王書   作:につけ丸

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022:掲げた希望よ

 ───ラクシェは、気に入らなかった。

 

 敬愛すべき主の寵愛を一身に受ける少年の存在が。

 主の第一の臣下たる私こそが、寵愛を受け、主の無聊を慰め、そして殉死するに相応しいのだ。

 そう思って憚らない。

 

 だが、現実は違う。

 主の側には、あの生意気な人間がいつも付いて回り、へらへら笑っているのだ。

 許せない……! そう、ラクシェは憤る。

 その感情は嫉妬すら越え憎しみと言い換えても良いかも知れない。

 確かにあの少年とは、あの試練で協力しあった。

 だが一時的な物で、試練が終われば元通り。

 いがみ合う、以前の関係に戻ると信じて疑っていなかった。

 だがそうはならなかった。

 あの少年は試練が終わっても近付いて来た。どれだけ素っ気無くしようと、構わず話し掛けて、こちらの反応を伺っていた。

 鬱陶しい事この上ない。

 主が居なければさっさと縁を切り、遥か彼方へ走り去っていると言うのに。

 ラクシェはそう思って憚らなかったが、結局拒絶しようともしなかった。ラクシェもまた、祐一の事を少しは気に入っていたのだ。

 己に敗北を与えた好敵手たる強い存在を。

 どれほど不運に塗れようと憎悪を向けない純粋な存在を。

 己と旅をし色付いた世界に引き込んだ存在を。

 

 

 ラクシェは気に入っていたのだ。

 

 そう──己の命を賭して、庇おうとするくらいには。

 

 

 気付けば、身体が勝手に動いていた。

 背の主と友は、動けずに居るのが判ったから。

 

 動けるのは、己しか居なかったから。

 

 そんな思考を巡らすより速く、迫る死の予感に身を踊らせていた。

 魂を収奪する死神から、守る様に。逃れ得ぬ脅威から、身を挺し庇う様に。ラクシェは、その巨躯をもって、猛った。

 背に乗せる仲間を守る為に。

 

 次いで感じたのは、首から尾までの間を、何か鋭い物が駆け抜けた感覚だった。鋭い物は、己の誇る強靭な肉体を、産まれたての赤子の肌でも切るかの如く、容易く切り捨てた。

 一瞬、感覚が白く濁った。次いで、炉で鍛え、まだ赤々と赤熱する刃を身体へ差し込んだ感覚。

 四肢の神経が寸断され、痛覚が、けたたましく叫ぶ。

 神速で切り捨てられた四肢が、弾け飛びそうになるが、力一杯ふん縛り堪える。

 力を込めた事により、血が間欠泉の様に出る。

 それを横目で見つつ、前へ、前へ歩を進める。

 

 ───ッ! ───ッ! 

 

 鬱陶しい。

 背で、何か叫び声が聞こえるが無視する。

 もう、主の姿は、無い。

 何度も繰り返し強襲する敵へ、応戦している様だ。

 だが命を賜った。最初で、最後の命。

 

 ──『小僧を、頼む』と。

 

 おお! 望外の幸せ! なんとしてでも、叶えなくては! 

 主の命がため、我が身命を賭して! 

 ならば私は……少し先に見える、身を隠せるほどの岩まで、背の友を運ぶ。

 それが、己に託された使命だ。

 ぐらり。

 意識が薄れかけ、脚が縺れた。情けなく、頭から地面に倒れ込みそうになる。

 

 寸での所で、耐える。

 背の声は、何を言っているのか分からないが、酷く鬱陶しく、五月蝿い。

 黙らせる為にも、速くあそこに着かなくては。

 四肢に力を込め、立ち上がる。裂けかけていた腹袋が破け、ドシャドシャと、血と臓物が溢れる。激痛に意識が、明滅する。

 

 それでも、脚は、動くから。

『仲間を助けるのは、当たり前だ』

 

 そう言った少年の言葉に従うようで、酷く尺ではあったが、「フンッ!」と鼻を鳴らし、また前へ踏み出す。

 私は、お前の言った言葉を、実行しているだけだ。

 文句を言いたいなら、あの時、私に水を渡した過去の自分に言え。

 そんな子供っぽい幼稚な考えで、突き進む己の、なんと滑稽な事か。

 そんな考えをしていると判れば、あの少年は、馬鹿野郎と怒るだろうか。

 主は、呆れた様に笑ってくれるだろうか。

 

 目が霞む。

 もう視界には、何も映らない。虚無の世界が広がっているばかりだ。

 それでも、あと何歩進めば辿り着けるかは、覚えていたから。

 主の命を果たさねばならなかったから。

 背の友を、死なせたくなかったから。

 

 だから私は、最後まで進む、のみ。

 

 一歩、一歩、進むごとに、己が生涯の情景が流れていく。

 産まれ出て数年。讃えられ、崇められさえした日々。輝かしき、栄光の日々。

 ───しかし、色の無い日々だった。

 

 だが、あの少年……祐一と、主が現れてから、全てが色付いた。

 薔薇色。黄金。虹色。そんな、ちゃちな色では無い。もっと美しい色に彩られた、尊き日々。

 これ以上、望むべくもない。

 

 ───そして今、最初で最後の命を受けた。

 

 何という、幸運。

 私の無価値な生にも、唯一無二の価値が出来たのだ。

 

 

 ならば……。

 

 

 身命を……賭して……。

 

 

 叶……え……ね…………ば……。

 

 

 

「おーい、ラクシェー! 何やってんだよ! 置いて行っちまうぞー!」

 

 声が聞こえた。

 ここ最近、毎日鬱陶しいほど聞いていた声。いつもいつも、私の耳元で叫んでは、振り払っていた。

 だが、嫌いではなかった。

 

「ははーん? もう、バテたんだな? ははは。ラクシェとも、あろう奴が情けねぇなぁ。おら、おぶってやろう。背中貸してやるぞ! ほれほれー!」

 

 無礼な! 私を馬鹿にするとはいい度胸だっ! 今すぐ素っ首落としてくれるっ! 

 

「やーい! 怒りん坊ラクシェがキレたぞ! 逃げろ逃げろっ!」

「えぇい騒がしいのう。おぬしら」

「おっ、パルヴェーズ」

 

 主! 聞いてください! この者が……

 

「ふふ。まあ、よいではないか。何時もの事じゃろう? ……それより、旅を続けねばの。急がねばならぬのでな……」

「だってさ。ほら、さっさと行こうぜ」

 

 そう言って、二人は歩き出した。

 

 私も……行こう。

 

 脚を踏み出そうとする。……だと言うのに、脚が動いてくれない。まるで、肉体なんて最初っから無かった様な……。

 今さっきまで、動いてた口も動かない。まるで、固く閉ざされた扉のよう。

 待って! そんな簡単な言葉さえ、出せない。

 

 視界が霞む。主たちが居た景色は、深い霧に溶けて行く。意識が……遠のいて行く……。

 

 置いて……行かないで……。

 私……を……ひとり……に…………。

 掠れ行く意識の中、ラクシェは哀しみに濡れながら、思う。

 

 たが、そんな意識を掬い上げる様な声が、聴こえた。

 

 

「さぁ……行こうぜ。ラクシェ……」

 

 

 ───少年が、見えた気がした。

 傷付き、今にも倒れそうで……。

 少年……祐一の、笑う様な……泣いている様な横顔。

 そして、固い決意を秘めた声が、耳朶を叩く。

 

  ああ。共に……。

 

 ───それがラクシェの、最期の記憶だった。

 

 

「───ラクシェエエエエエッ!!!」

 

 祐一の慟哭が響く。

 祐一は跪き、ラクシェに縋り付いては、喉よ裂けよと叫ぶ。

 後悔が。

 ……思いが、溢れる。

 

 ──お前を、まだ、上手く乗りこなせていないのに……! 

 何度も、何度も、ラクシェに振り落され、落馬した。

 

 ──お前に、まだ、助けて貰った恩を返してないのに……! 

 俺はあの時、お前に助けて貰わなければ死んでいた。

 

 ──お前と、まだ、何も判り合っていないじゃないか……! 

 いつもいつも、いがみ合って、歩み寄ろうとした時には……もう遅かった。

 

 祐一の胸中は、後悔で埋め尽くされた。

 どうする事も出来ず、泣き叫ぶのみ。仲間と思っていた者の死は、若い祐一にとって、初めての事で……。

 ただ、ただ、戸惑い、泣き叫ぶ事しか出来なかった。

 

「小僧! 無事か!」

 

 後ろから、聞いた事の無い切羽詰まったパルヴェーズの声が聴こえた。今さっきまで、争っていた化身の気配が無い。彼が、どうにか退けたようだ。

 しかしその対価は重く、パルヴェーズにも、左肩から腹部にかけ裂傷が走っていた。

 はっ、と祐一は顔を上げ、パルヴェーズの方を向く。

 

「パ、パルヴェーズ! ……ラクシェが! ラクシェが死にそうなんだ! 早く、早く助けてやってくれよ!!」

 

 祐一は、懇願した。

 あの奇跡を起こせるパルヴェーズなら、倒れ伏したラクシェでも、助けられるはずだ。

 そう思って祐一は、パルヴェーズの外套の端を握り締め、頼み込む。

 だがパルヴェーズは目を伏せ、首を振るのみだった。

 うそだ! うそだ! パルヴェーズが出来ない訳無い! 

 子供が癇癪を起こした様な、怒りにも似た感情が沸き上がる。

 でも祐一には、その感情を、言葉にする事が出来なかった。

 祐一も、判っていたのだ。

 血溜まりに沈むラクシェは……共に大地を駆けた仲間は、もう逝ってしまったのだと。

 ただ、その現実が余りに受け入れ難くて。

 永遠の別れ……そんな物は初めてで。

 そして、何も出来なかった己が情けなさ過ぎて。

 

 ただ、拒絶するように、泣き叫んで居ただけだった。

 パルヴェーズはラクシェの側へ、外套に血が付くのも構わず、膝をついた。

 そして、ラクシェの瞳孔の開いた目を見詰め、感謝を伝えると、労る様にラクシェの目蓋を閉じた。

 スッと、立ち上がったパルヴェーズ。そこには、死者を弔う陰のある表情は無い。これより行われる激戦に備え、闘志を充溢させる戦士の表情があった。

 祐一の如く、仲間の死に戸惑い、悲しみに暮れた顔では無い。彼は正しく戦士であった。

 

「小僧、おぬしは逃げよ。今は手傷を負い、退いているが、あの化身もまた、戦場での不死性を持っておる。そうそう死にはせぬ。然程時間も掛からず襲って来るじゃろう……。今のうちじゃ逃げよ」

「いやだ!!」

「……ならぬ! 今のおぬしに、何が出来る? 仲間が倒れ、心乱れ、心眼も使えぬおぬしが、化身を相手取って戦えるとは思えぬ! ここは、引け! 小僧!」

「なんでだよっ! なんでそんな事、言うんだよ!! ラクシェが! ラクシェが殺られたんだぞっ!! 仲間が……! それなのに、仇を取っちゃいけねぇのかよっ!!?」

「違う! そうではない! 数多の戦場を見てきた我には、分かるのじゃ! 今のおぬしでは、武運拙く何も出来ず、果てるのみ! 冷静さ欠いたおぬしなど、あの化身の相手では無い! ここは聞き分けよ、小僧!」

「ふざけんな! 俺は、あいつの……!」

 

 

 ───突然の出来事だった。

 

 

 ───燦めく。

 虚空に、光が生まれた。

 

 見れば、それは一つだけでは、無い。

 十や百は優に越え、幾千、幾万にも及ばんとする数。

 まだ太陽が燦々と輝く真っ昼間だと言うのに、この空間だけ夜空の星空が現われたかのよう。

 

 ───。 ───。

 

 声が、聞こえる。英雄譚を朗々と謳い上げるような。記された歴史を淡々と語り上げるような。犯してきた罪科を糾弾するような。

 何の言語なのかも、何の話なのかも、解らなかったが、祐一にはその声が酷く恐ろしく、鋭い物に聞こえて仕方が無かった。

 

インド──インドラ マニ──アダマス バビロニア──ネルガル エジプト──ホルス ギリシャ──ヘラクレス アルメニア──ヴァハグン

 

 いくつもの綺羅星さながらの勇壮な名とイメージが乱れ飛ぶ。

 なんだ、これ……。

 祐一に疑問が湧くと同時に、パルヴェーズの驚愕した声が鼓膜を叩く。

 

「──『戦士』の化身じゃと!?」

 

 祐一は、少なからず驚いた。

 いつも、泰然自若としたパルヴェーズ。そのパルヴェーズの、焦燥感に満ちた声なんて、聞いた事がない。

 それほどまでに、パルヴェーズの声音は、余裕のないものだった。

 

 祐一は、ここに至って、やっと冷静になれた。

 パルヴェーズの言葉は、頭に血が登っていた祐一には、冷水に等しく、聞いた側から、正気に戻すほどの衝撃を与えた。

 最初に現れた化身の比ではない。

 絶体絶命。

 正に、焦眉の急を告げるに等しい事態だと、理解したのだ。

 

 ───ドスンッ……! 

 

 足音が、聞こえた。

 巨体を誇る者特有の、大地を揺らす振動と共に聞こえる音。威風堂々とした姿を思い起こさせる音。

 

 ああ。仲間であれば、どれほど心強かっただろう。

 ああ。聞こえる足音の、なんと恐ろしい事だろう。

 

 祐一の胸中は、絶望に占められそうだった。

 『強風』『山羊』『雄牛』『駱駝』──今まで邂逅した化身達と、まるで気配が、違う。あの化身達は獣の如く本能的で、猛り狂う厄災の如き恐ろしさがあった。

 

 だが今回感じる気配は、違う。

 

 まるで『剣』だ。石から産まれ、業火にて鍛え上げられた……数多の難敵を調伏する『剣』。

 そんな恐ろしい気配を、ひしひしと感じながらも。

 だがそれでも、勇気を出して、顔を上げる。

 とある方角を睨むパルヴェーズの、視線を追う。

 そして、見た。

 

 大地を踏み締め、進む……───《鋼》の巨人の姿を。

 

 その姿は、筋骨隆々とした勇ましき戦士。

 背丈は、見上げるほど。そこらの木々なんぞより、ずっと高い。

 魁躯を誇り、眩く輝かんばかりの戦士だ。

 光り輝く黄金の鎧で、全身を包み込んでいる。だが、その分厚い鎧からでも隠し切れない、赤銅色の肉体が、彼の力強さを、この上なく物語っていた。

 手には何も持っていない。

 しかし代わりに、あの戦士が身を包む鎧の様な……黄金の光球が空に散りばめられている。

 その光の、なんと恐ろしい事か。

 頭部には、これまた黄金の兜を被り、赤々と烈火の如く紅い巻毛の髪が覗く。

 戦士の容貌は、面貌の如く顔を覆い尽くす兜で伺い取れないが、こちらを射竦める視線はハッキリ感じ取れて、祐一は動けなくなってしまった。

 

 その時だった。

 ──グンッ! 何か強い力で引っ張られた。

 

 ───斬ッ!  その瞬間、今さっきまで、居た場所を鋭い真空刃が駆け抜けた! 

 じっとりと、冷や汗が滲む。

 最初、何が起こったか理解出来なかった。だが、すぐに思い至る。あれはラクシェの仇だ! と。

 だが、祐一が行動を起こすより早く、祐一を引いた手は、彼を離さず何処かへ駆け出した。

 

 驚いて、引っ張られた方向を見遣る祐一。

 その手は、パルヴェーズの手だった。

 あの彼が……負けず嫌いで、己を勝利の化身と言って憚らない彼が、戦場から背を向け、遁走していた。

 呆然とする、祐一を連れて。

 思わず、パルヴェーズを見る。

 なんで……? そんな疑問の言葉を投げ掛けようとして、閉口した。

 ──その横顔が、余りにも寂しそうだったから。

 

「小僧。これより、おぬしを強風の権能で街へ送り届ける。おぬしは先に、街で待っておれ」

「は……? ……な、何言ってんだよ、パルヴェーズ……!」

「ふふ。なぁに、心配する事は無い。我の強さは、おぬしがよく知っておろう? ──友を信じよ」

「うそだ!! お前、最初の化身との戦いで怪我してんだろ!? 俺、なんとなく判るんだ! お前が今、どれだけ苦境に立ってるのかも!」

 

 パルヴェーズは、微笑む。

 アルカイックスマイルでも、仏像のような神々しい笑みでは無い。

 何時も笑い合っていた、祐一の大好きな笑顔で。

 

「おぬしと出会えた事、全ての因果に感謝しよう。おぬしと出会わなければ、ただ流れる月日を無為に過ごし、迫りくる性に呑まれるだけであったじゃろう。しかし、そうならなかったのは、おぬしのおかげじゃ……感謝する」

 

 いつか聞いた、別れの言葉。

 今、パルヴェーズが紡ぐ言葉は、あの時の言葉を強く思い起こさせた。

 そんなもの、絶対に認めたくは無かった。どれだけの苦難に塗れようとも、あんな思いは二度と味わいたく無かったから。一人戦場に残ろうとする友を置いて行きたくなかったから。

 無意識に、パルヴェーズの外套を引っ掴む。そして、離すものか! と力を込める。

 

 だが、出来なかった。

 パルヴェーズは微笑んだまま、祐一の手を取り、掴んだ指を、一本、一本、剥がして行く。

 何という膂力。必死に抵抗しようと力一杯に込め、引き剥がす力に抗うが……ビクともしない。

 祐一は叫んだ。

 

「ふざけんな! ふざけんなよ!」

 

 だが、もう遅い。指は全て、離れてしまっていて……

 

「ふふ。……さらばじゃ、疾く行くがよい!!!」

 

 

 突風が吹いた。

 その風は、逃れようと藻掻く祐一を絡め取り、空中へ連れ出した。ぐんぐんと大地が……戦場が、離れて行く。

 たった一人、友を置いて、自分だけが───!! 

 独り戦場に残ったパルヴェーズは、笑っていた。優しげに笑い、去り往く祐一を見守っていた。

 

 黄金の鎧に身を包んだ『戦士』

 神速で空を駆る金色の『鳳』

 

 迫る二柱の化身を背にして……。

 

 

「────パルヴェェェェェズ!!!」

 

 

 祐一の絶叫は、ペルシアの空に溶けては消えた。

 

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