光陰矢の如し。
王国に祐一が滞在する様になり、一月と少しの時間が過ぎた。祐一が剣を学び始めてもう一ヶ月ほどの月日が過ぎた、と言い換えてもいいだろう。
元々身体能力に優れ、剣のセンスもあったのかメキメキと実力を伸ばし始めた祐一。毎度毎度、「勝ぁぁつ!!」と意気込み、連敗記録を伸ばす姿があった。
そして祐一のみならず、寿もまた文字を使った呪術の習得に励んでいた。
ここで言う文字とは王国の標準語であるオガム文字だ。オガム文字はドルイド達が神聖視する自然……樹木名が基礎となっている。その事はオガム文字の綴りが樹木名ですべて当てられている事からも察せられ、イラクサ、オーク、ニワトコ……と様々だ。
文字の構成は長い縦線を軸として横線に上下や斜めの線を引く簡単な物だ。
しかし前評判に反してオガム文字を使った呪術の習得は、難解な物だった。呪術自体は石か紙にオガム文字を刻み込めばそれで簡単な呪術書が出来上がるらしいのだが、前知識である王国の言語の習得に寿は躓いていた。
寿から見れば話している言葉は日本語だが、実際に王国で使われている言葉は全くの別物で、そのギャップに喘いでいた。
テスラ曰く、王国に住む者達は現世の人間より遥かに霊的なステージは高い場所におり、知らない言語でも意図せず伝える事ができると言う。
これも呪術の奥義の一つらしく『千の言霊』と言うそうだ。祐一もまた"神殺し"に新生し霊的なステージが上昇し『千の言霊』を手に入れていたらしい。
イランの言葉やドバイの言葉が突然判ったのは、これか……。と祐一は遅れながら理解した。
そんな苦境のなかで寿は毎日ひぃひぃ喘ぎ、祐一はというとオガム文字を見た瞬間、目が滑りまくって認識すら出来なかった。
まぁそれでも寿の魔導書作りは王手を掛けていた。
○◎●
───ゴロゴロゴロ……。
ぎっしりと荷物を載せた荷車が舗装もされていないはずの道を悠々と進んでいる。車輪が回って轍のできた道を騒がしい音をかき鳴らす。
先日まで雨が降っていたのだろうか。水はけが悪いのか道はぬかるんでいて、車輪が嵌って立ち往生しそうなほどだ。それでもこの荷車は曳き手が力持ちなのか、気にする事なく進む。
大層力持ちなのだろうと曳き手を見てみれば、そこにはやはり四本脚で力強く、そして疲れた様子もなく進む獣が一匹。それも馬や牛ではない。大きさだけは馬かと見紛うほどだが、豊かな体毛と人懐っこそうな面構えは馬や牛にはないもの。
その正体は『犬』だった。それもただの犬ではない。テスラと言うドルイデスが従える動物なのだから。名を「ドゥー」と言い『女神の落し子』テスラが誇る使い魔であった。
王国じゃ、戦車を曵く馬はいるけど馬車を曵く馬は居ないってエイルが言ってたな……。
馬は荷車ではなく戦車を曵くもの。馬か牛並みのサイズになったラグナの上で、祐一はエイルから教えてもらったことを反芻していた。
祐一はエイル達と共にとある場所へ向かっていた。
とある場所、と言うのも王国と懇意にしている部族があるらしくそこへエイル一家と祐一と寿それにラグナを連れて一行は歩を進めていた。
荷車にはうず高く積み重ねられた荷物をロープでしばり、デコボコとした道でも落ちない様に固定されている。御者まがいの事をしているのはエイルでドゥーから伸びる手綱をよく操っていた。テスラはエイルの隣に腰掛け仲よさげに肩を寄せ合っている。
エオとムインはと言うといつの間にか喧嘩をおっぱじめ、結局競争だなんだと叫び一足先に目的地へ向かっていた。
こうして一家総出で出向いて居るにる事にも理由があった。何やらもう少しすれば催し物があるらしく、それに必要な品物を届けると言うのだ。同盟を組んでいる『メロウ』と言う部族は王国内でも重要な地位を占める盟友らしく、王国でも名の通ったエイルが出向かねばならないらしかった。
距離もそれほど離れておらず、半日もあれば到着すると言う。明日には帰れる、とエイル達は言っていた。
みんなで何かすんのって初めてじゃないかな……? もう一月ちょっとを過ごし、彼らとも大分打ち解けたなとふと思う。
寿はこんな時でも魔術書の作成に熱心だ。隣でガリガリペンを走らせているのを見れば分かろうというもの。進捗は良く判らないが、ここの所毎日楽しそうなのは知っていた。
辺りを見渡す。荷車がやっと通れるぬかるんだ道を背の高い草木が囲み、今にも覆いそうな勢いだ。人の手が入らなければ直ぐにでも自然の力に呑まれるだろう。
それを少し距離感の掴めない眼で見遣る。眼帯に手を当て、不便なモンだなぁ……と独り言ちる。隻眼になって一ヶ月以上が過ぎ、流石にもう眼も慣れてきた……のだがやはり違和感は拭い切れない。
この違和感がエイルとの戦いで、不利になっている事は判っているのだ。だけど、それを言い訳になんてしたくはなかった。
「おおっ、成功したぞ!」
つらつらと物思いに耽っていた祐一の耳にそんな声が聞こえた。なんだ? と後ろを振り向く。そこには喜色満面の……今にも踊り出しそうな寿の姿があった。
「なんだよ、おっちゃん」
「ゆ、祐一くん! やっと成功したんだよ、呪術が! 異界の神秘、未曾有の叡智、僕らの希望! 現世で危機に晒されている人類の反抗の狼煙になるかも知れない呪術がねっ!」
「ふーん、そんな小さいヤツが?」
彼の手に収まっている小さな紙を指差す。訝しげな祐一に、寿は全く不快感を示す事なく身振り手振りで喜びを露わにしていた。
「ちっぽけでも結構! これは僕にとっては大きな一歩さ! 現世じゃ誰も成し遂げられなかった呪術を僕は今使ってる! なんの取り柄もない僕が、だ! それもここ一ヶ月間学ぶばかりで、実践はまだまだで。やっと形になって、それでも成功しなかった呪術が成功したんだ! 喜んで当然さ!」
「へぇ……確かにそうかもな……神に祈りは届かないし、テスラも現世には呪術なんてないって言ってたし。……な、おっちゃん。よかったらさ、それ使って見せてくれよ!」
「勿論さ! ……と言っても少し風を起こすだけなんだけど……」
へぇー! と祐一が洩らし、なら俺に使ってみてくれよと祐一が好奇心に目を輝かせ、寿も快くいいよと頷いた。
準備が整ったのか、よしいくよと言う掛け声と共に寿は舌を転がし、呪文を紡ぐ。少し目を輝かせながら祐一は見守った。
「……激しき風を放つものよ! 薄明の灯火も紅蓮の業火もおまえの吐息で掻き消える。されどおまえは我が下僕、天空をゆく帆船の導き手となれ!」
仰々しい呪文とは裏腹に、その規模は小さかった。うちわで軽く扇いだ程度の風が起き、微風は祐一へ向けゆるゆると吹いていく。祐一の比較対象が『まつろわぬ神』の権能という別次元である事を加味しても余りに小さい力だった。
寿が紡いだ口訣は不可思議な力を帯びとなり、無視し得ない『何か』となって、祐一の元へと現れた。無色透明な『なにか』が全身に纏わりつこうとして───霧散した。
「───ん? おっちゃん?」
「あれ、呪術はできたはずなんだけど……どこか間違えたかな?」
二人とも訳がわからず首を傾げる。おっかしいなぁとオガム文字を刻んだ紙をひっくり返したりとつぶさに見つつ呟く寿。壊れてんじゃないの? と祐一が投げやりに言う。
「少し見せてもらえるかしら?」
どうやら祐一と寿との遣り取りを聞いていたらしいテスラが、どんな原理なのかふよふよと宙を漂い、彼らのもとへ現れた。
寿から呪具を受け取ると、目を視線を踊らせ隈なく魔導書を観察していき、そしてどれほど経った頃だろうか。おもむろにテスラは顔を上げ、祐一を見た。
「いいえ、どこも間違ってないわ……。ねぇ祐一くん、申し訳ないけれど……もう一度あなたに試していいかしら?」
「え? いいけど」
そう言うとテスラは口を動かした。声は発さなかった……否、聞こえなかったのだ。あまりにも高速で発せられた声が、声だと認識できなかったのだ。
そして紡がれた言霊が力を帯び変質し、祐一の元でやはり霧散する。繰り返すごとに威力は増し、最初は草花を揺らす程度だったものも今では後ろに植わっている大樹を揺らすほど強力になっていた。
何度繰り返しただろうか、祐一の眉にだんだんと皺がより、テスラもまたその度にふくよかな顔に皺が寄る。困った様に頬に手を当て、ため息一つ。どうやら結論が出たようだ。
「やっぱり……あなたに治癒の力が効かなかったからずっと不思議だったけれど、やっと謎が解けたわ。祐一くん、貴方は私みたいな魔術の徒と出会うのは初めてだったわね? それに……呪術も見るのも」
「え? ……うん、テスラみたいな人も呪術も初めて……かな。 あ、でも似たようなものならいっぱい見たし、相手して来たぜ」
「それは神々が振るう権能の事なのでしょう……。私達が操る戦闘魔術や呪術とはまた別次元のもの。根本か違うものなのよ」
「ふーん……」
確かに寿が使った呪術はもとよりテスラが振るう呪術も高次元にあるとはいえ、脅威だとは全く思えなかったのもの事実だった。
どうやら祐一は内包する呪力が莫大であるため、自分に放たれた人が操る魔術はもとより神々や行使する権能でさえ強い耐性を持つ、と言う規格外の肉体を持っているらしかった。
テスラが曰く、祐一に呪術を当てようとするならば神々の権能級の威力を持って来なければ行けないと言う。あらゆる呪術の類を問答無用で弾くので、以前祐一が王国にたどり着いた時に、目の治療を施そうとしたときでさえ弾いたほどだと言う。
眼帯に触れる。いよいよ自分の身体の異常性が浮き彫りになって来た。
寿の呪術が成功した事は喜ばしい事だ。けれど今の祐一は純粋に喜ぶことが出来そうになかった。
○◎●
チチチ、と鳴き声が聞こえた。立ち止まり窓の外を見遣る。……見つけた。
高空を一羽の白い鳥が飛んでいるのが見える。紫色の空に、白い羽をいっぱいに広げている姿は窓から見上げていても、よく見えた。
夕暮れ時に不釣り合いな白い鳥が空を滑空し、眼下に広がる王国の綺羅びやかな景観を目に収め、ゆらゆら飛んでいる。
眉を顰め、顎を撫でさする。
なんとなしに、気まぐれに、空を滑空する鳥を見ては思案に暮れ、幾ばくかの時間が過ぎた頃。
ふっと笑って、再び歩を進めた。
コツ、コツ、と硬質な音がひびく石造りの回廊は一見寒々しく思えるが、橙に輝く篝火とその灯りに照らされた回廊の随所に刻まれた豪奢な紋様やレリーフが寂し気な印象を一蹴させている。
回廊に刻まれた紋様にも視線を投げ、すぐに興味を失った様に視線を外し、進んでいく。
何度か角を曲がり、何度か扉を開けて進む。ここは広大無比にして複雑怪奇な場所。何も知らない者が入り込めば迷子になり途方に暮れる事必須だ。もはや迷宮に等しい。
だが彼は迷いなく、それも勝手知ったるなんとやらとばかりに歩き進んでいく。
果たして彼が目指す場所へ辿り着いた。
それは背の高い彼よりも三つ分は高く、腕一杯に広げても五つ分は大きい豪奢な扉だった。
ケルティック・ノット。
日本で言えば網代模様と呼ばれる、糸が編まれた様な模様が円を描き、扉の表面を埋め尽くしている。その模様はケルトでは永遠……調和……そんな意味を表すと言う。誰もが圧倒される芸術の粋を集めた豪奢な大扉であった。
彼はそれすら見慣れていると言わんばかりに扉に手を掛け、己の数倍はある石の扉をさほど力を込める事なく押し開けた。
ギィィ……、石と石が擦れ合う音が響き扉が開かれていく。むわり……。開かれた隙間から白い湯気と芳しい香りが現れ、鼻腔と肺腑を満たした。
扉を開き切る。
部屋のそこかしこに充満する湯気と芳香が密閉された部屋にできた唯一の出口に我先と向かっていく。
部屋の中心にはひとつの人影があった。
扉を開いた気配に気付き、立ち上がっていた人影が彼の方へゆっくりと首を振り、視線を向ける。例えるならば浮世絵の見返り美人を想起する姿。
そして、だんだんと湯気が晴れ、より一層そのシルエットが露わとなっていく。
やはり、美しい。
横から象牙の肌に栗色の流麗な髪。傍からでも判る、凛とした非の打ち所がない姿。その肢体は豹の様にしなやかで引き締まり隙がなく、ほどよく実った胸としっとりと肉の乗った腰のくびれ、肉付きの良い尻肉。
蠱惑的なパンドラの様に決して華奢ではない、成熟した女性の魅惑的な肢体がそこにはあった。
少し前まで湯船に使っていたのだろう。栗色の流麗な髪は濡れそぼり、象牙の肌は随所に赤みが現れ、彼女の持つ淫蕩さをこの上なく引き立てていた。
しかし彼女の一糸まとわぬ肢体を見れば、誰もが目をそらすだろう。──彼女の身体の至る所に見える大小様々な傷故に。
艶やかな肢体に吸い寄せられた男どもも、そちらの性癖を持たない者の情欲は萎えて消えるだろう。
その傷だらけの身体の中でも、彼女の手は特に顕著だ。嘗ては「フォークよりも重い物は持てなかっただろう」と察せられる繊手は、今では手の平も甲も、裂傷から拳ダコ、骨折、切断、数多の傷に晒され無骨で歪であった。
だが痛ましい印象はなく、勇ましさのみがあり、彼女が果てなき武術を錬磨し続けた何よりの証拠であった。
彼女の切れ長の目が、侵入者を完全に捉えた。
「淑女の柔肌を不躾にも盗み見るとは、清廉と謳われるフェルグスとは思えませんね」
ピクリとも表情を動かさず、ニニアンは流し目を送った。その言葉にヤマトタケルが顎を撫でた。
「貴方も私も、異性の裸体を見てどうこうする様な初心さなど、とうの昔に消えているでしょうに……」
「えぇ……そうでしょうとも。ですが、フェルグス。己の素肌をなんの許しもなく視姦されるというのは、不快そのものです。その事を察せられないとは、遂に耄碌しましたか?」
「手厳しいですね。ですが、それに私が返す言葉はありません」
ほう、と。そこで初めて彼女は、その花貌をヤマトタケルへ向けた。
その時にはもう彼は目の前に居た。
ああ、もうそんな時期でしたか。ニニアンは思い至った。
鼻先が当たりそうな距離。線が細くとも、二M近い身長で素晴らしい体躯を誇る彼は、178cmと女性でも高身長に入る部類の彼女であっても見上げなければならない。
首を上げて、胡乱な瞳を向ける。色素の薄い紫の瞳は、例え『まつろわぬ神』であっても強い眼差しを向けていた。
ぱさり……と衣擦れの音と共に布地が床に落ちる音が響く。彼もまた一糸まとわぬ姿となったのだ。妖艶さと勇ましさを両立させた黄金律の肉体美。八つに割れた腹筋、大胸筋も巌の如し。
まるで限界まで打ち、鍛え上げられた刀身の様相を呈していた。
彼がまた近づく。
彼の八つに割れた腹部と、彼女の引き締まった腹部が重なる。鋼の如く鍛え上げられたふとももを、彼女の形の良いふとももへ差し挿れる。
「ん……」と。
耐え切れなくなった彼女が膝裏から上下にシャープに伸びる脚を崩し、彼へ縋り付いた。
また腹部と腹部が重なり合いって密着し、触れ合う面積が増えていく。腕を付く様に倒れ込み、けれどそれを彼は由としなかった。
ふとももに込める力が増し堪らなくなった彼女が更に深く倒れ込む。お椀型の張りのある乳房が潰れ、身体の外側へ乳肉がはみ出る。上から見下ろす彼からは彼女のきゅっと引き締まり肉付きの良い臀部がよく見えた。
いつもは気丈な彼女のたまらない姿に、彼は肩を揺らして笑い、彼女は耐えかねる様に非難の視線を向けていた。
ふと今まで部屋で傅いていた者達が、遠ざかる気配を感じる。これから始まる事は既知の事なのだ。
彼は『鋼』だ。しかも『最源流』と言う看板も背負っている程の。
『鋼』は英雄そのもの、そして英雄は戦いでこそいっとう輝く。しかし今の王国は平和だ。確かに王国周辺に蔓延る魔物達と争っているが、『まつろわぬ神』である彼が出向くまでもない。
これでは『鋼』としてのヤマトタケルは薄れていくばかりであった。とは申せ、彼もまた『まつろわぬ神』であり、例え万の月日が流れようとも微々たるものなのだが……。
しかし、それを彼は由としなかった。己が己でなくなるのは、ひどく厭う事なのだ。されど『まつろわぬ神』とって、それは至極当然の事でもある。
故に、地母神の忘れ形見とも言える『神祖』を征服し『鋼』の神性を高めるという手段を講じ、己の神性の保証を行っていたのだ。そして『まつろわぬ神』ヤマトタケルは『神祖』ニニアンに頼っていた。これも彼と彼女が結んだ契約のひとつだった。
「貴方も物好きですね。私の様な醜い『神祖』でなくとも他を当たれば、よいでしょう」
「言ったでしょう? 女姓の裸身を見たとて取り乱す事はありません」
それに、と彼は続けた。訝しげに視線を送る。
「私の猛りを抑える事ができる頑丈な『神祖』なぞ、貴方くらいしかいませんからね」
そうですか。言葉はそれだけだった。
それだけで、十分だった。
○◎●
「口はいけません」
近づく秀麗な美貌に手を当て、押し返す。事が終われば、いつもこうだ。
寝椅子でうつ伏せになり枕に突伏くす形になっているニニアンと、それを横から寝っ転がりキスをねだるヤマトタケルの姿があった。夕刻より夜が明けるまで何度も求めていたと言うのにまだ足りない様だ。
稚気に溢れた……いや、意外と性格の悪い彼は好き放題にその艶やかな肢体を嬲り、気位の高い彼女を辱め、褥を共にする事を楽しんでいた。
『神祖』として新生した者として、大望を叶える者として、汚れた物に手を出す事もあった。女の武器も用いて、当然清いままでいられる筈もない。
何度か身体を許した事はあったが、何十、何百も身体を許した者は居なかった。……この目の前の男を除いて。
醜い身体を持つ者でも見境なく嬲るのが趣味なのだ、この男は。ニニアンは胸中で毒づく。
「それ以上の事をいくらでもしているでしょうに……」
女心と秋の空、幾つになっても分からないものです……。彼は顎を撫で、少し呆れを含んだ表情を浮かべた。
その言葉にキッと視線を向け、釘を刺す。
「勘違いしない事です、フェルグス。この心は、この唇は、あの方ただ一人のもの。私が貴方に身体を許してはいるのも、盟友と言う関係を築いているのも、その目的の為。でなければこの様な破廉恥な振る舞いをする筈がありません」
「そうでしょうか? 私には貴方も楽しんでいる様に見えましたが」
近づいて来る事を気取らせない静かな動きで手を伸ばし、彼女の柔らかな頬を手を当て、クッとこちらへ顔を向ける。
彼の言う通り今の彼女は色香に溢れていた。白皙の肌はしっとりとした汗に濡れ、赤らんで色香が増し、吐き出す息は自制せねば荒い物が出てしまう。常に冷徹な瞳は、今ばかりは陶然とし些かの熱を帯びていた。
己の状態を今更ながら自覚したようで、目をそらし、口をきゅっと引き結んで黙り込んでしまった。
その姿に頬を緩め、どこか気怠げな感覚を覚えながらも立ち上がる。二人が寝ていた寝椅子近くに置いてある、エナメルの水差しを取って一気に呷る。
長く交じり合いもう明け方に近いのか、紫紺の空が白みはじめ、明度が増している。この領域に太陽なんてものはないが、星々の煌めきが光に隠れ、紫紺の世界に明度が増す今こそが朝なのだ。
部屋に唯一ある丸窓から払暁の様子は見て取れた。
「……王国の近状はどうですか」
振り向けば片手で前だけを毛布で隠し、身だしなみを整えながら、こちらを見ている彼女の姿があった。
「……ここの所、招聘の儀に多くの意識を割いていました。その間、貴方達に任せ切りになっていましたので」
「フフ、なんら変わりはありませんよ……。王国の治世に揺るぎはありません。周辺の魔物達も戦士の盾と天高き城壁と言う双璧に守られています。メロウや他の領域との交流も変わりなく良好。先の懸念事項であった飢饉の予兆もドルイド達の手によって豊作に転じました。
……王国の民は良くやっています。どうでしょう……貴方からも少しばかり労を労っては?」
「なるほど、民も良き働きをしているようですね。……いいでしょう、貴方の奏上を受け容れます。───二週間後のサウィンにて王国の蔵を開きます。それを以て民への慰労としましょう」
頷き、ふっと一息入れる。寝椅子に近づいて、片手に持っていたエナメルの水差しをニニアンに差し出す。
素直に受け取った彼女は口を付ける事なく、水面に映し出された自分を眺めていた。ゆらゆら、と水鏡に映る花貌が揺れる。
「あの者は……。……あの"神殺し"はどうなりましたか?」
「"神殺し"……ああ、祐一殿ですか。……そうですね、壮健のようで毎日王国中を駆け回っていますよ」
「……」
「ふふ……。エイルに剣術を習う傍ら、王城近くの厩舎にも何度か現れては風土を学び馬を駆っていますよ」
「王城へ?」
「おや、気付きませんでしたか? ……まぁ、無理もありません。私も彼と深く言葉を交わすまでは天災の化身と思っていましたが……どうやら彼は我々が以前予測していた様な、道理を弁えない無頼の徒ではありませんでした」
「故に私に知らせなかった、と?」
「ええ、まぁ……。ですが私も彼が暴れるようなら刃を抜く心算でした。結局、その必要はなかったのですが」
そうですか。小さく粒やいて、目をそらす。
「ではフェルグス。現状で彼をこちら側へ引き込めそうですか?」
「如何様にも。彼はだいぶこの王国に馴染んでいる様だ。エイルに剣術で勝つ事に躍起になっていますので……ふふ、エイルも良くやっていますよ。私が声を掛けるまでもなく祐一殿の世話を焼いている。意図せず彼から親愛の情を勝ち取ったようです」
「……」
「どうでしょう、ニニアン殿。彼の性根は見えました。おそらく謁見したとしても、不埒な行いなどしないと保証します。───謁見なされては?」
瞑目し、沈思黙考する。
「いいでしょう。彼の者が真に利を齎すと言うのなら、かの羅刹の化身と相まみえる事としましょう。サウィンにオイナハ……これから忙しい時期となる故、近日中には謁見します……」
───その時は『神祖』として相応しい装いで臨まなければいけませんね。
その瞬間、ヤマトタケルの美貌が引き攣った。