明朝。燦然と輝いていた星の瞬きも紫紺の空に隠れ、紅玉の浮かばない朝が訪れる。
夜が開ける頃に王国も目覚め、祐一もまた同じく夢から覚めていた。今日もまた変な夢見たなぁ……。起き上がり、くしくしと顔を撫でながら独り言ちる。
新生してから偶に、ではあるが変な夢を見る様になっている自分に少しモヤモヤとした物を感じている祐一。夢の内容も毎度同じく灰雪の舞い散る大地を歩いている自分だ。
なにかあるのか……? そう顎に手を当て沈思黙考しても答えなんて出るはずもない。
すぐに思考を切って、ベットから飛び降り眠っていたラグナを抱えて居間へ向かい、ドアに手をかけ居間へ入る。
「おはよう!」
──ルオ!
そう声を掛ければ、席に腰掛けたみんながこちらを向いた。どうやらだいぶ遅い到着だったみたいだ。
「おう、おはよう。祐一」
「おせーぞ、祐一」
「やっと起きたんだね、おはよう祐一くん」
「あら、おはよう」
四者四様の挨拶に笑って手を振りながら、席に付く。
今日もテスラが用意してくれた料理をパクつきながら、一日の日程を話し合う。どうやら今日もエオとムインに付き合って闘技場に向かう事になりそうだ。
その隣では寿とテスラが同じ様に話をしている。寿もテスラから呪術を学ぶようで、また呪術書について学ぶらしい。
明日はもっと有用な物を習得するんだ、と昨日の晩に目をキラキラ光らせながら意気込んでいた。
テスラもまた辣腕を振るい、寿に呪術を教授していた。呪術……戦闘魔術を使わなくなって久しい彼女だが、女神の加護厚い彼女は才気縦横。未だ呪術の門を叩いて等しい寿であっても、遙か高みと言う物を見せ付けていた。
本能よりの三人の真面目な話はすぐさま終わり、すぐに駄弁りに移った。
「もうすぐ”サウィン”の時期かぁ……」
ふとムインが頬杖を付きながらどこかぼんやりと思いを馳せるようにに言う。ん? と小首をかしげ、不思議そうに尋ねる祐一。
「サウィン?」
「あん? ……あー、ユーイチは知らないか。毎年この時期になると季節祭が行われるのさ」
「季節祭……──お祭りか!」
エオが引き継いだ。
「そ、俺たちは毎年四つの季節毎に祭りを行うんだ。『サウィン』は新年のはじまりと冬のついたち。『インボルク』は春のついたち。『ベルティネ』は夏のついたち。ルーナサは『秋のついたち』って感じでな」
「ふーん……。てか、冬が先なんだなー。俺達の故郷は春からだからなんか変な感じ」
「あら、そうなの? 私達の考えではね、最初は死から始まるの。……闇から光へ。飢えと死が蔓延る冬から豊穣と生の息づく夏へ。そんな風に世界は循環して、時の流れとともに反転し、再生する。それが私たちの考えがあるのよ」
「???」
「祐一くん、これってケルトの生命の循環的思想の現れでね、生よりも強い死から再生する……そんな「死からの勝利」を現しているんだ。ケルトの神話にも好例があってね、ダーナ神族のダグザって言う神様の持つ棍棒は、片方が死を与えて片方で再生する。『破壊のあとに創造は現れる』事を示しているのさ」
「うん、もっとわかんね!」
エオが少し苦笑いしながら、スプーンを持ち上げゆらゆら揺らす。
「ま、祭りがあるって事だよ」
「色んな奴らが集まってくるから、騒がしい王国の喧騒ももっと賑やかになるぜ!」
どこか修学旅行前の学生にも似たテンションでムインが拳をつきだす。そう言われて、ふと掘り返してみた記憶の中には少しだけ答えはあった。
「……そう言えば、あんまり見た事ない人達が沢山いたな。メロウ達も沢山いたし……、人間じゃなさそうな奴もかなり居たっけ?」
「ああ、俺たちを奉ずる部族や同盟を組んでる部族がこの時期になるとこぞってやって来るのさ」
「ふーん……なんでまた?」
朝から尋ねる事しかしてないんじゃね? そんな疑問がなんとなく胸をよぎる。
「サウィンはあの世とこの世の壁が取り払われ、死者がこの世に戻って来る日。だから各部族が集まって追悼する式が開かれたり、折角集まるのだから新年に向けて今年の問題は今年中にさっぱり終わらせてしまいましょう……。そんな目的があるのよ。
私達はこの部族の大集会をオイナハと呼んでいるわ」
「サウィンはたぶん、僕たちでいうお盆みたいな感じだね」
「みんな集まっからよ、そこで各部族から我こそは! って言う奴らを集めた武闘会もあるんだ。毎年この時期になると闘技場は戦士達で一杯になるんだぜ〜」
「叔父貴もそれで朝早くから出てってるしなぁ」
どうやらエイルの姿が見えないのはそう言う理由があったらしい。やはり王国でも上位の戦士、いつも修行を付けてくれるが、実際のところ想像よりも遥かに多忙なのだろう。
「うし、飯も食ったし行くか!」
「おっしゃ!」
エオとムインが駆け出し、祐一もそれに習う様に席を立った。
「ごっそさん! いってきまーす!」
「忙しないわねぇ。はい、行ってらっしゃい」
「怪我しないようにね」
──ルオ。
「おう、任せとけ!」
外で寛いでいたドゥーをひと撫でして先を行っていた二人に追い付き並んで歩く。街も微睡みから醒めたように喧騒が時を追うごとに大きくなっていく。身長が高く足も長い二人だ。普通に歩けば距離が離れてしまうから、少しだけ早足だ。追いついた祐一を見やり、突然、ムインがサッと前に出て、祐一に拳を突きだす。
「今日はお前に勝ってやるぞ! ユーイチ!」
ニヤリと不敵に笑うムインに、ドヤ顔を返す祐一。
「ヘヘ、やれるモンならやってみろよ!」
「んじゃ、勝った方が俺の相手だな。ま、結果は見えてるが……」
「あー! ひでぇぞ、兄貴!!」
ムインが口を尖らせ、エオが飄々と受け流す。
「おいおい、俺は何も言ってないぜ? 結果は見えてるってしか、な」
「ぐぅッ……! やっぱ兄貴には口じゃ勝てねえのか……!」
「バカ、勝負もだろ? 兄より優れた弟なんざいねーンだよ」
「あはは」
二人のやり取りを眺めながら、なんとなく故郷の友人達を思い返す。緩んでいた口元を引き締め、吊り上げる。
ふとそこで気付いた事があった事を思い至った。
「そういや、王国の戦士たちあんなに鍛えてるのには訳があったんだな。ヤケに熱心だから前から不思議だったんだ」
「おう、だけどそれだけじゃねぇ。もう一つ目的があるのさ……俺たちが鍛えての事には。な、ムイン?」
「あぁ? なんで鍛えてるのかって、そりゃあ…………なんでだろうな?」
「ムイン……」
「えぇ……」
「だぁー! もう、うっせぇうっせぇ! ドわすれしただけだっツーの!」
呆れた様な二つの視線に癇癪を起こすムイン。エオが肩を竦め、人差し指を空へ突き立てた。
「ま、あれだ。サウィンは戦いの始まりなんだよ」
「戦い?」
「姐御が言ってたろ? あの世とこの世の壁が取り払われ死者が現れるってさ。あれ、マジなんだぜ」
「え?」
「王国に城壁があるだろ? あれが冬になると蜃気楼みたいに希薄になっちまうんだよ。存在はしているけど、魔物達が現れれば坑し切れなくなるんだ」
「は。う、嘘だろ? あんな高い城壁が!?」
「ホントさ。それが此処の法則みたいなものなんだって姐御が言ってたぜ。ま、一年の殆どを守ってくれるんだから感謝しかなけどな。そして今度は俺たちが真の意味で盾となり矛となり壁となるのさ」
「大丈夫……なのか? 俺も皆の力を疑う訳じゃないけど……外にいた魔物は万じゃ効かない数だったぞ……それこそ地面を覆い尽くすくらいにはいたはずだ」
眉を顰め訝しげに尋ねる。答えたのは復帰したムインだった。
「へへ、大丈夫だってユーイチ! この時期に敵も増えるが助っ人も現れるのさ!」
「助っ人?」
「そう。姐御が言ってたろ死者がこの世に戻って来るって。……ホントに現れるのさ! ──死者が! そう、嘗ての相棒が! 誇り高き先祖が! 愛すべき戦友が!
それもサウィンの時だけじゃない。インボルグの時まで、共に在って、共に戦う。闇の半年を生き抜く力を与えてくれる!」
手を一杯に広げ、大きく胸を張る若人。
瞳は強い意志に燃え、まさに一廉の戦士であった。
「隣の戦友が為! 己が誇りの為! 偉大なる勝利の為! そして王国を統べるニニアン様の為! 決意、栄光、死、同胞、英霊! 全てを背負い、全てを賭けて俺たちは戦う! だから俺たちは毎年……いや、いつ何時! 武器を取り、死を恐れる事なく進めるんだ!」
まるで遥か遠方の言葉を聞いているかのように、とても現実味のない言葉の羅列。だが──
「戦友の為……」
「そうさ! ──戦士よ戦え! 戦士よ戦え! 我らは戦う者なれば!」
ムインがニカリと笑う。──その言葉は己が胸に響き、脳漿を揺さぶり、海馬に刻みつけられた事が、はっきりと自覚出来た。
ムインはおそらくこの三人の中では、武勇が拙いのだろう。けれどもその胸に秘めたる想いは、戦士としての覚悟は、悩んでばかりで指針の無い自分よりも遥かに上を行っていた。
それが祐一にはどうしようもなく眩しくって仕方がなかった。
「───おや、祐一殿。こんな所に居ましたか」
凛とし玲瓏さを孕んだ声が、三人の耳朶を打った。
ムインが今さっきまで浮かべていた不敵な笑みをかなぐり捨て、驚愕を撒き散らした顔でグルンッと振り返った。
遅れてエオと祐一の二人も振り返る。
やはり声の主は彼……ヤマトタケルだった。神采英抜とした風貌を春風駘蕩とした笑みで彩り、髪を靡かせ歩いて来ている。
どれほど気楽な姿であろうとも、その覇気と神気は隠せるものではない。
「あ、ああ……ふぇ! フェルるるるるる……──あ゛っ……」
「ムイン? ……おい、ムイン!? そっちに行くな、戻って来い!!」
咄嗟に跪こうとしたエオだったが、隣の弟に意識を割く事になった。倒れ込んで白目剥き、泡を吹いていれば流石に放っては置けなかった。
祐一は突然のヤマトタケルの登場に目を剝いたがすぐに
「よ! ヤマトの兄ちゃん!」
右手を上げ、返事を返した。その瞬間、白目を剥いていたムインがカッと目を見開き、一瞬で立ち上がった。
「お、お、お」
「ムイン?」
「おまえおまえおまえおまえおまえおまえおまえおまえおまえおまえおまえおまえぇぇ!!!」
「落ち着けよ……」
ギョッとしたムインが、祐一に詰め寄って襟首を掴んでガクガクと揺らし、エオが呆れた様に零した。
「ふふ、賑やかですね」
「あ゛っあ゛っ! ふぇ゛フェルグス様!! 貴殿の御前にてこのような非礼、汗顔の極み! ですが、この度は拝謁の栄を賜り、このムイン! 格別のご厚情をいただいた思いでございます───ッ! この度は……」
「なんか始まったぞ」
「あれはもう俺達のこと見えてないな」
「だ、な……」
「フェルグス様とは何度も会ってるのになぁ……。近くにあの方が現れるとすぐにアレだ」
ぴょんぴょんと荒ぶる厶インの後ろでヒソヒソと囁く、祐一とエオ。幾ばくか時間が過ぎムインに向け何言かを言い放ち、微笑んだヤマトタケル。
それを受けた瞬間、後ろに倒れ込み昇天したムインの姿があった。
ムインを一発でノックダウンさせたヤマトタケルがこちらへそのままの笑みで歩いて来た。
「壮健そうですね、祐一殿」
「おう、ヤマト兄ちゃんも変わりないみたいだな」
立ち止まり、互いに笑い合ながら……おかしなものだ。笑みとともに思う。
以前、邂逅した当初なら彼の笑みは癪に障る……どこか気に入らないものでしかなかった。しかし今はまったく別。戦意の感じ取れない……それどころか親愛の情すら感じ取れる笑みに、少しずつ少しずつほぐされていったのかも知れない。
もはや二人の間には敵意も蔑む様な色は少しも含まれてはいなかった。対等……いや、認め合った戦士と戦士の姿に違いない。祐一は強い意志を籠めた視線で、頭二つ分は高いヤマトタケルを見上げていた。
「どうしたんだよ、ヤマトの兄ちゃん」
「祐一殿。貴方はこの王国に逗留し、どれほどの時間が流れたのでしょうか?」
「時間……? たぶん……一月ちょっとだったと思うけど……それがどうかしたのか?」
「ふふ。永生の身である私にはそれが長い時間なのか短い時間なのか、些か計りかねますが……ですが、貴方は王国に随分と馴染んだ様子」
「あー……そうかな? 確かに戦士とは毎日、戦ってるけどそんなに馴染んだとは思えないぞ……?」
「ふふ。王国にて戦功を樹てていないとは貴方は比類なき武勇を魅せました。私と対等に戦うと言う武勇を、戦士達との仕合での覚悟を、弛まぬ研鑽を積む意志を。
ご安心なさい。貴方は名誉ある戦士だ、そして王国の者達に愛され認められています。胸を張りなさい」
「あ、ありがとう……」
「そして、貴方はとある御方から招聘されました。私が貴方の前に現れたのも、その為……」
ヤマトタケルが一端そこで言葉を切り、祐一を見据えた。そこにあるのは戦士の眼光。思わず生唾を嚥下する。
「聖旨である。"神殺し"木下祐一。王国の首領たるニニアンがお呼びです。──御登城、願えますかな?」
答えなど求めていない……有無を言わせぬ、問い。
腑抜けていた気持ちを叩き直し、眼光を鋭い物へ。グッと表情を引き締める。
祐一はただ静かに頷いた。
○◎●
質実剛健にして堅牢無比。
それが初めて王城を訪れた率直な感想だった。エイルと共に外側から見る城は塔を束ねた集合体にも見えたが、とんでもない。これは塔ではなく櫓なのだ。
見上げるほど高く、石を敷き詰めた円柱状の櫓が何十と寄り集まり砦と言う範疇を越え、質実剛健な城へと至っていた。
砦の至る所に丸窓が見え、そこから屈強な兵士達が覗く。あまり見ない顔だ。無駄に良い視力で彼らのふと見える容貌を捉えた時、気付いた。
己が知る王国の戦士達は、闘技場で出会った者ばかりだ。だが、今見える者達は見掛けない顔ばかり。
おそらく闘技場で研鑽する者たちとは、根っから別の人種なのだろう。なんと言うか規律や気品を感じるのだ、彼らからは。
闘技場の戦士は良く言えば豪放磊落、悪く言えば粗野粗暴。喧嘩どころか殺し合いのない日はなく、だが、確執も蟠りもすぐさま消えてしまう戦士達だ。
王国を統べるニニアンに最も近くで侍る戦士達。侍従武官とも言うべき、市井から戦士として生まれ、時には城壁の外へ繰り出す戦士とは一線を画す者たちなのだろう。
そこに少しだけ疎外感を覚えてしまう。
エイルは確かに上位に位置する戦士である事に間違いない。しかし彼は元々市井の生まれと言っていた。そして同じ境遇の戦士を統率する立場に居るのだろう。
この二月の間寝食を共にし、気付く事は簡単だった。
やがて城門が現れた。
その威容に思わず目を見張る。ただひたすらに大きい……なんとか視界に収まった城門を見遣る。莫大な鉄を用いて鍛造された城門は、巨大な人狼の姿をしていたチンギス・ハーンも潜れる大きさなんじゃないか……? と、そう思えてならなかった。
───かいもーん!
威勢の良い声。祐一とヤマトタケルが現れた事に気付いていたのだろう。こちらが何かアクションを起こす事なく、城門周辺から人の気配が動くのを感じた。
城門を潜り、中へ入る。
室内に入ったからだろうか? 外よりもずっと暗い空間が祐一を待ち受けていた。確かに篝火が焚かれ、幾らかは明るさが確保されていると言うのに、底の知れない何かの懐へ入った様な感覚を覚えた。
ふと寒さを覚えた。言い知れない……拭い切れない寒さ。
頭を振って、前を見る。ヤマトタケルがこちらを見ていた様な気がした。
前を進むヤマトタケルに先導され、付いて行く。彼の足取りに迷いはなく複雑な迷宮にも思える城であっても迷いはなかった。
彼が進み、扉に控えていた戦士達が一礼と共に開く。この動作をいくつ繰り返しただろうか? もう何度目になるのか、方角がどちらなのか、ここがどこなのか、祐一には検討も付きそうになかった。
やがて石の回廊に辿り着いた。
また、寒さを覚えた。回廊には等間隔に火が焚かれ、熱さすら感じ取れる。熱が籠もらない様にするためだろう、窓もまた等間隔に作られ外の景色が見える。
だと言うのに背筋を蚯蚓が這い回る様な気色の悪い寒さを感じて仕方がない。
『おぬしはその人外魔境に足を踏み入れている事を自覚すべきだ』
脳裏にリフレインする声。緩んでいるつもりはなかった表情を更に引き締め、眼帯で覆った目に触れる。
「───ご安心なさい」
見上げる高さの、広い背中。彼はこちらを見る事はなかったが、ただ一言だけ静かに語り掛けて来た。そしてそれ以上の言葉を彼は口にしなかった。
だが十分だった。
今まで心に吹いていた寒風はどこかへ消えてしまった。
移り気だった視線が一所に集まる。
年の離れた兄がいれば、この人みたいだったのかも知れない。ふと、そんな考えが脳裏を掠め、おかしくなって口元が緩む。
王国に辿り着く前であれば考えられなかっただろうな、と頬を掻きながら思う。義母からは「仇敵同士」だと言う『まつろわぬ神』……ウルスラグナ、チンギス・ハーン……他の二柱とも友誼を交わしたがそれは完全な『神』として、ではなかった。確かに目の前の『神』と命の遣り取りはしたが、今はこんなにも近くに居る。それがおかしくなくて何だと言うのだ。
そんなことを考えながら、どれくらい歩き進めた頃だろうか。
かつん。かつん。二つの足音が回廊に響く。反響する硬質な音は歩を進める毎に増し、何処かへ近付いている事に気付いた。
そうして幾ばくかの時間が過ぎ、遂にとある場所へ辿り着いた。そこもやはり門だった。しかし今まで通って来た物とは一線を画す、威容。金色の綺羅びやかなレリーフに豪奢な紋様。が刻まれここに寿が居ればケルティック・ノットと気づいたかも知れない。
───謁見の間。
王国の主たる聖女に拝謁が叶う場所だ。巨大な門の前には金髪にマントを羽織り、赤い衣装に身を包んだ戦士が居た。
「エイル」
「おや、お着きになられましたか。ですが暫くお待ち下さい、フェルグス殿。扉が開けば、呼び出しがありますので、それからになります。……祐一と少しよろしいでしょうか?」
「構いませんよ」
ヤマトタケルが微笑み、エイルが頷く。
「祐一、緊張していると思うがよく聞け。お前がこれから謁見なさる御方はこの王国を統べるニニアン様だ。それはわかるな?」
「ああ……。でも、俺はこんな畏まった場所のやり方なんて知らないぞ? 歩いてって頭下げりゃ良いのか?」
「焦るな、今から説明する。扉が開けば、声が掛かる。それに従い中には入れ。道はフェルグス様に着いていけばそれでいい。それでもわからなかったら、床に描いてる線に沿って進め」
「うん」
「中に入り進んだら、フェルグス様の二歩後ろで立ち止まり、片膝をついて頭を下げろ。歩く時、決して顔を上げるな。声が掛かるまで顔を上げる事も、直答も許されん。これさえ守っていれば良い。
……祐一、私はここまでしか着いて行けないが、粗相の無いようにな? 本当にな? 頼むぞ?」
「う、うん」
そう念押しされたら不安になって来る。祐一は挙動不審になりながらも、自信なさ気に頷いた。
手持ち無沙汰に待っていながら祐一は、そう言えばと何かに気付いた様な顔を作った。
「なぁ、エイル。ニニアンってどんな人なんだ?」
「……先日、王城周辺を訪れた時に教えなかったか?」
「や、王国を作った人ってのは聞いてるけど、性格とかあんまり知らないなーって」
「む、そうだったか」
思案する様に撫で付けた髭を弄ぶエイル。
「とは言っても私も数える程しか拝謁した事は無い。余り表に出られない御方なのだ。おそらく私よりもテスラの方が詳しいだろう、テスラはニニアン様に時代を担うドルイドとして目を掛けられて居たからな」
「へぇ……テスラが……」
「そんな御方がお前に会う、と言い出した時は驚いたものだ。それも明朝直ぐに、だ。突飛な事をなさる御方はではあるが、常では見られない事。一体どういう事やら……」
そう言うエイルだったが、彼の視線はこちらでは無く少し離れた所でしたよ佇むヤマトタケルに向いている。
スッと目をそらす動作が見え、堪らずエイルと苦笑いする。
「基本的に全てにおいて無関心を貫く御方だ。王国を建国なされたとは言え形が固まれば王国の治世も側近の者達に任せ、ニニアン様は呪術の研鑽や大願成就に心血を注がれている。性格は下々の者でも丁寧だが、人使いは荒いな。……ふふ、フェルグス様も良く尻に敷かれているのだ」
「──エイル?」
「おっと、失敬」
「あはは」
緊張何処かへ消えてしまった。いや、緊張感はあるのだが無駄に力んでいたものがフッと抜けたと表した方が良いだろうか。
女王ニニアン。
王国に逗留し何度も聞いた名前だ。そして、どうやらこれから会う人物はどうも人使いが荒いらしい。王国に住まわせて貰ってる以上、何か頼み事されるかもな。そんな思考がよぎる。
コンコン、とノックする音が聞こえた。合図だ。
ネクタイの位置を正し、気持ちを切り替える。
「一つだけ、気を付けておいてください」
「え?」
唐突に声を掛けられた。
「ニニアン殿は、……なんと言いましょうか……現世の人間であるあなたから見れば、些か特殊なおすがたをしていらっしゃる……と言う事を心に留め置いて下さい」
彼にしては歯切れの悪い言葉だった。それに意識を割くより早く、扉が開かれた。
それと同時に感じたのは、香炉が焚かれたような香りだった。鼻腔を通り肺腑へと染み渡る香りは、どこか甘く痺れさえ感じさせ、一瞬、意識を曖昧にさせた。
いけない。頭を振って元に戻す。
自慢するわけではないが元々鼻が良いのだ。草木の匂いは好きだなのだが、香水の香りを嗅ぐとどうも、ダメだ。
鼻を抑えたい衝動に封をして、頭を下げヤマトタケルに着いていく。
かつん。かつん。
扉の中も薄暗く薫香が漂う空間は、いっそ妖しげだった。頭を下げていてよかったかも知れない、真っ直ぐ毅然と立っている事は難しかっただろう。
横目に見える物も、視線を奪うものばかりだった。壁面は元より等間隔に並ぶ円柱さえも綺羅びやかな意匠を施されている。
その意匠も独特だ。柱の一つひとつに人頭が彫られ、それと並ぶ様に旗が配置され、各部族の旗と首領の顔だったものを模したのだろう。
「人頭崇拝」とも言うべき思想が彼らにはあるのだという。 頭蓋に金箔を施したり呪具や祭具とする事もあれば、ウェールズの伝承を編纂した「マビノギオン」にも首を切り落とそうと喋り続けると言う伝承があったのが好例だ。彼らには霊魂は不死であり、首級にその霊魂が宿ると言う考えがあったのだ。
頭部には、霊魂または生命力の宿る座であると言う考えが彼らにはあるのだ。
脳がピリピリする。この空間に入ってから、今まで押さえていた蓋が外された様な……そんな感覚。
頭痛は一歩一歩進むごとに、ひどくなっていく。
──ざぁぁ……どこかから湖音が聞こえてくる。ひどく懐かしい水音。
漏れ出るように知識もまた得られるが、割りに合わない。
得た知識と今見える景色とが相まって、ひたすらに不気味な物にしか映らなかった。薄暗く陰々とした空間に、並ぶいくつもの人頭に寒気を感じて仕方がない。
ヤマトタケルが立ち止まり片膝をついた。
目移りしていた祐一も慌てて倣う様に片膝をついて頭を下げる。
静寂が場を支配した。
ピンと張り詰めた空間で、誰もが待っているのだ。おそらく顔を上げれば目の間に控えているであろう統治者の言葉を。
ぴりり、と。唐突におかしな感覚を覚え、思わず顔を上げそうになった。なんとか意志を注ぎ込み、抑える事に成功する。
視線だ。直感だが、思い至った。全身を舐める様な視線を感じているのだ。それが二つ。一つは恐らくニニアンとだろう当たりを付け、もう一つがニニアンの横に感じる気配なのだろう。
あまり気分の良いものではないな、と頭を下げながら眉を顰める。
「直答、を、許す」
嗄れた声が鼓膜を撫でた。老人の声だ。ヤマトタケルの動く気配を感じ、彼が恭しく挨拶の言葉を述べる。
「お待たせ致しました、ニニアン殿。"神殺し"木下祐一殿をお連れしました」
「──よろしい。顔を上げなさい」
玲瓏な声が響いた。聞き惚れてしまうほど嫋やかで、しかし強い芯のある凛とした声。
一度だけ聞いた事がある声。あの時はその声に当てられ、戦いで盲目的になっていた意識が鮮明になった。多分。あの声を聞かなければそのまま死闘を演じていただろう事はなんとなく思い至った。
声に従い、顔を上げる。
────唐突だが木下祐一と言う少年は女性が『苦手』である。
幼少の頃から遊んでいた友人は男ばかりで、異性との関わりや接触が悲しいまでになかったのだ。パンドラと初めてあった時を思い起こせば一目瞭然である。
ともあれ、パンドラとは蟠りはなくなっていたし、普通に会話する程度であれば問題はない。だが、根っこの部分では女性は苦手な少年だった───。
顔を上げ玉座に座している人物を目に収めようとした瞬間だった。激しい負荷が脳を襲ったのは。バチバチと音が聞こえそうなほど。
───とある女の姿が視えた。湖畔にて静かに佇む乙女。
だが同時に、違和感も覚えた。
幻視でふらつき脳裏にこびり付いた拭える筈もなく……そして現実で見える女王ニニアンを見て──
「───キャァァァァァアアアアアアッッッ!!!」
絹を裂くような悲鳴が響いた。
ニニアンは蛇だった。しかも下半身はだけ鱗の──半身半蛇。
そう、女王ニニアンの真の姿はラミアだったのだ。完全な化け物……これまでむくつけき
陰鬱とした空間に似つかわしくない甲高い幼い少女が上げる様な声は、篝火を揺らし、場に居る人外の者達すら驚愕する。そして。
──どさ。
不気味な空間+謎の乙女+幻視のコンボを一気に味わった彼の胸中は如何ばかりか。脳の許容限界を一瞬にして超えた祐一は、白目を剥いて前のめりに倒れてしまった。
誰も予測し得なかった事態。
神殺しの戦士がただ女性の姿を見ただけで気を失うとは───!
再び静寂のみが、残された。誰も声を発しなかった。発せる訳もなかった。
「……流石『神祖』ニニアン殿。戦わずして勝利を得るとは見事。いやはや、畏敬の念が絶えませんな」
顔を俯かせ肩を揺らし、瞑目したヤマトタケルがそんな事を放つ。怒気を孕んだニニアンが睨んだ瞬間には、……彼の姿は影も形もなかった。