王書   作:につけ丸

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閉ざされていた世界

 ──カーン! ──カーン! ──カーン! 

 

 三度、鐘の音が鳴った。甲高い鐘の音は、現実から浮き上がり曖昧になっていた祐一の意識を明瞭な物へと変遷された。

 

「!」

 

 ──青光一閃。狙いは首筋にある頸動脈。祐一の直感がけたたましく叫び、一も二もなく首を捻り右前方へ飛び退る。風を切った高い音が痛烈に横切った。

 避けるのが寸刻でも遅ければ、或いは逡巡していれば、為す術なくエイルの揮う一太刀を浴び、首を跳ね飛ばされていただろう。

 ゴロゴロとそのまま転がり込み、すぐ跳ね起きる。

 視界の隅に、胸元で剣を水平に構えたエイルの姿を捕らえたのだ。

 あれは、危険だ。エイルの持つ剣技の中でも必殺の部類に入る物。

 それは何度か手合わせして、それはよく分かっている。

 立ち上がり、地面を蹴った所で……刹那、エイルの剣が煌いた。

 祐一の見立てでは三尺五寸五分。長大にして相応の膂力を持たねば振るえぬ剛剣が迫る。

 狙いは──脳天。胸元から一直線に突きこむ構えは何度も見た。そしてその突きの鋭さ、キレ、恐ろしいまでの伸びも……。

 穿かれれば如何にこの「頑丈」と言う言葉では収まりきれない身体とはいえ、死は免れない。

 祐一は地面を蹴ったばかりで地に足が着いてい身体はひどく不安定だ。そんな姿勢でも構わず避けなければならない。

 持ち前の胆力を持って最大限まで引き付け、首から上半身を思いっ切りよじる。

 ヒュンッ───!! 再び、鋭い音が耳朶を打つ。

 倒れ込み、うずくまった姿勢でエイルを見据え───

 

「そこまで。楽にしていい」

 

 その言葉が聞こえ、祐一はそのままドサリと地面にくずおれた。

 

「ハァッ……ハァ……!」

 

 冷たい地面の温度が、火照った身体に染み込む心地良い。だが心は真逆だ。身体はこんなにも熱く赤熱していると言うのに、心だけは氷の柱が通った様に凍て付いている。何故か? ……理由は簡単だ。

 負け過ぎている……! 

 心が冷え切ってしまった理由を喉に絡みついた痰の如く吐き捨てたい衝動を抑え、地面を苛立たしげに叩いた。

 

 王国へ辿り着いて、はや五日。祐一は剣の修行に励んでいた。祐一と寿そしてラグナは王国にて現世へ帰還するまでの間、暫く逗留する事となったのだ。

 

「流石に目が良い。身体も靱やかで俊敏だ。体力に付いては文句なしだ。フ、私の剣が悉く躱されてしまうのは、……悔しいな」

「い、や……あ、あたったら……ハァ……ハァ……死ぬじゃん……!」

 

 笑うエイルに渋い顔をしながらの何とかツッコミを入れ、ヤマトタケルに言われた言葉を思い出していた。

 現実世界への帰還には、星の巡り、地脈の流れ、呪具の準備……諸々を含め、およそ"三ヶ月"の期間が必要になる、とそう言っていた。

 三ヵ月。長い時間だ。

 祐一はその言葉を聞いた時、思わず思案に暮れた。

 家出してからここに辿り着くよりも、長い時間を過ごさなければならない。

 そう思い至った時、胸に去来したどうしようもない不安を拭い切れなかった。

 故郷は、学校は、家族は、友達は、───世界は。

 不安と自分の至らなさへのモヤモヤとした感情に、どうしても向き合えそうになかった。

 それを振り払う意味もあったのだろう。

 逗留する間、祐一はヤマトタケルの提案に乗っかり先日の雪辱を果たす為、雪辱を果たす相手でもあるエイルから無我夢中で剣術を学んでいた。負けず嫌いと言う面も多分にあるのだが……。

 

「まぁ……私も今はお前の師だ。一太刀浴びせねば師としての面目が立たないからな。どうだ、一太刀?」

「死ぬわっ!」

 

 修行を始めたのは良いものの、剣に関してド素人の祐一は剣に於いては遙か先を進むエイルにコテンパンに伸されていた。

 だがそこは木下祐一。「諦める」と言う言葉は己の辞書にはないとばかりに、毎回毎回、「絶対勝つ!」と闘志を燃やし、狡猾にエイルの隙を窺いながらも貪欲に「一つの小さな技も見逃すか」と齧り付いてエイルの講義を受けていた。

 素人とはいえ、若いながらに数多の修羅場を潜り抜けた一廉の戦士。

 幼い頃から幼馴染と競い合い、ただの棒とはいえ長物を振り回していたのだ。「剣を思いっ切り振り下ろして足を斬る」なんて事にはならないくらいには武器の扱いに関して疎くはなかった。

 相対するエイルが圧倒的に上手なだけ。敗因はただそれだけだった。

 

 ○◎●

 

 この五日間、エイルの教授する物は「剣術」だけでは終わらなかった。

 この王国の城壁から出た土地の風土、地形、水のある場所、方位の見方、偏屈な妖精のおだて方、……彼が祐一に教える知識は多岐に渡った。

 エイルと共に馬を駆り、膝ほどにまで伸び切った草が生い茂る大地を駆け抜ける。エイルによれば幽世であればイメージするだけで移動する術があるらしいが、とある理由により女王であるニニアンが封じているらしい。理由はエイルもまだ早いと教えてはくれなかった。

 王国の城壁を抜ければ鮮緑の草原ばかりが広がる世界へと移り変わるのだ。

 祐一とヤマトタケルが闘った時には寂寥感が胸を締めつけるばかりの渓谷であったというのに、王国が地下より現れた時、連られる様にこの草原も姿を現したのだ。

 その草原を馬を並べて共に駆ける。

 草原の先には神々しく荒々しい巨峰がズラリと並び、禿げ上がった岩肌は神々の武器の如く、刺々しく美しい。

 こうして見れば、なるほどエオやムインが「あの山を越えて来た」と言った時の驚いた理由が分かろうと言うものだ。

 だが、振り向けばその巨峰よりも高く聳える城壁が見える。今、己が滞在する「王国」と言う国の巨大さをまざまざと見せ付けられてしまうのだ。

 

 馬を走らせ、師事を受ける。水辺に棲むケルピーと言う幻獣の生態、王国近くに住み交流があると言うメロウが棲む湖。

 渓谷に潜む魔物共が夜になれば大挙して現れる事も、あの城壁があんなにも高いのはそれを防ぐ為だと言う事も、天の蓋とエイルが呼び、祐一から見れば北極星に見える星を使った方位の割り出し方もその時に教わった。

 講義は城壁から外側の事だけではない。

 祐一と共に時には王国の街を練り歩き常識やルールを実地で学ばせる。

 女王ニニアンの住まう王城近辺にて制度や慣習を習い、城壁に訪れては見張りの役を預かる戦士たちと言葉を交わし、闘技場へ赴けば戦士達と武勇を競って酒を酌み交わす。

 ヤマトタケルに頼まれたとは言え、それを加味してもエイルは熱心に王国で生き抜く知恵や術を叩き込み、剣術を仕込んでくれた。

 時たまに脱線し、変な方向に突っ走って行く事もあり「偏屈な妖精のおだて方」はそれの最たる例であった。

 

 というのも祐一の着ているブレザーが事の発端で、祐一のブレザーは家出してから二ヶ月近く着続け、三柱の『まつろわぬ神』と激戦を潜り抜けても、未だ奇跡的に形を保っている猛者である。

 ……とはいえ、もう流石にボロボロ状態だった。そろそろパルヴェーズが着ていた外套に並びそうなほどに。

 それを見たエイルは祐一の為に王国の普段着であるチュニックなどの衣類を用意にしようとしたのだが、当の本人が「このブレザーを脱ぐ気はない」と固辞したのだ。

 このブレザーは家出してから共にいる、ある意味戦友の様な存在だ。愛着もある。どれだけボロボロになろうと脱ぐ気はさらさらなかった。

 頑固な祐一に「せめて修繕しろ」とエイルは言い『レプラコーン』と言う、妖精で靴職人の元を訪ねた。

 靴職人とはいえ、職人としての腕は人間のそれを遥かに上回るらしい。

 服の修繕も元より、不思議な力を備えた物に変えることも可能だと言う。ただ、かなり偏屈と言う但書きが付くが……。

 おだて方とは書いた物の実際は、まず説得する為にレプラコーンを捕獲する事から始まる。

 この時点でおだて方もへったくれもないが、神出鬼没でどこぞの箒を使ったスポーツのスニッチ並に逃げるので仕方がないのだ。

 捕まえたとしても目を離した瞬間、煙の如く消え去るので捕まえるのも至難の業だ。

 苦戦する祐一だったが、エイルは王国に住む者としての長年の経験で、半刻も掛けず捕まえていた。

 そんなこんなで捕まえたレプラコーンに熱い弁舌を奮い、酒を突っ込んで泥酔させ、「祐一のブレザーを修繕する」と一時的にとは言え誓約すら誓わせていた。哀れなレプラコーンは酔いが覚めたあと、歓喜のあまり涙を流して作業に励んでいた。

 鬼だ……。自分は世話を焼いてもらっている身分だが、あまりの酷さに顔を引き攣らせた。

 しかしレプラコーンの献身()もあり綺麗になったブレザーは妖精が手を加えたに相応しい不思議なモノへと変貌していた。

 どれだけほつれても千切れても元通りになる自己修復機能に、普通の服と変わらない重さで弓の一射や剣の一太刀程度なら簡単に弾いてしまう堅固な鎧の如き防御力が付与され、まさに魔法の宝。

 様子を見に来たヤマトタケルすら唸らせ、祐一がパルヴェーズから貰った不思議な羽根や背嚢と同等の、人間が技術をいくら注いでも辿り着けない神域の魔具と化した。

 上記の様にこの五日間、エイルは祐一に知識や必要な物があれば躊躇う事なく与えていた。エイルが教える知識は王国のみならず、この幽世で生き延びる術だ。

 ───祐一がその事に気付いたのは、それから大分後の事だった。

 

 ○◎●

 

 修行が終わり、精も根も尽き果てたとばかりにぐったりと倒れ込んでいる祐一だったが、体力は有り余っている。

 彼の体力は無尽蔵なので、どれだけ走り回ろうが引き摺り回されようがへっちゃらだ。

 しかし精神面では未だ無敵とは言いがたく、負け込んでいる最近の成績不振ぶりに打ちのめされ些か参っていた。

 

「おーい! 修行終わったかー?」

「もう飯の時間だ。帰ろうぜ、叔父貴にユーイチ」

 

 振り向けば、この五日間でもう見慣れた二人組……双子の青年エオとムインがコチラの方へ歩いて来ていた。

 エオがニヤリと笑い、ムインが大きく手を振っているのが見える。

 それはエイルにも見えたのだろう。少し眉を潜めながらも、軽く手を上げ答えた。

「お疲れ、今日はどうだった?」とエオ。

「勝った? 勝った?」とムイン。

 近付いて来た彼らは開口一番そんな事を聞いて来た。

 その瞬間、苦虫を鼻から飲み込んで噛み潰したような顔になったのを見て、

 

「ヘヘ! 兄貴、今日の賭けは俺の勝ちだな!」

「クッソォ……ユーイチ、何負けてんだよ? お蔭で値打ちモンの首環が取られたじゃねぇか!」

「お前ら、ぶん殴るぞ!?」

 

 と祐一が激昂して、ぐわー! と襲い掛かれば何が面白いのか二人は爆笑しながら逃げ回る二人。

 コ、コイツら……! その細い体躯に見合った俊敏さで逃げ回り、阿吽の呼吸で変幻自在に祐一を振り切るエオとムイン。

 怒りが有頂天に達した彼は、水場の近くにあった青銅の大甕を両手に持って振りかぶった。流れる様に心眼を発動させ、ドバイで人狼に矢を番えた時のごとく標的のみを見据え───

 ブンッ! ───スコーッン! 

 見事、祐一の投げた大甕は二人を捕らえた。とんだ技術の無駄遣いである。

 

「ぬおおお、抜けねぇ!」

「おい、ユーイチ! これは流石にねぇだろ!?」

 

 投げ付けられた甕に収まり頭だけ出した二人が、抗議の声を上げる。それを祐一は耳心地の良い歌でも聞くかのように、顔を綻ばせニッコリ笑った。

 

「エオもムインも、その甕に入ったまま屋敷に転がして行くから」

「やめないか、祐一。それと……エオ、ムイン。お前達、仕事はどうした? 王国の外でまたぎ衆の手伝いを言付けていた筈だぞ、それも一両日の間は戻って来ない日程だっただろう?」

 

 その言葉にエオとムインは顔を見合わせて、

 

「いや、腹減ったし抜けてきた」

「フェルグス様も言ってだろ? 腹が減っては戦ができねぇって」

「こ、このっ……。もうお前達も一廉の戦士になろうと言うのに……それくらいの言付けくらい守れ」

 

 呆れた様に首を振るエイルに、エオがニヤニヤ笑う。

 

「そんな事言ったら、フェルグス様に頼まれた歓待を満足に出来なかったって触れ回るぞ、叔父貴」

「そーだ! そーだ!」

「クソガキ共! たたっ斬るぞ!」

 

 そんな二人の言葉に今までの泰然自若とした態度は何処へ行ったのかエイルが叫んだ。どうやらエイルは戦士としては超一流だが、父としてはまだまだの様であった。

 家族に弱いよな、エイルって……。

 ゴロゴロ転がって逃げる二人を狼狽しながら追うエイルを遠巻きに見つつ、そんな事を思った。

 

「帰って来てしまったなら仕方がない。ならばお前達、飯を食べたら座学だからな? 祐一も含め毎日、毎日、逃げおって……今日こそは逃さんぞ!」

 

 その瞬間、エオとムインそして、祐一の顔が引き攣った。

 

 ○◎●

 

 今日は薄暗いこの世界でも、中々明るい日の様だ。祐一は原っぱで空を見上げ、そんな事を思った。

 どうやら紫の空が広がる世界でも日照の違いはある様で、朧気ながらその差異がわかる様になっていた。

 昼食を取ったあと、祐一、寿、エオ、ムインの四人は原っぱに座り込み、大きな木の木陰で実は女ドルイド……ドルイデスだったと言うテスラに呪術の講義を受けていた。

 祐一と寿はこの五日間、気を利かせたテスラの薦めにより、異国の地である王国での生活の常識、風土、慣習を学び軋轢が少しでも減るように、と講義を受け続けて居たのだ。

 寿は祐一の加護で、ある程度は幽世に居ても大丈夫だったが定期的に『少年』の化身を使った儀式を行わなければならないのか……と、頭を抱えていたが、魔道に造詣の深いテスラが「幽世に身体を馴染ませれば問題ない」と、それから寿は渡されるイチイの実を食べるようになっていた。それに加え幽世ではヤマトタケルと戦った時に発動した、虚空の記録を無意識に受け取る『霊視』という現象もあるらしく、その霊視もある程度は抑えられるらしい。

 なんか冥界に連れ去られたペルセポネの気分だ……。これ、帰れるのかなぁ……? 

 少し遠い目をしていたが、毎日楽しそうに王国中を駆けずり回っている能天気な主君を見て思考を放棄した。

 

 それはそれとして寿も負けず劣らず、異国の地の……それも時代も全く違う……今まで知り得なかった知識を前に、眼を爛々と輝かせ少しでも多くの知識を蓄えようとしていた。毎日ペンを走らせ、寿の気力は充溢していた。

 なお祐一については初日に講義で、すで知恵熱でオーバヒートし、その後すべての講義から逃げ回っている。

 今日もまた講義が始まり、王国での祐一と寿、今回はやらかしたエオ、ムインの二人を加えての講義である。

 テスラは口頭での講義だったが、身振り手振りで説明し、時にはテスラの隣に座る相棒だと言う大きな犬と解りやすい講義になるよう工夫していた。

 まぁ……その工夫も虚しく3バカトリオは講義が始まった瞬間、夢の世界へ旅立っているのだが……。

 

 エオとムインは長年の経験で起こしても無駄だと知っているテスラだったが、一目見て祐一も同じ類の人種だと悟っていた。

 しかし諦めると言う選択肢は彼女にはなく、彼らが別世界に旅立つ度に文字通り教鞭を振るい、現実世界へ呼び戻している。

「言葉で言って判らないなら、身体で覚えさせるものよ?」とは彼女の言。彼女は蛮族の女傑であった。

 ちなみにエイルは祐一達を逃げない様に大岩に括り付けたあと、テスラに命じられ、晩飯の買い出しである。

 それを見送った祐一は、完全に尻に敷かれている男の物悲しい背中を見て落涙を禁じ得なかった。

 

「なるほど、それじゃあ極端に言えば呪術を使うにはその仕組みを理解し、そして必要な工程を踏めば誰でも発動させることが出来るんですね。もちろん呪力と言う燃料も備えていなくてはいけない、と」

「そうね、少なくとも私達ドルイドはそうして呪術を扱っているわ」

「ははぁ、ドルイドですか?」

「ああ、呪術師の事よ。ドルイドの役割はたくさんあってね、大前提として自然の信奉者である事から始まるけれど、呪術を使う呪術師でもあるの。

 まぁ……ドルイドと一口に言っても、私みたいに呪術専門だったり、神官として世俗から解脱している者も居たり、俗世に下りて法の番人として裁定者として王国の一端を担う知恵の蔵だったり様々だけどね?」

「ふむふむ、なるほど」

「z……」

 

 寿はやはりこの王国は島のケルトを基軸とした文化を持つ世界だと確信していた。

 勇猛な戦士たち、ドルイドの存在、綺羅びやかな装飾品、厚い自然崇拝、妖精の存在……。

 朧気な記憶に残ったケルト文化と照らし合わせ、ここが島のケルト……特にアイルランドにあった文明を基軸にした物なのだろうな……と寿は推察した。

 祐一にも一応伝えたが、ケルトとはなんぞ? と返されてしまった。

 

「それで呪術を使うにはやっぱり呪力と言う物が一番重要になるわ。呪術にとっての全ての大本……人にとっての魂や血、木々にとっての水や太陽なの。呪力を持ち扱える素養があるのか、と言うのも同じく重要ね」

「えーと……それじゃあ、扱えない者もいるので?」

「ええ、保有する呪力が少なければ当然、術は使えないし、呪力を溜め込むことができない特異体質の者もすらいるから……でも、寿は大丈夫そうね?」

「zz……」

 

 そう言われて寿も『加護』と言う形で、その力の一端に触れた事を思い出す。今でも下腹部辺り……『臍下丹田』と呼ばれる場所に渦巻く不思議な力を自覚する。

 これが呪力、か。

 寿は己の生命線でもあるこの力をよく知らなければならない、未だに眠りこけている祐一から目を逸らし頷いた。

 

「呪術と一口に言っても多種多様なの。指先くらいの小さな火を起こす物もあれば、山一つ吹き飛ばす物も、木々や動物の声を聞くもの、星や神々から予言を受け取るもの……千差万別ね」

「ふぅむ。そしてその呪術一つひとつに相応の儀式を行い、呪力を消費すると言うプロセスがあるわけですか……」

「zzz……」

 

 テスラは頷きながら、傍らに座り続ける大きな犬の首筋を撫で上げた。

 大きな犬、と言ったがそこらの大型犬とは比較にならないほど大きい。おそらくテスラより全長は長く、身体も逞しい。灰色の豊かな毛皮に覆われた身体はポニー並に大きく、人一人くらいなら楽に乗せる事ができるだろう。

 寿がその犬を初めて見た時はアイリッシュ・ウルフハウンドを想起し、そのおとなしい性格に祐一は「あの跳ねっ返りの馬とは全然違うなぁ……」と少し感傷に浸りながら零していた。

 あの犬はお伽噺で魔女が使役する猫の様な「使い魔」の様なもので、某かの契約し意思疎通くらいなら容易に出来るという。これも幅広くある呪術の一つらしい。

 相応の儀式と、それに見合う呪力、か……。うーん、錬金術の等価交換みたいなものかな? 寿はそんな事をなんとなく想起した。

 

「呪術の大きさに応じて、儀式も煩雑になるし使う呪力も大きくなるわ。だから洗練されて汎用性のある主流な物が初心者の寿には良いかも知れないわね」

「なるほど……では、主流と言えば魔術書に文字を刻んだり、妖精に頼んだりするので?」

「確かに文字も使う術もあるわ? でも主流ではないし、あんまりオススメはしないわね……。数も少ない上に効果が薄いものばかりなの。扱いやすくて短期的には良いけど、少し熟練したら無用の長物になってしまうわ」

「効果が薄いものですか……? 例えばどんな物があるんでしょう?」

「zzz……zzz」

 

 テスラは頬に手を当て少し考える仕草を取った。

 

「そうねぇ……小枝を折ったり、そよ風を起こすのが限界かしら……?」

「……あまり役に立ちそうにありませんね。それでは主流とは?」

「私達の扱う呪術の主流ね。代表的な物はヤドリギや生贄と言う触媒を使った物や、呪文を暗記し言霊にする口訣になるわね」

 

 触媒と口訣、か……。

 テスラの言葉に腕を組み、沈思黙考する寿。

 

「うーん……僕の場合文字を使う呪術から入った方が良いのかぁ? あんまりココに長く居られないし、触媒を使った物かは現世にあるか判らないし、言霊も覚えて要られるかどうか……」

「ぐぉぉぉぉ……ぐぉぉぉぉ……」

 

 寿の言葉に、少しハッとした様子のテスラは得心した様に頷いた。すっくと立ち上がり、三人の前に立つ。寿の顔が引き攣った。

 

「あら、そうだったわね。寿は三ヶ月くらいしか居られないものね……。

 でも、その期間があれば文字を扱ったものなら要諦を掴めると思うわっ!」

「痛ぇッ!」

「アダぁっ!」

「あひん!」

 

 横で起きている惨事から必死に目をそらし、寿が不思議そうにとある事を口にした。

 

「……でも、どうしてこの技術が現世では見掛けなかったんだろうね……? 

 やっぱりあれかな、創作によくあるように魔術は裏の世界では継承されているけど、世間一般には秘匿される物なのかな?」

 

 そんな疑問だった。

 

「違うぜ、ヒサシ。聞いた話じゃ現世には呪術を動かす力そのものがないんだとさ、そうだろ姐御?」

 

 その質問にテスラではなく、今しがたテスラに(強制的に)起こされたエオが訳知り顔で寿に語った。

 力そのものが、ない……? 

 エオの言葉に目を瞬かせ、首を捻る寿。確かに二十二年生きてきて、己の周りにそんな不思議な物はなかったのは事実だ。

 そう。──ほんの数か月前までは。

 

「そうねぇ……。太古の昔、神々がまだ現世を勝手気ままに闊歩していた時代には幽世や不死の領域とも束縛が薄くて、現世でも呪術を使えたらしいけど……。

 ニニアン様曰く、とある時期を境に森羅万象に遍満していた『魔力』や『気』なんて呼ぶ力の源そのものが消失してしまったらしいの」

「は。消失、ですか……」

 

 思わずポカン、と口を開け譫言の様に呟く寿。

 

「ええ。ニニアン様はとある大呪法が原因だとは仰っていたわ。

 何故、その呪法が存在したのか。その理由まではニニアン様も「掟だから」と口にして下さらなかったけれど……。

 兎に角、その呪法によって呪力は現世には欠片も存在しなかったし、それと同時に現世に居た神々や神獣の類なんかもこの幽世に送られたらしわ」

「あー、それは俺も知ってるぜ。その呪法が成った瞬間に、現世から放り出されるみたいに神様やら英雄やら魔術師とかコッチに来たんだよな」

 

 寝ぼけ眼のムインがどこか気怠そうに言う。その言葉にエオが頷く。

 

「そうそう、それにその呪法は現世とコッチを別ける壁みたいに存在してて、コッチの世界に居る奴等は誰も現世には行けないんだよ。

 それが『神』であってもな? そんで現世でその真理に気付いた人間も軒並みコッチに送られてしまうんだと」

「……なるほど、それが世界の真理。僕たちが魔術を知らなかった理由か……」

 

「───呪力がなくなるだけじゃないぜ、おっちゃん。その呪法は現世の人の願いとかも弾いちゃうらしいんだ。

 そのせいで幽世や神話の領域にいる神に祈りが届かなくなっちゃって、神様に願っても願いその物が聞こえないから呪術も発動しないし、例え願いが届いても神様が現世に手が出せないからどうしようもない。そんな感じだったらしいぜ」

 

 そう祐一が滔々と語った。

 

「なるほどねぇ……」

 

 そう呟いて、ん? と寿は固まった。バッとドヤ顔をしている祐一に高速移動すると、両肩を掴む。

 

「祐一君、なんで君まで知ってるんだい?」

 

 怒気を孕んだ声で、寿が詰め寄った。

 

「えっ? ……あー、アレだよ。前に言ったじゃん『神に祈りは届かない』って。パルヴェーズにやられて変な空間に迷い込んだ時に得た知識にあったんだよ。

 それで知ったんだ。……あれ、言わなかったっけ?」

「ああ、確かに言われたよ! でもね『神に祈りは届かない』って言われて、誰がそのままの意味で捉えるんだ!? 普通、比喩的な物だって思うだろ!?」

 

 寿は祐一が変な空間で二つの事を知ったと言っていた事を思い出す。

 世界が滅びる事と、神に祈りが届かない事の二つだ。

 ──分かるか! 

 寿自身、まだまだこの世界に関わり始めたばかりで、祐一の言葉がそのまんま世界の真理の話をしているなんて予測不可能であった。

 

「そもそもな! 神と戦っている場所で『神に祈りが届かない』なんて言われたら、比喩的なものだと思うだろう!? 誰もそのまんまの意味だと思わないぞ!」

 

 括り付けられた縄から祐一を引っ張り出し、コブラツイストを掛けながら寿は嘆いた。

 

「や、普通に知ってるって思ってた! ハハッ! ──ぐぇっ、ギブギブ!」

 

 祐一の言葉が聞こえた瞬間、今度は体位を変え、キャメルクラッチ! そして流れる様にヒサシバスターが炸裂した。

 その動きは一廉の戦士であるエオとムインが感嘆の息を漏らすほどである。

 そんな生徒の様子にテスラは構わず続けた。おそらくこの場で一番強いのは彼女である。

 

「でもね、世界を覆い永い時の中でも不変だったその呪法も、何の因果か粉々に砕け散ってしまったの。それが何故壊れてしまったのか理由は判らないけれど……」

「老朽化したんじゃねーの?」

「ふふっ、そうかもね。……だから今、現世では幽世から渡ってきた『まつろわぬ神』や神獣……現世ではおとぎ話でしかなかった存在が現れ始めた、とニニアン様から聞いているわ」

 

 その言葉に祐一と寿はじゃれ合いを辞め、黙り込んだ。

 オマーン湾で起きた海難事故。祐一と寿の身に起こった共通の異常事態を思い出す。

 なんとか命を拾い、一人はイランで冒険し、一人はドバイに辿り着いた。

 イランで起きた神と化身を巡る戦い、世界各地に現れ始めた超常現象の数々を思い出す。

 しかし……それで終わりだと思っていた彼らの予測は無慈悲にも覆され、それは只の始まりでしかなかったと痛感させられた、あのドバイでの出来事を思い出す。

 

『まつろわぬ神』、大呪法、"神殺し"……神を殺し、新生してから……いや、自分が家出をする時から、もう世界はおかしくなっていたのかも知れない。ふと、そう思った。

 己の境遇と世界の変化。奇妙に符号する幾つもの出来事。

 ──ゾク……。思考の奥底をなにか薄ら寒いモノが掠めていく。祐一はそれをまともに見る事が出来そうになかった。

 

 

 


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