──最後の最後まで勝てなかったかぁ
パルヴェーズに左に袈裟斬りにされ、死に向かう先で祐一は思った。
悔しさも確かにあった。
パルヴェーズを止められず、力尽きた無念も。
それでも……
──だけどやっぱり
──名前を呼んでほしかったなぁ
祐一が死んでもなお残った心残りはソレだけだった。
何度も、何度も、挑みに挑んで、それでもたった一度の勝利ももぎ取れなかった。
──まあでもいいか
──俺は全力だったんだ
──それで死んだ
──もう悔いはない
正直な所、祐一はもう疲れ切っていた。
限界だ。そう何度思ったかしれない。もう。何度恐ろしい目にあったか判らない。何度悲しい目にあったか判らない。
二度も心を許した者の死を見た。
笑いあった友人と、殺し合いを演じた。
旅を初めてから……いつだって運命は、因果は、世界は祐一を苛んだ。
その度に祐一は折れ、それでも立ち上がって来た。
絶望の末に、力尽きた祐一。そんな彼がここで終わっても、誰も文句など言わない。称賛と慰めの言葉を投げ掛けるだろう。
祐一は、死と生の狭間の空間で虚空を見ていた。
何もするでも無く、ただ、ボーッと。
何もない時間。それは酷く穏やかで、疲れ切った祐一の心に、安寧と言うものを齎してくれた。すべての因果の糸が切れると同時に、未練すらも切れてしまったようだった。
──もうおわろう
だからこそもう眠ってしまいたかった。祐一は、意識を閉じようとした。
嘗てここに居た時、意識の閉じ方は知っていたから。そして今なら、もう二度と覚めない眠りに就く事が出来ると言う確信があったから。意識がするすると溶け出し、希薄になっていくのを感じ……
……?
ふと、気配を感じた。
意識を閉じようとした一瞬。ほんの少し前の間何かを感じとった。今まで気付かなかったのが不思議なほどの──
──
存在を認識した途端、意識は鮮明なものへと変遷した。気配を感じる場所は真後ろからだった。
な、なんだ!? ……驚いて振り返るは当然の帰結だった。
同時に、嘔吐した。胃の中に入っているものなんて無くて、息が漏れのみだったが、苦しさが尋常じゃない。首を抑え、膝を付き、空っぽの胃から、空気だけを吐き出す。
嘔吐感が凄まじい。それと同じく、脳をバールで突き刺し、掻き出して居るような、猛烈な頭痛。
今さっき見たモノ。
それが今、祐一を苛む元凶だった。
───その存在は、余りにも巨大で強大だった。
見上げる程の……それどころか、視界にすら収まっていない。まるで宇宙の如く、その全容は見渡す事が出来ず、強靭な自我を持つ祐一すら赤子の手をひねる様に磨り潰す強大な気配。
目に焼き付いた存在の姿は”人”の形をしていた。
黒いもやが掛かり、輪郭ははっきりしないが、手と足と身体と頭。それだけは確実に生えていた。
そして、頭部。あの存在の頭部には、唯一、見覚えのある物があった。
───『閃輝暗点』
あの歯車の様に渦巻く、忌まわしい光が、仮面の如く張り付いていたのだ!
頭痛が増す。これ以上思い出すなと警告する様に。
だが、脳裏に焼き付いた、あの存在の姿が忘れなれない。
おぞましいおぞましい! なんだアレは! なんだアレは!
二目と見られぬ程の醜悪さ! だが、途方も無く美しい!
人などと言う矮小な存在が相対して良い存在ではない! アレは神などではない! もっと恐ろしいナニカだ!
アレを、見てはならなかった!
アレを、知ってはならなかった!
見なければ!
知らなければ!
祐一は───ここで安らかに死ねたのに!!
いっそ、脳を砕いてしまいたい! そんな、自殺紛いの自傷衝動すら浮かぶ激痛。
祐一は、もはや狂人と大差なかった。
強い意志を宿した瞳は、白目を剥き、今にも飛び出そうなほど見開かれている。頭痛に耐えきれず、頭部に持って行った指は、爪を立て、ガリガリと掻き毟り、爪が剥がれ、頭皮を引き裂かれて行く。爪の中に収まりきれなかった、癖っ毛の髪が付いた頭皮が、ボロボロと落ちて行くが、全く気にならない。
目、鼻、耳、からは、脳の尋常では無い負荷によって、出血した赤黒い血が絶え間なく流れる。
グチりと噛み千切った舌からは血が溢れ、血と共に舌であった肉片を訳も分からず飲み込んで。
もはや声すら出せない痛み。だと言うのに祐一を苦しめる一向に頭痛は収まらない!
頭痛が増す。今、祐一を苛む頭痛とは別種の痛みだ。
脳に直接ケーブルを突っ込んだ様な、鋭痛。
そして、そのケーブルから滲み出る物が、脳を圧迫する。許容出来ない脳を万力で磨り潰す様な痛みが、絶え間なく続く。
知識が流れ込んで来る……!
まつろわぬ神。神祖。半神。神獣。《鋼》。地母神。生と死。蛇。太陽。簒奪の円環。冥府。不死。不滅。権能。雷霆。嵐。大地。魔術。主神。超越者。女神。幽界。アストラル体。魔女。剣。戦神。
膨大な知識だ。訳が判らない知識の羅列に、自分を襲う凄まじい頭痛を忘れそうになる。
だが、この知識によって、この存在の正体が判った。
こいつの名は───『
過去、現在、未来。三世に遍く存在する、原因と結果。遍在する因果! その全ての祖にしてはじまりの巨人! 全ての運命を司る者!
あらゆる運命、天命、巡り合せ。
その全ての頂点に立つ──”因果の王”
因果律の存在により、その思考の上に無数に世界は広がり、存在出来る。全ての幸運、不幸は、因果律が夢見て、定められた結果である!
世界があるから、因果律が居るのでは無い!
──因果律が居るから、世界があるのだ!
無始無終! 始まりも、終わりもなく、ただ存在し続ける者! 永遠の生に、ただひたすら微睡む者!
この者を起こしては、ならない!
この者を知っては、ならない!
この者を伝えては、ならない!
この者と出会っては、ならない!
この者に知られては、ならない!
この者を忘れては、ならない!
その禁忌を犯せば、どんな存在であろうと、破滅へと導かれるであろう!!
その禁忌を犯せば、因果律の目覚めと共に、世界は泡沫の如く弾け飛ぶであろう!
その禁忌を犯せば、もはやその魂が磨り減り、消え去るまで安寧など、望むべくもないだろうから!!!
──は?
──全ての運命を司る、だと……?
──全ての因果の頂点に立つ、だと……?
──全ての運命を定めた、だと……?
──お前か……!
──お前が……!!
──俺の歩んで来た旅も!
──仲間の死も!
──友が変わり果てた事も!
──俺が、遭遇した不幸も、全て……!!!
「お前の所為なのかッ!!!」
「許さねぇ!! 許さねぇぞッ!!!」
「殺すッ! 殺すッ! 殺してやるッ!」
祐一を襲っていた頭痛なんて、遥か彼方へ吹き飛んだ。
それほどの衝撃と、憎悪が、彼を埋め尽くしたのだ。
祐一は、これまでの生涯で、初めて”憎悪”と言う物を抱いた。祐一の出遭った、全ての絶望。その元凶が、目の前に居る。
許せる筈がない!
客船が転覆し、人々が死んだのも!
バンダレ・アッバースが、灰燼に帰したのも!
ラクシェが、『ラグナ』が、死んだのも!!
パルヴェーズが、狂ってしまったのも!!
全て……! こいつの───ッ!!!
更に、知識が流れ込む。
己の正体が暴かれる。己の罪を糾弾される。絶望の理由が明かされる。
旅の始まり。あの時、故郷の山で拾った黒い”石”──あれはすべての因果から木下祐一という存在を弾き出す因果破断の神性を宿した石だった。
だから世界は異物となった祐一を、死へと追いやった。
まつろわぬ神の待ち受けるイランと言う過酷な土地へ流され、零落し不安定なまつろわぬ神の半端者と出会わさた。
多くの化身に襲われ、近しい者は死に絶えた。
全ては、その石を拾った祐一を殺す為だった。
「───ふざけんな」
正気の戻った祐一が、ポツリと呟く。
いや、正気に戻ってなど、居ない。今までの激痛や狂気など、塗りつぶす程の狂気が祐一の中に溢れかえったのだ。
祐一の自我さえも呑み込まんとするほどの狂気──それは”怒り”に他ならない!
「ふざけんな……! ふざけんなよッ!!」
もう限界だった。
理性を保つなんて、到底できる訳がない! 自我すら押し流しかねない、感情の昂ぶりが祐一を支配する。
祐一の生涯で、嘗てない程の怒り。
木下祐一と言う少年の、最大最高の怒りが、彼を支配した!
顔を上げて因果律を真っ向から見据える。
おぞましい! おぞましい!
忌まわしい! 忌まわしい!
だが、祐一は、目を逸らさず、因果律を睨んだ。その双眸には、祐一を祐一足らしめる、強烈な意志を宿した瞳。
「俺の! 俺達の! 人生いじくり回しやがって!!」
大いなる存在を真っ直ぐに見据え、宣誓する!
両腕を大きく振り上げる。
両の手で握り込んだ拳。
その中には──いつの日か拾った黒い石──黒曜石が手中に収まっていた。
円錐形の、刺し貫く事に特化した形状は言葉もなく「因果律を殺せ!」と催促している気がしてならない。
ああいいだろう。なんでもいい!
「──そんなに死にてぇなら!! 」
目の前の存在を殺せるのなら──それで!!
「俺が、殺してやる───ッッッ!!! 」
思いっ切り、振り下ろす!
次いでその場所から黒いもやの濁流が噴き出し、ざぁと祐一を飲み込んだ。
○◎●
意識が現実へ引き戻される感覚。
世界の根幹たる、因果律へ攻撃しようと、祐一はまだ死んでいなかった。そもそも、因果律は攻撃された事すら気付いていないどころか、認識すらしていなかった。
だからこそ、今、己は生きているのだと、祐一には判った。
どこまでも気に入らねぇ! 祐一は、因果律が居るであろう後方を睨み、吐き捨てる。
だが、今は因果律に割いている余裕はなかった。
祐一は、あの空間で知ったのだ。
あの時流れ込んだ知識は、多種多様であった。世界の真理もあれば、虫の一生などと言う記憶。神の知識や家の台所の位置。正に、玉石混交と言う具合だった。
祐一の余り良くは無い脳に、それらを全て留め置くなど不可能で、大半は右から左へ流れて行ったが、いくつか見逃せない物があった。
記憶には今まで世界が歩んだ過去も、人々が息づく現在も、それどころか、これより始まる未来すらあった。
そう。祐一達が歩む世界の未来が。
祐一の見た未来の映像は、2つ。
荒れ果て、崩壊していく世界。
血と騒乱渦巻く、狂った世界。
そしてその世界には中心には、元凶たる狂った神───『ウルスラグナ』の姿があった……。
拳を握る。
あいつを止める。もう、迷わない。
あいつが……友達が人々を苦しめる姿なんて、見たくない。
あいつが……苦しむ姿なんて、見たくない。
「───だから、俺は……!」
絶対不変の決意を胸に、祐一は、現実へと身を踊らせた。
○◎●
目が、覚めた。同時に四肢を、引き千切られた様な激痛が走る。
だが、気にならない。あの空間にいた時の頭痛に比べれば、屁でもない! 友を止められない痛みに比べれば、何てことはない!
精神が、肉体を凌駕する。
祐一は立ち上がり、踵を返し歩き出したウルスラグナへ、唯一残る右拳を振りかぶった!
───あの空間で2つ、知った事がある。
ウルスラグナを止めれなければ、世界が壊れる事。止めれなければ、故郷は、天変地異によって砕かれ、家族も友も、幼馴染も消え去るだろう。
これが一つ目。そして、もう一つは────
「───パルヴェーズッッッ!!!」
───
どれほど乞い願おうと。どれほど絶望に苛まれようと。
どれほど祈りを捧げようと。どれほど感謝を伝えようと。
どれほど懇願しようと。どれほど憎しみを向けようと。
──全て、意味は、無い。
全知全能の神には、聞こえない。
勝利の女神は、微笑まない。
一騎当千の英雄は、現れない。
慈悲深い御仏は、救わない。
まるで、祈りが届く道が無くなった様に「人」と「神」は別たれている。
故に、祐一は、思う。
───だったら、人間で、相棒で、友達の俺が!!
───止めるしか、ないだろうが!!!
ウルスラグナが振り返り、驚愕する。
「因果破断の神性じゃと!?」
死んだ筈の少年が、立ち上がった事に!
類稀な神にさえ届きうる力を宿して事に!
そして、ウルスラグナは見た。
祐一の眸を。それは祐一を祐一足らしめる物! 絶対不変の意志を宿した、烈火の如き双眸!
─────ッ!?
その双眸にウルスラグナは、気圧されてしまった。思わず一歩後ずさる。
そして同時に、記憶が蘇った。
これまでパルヴェーズとして歩んだ旅の軌跡を。
泣き、笑い、共に過ごした少年の姿を。
ウルスラグナの絶対不変なはずの鋼の心へ、致命的な罅が走った。ウルスラグナの翠瞳が、ざわりと揺れる。
彼の不変な筈の意志が──崩れた。
それが、勝負の別れ目だった。
ウルスラグナは、咄嗟に右腕を振り払った。まるで力の入っていない、その場しのぎの動作だ。
それを、祐一は見逃さなかった。
左手で、ウルスラグナの腕を掴む! 力では膂力無双たるウルスラグナの腕力には敵わない。だがそれは常であればの事───!
今ウルスラグナはこれ以上なく動揺し、権能の行使も覚束ない。それに加えかなり不安定な体勢だ。
これまで無いほど、拙い一撃。
それはもう死にかけの祐一ですら、容易く振り払える程だった。
祐一は掴み取ったウルスラグナの腕を、力一杯、己の方向へ引き込む!
前のめりになるウルスラグナ。勢い付く祐一。
「うぉぉぉおおおおおおおお────っっっ!!!」
雄叫びを上げ、全力の拳をウルスラグナへ叩き込む!
───ドウゥッッ!!!
果たして、祐一の拳は、ウルスラグナの左胸を突き破り、核たる心臓を穿いた!
───俺の、勝ちだッ!
ウルスラグナの驚愕した表情と共に、祐一の意識は暗転した。