めるには到らず、吹き飛んで行く。

 そうして、数百m吹き飛んだ所で、やっと祐一は止まった。

 酷い状態だった。

 顔、口、首、胸、腹、足……あらゆる箇所から鮮血が流れ止まらない。

 意識が無いのか、顔は俯いている。

 四肢に無事な箇所はなく、右手以外の四肢は原型を留めていない。

 あらゆる物を巻き込み、吹き飛んだ影響で、鋭利な物が突き刺さり、痛々しい。

 死体だ。

 専門家で無くとも、一目見れば理解出来るほど、酷い状態だった。

 

 ───ガアアアァァァアアアンンンッッ!!! 

 

「ぁ……ぁ……」 

 

 それでも祐一は、生きていた。辛うじてだが、それでも彼は生きていた。少しの間、意識を失っていたが、凄まじい轟音によって、意識を取り戻した祐一。 

 だがそんな瑣末事、すぐに掻き消えた。

 己の余命が幾許も無い事を悟ったのだ。

 朧気で、もう痛覚すら感じない思考のなか思う……友への別れと、懺悔を。

 

(ごめん……パルヴェーズ……。俺は、お前に一言謝りたかった……。友達から拒絶されるのが……どれだけ辛いのか、俺自身が一番知っていた筈なのに……。俺は、どうしようもないクソだ……。こんな力を手に入れたのに……俺は何も出来なかったよ……、パルヴェーズ……)

 

 もう一度、会いたかった。

 そんな女々しい思いが、胸に湧く。

 意識が遠のいて行く。苦痛からの開放を、己の罪からの開放を、現実からの逃避を、死が誘う。

 祐一は、それに逆らおうとはしなかった。

 ただ、友にも幼馴染にも、誰にも別れを告げつ事なく逝く……。その事に寂寞感と後悔だけがあった。

 視界が暗くなった。俯き地面しか見えない祐一にも、感じる事が出来た。 

 

(ああ……もう迎えが来たのか……)

 

 どうやら死後の世界は、三途の川や天国なんて無く、真っ暗な空間だけが有るみたいだ。祐一は暗くなって行く視界の中、そう思った。

 また、あの暗い空間に戻るのは嫌だなぁ……。

 ほんの、数時間前まで居た空間を思い出して、顔を顰める祐一。

 微睡みに居る様な、時間の流れさえ曖昧な空間は、終わりが無いのだ。またあそこに戻るのは、勘弁して欲しかった。

 

(でも、まあ良いか……)

 

 だが祐一の、酷く朧気で緩慢とした思考は、それを許容してしまった。

 もう、どうでも良かった。

 そこまで考えて、視界の闇が蠢いた。そして祐一は気付く。これは意識が無くなったから、暗くなったのでは無い。日光が翳っているのだ。

 そう。誰かが、祐一の前に立ったのだ。 

 

(『駱駝』が、止めを刺しに来たのか……) 

 

 朧気な意識のなか、予測する。

 一息にやってくれ……。 

 投げやりに諦観が覆う思考の中で思う。

 だが、予測に反し、その正体は『駱駝』ではなかった。

 

「諦めるか小僧……。おぬしがここで斃れるとは残念でならぬ……。何故……。何故、逃げなかったのじゃ……。ばかものが……」

 

 懐かしい声。

 この声を聞かなくなって、一日と経っていないのに、何故か祐一はそう思った。 

 どれほど切望したか分からない、友との再会。

 だが、その声には悲哀の色が、色濃く含まれていた。

 

 ───死ねない。死ねる訳がない。 

 

 祐一は目を見開き、顔を上げる。

 脳からの無茶苦茶な指令に、身体の彼方此方から、悲鳴にも似た痛みが走る。無視した。

 ただ、友の顔を見たい。それだけだった。

 視線の先に、パルヴェーズが、居た。

 美しい容貌を、額から滴る鮮血で染めた、満身創痍の少年が。

 パルヴェーズと祐一の、視線が重なる。

 そこに、言葉はいらなかった。

 彼は、少し驚いた様に微笑み、手を伸ばす。

 祐一も、また、全身を駆け巡る激痛を無視し、右手を伸ばす。

 

 ゆっくりと、手を伸ばす二人。

 祐一にとって、その時間は、那由多にも及ぶ永い時間にも感じられた。しかし同時に、黄金にも等しい、待ち望んだ時間でもあった。

 

 ───手を、取った。

 祐一の全身に、活力が宿る。あらゆる傷が、瞠目するほどの速度で治癒されていく。

 パルヴェーズの異能だ。

 おそらく地下に落下して重傷を負った時、使った力と同じなのだろう。

 それでも祐一にパルヴェーズへの恐怖は湧いてこなかった。

 

 ───ここに、因果は、結ばれたのだ。

 

「おせーぞ、パルヴェーズ。死ぬかと思ったぜ」

「ふむ……。ちと、旅の相棒から嫌われてのう……。傷心の我は、悲嘆に暮れておったんじゃが、道すがら獣に襲われてしまっての……?」

「うっ。ごめん……。……てか! お前が訳わからな過ぎるのが、いけないんだぞ! 事情があるなら早く教えてくれよ! 訳分かんなくて疑っちまっただろ! 「報連相」これ大事! とーちゃん、言ってた! それに名前も「小僧」呼びに戻ってるし! 戻せ、戻せ!」

「ふん。自分から、勝算もない死地に飛び込む未熟者なんぞ、小僧で十分じゃ。我が、折角与えた守護の加護も『駱駝』に蹴られ粉々では無いか。全く! あの『駱駝』の蹴りを受けて、四散しなかったのは、我のおかげじゃ感謝せよ! ……それにまた名を呼んで欲しくば、次こそ勝負で勝つ事じゃな!」

「……ふん、言ったな! 今度の俺はひと味もふた味も違うぞ! 覚悟してろよぉ!」

 

 二人は立ち上がり、軽口を叩き合いながら、肩を並べ合い笑う。

 そうして、右の前脚を引き摺り迫る、満身創痍の『駱駝』を見据える。

 

 ───ここに、両雄は並び立つ。

 

 もはや負ける通りなんて欠片もなかった。

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