王書   作:につけ丸

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031:明滅を始めた世界

 その日より、世界は混沌の坩堝と化した──。

 

 神話と人の世。分かたれていたはずの二つの世界は、永き時を経て再び混じり合った。

 ありとあらゆる神話や伝承に英雄譚……数多くある物語の一部でしかなかった者達や空想の産物でしかなかった者達が、各々の神話を糧として嵐のごとく現世に現れ、猛威を振るい始めたのだ。

 

 神話という軛より外れ"神話にまつろわぬ"存在となった者達は、物語の中では人に救いを齎す神々でさえ、世界中で禍を運び込んでいた……。

 

 

 ○◎●

 

 ──西アフリカ。海岸沿いの町にて。

 

 人々は目の前の光景が信じられなかった。なぜなら天より空を覆わんばかりに莫大な水量を宿した雨粒……いや、海と言っても過言ではない水の塊が降ってきたのだから。

 豪雨、津波、嵐。

 そんなに生易しい物ではない。確定された「死」を、天災が運んで来たのだ! 

 水塊の中心には、黒曜石の如き黒い肌と金の巻毛の神を持った老人が一人。死にぞこないのような老いた者ではなく、百戦錬磨の生き残りの雰囲気をまとったたくましい老人だ。

 そう、あれは間違いなく『まつろわぬ神』──! 

 

「呵々ッ、あの忌まわしい呪法が砕け散ったか! 愉快! 愉快じゃ! この様な佳き日には良き行いをせねば! 

 ──さぁて、地を這う定命の者共! 我が神威を忘れ、異教の神に縋った貴様らに神罰を下そうぞ!!」

 

 

 ──西ヨーロッパ。とある町にて。

 

 グウォォオオオオオオオォォ!!! 狼の雄叫びが、響く。

 体の芯から怖気が走る、不吉な遠吠え。静寂が流れていた平和な町が、たった一声によって潰乱した。恐怖に耐え切れず銃を片手に、外に出た町人達。

 闇夜が広がる街。そしてその中心に佇む恐怖の顕現が居た。闇の帳が降りる中であってさえ、不気味に輝く眼光は酷く鮮明に映った。

 雄叫びを上げた者の正体。それは狼では無かった。

 ───黒い『犬』

 その正体に気付いた時には、遅かった。

 半刻後、町は真の静寂を得た。

 

 

 ──中央アメリカ、エルサルバドル。山奥深くの農村にて。

 

 農村の中心には矯矯たる「大樹」があった。人や建物なんて比べ物にならないほど巨大な。その大樹は巨大な枝が二本突き出し、茎は真っ直ぐ天に伸び、人の形をしている様にも見えた。

 ──グシャ。

 ──グシャ。

 音がした。不快な音。耳障りで、悪い連想しか許さない音。

 何か柔らかい物が、落ちて来た音だった。

 

「ぁ……ぁ……」

 

 呻吟の声が響く。落ちて来たモノ。

 それは、──「人」だった。

 転落し、内臓や脳漿を撒き散らした人々。だが、すぐに苦痛は止んだ。身体が、時を巻き戻した様に再生したのだ。

 人々は立ち上がり、また、大樹を登って行く。全ては、崇める『神』の意思に従って。

 

 

 ……さぁ、狂乱の宴は始まったばかり。

 己を落とし込んでいた軛が外れ、原初の姿に戻ろうとする者たち。人に仇なす恐るべき者達が、世界を終末へと導く。

 

 奢侈に溺れた人々よ! 我が怒りを見よ! 嘆き震え、存分に後悔するがいい! 逃れる事叶わず尽き果てる運命なのだから! 

 

 怠惰に流れた人々よ! 我らは見ていたぞ! 己が行いを改めようと、もう遅い! 我らの手は汝らのすぐ後ろまで迫っているのだから! 

 

 許しを乞う者共よ! 遊興に耽り快楽に呑まれた、汝らを何故許せようか! 潔く、屍を晒し、禿鷹どもに啄まれるがいい! 

 

 世界は、狂気渦巻く騒乱の世界へ堕ちた。矮小な人間は抗いようもない存在に、ただ身を震わせ死を待つのみ。

 

 ──しかし、まだ、一握りの「希望」は残されていた! 

 

 人類代表の戦士! 

 人間総代たる王! 

 神を殺め、人類の守護者となった、たった一つの「希望(エルピス)」が!!! 

 だが彼はまだ己に科せられた使命を知らない。無知であるが為に、残り少ない平穏を享受するのみ。

 

 しかし、もうすぐ気付く。

 己がどれほど重大で、困難な運命の只中にあるのかを……。

 

 

 ○◎●

 

 

 どこまでも晴れわたる空の下、少し波の高い海を一艘の船が回遊していた。どんな物好きが乗っているのか、その船は今どき珍しい木造であり高々と帆が掲げてあった。機械の類は一切見受けられない古式ゆかしい、或いは時代遅れの船だ。

 

「神を弑逆した人間、か」

 

 ズンと腹の底にまで響く声が響いた。声の出どころは帆船に乗る青年からだった。

 彼は鈴木仁。生粋のモンゴロイドのようだった。その容姿は祐一の故郷に居ても違和感はないのではなかろうか。

 しかし彼の容姿は一般人と言うには首を捻らなければならないだろう……一言で表すならば「益荒男」。 

 歳は恐らく二十代半ば。艶のある黒髪を後ろで束ねオールバックに決め、顎に蓄えられた顎髭が勇ましさを際立たせている。

 

 そんな彼が何故こんな場所に居るかと言えば、とある人物に会うためだった。

 

 曰く、人の身でありながら神を弑逆せしめた者。

 曰く、神々に仇なし世界を終焉へ導く者。

 曰く、若くして人類最高峰の戦士である。

 曰く、曰く、曰く……。

 人一倍好奇心旺盛な仁は、そのフレーズを耳にしただけで興奮を止めれなかった。一も二もなく飛び出し、気付けばこんなところに居た。

 

「はてさて()の口車に乗せられここまで来たは良いが、その"神殺し"とやらは何処に居るのやら……」

 

 当てずっぽうの向こう見ず。豪放磊落で細かい事を気にしない、を体現している仁は計画性の無さがここに至って浮き彫りになっていた。

 しまったしまった、と腕を組み心底困ったと言った風だがその語調にはどこか愉快さすら孕んでいた。

 

「ん?」

 

 その時でした。海の流れに乗って、どんぶらこ〜どんぶらこ〜と土左衛門が流れて来たではありませんか。よく見れば黒髪の少年のようでした。

 

 ん? 黒髪だと? 

 仁はその土左衛門を見咎め、うつ伏せになっていたソレを櫂でひっくり返した。ぴゅー! と間抜けた所作で土左衛門が水を噴き出し、仁はよくよく見ればそれが尋ね人の特徴とよく似ていることに気がついた。

 

 なんとも言えない顔を作って、されども無視するわけにも行かず……。

 数刻後、仁の尋ね人は見つかった。

 

 ○◎●

 

「いやー! 助かった助かった! 死ぬかと思ったぜ! ありがとな!!」

「ハッハッハッ! 礼など要らん! まあ、人が海上を漂っていた時は大層驚いたが、そんなに元気なら問題ないな!!」

 

 ハイテンションな二人の男達。どちらも黄色人種で、見ようによっては兄弟に見えるかも知れない。

 一人目はさっきまで漂流していた少年……木下祐一。

 二人目はダウ船と言う木造船で自由気ままに回遊し、たまたま祐一を見つけ拾った青年だった。

 

 祐一達が居る街の名は「シャジャル」。

 アブダビ、ドバイと並ぶ、アラブ首長国連邦の第三の都市である。

 

 彼らは上陸と同時に、海岸沿いにある街に入り、食事を取っていた。

 祐一は幸運にもペルシャ湾で漂流し、ドバイに近いこの「シャジャル」と言う街に辿り着く事が出来ていた。

 悪運の強い奴である。

 シャジャルと言う街もイランと同じでイスラムの戒律が厳しく、酒は出ない筈なのだが酔っぱらい以上のテンションで盛り上がっていた。と、そこで祐一が今更だが自己紹介をしていない事に気付いた。

 

「あ、そういや、名乗ってなかったよな。俺は、木下祐一! 改めて、助けてくれてありがとう!」

 

 右手を突き出しサムズアップする祐一。それに青年は呵々大笑し、

 

「ワハハハッ! 気にするな、気にするな! 大した手間ではなかったし"海で人を拾う"などと言う経験、滅多にできんからな! ……おっと、俺も名乗り忘れていた。俺の名は、鈴木仁! 世界を股に掛ける流離い人よ!!」

 

 鈴木仁、と名乗った青年。

 日本語も達者で、異国の言葉が喋れない祐一でも、母国語を聞くと言う懐かしい感覚に安堵を覚えていた。

 背の高い祐一よりも頭三つ分は背が高く、それで居て弱弱しい印象はなくガッチリとした筋肉が服の上からでも見受けられた。

 性格は豪放磊落をそのまま人に落とし込んだ様な、豪快で明朗快活な御仁である。

 

「なるほど。遠い故郷を離れ、着いた先は過酷な大地。それは災難だったなぁ。うぅむ、俺も世界を駆け、なかなか数奇な人生を送っているが、お前も負けず劣らず、と言うところだな!」

「そーだろっ? 俺ってなかなか波乱万丈な人生を送ってるんだぜ! でも、仁さんも、こんな所に居るんだし、結構苦労してんじゃないのか?」

「なァにそれほどでもない。俺がここに居るのは、好き勝手に生きて来た結果だ! 反省しこそすれ後悔など微塵もない! 我が歩んだ道に一片の後悔はない! と言ったところだな!」

「へー、いいなぁー。おりゃあ、後悔してばっかだぁ。今までやって来た事が、ホントに正解だったのか、いっつも悩んでるよ……」

 

 そんなことをいう祐一の背を仁はバシバシと叩いた。

 

「ワハハッ!!! 悩め悩め、若人よ! それこそ若さの証明! そして悩み、立ち止まり、戸惑い、選んで、進んで行く! その苦悩の果てに掴んだ栄光こそ、何物にも代え難い物になるのだからな!!」

「おー、いい事聞いた。そーだよなぁ、なんの苦労もしないで、手に入れたモンなんて薄っぺらいよなぁ。うん、俺の歩んで来た道に間違いはなかったのかもな。ふっ、……だって俺、死んでねぇし! わはは!」

「そう!!! 生きている事こそ、全ての正解だ! ワハハハッ!!!」

 

 二回ほど生死の狭間を彷徨った男が何かのたまった気がしたが、彼ら二人は出会ってからこんな調子で騒ぎに騒いでいた。

 祐一と仁と言う男達は、重ねた時間は短かったが、何となく波長が合うようだった。

 パルヴェーズとは真逆の性格だな! 嘗て旅をした、しかし、いつかまた出会える友を心に描いてそんな事を思う。

 

「よしよし! 今日の俺はお前と言う友を得て、頗る気分が良い! 祐一、折角同じ釜の飯を食っているんだ! 酒でも酌み交わそう!」

 

 仁はそう言うとおもむろに、二つの小さな盃を取り出し、これまたどこに隠し持っていたのか、徳利を取り出し酒を注ぎ始めた。

 フリーダムな仁の行動に、流石の祐一も焦った。

 

「え? ……良いのかよ? ここ、酒はタブーみたいだし、辞めといた方がいいんじゃね?」

「───なぁに、気にするな!」

 

 祐一の問い掛けに、自信満々に仁は答え、

 

「俺がやりたいから! その理由で、全ての事は大体許される!」

「……駄目じゃねーか!」

「ふふん、良いではないか! これは俺とお前が出会った事への祝杯よ! この卓には、俺とお前しかおらん! ならば何も介在させず、気ままに酒気を浴びようぞ!」

「それも、そうだなぁ。うっし! 俺も、たまには飲むか!」

 

 そう言うや否や、仁から盃を受け取る祐一。どうやら彼は飲酒に忌避感は無い。と言うのも祐一の故郷に居る幼馴染の一人が、未成年ながらも無類の酒好きなのだ。祐一が「秀」と呼ぶ偉丈夫の少年で、祐一よりも頭2つほど背が高く、逞しい。

 その彼が、よく家から酒の類をくすねて持って来るのだ。それを用いて祐一達が、誰も来ないお気に入りの山で宴会を催すのが、彼らの楽しみであった。その為、祐一も酒には慣れている。

 ワルガキ&クソガキ共である。

 

 盃を持ち乾杯し、一気に呷る男二人。祐一は呑み込んだ瞬間目を見開き、溜めを作って……

 

「───くああ! うめええ!!」

 

 飲む瞬間、独特な臭いを感じたが構わず飲み干した祐一。そして、口の中に広がった味は、いつもの飲んでいるビールや安酒などとは全く異なっていた。独特な酸味と芳醇な味わい。今までの飲んでいた酒が、まやかしか何かだったのではないかと思えるほどの。

 

「うまいか! それは我が故郷自慢の一品だ! 美味くて当然ではあるが、喜ばれると俺も嬉しいぞ!!」

「マジうめえ! こんな酒飲んだ事ねぇや! どこで売って……いや、それよりも……仁さん、もう一杯!」

「よしよしどんどん飲め! ──ワハハッ! 酒を酌み交わし、盃を交わした俺達はもう兄弟も同然! 何も遠慮する事はない!!!」

「酒を酌み交わして、盃を交えたら兄弟……。いい考えだな、それ!! じゃあ、俺と仁さんは今から兄弟だな! わはは!!!」

 

 飲んで騒いでいた二人。余りの騒がしさで、目立ちに目立ち、店主の米神に青筋が浮かぶ。結局、飲酒がバレ、店の店主と共に、シャジャル史に残る逃走劇を披露する事となった。

 大捕物を繰り広げ、あえなく捕まった祐一と仁。すばしっこい祐一を捕まえられた店主は、職を間違えている。

 それから平謝りし、仁と夜遅くまで語り合い、いつの間にか路上で雑魚寝していた二人は、若干の頭痛に苛まれながらも己が道を進む為に別れた。

 

 

 朝から眩しい日差しが祐一を照らす。

 そんな日差しに目を細めている祐一は、シャジャルの街を抜け、もう目視で見えるほど近いドバイへ向けて歩を進めていた。

 

「仁さんか……おもしろい人だったなぁ」

 ──ルォォン。

「お、ラグナ。復活したか。……よく助かったなって? うん、いい人に助けれてな、そんで飯も奢ってもらったんだ」

 ──ルオン。

「お前も腹減ったって? しゃーないなー、飯食ってる時にとってたパンがあるから、一緒に食うか!」

 ──ルォン! 

 

 祐一の権能の一つであるラグナ。祐一に由来する存在であり、祐一が死ななければどれだけ傷付こうともラグナは何度も復活する様である。波に拐われ消え去っていたが、祐一も復活する確信があった為にそれほど心配していなかった。

 復活の時間は、おおよそ半日といった所か。

 復活可能になると何処からともなく姿を現すラグナはなかなかフリーダムな奴だった。

 そもそも『猪』の化身であるラグナを呼び出すには、厳しい制約がある筈だが、これも新生時に祐一と同化した『ミスラの松明』のお蔭で、自由に出現する事が可能らしい。ラグナ自身が身振り手振りで語っていた。

 

 さぁ、ドバイはもうすぐだ。

 

 

 ○◎●

 

 

 ───ドバイ。

 世界有数の大都市に数えられるドバイは祐一が居る国……U.A.Eの首都であるアブダビよりも一歩も二歩も発展している中東屈指の大都市だ。

 人口三百万であり、しかし人口の七割から八割が外国人と言う、まさに人種の坩堝と言える街である。

 街の近くには美しいペルシャ湾が見え、街を囲むようにイランと同じく沙漠が広がる大地がある。しかしこの沙漠。イランの石ころばかりが覆う沙漠とは違い、風紋が浮かび多くの人が想起するような砂で出来た砂漠である。

 

 まあ、そんな土地だ。先日まで祐一が居たイランと、このドバイの暑さはいい勝負である。それに加えて近くに海もある為、尋常では無い湿気が襲い、外出するのを躊躇う程に暑い街でもある。

 

「ここか……」

 

 今、祐一はとある日系の病院の前に立っていた。

 ドバイに辿り着いてどれほど経っただろうか、もう日は傾こうとしている。

 祐一はやっとの思いで、この生存者が居る、と言う病院に来ていた。

 正直、暑さでぶっ倒れるかと思ったが、何だか頗る体調が良く、紆余曲折はあったが休みなしで病院まで辿り着いてしまった。

 

「よし、行くか。ラグナ!」

 ──ルオ。

 

 早速祐一はラグナと共に病院へ突撃し──追い出された。

 ペット持ち込み禁止!!! 看護婦のおばさんにそう言われ入る事が出来なかったのだ。

 

 ペットじゃねぇ! そう抵抗した祐一だったが、聞き入れて貰える筈もなく、結局、泣く泣くラグナを外でお留守番させ、中に入る事にした祐一。

 

 病院に入る前にラグナへ、一言だけ注意する。

 

「ラグナ、いいか? お菓子もらっても、知らない人について行くんじゃないぞ?」

 

 なお一番着いて行きそうなのは祐一である。

 

 

 ○◎●

 

 

 ──ガヤガヤ、ガヤガヤ。

 受付に行き、生き残りが居ると言う病室まで赴いた祐一を待っていたのは、黒山のような人だかりだった。広いはずの病室からはみ出すほどの人、人、人。それも祐一と同郷の者達ばかり。

 見れば、カメラやマイク、メモ帳を持った人間が主で、マスコミ関係者である事は容易に察しが付いた。

 どうやら"旅客船沈没事故の生存者が居た"と言うニュースは、故郷の世論をなかなか騒がせているらしい。

 

「おぉ、めっちゃ人居る……。うーむ、俺もパルヴェーズに救って貰わなかったら、あの人達に囲まれて居たのかなぁ……?」

 

 そんな事を考えながら「よし、行くか」と一つ気合を入れる。人混みを、その持ち前の身軽さで掻き分け前進した。療養中の生存者が見えるであろう最前列へ突き進む。

 

「──よっ!」

「おや、君は……」

 

 旅客船の生存者。

 果たして、その人物は祐一の知っている人物だった。

 祐一が転覆する前の船でよく話していてた人で、祐一が船に潜伏している事がバレた時に「サーカスみたいだ」と可笑しそうに笑っていた人物だった。

 

 彼は祐一の顔を視界に収め、まるで幽霊かナニカを見たかの様に目を見開き驚愕の感情を露にし……そしてその目に理性が宿ると大声で、

 

「──はい、皆さん! 今日の取材の時間は終わりです! さぁ、出てった、出てった!」

 

 今度は祐一の方が驚いたが、目の前の人物が妙に愛嬌のある仕草でウィンクをしたので、すぐに苦笑に変わってしまった。

 不満そうなマスコミ関係者だったが文句を垂らしながらも、数分もすれば病室は祐一と彼だけになった。

 

 彼は丸眼鏡を掛けた、少し太っちょの青年だった。

 眼鏡の奥から覗く瞳はぱっちりとしていて、見える肌に日焼けの跡なんてみえない。だからだろうか、どうしても幼い印象が拭い切れないのは。

 少し運動不足なのか、病室で着る服からでも分かるぽっこりお腹と首に付いた肉感が、妙な愛嬌を醸し出していた。

 だがその右手は分厚い包帯が巻かれ、ここに来るのが決して楽な境遇ではなかったのだと言葉なく語っていた。

 

 祐一と向き合い、生き残りである彼が、少し目を潤ませながら口を開いた。

 

「君も生きてたんだねぇ……! よかった……! よかったよ、本当に!」

 

 祐一の右手を取っては、軽く振り、よかった、よかった! と何度も零し、喜びを露にした。

 

 どうも感情を抑えるのが苦手な人らしい。船で出会った時も思ったが、この人の言動は結構明け透けだ。

 それだけでも祐一はこの眼の前の人物を憎めなかったし、好感さえ抱いていた。喜ぶ彼に対し、祐一は照れ臭そうに空いていた左手で頰を掻いた。

 

「おっちゃんも、生きてたんだな……。ホントよかったよ。

 ……俺は、船が転覆する前に、海に放り投げられたから何とか生き残れたんだ……。船が転覆する所を見てたからさ、もうみんな駄目だったんだろうなって勝手に思ってた……」

「そうなのかい? 僕は気付いたら、もう救急ヘリの中でねぇ……。どうやって助かったのか皆目検討も付かないんだ。それなのにマスコミの人達は根掘り葉掘り聞いて来て、困ったものさ」

「そっか……俺は漂流して良い奴に助けれたからなぁ。色々あってあの船の生き残りが居るって聞いて飛んで来たんだ」

 

 そう笑う祐一、「色々あった」そんな言葉で言い表せるほど楽な道ではなかったけれど、パルウェーズが歩んだ旅は軽々に口にして良いような旅でも無いと考えていた。

 

「……ま、お互い生きててよかった。って事で!」

「そうだね!」

 

 生き残った者同士笑い合う二人。まだまだ語り合いたい事はあったが、そう言えばまだ自己紹介をしていない事に気付いた。

 

「おっと。そういや、俺たち一緒の船に乗ってけど自己紹介してなかったよな? 俺は、木下祐一! 花も恥じらう十四歳さ! よろしくな、おっちゃん!」

「お、おっちゃん……。僕、まだ二十二なんだけどなぁ。まだ「おっちゃん」呼びは早いと思うよ僕は……。

 あ、僕の名前は八田寿。まあ今でこそ日本じゃ「時の人」になってるけど、元は只のプー太郎だよ」

 

 八田寿、22歳。独身、無職、彼女なし。おっさんと言われると、もにょるお年頃である。

 

「時の人?」

「おや知らないのかい? 日本じゃ、僕が生き残ったニュースが最近の"奇怪なニュース"を吹き飛ばす朗報らしくてねぇ。みんながみんな、悪い噂を払拭しようと必死なのさ」

「……悪い噂?」

「あれれ。君、本当に何も知らないんだねぇ……」

「うーん。転覆してから今まで、ニュースなんて見なかったしなぁ。てか、それどころじゃなかったし……」

「ふむ、君が今までどんな境遇に居たのか気になる所ではあるけど……。まあ、いいさ。教えて上げよう」

 

 そう言うや否や寿は姿勢を正して語り始めた。それは教師の様で薀蓄を語る物知りの様で、祐一はこう言うの好きなのかな? そう思わずには居られなかった。

 

「今……と言うか、3日ほど前からからかなぁ。世界各地で、おかしな者達が現れ始めたんだ」

「おかしな者達?」

「うん。それは例えるならば神話やおとぎ話に出て来る者、と言って良いかもね。ホメロスが謳ったギリシャの英雄譚、フェルドゥスィーが纏めたイランの叙事詩。インドの『マハーバーラタ』、北欧の『ニーベルングの歌』、中国の『西遊記』、カフカスの『ナルト叙事詩』。そんな神話やおとぎ話の世界に居るはずの、神や悪魔、英雄や怪物達が次々と世界各地に現れたのさ。まるで、何かの封を破ったかの様に、ね」

「神や、怪物……」

 

 心当たりがあった。あれはごくごく最近の事。

 忘れよう筈もない。漂流して助けられそれからニ週間も共に過ごした友と己が手でその旅に終止符を打ち、再会を誓った出来事を。

 あの友はなんと言っていたか。己の義母と名乗ったあの人はなんと言っていたか。

 尊い記憶を紐解きながら、今起こっている異常現象と照らし合わせていた。

 

『───さあ! これから、世界は、目まぐるしく動きますわ! 『鉄』の時代は『英雄』の時代へと移り変わり、『英雄』の時代は『青銅』へ! 『青銅』は『銀』! そして『銀』の時代は、遂に『黄金』の時代へ行き着き、停滞した世界は、逆行して行きますわ!』

 

 朧気に聞いた声。

 

『ま! 神を殺したんだから、ありとあらゆる神様たちに付け狙われるけど、頑張ってね!』

 

 そう、義母が言った言葉を思い出す。

 そして異変が起こったのは三日前。祐一が神を殺した日時と奇妙に符合していた。

 まさか……。だけど、そんな事があり得るのか……? 祐一には、全ての事が、繋がっている様に思えてならなかった。背筋に氷の塊を突っ込まれたような、酷い寒気が走る。

 寿の話は、続く。

 

「そうして現れた者達はとっても強くてねぇ。人の持ちうる力じゃ全くと言っていいほど抗しきれないんだ……核兵器ですらね。もう幾つかの町や、村が、滅んでいるよ……」

「そ、そんな事に、なってたのか……」

「うん。各国の軍隊も、最新兵器やあらゆる戦術を駆使しては居るようだけど、蟷螂の斧。全く効果がないんだって」

「ホントにそんな事が起きてるのか……? 俺、信じられないよ」

「確かにそうだろうねぇ。僕も三日前以前の時だったら信じていないだろうしね? あー、そうだ。多分、今でもテレビでやってるんじゃないかな?」

 

 そう言うと、寿はリモコンを手に取り、テレビを付けた。どうやらこの病院は、日系の病院であり日本人患者への配慮で、遠く離れた中東国家U.A.Eであっても、日本の番組が映るようだった。

 

 映る番組は、どれも世界各地に突然訪れた不気味な災厄への報道で溢れていた。

 ありとあらゆる都市、国家、大陸で人知を超えた怪異どもが跳梁跋扈していた。正に百鬼夜行。彼奴らが通った後には黒煙と血煙、焦土と瓦礫の山、死と狂気のみが残った。

 

 そのニュースを見ながら祐一は、嘗てバンダレ・アッバースに現れた『駱駝』を思い出していた。

 戦闘機が放ったミサイル。それはかの化身に何の害も及ぼさずすり抜けていったでは無いか。

 そしてバンダレ・アッバースは……。あんな事が、世界中で起きている。

 

 拳を握る。歯を食いしばる。目をきつく瞑る。全身の筋肉が収縮し、膨張する。息を大きく吸い込む。臍下丹田より溢れる力が増す。

 俺の知らない所で……いや、知ろうとしなかった俺が……! のうのうと生きていた自分に酷く腹が立った。知らなかったから。そんな言い訳が通用する訳が無い! 

 祐一は、今すぐにでもここから飛び出して、燻る己の憤りと破壊衝動を発散させたかった。

 

「───どうかしたのかい?」

 

 突然、黙り込んだ祐一に向け、寿が声を掛けた。

 ハッと……。思考の海から打ち上げられ、突然意識が覚醒した様に、目を開く祐一。

 

「……いや、なんでもないさ」

「そう落ち込むことはないよ。知らない間にこんな事態になってたんだ、無理ないよ。……えぇと、どこまで話したかな? ……ああ、そうだ。今世界は天災みたいな存在で溢れているけどね……まあ、でも、悪い話ばかりじゃないんだ」

「え……?」

「ふふふ。君は知らないだろうけど、このドバイの海を挟んだすぐ北にイランって国があってね? イランじゃ他の国と違って一ヶ月も前からから怪異現象が続いて居たんだけど……。でもその国のバンダレ・アッバースって街に現れた怪物はとある二人の英雄によって倒されたらしいんだ! 

 ……それに三日前! 恐ろしい神が現れ、イラン全土に恐ろしい宣告をして恐怖のどん底に落とし入れたんだけどね? でもどういう訳かその神様も居なくなってしまったんだって」

「神、様」

 

 その言葉を紡ぐのに祐一はどれほどの労力を費やしただろうか。再び目を瞑り、口を引き結んだ。そうしないと堪えて居たはずの、ナニカが零れてしまいそうで。

 

「そう! 神様! 何の因果か人に仇なす様になってしまった者達! おとぎ話では倒され、或いは人を救う筈だった者達! 彼らは総じて人の世に現れては、人々を苦しめ、人には抗い切れない力を振るう!」

 

 寿は、そこで言葉を止め、キラキラ瞳を輝やかせ、

 

「……でも、でもね、それでもね。まだ人類には希望があるかも知れない! イランで神様が居なくなった理由! そうさ、きっとある筈だ! 神様にだって対向出来る、ナニカが!」

「…………」

「それを今世界中の人々は血眼で探してるって訳さ! 

 ──はは! 心躍らないかい!? 力無き僕たちが、超越者たる神々に対抗できるかも知れないんだ! それはどんな方法何だろうね! それを考えるだけでワクワクするよ!」

「あはは。そっか……」

 

 祐一は寿に言葉に曖昧に笑い、そして思った。

 

 ──ああ。パルヴェーズ。

 ──なんで、こんな事になっちゃったんだろうな。

 ──俺達が、守った世界は、いつの間にか壊れてしまったみたいだ……。

 

 

 ○◎●

 

 

 夜。闇の帳が降りた砂漠の大地を、駆ける者達がいた。

 銀の毛並み、四足の雄々しい脚、禍々しい牙、紅い眼光。

 ──銀色の「狼」。

 砂漠を駆ける者の正体は、狼だった。馬かと見紛うほど、巨大な狼。その数は、百や千では利かない。あまりの多さに、もし人々の目に映ったならば、砂漠に雪崩が発生したのかと錯覚するだろう。それほどの夥しい量。

 

 その数、およそ──「十万」

 雲霞の如く夥しい数で群れ、突き進む群狼ども。

 おおよそ、砂漠には似つかない者共が、凄まじい速さで大地を踏み荒らし駆ける。

 ここが、何もない砂漠であった事は僥倖だったのだろう。そうで無ければ、奴等が通った跡にはぺんぺん草も残らないだろうから。

 

 ──ズン。──ズン。

 

 世界を揺るがし、聴くものを絶望を与える歩武が響く。それは、異様である筈の群狼の中にあっても、更に異様であった。

 月の銀光に照らし出された影。

 その影は極大だった。地平線の彼方からでさえ、ハッキリわかる大きさ。例え大都市の摩天楼でさえ、隠し切る事は叶わないだろう。

 その脚は長大だった。二本足で立っているが、人間のすぐ転ぶ軟弱な物とは似ても似つかない力強い足。嘗てイランに現れた『駱駝』が誇った四肢でさえ霞む程の威容。

 その腕は巨大だった。どんな頑強な盾でさえ、どんな堅牢な城壁でさえ、どなな難敵が阻もうとしてさえも、必ずや腕の一振りで打ち砕くだろうほどに。

 

 その存在は、「人」の形をしていた。

 つまり──人狼。

 砂漠を駆ける銀の狼。それを統べる者は容貌魁偉な「人狼」であった。

 その偉容は、凄まじい。かの存在を矮小なる人に無理矢理落とし込めば、誰もが蜀の『美髯公』、或いは、破魔の守護神『鍾馗』の如しと、惜しみ無い称賛を贈るだろう。

 

 『まつろわぬ神』或いは、それ以外の『ナニカ』か。

 

 神ならぬ身である者には判らなかったが、恐ろしき者たちが、とある大都市へ向け一直線に向かって居る事は理解出来た。

 大都市の名は「ドバイ」。

 三百万の人口を有する中東屈指の大都市───そして、神々の仇敵たる"神殺し"が逗留する街であった。

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