王書   作:につけ丸

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002:はじまりの風

 日本より遥か西方にある土地、波斯(ペルシア)。現代では「イラン」と呼ばれる地。

 そのイランでも最高峰の呼び声高いとある霊峰があった。

 

 霊峰の名を"ダマーヴァンド山"。

 

 冬になれば雪化粧をほどこし、その光景を日本では富士山に似ている事からしばしば「イランの富士」とも称される美しい山である。

 その見事さと神聖さからか日本と同じく、古くからイランの物語によく登場し古代ペルシア神話やその後のイスラーム時代に成り立った英雄譚、果てはギリシア神話などにも登場するイランを代表する大霊峰であった。

 

 ───その美しき霊峰の山頂にて、異変が起きていた。

 

 燦々と輝く太陽から、一つの大きな光球が零れ落ちたのだ。光球は真っ直ぐ霊峰の頂きへ向けて落ちると、地上にぶつかる寸前でピタリと制止した。

 光球は少しの間、そのまま制止していたが、やがて堪えきれなくなった様にグラグラと揺れ、ついには十の光球となりバラバラに弾け飛んだ。

 

 十の光球は一つとして同じ形の物はなく、牛、鳥、馬、多彩な姿を形取りながら、イランの方々へ飛び散って行った──。

 

 

 ○◎●

 

 

「うぬぬ……どこ行こっか?」

 

 思い立ったが吉日! とばかりに家を出た祐一だったが目的地も指針も無く飛び出し、最初の一歩で躓いていた。

 

「うーん……東に行くか、西に行くか。それとも北か南か……」

 

 宛もなく歩き続け頭を悩ませる祐一だったが、天啓が降りてきたようにとある国名が浮かんだ。

 

 んー……トルコなんてどうだ?

 

 トルコ。数ある西アジアの国々の一つだ。

 昔、幼馴染と国名がどれだけ言えるかという勝負に負け、悔しくて世界地図とにらめっこしていた時に知った国だ。

 

「ヨシ、決めた! 取り敢えずトルコへ行こう!」 

 

 そう決めたらワクワクして来た。未知の国! 異国の人々! 考えるだけで、祐一の足取りは軽くなり、家を出た当初の陰気さは何処かへ消えて行った。 

 トルコへ行くには取り敢えず大陸に渡らねばならない。大陸に渡りさえすれば、後は陸伝いに行ける! ……はず。

 だけど、パスポートなんて物はもっていない。

 お金はあんまりないから公共機関は使いたくない。でも、大陸に行くには船か飛行機が居る。最悪、泳ぐ選択肢もあるがそれは最終手段にしたい。

 

「うむむ……いや、動いてから決める、行動あるのみだ! ──目指す先はトルコ! 海渡んなきゃいけないか港を目指す、決めたぞ!」

 

 電車に乗りこみ駅を出た先には、天を衝くような建物が割拠する街が"でん"と構えていた。

 海が近いからか、風に乗って潮の香りが運ばれて来た。胸一杯に吸い込む。潮と排気ガスの混じった匂いが、新鮮さと少しの不快さを感じさせた。

 

 ……俺が旅して、最初に着いた街か。街は発展しているが何処か雑然として居て、車は元より、路面電車や原付バイクがごった返していた。右も左も分からないお上りさんだったが列をなすように歩く人々に倣うように歩き出した。

 

 ○◎●

 

 

『港に豪華客船が来ている』

 

 ──これだ! 

 歩いている途中、その事を偶然小耳に挟んだ祐一は、これしか無い! と確信した。話をしていた叔父さん達に詳しく話を聞き出し、かくして、豪華客船の停泊している港へおとずれた。

 港へ着いた祐一は、巨大船舶に瞠目していた。

 

 写真で見た事あるけど、実際に見たらでかいなぁ。

 まるで海に浮かぶ白亜のホテル……いや、城だった。ほえ~、と感嘆しながら祐一はキョロキョロと周りを見回す。

 

 あそこが入口か。

 でもあそこは人通りも多くて入るのは厳しいぞ……チケットなんてないし。他の場所も豪華客船を見に来てる人が居るから、すぐにバレる。……昼の内は無理かな?

 だったら勝負は夜。闇夜に紛れ侵入しよう。

 

 手早く算段をつけた祐一は、時を待った。

 

 

 夜。多くの人々が寝静まり、空は闇に塗り潰される時。そんな夜の中、一つの蠢く影があった。

 ──少年だ。木下祐一だ。

 港に停泊する客船に侵入しようと、数時間、潜んでいた祐一。遂に、彼は動き出したのだ。

 

 警備員に気づかれないよう助走を付けて、でりゃぁ! と一気に跳躍する。船から伸びるアンカーロープに一度着地し、神懸かりなバランス感覚でロープの上を走って船へ渡る。

 そうして誰にも気付かれる事なく、祐一は船の中に侵入に成功した。

 入ってしまえばこちらのものだ。船の地図を歩き回って見つけ、機関室や作業員の寝所など人通りの少ない場所を確認する。

 

 ここだ! 地図をみて船底にだれも来ないような物置を見つけ、隠れようと決めた。

 歩く時は堂々と、服装もブレザー着れてるから大丈夫! この時の祐一は、謎の自信に溢れていた。

 子供らしい浅はかな考えだったがこれが意外に上手くハマり、巡回する警備員も素通りして行くか、「もう夜も遅いから部屋に戻りなさい」と笑顔で声をかけるのみだった。

 

 流石に客船の下部は[関係者以外立ち入り禁止]の文字で溢れていたが、持ち前の俊敏さと運の良さで見つかる事なく、物置へ到着したのだった。

 

「よしよし、上手く行ったな! 後はここで隠れていればどっか外国に着くだろ。……密航なんて、映画みたいなシチュエーションだな!」

 

 思いの外計画が上手く行き、興奮した祐一はニヤニヤが止まらなかった。見切り発車の運任せ、穴空きまくりのガバガバ計画だったが、彼はここまで辿り着いた。それが全てだった。

 

 結局、祐一は夜が明け船が出港しても見つかる事なく、首尾良く(?)出国する事に成功した。

 

 ──船内にある進路計画が描かれた地図。この客船の終着地を示す場所には「Dubai(ドバイ)」の文字が踊っていた……。

 

 

 ○◎●

 

 

 物置の中での潜伏生活は『退屈』の一言だったが、偶に外に出ては、食料や水の調達に出掛けたり、客に混じって寛いだり、祐一が今まで体験したことが無い、スリリングなものだった。

 客船は数日もすれば隣国の大きな港へ寄港していた。人々が街に降りた為に疎らになり、船内のクルーズスタッフも、何処か弛緩した雰囲気を漂わせている。

 そんな隙をついて、いまのうち、いまのうちと、祐一は隠れながら、物置に必需品や暇つぶしの書物を運び込んでいた。

 

 特に大過なく船は進み、中国、フィリピン、インドネシア、マレーシア、シンガポール……東アジアから東南アジアを抜け、今はインド洋の海上をゆったりと進んでいた。

 

 既に二十日以上日をまたいでおり、最終目的地のドバイへも日程の半分以上進んでいた。次の目的地は、オマーンの首都『マスカット』。

 クアラルンプールからマスカットまで、一直線に停泊せず進むため、洋上での時間はこの道程が一番長かった。

 マスカットの次の場所はドバイ。

 旅も終わりに近づいている……。船内は常と変わらず賑やかだが、何処かしんみりとした雰囲気が感じ取れた。

 

 そんな、穏やかな船内で事件が起きた──! 

 

 何と不法侵入者が、船内に潜伏していたのだ! 

 下手人は、男性で日本人! まだ少年と言って良い齢で、船内の物置に、盗んだ食料を集め、潜んでいたらしいのだ! 

 ……というか、祐一だった。

 

 彼もまた旅の終わりが近いと、気が緩んでしまい、物置近くでのんきに歩いている所を見つかったのだ。

 不審に思ったスタッフが身元確認を行い、当然ながら祐一に証明する物なんてある筈も無く、敢え無く御用となった。

 祐一の引き起こした事件は、狭い船内ですぐさま話題となった。

 乗客達は笑い話で済んだが、スタッフにとっては驚天動地の事件だった。

 船内に不法侵入を許したのも問題だが、祐一は食料や書物、娯楽品に至るまで、くすねては物置に集めていた。

 そして船内の一室を己の城としていた祐一に、日本から旅立って二十日以上、気付くことが無かったのだ。

 

 控えめに言って、大問題だった。

 

 スタッフは大慌てで体制の見直しを行い、対策会議が深夜まで行われた。更に発見した少年の身元確認、被害状況の確認などに奔走する事となった。

 当の祐一はというと、しこたま怒られ、即刻帰国させられる所だったが、船上と言う事もあり引き返すわけにも行かず、マスカットに着くまでは船内の雑用をさせられる事と相成った。

 一ヶ月近く潜伏していた祐一も、外で活動する事も度々あった為、顔見知りとなったスタッフや乗客もそれなりに居た。

 スタッフは怒りと苦々しさ、そして笑いの同居した奇怪な顔をして、全然わからなかったぞ、コノヤロウ! と悪態をつき、最後には笑っていた。

 良く話していた乗客も「確かに君の御両親や保護者を見た事が無かったし、いつの間にか居たり居なかったり、神出鬼没だったなぁ。まあ、何にせよ今どき珍しい無鉄砲な若者だね?」と、サーカスでショーを見ている様な表情でくつくつと笑っていた。

 たまにチョコレートをくれる太っちょの気のいい青年だった。名前は知らない。

 

 そんなゴタゴタはあったが時間と船は変わらず進み、客船はインド洋を抜けアラビア海へと入り、翌日になればマスカットへ到着する。……そして、祐一もまた日本に強制帰還させられる事が確定していた。

 

 

 

「ヘイヘイホー」

 

 そんな祐一は今、甲板の上でモップを持ち、暢気に床磨きに精を出していた。

 天気は快晴。

 波も穏やかで、本当に船の上に居るのか信じられなくなりそうなほどだ。太陽は未だ沈むにはかなりの時間を要する高さにあった。

 太陽の発する日光と甲板からの照り返しで、汗がしとどと出るが祐一は構わず床を磨いていた。

 

 ──予兆は、なかった。

 

「空が青いぜ。ヘヘ……」

 

 雑用が一段落した祐一は、甲板の隅にある椅子にもたれ掛かりながら、快晴の空を眺めていた。

 

「この旅も、マスカットに着いたら終わりかぁ。良くここまで来れたよな、普通なら捕まってるぞ……。まあ、何にせよ楽しい旅だった!」

 

 またやりたいなぁ。……などと嘯く彼の表情には、反省の色があまり見受けられなかった。

 

「帰ったら、間違いなく怒られるよな……。あー、……マスカット着いたら逃げようかな……」

 

 どうやら祐一は、反省も後悔もしていないようだった。ほんの数日前に、こっぴどく怒られているにも関わらず、こんな具合なのだ。

 元々彼は、オツムの具合がよろしくない。3歩も歩けば忘れる……とまでは行かないが、喉元過ぎれば熱さを忘れるの言葉は、ぴったりと当て嵌まった。

 

「もう、一ヶ月か……。みんな元気にしてっかな? まあ、頑丈なやつ多いし、大丈夫か」

 

 旅立った時に固く誓った事も、一ヶ月も過ぎれば揺らぎを見せ、郷愁が心に浮かび始めていた。

 

「あんなに決心したのになぁ。だんだん、みんなに会いたくなって来たし……もう、良いのかな……?」

 

 祐一自身、自分のやっていることは子供の我儘だと分かっていた。しかし、類稀な運の良さでここまで来てしまった。

 普通ならただの妄想で終わる様な話だったが、なまじそれを成せるだけの能力と、運を持っていた為に、退くに退けずこんなアジアの果てまで来てしまったのだ。

 

「このまま……帰って良いのかな……?」

 

 誰に問うでもなく呟く。

 そう呟いて、ふと気付いた。今まで自分は答えを探していたのか、と。

 祐一の故郷は息苦しかった。小さな枠組みに収められロボットのように同じ事を繰り返す日々。その中でも幼馴染達と居る時間は紛らわす事が出来たが、それは束の間の安らぎでしかなかった。

 ここに居て良いのか? ここに居なくちゃいけないのか? そんな疑問に悶々と悩む日々。

 

「あ、そうか。俺は自分探しの旅をしていたのか」

 

 少し、道が拓けたような気がした。

 その事に気づいた時には、帰ると言う選択肢は頭から無くなっていた。なにせ自分はなにも見つけてはいないし、何者にもなっていないんだから。家出して少しだけ非日常を味わったが、極論をいえばそれだけ。ただの旅行と変わらなかった。

 なら、まだ帰るわけにはいかない。祐一はすでにマスカットに到着してからの逃走計画を練ってすらいた。

 ……だが、それも全て無に帰した。

 

 

 ──異界の法則に長じる魔術師や、気候学の碩学泰斗であれば、あるいは気付けたかもしれない。

 ──周辺の異常なほどの神力の高まりに、尋常ではない気圧の乱れに。

 ──海中を泳ぐ魚、空を飛翔する鳥、穏やかな海、青い空。その全てが異変を感じ取り、動ける者は少しでも遠くへ逃げ、動けない者はただのひたすらに身体を震えさせていた。

 ……気付かなかったのは人間だけであった。

 

 ──だが、一人だけ気付いた人間が居た。類稀な運と鋭い洞察力を持った少年、木下祐一だ。

 

 

「ん?」

 

 何か……、騒がしい。祐一の鋭い感覚がそう囁いた。

 注意深く周囲を見る。異常は見受けられなかったが、全身を襲う悪寒は止まらなかった。

 祐一の鋭い眼光が、更に険しい色を帯びる。

 

 

 ──突然の出来事だった。

 

 

 轟、轟、轟ッ! 

 世界を砕くような破砕音とともに強烈な颶風が()()()のは。天地がひっくり返る暴風と凄まじい衝撃が豪華客船を呑み込んだ。 

 

「な、なんだッ!!?」

 

 天地がひっくり返るような……いや、そうでは無い。実際に祐一がいま見ている世界は、空と海が全くの逆だった。

 

「……世界がひっくり返ったんじゃねぇ! この船自体が吹き飛ばされたのか!?」

 

 ふわっ。重力から解き放たれた身体が浮き上がり、祐一は甲板から投げ飛ばされてしまった。投げ飛ばされる瞬間に、近くにあった物を咄嗟にむんずと掴む。

 手に掴んだ物の正体は救命用の"浮き輪"だった。瞬時に絶対離すもんかとばかりに胸に抱いて亀のように丸くなる。

 救命用の浮き輪には、か細いロープが結わえてあった。

 それが祐一と船とを結ぶ命綱だ。まるで地獄に蜘蛛糸が垂らされ、それに縋るような心地になった。

 か細いロープを掴み、船へ近付こうとする祐一。

 しかしどこからか勢い良く飛んで来た、鋭利な破片によって、ぶつんと救いの手は切り裂かれてしまった! 

 

 ついに船から弾き飛ばされる。船はそんな祐一に構う事なく、豪風によってクルクルと空中をきりもみ回転しながら吹き飛ばされていく。数千トンはある鉄の塊をいとも簡単に吹き飛ばす風は、人智を超えていた。

 

 祐一は縋る物もなく豪風により高く打ち上げられ、そのまま海へ投げ飛ばされた。投げ飛ばされた空中で、無我夢中に浮き輪から伸びる切れたロープを、体に巻き付ける。

 迷っている暇は無かった。

 浮き輪なしで海に投げ出されては死ぬ以外なくなってしまう。今できる生存の為の最善手が「これだ!」と直感で感じた。

 

 遠くに感じた水面が、急速に近くなる。もう、後戻りは出来ない。

 歯を食い縛る。水面を強く見据える。

 

 ───死にたくねぇ!!!

 

 祐一の意識はそこで途絶えた。

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