暗闇がこちらを覗いていた。
壁に焚かれた篝火はカランと物悲しい音をたて、役目を終えた炭へと変わる。陰々とした回廊に木霊する声と深い闇が覗く空間で、闇より暗い影法師が二つ。
杖を生白き手で握り締め黄ばんだ歯を覗かせる老人と、神采英抜とした玉顔を鉄面皮で覆った青年だ。誰であろう『まつろわぬ神』ヤマトタケルと、ニニアンに侍る老人──
「貴様、判っておるのか──?」
「ええ、判っていますとも。あの者がこの王国に災いを齎す者である事は」
「──ならば、何故だ」
「以前、謁見の間にて申した筈ですが?
杖を握り締めている枯木じみた手が白く染まる。ぶるぶると小刻みに揺れ動く。白濁とした眼球をギョロリと動かし鋭い眼光を向ける。
「ふぅぅ!我が、真名を!粗雑につぶやくことはならずッ!」
「くく、まあそう猛らずとも。それに私が彼の手綱を握ってさえいればこの王国に災いを齎す事は無い。そして彼が我らと共にあれば……ふふ、必ずや利を齎すでしょう」
嘲弄じみた言葉。女王ニニアンであればため息と共に、切って捨てただろう。しかし眼の前の布袋は違った。
「戯言を……! 何度、占おうと、結果は同じ!──凶兆しか示さぬ!」
語気が増し、ゆったりとした服がなにかに揺れ靡く。老人の輪郭はひどく朧気で、常人ならば揺らめく影としか認識出来ない霊魂じみたなにかが漏れ出していた。這いずるなにかが、じっとりとヤマトタケルを撫で回す。
「貴様──ニニアン様を、謀っておるな……!」
確信に満ちた声音であった。もはやそれは糾弾に他ならない。だがそれを受けても尚、ヤマトタケルは泰然自若としていた。
「はは、これは異な事を仰いますな。何故、盟友であり我が忠心を向ける存在であるニニアン殿を欺かねばならないのです? 貴方も知っても通り、我が目的はニニアン殿と同じくあの方が復活を心待ちにされている『鋼』の復活です。現に私は協力を惜しんでいませんし、その為に彼の者とも友誼を深めているでしょう?」
「友誼? 友誼だと……?」
嘲りの色を多分に混ぜ込んだ声だった。だが、深い皺に覆われた額には太い青筋が浮かんでいる。……激情の発露であった。
「『最源流』た、る貴様が! 媚び、諂う、凡夫、が、如し!」
「いけませんか? 彼と親交を深める事、それすなわち逗留の延長に繋がります。そしてそれは王国への愛着が湧く事に他なりません。彼が王国へ愛着が湧けば湧くほど、王国への助力は容易になるでしょう。そも、私の個人的な行動に口を挟むのは辞めて頂きたいですね」
ヤマトタケルはそこで言葉を切った。だが、その言葉を聞き堪らなくなった老人が、ヤマトタケルへ杖を突き付ける。
「わからいでかッ!!」
雷が落ちた。そう思わせるほどの大喝。そして口角泡をを飛ばして言葉を続ける。闇に潜む者達が身を竦ませ、どこかへ隠れていく。
「『鋼』である、貴様が己が、言を、覆した、事!」
「エイルを動かし、鍛え、させている、事!」
「ニニアン様を、謀った、事!
「───すべて、眼を疑う、ほどの、変事!」
一息に言い切り、ぜぃ、ぜぃ、と息を付く。あまりに心が昂り、身体が追い付かなかったのだろう。
「我ら、相容れぬ者、なれど。戴く主は、同じ! そう信じて、おった、吾輩が間違って、いた……!」
その言葉には激情の中に、一欠片のしかし確かな寂寥感を孕んでいた。それに対しヤマトタケルは、柳眉を顰めて目を逸らし、篝火へ目を向ける。窓があれば、その景色から以前祐一と語り合った丘を見詰めていただろう。
「ふふ……。同郷の彼と話すのは、楽しい。まるで遥か遠くにあった故郷に帰った気分になるのですよ……。そして彼の純な性根は、我が胸に積み重なり続ける澱を払ってくれる。故に」
そこで言葉が止まった。ヤマトタケルの視線が、布袋の眼球を射抜きそのまま心まで射抜こうとしたのだ。
「間違えないで貰いたい。確かに、私の心が揺れ動いているのは事実。ですが、ニニアン殿と志しを違えた訳でも、私の揮う剣が鈍る訳でもありません」
そこでヤマトタケルは憂いを帯びた表情を作った。
「貴方も気付いているのでしょう? 外界との関わりを断ったニニアン殿擁するこの王国は、閉塞感に満ちたまま停滞している、と」
「それの、何が、悪い……!」
「このままではニニアン殿を始めとした王国の者達は、大呪法が破られ巻き起こる動乱の時代を生き抜く事は難しいでしょう、と言っているのです。我らが共に抱く悲願を成し得る事など以ての外。例え成功しようと、招聘の儀から始まる動乱に何の変化も無いまま時を迎え、苦境に立たされ滅びを待つのみでしょう……」
「……」
布袋も気付いていた事だった。悲願達成の為に、その怜悧な頭脳の大半を割いているニニアンは……ある意味盲目的な彼女はおそらくその現状が見えていない。いや、見えていたとしても意図的に目を逸らしているのかも知れない。
その危機感を持っている者は、未来を正確に描く先見性を持ち、王国の全体を俯瞰できる位置にいる布袋とヤマトタケル以外に居なかった。
「ですが此度の"神殺し"来訪……ふふ、停滞気味の王国へ運命の凶児が現れたのは、僥倖でした。彼こそ台風の目。騒乱の濫觴。水害、日照り、蝗害と並ぶ天災の化身。……故に、否が応でも変化を促す呼び水となるでしょう」
「その、変化こそ、ニニアン様の。ひいては王国の、禍事!」
「いいえ、違います」
否、と首を振るヤマトタケル
「これは閉じていた王国に新しい風を吹き込む……正に吉兆なのです。その為ならば多少の犠牲は仕方がありません 。我らの目的の実現もまた、より確実な物となるでしょう」
「───喝ッ!!!」
布袋の一喝が響く。我慢も限界だ! と言わんばかりに叫び、まさに王城全体に響く大音声だった。ぎぃぎぃ、と闇に潜んでいた者達が不快な声を上げては逃げ惑う。
布袋は再度ヤマトタケルに杖を突き付け、侃々諤々と言い募る。
「見えたぞ! 貴様の狙いは"神殺し"!」
「あの異物、を、己に準じる位階まで、育て、上げる事! その為、に、王国を混乱、させ私欲、をも満た、そうとするか! ニニアン様は、必ずやお怒りに、なられるぞ……!」
「───かまうものかよ」
上顎と下顎が縫い付けられた感覚。二の句が継げないとはこの事であった。……気圧されたのだ。他でもない、ヤマトタケルへの言葉によって。
「き、きさま……!」
「はは。それでも私は彼の行く末を見たいのですよ。絶望と困難に満ち満ちた道を辿る彼は、どう立ち向かうのか、どう起ち上がるのか……私は見てみたい。そのために私は彼に力を付けさせることも厭わない。──ふふ、すっかり彼に
一言。たった一言で主導権は奪われた。
「おそらく彼はこの王国にて更なる闘争の渦にのめり込んで行く事となるでしょう。それは占術などで盗み見なくとも、判りきった自明の理。そして王国はその渦に沈むやも知れない……。はは、王国でしか成し得ない事を抱えている貴方には噴飯ものでしょうね……。
そのニヤつきに布袋の満腔からひりつき揺らめくナニカが吹き出た。鋭い眼光と怒気混じりの霊魂じみたそれはヤマトタケルの美貌をぶわり、と撫で上げる。
「我が真名を、気安く呼ぶな!!!」
かつてはまつろわぬ神であった者、上位の霊性を備えた半神、不死となった元人間……そう言った超越的な能力を持つ死にぞこないどもが居る。ヤマトタケルと相対するこの老人……カズハズと言う者もまた、ところ変われば妖精王、超越者、不死者……数多の異名を持つフェノメノに相違なかった。
「佞臣めが……!!」
汚らわしい、と言わんばかりに吐き捨てるカズハズ。そこに先刻までの気圧されていた雰囲気はない。ただただ道を違えた者への敵意のみがあった。
「それは貴方も変わらないでしょうに? ふふ、貴方の妄執、見ていて気持ちの良さすら感じますが、些か澱みが強すぎますね……。私ですら背筋が寒くなりますよ」
「黙れ……!」
どれほど敵意を浴びようと飄々とした姿勢を崩さないヤマトタケルに、カズハズがガン! と杖を地面に打ち立ててはがなり立てる。
「貴様があの首、取らぬ、と言う、のなら! 我が手づ、から、引導を、渡して、くれよう!」
「ご心配無さらずとも、結構。余りに目に余るようであれば……その時はかねてより申し上げているでしょう? 我が武勇を以てあの首を断ちましょう。己の言、覆すつもりはありません」
「まだ、戯言を、言うか……!」
ヤマトタケルが柳眉を逆立てた。
「───ふむ……。あまり貴方に動かれては、些か困りますね……」
ヤマトタケルの靭やかな身体が、篝火の如くゆらりと揺らめいた。そして次の瞬間には、カズハズの眼の前に居た。そして気付けば……カズハズの節くれ立った手首には、禍々しく、紫に色付いた腕環が嵌められていた。
それをカズハズが認識した瞬間だった。──腕環が蠢いたのは。
「───が、ぁぁあ゛あ゛あ゛あ゛!!」
罅割れた絶叫が響く。カズハズが叫び上げるほどに、激情を発露するほどに、嵌められた腕環が呼応し蠕きカズハズの腕を蝕む。腕は瞬く間に変色していき、枯木じみた腕は毒々しい紫へ変わり果ててしまった。
「それはとあるトリックスターから奪った物でしてね。手にするだけで只人であれば呪い殺される曰く付きの代物ですが、一度その腕環を屈服させれば、従順な下僕となるのですよ……私の手ずから嵌めた者が私に敵意を向ければ、毒の棘が食い込む様に、ね」
「ヤマト、タケル───!」
「あまり昂らない方が宜しいかと。貴方の激情を糧に、腕環は肥大化しますので」
そこでヤマトタケルの表情から色が無くなった。まるで完全に興味が無くなった、そう言わんばかりの顔であった。
「ふふ、外れる予測ばかりしか立てたれないのでは、無駄に歳を食っただけですね。───それでは」
そう言い捨て、ヤマトタケルは踵を返し歩き始めた。
──かつん。──かつん。空虚な回廊に足音だけが響く。どれほど経っただろうか? 蹲っていたカズハズは俯きいた顔をやっと上げ、ヤマトタケルの去った方向を睨みつけた。
色がなくなるほど拳を握りしめる。呪詛を吐き捨て、青褪めた影法師は闇と共に掻き消えた。異形犇めく魔城にて、誰も知ってはならない一幕。
戦士よ、覚悟せよ。波乱の時は近い。
○◎●
「整える? 短めにする? それともいっそのこと丸刈りにしてしまいしょうか」
椅子に括りつけられた祐一に向け、ともすれば鼻歌を歌いだしそうなほど上機嫌なテスラがにっこり微笑む。手にはきらりと光る剃刀が一つ。ひぃっ! その刃のきらめきに気おされ、頬が引き攣った。
「さぁ、始めるわよ~」
テスラはそのまま祐一の後方に回り、怪しげな挙動でなにか作業を始めた。その一挙手一投足にビクビク怯えながら、盛大にツッコミを入れる。
「なんで髪切るだけで縛られてるんだよっ!?」
「なんでって、それは祐一くんが逃げ回るからでしょ。もうずっと髪切りましょうって言ってるのに「いやだ」の一点張りで切らせてくれなかったじゃない。もうサウィンも近いんだし、ちゃっちゃと整えてしまいましょう」
「うぅ~」
「唸らないの」
確かにいまの祐一の髪は伸び放題もいいとこだ。家出してからおおよそ四ヶ月ほどだろうか? その間、怒涛の展開の連続で髪を切る、なんてこと頭になかったのだ。今までは髪をエオやムインにもらった紐で縛ったりして誤魔化していたが、ついに観念する時がきたようだ。
そうやって始まった散髪は、祐一の予想に反してとても穏やかなものとなった。テスラの手に迷いはなく、とてもスムーズに髪を切っていく。あんなにも嫌がっていたのが馬鹿みたいに、彼女は上手かった。
「もしかしてテスラって髪切るの、上手い?」
「さぁ、どうかしら? 確かにエオやムインの髪をまだ幼いころから切ってはいたから……下手ではないんじゃないかしら。あの子たちから文句は言われたことないから」
「そっか」
こんななら早く切って貰っとけばよかったぜ、と椅子に座りながらぷらぷらと子供のように足を振る。
そんな子供じみた姿にテスラは彼がまだ年若い少年であることを思い出してしまった。実際、彼はまだ成人もしていない十四の子供なのだ。寿から聞いた彼らの故郷はもとより、王国に伝わる半神半人の大英雄を思わせるほどには若い。
それでも王国の最大戦力たるヤマトタケルと矛を交えて生き残り、王国に逗留を始めてすぐに並み居る戦士を悉く倒し、戦士長であるエイルには一歩及ばなかったようだが、若さに比例しない戦士であることはテスラもよく知っていたつもりだった。
「……悩み事があるの?」
だからだろう、そんな問いかけをしてしまったのは。彼がここのところ何かに悩んでいることは、テスラも察していたし、それはエイル一家も寿も誰もが共通するところだった。その悩みの内容も、然り。
「え……あー、うん。悩み事ね、悩み事……まぁ、ある、かな」
祐一の悩み事なんて言葉にすれば簡単なものだ。王国に留まるか否か、たったそれだけの悩み。ヤマトタケルの最初に提示した三ヵ月という期間が、これほど長くだけど短く感じるとは思わなかった。
ここで王国に残るという選択肢を選べば、楽になれるのだろう。だけどそうすれば現世に帰る、という選択肢が永遠に失われる……そんな気さえして。ふと気づく……現世に帰ること、それはどこかで故郷に帰ることと同義になっていたのではないか、と。
翻って今の自分はどうだろう? 確かにエイルとの修行で剣の技量も上がっている。力は以前よりも格段についたとは、祐一自身実感してる。だけど現世に、故郷に、このまま帰っても良いんだろうか。……まだ答えは見つからない。
「なー」
「なぁに?」
「テスラはさー、俺たちがここから出て行ったらどう思う?」
「それは、寂しいわよ。あなたも寿くんもラグナちゃんも今じゃ立派な家族だもの。まだまだ重ねた時間は短いけれど、それだけは間違いわ」
「……あ、ありがとう」
「ねぇ、祐一くん。私はねかつて……『まつろわぬ神』が出てきたとき、その猛威によって身寄りも仲間も失ったって天涯孤独になっちゃったの」
「……うん。前に、エイルから聞いた」
「あら、知ってたの」
テスラはそう言って、怒りや悲しみを乗せるわけでもなく、ひどく穏やかな声音で言葉を返した。
「私の血族や同じドルイドもその時にみーんな死んじゃったわ。ふふっ、でもね? 前も行ったけれど、私たちは死者も生者も変わらないから……闇の半年になれば世界の境界は曖昧になるから、だからいつか会えるって思えば寂しくはなかったわ」
「…………ぁ……」
その言葉はどうしようもなく祐一の心を打った。
だって同じだったから。自分とパルヴェーズとの最期の約束は、必ずまた会えると……そう信じたものだったから。 テスラの言葉と自分の約束、なんら変わりはないものだった。
以前、彼らからサウィンのことを聞いたとき懐疑的でおかしなことだと口に出さずともそう思っていた自分がひどく間抜けで怒りさえ湧いた。だがすぐにテスラの言葉に、変な方向へ走り出した思考は断ち切られた。
「でも、そうねぇ。私たちは幽世、あなたたちは現世か。……祐一くんたちとお別れしたら、当分会えなくなさそうね。世界を隔てるもの、ちょっとやそっとじゃ移動できないし年月も掛かりそうね……。よし、じゃあ私の授業も気合を入れていかなくっちゃね!」
「うっへー勘弁してくれ、てか気が早いなぁテスラは。それに安心していいぜ、すぐに会いに行くって。世界の壁なんてブチ破ればいいし問題なし!」
シャドーボクシングをしながらイケるイケるとのたまう祐一に、そう? とクスクスと笑って「はい、これでおしまい」と言って、祐一は自由の身になった。ありがと、そう言って椅子から軽快に飛んで、くるりと振り向く。
「ヤマトの兄ちゃんは三ヵ月あるって言ってたんだ。ま、あと一月だけどその間に答えは出すよ。じゃ、闘技場に行ってくるな!」
「はい、いってらっしゃい」
ぶんぶんと手を振っていつものように駆けだした祐一を見送り、
「それにしても、三ヵ月ってなんのことかしら?」
おとがいに手を当て零れたテスラの言葉は、そよぐ風に溶けては消えた。
聖地巡礼してきました(日光とか浜離宮恩賜庭園とか)