王書   作:につけ丸

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035:奇跡の対価

 その時、ドバイの人々は見た。

 

 禍々しく長大な牙を持った巨大な"猪"が、一撃で大巨狼を打ち砕くのを! 

 

 その時、ドバイの人々は見た。

 大地を揺るがす大轟音と共に、聳え立っていた"大霊峰"が崩れ去るのを! 

 

 信じられなかった。

 天高く聳え立ちドバイを威圧して居た大霊峰が消滅したのだ。あの巨大な猪の一撃によって。

 

 まさか。まさか……? 

 

 一度得てしまった希望を、人間は手放したくはないものだ。誰もが口々に囁く。

 

 まさか……! まさか!!! 

 

 まるで確証がないはずの推測を、人々は信じようとしていた。

 

 そして、聞いた。

 

 

 ───チンギス・ハーンッッッ!!! 

 

 

 ───木下、祐一ッッッ!!! 

 

 

 大都市ドバイに、若く活力漲る声が響く。人々はその声を知っていた。ドバイに狼が攻め掛かって来た時に響た声だ、と。

 我々を救けてくれた守護者は、今も戦い続けて居たのだ。あの強大な人狼に人知れず立ち向かって居たのだ! 

 

 

『───みなさん!!! ドバイに住み、魔物に襲われた人達! あなた達は悔しくないのか!? 自分の街が! 家族が! 友人が! 恋人が! 

 あんな訳の判らない魔物に奪われて、悔しくないのか!!!』

 

 

 また声が響いた。今度は肉声ではなく、街の公共放送からだ。その声はまだ若さを残していたが、理知的でありながらも抑えられない激情を孕んでいた。

 

『あの魔物と戦っている少年は! 彼は縁もゆかりもないこの街のために、死地へと旅立った! なぁ、悔しくないんですか! そんな少年に重荷を背負わせて、のうのうと生きている事が! 

 ──僕は、悔しい!! のうのうと生きている自分が!! 彼の為に何も出来なかった自分が!!!』

 

 人々は思い出す。暗闇で、空を駆ける少年の姿は見えなかったが、彼がまだ成人にすら至って居ないのは、記憶に残っていた。

 

「──悔しいッ!!」

 

 誰かが叫ぶ。とある青年の声。それは悲しみで慟哭し、枯れた声だったが、ドバイ中に響きそうな程の重みがあった。

 それはドバイの住民の代弁でもあった。

 

『──君! 此処で何やってるんだ!? こんな異常事態に市民を惑わさないでくれ!!』

 

 ブツ、と音が鳴りそこで音声は途切れた。

 だが人々には今さっきの放送が頭の中を何度も何度もリフレインして忘れられそうにない。

 拳を握る。歯を食いしばる。誰もが己の無力に苛まれる。

 

 

 ──そして人々は、何故か手を空へ突き上げていた。

 

 まるでそうするのが唯一の正解なのだと、直感が囁くのだ。強く願う。名も知らない少年の勝利。ただそれだけを……。億千万の「思い」が光となり何処かへ旅立って行く。

 

 けれどもその行き先を見届ける事は出来なかった。

 ドバイの人々の誰もが、己の中にある力を出し切った様に力が抜け、支えがなくなったように崩折れた。

 

 そして今も戦って居るであろう、名も知らない若き戦士の勝利を願った。

 

 

 ○◎●

 

 

「──ラグナのバカヤロぉぉおおおお!!」

 

 大巨狼で大霊峰が崩れ去り、瓦礫の山となった場所に、一人の少年が地中から這い出てきた。当然ながら祐一である。

 

 泥まみれに、血塗れも追加され、中々酷い状態だったが祐一はまだ生きていた。改めてこの体の異常さを再認識しつつ、辺りを見回す。

 

 ふと、蠢くものが視界を掠めた。

 見れば、馬ほどにサイズダウンし地中に頭を突っ込んでケツだけ出している……頭隠して尻隠さずな盟友が居た。

 

 ため息一つ吐き、近付いて引っこ抜く。引っこ抜かれ、起き上がったラグナは、辺りを見渡し……

 

 

 ──ルオォォ……! (やぁってやったぜぇ……!) 

 

 そんな思念が伝わって来た。そんな勝手気儘な相棒に思わず流れる様にヘッドロックを決める祐一。身内に寛容な祐一も、流石に許せなかった。

 

 そうしてじゃれ合っていると、一つの人影が現れた。

 

 

「がっはっは……! 驚いたぞ! まさか玉砕覚悟で、我が半身たる聖山を打ち砕くとは思わなかったわ……!」

 

 現れた影はやはり『まつろわぬ神』。その姿はまさに満身創痍。チンギス・ハーンが着ていたデールも至る所が破け泥まみれで、祐一の着るブレザーと良い勝負だ。

 それだけではない。先刻まで素晴らしい偉駆を誇り、精強だった肉体は今では見る影もない。

 ラグナに貫かれたか、大霊峰に押し潰されたかは判らないが、その左腕は肩口から千切れ飛び、赤く染まっている。

 しかし、かの英雄神は己の足でしっかりと歩を進めていた。

 

「ふ──アンタを倒すには意識外からの奇襲。思いもよらない攻撃が一番だと思ってな」

 

 玉砕する予定はなかった事は黙っておこう。うん、それがいい。目をそらしながら、少しだけ大人になった気がした。

 

 期せずして玉砕してしまった祐一だったが、奇跡的に擦り傷で済んでいる。チンギス・ハーンに肩口から斬られた傷や、光の刃にて切り裂かれた傷はジクジクと祐一を苛んではいるが、動けない程では無い。

 戦いの天秤は、まだ揺れている。

 

「さて、超常の権能をふるい血も流れた。我ら《鋼》と神殺しの間柄なればやはり武で競うことこそ幾星霜よりはじまった逆縁」

 

 神域の速度で迫ってきた。

 やはり世界を征服した大王。片腕を失ってもその武勇もまた凄まじい。祐一の脳裏に嘗てウルスラグナが祐一に語った、鋼の英雄の話が過ぎる。

 

 甘んじて、受ける。

 

「ぬ?」

 

 祐一の異様な態度にチンギス・ハーンが訝しむ。

 新生してこれまで。この身体は嘘みたいに頑丈な事はよく理解していた。

 漂流しても、権能の凄まじい負荷にも、生き埋めになっても、「死ぬかと思った」くらいで済むのだから。

 ならば、彼の者の一太刀程度受けきってみせる。

 

 そして内なる化身へふてぶてしく笑った。やるぞ、と。

 

 心の内から聞こえたのだ。「構わん受けろ」と!

 左の肩口から右の脇腹まで袈裟斬りにされた。正に、必中神速の一太刀。

 その素晴らしいほどの太刀筋に思わず見惚れてしまう。三日前、戦った常勝不敗の軍神にも伍するほど流麗にして力強い太刀筋だった。

 

 皮、肉、骨、すべてが寸断される。一瞬の白濁とした感覚。次いで灼熱の激痛。 

 

「全ての敵よ、我を畏れよ!」 

 

 祐一が大地に乗せていた右脚を振り上げ、チンギス・ハーンの腹部へ叩き込んだのだ。

 その鋭さはまるで、武林の至尊や梁山泊の豪傑好漢の如し。

 

 祐一が叩き斬られた瞬間、とある化身が、猛ったのだ。「今こそ、オレを使え」と。

 

 化身の名は駱駝。バンダレ・アッバースにて、嘗て友と討ち果たした化身だった。

 一も二もなく頷き、祐一は駱駝の化身を使った。

 その変化は顕著だった。全身を苛んでいた激痛が霞んで行き、闘志がこの上なく高まる。

 

 気付いた時には、右脚を振り上げていた

 例え、神速の使い手であるチンギス・ハーンでさえ、避け切れない必中の一撃。祐一にはどう動けば当たるのかそれが鮮明に判った。

 

 心眼を使い、導かれて居る時とは、また違う感覚。

 

 何千、何万と戦い抜き、身体に戦い方を染み付かせた様な、圧倒的な超直感だった。 

 

 強かに打ち込んだ、不意の一撃。

 だと言うのに、チンギス・ハーンは、すぐさま立ち上がり、呵々大笑した。

 

「ガッハッハッハ! 驚いたぞ我が一太刀を受けたのは、この為であったか。おもしろいおもしろいぞ"神殺し"とは!」

「ふんっ! 不用意に突っ込んで来るから、痛い目に遭うんだよっ猪武者みたいな奴チンギス・ハーンはもうちょっと、頭良い奴だと思ってたぜ!」

 

 チンギス・ハーンはまた新たに攻撃を再開した。その逞しい腕を広げ、朗々と謳う

 

「おお蒼天(フフ・テンゲル)永遠なる天(ムンフ・テンゲル)よ蒼き永生の上天より、運命にて生まれたる勇猛な我を見よ大敵を、阻む者を、怨敵たる者を、天上に至りし我れが勇ましく射殺し踏み砕こう」

 

 その言霊を紡いだ効果は劇的だった。

 日輪がこれ以上ないほどに輝き、幾条もの刃となって祐一を強襲したのだ。

 

 ──劫。──劫。

 

 白馬のようば大雑把なものでは無い。雲の隙間から光芒の如く伸び、その刃は切れぬ物なしの鋭さ。

 咄嗟に祐一が躱す。あらぬ方向へ向かった光刃の切っ先が砂漠に突き刺さり、巨大な裂け目を作っていく。

 

「こなくそ!」

 

 駱駝による直感で、紙一重で避けていく。しかし光線は放たれて終わりではなかった。

 

 放たれた光は消える事なく、チンギス・ハーンが握りしめる。光の剣。光を収束させ恐ろしいほど洗練された太刀筋で斬り掛かる。

 

 

 あれはマズイ。

 普通の刀剣の類とは違い、祐一の身体でも耐えきれない。

 恐らくあれに触れた途端に、祐一の頑丈な身体と言えど、容易く切り飛ばされるだろう。ダイブしては避け、泥だらけになりながら、祐一は嘆いた。

 

「どこのラ○トセーバーだよおぉぉおお」

「ガハハッさぁ、潔く膝を折れ、我が息子よ──」

「──Noooooo!」

 

 子供の頃、よく見えていた映画に出てくる武器を思い出しながらも、必死に避ける祐一。

 

 武器がなければ切り合えないが、あの光刃に耐えうる武器もない。

 

 祐一はもどかしさを感じた。

 

 如何に駱駝の化身が頑丈になり、鋭い攻撃ができても打ち合える程ではない。 

 しかしこの光刃は駱駝の超直感がないと躱せない。とある化身が力を貸そうと語り掛けたが却下する。

 他の化身を変えた所で微塵に斬り裂かれるのがオチだ。

 

 祐一は手詰まりの戦況に表情を歪め、チンギス・ハーンは勝利を確信した様に笑った。

 

「……ふむ。よく避ける。しかしもう諦めよ。ワシに忠誠を誓い、我が家族となれ。ワシは裏切り者は許さんが敵が仲間になる事は好む所だ。悪い様にはせん。……さぁ、膝を折り、恭順せよ」 

 

 満身創痍の、泥まみれ。

 降り注ぐ刃から逃げ続けていた祐一だったが、そこから先が続かない。右の二の腕、左頬から耳まで、両の太腿を浅く、腹部を横一文字に。祐一は身体の至る所を切られていた。

 

 しかしその傷に比して流血は少ない。刃は太陽光なのだ。赤熱した刃と相違ない。切り裂かれた途端、焼け爛れ傷は塞がった。だが、身体をジクジクとした疼痛が苛む。

 

 まるで、真綿で首を絞める様に、ジワジワと終わりが近付いて来る。ラグナも三体の神狼に追い立てられ、厳しい戦況だ。

 

 だが祐一の眼光に衰えは無い。

 

 正に戦士の眼光。往生際悪く生き汚くとも、活路を見出そうとする、厄介そうな瞳。

 チンギス・ハーンはここに至って理解した。

 この眼の前の戦士は己の手に負える様な、軽々な存在ではないと。この戦士は絶対に己には従わない。例え自分の陣営に加えようと、必ずその枷を食い破り叛意するだろう。

 

 ───だからこそ、欲しい。

 

 どれほど己に従わなくとも、我が手綱持って従わせ、我が器量を認めさせるのだ。

 この戦士の反骨心を叩き折り柔順な兵と仕立て上げればどれほど愉悦が待っているだろうか? 

 チンギス・ハーンは抗う祐一に対し、昏い悦楽を覚えていた。

 

「全て敵よ、我を畏れよ」

 

 言霊を紡ぎ、闘志ではなく感覚を研ぎ澄ませて行く。今、必要なのは戦闘を戦い抜く闘志では無い。どんな窮地でも活路を見出す嗅覚だ。

 

 大巨狼となりラグナとぶつかったチンギス・ハーンは確かにダメージを負っていた。隻腕ゆえに左へ踏み込むとき、一瞬だが動きが鈍る。

 

 だから。

 

 ──そこ! 

 

「なにっ!」

 

 チンギス・ハーンの左足を蹴り飛ばす。異常なキック力を秘めた足は、容易くチンギス・ハーンの足を持っていく。

 

 抑えられなかった衝撃でチンギス・ハーンの巨体が大きく吹き飛び、砂漠をバウンドしていく。

 

「く、はは……! 縦横無尽に世を駆けるワシの足を壊したか……!」

 

「はぁはぁ!」

 

 肩で息をする祐一を睥睨し、あらぬ方向へチンギス・ハーンは微笑した。これまでの豪放磊落な快笑ではない。アルカイックスマイル……神仏の笑みだ。

 

 消耗しているのだ、神も。地上最大の皇帝というペルソナを取り繕えなくなっている。

 

 そこで表情を改め、祐一に語り掛けた。

 

「木下祐一よ。いま一度、問おう。我が家族とならぬか? 共に卓を囲み盃を交わし、こうして干戈を交えて、更にこの想いは強くなった……。おぬしが欲しい、と。矛を交え、言葉を通わせるだけで、これほど血湧き肉躍ると言うのに……おぬしと轡を並べ、共に駆けれたならば、どれほどの歓喜が待っているだろうか……?」

 

「…………」

 

「──そしてこの気持ちはワシだけでは無いはずだ。矛を交えれば、分かる。おぬしもまた同じ様に心昂り、愉悦を覚えていたのだろう?」

 

 その通りだった。この英雄神は災厄を運んで来た討ち果たすべき敵。だと言うのに眼の前に立つ彼と戦っている時、祐一は隠しようもなく歓喜に震えてしまった。

 剣の一太刀、弓矢の一矢、騎乗の巧みさ、権能の凄まじさ、堂々たる偉駆、王者の覇気。

 そのどれもが祐一を心踊らせた。「チンギス・ハーン」と言う憧れの英雄に酔い痴れた。

 

「さぁ……、──返答や、如何に?」

 

 だが、それでも……

 

「──断る」

 

「チンギス・ハーン。確かにアンタは、俺が一番憧れ、共に生きる事が出来たらって、何度も夢見た英雄だ。こうして、言葉を交わして仲間に成れ……だなんて、ホントに夢みたいだ」

 

 激情を孕ませた声を、静かに紡ぐ。

 

「でも、それでも……! アンタは人々を苦しめた。……俺の友達が、守ろうとした世界を。ならもう、答えは一つしかない!」

 

「俺は決めたぞチンギス・ハーン……いや、まつろわぬ神!」 

 

 気付けば、祐一は叫んでいた。

 暴虐の限りを尽した諸悪の根源、それは自分が友誼を交わした者であった事に。そして、それを見抜けなかった未熟な自分への憤りで。

 

 そして悟った祐一は悟った。……己の使命を。

 

 己が戦わなければ、まつろわぬ神によって、世界へ禍が絶え間なく振り撒かれ続けるだろう、と。

 

 己が戦わなければ、力無き人々は抗いようもない禍によって死に絶えるだろう、と。

 

 己が戦わなければ、嘗て友が守ろうとした世界は、あの時見た知識の如く砕け散るであろう、と。

 

 

 故に、人に禍を齎す神々と、そんなふざけた因果を作った因果律へ向けて。

 

 ──宣戦布告する。

 

 

「アンタは、まつろわぬ神は人間を苦しめる。あいつが守ろうとした世界の人達を苦しめるんだ。なら──俺は、誓ってやる! 俺はお前達狂った神々を許さねぇ! そんな風に世界を作った因果律を許さねぇ! ってなぁ!」 

 

 烈火の如き意志の籠もった目と、激情を孕んだ声で叫ぶ。

 

「その意気やよし!」

 

 はっきりと否定の言葉を返され、チンギス・ハーンは莞爾と笑った。仇敵を見据えるその強い瞳に晒され、笑い声をあげる。

 

「──フフ。判っていたのだ。おぬしがそう返す事は……」

 

 だが。

 

「欲すれば手を伸ばさずにはいられぬ。なぜならばワシは征服者、欲しいものは奪い取る真の劫掠者! 故に言葉では無く、いま一度──「矛」にてこの問答の決着としよう!」

 

 チンギス・ハーンの、傷付いた身体から莫大な闘気が溢れ出す。胸を仰け反らせ声を張り上げる。

 今の彼は片方の腕を失い隻腕で、左足も歪んでいる。身体のあちこちに傷が出き、内部へのダメージも深刻だ。

 ああ、しかし、何という力強い姿。瀕死だと言うのに横溢する闘志と凄まじい覇気。いや、この英雄神は決して弱ってなどいない。今こそが最高の状態なのだ! 

 

「───我が名は『チンギス・ハーン』!!!」

 

「偉大なる『天の神(テングリ)』の子にして、『蒼き狼(ボルテ・チノ)』!!!」

 

「草原を駆け、並ぶ者なしの大帝国を築いた覇王として……やはり、馬上にて決着を付けねばならぬ……!」

 

 来るぞ! 

 決死の覚悟と凄まじい覇気! 満身創痍であろうと、やはり神! いや満身創痍だからこそ、恐ろしい! 

 祐一とラグナはチンギス・ハーンの爛々と輝く瞳に気圧されそうになるのを必死に堪えた。

 

「──来ませい、ジェベッ!!!」

 

 チンギス・ハーンがそう叫んだ瞬間だった。空間が歪みチンギス・ハーンの忠実な下僕たる『四狗』……狼の神獣が虚空から現れた。

 チンギス・ハーンが傷付いた身体で、しかし素早く流麗な動きで乗り込む。

 

「──行くぞラグナッ!!!」

 

 祐一もまた盟友へ乗り込み、仇敵を強く見据える。

 

 

 ───チンギス・ハーンッッッ!!! 

 

 

 ───木下、祐一ッッッ!!! 

 

 

 ドバイ中に……いや、U.A.E中に響く大咆哮。

 

 それは最後の決戦。その、開戦の号砲! それは勝利の誓いを籠めた戦士の宣誓! 

 

 チンギス・ハーンが隻腕の内、残った右腕を伸ばす。

 

 崩れ去った大霊峰。その残骸から眩い光を放つ光球が現れた。それは砕かれた大霊峰の残滓。神性の核と言っても良いそれは『天の神(テングリ)』と言う神性の最後の意地だった。

 

 ──啓運の皇帝たるチンギス・ハーンを勝利に導く為の! 

 

 チンギス・ハーンの手中に収まった光球が上下に伸び棒の形に変化して行く。眩い光は、鮮烈な紅へ。

 

 柄は、長く、太く、力強い。棒の石突は、金色に輝く。その穂先は、鋭く恐ろしい刃へと変わる。

 

 "皆朱の矛"へと変貌する。

 隻腕たるチンギス・ハーン。しかし彼は見事な馬上槍を手に入れた。

 

 対して祐一は何も持って居なかった。無手である。

 だが構う物か。俺には、至上の武器がある。

 拳を突き出す。親から貰った、この何物にも代え難い肉体が! ──突然の出来事だった。

 

 …………! …………! …………! 

 

 声が聞こえた。憤怒、悔恨、恐怖、懺悔、信念、祈り、希望。ありとあらゆる声がまるで万華鏡の如く移り変わりながら、祐一の元へ集まって来た。

 

 なんだ……? 

 

 決着の時。この戦いの中で、最大限に集中している祐一の耳に強く響いて来た声。それと同時に、右手に仄かな暖かさを感じた。

 

『──今、誰が戦っているのかは知らない! それでも……! 何も出来ない俺を! 何も出来なかった俺を! どれだけ罵倒してもいいから! でもどうか! どうか友達の仇を討ってくれ! どうか彼女の仇を取ってくれ……! どうかみんなの仇を……!』

 

 憤怒と悔恨、絶望を込めた、酷く悲しげな声。

 

『頼む! あの化け物共を……私の愛した街を壊した化け物を、必ず倒してくれ! それ以外、何も望まない! それだけで充分だ!! だから……!』

 

 祈り、怒り、そして強い信念を籠めた声。

 

『なんで……!? 昨日までいつも通りだったのに! 寄りにも寄って、なんでこの街にあんな物が現れるんだよ! なあ……誰か知らないけど、早くあの化け物を追っ払ってくれよ!』

 

 恐怖と猜疑、そして自分勝手に縋ってくる声。

 

『すまない……! 何も出来なかった僕を恨んでくれても良い! それでも……

 ──勝て!! 勝ってくれ!! 

 そして必ず帰って来いよ! 祐一くん!』

 

 力及ばず、それでも居ても立っても居られず、ドバイ中を駆け摺り回っていた友。己の勝利を信じて待つ友の声。

 

 ああ、そうか。この声は……。

 祐一は少し前に、そんなたくさんの声を聞いた事があった。

 数多の声。かつて友と戦ったバンダレ・アッバースで聞いた人々の声。

 群衆の声。恐ろしい魔物に襲われ多くの物を失いながらも前を向く強き人々の声。

 戦う者たちの声。己の無力さに嘆きながらも、それでも何かを為そうとする人々の声! 

 数多に聞こえるその声は、強烈な意志を持つ祐一でさえ押し流しそうな熱量と煌めきがあった。

 

 そして声は十人十色……いや、万人万色だった。八百万の声は、色付いて一つとして同じものは無く、輝いていた。

 

 右手が熱い……まるで燃えているようだ。

 いや、違う。右手にある『ミスラの松明』が燃え盛っている──権能の制約が薄れていく……。

 

 祐一は、思う。目を、瞑る。

 何が至上の武器だ。思い上がりも甚だしい! 

 最強の武器なんてすぐそこにあるじゃないか! 

 想いも理由もてんでバラバラだと言うのに溢れる想い……そのどれもが、勝て! と、絶対に勝て! と言う強い願いが込められていた。

 

 今、祐一は悟った。

「想い」という絶対不可侵にして神聖な物を、操り、抑えよう、等となんて傲慢な考えだったのかと。

 

 想いはそんな事をしなくてもすぐに届く。ただ祐一は導けばよかったのだ。今、その事にやっと気付く事ができた。

 

 右手を天に突き出し、数多の思いを導く。

 

 

「──共に、勝利を」

 

 そう語り掛ける。聖句を謳う。

 祐一の手に、色とりどりの光が収束し、形を成す。

 

 ──その時、気配を感じた。祐一の「意識」と言う内なる世界から見守っていた『山羊』が良く出来た生徒を褒める様に微笑んだ気がした。

 祐一もまた、釣られる様に微笑む。

 

 目を開ける。

 祐一の手中には"槍"が収まっていた。

 無骨で装飾なんぞ一つもない。柄は木からそのまま切り出した様に粗く、その穂先の刃は銀色に輝いて十文字を描いていた。

 

 ──十文字槍。

 

 祐一が、託された思いから、生み出した最強の武器。

 満身創痍の若き戦士は、神にさえ抗し得る、最強の武器を手に入れた! 

 一振りして敵を見据える。

 その姿は襲来した蒙古に誰よりも前で駆けた、祐一の故地の戦士。鎌倉武士を想起させる姿! 

 

 チンギス・ハーンはその姿を見届け、やはりこの若き戦士は、己の命を懸けるに値する敵手であると確信する。

 並ぶ者なしの超帝国を築いた大王。その頂きに登り詰めた彼にとって、もう張り合いのある相手すら居なくなっていった。

 しかしいま自分を見据える戦士のなんと手強い事か。これほど心躍らせ辛酸を舐めさせられる相手など、嘗ての義兄弟にして好敵手であった「ジャムハ」以来だった。

 チンギス・ハーンは生前の輝かしい記憶を呼び起こすほど手強く厄介な戦士の登場に、心せず笑みを浮かべた。

 

 莞爾と笑うチンギス・ハーンと、強い瞳で見据えながらも不敵に笑う祐一。

『まつろわぬ神』と"神殺し"

 不倶戴天の仇敵同士だと言うのに、そこには認め合い競い合う友の様な、そんな想いの糸が二人の間にはあった。

 

 いざ、決着を───! 

 

 隻腕のチンギス・ハーンが矛を一振りし吶喊する! 祐一とラグナもまた応える様に駆けた! 

 今の隻腕たるチンギス・ハーンに嘗ての膂力は、望むべくもない。しかし速度と言う点に置いては、以前と大差はない! 

 チンギス・ハーンが槍を突き出す様に構えた! 確実な死を与える刃。可視できるほどに殺気と闘志を感じさせる鋭さ。しかし祐一は、それでも怯む事なく前へ進む! 

 そして、放たれる──神速の三連撃!!! 

 額、首、心臓を狙った必殺の三段突き! 如何に心眼を会得しようとも、神速で迫る矛から逃れ切れる訳ではない! 

 如何にラクシェやラグナの背に乗り、騎乗に慣れ始めたとはいえ、付け焼き刃も良い所。チンギス・ハーンが放つ矛を逃れる術など望むべくもない。

 だが、それでも祐一は前へ進む! 

 

 遂に一撃目が迫る! 気付いた時には眼の前に穂先があった。確実に祐一の額を貫き絶命させる挙動。

 直撃する寸前、快音が鳴った。

 音源はチンギス・ハーンの穂先とラグナの長大な牙! ラグナが自慢の牙を巧みに操り、祐一への攻撃を防いだのだ! 

 そして二撃目! 弾かれようとも蛇の如くのたうち回りふたたび迫る矛。

 今度の狙いは首。その鋭い刃で刺し貫かれれば祐一の首は為す術なく胴体と分かたれるだろう。

 しかしその時は来なかった。ラグナの2本目の牙で見事に防ぐ! 

 だが、三撃目までは、防げない! 

 その矛は見事に、祐一の心臓を抉り取った! ───だが、そこまでだった。

 ラグナを駆り、突っ込む祐一は止まらない! 

 盟友たるラグナの勢いと『猪』の権能の恩恵によって得た突進力をバネに、チンギス・ハーンへ向け十文字槍を振り下ろす! 

 槍術を会得していない祐一に十文字槍を十全に扱える技量など無い。しかし棒の振り方ならば知っている。

 

 限界まで引き絞って。

 そして、ただ、愚直に。

 一心不乱に頑迷固陋なまでに。

 

 ──思いっ切り振り下ろすのみ!!! 

 

 交錯は一瞬! 

 両者とも駆け抜け、すぐに勢いなく立ち止まった。

 心臓を突き破られた祐一と、肩口から騎乗する神狼まで真っ二つに叩き折られたチンギス・ハーンの姿。

 直後、力尽きたように神狼が砂と消え、チンギス・ハーンが言葉もなく地面に叩き付けられた。

 

 

 勝ったぞ───ッ!!! 

 

 

 勝利の咆哮が、大地を揺るがす。そして力尽きた様に、彼もまた地面へ倒れ込んだ。

 

 ───ここに、勝敗は決した。

 

 ○◎●

 

 倒れ伏す祐一とチンギス・ハーン。

 両者とも少しずつ意識が霞んでは消えていく。だが二人ともなんとか意識はあった。

 

「が……は……は……」

 

 喉の奥でつっかえる様に、不器用に笑うチンギス・ハーン。致命傷を受けた今の彼は、先刻の闘気や戦意が薄れていた。

 それどころか名を封じていた時の様な、自由気ままに生きている気持ちの良さすら感じられた。

 もう長くはない。それに伴いまつろわぬ性が失われているのだ。

 

「見事だったぞ、若き"神殺し"。木下祐一よ……。おぬしは、最後の、最後まで……ワシの思う通りにはならなんだ……。は……は……は……!」

 

「ふん……。アンタが……鈴木仁(テムジン)のままなら、少しは考えたさ……」

 

「ふふ、頑固じゃのう……。やはり、惜しい……。

 ──木下祐一よ。おぬしに……伝えねばならぬ……事がある……。ワシがお前の前に現れた理由……。おぬしの存在を知らせ……使嗾した者が居る」

 

「な……に……? 誰、なんだ……そいつは……?」

 

「が……は……は! それは……おぬし自身の「敵」。己の「敵」は……己自身で見つけ……ねば、ならない」

 

「──だが、必ず……おぬしの前に……、現れる!」

 

 チンギス・ハーンはそこまで言葉を紡ぐと、一旦、黙り込んだ。目一杯に肺に空気を溜め、呵々大笑する。

 

 別れの時だ。

 

 祐一は心の臓を失い急速に機能を停止して行く身体を叱咤し、己が仇敵の最後を見据えた。

 

「ッははははははは───ッ!! さらばだ! 

 

 ───我が友! 

 

 ───我が宿敵!! 

 

 ───我が、「ジャムハ」よ……!!!」

 

 ジャムハ。祐一はいま「友」が最期に口にした男の名を知っていた。

 チンギス・ハーンの軌跡を記した『元朝秘史』には、彼が幼い時より友誼を重ね、義兄弟となった男……と記された名前。

 成長しふたたび盟友の儀を行い仲を深めながらも、とある諍いにより対立してしまった友の名前。

 何度も、何度も、彼等は戦い、果てには仲間に裏切られチンギス・ハーンに助命と寝返りの為に差し出された戦士の名前。

 嘗てのチンギス・ハーンはその行いに激怒し、寝返りを計った者共をその場で斬殺せしめ、嘗ての様に友になろうと語り掛けた好敵手の名前。

 そんな愛憎入り混じる友……祐一にとってのパルウェーズと言っても良いほどの男を。

 眼の前の英雄は、祐一と重ねて見たと言うのだ。

 

 言葉もなく驚愕に目を見開いた祐一にチンギス・ハーンはたまらないほど豪快な笑顔を向け、砂になった様に崩れ去った。……それが彼の最期だった。

 

 ──ああ、なんで……! 

 神! 何故、お前たちはそんなにも、狂う? 

 神! 何故、お前たちはそんなにも、人に仇なす? 

 神! 何故、お前たちはそんなにも、俺の心を搔き乱す? 

 祐一は薄れゆく意識の中で、言葉もなく嘆く。

 ズシン……。背に何か重みを感じた。感じた事の無い感覚。

 だが祐一はそれを気にする余裕は無かった。意識が落ちて行く。脳裡に黄金の羊毛を持つ美しい『羊』の姿が過ぎる。

 

 己が好敵手の最期……その姿を見届け、彼の意識は暗闇の中へ落ちていった。

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