王書   作:につけ丸

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024:英雄譚の『語り部』

 結果的に言えば、パルヴェーズが勝った。

 

 恐らく『猪』は不撓不屈の化身である『駱駝』でさえ、一撃で粉砕するだろう強力な化身だったのだろう。

 しかし、どれほど強力な化身であれ、もう過半数の化身を取り込み、王手間近のパルヴェーズに『猪』が勝てる道理は無かった。

 

 祐一は、倒れた『猪』に駆け寄り、止めを刺そうとするパルヴェーズを止めた。

 やめてくれ、と。それだけは辞めてくれ、と。

 戦いの時はどちらに付く事も出来ず惑っていた祐一だったが、どちらかが殺される時になれば話は別だった。

 出会ってそれ程経っていないとは言え「友」となったのだ。

 看過できる訳がない。

 それに、このまま化身を取り込んでしまえば、この道を踏み外し、遠くに行こうとしている友人は、「もう、取り返しのつかない程、遠くに行ってしまう!」と、そう言う確信が祐一にはあった。

 

 しかし祐一の抵抗は意味の無い物だった。

 パルヴェーズは祐一の懇願など一顧だにしない。祐一を煩わしそうに、力ある言葉……言霊の力で縛り、動けなくした。

 そして、当然の如く『猪』を取り込んだ。

 呆気なかった。『猪』の神力が余す事なく、パルヴェーズへ呑み込まれていく。

 祐一は動けない身体で、『猪』の断末魔を聞いていた。

 

 まるで地獄。

 血の如き涙が止まらない。耳と目を、ぐしゃぐしゃに壊す事が出来たら、どれほど救われるだろう。

 動けない身体。しかし眼だけは動く身体で、祐一はその光景を見続けていた。

 力を取り込んだパルヴェーズが、調子を確かめるかの様に、拳を握っては開き、祐一へ語り掛ける。

 

「ふふ。善き哉、善き哉。人の世に降り立ったのは初めての事であるが、己が性に縛られず、思う儘過ごすとは悪く無い感覚じゃのう」

 

 そうは、思わぬか。──小僧? 

 

 やめろ! 

 その口で、その声で、俺を呼ぶな! 

 その顔で、その目で、俺を見るな! 

 声も無く、叫ぶ。

 

 どれほど眼の前の存在が、パルヴェーズだと思おうとしても。

 どれほど眼の前の存在が、パルヴェーズと同じ声で話そうと。

 どれほど眼の前の存在が、パルヴェーズに似ていようとも。

 

 祐一には、眼の前の存在がパルヴェーズとは、思えなかった。超然とこちらを見下ろし、語り掛けるパルヴェーズに、黙り込み意志の萎れた瞳で見返すのみ。

 

 祐一は、もう、死んでしまいたかった。

 こんな辛い現実を見ていたくなくて。

 無力な自分に絶望して。苦しむ友に気付けない愚鈍な自分が嫌で。変わり果てていく友を見ていたくなくて。いますぐにでも、死を選んで楽になりたかった。……だが、彼はそうはしなかった。

 どれほど眼の前の存在が、パルヴェーズとは思えなくても、やっぱり放って置くなんて出来なくて。

 倒れたラクシェの死に様が脳裏に焼き付いて離れなくて。

『猪』に何か託された気がして。

 そして、──最後に見たパルヴェーズの優しげな微笑みが忘れられなくて……。

 

 祐一の身体に、見えない鎖が、雁字搦めに絡み付いて……逃げ出そうする祐一を、頑なに許してくれなかった。

 強迫観念の如く、両肩に乗った天使と悪魔が引っ切り無しに耳元で叫ぶ。

「最後まで見届けろ!」「見届けろ! 見届けろ!」

 と、そう叫ぶ。

 

 うるさい! だまれっ!!! 

 お前たちに言われなくても……! 

 俺は最初っからパルヴェーズに付いていくって決めてるんだ! ──約束してんだよッ!!! 

 

 諦観と絶望に溺れそうな己を、寸での所で引き上げる。

 俺は、パルヴェーズを信じる。そう、決めてんだよ! 何度も、何度も、自分に言い聞かせる。

 

 美しい微笑を湛えるパルヴェーズ。

 

 違う。

 でも──同じだ。

 

 もう、何を信じれば良いのか祐一には、判断が付かなかった。

 どれほど、今のパルヴェーズをパルヴェーズだと思おうと、今まで旅をした記憶が降り掛かって来て、全力で否定する。

 どれほど、今のパルヴェーズをパルヴェーズではないと思おうと、今まで旅をしたパルヴェーズの笑顔がチラついて、どうしても思い込む事が出来なかった。

 

 疑心暗鬼と言う、袋小路。

 どんどん空回っていく思考は、心を暗く沈んだ色へと染め上げていく。

 祐一は、堪らず問い掛けていた。

 

「お前は……何者なんだ。……パルヴェーズ、なのか?」 

「ふむ。おぬしの中ではもう、答えは出ていると言うのに、敢えてその問いをするか小僧」

「違う! 答えなんて、出てねぇ! ……お前を見る度に判らなくなる。見えているお前は確かにパルヴェーズなのに、でも、俺と旅したパルヴェーズじゃねぇって確信が湧く……。もう、訳分かんねぇ……。だから俺には、お前に聞くしか手立てが、ない」

「はは。愚か、愚かじゃのう、おぬし。純粋と言っても良いかも知れぬ。だが、その純粋さ、嘗ての我が好むものであったのであろうな。……ふふ。おぬしの思う通り、我は嘗ての我ならず……」

 

 身体が震えた。

 パルヴェーズの言葉に恐れ震えているのかと思ったが、そうでは無い。

 ──畏怖だ。パルヴェーズから漏れ出す力への! 

 今のパルヴェーズは、人などより遥かに高位で、強大な存在である。ただ、存在感すると言うだけで、災厄を齎すほどに! 

 これまで対峙して来たどの化身を上回る恐怖と、死神に出会った様な絶望が祐一を襲う。

 

「まだ、全ての化身が揃って居らぬ故、名は封じられた儘じゃが……。しかし、本質は限りなく近い。嘗ておぬしと旅をした、秩序を齎し光明と正義の守護者たる──『我』ではない!」

 

 気付けば祐一は、倒れ込んでいた。

 何かよく分からない力が、全身を絡め取るように襲い掛かって来たのだ。

 そして、倒れ込み朦朧とする意識の中……聞いた。

 友の……あまりに残酷な宣告を。

 

「今の我は”まつろわぬ身”! 神話より解き放たれこの現世に顕現し、まつろわぬ性を獲得した、勝利と闘争を求める神! ──『まつろわぬ闘神』なのじゃ!!!」

 

 耳を塞ぎたかった。

 朗々と響く友の声は、嘗ての優しげで透き通る、祐一の好きだった声とは、似ても似つかなくて。

 でも、パルヴェーズの神力に蝕まれた手は、ピクリとも動かなくて……。

 ただ、酷く耳障りな声に、耳を傾ける事しかできなかった。

 

「おお。すまぬな、小僧。我とあろう者が、人間の脆弱さを失念しておった。たったこれ程の神力を浴びせただけで沈むか。それほど弱い存在であったのう」

 

 そう悪びれた様子も無く、パルヴェーズは言った。直後、フッと。ついさっきまで、祐一を蝕んでいた力が、突然抜けた。

 

「がぁっはっ……はぁっ……! はぁっ……!」 

 

 まるで、水中から引き上げられた様に、咳き込み、空気を一杯に吸い込む。

 それに気にした様子も無く、パルヴェーズは言葉を続けた。とても愉快気に。

 

「ふふ。良い事を思い付いたぞ、小僧。おぬしは何の因果か、我と現世での旅……その大半を過ごしておる。これは、中々出来ぬ事では無い。褒めて遣わす。……そして、我はその功を讃え、おぬしを、我が英雄譚、叙事詩の『語り部』とし、その功に報いよう! 咽び泣き感謝せよ、小僧!」

 

「か……『語り部』……?」

 

「判らぬか? 英雄たる我には、やはり英雄に足るに相応しき英雄譚が必要なのじゃ。そして、それを世へ語り継ぐ『語り部』もじゃ」

 

「それを……、俺がやれってんのかよ……」

 

「そうじゃ。おぬしが我と歩んだ道程、見聞きした全てを、人の世全てに語るのじゃ。はは。どうじゃ、光栄な事であろう?」

 

 祐一は、反射的に断ろうとした。

 理由なんて無い。ただ、単に嫌だっただけだ。

 だが、寸での所で踏み止まった。

 このまま断れば、因果の糸が完全に切れてしまう。そう、思えてならなかったのだ。

 

 約束は、守る。

 

 今のパルヴェーズが、嘗てのパルヴェーズと遠くかけ離れた存在で……。

 自分の事を、蟻程度にしか思って居なくても……。

 どんなに友達が変わり果てても……最後まで、見届けてやる。 

 

 ──俺は、パルヴェーズを、信じる。

 祐一は、あの時、固く決意したのを思い出す。

 名のもない町、バンダレ・アッバース。試練。

 何度も祐一を、苦難が襲い、その度に立ち向かい、打破してきた。そして、祐一が思いを新たにし、固く決意した誓いが、今度は彼を絡め取る鎖となって逃さない。

 俯き、血が滲むほど拳を握り締め「……わかった」そう、パルヴェーズに返した。

 パルヴェーズは、満足した様に、神々しく美しい笑みを浮かべ、 

 

「ふふふ。よい子じゃ」

 

 言いつけを守れた幼子を、褒める様に言う。

 祐一は、酷く無感動な表情で、その言葉を受け止める。

 ──心を凍て付かせて居ないと、もう、どうにかなりそうだった。

 居ても立っても居られず、祐一はパルヴェーズへ問い掛けた。

 

「それでお前、これからどうするんだよ。このまま、お前の化身を集めんのか?」

「うむ。『鳳』『戦士』は、先刻討ち果たし、我が神力へと戻った。しかし最後に残った『白馬』は、依然彼の地にて、我を待っておる。ふふ。しようのない子じゃ。我が直々に出向き迎えてやらねばのう。先ずは、ペルシアの地に戻らねば──では、往くぞ。小僧」 

 

 そして、強風が祐一達を包み込んだ。

 不快さを感じてしまうが、結局抗う事はしなかった。

 離れ行く塩湖を見ながら、思う。 

 

(『猪』……お前は俺を慰めてくれたのに、なにも出来なくて……ごめん、ごめんな……)

 

(……なあ……『猪』…………お前は、俺にホントは何をさせたかったんだよ……?)

 

『猪』への後悔と、答えの出ない問を投げ掛ける。そして、やっぱり答えなんて返って来なくて。

 

 一人、これより待ち受ける未来への拭い切れない不安に身を震わせた。

 そう。

 祐一はもう、独りになっていた。

 

 ○◎●

 

 着いた場所はパルヴェーズと別れた荒野だった。

 最初、祐一にはその場所がどこなのか、てんで判らなかった。もう陽がとっぷりと暮れていたのもあるのかも知れない。

 だが一番の理由はそれほどまでにこの地が荒れ果てていたのだ。

 大地のそこかしこに長大な亀裂が走り、クレーターも数え切れないほど。何か強大な存在がぶつかりあった痕跡が、幾つも散見できた。

 

 ───それはパルヴェーズが、たった1人、戦い抜いた証だった。

 

 あいつは勝ったんだ。

 祐一は、なんの根拠も無く思う。

 でも、勝とうが負けようが、あいつは変わり果てる事に変わりはなくて……。

 祐一は握り締めた拳を、己の膝へ叩き付ける。

 

 ……そんなのって、ないよなぁ……っ! 

 だが、祐一は、膝を付き慟哭したい気持ちを必死に抑え血が滴るほど唇を噛み締めた。

 

「小僧。おぬしが旅の道から外れたのは此処からであったな。やはり『語り部』たるおぬしは全ての道程を歩まねばならぬ。なに、急ぐ旅では無い。ゆるりと行こうぞ」

 

 パルヴェーズは、傲然と笑う。

 祐一は、思わず顔を背けてしまった。

 視線の先には、やはり荒れ果てた土地が広がっていた。

 

 ───そして、何かが見えた。 

 

 駆け出す。

 今さっき見えた物。それは祐一にとってこの上ないほど大事なもので、放って置けないものだった。

 果たして、辿り着く。間違いない! 

 

 ───ラクシェ!! 

 

 やはり祐一が見たものは、戦場にて息絶えた、嘗ての仲間だった。

 縋り付き、血溜まりに沈むラクシェに振れる。ブレザーに血が付着するが、全く気にならない。

 ラクシェ。あの雄々しく逞しい肉体を誇った仲間からは、もう腐臭がしていた。この土地の強い熱波により、肉体の腐食が早まっているのだ。

 どこから湧いたのか、黒い蝿や薄汚い獣が、ラクシェの身体を這い回っていた。──思考が、白く染まる。

 

「ラクシェに……! ラクシェに、さわんじゃねぇええええ!!」

 

 素手である事にも構わず、ラクシェにたかる害虫共をこそぎ落とす。

 何度も、何度も! 

 ──グシャ、グシャ。

 湧いた獣や虫どもを叩き付け、死に追いやる。今の祐一の瞳にはありありと狂気が宿っていた。

 だが、害虫も獣も諦めない。逃げ回っては、何度も湧いてきて……。

 どれほど振り払って居ただろうか。

 

 血塗れの祐一の姿が、そこにはあった。

 祐一の手は、獣とラクシェの赤黒い血で染まり、その頬もまた返り血で赤く染まっている。いや、それは祐一の流した涙だったのかも知れない。

 美しかったラクシェ。しかし、今は無惨な骸を晒していた。元々獣に貪られ、酷い状態だった遺骸。そこに祐一が怒りに任せ、害虫どもを何度もこそぎ落とし、暴れた事で、ラクシェの美しかった筈の皮膚は、ボロボロで今にも剥がれ落ちようとしていた。

 

 祐一は、目を限界まで見開き、項垂れ、呆けた様に言葉を漏らす。

 こんなのが……。 

 仲間の……。友達の……。勇者の……。

 最後なのかよ……。

 

 もう、心が折れそうだった。茫然と、振り払う体力も無くなりった祐一はラクシェの死骸をかき抱き言葉もなく見詰める。 

 

「満足したかのう、小僧」

 

 無感動な声が聞こえた。振り向くけばそこには、パルヴェーズが立っていた。

 闇が世を覆う世界にあっても、パルヴェーズはどこか輝いている様にも見えた。

 

「パルヴェーズ……。ラクシェが……」

「ラクシェ……? おお。思い出したぞ。あの時、我が御していた馬か。ふむ、死んだか。しかし、此奴も我の役に立てて、本望じゃろうな。ほれ、立て小僧。さっさと往くぞ」

 

 そう尊大な態度で、そう言い捨て、歩き出した。

 

 ──祐一は、何も言わなかった。

 

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