王書   作:につけ丸

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感想をくださった方、誤字報告をして下さった方、ありがとうございます。


043:揺るぎのない鐵

 ──かつん。──かつん。石畳の回廊に一つの足音が響く。

 薄暗い空間を照らす光は、蝋に焚かれゆらゆら揺れる篝火だけだ。他には何一つない。

 此処はニニアンが住まう王城の中。その中をヤマトタケルは勝手知ったるなんとやら、とばかりに迷いなく進んで行く。

 もう日はとっぷり沈み、星光も雲に翳った。紫色の暗い世界でも残っていた仄かな光は何処かへ消え、王国の中心たるこの城もまた闇に染まっていた。

 ──かつん。──かつん。一歩、一歩、と踏み出す毎に、まとわりつく闇は深まっていく。

 黒い手はより昏い領域へと誘うかの如く数を増やし、何本も焚かれた篝火が、影を強く鮮明に映し出す。

 歩を進めるほどに闇は濃くなり、背中に薄ら寒い物がそろりそろりと這い回る。

 篝火に揺れ動く影がまるで形の無い手のようだ。瞬きの間に形を変え、密度を変え、場所を変え、ヤマトタケルの全身を撫で上げ嘲弄する。

 無数の手となった黒い手が、ヤマトタケルの美貌に伸びようとし──

 

『去ね』

 

 ───霞のごとく、霧散した。

 ヤマトタケルが足を止め、虚空へ視線を向ける。何もない暗闇ばかりが広がる場所。だと言うのに……()()、と人影が暗闇から這い出てきた。

 その影はまるで影法師そのものの様に捉えどころがなく虚ろで、ひどく陰気でだった。人影は現れたまま一定の距離を保ち近付く事も遠ざかる事も無い。虚も実もない不透明で不気味な影。

 しかしただ一点、わかる事がある。

 今もヤマトタケルに這い回った影、あれはこの影が差し向けたもの……それだけで友好的な者ではないと察する事が出来た。

 煌々とした篝火の光が、幽鬼の様な人影の闇を剥ぎ取り、不気味な影法師の正体を露わにする。

 それは、老人であった。

 矍鑠とした風情はない。ひたすらに陰鬱で沈んでおり生気を奪い取る雰囲気だけがあった。

 

 まるで影法師。

 この老人こそ謁見の間にて、女王ニニアンに侍っていた影だった。

 

「……何故、あの、異物に、入れ込む」

 

 嗄れ粘ついた声が、響く。何の脈絡もない言葉だった。

 

「貴方が無関心過ぎるのでは?」

 

 良く通る清涼感に満ちた声が、響く。少し憮然とした、突き離した物言いだった。

 

「うふっ……。毎日、毎日、足繁く」

 

 影が陰鬱に喋った。

 

「まるで、場違いな恋をした情夫、だ、な」

「いけませんか? 同郷の者と出会うのは久しぶりでしてね……。忘れかけていた郷愁と言うものを思い出させてくれるのですよ」

「聊か。入れ込み、すぎ、だ。彼奴は、神殺し。根本より、違う」

「ふむ……」

「そも。彼奴を招き入れたのは……」

「王国の利益。……私がそう断じた為。そしてその利益とは、ニニアン殿が希求する『鋼』の復活……でしょう?」

 

 然り、然り。黒い老人は顎髭を撫で頷く。

 

「彼奴が現れて。貴様は、おか、しい」

「おかしい、ですか? ……この私が?」

「…………」

 

 返事は沈黙だった。だがこれ以上ないほどに肯定と猜疑に溢れた返答。

 己がおかしい。確かにそうなのかも知れない。神殺しと言う討つべき存在に強い興味と好意を抱き初めているのだ。そう『まつろわぬ神』であるヤマトタケルが、だ。

 

「懐疑が。疑いの念、が……うずまいて、おる」

「ふふふ。御安心なさい……貴方の危惧はすぐに杞憂であったと判るでしょう」

 

 虚ろで焦点のひどく曖昧な目線でヤマトタケルを捉え、それを柳に腕押しとさらりと受け流すヤマトタケル。

 こひゅー、こひゅー、と息を切らす影法師。前のめりになり、死期が近い老人のようだがその眼光の鋭さたるや狂気じみていて、おどろおどろしい。

 ヤマトタケルと一時の間、視線を交叉させたあと。先ほどと同じく霧が晴れるように闇に溶けては消えた。ヤマトタケルは老人が消えたあともその場に佇み、沈思黙考していた。

 ほどなくして形の良い顎に手を当て、

 

「ふむ……些か長居しすぎましたか……」

 

 さほど時間も掛けずに出た言霊は、闇が陰々と広がる回廊に虚しく響いた。

 

 ○◎●

 

 祐一はあれからヤマトタケルと別れ、ひとり王国の石畳の道を歩いていた。

 辺りはもう真っ暗だ。昼であれば日常生活に支障はないほどの不思議な明かりがあるのだが、夜になるとそれも完全に喪われてしまう。

元居た世界のように電気が通っている訳でもないので街灯なんてものはない。空に輝く星々も雲に翳って姿を見せない。

 なんとなく皆の元に帰る気にならず、ぶらぶらしていたらこんな時間になってしまった。 

 もう王国の住民達も大半が床に就いている時間。例外は篝火がたくさん焚かれた闘技場くらいか。

 なんだか素直に寝る気にはならなかった。それに思い出してしまった郷愁に寝付けそうになかったにもある。素直になれない時はとことん素直になれない。夜ふかしする定番の場所でもある闘技場に真っ直ぐ向かう事なく、眠った景観を眺めながらぶらぶらしていた。

 

 ──ルォ! 

「お、ラグナ。戻って来たか」

 

 どうやらラグナが異界からひょっこり戻ってきたようだ。祐一はニコニコ笑って、ウリ坊サイズのラグナを抱き上げた。

 幽世に迷い込むと言う異常事態に翻弄され、その後も修行にかまけ、なかなかラグナと一緒に居る時間が取れていなかったのだ。意外とキューテュークルなラグナの獣皮に顔をうずめ、久しぶりにモフモフを堪能する。ラグナが嫌がって手足をジタバタさせて逃げようとするが、にやけた祐一はしっかりロックし離す気はさらさらなさそうだった。……そうしてじゃれ合っている時だった。

 

「───おぬしが木下祐一か」

 

 ふと、誰かに声を掛けられた。

 咄嗟に振り向き、身構える。知らない誰かに声を掛けられたのだから、身構えるのも当然だった。

 理由は他にもある。身体が神と相対した時ほどではないが反応したのだ。故に祐一は気付いた。その声の持ち主は──『神に連なる者である』と。

 振り向いて見遣れば、壁があった。

 否。壁と見紛うほどの容貌魁偉な巨漢が立っていたのだ。身長は、祐一よりも一回りも二周りも高く百九十cmを越えるだろう。それに見合う体軀を誇り体重も百二十キロはあるかも知れない。角刈りで一本、一本が太い針金にも思える黒髪。釣り上がった鋭い黒目。年の頃は二十代後半であろうか? 

 純日本人の容姿をした益荒男だった。

 特筆すべきはその肉体。鋼を折りたたみそのまま人型に鋳型にした様な、美々しくも雄々しい肉体。古風な甚平を着てラフな格好だが、その薄い布では全く隠し切れていない偉駆が収められていて「日本男児かくあれかし」そんな言葉が頭を過るほど。

 

「アンタは……?」

 

 抱えていたラグナを降ろし、訝しげに突然あらわれたその男に問い掛けた。その質問に彼はカラリと笑い、

 

「おう。(オレ)は叢雲と言う。おぬしに会いに来た」

 

 張りのあるよく通る声でそうのたまった。豪快な物言いと男らしく裏表のない笑みに、思わず面食らう。

 なんだこの人……。素直な感想がぽろりと口から零れそうになるのを堪え、若干引き気味にその男の言葉について思考を巡らせた。だが答えなんて「謎」の一文字しか出てこない。助けを求めてチラリとラグナを見れば、ラグナはただじっと叢雲と名乗った男を静観していた。チンギス・ハーンにヤマトタケル……『神』に相対した時は必ずと言っていいほど威嚇するラグナが、だ。

 敵じゃ、ないのか……? 少しの猜疑を残し敵愾心の薄れた表情で、だが油断しない様に表情を引き締め……そんな中途半端な気持ちで祐一は叢雲と言う男と向き合った。

 

「え、えっと……叢雲、さんですか……?」

 

 だからだろう。そんな事も相まって祐一にしては珍しく、どもり気味な言葉が口をついた。

 

「ふっ、「さん」なんぞいらん! 己《オレ》は格式張った物はあまり好かぬ。叢雲と呼び捨てにしろ、木下祐一」

 

 叢雲は戸惑っている祐一を一笑してフランクに笑い掛けた。澱みがないその笑みにまた少しだけ敵愾心が、するすると薄れていく。

 

「は、はぁ……じゃあ、叢雲。アンタはなんで俺の名前を……? それに日本人に見えるけど……この王国に居るヤマトの兄ちゃんと関係あるのか?」

「固いな、木下祐一。ふうぅむ、では(オレ)もお前を祐一と呼ぶ。お前は(オレ)を叢雲と呼ぶ。これで(オレ)とお前は対等だろう?」

 

 叢雲と名乗った大男は質問の答えよりも己の言い分を先に口にし、ふはは! と豪快に笑った。対等とは言っているが随分と強引な物言いだ、祐一は思わず困った様な笑みを零し、ラグナも呆れた様子で鼻を鳴らした。

 こういう手合いは自分の我を通さなければ振り回されるだけだ。経験則からか、そう結論付けて仕切りなおす。

 

「ん、判ったよ叢雲。これでいいだろ?」

「善哉、善哉。……しかし立ち話も何だな。祐一よ、あそこで酒でも酌み交わそうではないか?」

 

 叢雲が顎をしゃくった方向には、小さな屋台じみた酒場があった。このまま街をぶらぶらしていてもよかったが、目の前の人物への興味が圧倒的に上になってしまった。祐一はいいぜ、と頷きラグナを抱き上げ、歩き出した。

 

 酒場には祐一達以外の客は居なかった。

 闇ばかりが潜む夜は橙に輝く篝火だけが酒場を照らす光源だった。酒場と言っても屋根や壁なんて贅沢なものはなく、地面に年季の入った茣蓙が敷かれ地べたに座って注文を待つのがスタイルの様だ。

 寡黙な店主は祐一達の来訪にも口を開かず、黙々と手を動かすのみ。目線で座るように促した後は、再び作業に戻っていた。だが注文の品はすぐに来た。……愛想はないが手際の良い人物の様だ。

 二人と一匹で車座に座って青銅のコップを掲げ、乾杯する。

 祐一と叢雲がコップを手に持ち、ラグナはお猪口にも見える小さなコップで、カチンと小気味よい音を奏でる。

 そのまま三者とも一気に酒を呷る。祐一と叢雲は豪快にコップを逆さまにして、ラグナは口で器用にコップを傾けて飲み干す。

 くはぁ……っ! と肺腑からアルコール混じりの吐息を吐き出す。清酒ではなく獨酒に近い味だ。空になったコップに最初に口火を切ったのは叢雲だった。

 

「よし、おぬしの質問に答えよう。ヤマトタケルと関係があるか、だったな……ふむ、なんと言ったものか? そうだな、(オレ)はヤマトタケルの『兄弟』みたいなものだな」

 

 ……? …………??? 

祐一は目の前の人物が何を言っているのか暫しの間、理解できなかった。その言葉を噛み砕いて、咀嚼し、脳に行き渡らせるまで些かの時間を要した。

 

「は、兄弟???」

 

 何言ってるんだこの人……。祐一は失礼極まりないがそう思って仕方がなかった。線の細い若武者と筋骨隆々の益荒男と言う対象的すぎる二人。ヤマトタケルを「柔」とするなら、この叢雲と言う御仁は「剛」だろうか。

 対極もいいところじゃないか。なんだか可笑しくて一瞬呆けたあと、思わず笑ってしまった。

 

「応、あやつが弟で己が兄だがな」

「はは、何だそれ? うーん……やっぱ全然見えねぇな」

「フン、(オレ)も納得してはいない。だが幾年月と共に居れば、諦めもつく」

 

 はぁ、とため息を吐く叢雲。にやにやジロジロとねっとりとした祐一の視線に顔を顰め、少し不貞腐れた叢雲は胡座を掻いた足に肘を乗せ掌に顎を乗せた。

 叢雲は『神』に連なる者らしく、身体が反応し闘志と活力が湧いてくる。だが、ヤマトタケルと共にいる様な穏やかさすら持って祐一は叢雲と言葉を交わしていた。

 なんと言うか敵意が無いのだ。この人は。ごめんごめんと少し笑いを収め、祐一は叢雲を見据えてまた口を開いた。

 

「ヤマトの兄ちゃんと兄弟って事は……神様なんだろ? でも何だろ、アンタは少し違う気がする……なんて言うか薄い、のかな?」

「ほう、それを見抜くとは流石だな。そうだ、今の(オレ)は仮初の姿でな、実際は別の場所に居るのだ。(オレ)はこう見えて芸達者でな? やろうと思えば魔女どもが使うような幽体での活動も出来るのだ」

 

 パルヴェーズと話している時を思い出してしまうほど、叢雲の言葉は難解で意味不明だった。

 わー、専門用語がいっぱい出てきたぞー? ───わかるか畜生! 

よほどその言葉を叩き付けたかったがなんとか飲み込み、早々に理解するのを諦めて別の質問に移った。

 

「ふーん。でも、ヤマトの兄ちゃんの兄って人がなんでまた俺に会いに来たんだ?」

「その事か? ……ふむ、実はな先日おぬしとヤマトタケルと刃を交えた時、(オレ)はあの戦場に居たのだ。おぬしは気付かなんだがな」

「え、あそこに? 全然気付かなかった」

「そうだろう。(オレ)はあの時眠っておった。故におぬしも気付く事はなかったのだろう」

「眠って、いた……?」

「応。永い……とても永い眠りに就いていた。(オレ)はな、あやつと共に大和から出奔し、朝鮮、中華、天竺、波斯、羅馬、果ては幽世まで……あらゆる世界を旅してはあやつと……ヤマトタケルと共にあった」

 

 胡坐をかいた上にいつの間にか腰を下ろしていたラグナの背中を撫でながら、祐一はどこか羨望の混じった目をして叢雲の話しを聞いていた。

叢雲とヤマトタケルは神に連なる者、彼らもまた不滅の肉体を持っているに違いない。永い、本当に永い時を旅してきた、と彼が今言ったとおりそれは本当のことなんだろう。それがひどく羨ましくて、羨望の言葉が漏れた。

 

「へぇ……いいなー。俺も友達ともっと旅をしたかったなぁ」

「フン、四六時中一緒に居れば見飽きてしまうし嫌気もさす。それに男二人で旅なんぞ寒気がする」

「そうか? 悪くないと思うけど」

 

 苦い声音で否定の言葉を返してきた叢雲に少し笑いながらも考えてしまった。

 パルヴェーズが……あのまま神にならず旅を続けていられたら……。そんなifを夢想してしまった。

 シーラーズを出て、次は『世界の半分』と謳われるイスファハーン、イランを出た後はトルコや東欧諸国を回って……そんな旅を夢想していた事を思い出す。

 パルヴェーズの使命を果たした後、次の旅の目的地はトルコだった。元々、祐一が目指していた場所がそこであったし、根無し草のパルヴェーズも着いて来てくれる筈だった。その後は色んな国を回っていつかは自分の故郷……日本に行こう。そんな約束をしていたのだ。

 酒精を浴び新たな出会いに浮足立った心が、少し沈む。あの時からずっと共にいた友は今はいない。

 何故か。

 そう。俺が───

 

 ───ルォ。

「あ……」

 

 ふと見ればラグナが上目遣いにこちらを見やり、声をあげた。頭にお猪口を乗せて、おかわりを強請っているらしい。

 はは、仕方ないなぁ……。そう呟いて、とくとくと瓶から酒を注いでいく。

 叢雲と会う前、ヤマトタケルとあんな会話をしたからか少しだけセンチメンタルになっていたらしい。

 だがそれもラグナの一声で掻き消えてしまった。ぎゅっと握り締めていた空気が霧散してしまった様に、センチメンタルな感情はどこかに消失してしまっていた。

 酒を注ぎラグナと一緒になって、手に持っていた青銅のコップを一気に呷る。叢雲は目を細めながらその光景を眺め、また言の葉を綴り始めた。

 

「大和の地を出奔してから、幾星霜。永い時は過ぎ、強固な意志を持つ(オレ)でも飽きて来た。何時しか(オレ)は眠りに就いていたのだ。そうして永い眠りは続き、もはや醒める事は無いと思っていた」

 

 叢雲は右手に持つコップを揺らし、半分まで減った酒の水面に移る自分を眺めていた。

 

「だがそれは思い違いだった。(オレ)の眠りは、おぬしという戦士の登場に破られたのだから」

「俺?」

「うむ。おぬしと干戈を交えた時に感じた身を焦がすほどの激情。正に目の醒める熱であった……。(オレ)はあの戦いで(オレ)はおぬしの益荒男振りをこの眼に焼き付け、そして、もうひとつ視えた。おぬしの中に胎動する類稀な武の天稟を。故に……」

 

 白い歯を剝き出しにして、豪快に笑う叢雲。

 

「──会ってみたくなった。この身を芯から震わせる強い戦士に。(オレ)もまたヤマトタケルと……あやつと同じ『鋼』の一党。強者と強者は惹かれ合う! ……気付けばもう動いていた。これが(オレ)がおぬしの前に現れ、おぬしの名も知っていた理由だ」

 

 そう熱く語った叢雲に、祐一は微苦笑し困った様な雰囲気で首を振った。

 

「そんな大したもんじゃないぜ俺」

「ククク、それは謙遜が過ぎると言うものだ。人の身でありながら神を弑逆する武勇。神であっても一歩も引かぬ胆力。隻眼と言う不利な状況でさえ最源流の鋼と互角に渡り合ったのだ。───なるほど、これが"神殺し"! まさに、鬼神の顕現! 羅刹の化身よ! と年甲斐もなく熱くなってしまった」

 

 膝を打って呵々大笑する大男。褒め殺し、と言う言葉があるのなら今を表す言葉なのだろう。祐一は微苦笑し、ありがとうと言葉を返した。褒められて悪い気はしないが少し大袈裟だろ、少し熱くなった頬を誤魔化す様にグニグニと揉む。逃げるようにまた別の話題を降ることにした。

 

「でも良いのか? アンタ……叢雲も神に連なる者なんだろ? 俺とは敵同士みたいなモンだし……こうして酒を酌み交わしてたらマズイんじゃないか?」

「なぁに、その事か。(オレ)は気にせん。神に連なると言っても『まつろわぬ神』に比べれば木っ端も良い所だ。それに……(オレ)の事など、どうでも良い」

 

 叢雲はコップの縁を五指で掴み、クッと目の前へ突き出した。雰囲気が変わりピリリとしたものに変わり、叢雲の双眸も鋭いものへ切り替わっていた。

 

「おぬしは此処が何処だか判っておるか?」

「……え? ……えーと、幽世ってとこで、女王ニニアンって人が王様の王国なんだろ?」

「そうだ。此処は女王ニニアンが統べる王国。幽世の中でもニニアンと言う『神祖』が統べる禁足地よ。理から外れた『不死者』や原初へ回帰した『まつろわぬ神』さえ集う場所。おぬしその人外魔境に足を踏み入れている事を自覚せよ」

「……神祖? 不死者?」

「む、その事も知らぬか……いや、無理もない。今は破られたとは言え、現世は『神人離間』の大法が為された世界であったな……人間であったおぬしが知る由もない」

 

 そうして叢雲は一拍置き、

 

「──この世は因果律がご覧になる夢にほかならない」

 

「───ッ!!! アンタ、なんでッ!?」

 

 その言葉を聞いた瞬間、撃鉄を起こした様に意識が燃え上がった。犬歯を剥き出しにし、肺腑より灼熱の吐息を吐き出す。赫怒の渦巻く隻眼で叢雲を見据える。拳を握って地面に叩き付け、前のめりになる。

 膝の上にラグナが居なければ、そのまま叢雲に掴み掛かっていたに違いない。

 因果律───。

 あのおかしな空間で邂逅した、巨大な存在。己が生涯で初めて憎悪を向けた相手。「世界」と言う人形から伸びる糸を手繰る傀儡師。

 パルヴェーズ、ラクシェ、仁さん、転覆した船の人々……。

 家出してからパルヴェーズと出会い、殺し合い、ドバイに悲劇を齎し、これまでの旅を裏から操り、今も操っている仇! 因果律! 何故アイツの名が! 

 

「知っていたか。これはかつて出会ったとある智慧の神の言葉だ……そしてこの世の真理を端的に表した言葉でもある。例え神であっても逃れられぬ絶対遵守の法を定めた、大いなる存在である因果律。まぁ、その事はいい。いまの本題とは関係ない故な」

「関係ない、って! 知ってるなら教えてくれよ! 俺はあのクソ野郎をブチのめすさなくちゃ気が済まねぇ! なのに何も手掛かりがない! 何処に居るのかも! どうすれば倒せるのかも!」

「ならん。これは掟なのだ。神に連なる者ではないおぬしには因果律にまつわる事柄は答えられぬ。この掟は例え『神』であっても守らねばならぬ絶対遵守の掟。神話から外れようとする『まつろわぬ神』であっても、な」

「なら……力ずくで……!」

 

 腰を浮かし叢雲に拳を向けようとする。だと言うのに膝の上のラグナは瞑目し微動だにせず、叢雲も小さく首を振った。

 

「……そういきり立つな。(オレ)も因果律について詳しい訳ではない。知ろうとしなかった故な……興味が無かった。 (オレ)は最源流の鋼、紛う事なき剣の一党。戦いのみに注力し、刃を鈍らせる事は切り捨てて来た。そんな訳だ、(オレ)は因果律についておぬしが知っている以上の知識は持ち合わせておらん」

「ぐ……!」

 

 叢雲は睨むような視線と頑固一徹とした態度で返した。どんな強い視線を注ごうとも、大岩の如く泰然自若とし、目を眇めて口に酒を付けている。

 ギリギリ……と歯を食い縛り、俯く。叢雲からはなんの情報も得られないのを悟ってしまったのだ。

 

「話しを戻そう。今言った『神祖』と『不死者』に纏わる事だ。……いいか?」

「クソっ……判ったよ……」

 

 拳から力を抜く。浮かした腰を胡坐に落ち着ける。ラグナは瞑目していた目を片方だけ開き、祐一を見遣ると直ぐに閉じた。そのまま目が合えば思わず目をそらす事になっただろう、祐一はなんとなく想像できた。

 

「よし。……この世界は一枚岩ではない。因果律と言う大樹に寄り添い秩序を司る者。秩序を厭い自儘に生きる爪弾き者……。因果律に寄り添う者が大半だが、時たまに理から外れ思うがままに生きる者達がいる。この地に集まる人外の化生共がまさにソレよ」

「この王国に……?」

「応。この王国を統べるニニアンはとある『鋼』の復活を悲願としている。(オレ)が判るだけでも二、三百年は『鋼』の招聘のために動き、あれはもう正気ではない。そのような輩が頂点に君臨する場所なのだ……いつ何時おぬしを謀略の糸で絡みとり息の根を止めるかわからん」

「『鋼』……つまり神様を生き返らせるってこと……なのか……?」

「少し違う。神は不滅の存在故、例えこの世で滅ぼうと《不死の領域》に戻るだけなのだ。そもそも『神祖』とは地母神の成れの果て、『神祖』であるニニアンもかつては強大な女神であり件の『鋼』もまた縁深い関係にあったのだ。本来、『神祖』は女神であった頃の記憶を持たぬものだが幽世に現れたことで過去の扉が開いたらしい……あれはその記憶が忘れられないのよ。……故に途方もない執着を燃やす」

「それがこの王国の女王……『神祖』ニニアン、なのか」

「そうだ。確かに王国の戦士たちは気のいい者たちばかりだ。しかし神に連なるものはおおよそ敵と思え。常在戦場を心得よ」

「常在、戦場……」

 ──ルォ! 

「ラグナ気を付けろっていうのか? ……楽しくて意識してなかったけどここって戦場と変わりないんだよな……。なぁ、ラグナ……いまは俺の事よりおっちゃんの側に居てやってくれないか。俺はともかく、おっちゃんは普通の人間だからな……」

 ───ルォ? 

「いいのかって? ああ、いいに決まってるさ……俺のことなら自分で何とかするからさ」

 

 祐一は決断した。何よりも守らねばならない彼をラグナに任せるということを。

 叢雲に教えてもらった通りなら、ここは恐ろしい土地だ。自分の手のひらがとても小さく狭いことはよく理解していたから……ひとりだけではこぼれてしまいそうで……。

 己の身命を賭してでも、巻き込んでしまった彼は守らねばならなかった。修行しているという免罪符を携え、彼に甘えているのも自覚していた祐一はその思いをいっそう強くした。

 

「でも……なんで、そんな事を教えてくれるんだ? 俺とアンタはもともと敵同士な筈だろ。それなのに、なんで警告じみた事を?」

「フン、おぬしをつまらぬ奸計で失いたくは無かった。それだけだ。優れた戦士が謀略にて倒れる様を(オレ)は何度も見てきた。戦士は戦場でこそ、いっとう輝く。戦士は戦わなければならない……戦う者なれば」

 

 寂しげな色を孕んだ眼と声音をどこか遠くへ投げかける叢雲。旧い記憶を思い越しているのだろうか、彼ならぬ身である祐一には察することが出来そうになかった。

 

「ああ、忘れていた。実はな、ここでおぬしと会っていることはあやつ……ヤマトタケルには知らせておらぬ。そもそも奴のことだ、(オレ)が目覚めたことすら気付いておらなんだ。故、おぬしに会い来た理由にはあやつへの意趣返しの意味もあるのだ。という訳だ……」

 

 叢雲はいたずらっぽく笑って「おぬしも内緒にしてくれ」と頼んで来た。なるほどね。祐一もイタズラに加担する悪ガキの笑みをニンマリと浮かべ頷いた。悪童のようなイイ笑顔を浮かべた二人はもう一度コップを掲げ、乾杯する。そのままぐいっと一気に呷った。指切りげんまんにも見えなくもない、男同士のお約束である。

 

 いつの間にか酒の入っていた瓶は空になっていた。これで何本目だろうか? 地面に散らばる酒瓶に呆れそうになるが、酒豪である祐一と同じくうわばみであった叢雲が止まることはなかった。寡黙な店主にも原因の一端があり、酒瓶が空になれば言葉もなく手早く次の瓶を差し出すのだ。

 叢雲の手が伸びてラグナの小さな身体をわしわしと撫でる。ラグナは嫌がらなかった。やはり叢雲には本当に敵意は無い様だ。ちょっと嫉妬が湧くのを自覚しながら祐一は思った。

 

「やっぱヤマトの兄ちゃんとは長いんだな。今さっき聞いた話しでも色んな国にも行ったって言ってたし……強い奴らとの出会いもあったんだろ?」

「知らぬ。(オレ)が戦い以外のことに興味を示したのはここ数百年ほどでな……かつては戦いにしか興味を示さず、戦いばかりにかまけて来た生粋の武辺者。赫々たる武勇を誇る剣の一党だ。多くの同胞が居た。だが友人はおらん。ヤマトタケルも兄弟の様なものとは言え、言葉を交わしたのは数えるほどしかない」

 

 ふっと息を吐いた。笑おうとして失敗した様な……そんな覇気のない仕草。

 叢雲らしくないな、なんとなく……。そう思った。目の前の人物とは今さっき会ったばかりだ。だが彼の気性は直ぐに看破していた。チンギス・ハーンやパルヴェーズ……そんな方向は違えど裏表のない竹を割った様な人物に違いないのだ。まだまだ"神殺し"となり日が浅いとは言え『鋼』と何度も刃を交え、その気性を感覚的に理解しはじめていた。

 

「ひっでぇな。俺はもう叢雲の事、友達だと思ってたのによー! 盃交わしたら友達さ! 兄弟や友達が遊ぶのに理由なんて要らないだろ!」

 

 だから祐一はそんな叢雲を見ていたくはなかった。パルヴェーズがいつの日か思い悩んでいた時の表情と酷く被っていて……ほっとけなかったのだ。祐一の言葉に、叢雲の鉄の如く厳つい面貌が驚きで歪む。少し重くなった空気が軽くなった。柔らかくなった表情を浮かべ、ぐしぐしと祐一の頭を乱暴に撫でる。

 

「ふはは! そうだな、これに懲りず付き合ってくれ───我が友よ!」

 

 ニッと口角を上げて笑い、そして叢雲は姿を消した。それが彼との出会いだった。

 




原作世界線、Ex世界線、カンピオーネス世界線、ヒューペルボレア……。シリーズが長く続くと、世界も設定もたくさん増えて二次創作楽しいですね(ガンギマリ顔)
みなさんもお暇でしたら是非書きましょ(深淵からの声)
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