「なあ、どっか宛があるのか?」
祐一は焚き火を消しながら、パルヴェーズに問いかけた。パルヴェーズは何やら食べ終えた魚の骨を小鳥たちに与えてた。祐一を見ると頷き、
「うむ。この者達が教えてくれた。ここから海岸沿いに北上した所に、小さな町がある。そこで、昼餉でも取ろうかのう。……おぬしの服も洗わねばならぬじゃろうしな。臭うぞ?」
「うっ……。てか、この者たちって言ってたけど、まさか鳥の言葉が分かったりするのか?」
胡乱な事を言ったパルヴェーズに、恐る恐る聞いてみた。当のパルヴェーズは静かに微笑むのみで、黙して語る事はなかった。
うわぁ……。何となく察した祐一は、無言で天を仰いだ。
○◎●
昼には着く、と言っていた町までの道程だったが着いた頃にはもうとっぷりと日が傾いていた。
元々二人とも何かに縛られている訳でも無く、急いでる訳でも無い。それ故、風の向くまま気の向くまま、気ままな旅を楽しんでいたのだ。
一ヶ月近く船内に籠もり、地面に足をつける事すら無かった祐一。彼は紆余曲折……と言うか酷い災難に見舞われはしたが、初めて訪れた外国の雰囲気に興味津々だった。
漂流先は何か有名な観光地や、珍しい動植物がいる訳ではない。見える風景は果てしない不毛の大地だ。
時折、草木が生えて入るが、大部分が茶色い土や石灰を含んでいるのか、白っぽい岩が所狭しと並んでいる場所が殆どである。
そんな不毛の荒野であっても、祐一にとって、初めて見る異国の景色であり、故郷では見る事が叶わない風景でもあった。
全てが新鮮で気になる物があれば、一つ一つ足を止めてはパルヴェーズと「これ、なんだろうな?」と話し合っていたのだ。
まあ、一番の原因はパルヴェーズが困っている人や怪我している動植物たちをどういう理屈か見つけ出しては、手助けしたり治療したりしていた為だったのだが……。
困っている者たちに、笑い掛けて躊躇なく手を差し伸べるパルヴェーズの姿は、太陽のような明るさと優しさを感じさせた。
祐一としても、その行為は好ましいもので、パルヴェーズに手を貸すことに否は無かった。
でもちょっと寄り道しすぎたな? 頬をポリポリとかく。
確かに歩き出しては、「助けを求める、声が聞こえる!」と走り出すパルヴェーズを見て、町に着くのは、結構遅れるかもなぁ……。とは思っていたのだ。それでも「昼食が少し遅れるだろう」程度にしか思っていなかったので、夕暮れ時になるまで遅れるとは予想外だった。
ちょっと憂鬱そうに祐一は町までの道を歩いていたが、視線の先に見えた人工の灯りが目に入った瞬間にそんなものは吹き飛んだ。
───人が居る!
船が難破して、文明の気配が希薄な土地に放り出されて、一日と少し。
短い時間だったが久しぶりに見る灯りは祐一にとって、数週間……ともすれば数ヶ月ぶりに見たようにも感じるほど特別なものに見えた。
……と言うか彼は遭難していたのだ。パルヴェーズが居なければ死んでいた、と推察出来るくらいだ。
その事実を鑑みれば祐一の胸に熱いものが込み上げて仕方が無かった。家出から、難破し、遭難へ。なかなか波乱万丈の旅である。
気付いた時には駆け出していた。
逸る気持ちが抑え切れず、一刻も早く文明の息吹に触れたかった。
「元気じゃのう」
ちょっと呆れた声音のパルヴェーズの声が聞こえたが、祐一の足は止まらなかった。
近くは無い距離。それでも全速力で駆け抜け、やがて彼は、町に着いた。
───着いた先は、名も無い小さな町だった。
町の周りにはこの地域には珍しい緑が、ぐるりと囲むように群生していた。町には、統一感のある石造りの家が立ち並び、家の外壁はアイボリーカラーで輝く、明るい印象の町だった。
デコボコとした、しかし背の低い住宅が建ち並ぶ町で一際目につくのが、町の中心部分にある緑色を基調とした建物だ。
その建物は町の中にあって一際高い建物だった。
建物の頂点は神社や寺にあるような、丸い擬宝珠のような形になっており、どこか神聖な雰囲気を感じさせた。悠然と佇む姿は、己を囲む建物達を見下ろしている風ですらあった。
町の外から見える人々は黒髪がほとんどで明るい髪の人間は数えるほどしか居ないように見える。
また見る人見る人、背が高く彫りも深い顔立ちだ。多くの男性の顎には豊かな髭が蓄えたれている。
大抵の人々は日が沈んでも続く暑さにも構わず、長袖がほとんどで、女性に至っては更にスカーフのような布で頭部を覆っていた。
しかしそんな禁欲さすら感じ取れる町は、笑顔と喧騒で溢れ、服装の色合いも男女問わず色彩豊かだった。
アラブの町だ……。
まるで、昔観た映画の様な光景。画面の先にあった光景が、現実となって眼前に広がっている様にも見えて……。
祐一は、日本とは遥かに毛色が異なる町を前にし、完全に足が竦んでしまっていた。
なんだか、己がとても場違いな存在に思えて、足を動かせないまま、時は過ぎて行った。
だがうんうん唸っている祐一の後ろから、てくてく歩いてきたパルヴェーズが祐一を追い抜き町に入って行った。
「……あっ!? ちょっと待てよ! 俺が先に入るつもりだったのに!」
置いて行かれた祐一は、走って先を行くパルヴェーズを追いかけた。
○◎●
──どうやら、あの大きな緑色の建物は礼拝堂のようだ。
街に入ってすぐに、その事に気付いた。
なにせ街の中でも一際輝くあの建物の荘厳さを見れば、異邦人の祐一であってもどこぞの宗教関連の建物だと一発で分かった。
それに開かれた礼拝堂からは、祈りを捧げる人々が見えたのだ。
礼拝堂の中や入り切れなかった人々が、てんでバラバラのタイミングで、しかし同じ方向を向き膝をついて、頭を下げている様子が至る所で散見できた。
この街の誰もが、祈りを捧げている光景。
宗教観の薄い日本出身の祐一にとっては、馴染みが無く珍しい光景に映った。
こんな大勢の人間が、祈りを捧げている光景なんぞ、正月くらいにしか見ない。そう見えるのも当然だった。
キョロキョロと、世間知らずな観光客のように辺りを見渡す祐一だったが、ふと、隣を歩いていたパルヴェーズの姿が無い。
またか! 今度は別の目的で辺りを、キョロキョロと見回す。
居た。パルヴェーズは、いつの間にか住民の一人に声を掛けては、何やら話を聴き出している様だった。
あいつ、日本語だけじゃなくて、ここの言葉も喋れるんだな……。もう何度目になるかも分からない驚きをあの不思議な少年へ向ける。まあ人間どころか動物達とすら話ていたのだ、今更か、と祐一は諦めた。
パルヴェーズが話している間、祐一はその光景を眺めボーッとしていた。途中、パルヴェーズと話していた住民が、祐一を指差し何か言い募っていた場面もあった。よくよく見れば、他の住民達も祐一を見ては、ギョッとしたり、不審な目を、向けているのが見える。
……なんだろ?
頭にはてなマークが浮かび、自分の格好をじっくり観察する。……ふむ。特におかしな所はない。
ならば、日本人だからだろうか?
周りを見渡し、人々を見てみる。……確かに、この町に祐一に似た顔立ちの人間は居ない。
あ、もしかしてこの臭い、かな?
祐一は自分のブレザーから漂う、異臭を強く意識してしまう。思わずと言った様に、鼻に袖口を近づけて、臭いを嗅ぐ。咽た。
ほどなくして、パルヴェーズが軽やかな足取りで、祐一の元へ戻って来た。
小さく手を振りながら、出迎える祐一。
「なに話してたんだ?」
「うむ。この地の名や位置を聞き出しておった。まあ、我は知らずとも構わぬが、おぬしが知りたそうじゃったからの」
「本当か! ありがとな、パルヴェーズ!」
やっぱり、この不思議な友人はいいヤツだ。
祐一は、いつか絶対に恩を返す! と決めパルヴェーズと話し込んだ。
パルヴェーズの話によるとここは──イランという国らしかった。祐一の頭の中の世界地図を引っ張り出し、位置を確認する。
むーん……結構、流されたなぁ。船が転覆する時に居た場所は、アラビア海を抜け、オマーン湾に差し掛かって直ぐの場所だった筈。
そこからかなり流されパルヴェーズが言うには、今いる土地は、イラン南東部、海岸沿いにある”ホルモズガーン”という州で位置的にオマーン湾とペルシア湾の間に位置する場所だ。
そしてここは、そのホルモズガーン州の南端にある町らしい。ホルモズガーン、という単語に聞き覚えは無かったがそれでもあり得ないくらい遠くまで流されたのは良く分かった。
……うーん。ま、いっか! 祐一は、少し悩んだが、目的地のトルコに近づいたからいいや、と開き直って思考を放棄した。
ある意味、最強のメンタルを持つ男である。
更に、パルヴェーズが言うには、祐一の服装に何やら問題があるらしかった。
祐一は、学校の制服であるブレザーを着ているのだが、どうやら、それに付随するネクタイが駄目らしい。
この町はイスラム教が殆どなのだが、イスラム教的に、ネクタイはアウトらしい。
周りの住民が不審な目で見てきた理由は、コレか……。
と、ネクタイを解きながら祐一はなるほどなぁと謎がやっと解けたと言う表情と、知らねーよ……と言う投げやりな表情が同居した顔を作った。
今さっきパルヴェーズと話していた叔父さんは、人懐っこい人で、話し合う祐一とパルヴェーズが気になったのか近付いて来ては、言葉の通じないの祐一にも陽気な赤ら顔で話しかけて来た。
つるりとした禿頭と豊かな白髭に妙な愛嬌がある人だ。
祐一も最初は警戒したが、すぐに笑顔を向け、ボディランゲージやパルヴェーズの通訳を駆使して、意思疎通を図る事にした。
そんな遣り取りの中で叔父さんは、汗臭く泥と汚れまみれのブレザーをどうにかしたい、と言う祐一に、ならば私が洗ってあげよう、と申し出てくれた。
遠慮する祐一だったが叔父さんの人懐っこさとパルヴェーズの援護射撃に折れ、ブレザーを手渡す事になった。
それから叔父さんは、近くにある自分の家から着替えに着てくれ、とゆったりとした青い服を渡してきた。
この叔父さんに遠慮したら失礼だな、と祐一はこの短い間で気付き、お礼を言って服に袖を通す事にした。
窓に写った己の姿は、青い服とあんまり似合っていない様にも見え、少し恥ずかしい。パルヴェーズは、そんな祐一を見ては、クスクス笑っていた。
それから叔父さんは、洗濯が終わるまでの時間は近くのチャイハネで過ごして居ればいい、と勧めてくれた。
”チャイハネ”ってなんだろう? 祐一は謎だったが、行ってからのお楽しみだな。そう思う事にして、何も聞かなかった。
おじさんの好意は、それだけでは終わらなかった。
「宛が無いなら、うちで一泊くらい泊まっていきなよ!」とグイグイお節介を焼いてくれたのだ。
流石にそれは不味いと、断ろうとした祐一だったが、パルヴェーズが肯ったので、結局叔父さんの家に泊まる事が決定した。
確かに今夜の宿はない。今更、祐一は思い出した。
流石パルヴェーズだ。俺も見習おう……。
パルヴェーズの世渡り上手さに心の中で感心し、次は俺も上手くやらねば、と決意する祐一の姿があった。
パルヴェーズが、叔父さんから貰った地図を見て、祐一を先導する。
祐一はパルヴェーズと、どんな所だろうな? と話しながら、異国の町を歩いて行く。
それほど、大きくは無い町だ。十分ほど歩けば、すぐのに目的地に着いた。
中に入ってみる。
入った途端に、何やら最近嗅いだことが無かった料理の香ばしい香りが、鼻腔をくすぐった。反射的に、腹の虫がなってしまう。
思わず腹部を抑え、ちらりとパルヴェーズを見遣る。すると、ニヤニヤ笑うパルヴェーズが、こちらを見ていた。今朝と一緒じゃないか……、恥ずかしくなった祐一は逃げる様に、中へ視線を移した。
どうやらチャイハネは、中東における喫茶店のようなものらしい。
中に入ると、住民たちが椅子に座ったり、地べたに絨毯を敷いては、思い思いに寛いでいた。
近年のイランでは、シーシャー……水タバコの規制が厳しくなり、減少傾向にあったが、田舎だからか、このチャイハネには、シーシャーが未だに現役で使われている様だ。
「サラーム!」
今さっき、パルヴェーズに教えてもらった挨拶を振りまき、祐一とパルヴェーズは店内に入った。
朝食は食べたが、その後何も口にしていない祐一達。
早速、椅子に座り注文しようとした所で、はたと気付いた。
「なあ、パルヴェーズ。……俺、金持ってないけど、君は持ってるか……?」
「金? ふむ、貨幣の事ならば、人里に降りる理由も無かった故、持ってはおらぬ」
「……駄目じゃん!」
遙か東方からの異邦人と、世俗から解脱していた漂泊の旅人が、イランの通貨など持っている訳もなかった。
「ふむ。おい、小僧。何か価値があって交換出来そうな物を持っておらぬか? あるならば、我に渡してみよ。なぁに、我に任せておけ。おぬしが心配する事など一つもないわ」
パルヴェーズは胸を張り、莞爾と笑った。
そう言われ祐一は何か役立つ物が無いか全身を隈なく探した。祐一の持ってきた荷物は船ごと海の藻屑と消えたのでポケットに入れていた物しか無かった。
見つけたのは肌身離さず持っていた、父の腕時計と、海に浸かってくしゃくしゃになった、へそくりの封筒だった。
腕時計は海に投げ飛ばされた衝撃で、もう時を刻む事は無かったが、何となく手放す気になれなかった。仕方なく祐一は、へそくりから紙幣を抜き出し、パルヴェーズに渡す。
彼は一つ頷き、その紙幣を握って長身痩躯なのが特徴的な、チャイハネの店主へ交渉を開始した。ほどなくして、紙幣を店主に手渡したパルヴェーズは、親指を立てて拳を突き出し、にやりと笑った。
あのグイグイくる商売上手なイラン人から、勝利をもぎ取ってくるのはすごいよなぁと、感心しながら、祐一も親指を立てて拳を突き出し笑った。
肉。肉。肉。
ここはチャイハネ……喫茶店であり、お茶を嗜むのが本来の姿だったが、このチャイハネはがっつりとした料理も出しているようで、
肉料理と言っても、イスラーム圏の例に漏れず、豚肉は出てこない。代わりに日本では馴染みが無い羊肉がふんだんに使われているようだ。
店主も気前がいいようで、明らかに注文した以上の料理が所狭しと置かれている。
祐一が驚いたのは、チュロウと言う料理を食べた時で、チュロウとは白米に油と塩を加えた料理だった。
イランでは”米”と”ナン”が主食らしく、祐一はこんな異邦の地で、自分の故郷の主食が食べれると思わず、チュロウが出てきた時には目を疑った。
まあ、”米”と言っても細長いインディカ米の為、祐一がいつも食べているジャポニカ米とは全く別で、初めて食べるインディカ米に、違和感は拭えなかったが……。
パルヴェーズと卓を囲み、食事を取る。
朝、魚を焼いて食べた時も思ったがパルヴェーズはどうやら随分な健啖家らしく、満漢全席にも匹敵する量とカロリー豊富な料理が、あの細見の身体に吸い込まれるように入っていく様子はかなり見物だった。
祐一も成長期の少年よろしくパルヴェーズに負けず劣らず、アツアツの肉料理を次々と平らげていった。
そんな二人の様子はどうやら住民たちには愉快に見えた様で、ヤンヤヤンヤと囃し立てて来た。
店主も店主で自分の料理をペロリと平らげて行く少年二人が気に入ったのか、頼みもしていないのに追加の料理を作っては、そのこけた頬を緩め笑っていた。
「パルヴェーズ、店主さんにそんなにタダ飯作って良いのかって聞いてくれよ。明らかに作り過ぎてない?」
「ふふ。まあ、良いではないか。人の好意を無碍にするものでは無い。それに、おぬしの故地でも備えあれば憂いなし、と言う教訓があろう? この先の旅はどうなるかわからぬのじゃ。今の内にたらふく食っておけ!」
「……だな! よし、おっちゃん! おかわりー!」
パルヴェーズの言葉にたしかにその通りだと、宜なる祐一。憂いを無くすぞ! と、ここがもう外つ国である事など全く気にせず大声でおかわりを頼んだ。
この木下祐一と言う少年は、とても単純であった。
今、祐一の眼の前には、独特な形をした奇妙な硝子製の物品が置かれていた。その物品からは何やら怪しげな管が這い出ており、何とも言えない淫靡さが漂う一品。
”シーシャ”である。
この店内の様子は、酒も無い筈なのにみんな酔っ払ったように、ハイテンションだ。
肩を組み合っては笑い合い、何処から持ってきたのか太鼓のような楽器で演奏を始める者もいる。
祐一もパルヴェーズも、勧められるままに食べては飲みを繰り返していた。そんな中、若い青年の一人が、何やら管を口につけては、ポコポコと音と白煙を出す姿を祐一は見咎めたのだ。
通訳してくれたパルヴェーズが言うにはタバコみたいな物らしい。
「へぇー」と感嘆の声を上げる祐一に青年が吸ってみるかい? と管を差し出し言ってきた。店内の人たちもやってみなよと、声を掛けてくる。
「ふふん! この木下祐一! 知らないからと言って、上げ膳据え膳を拒むような男では無い! イーン ラーチェトォル エステファーデミコナンド?」
こいつ、酔っぱらってるのか? ……そんなテンションで祐一はパルヴェーズから教えてもらった言葉を使い「これ、どうやって使うの?」と訛り全開で青年に尋ねた。
そんな祐一に青年は少し苦笑しながらもゲリヤーンとも呼ばれる水タバコの使い方を教えてくれた。
力一杯に吸い込むなよ? と言う青年におう! サムズアップして返す。
何事にも全力で挑む少年、木下祐一。更にオツムの出来もそれほど良くは無いのだ。
青年からの忠告を忘れ、あらん限りの力を込め、肺一杯に吸い込む祐一。
結局、転げ回るほど咽た。
そんな異国で迎えた最初の晩餐だった。