王書   作:につけ丸

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017:地獄!

 照り付ける太陽! 青々と晴れ渡る空! 見渡す限りの不毛な土地! 遥か彼方に聳える山々! 颯爽と吹き抜ける風! 舞い上がる土埃。横たえられた枯木。しおれ痩せ細った草。無数に転がる石塊。鳴り止まぬ風切り音。喉を焦がす熱気……。苛み止まぬ渇きと飢え……。引き摺り覚束ない足取り……。杖を弱々しく左手……。ぐらぐら揺れる視界……。朦朧とする意識…………。

 

(………………み……ず……)

 

 試練からニ日。祐一は遂に倒れようとしていた。

 

 ○◎●

 

 試練開始直後、走り去ったラクシェを追って荒野を駆けた祐一。しかし結局ラクシェに追いつく事はできなかった。

 如何に超人的な能力を持つ祐一でも、地平線の彼方へ消えた駿馬に追いつく、と言う難事は無理があったようだ。ラクシェを追いかけ数十km走った所で力尽きてしまった。追い付けなかったとは言え驚異的なスタミナである。

 

「あ……あのクソ馬……。はぁ……はぁ……今度あったら……絶対ぶん殴る……!」

 

 息も絶え絶えに零す祐一。地面に身を投げ出し、身体を横たえていた。零す言葉は、置いて行った馬鹿者への呪詛である。

 ブツブツと譫言の様に呟く姿は、ここに人が居ればその不気味さに堪らず顔を顰め足早に去って行くだろう。

 しかし幸い人っ子一人居ない。

 全力を出し、力尽き果てていた祐一。そんな時に、ふと、右手に違和感がある事に気付いた。

 手を掲げ、手を握っては、開く。

 

 気のせい、か? 小首をかしげ、眉を顰める。

 先程感じた違和感が忘れられず、悶々としていた祐一だったが、すぐに気にならなくなった。

 喉の渇きを自覚したのだ。

 

(水……あったっけ?)

 

 息を整え、上半身を起こす祐一。

 ブレザーのポケットや、腰回りを探って水分を探す。ポケットに入っていた物は、時計、写真、羽根くらいのもので、水分どころか食料すら無かった。

 これだけしかないのか……。

 改めてこの試練への不安と走り去っていったラクシェへ怒りを募らせる祐一。

 不貞腐れたように、また寝っ転がってこれからどうするか思案に耽る。

 

(取り敢えず、水を探さねーとな……。ラクシェがいりゃあ、問題なかったんだけど……)

 

 右手で羽根を摘んで、ボーと眺めていたが、クイクイッと羽根が独りでに動いた。

 目を瞠り、驚きを露にする祐一。すぐにパルヴェーズの言葉を思い出し、疑問が氷解したした様な表情を浮かべる。

 どうやら目的地である、小川の方向を指し示しているようだ。

 なるほどなぁ……。パルヴェーズがこの羽根を羅針盤と言った意味をようやく理解した。

 

(……よし。羽根の指す方向に行こう。道中に川か何かあるだろ)

 

 祐一は何時もの見切り発車で進路決める。

 パルヴェーズが居ない今、中途半端に道を選べば、死を招くだろう。

 しかし祐一は、長い間パルヴェーズと旅を共にし過ぎていた。

 迷い無く、安全な道を選び進むパルヴェーズと共に旅をしていた祐一。

 その為、この様な過酷な土地でどう進めば良いのか等の判断力が養われていなかったのだ。……まあ、本人の大雑把な部分も多々あるが……。

 そんな風に、思案に暮れていた祐一だったが、

 

「熱っ!」

 

 背中からに猛烈な熱さを感じ、勢い良く上半身を起こす。長い時間、寝っ転がって居ると、日光によって熱された地面が牙を剥くのだ。

 

「はぁ……行くかぁ……」

 

 背中にまだ残る熱さと、潤せかった喉の渇きが堪らない。

 祐一は顔を顰めて、ため息一つ。ブレザーを日傘代わりに引っ被り、トボトボと歩き始めた。

 羽根の指す方向は遥か彼方に聳える山脈だ。

 今の祐一には、道連れも居なければ見渡す限りの荒野に人影も無かった。

 そんなたった一人の旅。

 一人寂しく旅をするのが久しぶりで、どうにも調子が出ない祐一。

 胸にじわじわと沈んだ感情が広がるのを自覚し、それを誤魔化す様に足早になって行く。

 もうあの時感じた手の違和感なんて、忘れてしまっていた。

 

 

「やばい……。水が……無いぞ……」

 

 歩き始めて、数時間が経った。

 太陽は今が丁度、一番高い場所にある。気温と日差しの強さは今がピークだ。ブレザーで遮っている筈の日光は、そんなちゃちな布など物ともせず襲い掛かって来る。汗は止めどなく出て来て、不快感が堪らない。喉の渇きは一向に収まらず、苦しいままだ。

 

「クソっ……水場なんて何もないじゃんか……!」

 

 そう。祐一は、歩き始めて数時間、ずっと水のある場所を探していたのだ。だが、水の「み」の字すら見当たらない現状に悪態をついていた。

 基本的に街から程近い場所にある貯水槽アーバンバールは元より、この様な水の少ない土地には良くある地下水道カナートや、川も池も見当たらなかった。

 一度、川が流れている様な地形を発見し、遡っていた祐一だったが、結局水なんて無かった。どうやら、雨季にのみ川が出来るだけの涸れ川だった。

 その事に気付いた時は、余りの絶望感と徒労に終わった悲しみで、祐一は膝から崩折れた。

 

『この辺りに水源は……無い』

 

 試練開始前に言っていた、パルヴェーズの言葉が脳裏を過る。

 

(あれって、俺達を協力させる方便じゃなくて、本当の事だったのか……)

 

 今更ながら、この試練の前途多難さに目眩がしそうになる。辺りには草木すら見当たらない荒野。起伏が激しく、進むのにも苦労しそうだ。

 もう、このまま穴掘って行けば、地下水脈に辿り着くんじゃないか……? 

 そんな訳のわからない、投げやりな考えが浮かぶ。首を振って、前を向く。いつの間にか弱気になっていた己に、喝を入れる。

 まだ、先は長い。こんな所で挫けてたまるか! 

 叱咤して、羽根の示す方向に再び歩き出した。

 

 夕刻。

 猛威を振るった太陽も、「定時だし、今日の仕事は終わりだ」と言わんばかりに沈んで行く。

 暑さも数刻前ほどの、死を近くに感じる程のものでも無くなっていた。それでも、暑い事には変わらなかったが。

 青褪めた空は、炎の様に明るく衣替えをし、夜の帳を降ろそうとしていた。

 感じる取れる程、気温が下がって来た事に気付き、そろそろ野営の準備をしなければ……と思い至る祐一。そんな折だった。

 少し気温が落ち、一日の終わりを自覚して、気が緩んだのだろうか? 

 祐一の足が少し震え始めたのだ。

 

(歩き詰めだったもんなぁ……)

 

 試練が始まってすぐに、数十kmにも及ぶマラソンだ。それも、故郷では考えられない程の炎天下の中。身体能力に優れた祐一だからこそ成し遂げたが、常人ならすぐに熱中症か疲労で倒れているだろう。

 それに加え、水分すら補給していないのだ。如何に類稀な身体能力を持つ祐一であっても限界だった。

 取り敢えず腰を降ろし、ひと息付く。

 すぐに、野営の準備をしなければ、陽が落ちるのは判っていたが、流石に身体が動かない。休憩の手慰みに、焚き火の準備を始める。手頃な石を集め「U」の字を作って竈にする。

 竈を作り終え、胡座をかいて頬杖をつく。

 

「なあ、パルヴェ……」

 

 今、自分は一人ぼっちだったと言う事に何とも言えない顔で、押し黙る祐一。

 一人の夜は久しぶりだ。

 船が転覆してから今日まで、傍らには何時もパルヴェーズが居た。

 数えてみれば、パルヴェーズとの旅が始まって、二週間近い時間が流れていた。その間、いつも隣には相棒が居たのだ。

 一度別離した苦い記憶もあるが、それも長い時間では無かった。

 ───パルヴェーズがいない。その事に、いつの間にか酷い違和感と、何か穴が空いたような空虚感が祐一の心に浮かび上がる様になっていた。

 

(うぅん……。もうちょっと、ラクシェと仲良くしてりゃ、良かったかな)

 

 そんな後悔にも似た感情が生まれた。

 少なくとも祐一とあの馬とが喧嘩をしなければこんな事態にはなっていないのだ。

 まあ祐一とラクシェ。

 どちらかが引けば良いのだがラクシェは妙に祐一の敵愾心を煽った。それはラクシェも同じで、いつも彼らは反目せずには居られなかった。

 

(後は、パルヴェーズだな)

 

 そう。何時も傍らで二人の争いを見守る、パルヴェーズにも原因があった。

 パルヴェーズの見ている前では、己が負けている姿なんて見せてなるものか! ……と両者共に一層奮起するのだ。それは、好きな子の前で良い格好をしようとする、男子の心理にも見えた。

 今度あったら、一発全力でぶん殴るくらいで許してやろう……。そんな結論に達し、そろそろ薪を集めようと立ち上がる。もう、太陽は沈み掛かっている。少し、休憩と取り過ぎた様だ。これは急がねばならない。

 

 ───ぐらり

 立ち上がった瞬間に、力が抜けたのだ。それは一瞬の事で、すぐに足で踏ん張り支えて事なきを得たが、足の震えが以前より増している事を自覚する。

 身体を酷使し過ぎたかな……。また、気分が落ち込む祐一。

 食料も無い。水も見付けねばならない。毒性を持つ生き物も多く居る。気を抜く事は出来ない。

 あと、どれだけ歩けばいいのか検討も付かない。遠くに見える山脈が蜃気楼では無いか、何度疑ったか判らない。

 祐一は、そんな不安要素を整理し考えるたびに、どんどん憂鬱になって行った。

 

(やめやめ!)

 

 首を振り、気を取り直す。沈み掛けた気持ちを、引っ張り上げる。

 よし! と気合を入れ直し、前を向く。

 

(当座の問題は、火を起こす事だ。……はやく、薪を探そう)

 

 早速、歩き始めた祐一。

 無理矢理に高揚させた心は、どこかスカスカで、その隙間からネガティブな感情が、流れ込んで行く気がしてならない。

 それでも、祐一は腐らず前を向いて、今やれる事をしようとしていた。

 ただ……一人の夜がこんなにも寂しいものだった事を、彼は思い出してしまった。

 

 

 ○◎●

 

 

 ────ひゅぅぅぅ……

 

 風が舞った。柔らかい風は勢いをまして行きやがて疾風へ変わる。しかし良く見ると、風ではなかった。

 少年だ。

 なんと風に思えたものは、年若く風に髪を揺らす少年だったのだ。

 少年の駆ける速度が余りにも速すぎた為に、そう錯覚してしまったのだ。

 独特な雰囲気の少年である。それに整った容貌と線の細い美しい少年でもある。

 だが惰弱さは無い。それどころか逞しくさと靭やかさを兼ね備えた理想的な戦士にすら見える。一度目にすれば忘れようも無い華のある少年だった。

 だがその華やかな少年は、苦悶の表情を浮かべていた。

 

 難儀なものじゃな……。その少年……パルヴェーズは独り、思う。

 今彼が居る場所は、彼が試練を課し、走り去った場所から遥か遠くの場所。峻厳たる山々が連なる山脈だ。

 およそ人が暮らすには過酷な土地であった。人の往来など皆無で生き物の気配すら、僅かばかりしか感じ取る事の出来ない土地である。

 ここなら誰も来ない。

 パルヴェーズは立ち止まり、手頃な岩に腰掛け思案に暮れる。

 

 ───己が、己たらしめる軛から外れようとしている……。

 それがパルヴェーズが苦悩している理由である。

 そもそも、パルヴェーズはとある存在の一欠片である。数多の化身を持つ存在の一側面を切り取った存在だ。

 なんの因果か化身がバラバラになり散り散りになってはいるが、元は尊き存在の一柱であった。

 故に、元の存在に戻る事を使命とし、イラン北部を手始めに放浪の旅に出た。一ヶ月ほど歩き回ったが、結局、一柱しか見付からず、イラン南東部へと移動しながら気ままな旅を楽しんでいた。

 己が真の存在に至るまでの、数奇な境遇を楽しんでいたのだ。

 やがて化身の気配を感じ、遥か洋上にて干戈を交え、これを見事に討ち取った。去り際、船が転覆し漂流していた人間を拾ったのは、本当に気まぐれだった。

 だがその人の子を拾った頃より、それまでの平穏が嘘の様に……まるで坂から転げ落ちるが如く、化身との戦いがあった。

 そして、いつからだろうか? 

 化身を取り込む毎に、神性が戻り輝かしい光の英雄としての神性を失って行き、そして闘争を至上とする戦神となって行く事に気付いたのは。

 奢侈に流れ、己の快楽を優先する人間達に不快さが増した。それに、いつ化身が現れるのか判らず、また箍の外れかけた己が許せず、街に近づく事を拒む様になった。

 そして、バンダレ・アッバースで『駱駝』を倒し、取り込んでからと言う物、変化は顕著になっていった。

 

 不安定な己。

 今でも揺れ動く己の神性が、パルヴェーズを苛む。

 旅の仲間に無理矢理試練を課し、離れたのも、彼らにこんな姿は見せられないからだ。

 気まぐれに拾った人の子。いつも全力で生き、足掻いては、己の隣に並び立とうとする少年。

 光の守護者としての神性を失い、名を封じられている事が口惜しい。せめて名さえ封じられていなければ格別の加護を与え、誉れ高き戦士として……いや、我が最愛の友として、迎え入れたと言うのに。

 

(ふふ……)

 

 思わず笑みが零れる。

 地上に落ち化身を集め神性が戻る毎に、何か大いなる者に呑まれ始めて行く。己の神性が歪んで行く。

 常であれば、それもまた定められた者の使命と捉え、身を任せたかも知れない。

 しかし、あの少年……木下祐一が居た。

 出会ってからと言うもの、あの少年を見ていて飽きる事が無かった。純粋で、愛情深く、一直線に突っ走る少年の姿は、尊き存在の化身たるパルヴェーズを酷く()()()()してしまった。

 

 それにあの”眼”だ。パルヴェーズは、思う。

 あの強烈な赤々と意志を宿す瞳は、パルヴェーズの不変の心さえも、揺れ動かそうとしていた。

 あの瞳に見詰められると、心の扉を突き破り己の奥底にある固く封をした願望を暴き立て晒しだす。

 そして「お前は、それでいいのかよ?」……言葉も無く語り掛けて来るのだ。

 

(本当に……難儀な事じゃ……)

 

 なんと言う不心得者だ。我の心を掻き乱し、暴き立てるなぞ、不届き千万。悔い改めばならぬ。

 パルヴェーズはそんな事を考える自分に、おかしそうに笑う。

 直にまた己の神性を歪めようと、魔の手が伸びて来くるだろう。厳しい戦いとなるに違いない。

 そしてパルヴェーズは苦悶に歪み情け無い姿を晒す事を、良しとしなかった。

 そんな姿を見せればあの純粋な少年の笑顔は、哀しみに歪むだろう……。それだけは避けたかった。あやつの前では、何人にも負けぬ強い存在で居たかった。

 

 ───来たか。

 己を脅かすものが刻一刻と迫っている事に気付き、表情を改めるパルヴェーズ。

 あやつもまた、己を蝕む過酷な真実を知るであろう。 ならば我もまた容易に倒れてなるものか。

 

 パルヴェーズの眼光は、友である少年の如く、鋭く前を見据えていた。

 

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