王書   作:につけ丸

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025:その神の名は───。

 シーラーズの街へ着いた。

 

 呆気ない。そう、表現してもいい程に。

 結局ラクシェの遺体は大地に晒したままだ。

 パルヴェーズは、待ってくれる気配は無く急がねばならなかった。手早く合掌し、懺悔の言葉を告げるだけに留めた。

 何も出来ない自分が酷く怨めしかった。

 

 ただ、ラクシェの鬣……遺髪だけは、持って来た。

 

 せめて、何か形見になる物を……。と思ったのだ。時代劇でよく形見として、髪を持っている描写を祐一は知っていた。

 しかし、ラクシェから鬣を毟り取る。その時の気分は、吐き気がするほど最悪だった。

 まるで、恩人の死体を暴いている様で……。もう、二度としたくない経験だった。

 

 そして辿り着いたシーラーズの街。

 シーラーズは詩とバラで有名な美しい街だ。多くの詩人を生み出し、今でも学術都市として有名な街。元はオアシスであり、過酷な土地であるイランでありながら、気候も涼しく風情のある街である。

 夜でも煌々と輝く灯りに照らされたバーザールや、美しい街並みがいくつも並ぶ街を歩く二人。

 ふと、かつてのパルヴェーズと一緒なら、楽しめたのに……。そう女々しい考えが浮かぶ。だが祐一は、そう思って仕方がなかった。

 

 パルヴェーズは悠然と歩き、祐一はその後ろをついて行く。祐一には、今のパルヴェーズと肩を並べて歩く事が、酷く憚られた。

 でも、自分とパルヴェーズの距離が開く毎に、パルヴェーズの心も離れて行く気がして自然と足早になってしまう。

 真夜中と言っても良い頃だったが、人通りはまだ多かった。

 

 パルヴェーズは美しい容姿をしている。どこに居ようとも、民衆の目を惹き付けれ止まない、華のある美貌を。だと言うのに、人々はパルヴェーズを視界にすら入れず素通りして行った。

 そんな違和感に気付き、眉を顰める祐一。

 

「誰も、我を見ぬ事が不思議か? 小僧」

 

 パルヴェーズが、こちらを見る事もなく話しかけて来た。それも、祐一の胸中を完全に理解した上で。

 明らかに、人間が出来る様な事では無い。

 祐一は、どこか諦めた様に……

 

「まあな」

 

 短く答えた。

 

「ふっ。我ら神が人の世に降りれば、人は何かと騒ぐからのう。煩わしい事、この上ない。故に、我が人に見る事が出来るかどうか決め、必要な時に姿を現す事にしておる」

「お前自身が決めてるんだな」

「まあ、人の前に姿を現すどころか、そもそも人間の街に降り立つ事すら、不快ではあるが……。ふふ。しかし我は今、完全なる復活を前に気分が良い。それも許そう」

「そうかよ……」

「小僧。おぬしはどこかで、夜を過ごすと良い。我もまた、戦いを前に英気を養わねばならぬのでな。彼の地にて行う最後の決戦は、やはり、夜明け。陽光が世を照らし出す朝が相応しい。時間が来れば、呼ぶとしよう──では、一時の別れじゃ」

「あっ! 待てよ!」

 

 パルヴェーズは、そう言うと、もう消え去っていた。影も形も無い。いつ消えたのかも、本当に居たのかも、わからない。

 祐一はしばらくパルヴェーズの居た場所を見詰めていたが、やがて歩き出した。

 

 ○◎●

 

 暗い路地裏の隅。

 美しい街並みの暗い部分を映し出す様に、ゴミが散乱し、壁は汚れ、薄汚い鼠達が足元を這い回る場所に、祐一は居た。

 彼は座り込み、両の手のひらで顔を覆い、表情は窺えない。しかし、悲嘆に暮れている事は容易に察することが出来た。

 

 ───俺は、どうすれば良いんだ……。

 

 答えが見つからない。もう、何時間もこうしている気がする。

 だが、どれほど考えを巡らせても、祐一には答えが出なままだった。

 時が経つにつれ、状況は一つ、また、一つと悪くなって行く。

 思考が空回っては、自罰的な考えばかりが浮かぶ。

 

 俺が……故郷から出さえしなければ……何も起きなかったんじゃ無いか……。そんな考えが浮かぶ。

 そうだ……。

 俺はやっぱり、最初っから何もしない方が良かった……。

 家出なんてしないで、頑張って皆の誤解を解いて……。

 そうじゃなくても、俺があいつと旅をせず、あの町で別れて、どこかの公共機関に保護してもらって、故郷に帰る。

 ……そうした方が良かったんじゃないか。

 

 悲観的で、責める様な考えが、祐一を染め上げていく。心を潰そうとする考えが浮かんで来る。

 

『パルヴェーズと旅を、しない』

 

 そんな考えが浮かんだ瞬間、全身が沸騰するかの如き、激情が弾けた。

 ──違う! 祐一は、振り払うように首を振る。

 そうじゃない! そうじゃないだろ、木下祐一! 

 俺が故郷を出なくても、パルヴェーズは化身を集める事に変わりは無かった! どうやったって、パルヴェーズは、変わってしまったんだ! 

 

 ──あの『まつろわぬ闘神』って奴になったんだ……っ! 

 

 そこまで考えて、そうだ……。と思う。

 俺が、あいつと旅をしなけりゃ、パルヴェーズの変化は早まっていた。

 『迫りくるものに呑まれるだけ』ってあいつも……パルヴェーズも、そう言ってただろ……。

 

 俺は、あいつを少しは変える事が出来たんだ! 

 それは、祐一の自分勝手で独り善がりな考えだったが、彼はそれを信じた。もう、そんな都合のいい考えにすがっていないと、心が折れてしまいそうだったから。

 そこまで考えて、今度は暗澹たる未来へ、思考が移る。

 

 でも、これからどうするんだ……。

 最後に残った化身、パルヴェーズが『白馬』って言ってた化身。

 それを取り込めば、もしかしたら、あいつはもう……。

 

 諦観が祐一の心を満たす。

 誰もが投げ出し、逃げ帰っても不思議ではない状況に祐一は、放り投げられていた。

 だが、彼は不思議と「逃げる」と言う選択肢は取らなかった。そもそも、その選択肢自体、頭の隅にすら思い浮かんでいない。

 嘗て友を拒絶してしまった経験が、「トラウマ」と言ってもいい出来事が、彼から其の選択肢を奪っていた。

 消えて行った仲間達が。約束が。誓いが。

 祐一を強く縛める鎖となって絡め取り、逃げ出す事を許さない。

 

 ──答えを……。誰か、答えをくれよ……。

 

 故郷の幼馴染を思い出す。

 秀、お前となら、何だって出来た。不可能なんて無い。今、お前が隣に居てくれたなら、どんなに頼もしいだろう……? 

 隆、お前は強いよ。おとぎ話の英雄みたいだ。なあ隆、俺に少しだけでいいから、お前みたいな強さと勇気をくれないか……。

 秋、いつも困った時は、答えを出してくれた。そんなお前ならこんな状況でも、答えを見つけられるんだろうな……。

 勇樹、お前の明るさが羨ましい。何時も笑って前を向けるお前が。誰だって笑わせて来たお前が。

 

 答えがありさえすれば……俺は、それに向かって突っ走るから……。誰か、お願いだから……。答えを……。

 思い浮かぶ誰もが、今の自分より、強く、賢く、要領良く、強かで、頼もしく、羨ましく見えた。

 妄想の中の友人たちを思い描き、縋る祐一。

 

 だが祐一は、彼らの誰か一人にでも、今の自分の役目を変わろうとは考えなかった。

 

 祐一は、心の奥底で決めていたのだ。

 この役目は、己が果たさなければならない、と。

 絶対に譲りたく無い、と。

 それを祐一自身は気付いていなかった。だがそれは、彼の意志の強さであり、彼自身の強さを表すには十分なものだった。

 そして今まで歩んで来た旅の確かな証明でもあり、彼自身の成長の証であった。

 

 祐一は、おもむろに懐から、写真を取り出す。

 暗い路地裏でも、月明かりが少しは照らしてくれる。

 月明かりに照らされた写真。

 写真に写る人々は、誰もが笑っていた。

 町の人々も。

 祐一も。

 そして──パルヴェーズも。

 

 ああ、やはり……。写真のパルヴェーズと、今の変わり果てたパルヴェーズは、同じだった。

 どんなに祐一が、パルヴェーズでは無いと否定しようと……。

 パルヴェーズ自身が”違う”と言おうと……。

 写真をみた瞬間、祐一には”同じだ……”とストンと納得してしまった。

 

 パルヴェーズは、完全に別の存在へ変遷した訳ではない……。根っこの部分は同じなのだと、祐一はやっと気付く事ができた。

 パルヴェーズがどれほど変わってしまおうと、それは変わらない事実だった。

 

 ──なら、俺は今までやって来た事を、続けるだけだ。

 俺は、友達を信じる事しか出来ない。

 なら、最後まで、信じ抜く。

 

 それでも……。友達が……、間違え……てた……なら……。

 

 そこまでだった。

 祐一の意識が薄れて行く。祐一にとって、今日と言う一日は、家出してからこれまで、群を抜いて辛い一日だった。

 化身の襲撃。ラクシェの死。『猪』との出会いと別れ。パルヴェーズの変貌。

 これほどの絶望が訪れた時は無かった。

 

 もう、祐一は疲れ果てていた。

 肉体は、まだ動かせる。だが、精神は壊れる寸前だった。

 今日起きた一つをとっても、情愛深い彼には、耐えきれない絶望だった。それでもここまで耐え抜いたのは、偏にパルヴェーズへの優心故であった。しかし、ここまで耐え抜き疲れ切った心は、限界だった。

 

 これ以上傷付かないよう、電源を落とす様に、祐一は意識を閉じた。

 

 

 ○◎●

 

 

「──ここにおったか、小僧。刻限じゃ、起きよ」

「……ん、……パルヴェーズか。そうか──もう、行くんだな」

「うむ。もうすぐ夜が明ける。はは。遂に時は来た……!」

 

 そして、パルヴェーズは微笑むと、

 

「ふふふ。少し意外であった。我は、おぬしが、逃げるものとばかり考えておったが……。ふふ、なかなかどうして、肝が座っておる。その時には打擲せねばならないと思っておったが……。はは、褒めてやろう小僧」

「……」

 

 言葉を交える度に、哀しみが心を埋める。

 笑いあった嘗てのパルヴェーズが、別の何かへ変わっている事を、強く突き付けられる。

 パルヴェーズなら……共に旅をしたパルヴェーズなら。

 あんな言葉は言わない。友を疑う言葉なんて、吐かない。

 

 だと言うのに……。

 今のパルヴェーズは、超然と遥か高みから、祐一を見下ろして居るだけだ。そして、今までの旅の記憶を忘却したかの様な言葉を紡ぐのみ。

 

 ──それでも……!

 祐一は、思わず現実から目を背けそうな自分を叱咤する。目を瞑って、胸ポケットにある写真を強く意識した。

 

 ○◎●

 

 ペルセポリス。

 シーラーズから北東にある遺跡である。

 嘗てはアカイメネス朝の大王宮として、ダレイオス一世が築き始めた物である、しかし、古代ペルシアの栄華を極めた王宮も、時の王、アレクサンドロス大王に占領され、大王手ずから、火を放ち灰燼と帰したと言われている。

 ペルセポリスには、多くの柱や基壇の壁面があり、そこかしこに当時の情景や、神や御姿動物を象ったレリーフが施してある。

 嘗ての栄えた、古代ペルシア帝国の聖都。イランの聖域とも、呼べる場所である。

 

 ──そこが彼らの選んだ、決戦の地であった。

 

 夜明け前。空は未だ陰り、あと幾許かで陽が登る暁時。

 祐一が、このイランの地に迷い込んで、これまで。起床する時間は決まってこの時間だった。

 

 ふと、そんな事を思い返す。と同時にパルヴェーズとの旅を思い起こしては、感慨に耽る余裕がある自分が酷く意外だった。

 目の前を歩く友は、かなり機嫌が良い様にも見えた。まるで長年探していた物が見つかった様な……そんな雰囲気にも見える。

 前を歩いていたパルヴェーズは、唐突に足を止めた。

 どうしたのか疑問に思い、周囲を見渡す祐一。気付けば祐一達は、ペルセポリスの中心地に居た。

 何かを象ったレリーフが並ぶ奇矯な遺跡群に、祐一は、少し寒気を覚えた。獣や人型のレリーフの目が、こちらを見据えている気がしてならない。

 

「──来たか」

 

 パルヴェーズが、呟く。

 おもむろにパルヴェーズは東を見遣り、右腕を振った。

 その瞬間だった。

 

 ──突然の出来事だった。

 

 曙光が弾けた! 莫大な光が、世界を照らす。

 視界一杯に横たわる大地。それを遍く照らし出して余りある光に、祐一は咄嗟に目を瞑ってしまった。

 しかし、目を瞑る瞬間、確かに見た。

 

 ──天高く聳え立つ大高峰を! ──天駆ける神馬の姿を! 

 

 赫々たる日輪の如き輝きが、視界を奪う。しかし祐一は、必死に目を凝らしながらも、化身の姿を目に収める事が出来た。

 白馬だ。全ての毛並みは白く、そして光輝いている。

 首筋よりたなびく鬣が、かの化身の威風堂々たる姿をより一層引き立てている。

『白馬』の勇壮無比なる体躯には、黄金に輝く装飾品や馬鎧が散りばめられ、その美しさは、龍に翼を得たる如しである。

 月毛に輝き、馬と言う種族の頂に立っていたラクシェでさえ、かの神馬の前には霞むだろう。

『白馬』は、パルヴェーズを睨み据え、一直線にこちらへ駆けて来た。かの化身が走り去った天の道は、人など容易に呑み込みそうな、紅蓮の炎で溢れかえっていた。

 

 最後に残った化身。

 やはり今まで相対してきた化身達の中でも最高位の強大さだ……! 祐一は、戦慄と共に思う。

 

 それに対しパルヴェーズは、変わらず悠然と微笑むのみ。

 両者の距離は、瞬きする暇もなく高速で近付く。

 祐一が、その優れた反射神経を持っていなければ、見切る事は叶わなかっただろう。──だが、祐一には見えた。

 パルヴェーズと『白馬』、その両者が激突する瞬間を! 

 

 ──勝負は一瞬だった。

 パルヴェーズは、虚空より黄金に輝く剣を取り出し、たった一太刀を振るった。肩に力を入れていない、軽い一振り。

 しかしパルヴェーズは、その一太刀で、偉駆を誇る『白馬』を袈裟斬りに斬り裂いてしまったのだ! 

 

「───やめろぉおおお!!!」

 

 思わず祐一は、叫んでいた。パルヴェーズが、もはや取り返しの付かない所まで行ってしまうと直感で気付いたから。

 まるで、悲鳴のような嘶きを上げ、『白馬』はキラキラ光る粒子と変わり、パルヴェーズへ溶けて行った。

 

 ───呆気ない最後だった。これで、終わったのだ。

 

 パルヴェーズの使命が。

 祐一の手伝う、と言う約束が。

 彼らの旅が。

 

 同時に祐一は、思う。

 

  ───()()()()()()()()……。と。

 

 

 ──予兆は、幾つもあった。

 

 

「ははは」

 

 

 異常気象。地殻変動。

 ヤズドに現れた謎の巨大な影。

 アラビア海で起きた、旅客船沈没事故。

 とある町の付近に残された、大量の落雷痕。

 ミナーブとバンダレ・アッバースを結ぶ道での大隆起。

 バンダレ・アッバースに出現した、怪異。

 シーラーズ郊外で発見された、不可解な痕跡の数々。

 何者かによって破壊された、ヴァン湖。

 ペルセポリスの空に現れた、二つ目の太陽。

 

「───はははははははははは!」

 

 そして、ペルシア全土に響く、恐ろしい哄笑。

 

 もはや誰もが恐怖で震え、戦慄した。

 

「ははは! ようやく、じゃ! ようやく取り戻したぞ! 人の世に顕現し、何の因果か失われておった───()()()()!」

 

 生きとし生ける者達、もの言わぬ者達、煌々と輝く太陽、広大な大地。

 その全てが異変を感じ取り、動ける者は少しでも遠くへ逃げ、動けない者はただのひたすらに身体を震えさせた。

 そして、聞いた。───()()()()()()()()()! 

 

「ヴァハグン、ヴァルラグン、ウァサガ、アルタグン、バフラー厶……。西方での名はヘラクレス。東では執金剛、或いはインドラとも。ふふ。我が御名は数あれど……今の我には、やはりこの名こそが相応しい……!」

 

 ……だが、一人だけ逃げず、己の意志で立ち、前を見据える「()()」が居た。

 人間にして、かの軍神の友である少年……。

 

 ──木下祐一

 

「我が名は『ウルスラグナ』!」

 

「常勝不敗の軍神にして、あらゆる障碍を打ち砕く者也!!!」

 

 おそらく……人は、それを───。

 




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祐一くん一行の軌跡です。お暇でしたら。
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