王書   作:につけ丸

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018:限界

 試練開始二日目。まだ、陽も顔を出さない暁時。そんな朝早くに祐一はもう起床して動き始めていた。

 この二週間ほど、太陽が沈むと同時に就寝し太陽が登ると同時に起床する、と言う規則正しい生活を送っていた祐一。如何に低血圧で寝覚めが悪い彼とは言え、流石にこの生活サイクルに身体が慣れ始めていた。

 それに、やらなければならない事もあった。

 ──水を手に入れるのだ。

 こんな沙漠でも、朝方には朝露が結露する。

 祐一は、石や所々に生えている草木を見て回り、集め始めた。朝露のお陰か、カラカラだった喉の渇きは、少し和らいでいる。

 だが空腹はどうにもならない。

 仕方無く、地面に生えている草を引っこ抜き、根っこごと口に入れ、咀嚼する。

 苦い味が口の中に広がるが、少しだけでも水分が取れるし、腹の足しにはなるので、文句も言ってられない。

 朝っぱらから、ため息一つ。

 何か良い方法は無いものか……? 

 思案に耽る祐一だったが、そんな良い方法なんて出る筈も無い。

 また、ため息を付きたい気持ちをグッと抑え、また水を探し始めた。

 

「よし。行こうかな」

 

 あれから数刻。

 朝露を集めに集め、コップの半分ほど集める事ができた。すぐに無くなりそうな量だ。それに、泥を溶かし込んだ様に濁っている。まあはっきり言えば、泥水だった。

 しかし、水を持ってすら居なかった昨日より全然マシだ、祐一は素直にそう思う事にした。

 祐一は水を集められた事に、少し胸を撫で下ろし羽根を取り出す。羽根は以前と変わらず、山脈の方向を指している。

 やはりゴールはあの山脈で間違いない。

 また灼熱の一日が始まる。

 祐一は歩きながら、昨日の飢えと渇き、暑さを思い出し顔を顰めた。

 どうにか一つでも楽にならない物か……思案に暮れながら歩く祐一。

 遥か背後にうごめく影に、彼は終ぞ気付く事は無かった。

 

 ずる……ずる……。

 昨日の強行軍が響いたのか、強張る足を引き摺り気味に歩く。

 足の震えは止まってはいたが、ラクシェに蹴られた箇所を中心に、麻痺している感覚が広がっていく。

 朝起きた時には見えなかった太陽も、今ではその見を空に踊らせ、燦々と輝いている。それと共に、慣れ親しんだ熱波が、祐一を襲う。

 暑さで、右腕にじんわりと汗が滲む。

 ブレザーの下に着ている、少し黄ばみ始めたシャツが、汗で透け始めている。

 

 クソ……。己の中にある水分が、ジワジワ無くなって行く事に、良い気がせず思わず眉根を顰める祐一。ブレザーを着ながら、この地を移動するのは楽なものでは無かった。この地に適した涼しい服装に着替えれればどれほど楽だろうか、と思った事は、一度や二度では無い。

 それでも着替えなかったのは、船が転覆して、荷物を失った自分が持っていた数少ない財産の一つだったからだ。

 女々しいかも知れないが、祐一の意地でもあった。

 あとは、故郷の残り香を感じられるものだから……そんな理由もあったのかも知れない。

 いっその事、脱いでしまおうか……。

 ブレザーの袖を腰に巻き、上半身裸になって、風を肌に感じられる感触を夢想する。

 気持ちよさそうだな……。

 涼風を浴び、両手を一杯に広げ、天を仰ぐ姿を妄想する。

 だが結局、行動するには到らなかった。肌を晒した時の辛さを思い出したのだ。

 辛さの理由。その理由は日光にあった。

 何も遮るもの無いこの土地で肌を晒せば、容赦無く日光が焼き付けて来るのだ。だが、長袖長ズボンを着ていれば直射日光を防げるので、ブレザーを来ている方が楽なのは確かだった。

 故郷で、夏場でも長袖で作業している外仕事の人達を思い出し「なるほどなぁ」と納得したものだ。

 まあ……、裸になった方が涼しいんじゃないか? そう思った事は何度もあるし、裸になって涼を取りたい欲求は、今もあるのだが。

 この土地の過酷さを、改めて実感する祐一。

 暑さと、右足の不調具合に、悲観的で投げやりな気持ちに陥ってしまった。

 おもむろに懐から、朝に集め貴重な水を取り出し、空に掲げる。

 水は、少なく濁っていた。しかし、それでも今の祐一にとって、蜜のように甘く、ワインの様に深みのある、誰もが欲する垂涎物の一品に見えて仕方が無い。

 ───ゴクリ……。祐一は、目の前にある水を一息に飲み干してしまおうか……。そんな欲求と、ここで飲めば後が無くなる……と言う理性とで、激しい葛藤の中にあった。

 両肩に乗る、天使と悪魔が囁き合い、己の声に翻意させようとする。その囁きは、徐々に大きくなり、今では叫び声にすら思えた。

 うるさい……! うるさい……! 

 振り払う様な動作で、首を振り、涙を呑んで懐に水を仕舞う。何とか理性が勝ったようだ。

 だが理性が勝っても、状況は変わらない。喉の渇きは依然として、祐一を苛む。

 登り切った太陽が輝き、大地を焦がす。もう気温は「ここが地獄だ」と言っても信じられそうなほど。祐一の手から、汗が吹き出し、渇いた沙漠に滴り落ちる。

 もったいない……。思わず、右腕を掲げる動作をしようとして───出来なかった。

 

「───え?」

 

 おかしい。そんな筈はない。

 ──それでも、腕が上がらない。

 瞠目し、もう一度試す。……やはり、腕は上がりはしなかった。

 左手で、右手を持ち上げ、注視する。

 何時もの自分の手だ。特に異常は無い。その筈なのに、手は動かない。まるで、回路が通って居ない機械の様に、微動だにしない。握り締めようとしても、毛ほども動かないままだ。

 思わず叩き感覚があるか確かめる。

 ──何も、感じなかった。

 額に、暑さによる汗では無い、粘ついた様な脂汗が滲む。

 ガンガンと何度も拳を叩き付ける。……それでも痛さを感じなかった。

 嘘だ……! 動転した様に膝を折り、左手で右腕を動かす祐一。

 

「動け……! 動けよっ……!」

 

 なんだ、これ……。なんだよ、これ!? 突然動かなくなった腕に恐怖を感じた。ついさっきまで、動いていたのだ。感覚も、痛みも感じていたのに、まるで本当は腕が無いかの様に、何も感じなくなった。

 頭の中には、どうして? と言う疑問と、突然訳もわからず動かなくなった右腕への、体の芯から震える恐怖があった。心が恐怖からか、心臓が狂騒する様に落ち着かない。

 現実を認めたくなくて、何度も動かそうとするが、それでもピクリともしない。

 今、祐一は酷く錯乱していた。

 広い沙漠で、一人ぼっち。

 水も、食べ物も、無い。頼りになる相棒も、遠慮なしにいがみ合う相手もいない。

 縋れるのは、たった一枚の小さな羽根のみ。

 そして唐突に、使えて当然と信じて疑っていない腕が、動かなくなったのだ。

 そんな、今にも死んでおかしく無い状況で起きた、不測の事態に、どうしようもなく恐怖が祐一を苛んだ。

 如何に優れた身体能力を持っていたとしても、彼は14歳の子供。

 突発的に起きた、死に直結する事態に冷静に対処出来るほど、彼は成熟していなかった。

 そもそも大人ですら、取り乱す様な状況に、彼は放り出されたのだ。

 錯乱するのも、無理からぬ事でもあった。

 立ち上がり、駆け出そうとして……

 ───倒れ込んだ。

 

「あ……あああ……ああああああああっ!!!」

 

 

 右足が動かない……! まるで言葉を知らない赤ん坊の様に、意味の無い言葉を吐き捨てる。

 顔は、呆けたように口を大きく開け、目には涙が滲む。左手で、何度も何度も、右足を叩く。叩く。

 口一杯に開けた事で、喉が圧迫され、嘔吐感が襲う。

 脳が理解するのを拒否する様に、思考が霞む。

 涙で視界が滲み、何十個もの絵の具をぶちまけたキャンパスの様に、意味の無い景色を映し出す。

 理解出来ない恐怖と、崖を滑り落ちるような絶望感に、神経が狂い、失禁する。股に生暖かい感触が伝う。

 漏れ出した尿が、叩き続ける左手にも伝わるが、祐一は気付きもしない。

 ただ、現実を受け入れられず、壊れた玩具のように、呻いては叩き続けた。

 

 右腕と右足が動かなくなった祐一。

 彼の不調は、パルヴェーズと離れた事にあった。

『駱駝』との死闘で、己の生命力を削り、隔絶した力を手に入れていた祐一だったが、体系化された魔術も無く、洗練された技術や経験を持っている訳でも無い彼は、己の限界や効率の良いやり方を知らなかった。

 ただ後先考えず、精一杯に目の前の敵を倒す事しか考えていなかったのだ。湯水の如く命の泉を枯らし猛り狂った彼は、気付かない内に、もう幾許も生きられない程、弱っていた。

 それでも今の今まで不調も違和感も無く元気に活動できたのは、パルヴェーズのお陰だった。

 パルヴェーズには不思議な力がある。

 傷付いた者を癒し、触れた者に活力を与える力が。隣で旅をしていた祐一もまた、その恩恵を知らぬ間に受け取っていたのだ。

 傷の治りが早かったり、活力が無尽蔵に湧き出たり、精神が安定したり……祐一が過酷な土地でも、大した不調に見舞われず過ごしていたのはパルヴェーズのお陰、とも言えた。

 祐一自身のポテンシャルも十分高い為、一概には言えないが。

 それに加えて壊れてしまったとは言え、パルヴェーズが祐一に加護を与えた事によって彼らの結び付きは強い物となっていた。その影響でパルヴェーズですら無意識の内に、祐一へ快癒の恩寵を与えていたのだ。

 パルヴェーズは薄々とだが「己の力が祐一に流れ込んでいる」と気付いていたが。

 祐一が『駱駝』との戦いの後、休む事無く動き回れた理由はここにある。

 そんなすぐにでも傾きそうな絶妙な均衡状態にあった祐一。

 パルヴェーズが長期間離れ、受容していた恩寵を失った事により、なんとか保っていた均衡が一気に崩れたのだ。

 

 一度崩れた均衡はもう戻せなかった。

 全身に麻酔を打ち続けたまま、致命傷を負い、その痛みに気づかないまま活動していた様なものだ。

 麻酔が切れれば、突然顔を出した痛みに、誰であろうと狂う。

 祐一は、一人ぼっちで、誰も頼れない状況に居た。錯乱して当然だった。

 

「う、ぁ……」

 

 やがて疲れ果てた様に倒れ込み、彼の意識は暗転した。祐一の狂態を、うごめく影は静かに眺めていた。

 

 ○◎●

 

 今、空には太陽が輝いている。まるで天の目だ。目蓋である雲は全く見当たらず快晴の空。全てを見通す眼は、荒野を一人歩く少年を、静かに見つめ続けていた。

 数刻前には、錯乱して失神した祐一。

 それから意識が覚醒した時には、少し理性が戻っていた。

 正気に戻った彼は、己の醜態を思い出し、羞恥と後悔に震えた。弱い自分に怒りさえ沸いたが、溢れる心を抑え込み、羽根を頼りに進み始めた。

 右腕右足が動かなくなり、何時まだ動いている四肢が、動きを止めるのか、判らない。

 その恐怖を「パルヴェーズと会う」と言う欲求でねじ伏せ、再び歩き出した。

 ざ……ざ……ざ……。

 右足を引き摺り、木の棒を杖代わりに歩く祐一の姿。

 目に酷い隈が浮かび、髪や肌にはもう全く艶が無い。

 頬は痩け、浅黒い肌には深い皺が寄り、もう何歳も年を取ったかの様な顔。

 ───死相。祐一の顔には、ありありと死相が、浮かんでいた。

 彼の右手は、死期が近い老人の物と遜色ない。枯木の様に細く、瑞々しさみ無ない。今にも折れそうだ。

 視界に入れたくも無いと、ブレザーを被せ、前を見やる祐一。

 前へ……、前へ……! 

 それでも、前を見据える彼の眼光に、衰えは無い。

 

(俺は、こんな所で立ち止まってられない……!)

 

 祐一の精神は、強くなっていた。

 それは旅を始める前の、彼に比べれば顕著だろう。

 友に拒絶され、全てを投げ出した弱い少年は、もう居ない。

 

 

 それは旅の途中で友を疑った時の、彼に比べれば顕著だろう。

 友を拒絶して、全てを諦め死を望んだ哀れな少年は、もう居ない。

 何度も折れ挫けた心は、再び立ち上がり、より強靭で大きい物となり、木下祐一と言う少年を強くしていた。

 例え、死が迫り、試練を達成する事は出来ないだろう、と判っていても祐一は進む。

 ───力尽きるその時まで、戦い抜く。

 そう固い決意を心に秘めて。

 遠くに見える山は、未だ遠い。

 少しずつだが、穏やかな丘陵地帯は、起伏が増している様にも感じた。

 あと何歩歩けば、あの山脈に辿り着き、パルヴェーズと会えるのだろう……? 

 彼にまた会ったら、まずは謝らなくては……ついでに、置いていったあの馬に、拳骨をくれてやる。

 目的地に着いた時の事を思い描き、歩き続ける祐一。

 祐一は、試練を与えたパルヴェーズと、置いて行ったラクシェに、怒りは沸いたが、憎しむ事は無かった。

 

 そもそも祐一と言う少年は、身内と思った者を憎んだ事は一度も無い。

 憎まれた事が無いのだ。それも当然だろう。

 いがみ合うラクシェも、辛い試練を課したパルヴェーズも、拒絶された友人も、怯える家族も、彼は憎んだ事は無かった。嫉妬、恐怖、怒り、等の感情は抱いた事は否定出来ない。

 それに、憎い……と言う憎悪の感情が、日常生活で馴染みの無い感情である事も、理由の一つでもあったのかも知れない。

 だが、こんな状況に放り込まれ、死が近い状況にあってさえ、祐一は憎む事をしないのだ。

 強い少年だった。

 だがそれは……木下祐一と言う少年の異常性の証明でもあった。

 

 歩いて、歩いて、歩き続けて。

 祐一は、丘陵地帯を完全に抜け、山脈の麓に差し掛かろうとしていた。

 蜃気楼の様に、どれだけ歩いても一向に近づく気配が無かった山は、今では目の前に静かに佇んで居る。

 もう何度、あの山が幻なのか疑ったか分からない。四肢の半分が動かない状態で、良くここまで来れたものだ。

 祐一の喜びは、一入だった。

 目の前に聳える山へ、燃える紅玉が沈む。

 西陽が祐一を穿つが、昼の猛暑を乗り越えた彼にとって、鼻で笑える程、生温い日差しでしか無い。

 今日最後の日光に目を細め、夕日を見る。

 あんなに忌々しく思った太陽が、現金なもので、今では「美しい」とすら思えた。

 祐一は、ここまで来る時の記憶が、酷く曖昧だった。

 気付けばここに居た、と表現すれば良いだろうか。

 

「水……」

「パルヴェーズ……」

「ラクシェ、殴る……」

 

 と、譫言の様に口から漏らし、足を只管動かしていた記憶しか無い。

 後ろを振り向けば、荒涼とした大地に、消えかかっている己の足跡が見える。

 途方も無い距離。

 地平線の彼方の、そのまた遙か先。そんな長い距離を、祐一は踏破して見せた。

 だが、もう限界だ。

 

「はは……」

 

 ───パタッ……。

 祐一は小さく笑い、そのまま力無く地面に倒れ、意識を失った。

 

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