王書   作:につけ丸

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042:剣と碓とおにぎりと

 二週間が過ぎた。祐一は何かを振り払うように闘技場に毎日通い、エイル一家のみならず闘技場を溜まり場にしている戦士達とも友誼を交える様になっていた。

 人懐っこく若くとも修羅場を潜っている祐一に誰もが一目置いていて、武器の師事は元より直立した槍の穂先に跳び乗る技だとか、見上げるほど高い城壁を飛び越える跳躍の技だとか幾つかの妙技を教わっていた。

 修行が終われば戦士たちは何処からか酒や肉を持ち寄っては宴会が始まり、祐一も戦士たちと一緒になって酒を飲んでは騒ぎ、時には乱闘に参加し、……二週間の間に祐一たちは王国に馴染んでいた。

 だが万事、順風満帆とは行かず剣術については未だエイルに掠りすらせず、ここの所かなり行き詰まっている状況だった。

 今日も今日とて修行に励み、コテンパンに伸されて膝を付き白目剥く祐一。パルヴェーズとの連敗記録に刻一刻と迫り、ジットリとした物が背中を伝うのを感じて仕方がなかった。

 首を振って、気を取り直す。

 

「なぁ、なんでエイルって、こんな熱心に教えるんだ?」

 

 地面に座り込みながら油を引き剣を手入れしているエイルに問い掛けた。これは前々から気になっている疑問ではあった。

 そもそもエイルは王国に於いて重要な位置を占める戦士だと言う事は、うとい祐一でも勘付いていた。

 戦士と良く関わっている祐一には、あまり馴染みが無いがドルイドや吟遊詩人と言う王国でも敬わられるべき者達と同じ待遇である事を見れば察する事は容易であった。

 だからこそ、己の研鑽に余念がなく相応に多忙であろうエイルが何故こんなに自分に目を掛けるのか謎だったのだ。

 

「あれはお前と初めて戦った時だったな」

「え?」

 

 水面に雫が落ちるようにぽつりと声が落ちた。

 

「お前の持つ戦いにまつわる天稟の中に、輝く剣の才を見たのは。ふふ、私はお前のその才がどこまで伸びるのか、それをみたいのだ」

「俺に、剣の才?」

「ああ。……剣鬼、剣神の愛し子、無情剣。フェルグスを追う者、『鋼』の懐刀。私が剣の道を志し、いつの間にかそう呼ばれるようになってしまった……」

 

 エイルの油を引く手に、力が入ったように見えた。骨張った無骨な手は、骨が更に浮き出て節々が白に染まった。

 

「悟りを宿す菩提樹にして曇りなき明鏡の如く、心を払い煩悩に汚されないよう剣に全てを捧げてきた。……しかし私自身、そんな敬称で呼ばれる様な者だとは思っていない」

 

 エイルの心がその手に反して冷えているのが祐一には良く分かった。彼の剣は冷たい。そんなこと打ち合えば判る。

 そしてエイルの持つ剣は、薄く、鋭利で、装飾の無い簡素な物だ。

 刀身が放つ光は焚かれた篝火の橙では無く、底冷えする青い光。軽いが勢いがあり、薄いが脆くはなく、剛の中に柔があり、柔でありながら強靭であった。

 だが、どうしようもなく冷えていた。

 

「数年前までは剣の道しか知らずに居たのだ。それ以外は削ぎ落とす……そう、只の剣客だった」

 

 そこでエイルは少しだけ、力んでいた拳を弛緩させた。

 

「しかしそんな私を見かねたフェルグス様にテスラを紹介され、エオやムインと養子縁組して一人前に見える様には成ったが、元は只の剣狂い。未だにアイツらとの距離感が掴めん」

 

 彼の肩が揺れその声音にも柔らかい物を宿しているようにも思えた。ふと、故郷にいる不器用だった父の背を少しだけ幻視した。

 

「テスラは今は私の下で妻となっているが、以前なら私の様な下賎の者なんぞ手の届かない令嬢だったのだぞ? ドルイドの術者としても高名でな……かつてドルイドがまた多く居た頃には『女神ブリギットの落とし子』と呼ばれ次代を担うほどだった」

「かつて?」

「ああ、そうか。お前は知らなかったな。……もう王国にはドルイドは数える程しか居ない。王国に『まつろわぬ神』が現れた時に、ほぼ全てのドルイドは死に絶えてしまってな」

「ま、待ってくれよ! 死に絶えたって……嘘だろ?」

「嘘ではない、それほど荒ぶる神とは脅威なのだ。フェルグス様がおらねば、王国などすでに滅んでいるほどにはな」

 

 気付けば拳を固く握り締めていた。己が滅するべき『まつろわぬ神』の脅威は世界を隔てた場所でも健在だった。それを強く自覚した。

 自分がそこにいれば……などと傲慢な考えすら浮かぶが、そう思わざるを得なかった。

 祐一の様子を目の端に捉えながら、エイルはまた過去を言葉に乗せはじめた。

 

「王国に剣を捧げた戦士の大半がその時散った。エオとムインの父も、テスラの仲間も身寄りも悉く死に絶えた。それを不憫に思ったニニアン様がいっその事とテスラと私を引き合わせ、まだ幼かったエオとムインも折りを見て親戚筋である私の元へ送ったのだ」

「……いいのかよ、そんなこと俺に話して?」

「過ぎた事だ。まあ色々あったがアレらも今では吹っ切れている、気にするな。それにお前もアレらと変わらず接してくれると嬉しい」

「……だぁーもう! エイルって無茶振りするよなぁ! 判ったよ!」

 

 いきなり重い話を振られた祐一の反応にさらに肩を揺らし、また軽くなった口調でエイルは語る。今のエイルには先刻の冷たいものが薄まり、柔らかな物が宿っている様だった。

 

「私たち家族については折りを見て話そうと思っていたのだが、こんな形になってしまった。すまんな」

「ホントだよ……」

 

 ガックリとため息をついて、エイルは笑みを零した。

 

「ふふ、話が逸れたな。未だ未熟でフェルグス様の足元にも及ばない拙い剣。しかしそれでも剣鬼だなんだと持て囃され、そう呼ばれるのも私の剣が珍しいからなのだろう。……王国では長剣はあまり主流ではないなのだ。それはわかるだろう?」

 

 確かに思い当たる節はあった。エオとムインは二人ともその手に持つ物は槍だ。王国の戦士たちが持つ武器は槍が最も多く、短刀、槌や弓、投石器、と多種多様だ。

 短刀と言っても、刃渡りはエイルの剣より短い。おそらく三分の二ほどの長さしかない。それもそのはず、楯と併用して使う片手剣なのだから。

 エイルの振るう三尺五寸五分の剛剣は異端である、と言っても過言では無かった。

 

「祐一。お前は自分の剣が行き詰まって居ると感じて居るな?」

「……まぁ。そうだけど……」

 

 口を尖らせ、不承不承だが祐一が頷いた。

 

「ふふ、それは私もなのだ」

「……え?」

「鉄は、鉄と鉄とを打ち合わせて鍛え上げるもの。だが今の私には打ち合わせる鉄がない」

 

 祐一が、どういう事だ? と目を瞬かせた。

 

「切磋琢磨するにはある程度の力量を持つ者同士が噛み合わなければ意味はない。圧倒的上位の者でも得る物があるが近しい者が望ましい。少なくとも私はそう考える。鉄は鍛え上げねば、鉄のままだ。故に私は己の鉄をお前と言う鉄を鍛え上げともに練磨したいのだ。それがお前を目に掛かる理由だ……幻滅したか?」

 

 エイルは口角を吊り上げ笑った。祐一も釣られる様に、小さく笑う

 

「いや、そんなことないさ。ただ……なんつーか、結構エイルって剣バカで俗物なんだなって思った」

「ハハハ、そうだろう。私は剣の道に関しては枯淡自然の境地で臨むが、元来、欲深な人間なのだ」

 

 そうエイルは言うと、のっそりと立ち上がり、

 

「さぁ、始めるか」

「よっしゃ! 今度は勝つ!」

 

 祐一もまた立ち上がり、再び剣を交えた。

 結果は推して知るべしである。

 

 

 ○◎●

 

 

「どうですか、剣の修行の方は?」

 

 ヤマトタケルが、そう穏やかな声音で祐一に訊ねた。

 ある日の長閑な昼下り。祐一はヤマトタケルに誘われて、とある丘の上に訪れていた。

 現世ならもう季節は秋だ。それはここでも変わらないようで、夏の間は賑やかに青々と茂っていた草花も少し渇いたような、錆びたような、そんなどこか寂しげな色を身に纏う様になっていた。

 無数の草花が風に揺られ、ざぁざぁと揺らめいて独特な音色を奏でている。

 なだらかな丘の上で『まつろわぬ神』と"神殺し"という仇敵同士である二人は腰を下ろし、抜けるような空と草原を眺め言葉を交わしていた。

 寿はテスラから呪術の教授を受けていて、ラグナは時間が来たと言って一時的に異界へ姿を消している。

 だからいま祐一とヤマトタケルは二人っきりだ。『神』と"神殺し"が一緒に居るとは思えないほど……そよぐ風の音は元より、いっそ自分の心臓の鼓動すら聞こえて来る……穏やかで静かな時間だった。

 そんな風景を眺めながら、ふと、近況を尋ねて来たヤマトタケルの言葉に思わず声が詰まってしまった。

 

「うっ……、ぜ、全然だ。ここんトコずっと剣振り回してんのにエイルには掠りもしないんだよなぁ……。エイルは紙や曇と戦ってるみたいに感じるし、でも向こうの攻撃は半端なく鋭いし……。上手く行ってねぇよ……」

「ふぅむ、そうですか……」

 

 どこか意気消沈した声音で祐一は漏らし、ヤマトタケルは唸る様に応えた。出会った瞬間、殺し合った二人だが今では大分打ち解けている。

 ヤマトタケルも祐一が王国に逗留する様になって数週間の間、小まめに顔を出しては親交を深めていた。祐一もヤマトタケルも後を引かない、気っ風の良い性格であり、だからだろう……先日殺し合った蟠りはいつの間にか無くなり、仇敵である事すら忘れそうになるほど気安い仲になっていた。

 

「……ですが、そう気に病む事でもありませんよ」

「え?」

 

 そう言いヤマトタケルは神采英抜とした風貌をより一層美しく引きたてる笑みを浮かべ、祐一を驚かせた。

 その笑みは見る者を魅了し、爛々とした獰猛さを備え妖しい色香すら感じ取れるもの。荒々しいだけの益荒男には持ち得ない、春風駘蕩とした朗らかさと勇猛さ兼ね備えた笑みだった。

 

「エイルは剣神の愛し子と呼ばれるほど才気煥発な戦士。そして弛まぬ努力を以て剣技を昇華し続けた剣客。貴方も知っての通り、王国周辺には魔物が犇めいています。その中には神獣の類も居るのですが、エイルが剣を揮えば、容易く葬られる存在でしかないのです。……ふっ、私ですら剣のみの勝負なら手を焼くでしょう」

「ま、まじかよ……」

 

『神』故か、ヤマトタケルが持つその自尊心は変わらず高い物だ。しかしその彼を以て手を焼くと言わしめるエイルの技量に驚愕とも感嘆とも取れる言葉を祐一は漏らした。

 それに祐一も終ぞ為せなかった「人間でありながら神獣を狩る」という偉業すら為していると言う。

 道は遠いなぁ……。渋い顔をしながら、ガックリと肩を落とす祐一。そろそろ挽回しないと連敗記録が凄い事になるのだ……具体的に言えばハルウララと良い勝負をしそうなほど。

 ヤマトタケルはそんな祐一見ながら艶然と、しかし透明な笑みを零した。

 

「ふふ。まぁ、これでも食べて元気を出して下さい」

 

 そう言いながらヤマトタケルは懐から、竹皮を紐でゆった包みを取り出し、祐一へ差し出した。

 祐一は小首を傾げながら、紐を弛めて中身を確かめ──目を瞠った。

 

「お、おにぎりじゃん! これ、どうしたんだよ!?」

 

 そう、竹皮の包みに入っていた物は「おにぎり」だった。炊きたての様にホカホカと白い湯気が立ち、ふっくらとした新米が三角形に形作られた……祐一にとって懐かしさすら感じさせる物。

 故郷を離れて数か月。確かに異国の地でも米と遭遇する機会は何度かあったが日本でいつも食べて居る米とはかけ離れた物で……どれだけ「米だ!」と心に言い聞かせても納得出来なかった。

 祐一も米が好物と言う訳では無いが、いつも口にしていた物が手に入らないと言うのは、かなりのストレスだった。

 それがこんな現世ですらない、異界の地でお目にかかる事が出来るとは予想外も良い所であった。

 

「私の御名の一つに『小碓』と言う物があります。この小碓とは農具で米を挽く道具なのですが、それを元に少しは豊穣神としての権能を使えるのですよ。

 ……まぁ、おにぎりを一つだけ出す事が精一杯のほんの慰み程度ですがね?」

「いや、普通に羨ましいんだけど……。あー……いいなぁ、俺もそんな権能欲しいなぁ……」

 

 ヤマトタケルの言葉に、祐一がどこか羨ましそうに物騒な言葉を零した。

 

「ふふ。私を倒してみれば、もしかしたら手に入るかも知れませんよ?」

 

 そんな祐一にヤマトタケルは、垢抜けた瀟洒な笑みとウィンクを投げ、悪戯っぽい仕草を取った。

 

「うっへぇ……勘弁してくれ。ぜんぜん割りに合わねぇじゃん」

 

 げんなりした様に祐一が渋面を作る。

 

「ははは、貴方にそう言って貰えるなら、我が内に秘めたる武勇も捨てたものではありませんね」

「ちぇ……言いたい放題言うなぁ。くっそー、今度はヤマトの兄ちゃん倒してスゲェ権能手に入れてやる」

「ふふ。楽しみにしていますよ、祐一殿?」

 

 そこで、言葉は途切れた。

 

「……」

「……」

 

 長閑な時間だった。

 祐一達が滞在している王国の賑わいや、闘技場でエオやムインを始めとした戦士達の喧騒も聞こえない静かな時間。

 今、この時だけは仇敵と相対し臨戦態勢にある筈の身体もどこか弛緩して居るようだった。

 いただきます。

 そう祐一が言い、おにぎりへかぶりついた。おにぎりには何も掛かっていなかった。海苔も塩も、鮭も、昆布も、梅も、おかかも、何もない。

 ただ白米の少し甘い味が口の中に広がるのみだった。

 たけど途方もなく……うまかった。思わず、故郷を思い出してしまうほどに。

 

「うめぇな」

 

 祐一が零す。

 ヤマトタケルは何も言わなかった。

 

「うめぇ……」

 

 ヤマトタケルは無言だった。

 

 祐一は少しだけ、ヤマトタケルを不憫に思った。

 この幽世と言う故郷から遠く離れた土地で、時代も永生の時の中で移り変わり、血の繋がった肉親も居ない、記憶に焼き付いた有りもしない故郷を思い出させる物がある、と言うのはひどい生殺しではないかのか。

 それならいっその事、無い方がマシじゃないか……。祐一はそう思ってならなかった。

 

 ただ、一陣。

 

 二人の郷愁を慰める風が、そっと頬を撫でた。

 

 

 ○◎●

 

 

 ──さぁ、戻りましょうか。

 

 数刻が過ぎ、穏やかな時間を過ごしていた祐一にヤマトタケルは声を掛けた。祐一はただ頷くだけで、言葉は返さなかった。

 

 ──もうそろそろ夜になります。そうなれば、此処は魔物たちの領域となりますので。

 

 ヤマトタケル曰く、夜になると王国周辺に巣食っている膨大な魔物たちが王国付近まで跳梁跋扈し始めると言う。

 王国に辿り着く前、祐一達を地上から見上げていた者達がここら一帯を埋め尽くすのだ。

 

 ──それは……嫌だな。

 

 フッと笑って立ち上がってヤマトタケルに続いた。祐一もあの程度の魔物がどれほど向かって来ようと殲滅する事なんて容易だが、あの気味の悪い者達と進んで戦いたいとは思わなかった。

 てくてく、と二人は歩き進む。

 その間、彼らは無言だった。

 だが、別に嫌な沈黙ではなかった。なんとなく……同郷で、それでいて故郷を遠く離れた者同士のシンパシーの様な物が彼らの間にはあった。

 

 ──祐一殿、故郷へ帰りたいですか? 

 

 ふと、数歩先を歩いていたヤマトタケルが祐一を見る事なく問い掛けた。

 帰りたい。当たり前だ……飛び出したとは言え、たった一つの故郷なのだから。

 何も言わない祐一に、ヤマトタケルも変わらずこちらを見る事なく言葉を重ねた。

 

 ──あなたが望むなら、力技になりますがこの幽世から今すぐにでも現世に出る事は可能です……あなたと私が合力すれば、と言う注釈は付きますが。

 

 それは祐一にとって、心を揺さぶる甘やかな提案だった。だが……

 

 ──うぅん。確かに故郷に帰りたいけど……俺はまだ帰れるほど成長出来てないからな。それに、こんな変な身体にもなって……おいそれと帰れないよ。

 

 祐一にしては珍しく、俯き自信なさげに零した。

 

 ──そうですか。ですが、帰れる時に帰っておきなさい。故郷とは……気付いた時にはなくなっているものですから……。

 

 ヤマトタケルの表情はわからなかったが、祐一はなんとなく自分と同じ様な表情浮かべている気がした。そしてそれを、誰かに見られたくないと思っている事も。

 

 ──ふふ、先達としての忠告です。

 ──うん、肝に銘じておくよ。

 

 祐一は強い意志の籠もった眼で、空を見詰めた。

 

 ──それでもやっぱり、俺は帰らないよ。

 自分で拒絶したんだ……だから、もっと成長しないとダメなんだ……。みんなが驚くくらいにならないと、故郷に胸張って帰れない……! 

 

 拳を握り締める。焼き付く温度を孕んだ呼気と共に、灼熱の意志を伴った言霊を繰り出す。

 

 ──『信念』故に、ですか。

 

 うん。と祐一は頷いて、すぐに相好を崩した。

 

 ──ま、おっちゃんには悪いけどな? 

 ──ふふ、違いありません。

 

 彼らは肩を揺らして、笑い合う。それから半刻後に、王国に着いた。

 そこで彼らは別れた。

 

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