王書   作:につけ丸

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051:不帰の誓い

「───謀りましたね、フェルグス」

 

 玲瓏な、いっそ冷徹とも感じ取れる声が薄暗い空間に響いた。篝火の揺らめく蔭で、青味をおびた唇を動かし幽鬼のような表情を浮かべたニニアンは剣呑さを帯びた眼光とともに、正面に泰然と佇むヤマトタケルを見据えた。

 

「はて、なんの事でしょう?」

 

 顎に手を当て思案する様な仕草をとったヤマトタケルが「仰っている意味が判らない」そんな声音で聞き返した。その堂々とした姿はまるで糾弾される謂われなどない、と言葉もなく示している風でもあった。

 

「惚けるつもりですかフェルグス? "神殺し"の事です。何が『王国に利を齎す者』ですか。何が『王国に与する者になる』ですか……」

 

 眇められたニニアンの眼光は、更に鋭くヤマトタケルを射抜く。だがその眼光の強さは己の腑甲斐なさに嘆くようでもあった。

 

「──アレはそんな生易しい存在ではありません」

 

 キッパリと言い切る。

 

「謁見した際にわずかに視えたあの者の『覇者の相』。……あの時はすぐにあの者が気をやったが故に疑う事しか出来ませんでした。……ですがアレを有する者が尋常である筈がない、私はあれから常々思案していました。見極めるねばならない、と。……そして前夜祭の折、あの者の相をしかと見極め──やっと、確信しました」

「………………」

「やはり尋常ではなかった……類稀な戦士としての才はもとより、その上で王の資質を兼ね備えた者。あの者は乱世にて必ずや王国を内から喰い破り、覇を唱えようとするでしょう。それがたとえ平穏な世であっても……」

 

 ニニアンは額に手を当てかぶりを振り、沈痛そうな仕草をとった。

 

「今はまだ良い、あの者はまだ何も為していないのですから……ですが必ず偉業を打ち立て信奉を集めるでしょう。闇の半年も始まります、もはや結果は明快と表しても良い。彼がもう一人の英雄として王国に君臨すればどうなるか判らないあなたではないはず……両雄は並び立ちません。貴方にとっても私にとっても雄敵となるのは必定」

「…………」

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。……ですがあれは──いけません。まだ二月と経っていないにも関わらず王国の戦士達の心を掌握しつつあるあの器、あなた以外の戦士を一蹴する武勇と意志。破格、という言葉では収まりきれるものではない……」

 

 瞑目したニニアンは恐れとともに声を震わせる。

 

「あと一月ほども過ぎれば…………王国の転覆すら夢ではないでしょう……。もう猶予はありません……我々は喉元に刃を突き付けられているようなもの」

 

 瞑目を解き、怜悧な紫の双眸で俯いているヤマトタケルを睥睨した。そこには先刻まで恐怖に震えていた少女のような弱さは微塵もなく、王国と言う国の女王としての威厳に満ちていた。

 

「──釈明があるのならば聞きましょう、フェルグス」

 

 フッフッフ……。

 

 陰鬱にして豪華絢爛な空間に、一つの笑い声が響く。それは大きい声では、なかったはずなのに謁見の間によく響いた。

 うつむき顔に掌をあて、表情の窺えないまま言葉を紡ぐ。

 

「あの者の境遇、私に似ていると思いませんか?」

「は……?」

 

 ヤマトタケルの突然の言葉に、思わず理解ができない、そんな声音でニニアンは疑問の声を漏らした。

 

「フフ……強く、とても頑固で、少々愚かさが見えるあの少年……。似ている……あの頃の私に似ているのですよ……とても、とても」

 

「同郷であることも然り、故郷から出奔し行く先々で偉業を成し遂げたことも然り、私の伯母のような支援者にも恵まれることも然り……。あれほど同じだと思える存在も稀です」

 

「境遇だけではありません。あの者の性根……本質、と言い換えてもいい物もまた近しいと感じています。無邪気で、無鉄砲で、揺るがない、どこまでも真っ直ぐなあの少年……とても似ている」

 

「貴方も知っての通り、私の悲願は今の人格を廃しかつての己へ立ち返る事。はるか太古の昔に見失った原初の本質を見つけ出すことです……。ふふ。己が己ではないと言うのはひどく屈辱的で、自分が零落したようにも思えてくるのですよ……『神祖』の貴方なら解るでしょう?」

 

「……貴方に助力し、かの『鋼』復活の助力をしているのもその為。貴方だけではありません、それ以前にも数多の『鋼』と行動をともにし、同じような相を持った神格にも、ときには己の境遇と真反対のものとも旅をしましたが、全て結果は同じでした」

 

「───やはり同じ境遇の者でなくてはならない、私はそう思い至った。……それも『神』ではいけない。人間でありながら『神』を討ち果たすほどの武勇と意志を兼ね備えた『人間』でなくてはならない。それこそ『英雄』と呼ばれるほどの……!」

 

「───そして、ついに出逢ったッ!!! 私の求めた理想像の体現!!! 私の過去の具現そのものに───!!!」

 

 やおらに顔を上げ、浮かべるのは狂い切った笑み。花貌を彩るのはいつもの線を引いた薄い笑みではない……口と目を三日月のようぬ歪めたいびつな笑みだった。

 ヤマトタケルはとある権能と永い年月を生きた事によって、本質を見失ってしまった。それこそまつろわぬ性すらも擦り切れるほどに。

 妄執、とたとえても良いほどの狂気に囚われてしまったのがこの『まつろわぬ神』のなのだ。故に───

 

 

「ニニアン殿。私はね───」

 

 

 だからこそ。ヤマトタケルにとって『木下祐一』と言う存在は悲願を果たすための何物にも代えられない存在であり、そして同時に願いを叶えるただの道具としか見ていなかった。

 ヤマトタケル。

 悲願のためならば仇敵であろうと頭を下げ、世界の秩序であろうと一顧だにしない、恐ろしく利己的な人格こそが、今のヤマトタケルという神格の根幹。何者も及びもつかない強固なアイデンティティーに他ならなかった。

 

「あの者にこそ、あの少年にこそ、木下祐一にこそ、私が求める答えがあると確信しているのですよ!」

 

 ヤマトタケルは手を振り乱し、そう締めくくった。

 

 

 

「───話になりません」

 

 ニニアンはそれをばっさりと切り捨てた。

 

「あなたの妄言に付き合っていられるほど、私も王国も暇ではありません。───戦士長、勅命です。王国の領内にいる"神殺し"を追放なさい」

 

 戦士長と呼ばれた男が瞑目し、静かに頷く。

 

「今、"神殺し"は王国の外に居ます。無用な諍いを起こさず穏便に事を運ぶには今しかありません。王国の戦士団を使いなさい、テスラの同行も許可します。どうやらあの神殺しは情が深い様子。情に訴え、親しい者たちを連れて行けばそうそう暴れることはないでしょう、如何様にもなります。

……あなた達にも別れの言葉くらいは、許します。ですが決して戦ってはなりません。よろしいですね?」

「───御意」

 

 瞑目したまま、深く頷いたのは王国の戦士長であり一匹の剣鬼。その名を───エイルと言った。

 拝命しエイルはそのまま謁見の間をあとにした。

 残されたのは一人の『神祖』と一柱の『神』のみ。ニニアンは侮蔑の視線を隠すことなくヤマトタケルを見据え、ヤマトタケルも何も恥じる事はないと不遜に胸を張って佇む。

 

「では、私もお暇をいただきましょう」

「……我らの盟約を破り王国を出る、と?」

「ええ。あの者の行く末を見届けなければなりませんので」

 

 ヤマトタケルは何の感慨もなく、そう切り出した。数百年の縁をここで断ち切ろうと言うのだ。

 決別か。

 どちらともなくそう思案しなんの感傷もなく、片方は引き止める事なく見送り、片方は気にも止めず歩き始めた。

 扉をくぐる時。ただ一言だけニニアンが思い出したように声を掛けた。

 

「前々から思っていましたが、貴方はどうしようもなく……歪んでいますね」

「ふふ……。私も思っていましたよ……貴方ほどじゃない、とね」

 

 言葉の応酬を最後に、彼らは腐れ縁にも似た関係に終止符を打った。

 

 

 ○◎●

 

 

「───よし」

 

 祐一の耳朶を打ったのは、そんな声だった。

 

「…………………………ぁ?」

 

 祐一の口から漏れたのは、そんな声だった。

 

 聞こえてきたのは、とても満足気で微笑んでいるような……そんな穏やかな声。何度も、何度も、聞いていた声。いつも傍に居てくれた人の声だった。

 そのはずだった。それなのに……それなのに祐一は誰の声だったか、まったくもって思い出せなかった。

 呆けた顔で空を仰いだまま、訳がわからないといった風に小首をかしげた。

 

 ……………………………………あれ? 

 今の声って……誰の声だったっけ? 

 あれ、わかんないや……。

 よく聞いてたんだけどなぁ……? 

 うーん……。

 あはは、おっかしぃなぁ……。

 全然……。全然……ぜっんぜん、……わかっかんねぇや……。

 

 

『さて、今日は何を教えようか?』

 

 

────ひぃっ……ぐ……!しゃくりあげるような声を喉から吐き出す。身体の芯まで迫りくる寒気に、震えが止まらない。

 眼球がまろび出そうなほど見開いては、パンクしそうな思考回路を鎮めようとする。

 どく、ドク、ドク、鼓膜に心臓を突っ込まれたように鼓動がひどく鬱陶しい。

 

「ハァーッ……ハァーッ……ッ!」

 

 喘ぐのような荒い呼吸と、熱くもないというのに背中に氷柱を突っ込まれたような怖気が祐一の全身を蝕んだ。

 だと言うのに祐一は痛痒にも介さなかった。

 

 まさかまさかまさか……。

 違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う────ッ!!! 

そんなはずはない! 

 

 エイルなはずないッ! 

 

 そう思っているのに、祐一は決して視線を下ろすことなく。

 ……ああ、やめておけば良いものを……───否定したくて、どうしようもなくて、藻掻くように周囲を見渡した。

 最初に見えたのは、赤だった。

 墓標のごとく大地にそそり立つ槍を幻視し、その下には赤い髪を持った戦士が、倒れ伏していた。───ムインだった。

 

「…………ぁ……ぁ……」

 

 知れず、祐一は後ずさっていた。拓けた視界が、また何かを拾った。

 暗い世界でも独特の色を放つそれは、思考が無に帰しかけていた祐一の視線をすっと吸い寄せた。

 それは灰色の獣に寄りかかるようにして骸をさらす、銀の髪をもった優しげな女性だった。───テスラだった。

 

「……っ……ぁ」

 

 最後に見えたのは血溜まりに沈み、怨念を煮詰めたような苦悶の表情を湛えた戦士。───エオだった。

 

「ャ……だ…………」

 

 耐えきれなかった。

 祐一はいやいやするように首を振り、逃げ場を求めるように俯いて、下を見た。

 

「………………………………ぁ」

 

 見事な金髪を赤く染めた───エイルがいた。

 生命はすでに肉体から失せていた。戦場で散った師はまだ暖かみがあって、厳しくもやさしげだった表情はとても穏やかだった。───だがもう動くことはない。

 みんな血溜まりの上で儚くなっていた────。

 

 なんだこれ? なんだこれなんだこれなんだこれ?なんだこれ? なんだこれ

 なんなんだよっこれ───ッ!!? 

 

 アハハ。……違う。これは───夢だ。ただの夢。

 ここん所、悩んでばっかで悪い夢を見てるんだ。そうに決まってる。だったら話は簡単だ、起きればいいだけだろ? 

 さぁ、目を覚まそう。目を覚ますのなんてすぐだ、いち、に、さん、ですぐ覚めるもんだ。

 よしっ、いくぞ。いち、に、さん! 

 ん? あれ、おかしいな……? ほら、いち、に、さん! 

 あはは、あはは。あははははっ

 あはははははははははははははははははははははははははは

 おかしいな、おかしいな。おっかしいなぁ……? 

 目覚めるはずなのに。すぐ、目が覚めるはずなのに。

 覚めろ。醒めろよ。なぁ…………。お願い……だから……。お願い、だからっ、夢、醒めてくれよ? 

 

 そう何度も、何度も、何度も。心に言い聞かせる。

 そんなはずはなかった。───嘘だ。

 夢なはずがなかった。───嘘だ。

 これは現実だった。───嘘だ! 嘘だ! 嘘だ! じゃないと俺は!!! 

 嘘だ。否定して、拒絶して、目を背けて……だと言うのに真実は、見聞きしたすべてのことは脳内を犯し尽くして、残酷な現実を突きつけてくるのだ。

 

「ああ……。……あああぁぁあ……っ!!!」

 

 ──ポツ。──ポツ。

 いつの間にか空には陰雲がわだかまり、空からは驟雨が降り出していた。ゴロゴロと雷鳴が近づき始めている。雷鳴と同じくして稲光が姿をあらわし、うす暗い世界を鮮烈に映しだす。

 世界は、赤で満ちていた。

 心は千々に乱れ、荒れ狂っているというのに祐一は必死に目を背けた。心は嘆きと悲しみに満ち満ちていると言うのに祐一は心に蓋をした。

 彼自身の防衛本能が無意識にそうさせたのだ。そうしていないと、己の犯した大罪に「死」を選んだだろうから。

 

 ───戦いは終わった。終わったのだ。

 

 今、戦場で立っているのは一人だけ……勝者である少年一人。家族だった者の返り血を、全身に浴びた少年一人だけだった。

 ぐしゃり、と電源を切ったロボットのように温かさの残る血溜まりに膝をつく。

 頬にへばりついた血に指を這わせる。滑らかで、すこしざらざらとした物が触覚を犯す。

 炯としていた瞳は、今ではドロリとした感情で濁り茫洋とし、あらゆる感情が溶けては消える瞳はその血に染まった指を無感動に眺めていた。

 どんなに眺めても、それこそ穴が空くほど凝視しようと。どんなに理解を拒絶しても、それこそ五感を遮断しても。

 歴然たる事実は、否応なく祐一に現実を突きつけてきた。

 ───血だ。これは血なのだと。

 戦士として生き、戦士として死んだ、益荒男の血なのだと。偉大なる戦士が散った証なのだと。

 むわりと頬をなぜた生暖かな風は、鉄錆びた匂いを孕んで。指にからみつく赤黒い血はどんどん冷たくなって。

 認識する感覚が……ありとあらゆる感覚が、彼らは───死んでしまったのだと、訴えかけてくる。

 

「ぃ……いやだっ……!」

 

 声が漏れる。

 

「……っ」

 

 エイルの亡骸を胸に抱く。

 血と雨水混じり合ってずぶ濡れになった彼の遺骸は、常ならば不快すら覚えるだろう。だが祐一はそんな事どうでもよかった、ともすれば些かも感じてすらいなかった。

 心にあるのは途方もない哀しみと、臓腑を引きちぎりそうな後悔のみ。ぎりぎりと万力で容赦なく締め付けられる感覚が全身を蝕んでいく。理性と感情がやっと足を揃え、祐一の身も心もマグマのように焦がす。

 

「…………ェ……ルエィルエイル! エイルゥゥ……!」

 

 何度も何度も何度も呼びかけてもエイルが答えを返すことはなかった。

 譫言のように何度もエイルの名を呼んでも口を閉ざすばかりで、いつも何かを教授してくれた彼はもう死んだのだと言う事実しか教えてはくれなかった。

 エイルの物言わなくなった遺骸を胸に掻き抱く。冷たくなりはじめた頬に、ぐしゃぐしゃになった顔をすりつける。

 少し前まで笑い合っていた家族は、もう話すことも、動くこと、笑うこともない。

 パルヴェーズの時とは、違う。彼らは永遠に目を覚ますことなく世界に溶けて消えたのだ……。

 

「…………ぁぁぁああああぁぁああああ」

 

 ────まただ。

 一つの思いが脳裏を掠める。灼熱するような悔恨の情が精神を焼き尽くす。

 

「……ぅああ……あああああああああぁぁああああああああああああああああああああああ」

 

 おれはまた───まちがえたんだ。

 戦場に残ったのは、慟哭にふるえる少年ただ一人。

 膝からくずおれ天を仰ぐ、愚かな少年一人だけだった。

 

「エオも……!」

 

 もう話すことのない友の名を叫ぶ。

 冷静で抜け目ない強かな戦士はもう居ない。

 

「ムインも……!」

 

 もう動かない友の名を連ねていく。

 直情的でだけど誇り高い戦士はもう居ない。

 

「テスラも……!」

 

 もう微笑まない家族に哭く。

 優しげでいつも世話を焼いてくれた彼女はもう居ない。

 

「エイルも……!」

 

 もう帰って来ない家族に嘆く

 不器用で強かった師はもう居ない。

 

 みんな! みんなみんな! 俺が、俺が……! 

 

 思いが撹拌され、洪水のように雪崩打つ。固く封をしていた物が、一気に流れだす。あのとき気付きかけていた真実をはっきりと理解した。

 そうだ! 俺はエイル達だけじゃない……! 

 

「ラクシェも……!」

 

 共に旅をした嘗ての友も。

 

「仁さんも……!」

 

 盃を酌み交わし、友となった彼も。

 

「パルヴェーズも……!」

 

 再会を約束しあった気高き友も。

 

 みんな、みんなみんな……! 

 

「───俺が、()()()()()……っ!」

 

 手に持っていた鉄剣はとうに投げ棄てられ、雨ざらしになっている。刀身を染めていた赤い雫は暴雨によって洗い流されていく。

 だが祐一の犯した大罪は水で流せるほど軽くはなかった。

 祐一は人を……家族を、その手で殺めたのだ。

 ウルスラグナの時とも、チンギス・ハーンの時とも違う……決定的な別れ。器から溢れた水はもうもとには戻らない。

 同族殺しの大業を、取り返しのつかない罪を、祐一は背負ってしまったのだ。

 胸中を占める悔恨が、やり場のない哀しみとが珈琲に溶けるミルクのように混じり合って取り返しのつかないほど激しい感情に急かされるようにまたエイルを強く抱きしめる。

 幼子のようにみっともなく嗚咽の涙が止まらない。堰を切ったように感情がざぁざぁと氾濫していく。

 なんで、なんで、とぐるぐるとループする思考が辿りついた先で思い描くのは故郷の家族と友の顔。

 いつか帰りたいと願っていた故郷の記憶が、弱りきった心に巣食う。

 父さん、母さん、裕二……。

 故郷で帰りを待っているはずの家族を思い出す。

 秀、隆、秋、勇樹……。

 気の置けない、兄弟とすら思っていた友人達を思い出す。

 

 俺は、俺は……! あの人たちに! アイツらに! 

 どんな顔をして会えばいい──!!? 

 

 片手でエイルを抱き、もう片方の手で涙でぐしゃぐしゃになった顔をおおい首を振る。

 もう祐一の心はどうしようもないほど、ベキリと折れてしまっていた。暗澹たる心には絶望のみがあり、感情を動かそうにも後悔がこびりついた心はまともに機能しなかった。

 そうして一つの事が胸中に浮かび上がった。

 それは誓いにも似た決意。

 

 俺はもう故郷には───帰らない……。

 

 どうしようもなかった。己の犯した罪は覆らない。ならばもう、光明のある場所には帰れない。

 祐一は底なしの泥濘におちてしまったかのような絶望に囚われ、濡れそぼった服は全身を絡め取る鎖のように思えて……それでも抜け出そうなどとすら思わなかった。

 

「…………ぐう、ぅえぇ……」

 

 迫り上がって来るものにたまらず嘔吐いて、ビチャビチャと胃から吐き出された吐瀉物を撒き散らす。口を手で覆う。鼻が曲がるような異臭と、酸味と苦味が口膣に広がり嫌悪が顔をだす。

 だがそんな些事どうでもよかった。ただひたすらに己の情けなさのみが祐一を灼いた。

 

 ○◎●

 

 どれほどそうしていたのだろうか。

 しとどに降りそそぐ雨は一向に収まらない。雨足は更にさらに酷くなっていくばかりで、降り止む気配は些かも感じられなかった。

 未だ祐一はエイルの亡骸を抱いて、くずおれたままだった。もう何時間、こうしているのだろか。それともじかんなんて経っていなくて一瞬だけだったのかも知れない。

 だが動くことすら億劫で、確認することも歩くことすらとてもではないが出来そうになかった。

 雨水は無気力な祐一の体温を、なんの感慨もなく酷薄に奪っていく。だが虚ろな暗い目を宿した祐一はそれをどうこうしようと言う考えすら浮かばなかった。

 

 ───しと……。しと……。

 

 ふと、足音が聞こえた。

 ぬかるんでいるはずの地面を気にした風も無くゆっくりと、そしてしっかりと近づいて来る足音。

 だがそれでも彼の心にさざなみすら起きることなく、ただ必死でエイル達の死を否定しようと藻掻いていた。

 煩わしかった。煩悶と懊悩、罪悪感と嫌悪、哀絶と後悔、いまの負の感情に呑まれた彼にとってこの場に誰かが現れることすら煩わしく、疎ましく、苛立ちが募るだけ。

 たとえ誰が来ようと黙殺する心算だった。───だが、出来なかった。

 ドクン、と傷ついた身体が波打って充溢し、萎えていた心から戦意がこぞり出された。臍下丹田にわだかまる呪力が活性化する。

 これまで何度も起きた身体の変調。とくにこの王国に逗留するようになってからは毎日のように起きていた感覚。

 故にそれだけで近づいてくるのが誰なのか、悟った。だからこそ祐一は……

 

 ……祐一は、狼狽えた。

 

 みっともなく。だが決して顔を上げる事はなく。決してそちらの方向へ顔を向けることはなく。ただ頑迷なほどに目をつぶって、俯くのみだった。

 

「これは………………。違う……! 違うんだ……!!!」

 

 歩いてきたその人が、背後で佇むのを感じた。

 べらべらと言い訳じみた言葉が口の端から漏れ、情けなさと自己嫌悪の情が喉を、肺腑を、心の臓を、脳髄を焦がす。

 だがそうまでしても、彼に、彼にだけは責め立てられたくはなかった。短い間ではあるが友誼を交わし、兄とすら思った彼には拒絶されたくなかった。たとえ味方殺しをしようとも味方でいて欲しかった。

 間違えてしまった祐一はそれだけを考えていた。それだけを願っていた。

 ただ、ひとえにそれだけだったのだ───。

 

 

「いいえ、何も間違いはありませんよ?」

 

 

「………………ぇ……?」

 

 

「───全て私が仕組んだ事なのですから」

 

 

 答えはそれだった。

 

「───は?」

 

 驚いて振り向く。その言葉に思わず背後に佇む、ヤマトタケルの方を振り向いてしまった。

 彼は───嘲笑っていた。

 片頬を吊り上げ、白くキレイに揃った歯をむき出しにして、歪みきりとても愉しそうに肩を揺らして、嗤っていた。

 

「フフ……貴方がこの王国へ訪れたことから、これまでのことまで全てのことは私の思惑通りなのですよ?」

「……? …………あははっ……………………なぁ、ヤマトの兄ちゃん……。なにを……いってるんだ……? こんなときにジョーダンいうなよ……おれ……わらえないし…………わから、ないよ…………」

 

 震える声で問いかける。常ではあり得ないほど弱々しい声で問いかける。

 理解が出来なかった。

 この人が何を言っているのか判らない。

 

「わかりませんか? いいえ、理解したくないのですか。フフ……。では一つひとつ教授して差し上げましょう」

 

 彼はひどく愉しげだった。これまで見た事がないほど、とても、とても愉しげだった。

 

「──貴方を王国に招き入れたのも、

 エイル達と友誼を交わす様に仕向けたのも、

 王国の戦士達と研鑽する様に仕向けたのも、

 貴方が王国から追放される様に仕向けたのも、

 エイルや王国の戦士達が「敵」だと貴方に思わせたのも、

 貴方が戦士やエイル達を手に掛ける様に仕向けたのも、

 ───全て私の思惑通りなのですよ」

 

 彼の独自は止まらない。嬉々として到底信じられない……信じたくないタネ明かしを滔々と語る。

 信じたくなかった。

 耳から入って来る雑音を遠ざけたかった。

 

「あはははははははははははは。…………嘘だ。ウソだ。うそだ───うそだッ! 嘘だと言ってくれよッ!!!」

 

「───はは」

 

 祐一の慟哭を彼は一笑のもとに切り捨てた。もうそれだけで、十分だった。

 掛け値なしに信頼していた。

 兄だと…………年の離れた兄なのだと思っていた。

 

「なんで? なんで、なんで……ッ! ───どうしてッ!!?」

 

 全ての正の感情が抜け落ち、嗄れた……まるで老人のような擦り切れた声で問い掛ける。

 一縷の望みだった。なにか、何か納得の行く理由があるに違いない……ただ、それだけを。

 それだけを確かめたかった───。

 

 

 

「─────ああ、その顔が見たかった!」

 

 ヤマトタケルがにっこりと笑う。

 長年の望みが叶ってよかった。そう言わんばかりの、爽やかで純真な笑顔で。

 彼は、祐一に笑い掛けた。

 白い笑みだった。何一つ汚れたところの無い純白の笑み。

 ああ……そうだったのか……。絶望とは「白い色」なのだと初めて知った。

 そして祐一はここに至って、全てを理解した。

 今まで積み重ねてきたものは全て────

 

 ───マ ヤ カ シ ダ ッ タ ノ ダ 。

 

 血のように熱い涙が零れた。喜怒哀楽、その全ての感情が追い付いた。

 煩悶。懊悩。屈辱。発狂。嗚咽。混沌。悲愴。惨劇。荒廃。汚濁。絶望。欲望。大罪。停滞。焦燥。非業。欺瞞。懺悔。暗澹。妄執。戦慄。憎悪。殺戮。愛執。断罪。悲嘆。非業。鮮烈。尊厳。代償。因果。喪失。残虐。情愛。懇願。錯乱。烈火。狂乱。衝動。追憶。希望。断裂。哀絶。贖罪。苛烈。

 感情の嵐が祐一の心で荒れ狂った。

 しかし、その中心で一つの感情が絶対不変の物として存在していた。

 ────憎悪だった。

 己に仲間殺しの罪科を背負わた者への。因果が定めた不倶戴天の仇敵への。

 彼の烈火のごとき双眸から零れる物は───赤い。

 血の涙が止め処なく彼の双眸から零れているのだ。

 瞳がつぶれ瞼で蓋をされていようが関係はない。

 食い縛った口腔からは鉄錆びた味覚が広がり、骨が軋みをあげ血が滴るほど強く拳を握り、両の頬に二条の血化粧を疾走らせ真っ赤な瞳で睨み付ける。

 その姿は、まさに悪鬼羅刹。

 ああ……そうだ!!! 憎悪とは「赤い色」をしているのだと、その時、やっと思い出した。

 

「───嗚呼ああああああ! ヤマトッ、タケルッッ!!! 殺す殺すッ! 殺してやるッ!!!」

 

 鉄剣を拾い上げ、杖のようにして立ち上がる。祐一の感情に呼応するかの如く、闇色の空が溶け雪崩を打ったかのように豪雨が流れ落ちる。

 先刻まで哀絶に埋れていた少年は、もう居ない。ただひたすらに殺意を横溢させる狂虐の戦士のみが起っていた。

 その憎悪を受けてさえ、ヤマトタケルは嬉しそうににっこりと笑い続けた。掌中には過日の戦いにて揮った黒い刀。

 

「はは! 素晴らしいですよ、祐一殿! この時をどれほど待ちわびたでしょう!? ──さぁ、願わくば私に答えを指し示して下さい!!!」

 

 憎悪と歓喜。

 おびただしい激情の発露が渦巻く戦場に起つ英雄が二人。

 魔王と神。因果律によって定められた相反する者たちは、必ず殺し合う。どれほど友誼を交えようとそれは絶対の定め。

 

「う、おおおおおおおおおおお───ッ!!!」

 

「ハハハハハハハハハハハハ────ッ!!!」

 

 咆哮と哄笑とが幽世を揺らす。さぁ、開戦だ。

 

 ───死闘が始まった。

 

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