王書   作:につけ丸

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020:砕ける事なかれ

「な、なにこれ……?」

 

 石だ。

 そこら辺に落ちてそうな拳大の石が、祐一の目の前にあった。

 ラクシェが持って来たのだ。

 地面に降ろされ、どこかへ行ったラクシェを待っていたのだが、三十分ほど待ち、不安になり始めた頃に彼女が帰って来た。

 その時に持っていたのが、コレだった。

 戸惑う祐一は、思わず、石を持って来たラクシェに問いただす。

 それを受けてラクシェは、顎をしゃくり上げる動作をした。

 食え、と。そう言っているらしい。

 首を振り、震える声で、

 

「ちょ……ちょっと、ラクシェさん……? これを食いなされと申すのかい? ……いやいやっ、無理無理! 腹減ってるけどこんな食ったら、絶対腹壊すって! サーカスに出て来るビックリ人間じゃな……ごはぁあっ!!?」

 

 いい加減、苛立ったラクシェは、己の前足に付いている蹄で器用に石を掴み、祐一の口へ押し込んだ。ラクシェの米神には、太い青筋が浮かんでいるのが、ありありと見える。

 突然、異物を口に入れられ、咳き込む祐一。石のザラリとした感触が、舌を伝う。次いで、泥の乾いた味が口に広がり……あれ? 

 そこで祐一は、はた、と気が付いた。

 しょっぱいぞ……これ……? 口の中にある石を吐き出し、口に残った味覚を確かめる。やっぱり、しょっぱい。

 なにこれ? と言う風に、小首を傾げ、見下ろすラクシェ見る。そして祐一は、今更気付いた。ラクシェもまた、同じ様な石を、口に含んでは、舐めている事に。

 

「あっ……」

 

 そこで祐一は、唐突に思い至った。この石の正体に。

 

「これ、岩塩ってやつか!」

 

 昔観た教育系の番組を思い出す。地殻変動によって海底の土地が押し上げられ、閉じ込められた海水が蒸発する事によって、陸地で結晶化し、岩塩として現れる事があるらしい。

 塩分を取れるのは、ありがたい。祐一は、素直に思った。

 身体の痺れと気怠さは、水を飲んでも無くならない。それに、指や足が吊って、動き難い事この上ない。

 今なら夏場に、塩分を取れ! と言われる理由が良く分かる。

 とは言え、石は石だ。

 なんとも言えない微妙な表情を作り、仕方無しに岩塩を舐める祐一。

 ラクシェもまた祐一の隣で静かに、舐め続けた。

 

 祐一とラクシェ。あれから共に歩みを進め始め、一日が過ぎた。

 今、二人は、羽根の指し示す道を、迷い無く進んでいた。と言っても祐一は動けないので、ラクシェの背に乗ってと言う形であったが……。

 視界一杯に連なる山脈。

 彼らは、二日ほど歩き続けた荒野を抜け、山脈へ差し掛かっていた。

 勾配の激しい坂道を、自慢の健脚で踏破して行くラクシェ。

 落ちないように、唯一動く左手で必死にラクシェへしがみつき、背で揺られる祐一。

 その表情は、もう諦めの境地である。

 情け無くて、投げやりな気持ちになるが、仕方ないか……とため息一つ。

 

(コイツと協力しないと、たどり着けないしな……)

 

 祐一としても、独力で辿り着きたいのが、本当の所ではある。だが、もうこのボロボロの身体で、まともに立つ事すら儘ならない。

 と言うか、ラクシェが許さない。

 馬上を降り、這って進もうとした途端に、襟首を咥えられ、背に放り投げられるのだ。何度も繰り返せば、今度は引き摺られるので、アキレウスに引きずられるトロイの英雄リターンズである。勘弁しろ。

 そろそろ、本当に死体になるんじゃないか……? 

 二人とも頑固で意地っ張りな為、決着が着かず、行く所まで行かなければ気付かなかった。そこまで行かねば、冷静にはなれなかったのだ。

 そんな状態だから、試練の道のりは遅々として進まず、祐一の身体には生傷が絶えなかっ。

 水を飲み、ラクシェの背で休息を取って、なんとか保っていた己の命脈が尽きようとしている……。何故だ! 

 祐一は、死まであと数歩、と言う所でやっと気付いた。

 そこで遂に諦めがついた祐一が、ラクシェとの停戦協定を結ぶ事と相成ったのである。

 まあ……祐一はかなり不調なので、不平等条約になる事は目に見えていたが、涙を呑んで停戦協定を結んだ。

 こんな死に方は、流石の祐一でも勘弁して欲しかった。

 そんなこんなで、ラクシェの背に乗せられ一日を過ごし、少しは関係が改善した様にも見える、一人と一匹。

 ラクシェは、己の勘とあり余る体力を駆使し進み、祐一は、羽根を使って方向を指し示し、ラクシェのフォローに回った。

 彼女が、喉が渇けば水を与えたし、綺麗好きであったラクシェの毛並みを整えたり……若干、何でこんな事してるんだろう……? と疑問になる時はあったが、彼らの道のりは、概ね順調であった。

 ラクシェは、祐一を置いて行った事に。

 祐一は、現在進行系で助けられている事に。

 どちらも負い目があり、祐一もラクシェも、本気で対立する事に、臆病になっていた。そして、その隙を縫うように、彼らは相手の長所とも言える点を見つけ、次第に態度が軟化していったのだ。

 ラクシェは、祐一と言うお荷物を決して降ろさず、全力で試練に臨み。

 祐一は、半死半生の身体でも諦めず前を向き、そんな過酷な状態であってもラクシェへの世話を焼く。

 

 試練前半は死と隣合わせで、辛く厳しいものだった。

 だが、少しは和解し、協力し始めた祐一とラクシェ。まるで厳しい試練が、嘘のように、トントン拍子で進んで行った。

 もう試練は消化試合とも言っていいほど、緊張感がない。もう、終わりが近いのだ。

 

 今は、山脈の中腹近く。彼ら進む道のりは険しい。麓付近ですら激しかった勾配は、更に増し、峻険なと形容できるほど。

 両側を切り立った崖に阻まれた道は、谷の奥底を進んでいる様にも思える。

 どこか薄暗く生き物の気配が稀薄な道は、かつて英雄ロスタムが進んだ闇の世界にも似ていた。

 その時だった。

 ───川のせせらぎが聞こえた。

 バッと、勢いよく顔を上げる祐一。今確かに聞いた音を、もう一度聞こうと、耳に手を添える。……間違い無い。

 川が、近い! 

 

「ラクシェ!」

 

 言うが早いか、ラクシェは駆け出した。

 彼女もまた、川のせせらぎが聞こえたのだろう。深い谷底のような、高い壁に阻まれ、細長い道を懸命に走る。

 祐一も、振り落とされない様、必死に耐える。

 流石は駿馬たるラクシェだ。景色が、次々と後ろへ飛んでいく。高速道路を乗り回している様な感覚に、生身の祐一は、流石に肝が冷えた。

 やがて谷に囲まれた細い道を終わりが見えた。遠くに、一筋の光が見えたのだ。谷に阻まれながらも、天から届く光は確かに、薄暗い道を照らし出していた。

 

「突っ切れ! ラクシェ!」

 ───ブルオオォォ! 

 

 言われずとも分かっている! 

 そう言わんばかりに、頼もしく嘶きを上げ、更に加速するラクシェ。

 祐一も必死だ。祐一動く左手を、ラクシェの太い首に回し、しがみつく。振り落とされたら、死ぬ。本当に命懸けだ。

 果たして、一行は、谷を抜けた。

 一瞬、日光で目が眩んだが、それもすぐに治った。

 目を開ける。

 そこには、異世界が広がっていた。

 今まで歩んで来た、無機質で荒涼とした大地では無い。

 生命の息吹が溢れる土地。

 浅い沢が流れ、深緑、鮮緑、若葉色、緑の柔らかい色彩が視界いっぱいに広がる土地だ。

 さらさらと流れる、川のせせらぎ。木の枝からこちらを見る、賑やかな小鳥の囁き。忙しなく動き回る、小さな虫たち。木々の隙間から零れる、木漏れ日。

 そんな不毛の地に生まれ出でた、楽園。

 一目で判った。───ここが終着点なのだと。

 

「着いた……」

 

 万感の思いが、思わず口から漏れ出る。

 試練の前半は、死ななかったのが不思議なくらい、辛く厳しいものだった。今でさえ、左手腕以外動かない状況だ。

 もし、ラクシェが来なかったら……。

 そう思うと、冷や汗が止まらない。

 思わずラクシェの首筋を撫で、言葉にはしないが感謝を伝える。

 フンッ! いつもの鼻息一つ。

 ラクシェは聡明な馬で、今の動作で祐一の言わんとする所を理解した様だ。

 祐一は、そんなラクシェに笑みを零した。

 ラクシェが、足を踏み出す。歩く道は、祐一にとって久しく見なかった、しかし見慣れた草原。ラクシェが歩みを進める度に、草陰に隠れていた虫たちが大騒動で逃げ出して行く。ラクシェは、己の蹄に湿り気を帯びた土が付き、少し不快そうだ。

 やがて、沢に着いた。

 ここが終点だ。そんな言葉が、祐一の心にストンと落ちて来た。

 少し呆気なさを感じなくもなかったが、それでも、ここに辿り着いたのだ。

 感慨浸る祐一だったが、すぐに首っ子を掴まれる感覚に驚き、現実に引き戻された。

 ラクシェが、襟首を掴み、祐一を沢の縁にある手頃な岩に、こちらを慮る所作で置いてくれる。

 

「さんきゅ」

 

 ラクシェに礼を言い、左手を水に浸す。流れる水の冷たさが気持ちが良い。

 手で水を救い、口に運ぶ。冷たい。

 ラクシェの担ぐ袋の水は、熱波に晒され、生ぬるいものだ。こんな冷水なんて望むべくもなかった。

 ラクシェと共に、貪る様に水を飲む。身体に……乾き切った大地に慈雨が降るが如く、渇きを潤して行く。

 両手で水を救い、もっともっと、と掬い飲み干す。

 うん……? 両手……? 

 

「あれ……右手が動く……」

 

 いつの間にか、手が動いていた。握っては開き、握っては開きを繰り返す。痛覚も戻って来ている様で、擦り剥いた場所から、ピリピリとした痛みが広がる。

 常なら顔を顰める事。だが、今の祐一には、涙が出るほど嬉しい事だった。

 思わず、両手を天に突き上げ、荒ぶるプラトーンのポーズを取る祐一。

 

「動く! 動くぞおお!!」

 

 足にも、上半身から伝わる様に、痛覚が広がっていく。痛みがまた、祐一を苛むが全く気にならない。

 両足で立つ。

 久しく見なかった。己の四肢で立ち、世界を見渡す感覚。

 

「はは。わはは。はははははっ!」

 

 欣喜雀躍とした風に小踊りする。

 拗ねていた十年来の相棒を動かし、一気に跳躍。天に伸びる木々を飛び越える大跳躍だった。

 ひたすらに愉快だった。

 轟音を立て、着地する。近くで驚いた様に、こちらを見ていたラクシェの背に乗り移り感謝を伝える。

 鬱陶しい、と言う風に身体を揺らすラクシェ。

 ボチャンッ! 落馬し、川に落下する祐一だったが、笑いが止まらない。ただ、ひたすらに愉快だった。

 ふと楽の音が聞こえた。

 それは、誰かが奏でる音色だった。どこかで聞きたような旋律。

 笑いを収め、祐一はラクシェに目配せ一つ。理知的な彼女は、直ぐに察してくれた。

 祐一とラクシェは、肩を並べ歩いて行く。

 美しい景色。

 白く光沢のある木々の枝には、日光を浴び、青々と緑の葉が繁っている。こんなにも緑の多い景色は久しぶりで、目が眩みそうだ。

 その生い茂る葉からは、黄色い果実が覗き見える。まるで、神話に出てくる黄金の林檎や蟠桃会に饗される蟠桃を思い起こさせた。

 陽光が眩しい。木々から覗く光は、天へと続く階段にも見えて。

 ここが楽園に見えて仕方が無い。そこかしこに幻想的な景色が広がり、人を惑わせる精霊が居てもおかしくない……そんな場所。

 普通なら目移りして、中々先に進めないだろう景色。

 だが祐一は、一心不乱に旋律の響く場所へ、迷い無く歩を勧めた。

 一歩、一歩、草木の生える大地を踏み締め、前に。ラクシェもまた、祐一の少し後ろを静かに歩く。

 誰もが、言葉もなく、歩き続けた。どこに行くか……なんて、分かりきっていたから。

 

 そして、辿り着く。

 少し拓けた場所に、彼は居た。

 木々が取り囲み、小川が流れる場所。

 その、ほとりにある、程良い大きさの石に、彼は腰掛けていた。

 瞑目したまま、葉っぱを口に当て、美しいメロディを奏でている。

 

「───よう。久しぶり」

 

 片手を上げ、祐一は声を掛けた。

 短い言葉。

 だがその言葉は、億万もの歓喜で埋め尽くされていた。

 この試練で、死を覚悟していた祐一にとって、望外の喜び。欠片も届かない、と思っていた夢に、手が届いた様な眩しい感情が荒れ狂った。

 彼……パルヴェーズは、目を開けては、吹いていた草笛を止め、微笑んだ。慈しむ様な、笑み。試練をくぐり抜けた者達を、称える温かなもの。

 とても、美しい笑みだった。

 これまで見た中で「一番美しい」と感じたかも知れない。

 祐一もまた、底抜けに明るい笑みで応えた。

 

「先ずはよくやった、と言っておこうかのう。我が、課した試練、良くぞ成し遂げた。ここに千の称賛を送ろう」

「へへ。そんなん、いらねーよ」

 

 少し笑い、呆れ気味に言い放つ祐一。次いで、確かめたかった事を、パルヴェーズに問い質す。

 

「……なあ、パルヴェーズ。お前、俺の身体の事……知ってたのか? だから、それを俺に判らせる為に、あんな試練を?」

「……うむ。おぬしがどの様な状況にあり、この試練でどの様になるのか。全て分かっておった。……我を恨んでも、構わぬ。我もまた、謝りもせぬ。ただ、おぬしがどれほど危険な状態にあるか、知っておいて欲しかっただけじゃ」

「見くびんな。お前が、何も考えなしに、こんな事する筈ねぇ。そんな事、分かってたさ。ま、辛かっけど、悪い旅じゃなかったしさ……。こいつと少しは、分かりあえたし、な」

 

 祐一は、そう言うと笑顔のまま歩き出す。

 いつの間にかパルヴェーズに傅いて居たラクシェに近づき、首筋を撫でる。試練を共にした相棒、ラクシェは無反応だ。

 それだけの事。

 だがパルヴェーズは、「ほう」と漏らし、笑う。

 輪を囲む形となった、奇妙な一行。

 誰もが満ち足りた雰囲気を醸し出している。

 

「俺は、冗談抜きに、お前なしじゃ、生きられない。なら、俺はお前の使命を最後まで見届けてやる。……そんで、それからも旅を続けよう、パルヴェーズ」

「……後悔せぬか? その道は、数多の誉れ高き戦士ですら投げ出すほどの、辛い道じゃ。我もおぬしを守れるかわからぬ。野垂れ死んでも、不思議ではないのだぞ……」

 

「───パルヴェーズ」

 

 祐一は、パルヴェーズの言葉に、彼の言葉を呼ぶ事で応えた。

 拳を握り、そして……

 

「──俺は、やるぞ」

 

 パルヴェーズは、目を瞠った。

 彼は、気圧されてしまったのだ。人より遥か上位の位階にいる、パルヴェーズが。

 その彼が気圧されるほどの……熱。近付くだけでも、火傷しそうな……そんな、身を焦がすほどの熱量。

 

 それを感じたパルヴェーズは、深く瞑目し、

 次いで目を見開き、強く頷いた。

 ラクシェは、眩しそうな物を見る様に目を細め、顔を空に突き上げ、大きくな鼻を鳴らした。

 

 試練は終わった。

 さあ、次に目指すは、西にある大きな街。

 名も、場所も、人も、向かう先に待つ街の何一つも知らず、ただ思うままに進む一行。

 例え、この先に艱難辛苦の、茨の道が待ち受けていようと、彼らは迷うわず突き進むだろう。

 ちぐはぐで、同じ境遇、同じ故郷、そもそも同じ種族の者すらいない……ヘンテコな旅の一団。

 

 だが、彼らの間には、確かな笑顔があった。

 

 

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