王書   作:につけ丸

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魔王であるが故に

 ───世界に激震が疾走った。

 

 比喩ではない。途方も無い衝撃が地球と言う星そのものに襲い掛かったのだ。

 

 それはまさに神話の再来だったのだろう。ヤマトタケルが放った星をも堕とす聖なる剣の一振りは、文字通り、地球という星を斬り裂いた。

 

 スコットランドのスカイ島に鎮座する古城ダンヴェガン城を起点に、スコットランドを無情にも斬り裂いたあと、北海へ伝わり海を裂き、北欧の国々へ襲い掛かると、最後にロシアを呑み込んだ。

 

 

 誰もが抗うことなんて出来ようはずもなかった。

 時間にすればどれほどだったのだろう? おそらく一分と経たずして、夥しい数の生命を掠奪しロシアの中心部にあるノヴォシビルスクに至り、そこでやっと止まった。

 

 まるで壁が現れたようだった、とそれを見て幸運にも生き残った人々は口を揃えて言う。

 

 その壁は大気圏を抜け、地球の周回軌道を回り続ける人工衛星からでも見通せるほど巨大なものだったのだから、見る事のできた人間は多くいたのだろう……そして生き残った人間は限りなく少なかった。

 

 ()()は壁などではなかった。

 

 壁に見まがうほど巨大な呪力の波であり、何人も抗えぬ強烈な衝撃波であり、神を殺し運命に抗う大罪人を裁く断罪の光であった。 

 あとに残ったのは壮絶な破壊の残滓だけ。そして、その残滓は巨大な溝だった。

 

 直線距離にするだけで五千キロは下らない超長大な距離と、ナイル川やアマゾン川に匹敵するほどの幅を持つ、突如として創られた溝だ。

 

 幽世で創られた物と同じように、その底はあまりの深さに見透すことは出来ず、その周辺ではありとあらゆる生き物が原型を留められないほど無惨に躯を晒していた───。

 

 

 ○◎●

 

 

「………………な……にが……?」

 

 最初、地面に転がっていた祐一には何が何だか分からなかった。意識を失っていたらしく、だけど何で意識を失っていたのかどれくらい意識を失っていたのか、ぼんやりとしていてよく判らなかった。

 

 地面に触れている手が砂利の硬い感覚を伝えて、焦げたような臭いが鼻腔を通って脳内に広がっていく。

 どうも体中そこかしこがオカシクなっているようで、手足はピクリとも動いてくれない。周囲を見渡せば、ラグナと寿が寄り添うように寝ていた。まるでラグナが寿を庇うようにも見えた。

 

 どうしてこうなったんだっけ? そう思って頭を振って記憶を手繰ってみても、何も掴めない。

 

 小首をかしげてもう一度、箱をひっくり返すように記憶を探る。けれど一向に、記憶野に収められている物は出てきてはくれなかった。

 ……ああ。でも、こんな感覚が、初めてじゃないのは、なんとなく判っていた。

 

 

 ───■■■!!!

 

 

 ■■……■■■…………。

 

 

 ■、■■───。

 

 

 なにかが聴こえた気がした。

 いくつもの声が聴こえた気がした。

 そして祐一はこの感覚に覚えがあった。

 誰かが近くで出す肉声じゃないのはなんとなくわかっていて、それは空気を震わせず、自分の脳内だけに届く……そんな不思議な声だった。

 

 あ、これ『山羊』の化身から伝わる声だ。

 

 唐突に理解が広がっていく。そうして理解が追いついた途端、波がざぁぁとなだれ込むように一つ、またひとつ、記憶がフラッシュバックしては蘇っていく。

 

 あの白金の刃による一撃は止められなかった事。

 ヤマトタケルが放った刃をギリギリの所で避けきれた事。

 避けれたは良いがラグナが力尽て身体が小さくなり、祐一たちは投げ出された事。

 そして、そのときに見た。果てしなくどこまでも続く破壊の残滓を。

 

 

 その時、祐一は悟った。この大地は───ヨーロッパは両断されたのだと。

 

 なぜ気づかなかったのだろう。あの『山羊』から伝わる声、それこそ名も知らない人々の、悲鳴で、慟哭で、呻吟で、────断末魔の叫びに他ならなかったのだ。

 

 ドクン! ドクン! 

 心臓の音がやけに大きく聞こえた。まるで鼓膜が心臓にすり替わったかのようで。

 嚥下するツバがマグマのように熱く重く、飲み込めない。吐き出す息がどんどん粗く、そして脂汗が止めどなく溢れる。

 犬の声。鳥の声。虫の声。魚に蛇に蛙に猫に、そして……人の声。ありとあらゆる生物の断末魔の声が、祐一の脳内を揺さぶって犯して惑わして、消えていく。暗澹たるという言葉は今の祐一を表した言葉なのだろう。エイル達をその手で殺めしてまったときのように逃避しても否定しても、どれほど現実から目を背けようと意味はなかった。

 

「………………ぁぁ…………あぁっ………………ぁっ…………!!!」

 

 突きつけられた現実に感情が追いつく。己が何をしたのか、己が何を出来なかったのか、剥き出しの現実がありのままの姿で祐一の心に突き刺さった。

 その杭は、皮を貫いて肉を裂き心臓を食い破って、祐一のヤワラカイ場所まで行きついて粉々に蹂躙した。

 瞬間、彼の正気はちぎれ飛んだ。

 

「うっわぁぁあああああぁぁぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッッ!!!」

 

 視界が赤に染まる。見聞きするすべてが真っ赤に染まっていた。

 感情の波が波濤のごとく荒れ狂って、その時、祐一は初めて本当の意味で理解した。

 

 神々を弑した罪の重さと因果律に反逆すると言う事の意味を。チンギス・ハーンと戦った時、ドバイが焼かれ神々を討滅する決意を樹てた。だがそんなものでは足りなかったのだ……。今起きている惨状が何よりの証拠だった。

 

 ぷつり、と糸が切れた。それは理性と感情の糸だったのだろう……その瞬間、怒りも悲しみもどこかへ消え去っていた。頭を掻き抱いて、身を丸める。見開かれた眼窩からは止めどなく涙が零れ、

 

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい……」

 

 口をつくのは誰かへの謝罪の言葉。誰でもない顔も合わせた事もない誰かへの言葉だった。

 

 祐一は"神殺し"だ。

 強靱な肉体や神々から簒奪した権能に加え、精神の強さもそこらの一般人とは比較にならないほど強い。しかし神々に立ち向かえるのは己だけと言う状況で、それでも惨劇を止められなかった己への自責の念で押し潰されそうだった。

 彼はまだ若かった。どれほど苦難を乗り越えようとまだまだ心を守る殻は弱く、剥き出しの場所ばかりだった。

 

 茫洋とした瞳にもはや光はなかった。痛烈な現実が、祐一の強靭な意志を完璧にたたき折ってしまっていた。

 

 ああ……嘆きが聴こえる……。

 ドバイの時と同じだった。名も知らぬ人々の悲鳴が『山羊』を通して聞こえ、祐一はそれに応えた。

 だがいまは違う。応えることすら出来ない。

 

 俺が弱いばっかりに人が死んでいく死んでいく……今だけじゃない、エオ! ムイン! テスラ! エイル! みんな……みんなみんな俺が殺した……! 

 

 帳が降りる。

 心が深い闇に覆われたかのような気すらして、雁字搦めに縄を打たれそれでもどうにか抜け出そうとすら思えなくて、茫洋な瞳で虚空を見つめるばかりだった。

 そして帳が落ちたのは祐一の心だけではない。祐一の嘆きに呼応するように、地平線の彼方へ太陽がゆっくりと沈んでいく……。

 恐ろしい神の神威を怖れるように、太陽が世界の裏側へ身を隠した。

 

 ───そう。日が()()()()()……世界が逆しまにひっくり返る。紅玉の輝く昼から、月光の瞬く夜へ。

 それだけではない。

 理もまた裏返っていく。光の半年から闇の半年へ───()()()()()()()! 

 

 

『───戦士よ、戦え!』

 

 

「え……?」バッと顔を上げる。今のは幻聴だったのだろうか? いや、そんなはずはない。

 ただの声じゃない、『山羊』から聞こえる声でもない。何度も聞いて耳に染み込んだ聞き覚えのある……でも、もう二度聞くことの叶わないと思っていた声。周囲を見渡すが、依然として見えるのはラグナと寿だけだった。

 だが……

 

『へへ! なにボサッとしてんだよ、祐一! こんなとこで立ち止まってんじゃねーよ!』

 

 今度ははっきり聴こえた。今度ははっきり見えた。

「…………ム、イン……!」腰に手を当て胸を張り、見事な赤毛を揺らして闊達に笑う友の姿がそこにはあった。

 不思議なことに彼の姿は半透明で、後ろの景色すらうっすらと見透かすことが出来た。まるで幽霊みたいだ、混じりっ気のない驚愕に満ちた思考の端でぽろりと思う。だけど、ひどく朧げで儚くとも、たしかに彼はそこに居たのだ! 

 

 だがムインの言葉を聞いても表情は晴れず、うつむき涙が零れた。

 ごめんごめんごめん。おれはおまえたちを……

 何故? と言う疑問よりも祐一の口からは謝罪の言葉が漏れていた。嗚咽混じりの声が響く。

 

『なーんだぁ? お前また泣いてんのかよ? 相変わらず泣き虫は治んねぇなー!』

 

「エ、オ…………!」頭をグシグシと撫でられる感覚に思考が途切れた。見上げればやはり昔日の勇壮な友の姿。また謝罪の言葉が漏れようとして、バーカと遮られる。

 

『謝んなよ、あの死力を尽くした俺の戦いを汚すつもりか? ……なんてな。ま、あんまりお前頼りねぇーからよ! サウィンのついでに戻ってきちまった! 貸し一つだぜ、ユーイチ?』

 

 そうか、サウィン。いつの日かテスラに教えてもらった言葉を思い出し、やっと理解することができた。

 彼らは帰ってきたのだ。死と再生、その循環する流れに乗って。

 

「エオ……ムイン……。俺、お前たちを殺しちまった。どんなに、謝っても……許されることじゃ……」

『バッカ気にしてんじゃーよ。なぁ、ユーイチ……俺たちは死なねぇ。たとえ肉体が滅んで霊魂となって仲間とともに戦う。そういうもんなんだぜ?』

『そう! 兄貴の言う通り! だからさ……ユーイチ───勝てよ!』

 

 そう言って彼らは微笑みを残し、夜に揺蕩う蛍の如く銀の紐となって祐一の右腕に吸い込まれていった。そう、天叢雲剣の宿る右腕へと。

 

 エオとムインだけではない、祐一がその手で殺めた戦士たちが彼らのあとに続くように現れて、笑みを浮かべてほどけていく。

 

 不甲斐ない祐一に誰もかれもが笑みを向け、戦えと、意志を紡げと言葉もなく語り掛けては消えていく。一人じゃとことんダメな自分が情けなくって、でも嬉しくって仕方がない。

 

『祐一よ。あやつは、ヤマトタケルはいま二度も《盟約の大法》を行使した代償で動けずにいる。正当な使い手でないあやつがかの大呪法を使ったのだから当然だ……。

 そしてもう一つ。あやつは(オレ)を失い焔への耐性がかつてないほど弱まっている。──今こそが千載一遇の好機!』

 

 そうか……前回の戦いのときには叢雲がまだ草薙剣で、それを使って防がれた。でも、草薙剣を失った今なら……! 

 

 一つの化身だけではダメだった。

 一つの権能だけでもダメだった。

 一人だけで戦っても勝てなかった。

 

 ならば今、嘗てないほど怒り狂っている化身達……同胞たる『戦士』を奪われ、さらには民衆を悉く虐殺した罪科に鉄槌を下せ! と叫んでいる彼らと合力し、最大最強の一撃を放てばいい! みんな思いは同じだった。

 

『大丈夫、あなたならできるから……胸を張って?』

 

 背から優しく抱きしめられる感触を覚えたと同時に、全身を覆いつくすほどにあった傷がみるみる治癒していく。

 テスラ、そう言葉がもれて、涙が零れそうになるのを必死に堪える。グッと四肢に力を込め立ち上がり、胸を張って前を向く。

 

 振り向くことはしなかった。

 祐一はもう戦士だった。故郷を飛び出した時の無鉄砲さも、かつては仲間を失い錯乱するような未熟さもなくなって、どんな困難が道を阻もうと前を向き、突き進む一廉の戦士だった。

 

 右腕が陽光の如くまばゆい光を放つ。彼を中心に莫大な呪力が渦巻いている。先刻まで底をついていた祐一の呪力ではない。

 

 これはサウィンで現れた死者の力と、ヤマトタケルの一撃によって斃れた民衆……それも人間だけじゃない、草木も山も、鳥も虫も、いくつもの生命が、無慈悲にも掠奪された者たちが力を貸してくれているのだ。

 

 ありがとう……。それに、みんなごめん……。最後まで情けなくって。頼りない戦士のままで、ゴメンな……。

 

 でも、勝つから……絶対、勝つから! 

 

 だから───俺に敵を斃す力を貸してくれ! 

 

 『ミスラの松明』が煌々と輝き、夜が支配する世界で空に輝く星々や月光にも負けないまばゆい光を放つ。右腕に途方もない熱と、いくつもの権能を行使している弊害か脳神経が焼ききれそうだ。

 

 だが構うものか。

 ここで立ち止まってしまうほど俺は、弱くも、恥知らずでもない! 

 

 木下祐一は"神殺し"だ。

 それは神々が自儘に振る舞いおかしくなった世界で、世界の命運を握ったに等しい事だった。それをやっと本当の意味で彼は理解した。

 

 その宿業はたった十四歳の子供が背負うにはあまりにも辛いもの。

 

 だけど、それでも。

 祐一はにやりと唇を精一杯に広げて……───不敵に笑う。

 

 祐一は魔王だった。魔王であらねばならなかった。

 己のために散っていった生命があった。

 己のせいで散っていった生命があった。

 己に捧げられた生命があった。

 だけど、どこまでも傲岸に、傲慢に、不遜に、ふてぶてしく! 

 そうでなければいけなかった。彼らに恥じない戦いぶりを示さねばならなかった。言い訳など、謝罪など、後悔など、以ての外だったのだ。

 

 昔日の……いつもどおりだった日々を胸に描いて、あの頃の面影を宿した表情で前を向く。

 

 ───勝つ。

 

 心眼を開眼する。──視えた。はるか先、古城の上で膝をつくヤマトタケルの姿が視えた。

 距離なんて気にする必要はない。ただ鉄を打つように意志を精錬し、前を見据える。──ただそれだけでいい! 

 

『よし。……それでいい』

 

 後ろで短く、本当に短く言葉を残して、彼は解けていった。

 頷く。……ああ。判ってるよ、エイル。

 

「天叢雲、抜刀」

 

 右腕から光が消失する。光を宿していたのは祐一の右腕ではない……右腕に宿った天叢雲剣だったのだ。黄金に輝く、一振りの神刀が彼の手に忽然と姿を現した。

 

 鋼断つ刃を呼び起こすために、誓いを果たすために、みんなに報いるために、言霊を唱える。

 

「爰に須佐之男命、国を取らんとて軍を起こし小蝿成す一千の悪神を率す──……」 

 

 化身達が叫んでいる! 数多の生命を掠奪した大罪人に裁きを! 民衆に仇なす者に鉄槌を下せと! 化身達がそう叫ぶのならば! 

 

「一千の剣を掘り立て、城郭に楯篭もり給う──……」 

 

 叢雲が叫んでいる! 成すべき事を成せ、と! ここに約定を果たし、比類なき鋭き刃で斬り裂けと! 相棒がそう叫ぶのならば! 

 

『応! 是所謂、天叢雲劔也! ちはやぶる千剱破の鋼なり!』

 

 心が叫んでいる! 内に秘めた約束の数々が、一心不乱に勝て! と。俯くな、前を向け! と叫んでいる! 

 

 だったら! 諦めるわけには、負けるわけには……いかないだろうがよッ!!! 

 

 右腕の輝きはとどまるところを知らない。どこまでもどこまでもまでも輝いて、常闇を払拭するほどの光へと──。 

 

 大上段に構え、弓なりに引き絞る。

 奴のもたらした厄災は計り知れない。どれほどの命が散ったのか想像もできない。だからこそ奴を赦すことなどあってはならない。

 

 怒りの刃を叩き付けるために……───因果を返してやる。報いを受けろヤマトタケル!!! 

 

『「すべての敵は我を───勝利の化身(ウルスラグナ)こそを畏れよ!!!」』

 

 黄金の波が一直線に疾走する。どこまでも伸びていく黄金は、地平線を越えて───。

 

 

 確かな手応えとともに祐一の意識は、今度こそ急速に落ちていった。

 

 

 

 ○◎●

 

 

「クハ……ッ」

 

 中空に浮いたヤマトタケルが、血を吐いた。

 

「ックハハハッハハハハ…………! なる、ほど。これが彼の力の一端ですか。フフ……しかと堪能しましたよ……」

 

 楽し気に嘯く彼の下半身は跡形もなく消滅し、四肢も右腕だけしか残っていなかった。

 だが、流石は最源流の鋼と言うべきか。なにせあの一撃を強かに浴び、まだ生き永らえているのだから。

 

「引き分け……いえ私の負け、ですね。かの大呪法を二度も用いても仕留め切れなかったことも然り。彼の底力を見誤っていたことも然り。……それに些か傷を負いすぎました。フフ、このまま決闘へ洒落込むというのも悪くはありませんが、どうにも風情がない」

 

 クツクツと涼やかな笑い声が響く。

 

「ここは引きましょう……。ああ……祐一殿。願わくば再戦のときにはもっともっと相対するに相応しい益荒男となっていてくださいね」

 

 薔薇色に彩られた花貌に笑みを浮べ、はるか遠くに居るであろう"神殺し"を見遣る。

 

 笑う、嘲笑う、嗤う。愉快で愉快でたまらない。聞く者を恐怖させる哄笑をどこまでも響かせながら、ヤマトタケルは現世から姿を消した。

 

 

 ○◎●

 

 

「ハァっ……ハァっ……!」

『もうよい、人の子よ。ヤマトタケルは去った! お主も満身創痍だ、いいから休め!』

 

 二人の人間が暗い夜道をふらつきながらも足早に歩いていた。否、正確には一人。意識を失った少年を担いでいるのだ。

 だがおかしな事にどこからかもう一つの声が聞こえ、二つの声が夜道に響いていた。

 

 もう何時間、歩いているだろうか。あの破壊の後に地脈の流れが大幅に変容し、寿は遠く離れてしまったそこへ死力を尽くし、目指していた。

 

「でも、確実じゃないんだろう……!? あんなにしつこい奴がそうそう諦めるとは思えない! あいつがまた追ってきたらそれこそ終わりだ! それにあんな派手に戦ったんだ、またチンギス・ハーンみたいな『まつろわぬ神』が現れてもふしぎじゃない……!」

『それは、そうだが……』

「叢雲さんって言いましたよね。彼はね……友達なんですよ。年下でまだ子供で今まで出会ってきた中でも一番無鉄砲で、しょうが無い奴さ! でも、友達なんだ……! 死なせたくない……絶対に……」

『おぬし……』

 

 もう寿の眼は何も映していないことに叢雲はやっと気付いた。だがその足取りはふらつこうと迷いはなく、執念がそうさせるのか意識を繋ぎ止め、一歩一歩前に進んでいた。

 便りは道案内をするかのように先を進むラグナだけ。ラグナも力を使い果たし、もう消えてしまいそうだったがギリギリまで見届けんとしていた。

 

「それに……彼は、希望だ。僕みたいな、にわか仕込で魔術が使えるようになっただけの木っ端なんかじゃなくて……ホンモノの……神様にだって立ち向かえる……人類最後の希望なんだ……!」

 

 ウリ坊サイズになったラグナが心配げに時々振り返りながら見守る。

 寿の足が止まることは、ない。

 

「だから……! 絶対に死なせたくない! 死なせちゃダメなんだ!」

『見事……』

 

 やがて、辿り着いた。叢雲が神力を解放し、道をこじ開ける。

 言葉を最後に紡ぎ糸の切れた傀儡のように倒れ込んだ。祐一と彼を背負った寿は雄大な地脈の流れに呑み込まれていく。

 行き先は未だ誰にも判らない。

 

 

 

 ○◎●

 

 

 

 たった一柱の『まつろわぬ神』によって齎された、破壊。だと言うのに今世界各地で起きているどの災厄よりも激しいものだった。

 当然だ。かつて太古の昔に盟約が行使されたのだから。

 無論、それは地上を自儘に歩む神々にもそれは伝わった。

 ある教会に座する筋骨逞しき天使が、青雲を翔ける勇ましき鋼が、とびきりの異形の姿を持つ神々が、世界に現れ出でた神々が余すところなく感じ取り、そして同時に悟った。

 

 開戦の狼煙が上がった事を───。

 

 

 祐一たちが地脈にて逃走を計った頃。

 同刻、王国にて。

 

「驚きましたよ。あれほどの災いを齎したはずの私を再びこの王国に招き寄せるとは。ねぇ……──ニニアン殿?」

「───黙りなさいフェルグス」

 

 二人の美男美女が言葉を交わしていた。どちらも美しい容姿をしているというのに、そこに艶めいた雰囲気はない。さらに言えば先刻、決別したというのに彼彼女はいつも通りの気安さだ。と言っても気安いのは男の方……ヤマトタケルのみだが。

 

 『鋼』たるヤマトタケルは流石と言うべきか、四肢の多くを失っていたというのに、もう戦傷の殆どが快癒している。それとも何れかの神から奪った権能に依るものなのか。

 ともかくヤマトタケルは完全な状態でニニアンの眼前に立っていた。

 

「フフ、この私をふたたび呼び戻したい、とは並のことではないのでしょう。ですがよろしいので? 昔日のごとく、私は貴方の背中を刺すかも知れませんよ?」

「……構いません。今回の王国に降り掛かった災いの大半は私の失態による処が多く占めますので」

「ほう」

「これもまた戒め。貴方と言う鋼を御しきれなかった私の責。故にその失態を悔い改め、ふたたび貴方を懐へ置こうと言うのです」

「ハハ。いつになく能動的ですなニニアン殿? ですが貴方が私を王国に縛れるほどのものを提示できますかな? でなければ不躾にも私を呼び付けた貴方の首を取り、王国を去るのみですが」

 

 ヤマトタケルの言うとおり、彼が王国に居座る理由はない。正確には王国に居るより大きな理由が見付かった、と表すべきか。

 

「少しだけ未来を紡ぐ糸が視えました」

「ほう……?」

 

 ニニアンの興味深げに両の眉を上げる。言葉を紡いでいだニニアンはヤマトタケルを見てはいなかった。どこかここではない遠くを見るように、虚空を見つめていた。

 ニニアンは預言者としての側面も持っている。以前、王国に神殺しが訪れるという予知をしていたのもこれのお蔭。

 今回も預言者としての力が期せずして、振るわれたのだ。それは王国のため……否、己自身の未来のために。

 

「あの者……"神殺し"はそう時を待たずして異界へと旅立つでしょう。それは過去でも未来でもなく……おそらくこの地上ではない……『平行世界』と呼ばれる我々でも手の届かぬ場所へ、です」

「なんですって?」

 

 眼を眇めては柳眉をひそめ、その花貌にとある激情をのせる。

 

「バカな! そんな事はあってはならない! 私の掌から抜け出そうなどと!」

「故に、我らの合力が肝要となります。アレの最後に見せた『風』の権能……直接、目にすることによって霊視がおりました……あれはあの者にとって価値のある人間の窮地へ駆け付けるもの、それも世界すら越えて……」

「…………」

「ならばあの者の……そう、あの者の───()()にて騒乱を起こせば良い。そして我々にとっても意義のある騒乱を起こします……。即ち、あの者の故郷にて『招聘の儀』を執り行うこと」

 

 おもむろに取り出したのは、錆びつきくすんだ一振りの古ぼけた剣。それは神具であった。ニニアンの悲願として抱く『鋼』の復活、そのための。

 

 思わず笑みが零れた。どこまでも凄惨を極めた狂笑を。

 

「……ククク、ッアハハハハハハッ───! ああ、素晴らしいですよニニアン殿! いいでしょう! ここに契約は成りました! 今一度、私と貴方、手を組むとしましょうか!」

 

 ニニアンは鷹揚に頷き、スッくと立ち上がり、王城のテラスへ躍り出た。

 

 そこには静寂のみがあった。

 

 眼下に見下ろすのは、己を信奉する王国のすべての民。彼らは一様に、黙り込み一言も漏らすことなくはなくニニアンの言葉を待った。

それこそ水の跳ねる音すら聴こえそうなほどに。しかし、その胸中には、煮えたぎる激情を秘して。

 

 その視線を受け、気負うことなくニニアンは言葉を紡ぐ。百万一心、すべての者の思いを同じくして。

 

 

 エーリゥの戦士達よ───!

 

 ミールの子供たちよ───!

 

 我が王国の戦士達よ───! 

 

 時は来たれり。かの神殺しはクアルンゲの雄牛に等しき我が宝物たる王国の戦士達を掠奪し、我らが同胞に暴虐の限りを働きました。

 

 なんという非道、許してはなりません!

 

 ならば答えはただ一つ!

 かの神殺しに報復を! 目には目を! 血による罪には血の贖いを!

 神殺しの故地にて思う様に掠奪を!

 

 ───さぁ、トーイン(襲撃)を始めましょう!

 

 凛とした声が遍く民の耳朶を打てば、幽世を揺るがさんばかりの歓声が轟く。

 

 次なる決戦の地は、日本。

 幽世、現世……世界は混迷を極め、彼の戦いはまだ終わらない。

 


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